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「人の歩みを確かにされる主」 2014年5月22日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年9月12日放映 「三つの創造」
「人の歩みを確かにされる主」
甲斐慎一郎
エレミヤ書、10章23節
「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのではな
く、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではな
いことを」(23節)。
この箇所には二回「人によるのではなく」という言葉が記されて
いますが、これは否定的に裏から述べたもので、これを肯定的に表
から述べるなら、「主(神)による」ということです。エレミヤは、
「人間の道」も「歩くこと」も「その歩みを確かにすること」も人
によるのではなく、神によると告白しています。「人の歩みは主に
よって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる」(詩篇37篇23
節)、「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その歩みを確か
なものにするのは主である」(箴言16章9節)とある通りです。
これは、どのような意味でしょうか。すべてのことが初めから予
定され、定められていて、今さら人間の力では、どうすることもで
きないという「予定論」や「運命論」や「宿命論」を教えているの
でしょうか。決してそうではありません。パウロが述べている次の
ような言葉こそ、それを解く鍵です。「すべてのことが、神から発
し、神によって成り、神に至るからです」(ローマ11章36節)。
一、すべてのことは神から発する
人間は、単なる物質でもなければ、偶然に発生した単細胞から進
化してできた動物でもありません。人間は、聖書が教えているよう
に「神のかたち(像)に似せて造られた不滅の霊と人格を持つ者」
です(創世記一章26、27節、参照)。言い換えれば、人間は、「神
によって、神のように、神のために造られた者」です(G・C・モ
ルガン)。
ですから人間が真に歩むべき道は、どこにあるのかという規準や、
またその道を歩むための力は、どこから来るのかという原動力や、
さらに確かな歩みをするためには、どうすればよいのかという法則
は、人間に属することではなく、神に属することです。神こそすべ
ての規準を定めた方であり、万物の力の源であり、あらゆる法則を
制定され方です。
「人によるのではなく、神による」ということの第一の意味は、
第一原因は、神であるということを教えているのです。
二、すべてのことは神によって成る
それでは第一原因である神と私たちの間に存在している様々な苦
難や試練また問題や課題、いわゆる第二原因と呼ばれるものは、ど
のように考えればよいのでしょうか。このことに関しては、人の目
には災いと悪にしか映らないことをも用いて最終的に私たちを幸い
と善に導く神の摂理というものがあります。
人間の道も、歩みも、その歩みを確かにすることも、「人は種を
蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6章7節)
という法則に支配されるとともに、それを越えた不思議な神の摂理
に導かれます。
「人によるのではなく、神による」ということの第二の意味は、
第二原因に関しては、神の摂理の導きというものがあることを教え
ているのです。
三、すべてのことは神に至る
しかし現実の世界は、神の摂理では、どうしても理解することが
できない矛盾や不可解な出来事が数多くあります。神はすべてのこ
とを世の終わりに公平にさばかれ、明らかにされます。これが最後
の審判です。人間の道も、歩みも、その歩みを確かにすることも、
この世においては、必ずしも正しい評価や正当な報いを受けるとは
限らず、最後の審判を待たなければなりません。
「人によるのではなく、神による」ということの第三の意味は、
最終的な結果や結末は、神による最後の審判によってのみ分かると
いうことを私たちに教えているのです。
「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょ
う。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。......すべてのことが、神から発し、神によ
って成り、神に至るからです」(ローマ11章33、36節)。
次回は、2014年5月29日「神の時と人の時」です。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集