PR
Category
Keyword Search
Freepage List
Calendar
Comments
「苦難の意味するもの(2)」 2014年3月20日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年3月6日放映 「聖書が教える真の人生」
「苦難の意味するもの(2)」
甲斐慎一郎
ヨブ記、42章1~6節
あらゆる恵みに満ちた神がキリストを信じる者に備えられた永遠
のご計画は、この世においては、罪の解決(救いと聖化)と苦難に
よる完成(成長)であり、次に来る世においては、永遠の栄光(天
の御国)です(第一ペテロ5章10節)。ヨブ記は、苦難による完成
を教えています。
一、苦難について
聖書は、苦難について次のような五つの説を教えています。
1.刑罰説
--「だれか罪がないのに滅びた者があるか。......不
幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ」(4章7、8節)。
苦難についての第一の説は、罪に対する刑罰として来る苦難です。
ヨブの三人の友は、ほとんどこれによってヨブの苦難を説明しよう
としています。しかしこれでは苦難について全部説明することはで
きず、五つの説の中の一つにすぎません。
2.教育説--
「悩みのなわに捕らえられると、そのとき、神は、
彼らのしたことを彼らに告げ......神は彼らの耳を開いて戒め」(36
章8~10節)。
苦難についての第二の説は、前のよりも少し高尚で、私たちを教
え諭し、教育するために来る苦難です。エリフは、このように説明
しています。これは、罪を犯したことを教えるために苦難が来る場
合と、その時点においては、正しい動機で行い、罪がなくても、知
恵がなく、幼稚で未熟なために、教育される必要がある時に、苦難
が来る場合とがあります。
3.試験説
--「神はアブラハムを試練に会わせられた」。「今、
わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった」(創世記22
章1、12)。
苦難についての第三の説は、もう少し高尚で、私たちの実質や実
力を試し、試験するために来る苦難です。アブラハムの苦難の説明
はこれです。これは、前の二つと違って、その人には全く罪がない
のに来る苦難です。
4.代償説--
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた」(イザヤ53章5節)。
苦難についての第四の説は、さらに高尚で、自分には全く罪がな
いにもかかわらず、他の人の罪を身代わりに負い、代償として来る
苦難です。キリストの苦難は、まさにこれです。私たちも罪に陥っ
ている人を救いに導くためには、代償の苦難を受けなければならな
いことがあります。
5.栄光説
--「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありま
せん。神のわざがこの人に現れるためです」(ヨハネ9章3節)。
苦難についての第五の説は、最も高尚なもので、神の栄光が現れ
るために来る苦難です。キリストは、生まれながらの盲人に関して、
このように説明されました。
ヨブの苦難は、個人的には彼の姿と神の偉大さを教えるために起
きた「教育説」ですが、摂理的には聖書を通して全世界の人々に神
のわざを知らせるために起きた「栄光説」です。
二、苦難の結果について
最後の章である42章には、次のような四つの幸いな結果が記さ
れています。
◇神を目で見る(5節)--より深い神経験
◇全く悔い改める(6節)--より深い謙遜
◇友のために祈る(10節)--より大きな愛
◇二倍に祝される(10節)--より高い恵み
私たちも、苦難を乗り越えるなら、私たち自身がより高く成長し、
ほかの人がより大きな恵みに与かり、神のわざがより広く現れます。
ヨブ記の主題は「完全な人の完成」です。苦難に会う前のヨブは、
「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」完全な人でし
たが(1章1節)、この苦難を乗り越えることによってきよめられ、
完成したのです(1~6節)。
拙著「聖書の中心的な教え」の42「苦難の意味するもの(2)」より転載
次回は2014年3月27日 「人間を構成する三要素」 です。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集