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「キリストの受肉(2)その疲れについて」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、5章7節
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救
うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと
願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました」(7
節)。
先回は、キリストの受肉の第一回目として「その渇きについて」
学びましたが、今回は第二回目として「その疲れについて」学んで
みましょう。
「疲れ」とは、どのようなことを意味するのでしょうか。次のよ
うな三つにまとめることができます。
▽それは、足りなさの表れです。
▽それは、弱さの表れです。
▽それは、無力さの表れです。
一、疲れの種類
人間を構成している「霊」と「心」と「からだ」によって三種類
の疲れがあります。
1.肉体的な疲れ
からだの疲労のことで、これは病気ではない限り、必要な睡眠や
休息また栄養を取ることによっていやされることができます。
2.精神的な疲れ
心労のことで、これは次のように言うことができるでしょう。
(1)どうしてよいかわからない(知性的な面)。
(2)どうにもやりきれない(感情的な面)。
(3)どうすることもできない(意志的な面)。
これは、色々と学んだり、レクレーションで気分転換を図ったり、
正しい人間関係を持ったり、様々な能力を身につけたりすることに
よっていやされることができます。
3.霊的な疲れ
神の前における無力さのことで、これは、神を「離れては......何
もすることができない」(ヨハネ15章5節)という絶対的な弱さ
のことです。
二、キリストの疲れ
キリストは、「旅の疲れで」(ヨハネ4章6節)、休まれたこと
があり、また激しい突風が起こり、舟が波をかぶっているような中
でも、疲れのために「とものほうで、枕をして眠っておられた」
(マルコ4章38節)こともあります(肉体的な疲れ)。
またキリストは、「笛を吹いてやっても君たちは踊らなかった。
弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」と言って(マタイ11
章17節)、ご自分を非難した当時の人々の身勝手さや、「数々の力
あるわざの行われた町々が悔い改めなかった」ことで(同11章20
節)、どんなに疲れを覚えられたことでしょうか(精神的な疲れ)。
そしてキリストは、「わたしは、自分からは何事も行うことはで
きません」(ヨハネ5章30節)と言われました(霊的な疲れ)。
しかしキリストは、このように父なる神に完全に依存しておられ
たので、精神的な疲れも肉体的な疲れも克服して、神のみわざを成
し遂げることがおできになったのです。
三、私たちの疲れ
「霊」と「心」と「からだ」は、切っても切れない関係にあるの
で、三種類の疲れは、それぞれ大きな影響を及ぼし合っています。
1.肉体的な疲れや精神的な疲れがいやされると、霊的な疲
れもいやされるたかのように錯覚してしまうのです。
私たちは、肉体的な疲れや精神的な疲れがいやされても、神を信
じ、キリストにとどまることによって霊的な疲れがいやされない限
り、小さな罪にさえ勝つことはできません。
2.肉体的な疲れや精神的な疲れは、私たちに霊的な疲れを
覚えさせるのです。
人間にとって最も大切なことは、霊的な疲れがいやされることで
す。肉体的な疲れや精神的な疲れを覚えることは、私たちに霊的な
疲れを覚えさせ、それによって私たちは、神に近づくことができま
すが(詩篇119篇67、71節、伝道者7章2~4節、マタイ5章3
~12節)、それはまた精神的な疲れや肉体的な疲れを克服する秘訣
なのです。