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「三つのさばき」
甲斐慎一郎
コリント人への手紙、第一、4章1~5節
私たちは、世の中に住んでいる以上、色々な人から、様々なこと
を言われることを避けることができません。しかし、その時、私た
ちは、それに対して正しく処していきませんと、それに負けて、他
の人を傷つけてしまい、正しく歩むことができません。パウロは、
三つの「さばき」について教えています。
一、他の人によるさばきについて
パウロは、「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、
およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです」と
述べています(3節)。
パウロは、他の人がとやかく言うことなどは、取るに足りないこ
とだと言っています。私たちは、他の人から言われる他の人のさば
きそのものによって、私たちの永遠の運命が決定するのではないと
いう意味において、確かにその通りであり、他の人のことばなど気
にする必要はありません。
しかし、それだからと言って、私たちは、厚顔無恥や傍若無人で
あってよいはずはありません。なぜなら人のことばであっても、決
して無視してはならないものがあるからです。私たちは、次のよう
な三つの原則によって、それを知ることができます。
1.真実の原則
これは、人から言われたことが、私たちにとって真実であるなら、
私たちは、それを無視してはならず、認めなければなりません。
2.謙遜の原則
これは、人のことばであっても、それが聖書の教えであるなら、
私たちは、それを人を通して語られる神の声として、相手の年齢や
身分に関係なく、謙虚に耳を傾けなければなりません。
3.愛の原則
これは、私たちの動機が純粋で、正しく、人からとやかく言われ
る筋合いのない正しいことであったとしても、それが弱い人をつま
ずかせるなら、自分の正しさを通さずに、愛のゆえに弱い人の声に
聞き従わなければなりません(同8章7~13節)。
私たちは、この三つの原則に抵触しなければ、他の人のさばきな
ど気にする必要はありません。他の人のさばきは、どこまでも小さ
なことであり、それよりも他の人のさばきに対して私たちが真実と
謙遜と愛の態度をとるかどうかということのほうがより重要なこと
なのです。
二、自分のさばきについて
パウロは、「私は自分で自分をさばくことさえしません」と述べ
ています(3節)。
これも他の人のさばきと同様に、私たちは、自分で自分の善悪を
判定する自分のさばきそのものによって、私たちの永遠の運命が決
定するものではありません。ですから私たちは、自分で自分をさば
いて、悪ければ失望落胆したり、自暴自棄に陥ったり、良ければ誇
ったり、高ぶったりするというように、自分のさばきの結果に振り
回されてはなりません。
私たちは、自分の姿をよく知って、自己批判や自己反省をするこ
とは必要です。しかし私たちは、そこでとどまるべきであり、神の
さばきを差し置いて、自分で結論を下したり、「先走ったさばきを
しては」ならないのです(5節)。
三、神のさばきについて
パウロは、「私をさばく方は、主です」と述べています(4節)。
私たちの永遠の運命は、他の人や自分という人間のさばきによっ
て決まるのではなく、神のさばきによって決定します。なぜなら神
のさばきのみ完全で、公平だからです。
正しい裁判を行うためには、確かな証拠や証言などの必要な資料
が全部そろうことが必要です。しかし人間は、「やみの中に隠れた
事」や「心の中のはかりごと」(5節)まで知ることはできないの
で、証拠や証言が不十分で、正しい裁判をすることはできません。
しかし神は、それらを全部明るみに出されるゆえに、完全で公平
なさばきをすることがおできになります。私たちは、不完全な人の
さばきなど恐れず、完全で正しいさばきをされる神を恐れて歩もう
ではありませんか。