表紙の汚れた帳面に記された約束の場所「ナンテの木の下で」

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赤い鳥09

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2006.09.02
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与次郎が浜 (よじろがはま)といいます。
現在は よじろう と呼ばれています。

中学生の私たちは埋め立て工事の様子を社会科見学で見に行ったものです。
それ以前の海岸線を
おぼろげに記憶しています。
お盆の最終日には海岸線にたくさんの人が出て
精霊流しが行われていました。

季節にはマツボックリがたくさん拾えました。


国民体育大会が鹿児島で開かれたのは1972年のことです。
新しくなった陸上競技場で炬火の到着を待ったのを覚えています。
歌を歌うためです。桜島を背に高校生達の合唱で火が点火されたのでした。

国体が始まっても私たちは
与次郎が浜 に通っていました。

競技場の外で全くの偶然なのですが
小学校の頃通った学習塾の先生にお会いしました。
実は父親の友人で大変お世話になった方です。
ほんの数分お話しただけです。
それが先生とお会いした最後になりました。



横井庄一さんが「恥ずかしながら帰ってまいりました」とテレビに映っていた年です。

この年の夏
私は遠い地方の友人と文通をはじめていました。
その頃でさえ文通というコミュニケーション手段は死語に近いものであったのですが。
不器用に文通していました。





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Last updated  2006.09.02 21:17:16
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