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「神のいのちと人のいのち」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年7月10日放映「聖書に基づく確かな信仰」
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=57307&dreamon=Y
「神のいのちと人のいのち」
甲斐慎一郎
ヨハネの福音書、11章17~26節
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわ
たしを信じる者は、決して死ぬことがありません』」(25、26節)。
私たちは、人間の生と死について、どのように考えているでしょ
うか。生とは何か、死とは何か、という死生観ほど人間にとって大
切なことはないでしょう。なぜなら、その人の死生観は、その人の
人生観にほかならず、生と死をどのように考えているかが、その人
の人生と永遠の運命を決定するからです。
冒頭に掲げたキリストの言葉は、私たちに聖書が教えている死生
観、またはキリスト教死生観というものが、どのようなものである
かということを明確に教えています。
一、三種類のいのち
いのちとは何か、またいのちには、どのような種類があるのかと
いうことを考える時、どうしても避けて通ることができないものに
死があります。そこで聖書が教えているいのちを、死との関係で述
べるなら、次のような三種類になるのではないでしょうか。
1.死につつあるいのち--人間の堕落以後、肉体のいのちは、
生まれた瞬間から、後はただ死に向かういのちになっています。
2.死からよみがえったいのち--しかし聖書は、霊の復活
(エペソ2章5、6節)とともに、肉体の復活(ヨハネ5章29節)
を教えています。
3.死ぬことがないいのち--さらに聖書は、復活しても再び
死んでしまういのちではなく、もはや死ぬことがないいのち、言
い換えれば永遠のいのちというものを教えています(黙示録21
章4節)。
私たちが考え、また現に持っているいのちは、この三つのうち
のどれでしょうか。
二、人のいのち
ここでいう人のいのちとは、神から離れている人のいのちのこ
とを意味しています。
多くの人々は、生命にとって死は避けることができない定めで
あり、やむを得ないものであると思っています。しかし聖書は、
「罪から来る報酬は死です」(ローマ6章23節)と記し、「罪に
よって死がはいり」(同5章12節)とあるように、死は罪の結果
であると教えています。
それは、神がアダムに禁断の木の実を「取って食べるその時、
あなたは必ず死ぬ」(創世記2章17節)と言われた言葉が成就し
たのであり、その結果、人の霊は直ちに死に、肉体は、すぐには
死ななかったものの、ただ死に向かういのちになってしまったの
です。
1.死は、罪によってはいったものです。
2.その結果、霊はすぐに死んでしまいました。
3.そして、肉体も死につつあるのです。
これが神から離れている人のいのちです。
三、神のいのち
ここでいう神のいのちとは、神が私たちに与えてくださるいのち
のことを意味しています。
この神のいのちは、死につつあるいのちではなく、死ぬことがな
いいのちです。しかし人間は、罪のために死ぬべき者となってしま
いました。ですから、この死ぬことがないいのちを得るためには、
まず罪が取り除かれなければなりません。
「キリストは......罪を取り除くために、来られたので」あり(ヘ
ブル9章26節)、その結果、「キリストは死を滅ぼし、福音によっ
て、いのちと不滅とを明らかに示され」たのです(第二テモテ1章
10節)。
1.キリストは、罪を取り除かれました。
2.その結果、キリストは死を滅ぼされました。
3.そして、いのちと不滅が示されたのです。
聖書は、「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその
大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストと
ともに生かし--あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるので
す。--キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに
天の所にすわらせてくださいました」と教えているのです(エペソ
2章4~6節)。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集