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クリント・イーストウッチ-

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2007.10.22
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カテゴリ: 仏の心
日本国は、本当に日本株式会社のようになりつつある。

そもそも、政治と市民が対抗軸にあるのは、全く以っておかしな具合である。

日本国は、誰の物か・・・???

天皇制に縛られていた頃の日本であれば、取りも直さず、天皇の領土であったに違いない。

言い換えれば、そこに住む住民は、すべからく天皇の奉仕者であった訳である。

第二次世界大戦の敗戦で日本国民は、天皇の呪縛から解放はされたが、権力支配からは開放されなかった。

民主主義などという聞こえの良い言葉に騙された国民は、尚、旧支配者達の呪縛から開放される事は無かったのである。

農地解放、財閥解体という連合軍から出された、自国権益を隠蔽する迷彩のような命令は、旧特権階級の力ある者達にとっては都合の良い戦略であり、共産化を恐れた連合国(アメリカ合衆国)は、全てを解体し全ての国民が、公平に1から出発する事を許しはしなかった。

そのために、現代に於いても、明治以来の差別は厳然として残り、家柄だの、出自だの、身分だのという言葉が、今日に至るまで根強く残っている。



共産化するのが、良いとか悪いと言うのではなく、それが、同時代人の多くを占める指向だったとしたら力ずくで押さえ込んだのは、占領政策の一環だったとは言え、それ以後の支配階級に支配者階級と被支配者階級の存在の正当性に対する言辞を与えたようなものである。

元に戻って、日本の政治が、一向に国民主体にならないのは、所謂、政治が支配者階級のものであり、被支配者階級は、何時まで経っても支配者階級の奉仕者に過ぎないという証でもある。

それ(階級社会)が資本主義社会と言われれば、それまでなのだが・・・!!!

公僕と呼ばれる国民の奉仕者であるはずの公務員が、踏ん反り返って国民に奉仕させるのも、言ってみれば、占領政策の時に、共産主義ないし、それに類似する思想の持ち主を公職から追放したという事実が、とらうまのように現代に引きずられているからに他ならないのである。

つまり、公務員が、真に国民の奉仕者たる意図を理解し行動したならば、それは必然的に、共産主義的要素を孕む、全員に公平、平等の理念が付き纏い、資本主義的弱肉強食の自由民主主義とやらには、そぐわなくなるからである。

過去に於いても、現代に於いても純粋な共産主義国家など創生された事実はないのであって、皆が見た、見ていた、見ている共産主義などは、単なる独裁主義でしかなく、これから先も、本来の意味で共産主義と呼べる国家など誕生するべくもないと思う。

多くの博識な方々が、一昔前に口にされていた、日本は今や一番共産主義に近い国家である、と言う意味は、見かけ上は、他国に比べ、貧富の差が少なく、増して、階級社会でありながら、官僚(公務員を含め)や大企業以外では、厳格な階級社会が見られないからである。

また、政治の世界でも談合中心の政治体制が敷かれていた事から、政権中枢の階級が判然としない状態が続いているのも、その一端ではなかろうか・・・!!!???

此処に来て、小泉純一郎氏のような、権力を振り翳して断行する政治手法を取る政治家が出現した事で、日本の共産主義的自由民主主義も変貌を遂げようとしている。

日本株式会社の組織変貌が、社会格差を助長し、明らかに力あるものと弱者に切り分け、はっきりとした階級社会を生み出そうとしている。

株式会社である故に、株式を所持しない底辺の社員は虫けら同様の兵隊であり続け、力ある者も、出身階級と貧困であるが故に差別を受け続けるのである。



その主権者が、自分達の政府によって苦しめられ、その政府と闘い続けるというのは、全く笑止千万な事態だと心得る。
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Last updated  2007.10.22 16:40:00
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