東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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10月1日朝の日記 象さん123さん

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2016.08.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類

「ハンナの疑惑と信仰(2)」

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2015年3月19日放映「 信仰に成長する秘訣(2) 」

説教要約 1003 神への信仰と感情2

「ハンナの疑惑と信仰(2)」
                            甲斐慎一郎
              サムエル記、第一、1章1~20節   

 このような境遇に置かれたハンナの心に次のような六つの疑惑が
生じたことでしょう。
(1)なぜ神は、私の胎を閉じ、子どもを生めないからだにされたのか。
(2)なぜ夫は、子どもが生めない私をあきらめて、ペニンナを妻とし
て迎えたのか。
(3)なぜペニンナに子どもが生まれ、私には子どもが生まれないのか。
(4)なぜペニンナは、神を疑わせるように私をいらだたせるのか。
(5)なぜエリは、私の祈りと酒の酔いとの区別がつかないのか。
(6)私が子どもを欲しがっているのは、ペニンナを見返すためではな
いのか。

 この六つの疑問は、実に深刻な疑惑です。私たちも、ハンナのよ
うに様々な疑惑に包まれているのではないでしょうか。

三、疑惑によって強くなったハンナの信仰

  ハンナは、このような深刻な疑惑に包まれていたのに、なぜすば
らしい信仰の人になったのでしょうか。夫のエルカナも、もう一人
の妻ペニンナも、祭司エリも、信仰の人ではありません。その理由
は何でしょうか。

 この三人は、現実を現実のまま受け止め、現実に対して何の疑問
も抱かなかったからです。厳しい現実に直面した時、「どうしてこ
うなのか。もっと良いことがあるのではないか」と現実を疑い、
「どうしたら、この現実を変えることができるだろうか」と考えよ
うとはしませんでした。いや疑問に思ったこともあるでしょうが、
その疑問や疑惑に真っ正面から取り組もうとせず、いとも簡単にあ
きらめてしまったにちがいありません。

  しかしハンナは、そうではありませんでした。彼女とてか弱い一
人の女性です。
1.神は、私の胎を閉じられた。
2.夫は、第二の妻をめとった。
3.ペニンナは、簡単に子どもを生んだ。
4.ペニンナは、私をいじめた。
5.祭司エリは、私を酒酔いと間違えた。
6.子どもを欲しがる私の動機は、不純ではないのか。


 ハンナは、この六つの疑惑に包まれ、どんなに悩み苦しんだこと
でしょうか。この六つの疑惑を整理するなら、「1」は神への疑惑、
「2」から「5」は人への疑惑、「6」は自分への疑惑です。「2」
から「6」の疑惑の原因はすべて[1」にあります。もし「1」が
なければ、それ以後の疑惑もなかったことでしょう。

 多くの人たちは、「2」から「5」の人への疑惑にのみ心を奪わ
れ、果ては、「夫が悪い」、「ペニンナが悪い」、「祭司が悪い」
と言って、「彼らさえ悪くなければ、こんなに悩み苦しむこともな
いのに」と、人に疑惑をぶつけます。真の信仰を持つために疑惑は
大切ですが、その疑惑も「人への疑惑」で留まってしまったならば、
益になるどころか、害になってしまいます。夫もペニンナも祭司エ
リも、このような人であったのでしょう。

 しかしハンナは、そうではありませんでした。彼女にも人への疑
惑は、ありましたが、その原因は神にあることを知っていました。
それでハンナは、「主に祈って激しく泣き」、「心を注ぎ出して」、
「祈っていたのです」(10、15、16節)。これは、「なぜ、あなた
は……」とハバククのように神に疑問をぶつけることでした(ハバ
クク1章3、13節)。

  このように神に疑問をなげかける時、「このように神を疑ってい
る自分は、いったい何者なのか。私は、いつも正しいことを行って
いる真実な人間なのか」と自分に対する疑惑が生じてくるでしょう。
神は、ヨブに「自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか」
と言われました(ヨブ40章8節)。

 おそらくハンナは、パウロが述べているように「私たちは真実で
なくても、彼(神)は常に真実である」(第二テモテ2章13節)こ
とが分かったにちがいありません。このようにどこまでも真実な神
を疑っている不真実極まりない自分に疑惑を抱く時、真の信仰を持
つことができるのです。      

甲斐慎一郎の著書 → 説教集

次回は2016年9月4日「試練の意味するもの」です。






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Last updated  2016.10.10 20:55:32
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