その名を呼んで












――――自分が要らないものだと。

そう思うなんて事は無いと思っていた。
だって、とてもとても幸せで。
神に感謝したいくらいだったから・・・。


そこは、病院の屋上。
なかなか大きい病院らしく、屋上も随分高い位置にある。
そのフェンスの外に出ている人間がいた。

眼鏡をかけた、神経質そうな少年で
くせっ毛の髪がふわふわ揺れている。
顔は思いつめた表情で、なにか、とても悲しい顔をしている。

そして。

彼はそこから飛び降りた――――――

はずだった。
彼の体は重力から離れ、地球の引力に従うだけだったのに
それを何かが止めた。
何か強い力が働いて、彼の体は逆に動き
フェンスの内側に転がり込んだ。
どさっと降りた瞬間、腰を少し打ったくらいで
そのほか怪我は何も無かった。

何が自分を引き戻したのか
彼はむっとしながら確かめようとした。
しかし、その瞬間に誰かが彼の胸倉をつかんだ。

「ちょっと、あんたなんってことしようとしてんのよ!!」

それは、可愛い顔付きをした女の人。
少女といってもいいような女の人は
眉根を思いっきり寄せて かなり怒っている様だった。

「あ、貴女は・・・??」

「んなことはどうだっていいのよ!
 あんた、なんで自殺なんか・・・・っっ!!!」

多分どうでも良くないことだと彼は思ったが
女の気迫に負け、そして目尻に浮かぶ涙を見て、押し黙った。

「依里子・・・そこまでにしとけて。」

半ばあきれるような男の声が彼の後ろから降ってきた。
そこにいたのは、整った顔に眼鏡が良く似合う青年で
優しそうな顔と声とは裏腹にかなり身長がある。
彼を助けた(おせっかいだと彼は思った)のは、この青年のようだ。
胸倉をつかんでいる女は依里子というらしい。

依里子はつかんだ胸倉から手をぱっと離すと
青年に突っかかっていった。

「だって、千鶴!!この子、自殺しようとしてたのよ、
死のうとしてたのよ?!怒鳴らずにいられないじゃないっっ」

千鶴と呼ばれた青年は、ハイハイというように
依里子を受け流すと
まだ呆然としている少年に向かい
しゃがみ込んで目線を合わせた。

その少年は、年の頃は16、7。
千鶴はなんとなく、自分の高校時代と彼がだぶった。

「・・・名前は?」

千鶴の口調は、責めるようなものでなかった。
少ない言葉の中に優しく問いかけるような感じがあった。
少年は口を開いた。

「和元 汀(かずもと みぎわ)・・・です・・・」

変声期の途中のような少年独特の声。

「そう。汀君。」

それから千鶴は少し考え込むと依里子を見た。
依里子は、少し怒りが治まったようで
今は何も言わずに汀を見つめていた。

「・・・ねぇ、なんで?」

依里子は呟くようにして聞いた。

「なんで、死のうとしてたの?」

泣きそうな声だった。


「・・・必要の無い者は、いなくてもいいんです。」

しばらく沈黙の続いた後、汀は口を開いた。
そして、今までの自分を思い出した。

家族から疎外されていた自分。

友らしい友も作れず、独りぼっちの自分。

存在を忘れ去られる自分。

いたっていなくたって同じ。

誰かにとっての必要な存在になれない。


「・・・・僕は、誰にも必要とされてないから、いないほうがいいんです。
みんな、僕のことで悲しんだりしないし。」

それに、と少年は続けた。

「誰にも必要とされないことって、嫌われるよりも辛いんですよね。」

ずきん

と。
依里子には確かにその痛みが理解できた。
さらっと、他人事のように語った彼の、かつての自分と同じ苦しみが。

誰かに必要としてもらいたい
その願いはいつも同じ
けれども 想いはいつも届かない

でも、でも。

「・・・・必要な人は、汀君にはいなかったの?」

誰かを必要とすること。
人間云々でなく、そばにいて欲しいと願うこと。
それだけで 救われることがある。


汀は、さっきよりも長く沈黙した。
俯き加減になっているのと、逆光とで
表情はよく見えない。

ヒツヨウナヒト。
確かに、いる。
だけど。
だから・・・・

「たとえば」

その声は、涙声だった。

「貴方たちのどちらかがいきなり死んでしまったら・・・
あと少しで死んでしまうってわかったら、」

そう、まるで彼女のように。

「どうしますか?」

やっと、自分を理解してくれる人が出来たと思ったのに。
やっと、出会えたと思ったのに。
信じられない。

次に目が覚めたら死んでしまう、なんて。

そのとき。

ぶにょーんっ。

「!!!あ、あいふうんへふはっ?!
ひふふはん、ひゃへへふははいほっっ!!!
(な、なにするんですかっ?!千鶴さん、止めてくださいよっっ!!!)」
汀のほっぺたが、もうこれ以上伸ばしようの無いくらい
千鶴に引っ張られていた。
依里子がその隣で噴出していた。
そして、千鶴がばちんと汀のほっぺたを離すとこう言った。

「あーーー。なんか君みたいの見てたら、むかついてきた。
死ぬとかどうとかそういうこと考えてんじゃねーよ。くだらねえ。
諦めたら負けだろ、そんなこと。」

そういった千鶴は、先ほどとは別人だった。

「どっちかが死んだら?・・・・うーん、私なら
後追いなんてしないな!そんなの、生きてる人に失礼だし

死ぬほうは、そんなこと望んじゃいないと思うから。」

それに、と依里子は続ける。

「私、考えたんだけど必要だとか必要じゃないとかは
きっと、君の決めることじゃないと思うんだ。
だって、今君は私たちと話してるでしょ?
それだけで必要ってことにしちゃ駄目かなぁ?」

汀は、呆然とした。
いきなり広がる光に目が眩むようだった。
絶対になくならないと思っていた壁が消えた。

そんな感じがした。

もう、彼は大丈夫だ。
千鶴と依里子は無言のうちに確信した。
そして、まだ呆然と座っている汀を置いて
屋上を出ようとした。
そのとき、依里子は汀に向かって叫んだ。

「汀くーーん!!!」

何事かのように吃驚した汀が依里子の方を向く。

「あのね、私ね!!

6年前に、死ぬかもしれなかったの!!!」

汀の目が見開かれた。

「でもね!

千鶴が信じてくれたから、私頑張れた!!

だから私は、今ここにいるの!」

最後に、“それだけ!”と叫んで二人はそこから去った。
汀はまだ呆然としていた。
そして、小さく微笑んだ。
その少し赤くなった頬には涙が流れていた。

そのときだった。
バタンッッ

「あ、汀君!こんなところにいたのね!!
・・・大変っ茅弦(ちづる)さんが!」

看護婦が言い終わる前に汀は駆け出していた。

駆け込んだ病室に寝ていたのは
黒髪の少女。息も絶え絶えで
医者ももう手の施しようが無いと言う顔をしている。

――――ついさっき目を覚ましたのだと、聞いた。

自分にとって、とても必要で愛しかった人。
もうすぐその命を終えてしまう人。

でも、それならば。

茅弦の手を、汀が握りしめた。

ただ、最期に

「茅弦・・・・。」
――――――一言、だけ。

その名を呼んで。

誰でもない、君の声で。

いつでも僕を救ってくれた、その声で。


その名を呼んで。


茅弦は、汀の顔を見ると安心したように笑った。


「汀・・・あり・・・がと・・う・・・」

汀も、それに答えるようにふっと優しく笑った。

「おやすみ、茅弦。良い夢を・・・」

茅弦は、にこっと微笑むと眠るように目を閉じた。

ピーーーーッ

病室に、機械音が響いた。

「5月25日、2時6分。・・・ご臨終です。」

医者がそう告げた瞬間、その場にいた皆が泣いた。

汀だけが、そっと病室を出た。

茅弦の声が自分を呼ぶたび
自分の存在価値が見えてくるようだった。
茅弦に呼ばれる自分がいる。
それだけで、必要の無いはずの“汀”と言う名前が
この世で一番大切なものになった。
だから。
その名を呼んで。
忘れないように、これからも自分が
生きてゆけるように。

“汀・・・・”

茅弦。僕はまだ生きてみるよ。
いつしか、誰かに必要とされる人間になれるように。

君のように。
あの二人のように。

あの人たちに会うことはもう無いだろうけど
あの人たちは、僕の生き方を変えてくれた。

―――千鶴さん、依里子さん。
ありがとう。また、何かの奇跡で逢うことになったら
僕は必ずそういおうと思う。

そしてまた、誰かに呼ばれる僕の名前。
そのたびに僕はきっと、必要な存在になれる。

その名を呼んで
誰でもない、君の声で。

汀は空を仰いだ。
眩しく映る空に飛行機雲が一筋、清々しく走っていた。

~END~

P.S そして何年かして汀は出版社で編集者という職に就き、
そこで出逢ったフリーの童話作家は「ちづる」という名だった。
しかし、それはまた別の話。


「・・・千鶴、今度はどういう話?」

「次は・・・・・・。
誰かに逢いたい孤独なネズミの話。」

「そう。」

依里子がふわっと笑う。

――――こうして 人という物語は 絶え間なく続いていく・・・・


COMENT
これは、秋月さんがキリ番1000を踏んでくださったときのリクエストで
「漫画の短編小説」ってことでした。
ちなみに、日高万里先生の「詩を聞かせて」です。
なんか、自分的には結構感動的(?
に出来たかなぁ、なんて。自己満足(笑





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