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「聖書が教える逆説の宗教」
甲斐慎一郎
マタイの福音書、16章24~28節
「キリスト教は、パラドックスの宗教である」と言われます。
この「パラドックス」ということばは、日本語では「逆説」とか
「逆理」また「背理」とか「矛盾論」と訳されています。その意
味は、「外観的には矛盾していて、一見不合理に見えながらも、
その実は真理であるもの」ということです。
一、聖書が教える逆説の例について
聖書には数多くの逆説が記されています。聖書は私たちが神と
キリストと福音のために
1.貧しくなるなら富む(マタイ5章3節)
2.悲しむなら慰められる(同5章4節)
3.義に飢え渇くなら、満たされる(同5章6節)。
4.くびきを負うなら、安息する(同11章29節)
5.いのちを失うなら、それを見いだす(同16章25節)
6.仕えるなら、偉くなる(マルコ10章43節)
7.自分を低くする者は、高くされる(ルカ14章11節)
8.見えないことを認めるなら見えるようになる(ヨハネ9章39
~41節)
9.義の奴隷になるなら罪から自由になる(ローマ6章18節)
10.苦難をともにしているなら、栄光をとも に受ける(同8章
17節)
11.死ぬなら、生かされる(第二コリント4章10節)
12.弱い時にこそ強い(同12章10節)
と教えています。
代表的なものを12ほど挙げましたが、これだけを見ても、ど
んなに聖書は私たちに逆説を教えているかがわかるでしょう。
二、聖書が教える逆説の理由について
それでは神の真理は、なぜ私たちの目に逆に見えるのでしょう
か。それは神と人との根本的な相違にあるということができます。
1.時間的な相違
神は永遠に存在する方ですが、人間は有限な者です(詩篇90
篇1~6節)。神は永遠の目をもって目標点から出発点を見るこ
とがおできになりますが、人間は出発点からしか目標点を見るこ
とができません。ですから神の真理を後ろや裏から見ていること
になるので、逆に見えるのではないでしょうか。
2.空間的な相違
神は高い天に住んでおられる方ですが(イザヤ57章15節)、
人間は低い地上に住んでいる者です。ですから神の真理を底や裏
から見上げていることになるので、逆に見えるのではないでしょ
うか。
3.本質的な相違
神は聖なる方です。これに対して人間は罪深い者です。神は、
「善にして善を行われ」る方ですが(詩篇119篇68節、口語訳)、
罪人は「悪を善、善を悪」(イザヤ5章20節)という者です。で
すから神の真理が逆に見えるのではないでしょうか。
三、聖書が教える逆説の宗教について
人間は、このような大きな溝を渡ることはできないのでしょうか。
次のような三つの方法によって、この溝を渡ることができます。
1.罪深い人間は、聖なる神に近づくことはできませんが、聖な
る神は、罪深い人間のところに来られ--人間のからだを持って生
まれ--「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」(第一ペ
テロ2章24節)、救い主キリストを信じる者を「きよめて聖なる者」
としてくださるのです(エペソ5章26節)。
2.十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた「御子を信じ
る者は永遠のいのちを持」ち(ヨハネ3章36節)、「永遠に生き」
る者としてくださるのです(同六章51節)。
3.私たちは、地上の世界に住んでいますが、神は、私たちの罪
をその身に負われた御子を信じる「私たちをキリストとともに生か
し......ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせ」て(エペソ
2章5、6節)、その「国籍」が「天にあ」る者としてくださるの
です(ピリピ3章20節)。
甲斐慎一郎の著書→ 説教集