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「四つの法」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、8章10節
「わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に
書きつける」(10節)。
「法」とは、「おきて」とか「定め」、また「きまり」とか「規
則」のことであり、それは、「法則」や「法律」または「律法」と
いう言葉の総称です。「法」には様々な種類がありますが、基本的
なものは次のような四つではないでしょうか。
一、自然の法則--自然的なもの
これは、自然現象の中に見られる「常に変わらない一定の関係や
きまり」のことで、天地万物を創造された神によって定められたも
のです。
二、道徳の律法--個人的なもの
これは、人として当然行うべき行為や在るべき姿、また歩むべき
道である「道徳に一定の規則やきまりがある」というものです。
三、社会の法律--社会的なもの
これは、「社会生活を維持するために人によって定められた規律」
であり、守るべき義務と負うべき責任の伴った強制的なものです。
「法律」は、「個人の権利と利益」、また「公共の福祉と安全」、
そして「国家の秩序と平和」を守るために制定されたもので、人間
の外側に表れた行為を取り締まります。
国がどんなに優れた「法律」を制定しても、国民がその法律を守
らなければ意味がなく、その法律を守るようにさせるものが「倫理・
道徳」であり、その「倫理・道徳」を守るようにさせるものが「思
想・信条・宗教」です。
四、神の律法--神的(絶対的)なもの
神の律法は「自然の法則」と「道徳の律法」と「社会の法律」の
すべてに及ぶ絶対的な規準であり、聖書は「自然の法則」と「道徳
の律法」は神によって定められ、「社会の法律」も神の律法に準拠
していると教えています。
1.律法は、神がどのような方であり、その神のみこころがどの
ようなものであるかを私たちに教えるものです(出エジプト20章
1~17節)。
2.律法は、人間の心を照らし、私たちの罪深さと無力さを教え
て、私たちに罪の意識を生じさせるものです(ローマ3章20節)。
3.律法は、人間に救い主の必要を示し、私たちをキリストへ導
くための養育係の役目を果たすものです(ガラテヤ3章24節)。
神は、この三つの目的を果たすためにイスラエルに律法を与えら
れました。神が律法を与えられた目的を正しく知った少数の神の人
や聖徒たちは、律法を守りましたが(詩篇40篇8節)、多くの人
たちは、これを理解することができず、律法にそむいて、神との契
約を守り通さなかったのです。
神は、律法にそむいて、契約を守り通さなかったイスラエルの民
と「新しい契約を結ぶ日が」来ることを約束されました(ヘブル8
章8節)。その新しい契約とは、石の板に記された神の律法を与え
るのではなく、人の心の板に神の律法を記すこと、すなわち、神の
「律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける」(同8章
10節)ことです。
パウロは、「愛は律法を全うします」と記し(ローマ13章10節)、
律法を全うするものは愛であると教えています。また「信仰によっ
て......御霊を受け」、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛
が私たちの心に注がれている」とあるように、真の愛は、信仰によ
って受ける御霊によって与えられます(ガラテヤ3章14節、ローマ
5章5節)。
ですから信仰によって聖霊と神の愛が与えられて、律法を全うす
ることこそ、エレミヤによって預言された「わたしは、わたしの律
法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける」ということば
の意味であり、その成就なのです(ヘブル8章10節)。
神は、このことをキリストの十字架の死による贖いとその結果で
ある聖霊の降臨によって成就されました。罪を悔い改めて、キリス
トの十字架の贖いを信じる者は、罪が赦されて、聖霊が与えられま
すが(使徒2章38節)、この聖霊が与えられることこそ、神の律法
が心に記されることなのです。