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「過去を変えてこそ将来がある」 2014年1月8日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年11月14日放映 「主のことばを聞く」
「過去を変えてこそ将来がある」
甲斐慎一郎
イザヤ書、44章22節
ほとんどの人たちは「過去は変えられないが、未来は変えられる」
と考えています。世の多くの人たちがこのように思うのは当然のこ
とです。しかし聖書は「過去を変えてこそ、将来があり、過去を変
えられなければ、将来はない」と教えています。なぜでしょうか。
一、二種類のこれからの時(未来と将来)
宗教哲学者の波多野精一氏は、二種類のこれからの時をそれぞれ
「未来」および「将来」と呼び、実存哲学者ハイデガーは、「未来」
および「到来」と呼んで区別しました。
◆未来--いまだ来たらずという意味で、見通しがきかない絶望
と不安の時です。
◆将来--まさに来たらんとするという意味で、見通しがきく希
望と平安の時です。
未来は現在から離れて人の手が届かない時であるのに対して、将
来は今につながる人の手が届く時であり、大きな違いがあります。
二、二種類のいままでの時(過去と由来)
前述した実存哲学者のハイデガーは、二種類のいままでの時をそ
れぞれ「過去」および「由来」と呼んで区別しました。
◆過去--過ぎ去ったという意味で、今さらどうすることもでき
ない時です。
◆由来--由って来たるという意味で、今にまで伝えられて来た
時です。
過去は現在から離れて人の手が届かない時であるのに対して、由
来は今につながる人の手が届く時であり、大きな違いがあります。
三、過去-現在-未来という生き方
もし私たちが、いままでの時を過去としてしかとらえることがで
きなければ、悪かった過去も良かった過去も、すでに過ぎ去って人
の手が届かない、今さらどうすることもできないものとなるので、
それを改めて現在という時に生かすことができません。その結果、
これからの時を未来としてしかとらえることができず、絶望と不安
に陥るのです。
神は時空を超越された方ですから、「神にとっては過去や未来と
いうものはなく、すべての事柄は等しく現在です」(ジョン・ウェ
スレー)。人間も過去のことは、今さらどうすることもできず、未
来のことは、来ないかもしれない不確かなものですから、神の前に
おいては過去や未来というものはなく、すべての事柄は等しく現在です。
もし私たちが現在、神を信ぜず、今まで犯してきた罪を悔い改め
ず、キリストの十字架による贖いを信じないで罪を赦されず、聖霊
によって罪をきよめられなければ、罪深い過去の姿は、そのまま現
在の姿であり、それはまた未来の姿でもあり、罪深い姿は永遠に続
きます。これが永遠の滅びであり、地獄です(ヨハネ3章36節、黙
示録20章15節)。
人は、罪深い過去を、罪がなかったかのようにぬぐい去ることは
絶対にできません。ですから聖書は、「過去を変えられなければ、
将来はない」と教えているのです。
四、由来-今-将来という生き方
もし私たちが神を心から信じて、いままで犯してきた罪を心から
悔い改め、キリストの十字架による贖いを信じて罪を赦され、聖霊
によって罪をきよめられるなら、その罪をきよめられたいままでの
姿は、今の姿でもあり、それはまた将来の姿でもあり、罪をきよめ
られた姿は永遠に続きます。これが永遠のいのちであり、天の御国
です(ヨハネ3章16節、黙示録21章3、4節)。
人は、罪深い過去を、罪がなかったかのようにぬぐい去ることは
絶対にできません。しかし神には、それができるのです。
「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたのそむき
の罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない」(イザヤ43
章25節)。「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなた
の罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あ
なたを贖ったからだ」(同44章22節)。
神は、キリストの十字架による贖いによって、私たちの罪をぬぐ
い去ることができるので、私たちは、「栄光から栄光へと、主と同
じかたちに姿を変えられて行」くという将来があるのです(第二コ
リント3章18節)。
次は2014年1月15日(水)「古代ヘブル語の時制概念」です。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集