東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2006.11.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「敬虔の鍛練(3) 神を意識すること」

                     サムエル記、第一、25章

 敬虔の鍛練の第三番目は、神を意識することについて学んでみま
しょう。

 「神を意識する」とは、神がここにおられるということをはっき
りと自覚することです。ですから、敬虔の第三の意味は、ただ単に
神がおられるという神の存在を信じているだけでなく、その神が生
きて働いておられるという事実を明白に意識し、自覚することです。

 ダビデとアビガイルの姿から、神を意識することの必要と訓練と
完成について考えてみましょう。

一、神を意識することの必要(1~22節)

 アビガイルに会うまでのダビデの姿を見てみましょう。ダビデの
丁重な求めに対して、ナバルは、彼を侮辱しました。このナバルの
恩知らずと非礼な態度にダビデは怒り、直ちに「めいめい自分の剣
を身につけよ」と部下に命じています(13節)。

 しかしこれは、あまりにも性急で思慮がない軽率な行動であるだ
けでなく、祈りもせず、神の導きも求めない不敬虔な態度です。

 この箇所には、22節において呪いの誓いのために神の名を口に出
していますが、それ以外に神の名は記されていません。ダビデは、
ナバルに侮辱された腹いせに、ただ報復のみを考えて、その思いも、
会話も、行動も、神を意識していなかったのです。

 この時のダビデは、サウル王に追われ、恩師サムエルに死なれ、
衣食にも事欠く生活をし、しかもナバルに侮辱されるという最悪の
状態でした。しかしこのような時こそ、生きて働いておられる神を
深く意識する敬虔さが必要です。

二、神を意識することの訓練(23~31節)

 これに対してアビガイルの姿は、どうでしょうか。24節より31節
までのわずか8節の間に、実に「主」という言葉が7回も記されて
います。このことから次のような3つのことを学ぶことができます。

 1.会話において神を意識する訓練

 アビガイルのなにげなく話している言葉の中に何と多くの神の名
が出てくることでしょうか。彼女は、(1)報復について(26節)、
(2)家の繁栄について(28節)、(3)奉仕について(28節)、(4)生
命について(29節)、(5)敵の生命について(29節)、(6)将来につ
いて(30節)、(7)幸福について(31節)、ことごとく神に触れて
おり、神と切り離して考えられない会話をしています。

 2.行動において神を意識する訓練

 しかしアビガイルは、単に会話や言葉において神を意識していた
だけでなく、その行動においても神を意識していました。実に彼女
の行動は、すべての中に神がおられ、すべての出来事や人間関係の
中に常に神が介入し、干渉し、働いておられることを信じていたこ
とを表しています。

 3.心と思いにおいて神を意識する訓練

 アビガイルがこのように、会話においても、行動においても、神
を意識していたのは、その心と思いにおいて神を意識していたから
にほかなりません。このようなアビガイルの敬虔さによって、ダビ
デも敬虔さを取り戻したのです(32~39節)。

三、神を意識することの完成(23~44節)

 神がともにおられることを意識する敬虔さは、訓練を重ねるうち
に次のようになっていくのです。

 1.その心と思いは、当然のこととして、常に神が生きて働いて
おられることを意識するようになります。
 2.その言葉は、ごく自然に、すべてを支配しておられる神を中
心としたものとなります。
 3.その行動は、自己のわざではなく、摂理によって神に導かれ
るようになります。

 私たちの心と思い、言葉、そして行動は、どうでしょうか。





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Last updated  2006.11.18 08:56:05
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Re:説教要約 121(11/18)  
いつもありがとうございます。
ボクは甲斐先生については、ここで初めて知ったのですが、聖書への傾倒の深さ、霊性の豊かさを教えられています。
これらは、甲斐先生のご著書からの引用なのですか?
それとも礼拝説教なのでしょうか?
(2006.11.18 10:11:20)

やまひで0207さん  
昭島フリー  さん
書き込みをしてくださり、ありがとうございます。拙著に著した説教は、当教会の礼拝における連続講解説教の要約ですが、ブログの説教要約は、この連続講解説教とは別に(私は単発説教と呼んでいますが)、週報に掲載している礼拝説教の要約です。
(2006.11.18 10:38:15)

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