PR
Category
Keyword Search
Freepage List
Calendar
Comments
「真の信仰の三要素」
2014年6月13日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2014年9月10日放映「 神に近づく道
」
「真の信仰の三要素」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、11章1~6節
H・オートン・ワイレーは、真の信仰は、 「知性的に承認し、意
志的に承諾し、信頼し、拠り頼む」
ことであると述べています。
一、真の信仰の第一の要素――神を知性的に理解し、納得し、
承認する
ある人々は、信仰とは実際には無いものを、あたかも有るものの
ように思い込むことであると考えています。しかしそのようなこと
は、知性と理性を持った人間には不可能です。人間に頭脳と理解力
がある以上、何だか分からないものを、ただ信じることはできず、
信じる対象を知り、理解しなければなりません。
しかし信仰の対象を理解するだけでは不十分です。それが確かな
事実であり真理であることを納得しなければなりません。聖書は、
知性を持った人間が十分に信頼できる「数多くの確かな証拠」(使
徒1章3節)のある神の言葉です。パウロは、「もしあなたがたが
よく考えもしないで信じたのでないなら……この福音によって救わ
れるのです」(第一コリント15章2節)と述べ、信じるためには、
十分に考えて、それが確かな事実であり真理であることを納得しな
ければならず、軽はずみに信じてはならないと教えているのです。
二、真の信仰の第二の要素――神を意志的に受け入れ、承諾
する
キリストは「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人
には、この教えが神から出たものか……がわかります」(ヨハネ7
章17節)と、願いの必要性を教えられました。
「神は、知性と感情と意志とを持っておられる霊であり、人間も
知性と感情と意志とを持っている霊である」(G・C・モルガン)。
意志を持っている人間が意志を持っておられる神を知るには、証拠
を確かめて承認するだけでは不十分であり、意志的に受け入れ、承
諾することが必要です(ヨハネ1章12節)。
このことを理解するために、次のような例話が分かりやすいので
はないでしょうか。
ここに顔も知らない父(または母)と生き別れになった息子(ま
たは娘)がいて、何十年か振りに再会したとしましょう。この息子
(または娘)は、目の前の人が自分の父(または母)であることは、
確かな証拠(DNAの一致など)があって証明されるなら、認めざ
るを得ないでしょう。しかし彼(または彼女)は、意志を働かせて、
その父(または母)を受け入れ(すなわち信じ)なければ、正しい
父子(または母子)関係は成り立たず、その父(または母)を知る
ことはできません。
「科学的な真理」は、それを受け入れる人の道徳性には全く関係
がないので、悪い心や生活を悔い改める意志がなくても、その科学
的な真理を知性的に承認しさえすれば、その人のものになります。
佐藤優氏は、 「知には工学に代表されるような理屈で整理できる
『目に見える知』と神学のような見えない世界の論理を突き詰める
『目に見えない知』があり、日本では……『目に見えない知』つま
り超越した世界について考えてこなかった」
と述べています(『あ
ぶない一神教』244頁)。
「宗教的な真理(神の救い)」は、神の聖い性質上、道徳性が含
まれているので、悪い心や生活を悔い改めて信じたいという意志が
なければ、その真理(神の救い)は、その人のものにはなりません。
多くの人々は、神を信じるなら、悪い心と生活を悔い改めなければ
ならないという恐れから、信仰を拒否しています。聖書は、「彼ら
が神を知ろうとしたがらない」と(ローマ1章28節)、神を意志的
に拒絶していると教えているのです。
三、真の信仰の第三の要素――神を信頼し、拠り頼む
神への信仰は、神を「信頼し、拠り頼む」ことですが、人間は、
その神を「知性的に理解し、納得し、承認」し、「意志的に受け入
れ、承諾」しなければ、神を「信頼し、拠り頼む」ことはできませ
ん。私たちは神を「知性的に理解し、納得し、承認」し、神を「意
志的に受け入れ、承諾」し、神に「信頼し、拠り頼む」なら、信じ
た通りに「歩み」(コロサイ2章6節)、その結果、信仰は実を結
び、「信じきること」(ルカ1章45節)、すなわち「確信」になる
のです(第二テモテ1章12節)。
甲斐慎一郎の著書
→
説教集
次回は2016年6月20日「あなたの心を見守れ(5)神に従う意
志」です。