あきあき時々ムシキング生活
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この日は、次男のようちゃん7歳の誕生日でした。 予定日が18日で、長男とちくんと私が14日生まれなんで、月は違っても14日生まれて~とお願いしてたのに、2日も早く生まれてきたようちゃん。昔から言うこと聞かないやつでした… 前日の日曜に、家族で外食して、プレゼントのおもちゃを買ったりして、それはそれは楽しく過ごしました。 ところが、学校から帰ってきて、誕生日ケーキを買いに行く予定が…。 ランドセルに大きな封筒??開けたら4月の心電図検診の結果 要検査 え?うそでしょ?今まで散々ぜんそくで入院や通院してるのに…。なんでいまさら?? かなり動揺しました。私の母も心臓が悪いのですから。 で、「不完全右脚ブロック」と書いてあり、慌てて親やかかりつけ、学校、職場へ電話する始末…。 プールに入ると極端にチアノーゼみたいに唇が紫にすぐなるようちゃん。ま、さ、か、心臓が原因?!と慌てる私。 職場のDrにすぐどうこうって病気じゃないから大丈夫。健康な人が出る場合もあるし、左より右側じゃないから大丈夫でしょとアドバイスをもらい、平日(学校を休ませず)行ける大きな病院の予約を入れました。 この日、夕方遅くになり、何にも用意できずに時間が経ってしまい…。ケーキの丸いの食べたい!と言われ、暗い気持ちで買いに行きました。ああ、私がこんなんじゃいけない…と思いつつ。 で、たくさん写真を撮りました。ああ、なんで人は大事なものは無くさないと気が付かないのか?ああ、なんて普通の生活が幸せなんだろうか…。ああ、大きな流産を2回乗り越え(安定期の時期に入院しましたからもうダメだと思ってました)生まれたようちゃん。ああ、なんでお腹に居た時に「どんなでもいいから生まれてきて」と願ってしまったんだろう…。なぜ健康でおりこうって願わなかったんだろう…ああ、私が流産しかかって飲んだ薬がいけないのか…。 1回目の検査で心電図をとりました。病院では不整脈も何も出ませんでした。 一応、大丈夫とお墨付きを頂きましたが、もう一回調べることに。 2回目、心臓のエコー検査(心臓超音波検査)をしました。 実は、私も子供の頃心拍数が上がりすぎてホルター心電図をしたことがあります…親が親だけにね。 で、結果は、エコーも大丈夫でした まぁ呼吸器系が悪いせいと診断が下り、運動もしてもよいと言われ非常に安心しました!(個人的には、薬の服用中だったせいとか、ようちゃんの姿勢が悪いとか、呼吸がいつもより苦しかったのでは??とか思ってます) ほんと、病気って人の価値観が変わりますね。ふつーの幸せが文句言いつつ幸せだって気が付きました。 こんなときに、30代で倒れた母を介護した頃を思い出します。大きな病院に行ったせいでしょうか。検査、検査だったこと、地下から亡くなり運ばれる人、いやーなことばかり。 母方の祖母が泣きながら「こんな体になるんだったら好きなことさせてやれば良かった」と号泣してました。母は、長女だからと進学校に入れられ(←私からしたら入れる頭があったのはうらやましいが)、お裁縫の学校に行けなかったそうです。 「自分の大事な人のところに不幸がやってくるもんだ…。」と祖父や祖母が嘆いてました。 下の兄弟は、習い事はピアノや好きなことしてたのに、母だけそろばんだったりしたそうです。一人はピアノの先生してます。母も好きなことしてたら人生変わったんでしょうか…。楽しく元気な体のまま暮らせてたんでしょうか?? まぁ思春期に母の下の世話までしたのは、福祉系の仕事や今の病院関係を選んだりとまぁいい経験になってますが…。 そんなわけで、子供が生まれた日から手放す覚悟で、必ず子供は自立すると思い、喪失感をもったまま育ててます。 好きなことをして、離れていても元気に暮らしている、海外に行ってもいい、元気ならいいと。 以上、幸せと不幸がいっぺんにきた体験でした。 余談ですが、この大きな病院に行った後、私だけ!2週間ひどい風邪を引きました…。親知らずも抜きました。毎日通院してました。洒落にならんわ…。
2008年05月12日
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