東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2015.12.20
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「降誕の意義(3)キリストについて」  2015年12月21日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年3月25日放映「 キリストの汗と涙と血 」

131222神の謙遜と人の謙遜ブログ.jpg
「降誕の意義(3)キリストについて」
                                甲斐慎一郎
                ヘブル人への手紙、2章5~18節
  ヘブル人への手紙の著者は、詩篇の第8篇を引用し、「人間が何者
だというので……人の子が何者だというので……」と述べています
(6節)。この個所における「人間」とか「人の子」というのは、文
字通り私たち人間を指しています。しかしこの手紙の著者は、8節と
9節の言葉から分かるように、これを「真の人であるキリスト」に当
てはめています。第8篇がメシヤ詩篇と呼ばれるゆえんです。
  真の神であるキリストは、なぜ人となられたのでしょうか。

一、真の神がどのような方であるのかということを身をもって
示すためです
  真の「神は霊です」が(ヨハネ4章24節)、肉体の眼を持っている
人間にとって、目に見えない神を正しくとらえることほど難しいこと
はありません。そうでなくても、「わたし(神)がおまえ(人間)と
等しい者だとおまえは、思っていたのだ」(詩篇50篇21節)とある
ように、「人間の神概念は、必然的に擬人的である」(G・C・モル
ガン)。まして人類の堕落以後、霊の眼が見えなくなった人間は、ま
すます神を正しくとらえることができなくなってしまいました。
  それで肉体の眼でも見えるように、また霊の眼が見えない人間にも
分かるように、目に見えない霊なる神が、目に見える肉体を持つ人間
として現れてくださったのがキリストです。キリストは、人間が考え
ている擬人的で、歪んでいる、間違った神概念を正し、真の神がどの
ような方であるのかということを身をもって示されたのであり、私た
ちは、このキリストのうちに真の神を見るのです。

説教要約 702  キリストの受肉(1)その渇き

二、真の人がどのような者であるのかということを身をもって
示すためです
  人間の本質的な部分は霊ですが、それは肉体の中に宿っています。
それで現実の問題として人間は、肉体を持っているために、独特な不
自由さや不便さのみならず、色々な弱さや悩み、また痛みや苦しみ、
さらに様々な欲望による誘惑や試練というものがあります。そのため
に多くの人々は、罪を犯さない生涯を送ることは不可能であると考え、
罪と妥協しています。
  しかし神は、人間をそのように創造されたのではありません。それ
で神が肉体を持つ人となり、罪を犯さない模範的な生涯を送られたの
がキリストです。キリストは、私たちが考えている間違った人間観と
生き方を正し、真の人がどのような者で、どのような生き方をするの
かということを身をもって示されたのであり、私たちは、このキリス
トのうちに真の人とその生き方を見るのです。

説教要約 703

(1) キリストの受肉(2)その疲れ
三、真の仲介者がどのような者であるのかということを身をも
って示すためです
  しかし実際問題として、生まれながらの罪人である人間が、キリス
トのように罪を犯さない生涯を送ることは不可能です。なぜなら人間
は、キリストのように生きるために必要な聖霊を持っていないどころ
か、かえって神の怒りを受ける罪を持っているからです。
 神は、このような人間がキリストのように生きるために必要な聖霊
を与えようと切に願っておられますが、人が罪を持っているために聖
霊を与えることができません。
  それでキリストは、「神と人との間の仲介者」(第一テモテ2章5
節)として、身をもって次のような三つのことをされました。
1.キリストは、罪のためのいけにえとなられました(ヘブル9章
26節)。
  2.キリストは、神と人を結ぶ和解者となられました(第二コリン
ト5章18節)。
  3.キリストは、助け主である聖霊を遣わされました(ヨハネ16
章7節)。
  キリストが真の神でありながら真の人として、この世にお生まれに
なったのは、十字架の死と復活によって、「罪のきよめを成し遂げて
……大能者の右の座に着かれ」(1章3節)、すべての人々に「聖霊
をお注ぎにな」るためです(使徒2章33節)。私たちは、この聖霊を
受け、御霊に満たされることによってキリストのように生きることが
できるのです。
説教要約 704 キリストの受肉(3)その痛み
  • 甲斐慎一郎の著書 → 説教集
  • 次回は2015年12月28日「過去を変えてこそ将来がある」です。







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    Last updated  2015.12.22 11:57:26
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