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「真の信仰の三要素」 2014年4月3日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年3月25日放映 「キリストの汗と涙と血」
「真の信仰の三要素」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、11章1~6節
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく
者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方で
あることとを、信じなければならないのです」(6節)。
H・オートン・ワイレーは、真の信仰は、「知性的に承認し、意
志的に承諾し、信頼し、拠り頼む」ことであると述べています。
一、真の信仰の第一の要素--神を知性的に理解し、納得
し、承認する
ある人々は、信仰とは実際には無いものを、あたかも有るものの
ように思い込むことであると考えています。しかしそのようなこと
は、知性と理性を持った人間には不可能です。人間に頭脳と理解力
がある以上、何だか分からないものを、ただ信じることはできず、
信じる対象を知り、理解しなければなりません。
しかし信仰の対象を理解するだけでは不十分です。それが確かな
事実であり真理であることを納得しなければなりません。聖書は、
知性を持った人間が十分に信頼できる「数多くの確かな証拠」(使
徒1章3節)のある神の言葉です。パウロは、「もしあなたがたが
よく考えもしないで信じたのでないなら......この福音によって救わ
れるのです」(第一コリント15章2節)と述べ、信じるためには、
十分に考えて、それが確かな事実であり真理であることを納得しな
ければならず、軽はずみに信じてはならないと教えているのです。
二、真の信仰の第二の要素--神を意志的に受け入れ、承諾
する
キリストは「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人
には、この教えが神から出たものか......がわかります」(ヨハネ7
章17節)と、願いの必要性を教えられました。
「神は、知性と感情と意志とを持っておられる霊であり、人間も
知性と感情と意志とを持っている霊である」(G・C・モルガン)。
意志を持っている人間が意志を持っておられる神を知るには、証拠
を確かめて承認するだけでは不十分であり、意志的に受け入れ、承
諾することが必要です(ヨハネ1章12節)。
このことを理解するために、次のような例話が分かりやすいので
はないでしょうか。
ここに顔も知らない父(または母)と生き別れになった息子(ま
たは娘)がいて、何十年か振りに再会したとしましょう。この息子
(または娘)は、目の前の人が自分の父(または母)であることは、
確かな証拠(DNAの一致など)があって証明されるなら、認めざ
るを得ないでしょう。しかし彼(または彼女)は、意志を働かせて、
その父(または母)を受け入れ(すなわち信じ)なければ、正しい
父子(または母子)関係は成り立たず、その父(または母)を知る
ことはできません。
「科学的な真理」は、それを受け入れる人の道徳性には全く関係
がないので、悪い心や生活を悔い改める意志がなくても、その科学
的な真理を知性的に承認しさえすれば、その人のものになります。
しかし「宗教的な真理(神の救い)」は、神の聖い性質上、道徳
性が含まれているので、悪い心や生活を悔い改めて信じたいという
意志がなければ、その真理(神の救い)は、その人のものにはなり
ません。多くの人々は、神を信じるなら、悪い心と生活を悔い改め
なければならないという恐れから、信仰を拒否しています。聖書は、
「彼らが神を知ろうとしたがらない」と(ローマ1章28節)、神を
意志的に拒絶していると教えているのです。
三、真の信仰の第三の要素--神を信頼し、拠り頼む
神への信仰は、神を「信頼し、拠り頼む」ことですが、人間は、
その神を「知性的に理解し、納得し、承認」し、「意志的に受け入
れ、承諾」しなければ、神を「信頼し、拠り頼む」ことはできませ
ん。私たちは神を「知性的に理解し、納得し、承認」し、神を「意
志的に受け入れ、承諾」し、神に「信頼し、拠り頼む」なら、信じ
た通りに「歩み」(コロサイ2章6節)、その結果、信仰は実を結
び、「信じきること」(ルカ1章45節)、すなわち「確信」になる
のです(第二テモテ1章12節)。
次は2014年4月10日「無意識の三要素による歩み」です
甲斐慎一郎の著書 → 説教集