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温かい人生 最終章 美佐子の体調も年内から3日まで何事なく過ぎて行った。時々痛みはあるらしくその度に痛み止めの薬を飲みだましてきた。 その年の正月の用意は芳江が千代を手伝わせながら用意してくれた。美佐子も調子がよければキッチンへ立ち野菜を切ったりしていたが、包丁を持つ手に力が入らなくなっていくのか、硬い根野菜などは切ろうとしなかった。31日には雅也も出てきて6人で正月を迎える事が出来た。 毎年元旦だけは康夫も千代も顔を出していたが後はすぐ帰り友達との遊びで出かけていた。 だが、その年は流石に出かける事もなく康夫も年末から帰ってきてずっと家にいて美佐子と一緒に過ごしていた。二人とも今年の正月は家族全員が揃うのが最期だと言う事がわかっているので大切にしたかったのだろう。 元旦の午後、穏やかな日で寒くもなく気持ちがいい日だったので、孝雄は美佐子と二人で近くの神社に参りに行った。神社には少し階段があったが休み、休みで行き、無事にお参りが出来た。 風邪でもひいては大変なので参拝の後は急いで家に帰るというあわただしさだったが・・ 孝雄は一度芳江にあの山田昇と書かれた人物について聞きたいとおもっていたのたが、なかなか芳江と二人になる機会がなくてそのままになっていた。 そんな正月の3日にたまたま正也と二人で外出する用事が出来たので孝雄は今がチャンスだと思いと孝雄へ 「おとうさん。お話したい事がありますので少し付き合っていただけますか」と言って正也を喫茶店へと案内した。 二人共コーヒーを注文してしばらく無言でいたが正也の方から口をきってくれた。 「孝雄君、話ってなんだい」 「はあ」 孝雄は少し躊躇したが、先日の手紙の内容を頭で整理しながら「山田昇」のことを訪ねてみた。 正也は黙って聞いていたが孝雄が話終えると残っているコーヒーを飲み干し孝雄を見ながらその当時の事を話して聞かせた。 そして「そうか、美佐子は昇君へ手紙を書いていたのか、出そうと思っての事だろうか?」 「さあ、どうでしょうか」 「あれは美佐子が23歳の時の事だ」 正也は当時の事を思いだしながらありのままに孝雄へ話をしていった。そして最後にこう言った。 「孝雄君、美佐子が昇君に会いたいのなら会わせてくれないか、親の身勝手かもしれないが、私も芳江もあの縁談を反対した事を美佐子に対して心苦しい思いをしていたのだよ」 「私達は間違った事はしていないと思っていたが、もう少し美佐子の事も考えてやるべきだった。だが、そのあと君と結婚すると言ってきた時は私たちはとても喜んだんだよ」 「孝雄君には感謝してもしきれないと思っているよ。ほんとに美佐子と結婚してくれてありがとう」 と正也は軽く頭を下げた。 しばらくして孝雄は「よくわかりました。今話を聞いたばかりなのでまだ私の気持ちは決まりませんが、数日考えさせて下さい」と言った。 そのあとも美佐子は特別な事もなく過ごして行った。お天気がいい時は洋服に着替え庭に出て花を眺めていたりしていた。秋に植えた花の苗がこの寒さの中、頑張って育っている様子を見ているのは美佐子に元気を与えてくれるようだ。 そうだ、ちょうどあの時秋植えの花の植え替えをしている時に倒れたのだった。 その時隣の柴田夫人が垣根越しに美佐子へ声をかけてきた。 「こんにちわ、退院されているのを知っていましたけど、なかなかお会いする機会がなくて」 といいながら美佐子を観察するような目で見るのだった。 「私が留守をしていますので何かとお世話おかけしているのでしょうね。すみません」と美佐子は社交辞令のつもりで柴田夫人に返事をし、これ以上は話したくないとでも言うような素振りで家の中へ入ろうとした。 その時また後ろから声がして 「奥さん、食事入りますか」と聞いてきた。 その声を奥にいた芳江がききつけ美佐子を家の中へ入れ、代わりに自分が柴田夫人に話かけた。 「奥様にもいろいろお世話おかけしているようで、おかげ様で美佐子も食欲は出てきていますので、ではしつれいします」 とピシャと言い戸を閉めてしまった。 なんと失礼な奥さんだろうと思ったが美佐子に感ずかれてはと思い笑顔を作り部屋へ入った。 孝雄は先日の事がまだ頭にありどうしたものか迷っていた。 不思議な事に美佐子を怒るの気持ちはなく、それよりも昇に会わせなかったら自分が一生悔いが残るのではないかと思うのであった。 ちょうどその頃会社から東京への出張の話が来た。 美佐子が病気になってから幾度となく出張の話はあったがね」孝雄は簡単に美佐子の病気の話をして他の人に行ってもらうようにしていた。 だが、今回は孝雄に考えるところがあり、東京へ上京する事にした。 家に帰り明後日から出張の事を話芳江と子供たちに話をした。 東京へ立つ朝、孝雄は横で寝ている美佐子を見ながら「美佐子、山田昇という人と会ってくるよ。それまで今のままで頑張って待っているのだよ」と心の中で伝えた。 東京へ着いたその日は一日仕事で飛び回っていたので昇を探す事は出来ず次の日の午後から時間が取れた。 昇の住所は家を経つ数日前に美佐子の友達山下清子に連絡を取り聞き出していた。清子も美佐子の病気の事は知らなかったので、電話で簡単に美佐子の病状を伝え、昇に会う理由を話した。 清子は美佐子の事を聞き驚いていたが、孝雄が昇を美佐子に会わせたいと言うとうれしくなり「それだったらどんなにしても山田君の住所を探してみます」と言ってくれた。清子は約束を守ってくれ次の日には昇の住所と仕事先を教えてくれた。 次の日の午後孝雄はホテルを出る前に昇の家へ電話を入れてみた。しかしもう昇の家族はみな出かけた後なのか誰も出ないので、昇の仕事先に電話を入れる事にした。清子が教えてくれた住所は東京都武蔵野市になっており、仕事先と言っても昇はそこの店の経営をしているとの事だった。そちらの店も自宅から10分ほどのところにあるようだ。 電話に出たのは中年の女性だった。孝雄はもしかしたら奥さんではないかと心配をしながら昇を呼んでもらうように頼みそのまま待っていた。やがて思っていたより若々しい昇の声が聞こえた。孝雄は美佐子の主人だと名乗り突然の電話をわびた。 電話の先の昇は驚き慌てている様子が手に取るように分かった。 孝雄が「会って少し話をしたいのですが」というと昇は「では夕方6時に武蔵野駅の近くに風車というカフェレストランがありますのでそちらで」と言いこう付け加えた。「私はメガネをかけておりテーブルの上に新聞を乗せておきます」と言った。 孝雄は午後から夕方まで映画でも見て時間を潰す事にした。ほんとは昇と会ったたらどんな話をしようかと思案していたのだが、結局まとまらずに映画でも見て時間を潰す事にした。 約束の6時を少し過ぎたころに風車へ行き中を見回したら窓際の席に新聞がおいてあるテーブルを見つけた。座っている人を見たらメガネをかけ半分白髪頭の中年男性が座っていた。孝雄はそちらに行き 「失礼ですが、山田さんですか」と聞いた。 「はい、山田です。お電話いただいて」 「斎藤です。突然お電話して申し訳ありませんでした」 「いいえ」 とお互いに挨拶をして孝雄はコーヒーを注文した。昇はかなり前から来ていたのか冷えたコーヒーがあった。 孝雄は「さっそくですが」と言って要件を切り出した。 美佐子の病気の事、美佐子が昇宛の手紙を見て昇の存在を知った事、美佐子の父親から美佐子と昇の当時の出来事を聞いた事などをかいつまんで話していった。 孝雄が話終わるまでじっと聞いていた昇だが、途中で涙を流した姿を見た孝雄は一瞬話を止めてしまった。 しばらくして重い口を開いた。 「そうですか、よくわかりました。斎藤さんには大変ご迷惑をおかけして」 少し間を置いて 「あの、私が美佐子さんにお会いしてもいいのですか」 孝雄の様子をうかがうような素振りをした。 「はい、私の事は気にしないで美佐子に会ってやって下さい。私は今、できるだけ美佐子の願いをかなえてやりたいと思っているのです。でなかったら私が一生悔いが残りそうで」続けて 「今頃やまださんにこんな話を持ってきてこちらこそご迷惑をおかけしている事と思います。それに奥様の事もあるでしょうし」 「いいえ、妻の事はいいのです。私が適当に話をしますから」 「では、いつ頃美佐子に会ってもらえますか? 美佐子にはあまり時間が・・」 そういう孝雄もまた涙ぐむのであった。 山田はしばらく考えて「来週の火曜日にそちらへ伺います。それでいいでしょ うか」と聞いた 「分かりました。では来週の火曜日にお待ちしています」 孝雄は挨拶をして風車を後にした。 昇は孝雄を見送った後もまだ椅子に座ったまま方針したようになっていた。 美佐子との思いでが次々に思いだされ、あの美佐子と永遠の別れが来るのかと思うと胸がつまる思いがした。 昇の人生の中で美佐子は常に昇の心の中にあった。妻の(貴子)は親戚の紹介で昇の家庭の事情も分かってくれて結婚した。今まで貴子に不満があったわけでもないが、美佐子の事は昇の中では別の事だった。 美佐子の父親がある日突然に昇が仕事へ出ている時に祖母に会いにきたらしい。昇は仕事から帰ってきて祖母から話を聞き愕然とした。多分美佐子とは結婚はむりもだろうと薄々感じてはいたが、美佐子を諦める事など考えてもいなかった。 だが、正也が家まで来て、まして祖母に頭まで下げて美佐子との付き合いを止めるように頼んで行った事を聞いた時には流石に昇はもう美佐子とは会えないなと思せわしい った。自分が身を引いた方が美佐子の為とその時は思ったのだった。 正也が来た数日後昇は祖母を説得してこの地を離れる事を話した。祖母を置いて昇ひとりだけでも家を出る事も考えたが、やはり年老いた祖母を一人置いていく事は昇には出来なかった。 東京へ妻と子供を連れて出たのは昇が35歳の時だった。 その時は祖母も亡くなっていたのでせわしい東京へ連れていかなくていいのが何よりも昇が踏ん切りをつけやすかった。 美佐子と付き合っていた時もずっと生け花を続けていたが、美佐子と離れたのと同時に生け花もやめてしまった。もともと花が好きで子供の頃から花をよくいじっていたが祖母からいつも「男の子のくせになぜ花ばかりいじっているの」と言われていたものだった。 学生時代は流石に友達の目があり花を扱う事は諦めていたが、高校を卒業し仕事をし出して3年程してからまた花を扱いだした。美佐子が来ていた生け花教室には昇はその2年前から通っていた。 ここで美佐子と別れるまで生け花の免許も取り今の仕事を辞めて本格的に花を扱う仕事につこうとしていた矢先に美佐子から逃げる形となってしまった。 美佐子の前から姿をけした昇は今度は車の営業をしながら人生を諦めた生活を送っていた。しばらくは酒と賭け事で気を紛らわせていたが、元々生真面目な性格なのでこの荒れた生活も長くは続かず、それから親戚の紹介で今の妻(貴子)と結婚した。しばらくして知人から東京で花屋をしている知り合いが店長を探している。生け花の免許を持っている者がいいらしいが、昇君行ってみる気はないか・・と東京の花屋を紹介してくれた。 昇はやっと好きな仕事に巡り合えたと思い貴子と子供を連れおもいきって東京へ出たのであった。 美佐子の様子も昔の生け花教室の仲間から話はそれとなく聞いていたし、今は幸せな生活を送っているとの事だったので安心し、心機一転のつもりで東京へ出る決心をした。 東京へ出て5年程店長を務めた後それから自分の花屋を開店して、妻の貴子と共にやってきたのであった。 美佐子の事は一日たりとも忘れた事はなく常に昇の頭にあった。もちろん妻の貴子には内緒にしていた。 今回も孝雄が電話入れた時、出たのは貴子だった。貴子は電話の話を聞くともなくなしに聞いていたらどうも昔の事に関しての事のようだ。電話の相手と夕方から会うらしく気が重い様子で出かけて行く昇を不審に思いながらも貴子は見送った。 夜遅く帰ってきた昇は出かける時よりもいっそう暗い顔をしていた。 貴子は何か聞きたいと思いながらなぜか昇の様子を見ていたら聞けない雰囲気があった。昇もまた貴子に説明するつもりもなくただ黙って考え事をしていた。 昇は今孝雄から美佐子の状態を聞き今すぐにでも美佐子の所へ飛んで行って美佐子を抱きしめたい思いだった。美佐子が会われでどうしようもなかった。 次の週の火曜日の朝、昇は福岡へ行ってくるとだけ告げて家を出た。貴子も何も聞かず「気をつけて」と言うだけであった。 始発の飛行機で行けば昼過ぎには美佐子の家へ着くはずだった。 孝雄は2泊して自宅へ帰った。東京にいる時も美佐子の病状が急変するのでない心配ばかりしていた孝雄の心配をよそに帰ってみたら美佐子は前と同じような生活をしており何もとりたてて変わったところはなく孝雄は安堵するのであった。 ただ、時折襲ってくる腰の痛みがだんだん強くなってはいたが。 孝雄は「せめて火曜日までは何事も起きませんようにと祈る思いであった。 孝雄は正也に電話で昇と会って来た事を報告してから「来週には山田さんがこちらへ美佐子に会いに来ますから」と言った。 正也は「孝雄君、君にはすまないとおもっている。だが、美佐子は昇君と再会できるのは本望だと思うよ。ほんとにありがとう」と言った。夜美佐子がネタのを確かめ芳江の寝室へ行き昇の事を報告し「来週の火曜日に来ますのでよろしくおねがいします」と言った。芳江は孝雄に頭を下げ「孝雄さん、ほんとにありがとう」と言って涙を流した。 運命の火曜日がやってきた。 美佐子が家へ帰ってきてそろそろ一月が経とうとしていた。 新年になり初めての雪がチラチラ舞い落ちるのを美佐子は窓越しに飽きずに眺めていた。この家は孝雄と結婚して一年目で建てた家だった。その後孝雄の両親が相次いで亡くなり少しばかりの遺産が孝雄に入ったのでそれで家のローンを払いお終わりその後一度リフォームをした。 その時に美佐子がガーディニングをしたいとの事で狭いが庭を造り毎年四季折々の花を咲かせていた。今も秋に植えたパンジーに薄く雪が積もっていた。 孝雄は芳江にもう一度頼み普通通りに出勤して行った。孝雄の心が平常心であったかと言ったら嘘になる。 孝雄のほんとの気持ちは美佐子と昇が会う側に自分も居たかったのだが、それは美佐子も昇も耐えられるものではないだろう。 美佐子にはこの事は話はせずに美佐子の知り合いが来ると言っておいた。 その日の美佐子も気分がいいらしく洋服に着替えていた。その頃の美佐子は病気を隠したいのかできる限り華やかなものを着るようにしていた。ささやかな女性心理なのだろうか。 美佐子は 朝、孝雄から知り合いが来るよとだけ言って出勤して行ったが誰が来るのか全然検討がつかないでたいた。名前だけでも教えてくれたらいいのにと思いながら、芳江に聞いてみたが「知らないわよ」と言うだけであった。 美佐子がまだ窓の外に目をやっている時、垣根の向こう側に誰か人影が通っていくのが見えた。その人影の隙間から大きな花束が見えた。 やがて玄関のチャイムが鳴った。芳江が「は~い」と言いながら玄関へと行く足音が聞こえてきた。 挨拶をしているのか密やかな声が聞こえてくると美佐子は立ち上がり鏡の前で身じまいを点検しながら芳江が呼びに来るのを待っていた。 昇は玄関へ入るなり芳江に向かって「ご無沙汰しています」と頭を下げた。 芳江も挨拶を返しながら昇を応接間に案内した。 昇は大きな花束を芳江にわたし「家で扱っている花ですけど」と言い添えた。 花束は芳江の顔をすっぽりかくしてしまうほどの大きさがあり芳江は 「ありがとうございます。素敵な花ですね」と言いながら花を見たら真っ赤な冬牡丹が数本入っており目を引いた。その横に初雪草の淡い緑に白が混ざった花があった。それは冬牡丹を一層引き立てているようだ。そのほかにもアレンジよく色の配分を考えた花束はそれは見事なものだった。 芳江は花束を一旦横へ置き椅子を勧めお茶を出しながら 「おばあさまはお元気ですか? 祖母は15年前に亡くなりました。病気で」 「そうだったのですか。あの時はおばあ様にもご迷惑おかけしましたね。で、今は 東京にいらっしゃるの」 「はい、祖母が亡くなってしばらくして東京へ出ました。こちらもお父様お変わりなく」 と言いながら美佐子の事を聞いていいのかどうか躊躇していたが、思い切って聞く事にした。 「あの、美佐子さんは今日私が来る事をご存じですか」 「いいえ、知り合いが来るとだけ言っています。先に美佐子へ伝えたらきっと孝雄さんに遠慮して会いたくても会わないと言うかもしれませんしね」 一呼吸して芳江は 「じゃあ美佐子を呼んできますから。美佐子の事は孝雄さんから聞かれていますか」「はい、聞いています」 「では、そのおつもりでよろしくおねがいしますね。私は裏にいますので」 と言いながら大きな花束を抱えてミサがいる居間へ入った。 昇はいよいよ美佐子と会えると思うと胸の高鳴りが酷くなった。25年ぶりに会う 美佐子は病にかかっており後わずかな命という。なんて言葉をかけていいのか」 居間のドアがゆっくり開き女の人が入ってきた。顔色は黄土色で頬がこけ、洋服に隠された袖口からやせ細った腕が見えていた。 昇は一瞬これがあのかわいいふっくらしていた美佐子かと目を疑ってしまうほど今の美佐子は昔の面影はなかった。 美佐子の方はまさか昇が目の前にいるとは夢にも思わずただ幻を見ているように昇を見つめているだけだった。 昇の方から声をかけた 「美佐子さん、久しぶりだね」 元気かい・・とはとても聞ける事は出来ずこういう言葉をかけた。 昇が声をかけてもなお、美佐子は言葉を失ったかのようにただ黙って昇を見つめているだけだった。 「気分はどうなの、大丈夫かい」 「ええ・・」 やっと一言声を出した後美佐子はみるみる涙が溢れてきて顔を覆いながらソファに崩れ落ちた。涙がとめどめもなく流れやがて嗚咽をしながら泣くのだった。 昇はそんな美佐子を黙ったままそっとハンカチを渡し優しく見守っていた。美佐子の肩が薄く感じ病が酷い事を物語っていた。 どれくらい時間が経ったのか、今の二人には完全に時間が止まっていたのかもしれない。 美佐子がやっと泣くのをやめ改めて昇の顔を見つめた。 25年間お互いに一度も忘れる事がなかった相手を今目の前にしてただ見つめあうだけの二人だった。 若い二人にとっては耐え難い苦痛にあい昇はその中から身を引いてしまった。 それがよかったのかどうかはまた二人ともわからない事だった。 時間を惜しむように美佐子から話をきりだした。 「私、痩せたでしょぅ」昇はなんて言っていいか戸惑いながら 「少しね、でも泣き顔はあの時のままだよ」と言って白い歯を出して笑った顔は若いころの昇そのままだった。 「僕も白髪が多くなってね、すっかり歳取ったよ」 「そういえば昇さん、昔から若白髪があったものね」 やっと二人は昔の美佐子と昇に戻りお互いを見て笑い会うのだった。 しばらく昔話をしていたが美佐子は急に姿勢をただして 「一度昇さんにきちんと謝りたかったのよ。お父さんがした許して下さい」 と言って頭を下げた。 「いいよ、もうそんな昔の事は。あの時代の親だったらみんな同じ事していたと思うよ」 「そう言っていただいて嬉しいわ。なんだかやっと長年胸につかえていたものが取れたような感じよ。でも、結局私達は結ばれない運命だったのね」 「でも、今はこうやってご主人のお陰でこうて君と会えたんだし」 「やっぱり主人があなたに会いに行ったのね。先日東京に出張で東京へ行くというときなんだか変だったのよ」 「でも、どうやってあなたの居所を知ったのかしら」 「それは山下清子さんに聞かれたらしいよ」 「そうだったの。あなたの事は何故知ったのかしら」 「さあ、そこまでは聞いていないよ」 昇は美佐子が手紙に書いていたのを見た事を孝雄から聞いて知っていたが、美佐子に話すつもりはなかった。 「今も東京なの」 「そうだよ。花屋をやっているよ」 「まあ、お花屋さんを、昔からお花が好きだったものね。私は全然よ」 と言いながら美佐子は何気なく腰を片手で摩っていた。痛みが出てきたようだ。だが、美佐子は昇に悟られないように顔はにこやかな笑顔を作っていた。 昇が言った。 「今日は花を持ってきたので後でお母さんに活けてもらってよ」 「ええ、ありがとう、先ほど見事な花束を見せてもらったわ。ところで今日の事は奥様はご存じなの」と美佐子は改めて昇の妻の事が気になりだした。 「いや、言ってないよ」 「そう、心配されないかしらね」 少し間を置いて美佐子は言った。 「私ね、もうあまり長くないと思うのよ」 「えっ、何言ってるんだ」 「ううん、主人も子供たちもみんな私に隠しているのよ。でもそれでいいと思っているの。今まで私は幸せだったし、主人には感謝しているのよ。ねえ、昇さん。私がいなくなったら私のお墓へ会いにきてね。約束よ」 と言いながら美佐子は小さい子供がするように左手の小指を昇の顔の前へ出した。 昇は一瞬ビクっとしたが自然に小指を出しからませるのだった。 その時、からませた指がちぎれるかと思うような痛さが昇に走ったかと思ったら、美佐子が指を絡ませたまま身体を折り腰を痛がる姿があった。 昇はびっくりして慌てて芳江を大声で呼んだ。芳江が走ってきてすばやく痛み止めの薬を美佐子の口へ入れ、腰をさすっていた。 普通だったら自然に痛みが遠のいていくのだが、今日の痛みは違うようだった。 芳江はいつもの痛みと違うのを察し急いで救急車を呼んでいた。 芳江が「昇さん、ごめんなさいね。取り敢えず病院へ行ってみます。後から電話入れますのでここで待っていていただけますか」 と言いながら身体はいつ出てもいいように用意をしていた。 昇は芳江が用意している間、美佐子の身体をさすっていた。洋服の上からでもはっきり分かるくらいに美佐子の身体は細くなっていた。 美佐子は意識を失ったようでぐったりして病院へ運ばれて行った。 昇は一人取り残され見慣れない家でどうしようもなくただソファに座り連絡あるのを待っていた。 2時間もそうしていただろうか、芳江からやっと電話があり美佐子の様子を知らせてくれた。 美佐子は診察された後、急に手術となった。手術と言っても胆嚢にたまったものを官を入れ取り除くというものらしかった。 手術じたいは短時間で済みしばくICUに入って様子を見ると言う事らしかった。 芳江は「今、孝雄さんに連絡がつき今から病院へ来ると言う事なので、それから急いで家へ帰りますので、山田さん、もうしばらくお待ちいただけますか」と言った。 「はい、わかりました。では斎藤さんにお会いしてから私は帰りますので」 「よろしくお願いします」と言って芳江の電話は切れた。 孝雄は芳江からの電話で急いで病院へと急いだ。 昇と会っただろうか、話をしただろうか、美佐子はどんな顔をして昇を見たのだろうか、など色々な事が重い浮かんだ。 病院へ着き、芳江から状態を聞き、とりあえず美佐子の担当医から簡単な話を聞いた。美佐子はまた入院する事になった。 二人は家へ急いで帰った。 昇は何しようもなく所在なげにソファに座っていた。 「遅くなってすみません」 孝雄が声をかけながら入っていくと昇から 「あっ、美佐子さん、いいえあの奥さんはいかがですか」 と慌てて名前を言い換えて孝雄に聞いた。 孝雄は美佐子の様子を話していった。一通り話が済むと昇は別の事を話しだした。 「斎藤さん、今回は奥さんに会わせて頂いてありがとうございました。正直奥さんと再会した時びっくりしました。あまりにも昔の面影と違っていて、でも今会わせて頂いてほんとによかったと思います」 「そうでしょうね。でも美佐子も山田さんと再会できてうれしかったと思いますよ。ほんとはもっと元気な時に会えたらよかったのでしょうけど」 と言いながらそれは決してなかった事だと信じていた。 美佐子がガンに侵されていたからこそまた、命が後わずかとなったからこそ昇と会うのを許したといえるのかもしれないからだ。 「私はこれで東京へ帰ります」 「よかったらこちらで一泊して明日美佐子にもう一度会っていかれませんか」 と孝雄が言った言葉を昇はしばらく考えていたが 「いいえ、これ以上は」と先の言葉をにごした。 昇は明日また会う事は美佐子は決して望んでいないだろうと察したのだった。これ以上弱った姿を昇には見せたくないはずだ。 孝雄ももうそれ以上は進めなかった。孝雄の気持ちは今まで美佐子と何を話していたのかを知りたいのだったが。 だが、昇も何見言わないし孝雄も聞く事も出来なかった。 昇は後ろ髪を引かれる思いで挨拶をして帰っていった。 美佐子にとっても昇にとってもまた、孝雄にとっても長い一日が過ぎようとしていた。 次の日には美佐子はナースセンターの横の個室に入れられた。 美佐子は一人ベッドに横になりながら昨日の事を思い出していた。 25年ぶりの昇との再会は思ってもいない事だった。いや、今一度会いたい思いはあったがまさか実現するとは予想もしなかった。 孝雄は私が昇宛に書いていた手紙をよんだのだろう、それで私が昇に会いたがっていたのを知り東京へ・・やはり私にはもう時間がないのだ。 そこまで考えて美佐子は思わず目をとじ違うと言うように首を振っていた。 やがて孝雄が面会に来て美佐子に声をかけた。 「美佐子、大丈夫か」と言いながら美佐子の顔を見たら黄疸が酷くなってきておりまた一層痩せていた。美佐子は孝雄を見て 「あなた、昨日は山田さんと会わせてくれてありがとう。すごく嬉しかったのよ」とか細い声で言った。続けて 「貴方、私の手紙を見たのね」 と言いながら孝雄を軽く睨んだ。 「ああ、ひょんな事でね、見ちゃったよ」 孝雄はおどけたような言い方をしてその場をはぐらかした。 美佐子はもうそれ以上何も言わないで目をつぶっていた。 美佐子はそれから一月の間強烈な痛みに耐えながらその年の桜を見る事なく旅立って行った。医師の診断より数か月早い旅立ちだった。 孝雄の思いやり、康夫、千代のやさしさ、芳江と正也の愛情、それから昇の想い出をいっぱい詰めて・・ 終わり ★拙い小説を読んでいただき ありがとうございました。 膵臓ガンの事は私の姉の闘病を思いだし その時の事を参考にしました。 著作権はkazu495にあります。 無断使用は硬く禁止します
2023.12.25
(戸惑い)昇が予約を入れてるという和食の店は大通りから路地に少し入った所にあった入り口に「小料理屋 花谷」という看板が目に入った。暖簾は藍染めで渋くその中に花谷の文字が浮かび上がっている。中に入っていくといっせいに「いらっしゃいませ」と威勢のいい声が聞こえてきた聡子はさりげなく周りを見渡してみた。右手にカウンタ-があり左手にテ-ブル、奥の方が個室になっているようだ。テ-ブルにはそれぞれ小石原焼きの一輪挿しがあり生き生きした赤い小さなバラが一本さりげなく挿してあった。小石原焼きの渋さと赤々としたバラはなんともいい雰囲気を出し、こちらの女将のセンスのよさを出していた。女将に案内されながらも昇はかって知ったるなんとやらでサッサと自分から部屋へ上がっていた聡子も上がり席につくと改めて女将が挨拶にきた「いらっしゃいませ・・奥様もよくおいで下さいました。内田さんにはいつもご贔屓にして頂いてるんですよ」客商売を長年しているだけあって客扱いも慣れたものであった聡子も軽く頭を下げながら「主人がいつもお世話になっています」型どおりの挨拶を返した。まもなくビ-ルが運ばれ仲居が昇と聡子にそれぞれ注いで下がっていった聡子は先ほどの昇の態度の変化を怪しみながらも今はこの料理屋の雰囲気に気をよくしていたお互いに軽くグラスを合わせた。昇は一杯目をグ-と一気に飲んでしまいおいしそうに目を細めていた。聡子はビンを傾け「あなた、ビ-ル注ぐわ」と言いながら昇のグラスに並々と注ぎながらもう先ほどの事は忘れようと思っていた。ふと手元を見ると箸おきが凄くしゃれており、聡子は思わず手にとってみたそれは一輪挿しと同じ小石原焼きでできており、少し細長くて四隅がピンと跳ねたようになっていた。これは四隅が壊れないように洗うのに気を使うだろうな~と変な事を感心するのだった。取り留めのない話をしながら料理を食べビ-ルを二人で3本ほど飲んだ頃になると昇も少し酔ってきたのか饒舌になっていった。聡子も頬をほんのりと染め目に少し赤みが出てなんとなく色っぽくなってるようだ。そんな聡子を昇は眩しそうに眺めながら話は続いていた。聡子は横に置いてるス-ツの袋を思いだし昇の顔をそっと覗き込むと昇は機嫌よくビ-ルを飲んでるようだ今なら話しても大丈夫かなと思い話し掛けようとしたその時、昇の方が先に聡子に話し掛けてきた「聡子、俺達結婚して何年になるのかな?」聡子は昇に先に話出されたのでまた洋服の事を話すきっかけがなく言葉を引っ込めてしまった聡子は形よく並べられたお刺身を食べようとしていたのをやめ「今年の6月15日で21年になるわよ・・早いわね~」聡子は暢気そうに聞こえるように応えてお刺身を食べはじめた。続けて昇が「21年か、長いな~・・・幸雄が大学を卒業するまで後2年か」「そうですね、香は短大なので来年は卒業しますからね」聡子はお刺身を食べるのをやめ、今しがた仲居が運んできた揚げたての天ぷらを見つめていた。天ぷらが大好物な聡子は上品に盛り付けられた天ぷらに食欲をそそられ魚のキスを取り上げ口へ運んだ。「聡子は今の生活をどう思うか?」「今の生活ですか・・・そうね、子供達も離れて手はもういらないし、それに家を建てた時は生活も苦しかったから私も編物をして頑張っていたけど・・・今は何もせずに家にいるだけだから・・・・今の私は暇なのかもしれないわね」「暇かぁ~~」昇は何か物がつまったような歯切れの悪い言い方をした確かに今の聡子の生活はただ康弘の帰りを待っているだけのように感じる「何故ですか?」聡子は別に疑う事もせずに料理を食べるのに気をとられていた「俺と別れようと思った事はないのかい?」突然の昇の言葉に聡子は一瞬食べていた箸を止め、昇を見つめた。昇は何を言いたいのだろうか・・聡子は昇の気持ちが分からないまま黙っていた。聡子には昇に知られたくない内緒にしている事があったのだった多分昇には知られてないだろうとタカをくくってたところもあった。あれは娘の香の私立中の入学式の時の出来事だった。あまりにも偶然の出来事にそれからの聡子の生活は昇に秘密を持つ事となった次回続く
2023.09.01
15年程前に書いた小説です。背景などその当時の事ですので ご了承下さい。すれ違い(プロローグ)内田聡子(45歳)は夫昇(52歳)との2人の生活を送っていた。昔から専業主婦として過ごしており息子幸雄、大学3年生、娘香織、大学2年生の2人はそれぞれ家を出ている。年子だったので、育てて行くのが精いっぱいで自分の仕事など出来るはずがなかった。 (ある日) もうすぐ春がやってこようとしているある日、内田聡子はショ-ウィンドウを覗きながら街を歩いていた。ブティックは何処も競って春の洋服を並べている。今年はブル-が流行ると誰かデザイナ-が言ってたようだその証拠のようにガラス越しに見える洋服は淡いブル-から濃淡のブル-、黒とブル-を半々に取り入れたようなものが一着、一着主張しているように並んでいる。聡子は思いつくまま一軒のブテッイクに足を運んだ。そのお店は入り口からは想像もつかないくらい奥は広々していて、華やかさが漂っている。店員が3人ほどいて「いらっしゃいませ」と元気のいい声を出していた。聡子は声がしたのでそちらを見つめ心ひそかに「付いて回らないで」と目にものを言うように再び見つめた。定員は聡子の言わんとした事が分かったとでもいうように、何気ない素振りを見せている。聡子は少し微笑みを返し、ゆっくり店内を見て回った。ふと目の前の洋服に目を奪われ、じっくりと眺めた。それは淡いブル-を基調にした水玉模様のス-ツだった。聡子自身は水玉模様があまり好きでない方なので今まではあまり買った事がなかった。今日はどうした事がそのブル-の水玉模様から目が離せなくなり、吸い付くように見つめスカ-トを確かめたり裏を確かめたりしていた。何気ない素振りをしていた店員も聡子の様子でこれは買うなと察知したのか、顔に満面の笑顔を見せながら側に寄ってきた。「いかがですか?お客様にとてもよくお似合いと思いますよ」誰のお客にでも言う言葉なのだろう、淀みなくスラスラとなめらかに口から言葉を出しながら続けてまた話した。「どうぞ、ご試着してみませんか?着られたらまた感じが違いますよ」そう言いながらも手は素早く洋服を取り、聡子に手渡している。聡子は返事をする間もなく試着室へと連れていかれた。こんな時の店員のすばやい身のこなしにはただ感心するばかりだ試着室に入り今着ている洋服を脱いでいった。今日はなんとく心が浮かれこれでもお気に入りを着てきたのだ。それでもこのカラシ色のス-ツはもう3年も前に買ったものなのだった。今新品のブル-のス-ツを前に、着て来た洋服は薄汚れた感じがして聡子は試着する前からもう買うつもりになっていた。ブル-の水玉模様のス-ツは聡子がオ-ダ-したのかと思うばかりに聡子にぴったりだった。聡子は身長が155cm程の小柄で横もそんなに肥えてはいなかった。顔も小さく、これは聡子が自分の顔で唯一自慢できるところなのだ。目も大きく、くっきりとした二重瞼でいつも泣いたのかと間違えるくらいに瞳が潤んでいた。鼻もそれなりなのだが、聡子自身はこの少し小鼻が横に出た感じが気にいってはいない。口は少し厚みがあり中々肉感的な感じを与える。この春を過ぎたら45歳を迎えようとしていた。今の歳になってからの聡子は自分自身に段々自信がなくなっているところだったのだ。それが今、ブル-のス-ツを着た聡子は自分でも見間違えるくらいに燐とした感じを与えるのだ。上着は短めなので背が低い聡子にはよく似合っていた。「お着替え済まれましたか?」外から店員の声が聞こえてきた「はい・・いいですよ」聡子はもう一度鏡の前の自分をみながら一人頷いていた。「まあ、よくお似合いで・・奥様にぴったりですよ」店に他の客がいないのかもう一人の店員も寄ってきて「お顔立ちがよろしいので淡いブル-がとても奥様のお顔を引き立ててますね」歯の浮くような言葉とは分かってても誉められて嬉しくない女はいない聡子もその前に自分でもよく似合うと思ってたので素直に店員の言葉を聞いていた。ほんとは水玉が今日は気に入り買ったのでそれを誉めて欲しかったのだが・・聡子はカ-ドで支払いを済ませ嬉々としてそのブティックを後にしたふと思いついたように時計を見ると夫の内田昇との約束の時間がせまっていた少し早めに約束の喫茶店に着いて夫を待ってようと思ってたのが、思いもよらず洋服を買っていたので遅くなってしまった。昨夜何を思ったのか、昇がボソボソと「明日会社帰りに食事に行こうか」と、言い出したのだった。上の幸雄は今年から3年生で大学の近くにアパ-トを借りバイトでやりくりしながら生活していた。下は2年生になろうとしており、大学の寮に入っている香もアパ-トを借り一人住まいをしたがっていたが、こればかりは昇がどうしても許さず寮だったら家を出てもいいという事になった。香は仕方なくだが家を出られる喜びから案外素直に昇の言うとおりにしていた。いつもは昇との二人だけの食事もあまり会話がなく済ませ、食後も昇は自分の部屋に入り込みパソコンをいじっていた。聡子も食事の後片付けを済ませたら他にする事もなく、テレビを見ながら趣味の編物をするくらいだったそんな生活に少し憂鬱さを感じてきていた聡子には昇の食事の誘いは嬉しいものだった。昇の心の変化までは気がついてない聡子だった 次回へ続く
2023.08.30
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