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「心の試験」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年11月7日放映「神に会う備え」
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=58799&dreamon=Y
「心の試験」
甲斐慎一郎
箴言27章21節
「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛に
よって人はためされる」(箴言27章21節)
人間にとって最も大切なことは神を知ることですが、そのために
は自分がどのような人間であるかをよく知らなければなりません。
なぜなら私たちが、ほんとうに自分の姿を知るなら、必ず神とその
救いを求めるからです。またその結果、多くの罪や過ちから救われ
て、神にさばかれることもないからです。パウロは、「もし私たち
が自分をさばく(文語訳、自らおのれをわきまえる)なら、さばか
れることはありません」と、暗示深いことを述べています(第一コ
リント11章31節)。
そこで自分の「心の試験」について、その方法と結果と対策につ
いて考えてみましょう。
一、試験の方法について
私たちの神の前における心の状態を教えてくれる物差しは、他人
の称賛です。この他人の称賛ほど、私たちの心を正確に核心を突い
て、しかも手っ取り早く教えてくれるものはないでしょう。これに
は4つの面があります。
1.文字どおりに、自分が他人に誉められることによってどうな
るかということです。
2.その反対に、自分が他人に誉められず、無視されたり、けな
されたりすることによってどうなるかということです。
3.立場を逆にして、他人が誉められることによって自分がどう
なるかということです。
4.その反対に、他人が誉められず、無視されたり、けなされた
りすることによって自分がどうなるかということです。
この4つが心を試験する方法です。
二、試験の結果について
自分が誉められた時、得意になって人を見下げるのは高慢な人で
す。このような人は、反対に誉められずに無視されたり、けなされ
たりすると、打ちのめされて、卑屈になったり、ひねくれたりしま
す。しかし謙虚な人は、自分が誉められても得意にならず、神に栄
光を帰して(詩篇115篇1節、第一コリント4章7節)、自分の
ことは忘れます。また反対に自分が誉められず、無視されたり、け
なされたりしても、打ちのめされて、卑屈になったり、ひねくれた
りしないのです。
他人が誉められた時、ともに喜ぶことができないのは嫉妬深い人
です。このような人は、反対に他人が誉められずに無視されたり、
けなされたりすると、ひそかに喜び、冷淡になります。しかし愛の
人は、他人が誉められると、ともに喜び、反対に他人が誉められず
に無視されたり、けなされたりすると、ともに悲しむのです(ロー
マ12章15節)。
人は、神に対する敬虔さを失うと、嫉妬と高慢の罪に陥ります。
パウロは「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません」と述べていますが(第一コリン
ト13章4節)、人間関係の問題は、ほとんどこの嫉妬と高慢の罪
が原因であると言っても過言ではありません。私たちが、ほんとう
に罪からきよめられ、愛に満たされているかどうかは、喜ぶ者とと
もに喜び、悲しむ者とともに悲しむことができるかどうかによって
わかるのです。
三、試験の対策について
パウロは、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣き
なさい」(ローマ12章15節)と述べていますが、これこそ真の愛
です。また「愛の章」と呼ばれているコリント人への第一の手紙の
13章において、この愛がなかったなら、どのような素晴らしいこ
とばも騒音に過ぎず(1節)、どのような素晴らしい賜物や知識や
信仰も全く価値がなく(2節)、どのようなすばらしい行為も何の
役にも立たないと教えています(3節)。
この愛は、生まれながらの人間は誰も持っていません(第一コリ
ント2章14節)。パウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神
の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5章5節)と
述べているように、キリストの十字架による救いを信じ、聖霊を与
えられた人だけに与えられるのです。
私たちは、この愛を神から与えられているでしょうか。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集