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「試練の意味するもの」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2015年4月3日放映「 信仰に成長する秘訣(3)
」
説教要約 1003 神への信仰と感情2
「試練の意味するもの」
甲斐慎一郎
申命記9章1~20節
この申命記の8章は、6章とともに、主イエスが荒野において悪
魔の誘惑を受けられた時に引用された御言葉が記されている箇所と
して有名です。この章の中に3回も同じような御言葉が記されてい
ます。それは、「あなたを苦しめ、あなたを試みて……するためで
あった」という言葉です(2、3、16節)。
苦難や試練は、いったい何のためにあるのでしょうか。それは、
「人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練さ
れる」ためです(5節)。主によって訓練されること、これこそキ
リスト者生涯のすべてです。
なぜなら私たちは、主に訓練されることによってのみ、信仰に成
長して神のみこころにかない、天の御国にはいるにふさわしい者と
されるからです。
一、訓練の基礎――私たちの心のうちにあるものを知ること
です(2節)
イスラエルの民が「この40年間の間、荒野で……歩ませられた
全行程」(2節)は、どのようなものであったでしょうか。それは、
一言で言えば、神への背信と不信仰と反逆の歴史でした(詩篇78
篇17節、106篇24、25節)。彼らは、荒野で苦難や試練を受ける
ことによって、その心のうちにあるものが全部さらけ出されたのです。
私たちは、苦難や試練に会う時、二重にも三重にも隠れみのを着
て繕っていた化けの皮がはがされて、最も醜くて、罪深い本性や地
金が現れてきます。なぜ神は、このようなことをされるのでしょう
か。それは、私たちにほんとうの姿や実質を教え、その実質にふさ
わしい訓練をするためです。これこそ訓練の基礎です。もし私たち
が自らの実質や実力以上の訓練を受けたなら、それに耐え切れずに
挫折してしまい、せっかくの訓練も逆効果になってしまうことでし
ょう。
二、訓練の目的――主の口から出るすべてのもので生きるた
めです(3節)
私たちが苦難や試練に会うことによって最も醜くて、罪深い自我
を教えられたなら、その自我は全く頼りにならないことを知って、
神のもとに追いやられ、神に近づかざるを得なくなるでしょう。「
主を恐れなさい」(6節)、「主を忘れることがないように」(11
節)、「主を心に据えなさい」(18節)という神の命令は、永遠に
変わらないものです。
どのような理由であれ、私たちが主を恐れず、主を忘れ、主から
離れるなら、私たちは必ず滅びるのです(19節)。ですから神の言
葉によって生きること、神に拠り頼むこと、信仰によって生きるこ
とが人間にとって最も大切なことであり、訓練の目的もここにある
のです。
三、訓練の結果――ついには私たちをしあわせにすること
です(16節)
どのようなことが幸せなのでしょうか。
▽自分の思い通りに何でも物事が運ぶ
▽自分の欲しいものは何でも手に入る
▽自分がどんなに偉大な者であるかを知る
多くの人々は、このようになることが幸せであると考えているよ
うです。しかし、もしこのようになるなら、高慢で、自分さえよけ
れば構わないという自己中心になり、手のつけられない人になるで
しょう。このようになることは、罪深い自我が現れずに、心の底に
隠れてしまうので、最も不幸なことです。
それでは、真の幸福とは、何でしょうか。詩篇84篇には、次の
ような3段階の幸せが記されています。
1.神を求める幸い(1~4節)
2.神にある幸い(5~8節)
3.神の与える幸い(9~12節)
苦しみによってでも神を求めることが幸いなのであり、苦しみに
よってでも神にあることが幸いなのであり、苦しみであっても神が
与えてくださるものが幸いなのです。なぜなら神こそ、すべての幸
いの源だからです。
甲斐慎一郎の著書
→
説教集
次回は2016年9月12日「誘惑の意味するもの」です