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クリント・イーストウッチ-

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2006.10.05
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カテゴリ: 仏の心

皆さん一度は、なぜ学校へは行かなくちゃならないのと質問した経験はありませんか・・・?

最近やたら学校に意味を持たそうと躍起になっている方々がいらっしゃいますが、詰まる所学校などというものは出席する事で根気を養う位の意味があれば充分ではないでしょうか・・・?

って、簡単に聞こえますが、学校を良くサボった経験のおありの方にはお分かりでしょうが、これがなかなか難しいもので、昔、大昔には無遅刻、無欠席のご褒美が出た位凄いことなんですね、これが・・・!!!

私も小学校は若年性高血圧でしょっちゅう偏頭痛を起こしながら遅刻、早退はありましたが、無欠席だけはやり遂げました。

お陰で半世紀を過ぎた今日でも休みが取りたくなくて非常に困ったものです。

欧州流に考えれば、子供の頃からロングバケーションに慣れているから、大人になっても違和感なく休めるというもので、習慣のないことはなかなか馴染めないものです。

日本の学校教育の在り方も、大人社会を規範とする訳ですから、この時代でも、昔よりは休日の拡大が出来たにせよまだまだロングバケーションには馴染めない日本に於いてやたら休日を増やしたり、学校にいる時間を短縮するのは如何なものかと思います。

むしろ、学校の授業でしか勉強しなかった私などに言わせれば、学校の授業が充実していれば他で勉強する必要はないし、むしろ学校にいる時間を増やせば塾などに行く時間も無くなり、学校の校庭や体育館を開放して遊びたいだけ遊ばしたほうが人としてまともな人間形成が出来ると思うのですが如何なものでしょうか・・・?

私の中学校の指導目標は(主体的人間形成の確立)というもので、今でも憶えておりますが、これを主題テーマにして校内の弁論大会の壇上に上がったものです。

中学生でも、純でありながらませた子は充分大人に伍した考え方を身につける事の出来るもので、子供を子供として大人の世界から遠ざけるのは非常に誤った考え方と言わざるをえません。

男女七歳にして席を同じゅうせずとはよく言ったもので、自我が確立して行く課程に於いて男女の区別、自分と他人との区別が出来るようになると自分が人間である事に目覚めて来るものであり、人は他人を見て初めて自分が人間である事を自覚出来るのですから、この世で自分一人だけなら、自分が人間であることも自覚できないし、人間である必要も無い訳です。

学校は本来こういうことを滔滔として教え育むべきであり、その先の子供達の生き方は彼らの自由であり、生き方を規定する領域に立ち至るべきではないのである。

最近の教育は、魂を入れない外観ばかり重要視する教育となって、考え方の原点を指し示す教育が全くなっていない。

問題は、国を愛せといって納得する人間を創るのではなく、国を愛するとはどういうことかを考えられる人間を創る事なのである。

話が随分横道に逸れましたが、学校に限らず、あんまり一つの事に意味を持たせようとしない事が重要な事ではないかと思います。






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Last updated  2006.10.05 16:36:09
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