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クリント・イーストウッチ-

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2008.03.27
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カテゴリ: 仏の心
最近の分けのわからない犯罪について、つくづく考えさせられる事がある。

昔の子供の躾と言えば、基本的に人として身に付けなくてはならない最低限のルールを叩き込む事であったように思う。

その中には、礼儀作法から日本の歴史に至るまでの人間形成に必要な教訓が脈々として息づいていた。

言うまでも無く、敗戦後の日本では、それまでの封建的慣習が一掃されながら欧米型の個人主義が根付いて行ったのである。

発言の中で、常に言っている事なのだけれども、この世の中に、一定の真理など存在するはずもなく、全否定されるものもなければ、全て肯定されるものも無いのである。

ある意味、全てはバランスの問題である。

封建制の中で苦しめられて来た一般市民(身分制度によって下級階級に属していた)にとっては、封建制が瓦解し、対等に物言える個人主義(民主主義とも言うのか・・・???)の台頭によって、それまでの抑圧的な力からの開放で、自由でのびのびとした人生が送られるようになったのは悦ばしい限りであった。

然しながら、段階的に変革して行った他国と比べ、突然前触れも無くやって来たその事が、我が国の住人達にとっては、理解する暇が与えられなかったのと同じ状況の中で、多くの誤解が生まれたようである。

自由主義や民主主義を標榜する多くの欧米諸国では、社会のシステムが変わろうとも、国としてのアイデンティティは、むしろ強固に堅持されている。



現在の自国の在り方の過程としての歴史、文化、伝統などといった国を形作る独自のアイデンティティはそれなくしては存在せず、それを無視すれば、その国を否定する事になってしまうのである。

だからこそ、国が違えば、マナーの在り方も違って来るのである。

日本では、武家の支配する時代が長かったせいか、武士や侍の持つべき心得としての礼儀作法が、日本人の根底に流れており、それが、外国人から見る日本の姿にもなっている。

武士や侍は常に人斬り包丁を所持している事から、その事についての心得はかなり厳しく躾けられていたと思われる。

江戸時代に於いては、大刀を振り回す事もなくなり、むしろ、脇差の重みが増して来る。

人を斬る、人を殺すための刀ではなく、自らを処す為のものとして携帯していた意味の方が大きいのである。

だからこそ、刃は人に向ける物ではなく、自分にこそ向ける物であり、すべからく、先の尖った物は人に向けるな、刃物を人に渡す時は、刃先を人に向けて渡すな、先の汚れたものでさえ、汚れた方を人に向けて渡すな、と、やかましく躾けられたものである。

最近では、野放しの若猿が増えすぎて、物の言い方も知らん、分からん、悪戯に個人攻撃の刃を振るう馬鹿ボンばかりが野生化する時代となってしまった。

彼らの親の世代も既に、間違った個人主義全盛の時代だったからこその悲劇ではあるが、日本人全体が考えなくてはならない、悲劇の時代なのではないだろうか・・・???
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Last updated  2008.03.27 17:09:50
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