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「敬虔の鍛練(3)神を意識すること」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2014年1月28日放映「 平安と将来と希望を与える神の計画(2)
」
「敬虔の鍛練(3)神を意識すること」
甲斐慎一郎
サムエル記、第一、25章
敬虔の鍛練の第三番目は、神を意識することについて学んでみま
しょう。
「神を意識する」とは、神がここにおられるということをはっき
りと自覚することです。ですから、敬虔の第三の意味は、ただ単に
神がおられるという神の存在を信じているだけでなく、その神が生
きて働いておられるという事実を明白に意識し、自覚することです。
ダビデとアビガイルの姿から、神を意識することの必要と訓練と
完成について考えてみましょう。
一、神を意識することの必要(1~22節)
アビガイルに会うまでのダビデの姿を見てみましょう。ダビデの
丁重な求めに対して、ナバルは、彼を侮辱しました。このナバルの
恩知らずと非礼な態度にダビデは怒り、直ちに「めいめい自分の剣
を身につけよ」と部下に命じています(13節)。
しかしこれは、あまりにも性急で思慮がない軽率な行動であるだ
けでなく、祈りもせず、神の導きも求めない不敬虔な態度です。
この箇所には、22節において呪いの誓いのために神の名を口に出
していますが、それ以外に神の名は記されていません。ダビデは、
ナバルに侮辱された腹いせに、ただ報復のみを考えて、その思いも、
会話も、行動も、神を意識していなかったのです。
この時のダビデは、サウル王に追われ、恩師サムエルに死なれ、
衣食にも事欠く生活をし、しかもナバルに侮辱されるという最悪の
状態でした。しかしこのような時こそ、生きて働いておられる神を
深く意識する敬虔さが必要です。
二、神を意識することの訓練(23~31節)
これに対してアビガイルの姿は、どうでしょうか。24節より31節
までのわずか8節の間に、実に「主」という言葉が7回も記されて
います。このことから次のような3つのことを学ぶことができます。
1.会話において神を意識する訓練
アビガイルのなにげなく話している言葉の中に何と多くの神の名
が出てくることでしょうか。彼女は、(1)報復について(26節)、
(2)家の繁栄について(28節)、(3)奉仕について(28節)、(4)生
命について(29節)、(5)敵の生命について(29節)、(6)将来につ
いて(30節)、(7)幸福について(31節)、ことごとく神に触れて
おり、神と切り離して考えられない会話をしています。
2.行動において神を意識する訓練
しかしアビガイルは、単に会話や言葉において神を意識していた
だけでなく、その行動においても神を意識していました。実に彼女
の行動は、すべての中に神がおられ、すべての出来事や人間関係の
中に常に神が介入し、干渉し、働いておられることを信じていたこ
とを表しています。
3.心と思いにおいて神を意識する訓練
アビガイルがこのように、会話においても、行動においても、神
を意識していたのは、その心と思いにおいて神を意識していたから
にほかなりません。このようなアビガイルの敬虔さによって、ダビ
デも敬虔さを取り戻したのです(32~39節)。
三、神を意識することの完成(23~44節)
神がともにおられることを意識する敬虔さは、訓練を重ねるうち
に次のようになっていくのです。
1.その心と思いは、当然のこととして、常に神が生きて働いて
おられることを意識するようになります。
2.その言葉は、ごく自然に、すべてを支配しておられる神を中
心としたものとなります。
3.その行動は、自己のわざではなく、摂理によって神に導かれ
るようになります。
私たちの心と思い、言葉、そして行動は、どうでしょうか。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集
次回は2016年4月11日「敬虔の鍛練(4)神に満足すること」です。