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「心の一新(1)人の心の深さ」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年5月22日放映 「真の生きがい」
「心の一新(1)人の心の深さ」
甲斐慎一郎
詩篇64篇6節
ダビデは「人の内側のものと心とは、深いものです」と述べてい
ます(詩篇64篇6節)。それで「心の一新」の第一回目は、「人
の心の深さ」について学んでみたいと思います。
一、心の表面は意識があるが、心の奥は無意識で、最も奥深
いところは霊だからです
聖書は、人間を「霊、たましい、からだ」という三つの要素から
成り立っていると教えています(第一テサロニケ5章23、24節)。
1.からだは、私たちを取り囲む外界の状態を知り、それに対応
する機能のことです。
2.たましい(ソウル)は、「知性の面での心(マインドMind)」
と「感情の面での心(ハートHeart)」と「意志の面での心(ウィル
Will)」という三つの面があります。これは、人間の知性や感情や
意志という内界の状態を知り、それに対応する機能のことです。
3.霊は、信仰によって神とその世界を知り、それに対応する機
能のことで、神の像に似せて造られた不滅のいのちです。
霊は、もともと無意識ですが、心も表面は意識することができま
すが、心の奥は無意識になります。このことを発見したのが精神分
析学の創始者であるフロイトです。
主が十字架の上で語られた第一声は「父よ。彼らをお赦しくださ
い。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」というこ
とばです(ルカ23章34節)。パウロは、「私には、自分のしてい
ることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているの
ではなく、自分が憎むことを行っているからです」と告白していま
す(ローマ7章15節)。
人の心が自分でもわからないほど深いのは、心の奥は無意識で、
最も深いところは霊だからです。しかもこの無意識の霊と無意識の
心が意識している心の表面に大きな影響を与えています、いやそれ
を支配しています。言い換えれば、人の行いというのは、善であれ、
悪であれ、意識して行うことと無意識のうちに行うこととの両者が
あるのです。
二、心(たましい)は、からだと霊を結びつける懸け橋の役
目をしているからです
人間が霊とたましいとからだという三つの要素から成り立ってい
るという三要素説は、一番中心の円が霊、中間の円がたましい、一
番外側の円がからだという三重丸で現すことができますが、もう一
つは、「霊」と「からだ」という二つの円を描き、両者を半分ほど
重ね合わせたものとして現すことができます。その重ね合わせた部
分が「たましい」です。
確かに「霊」は「たましい」の中枢機能として「たましい」を支
配し、「たましい」は、「からだ」の中枢機能として「からだ」を
支配していますが、「霊」は、もともと無意識ですから、「視覚、
聴覚、嗅覚、味覚、触覚」という五感で知ることはできません。
「霊」というのは、ただ「たましい」の三つの面である知性と感
情と意志によらなければ、知ることはできません。すなわち「たま
しい」は、「霊」と「からだ」という二つの要素の懸け橋(橋渡し)
の役目をしているのです。
三、たましいが救われるためには、心の奥にある霊が救われ
なければならないからです
エペソ人への手紙の4章23節は、新改訳聖書は「心の霊において
新しくされ」と直訳していますが、口語訳聖書は「心の深みまで新
たにされて」、新共同訳聖書は「心の底から新たにされて」と意訳
しています。すなわち「霊」は「心の深み」また「心の底」なので
す。
アダムが罪を犯した時、彼の霊は死に、その心に刻まれた神の像
を失って「神を知る知識」も「神を喜ぶ感情」も「神に従う意志」
もなくしてしまいました。しかしうちに罪が住む古い人がキリスト
とともに十字架につけられるなら(ローマ6章6節)、「心の霊に
おいて新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り
出された、新しい人を身に着る」ことができます(エペソ4章23、
24節)。この「神にかたどり造り出された、新しい人を身に着る」
ことこそ、神を知る知識と神を喜ぶ感情と神に従う意志を取り戻し、
「心の深みまで新たにされ」ることなのです。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集