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「目に見える神と目に見えない神」 2013年12月11日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年7月24日放映「 神の恥と人の恥
」
甲斐慎一郎
コリント人への手紙、第二、4章18節
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留
めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続
くからです」(18節)。
この御言葉から、目に見える神と目に見えない神について学んで
みましょう。
一、目に見える神(偶像)は、真の神ではないことについて
目に見えるものの特徴を三つだけ述べるなら、次のようになります。
1.それは、本質の外面的な現れである現象です
2.それは、原因の外部的な表れである結果です
3.時間と空間に拘束されます
現象や結果として目に見えるだけでなく、時間と空間に拘束され
るようなものは、決して真の神ではありません。その典型的なもの
が偶像であり、偶像について、聖書は次のように記しています。
「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語
れず、目があっても見えない。耳があっても間こえず、鼻があって
もかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のど
があっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信
頼する者もみな、これと同じである」(詩篇115五篇4~8節)。
「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも
立たない。彼らの仕える者は、見ることもできず、知ることもでき
ない。彼らはただ恥を見るだけだ。......彼らは知りもせず、悟りも
しない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心は
ふさがって悟ることもできない」(イザヤ44章9、18節)。
二、目に見えない神こそ、真の神であることについて
聖書は「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性
は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、は
っきりと認められる」(ローマ1章20節)と記し、目に見える自然
界の現象の背後に、目に見えない本質である神がおられることを教
えています。
また聖書は、「この世界が神のことばで造られ......したがって、
見えるものが目に見えるものからできたのではない」(ヘブル11
章3節)と記し、目に見える自然界は結果であり、その奥に万物を
造られた目に見えない原因である神がおられると教えています。
この宇宙の背後にあって、時間と空間に拘束されない目に見えな
い本質や第一原因こそ真の神です。
三、目に見えない神が、目に見える神となられたキリストに
ついて
目に見えない抽象的なものを目に見える具体的なもので表すこと
は、分かりやすくなる反面、次のような危険性と弊害があります。
1.具体的なイメージ(像)に拘束される
2.具体的なイメージで分かったと思い込む
3.抽象的な本質を追求しなくなる
神が偶像を禁じている理由のいくつかはこれです。偶像ではあり
ませんが、キリストは、目に見える神として現れてくださいました
が、なぜなのでしょうか。これには二つの理由があります。
1.目に見えない神が目に見える神として現れることは、前述し
たような危険性と弊害があることを神は十分に知っておられます。
しかし 人類に対する神の愛は、必ず具体的なものとなって現れるの
であり、また霊的に盲目の罪人は、目に見える具体的なものでなけ
れば分からないので、神はキリストを目に見える神として、この世
に遣わされたのです。
2.しかし 目に見えない神が目に見える神として現れても、目に
見えないものを見る目、すなわち現象の背後にある本質や結果の奥
にある原因を見る目が私たちになければ、結局は分からないという
ことを私たちに教えるために、神はキリストを目に見える神として、
この世に遣わされたのです。
次は12月18日(水)「目に見える罪と目に見えない罪」です
甲斐慎一郎の著書 → 説教集