東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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10月1日朝の日記 象さん123さん

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2007.09.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「きよめを求めなさい(1) きよめられることの必要性」

                  甲斐慎一郎
                  ヘブル人への手紙、12章1~14節

 「聖(きよ)められることを追い求めなさい。聖くなければ、だ
れも主を見ることができません」(14節)。

 冒頭の聖句から「きよめを求めること」について以下のような4
つに分けて学んでましょう。

1.きよめを求めなさい(1) きよめられることの必要性
2.きよめを求めなさい(2) きよめられることの意義
3.きよめを求めなさい(3) きよめられるための条件
4.きよめを求めなさい(4) 私のきよめのあかし

 第一回目は、「きよめられることの必要性」です。

一、きよめられることの必要性

 聖書は、信仰生活というものを競走にたとえています(第一コリ
ント9章24~26節)。このヘブル人への手紙の12章もその一つで
す。競走ですから、出発点(スタート)があり、競走路(コース)
があり、決勝点(ゴール)があり、規則(ルール)があります。

 信仰生活の出発点は救いです。競走路は、私たちの家庭生活、学
校生活、社会生活、教会生活、伝道や奉仕の生活です。決勝点は天
の御国であり、栄化です(ピリピ3章14、20、21節)。規定に従っ
て競技をしなければ栄冠を得ることはできません(第二テモテ2章
5節)。信仰生活の規則は何でしょうか。この12章1、2節に4
つの規則が記されています。この4つの規則(ルール)の中に、き
よめられなければならないことが、明確の述べられています。

 1.いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てる(1節)

 走る時に必要なことは、身軽になることです。私たちは、思い煩
いという重荷を捨てなければなりません。重荷の中で最大のものは
罪です。まつわりつく罪とは、しつこくからみついて、なかなかと
れない罪の意味で、罪の性質を表しています。罪がきよめられなけ
れば、からまりついて、身動きがとれなくな
り、身軽に走ることはできません。

 2.忍耐をもって(1節)

 ヘブル人への手紙の10章35~39節には、信仰と忍耐とがほとん
ど同じ意味で用いられています。真の信仰は、必ず忍耐を伴うもの
で、信仰がなければ、忍耐することはできません。どんなに苦しく
ても「もうだめだと言って、さじを投げないのが信仰であり、忍耐
です。そしてこの忍耐は、懲らしめのためであり(7節)、懲らし
めは聖さにあずかるためにあります(10節)。また「罪と戦って、
血を流すまで抵抗したことがありません」とあります(4節)。血
を流すまでというのは、たとえ死んでもとか、命がけでということ
です。これもきよめられなければ、不可能です。

 3.私たちの前に置かれている競走(1節)

 私たちは、右と左に白線のある自分の競走路を走らなければなり
ません。ペテロは、ヨハネがイエスのあとについて来るのを見た時、
「主よ。この人はどうですか」と言いました。するとイエスは、ペ
テロに、「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、
わたしに従いなさい」と言われました(ヨハネ21章22節)。私た
ちは、きよめられなければ、他の人の競走路に入ったり、他の人を
自分の競走路に引っ張り込むことになり、失格者になってしまいま
す。私たちは、隣人と正しい関係を保ちながら、摂理の細道を走る
ことが必要なのです。

 4.イエスを仰ぎ見ること(2節)

 この競走は、障害物競走です。困難の山、苦難のトンネル、悲哀
の谷、誘惑という迷路があります。この障害物競走を完走するため
の秘訣は、次のような三つのことです。

 (1)イエスから目を離さないことです。
 私たちは、イエスから目を離してはなりません。なぜならイエス
こそ信仰の創始者であり、完成者であるからです(2節)。

 (2)イエスのことを深く考えることです。 
 しかし何も考えずに走るなら、イエスから目を離してしまうので、
ご自分の前に置かれた喜びにゆえに、はずかしめをものともせずに
十字架を忍び、神の御座の右に着座されたすばらしいイエスのこと
を深く考えなければなりません(2、3節)。

 (3)イエスに期待することです。
 私たちが障害物競走を走らなければならないのは、主が私たちを
愛する子として扱い、私たちを懲らしめ、訓練して、私たちの益の
ため、また私たちをご自分の聖さにあずからせるため、そして平安
な義の実を結ばせるためであることを知って(7、10、11節)、イ
エスに期待することです。

 この4つの規則(ルール)のすべてに、きよめが必要であること
がわかります。





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Last updated  2007.09.20 00:18:42
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