わたしの日々と好きな音楽のブログ

わたしの日々と好きな音楽のブログ

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Free Space

設定されていません。
2018.11.20
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
こんな私でも、ブログで知り合い、心配してくれる人もいるので、現状を時々、更新していこうと思います。

本当に、ありがとうございます。 
こんな私でも、ここがあるから、助けられている気持ちがあります。 見えなくても、助けてくれる心を感じています。 ありがとう ハート


モヤモヤした悲しい気持ち・・・の結末。。。は、、、


いつもと同じ様に、月に1度の実家へ訪問した 9月。。。

先週から父から、用があるから実家に来てくれ、と留守電が入っていたけれど、用事が重なっていて、行けなかった。

行った午前中に、何気ない会話から 「愛せない子もいる」と母から言われた。

今までも数回、ときどき言われていた。

でも、その時、私のことを言っているのだと気が付いた!  (私にとっては、何て恐ろしいことを平然と言っているの! という感覚だった。 )

その場に居た堪れずに、父の話を聞きに言った。
相続の話だった。

父は、前々から自分の残した資産が、自分の偉業の生きた証なので、自慢でならなかった。
そして、お百姓さんの家で育ったので、土地を分散せず、長男に譲るのが当たり前だった。
父には、不動産しか遺産はない。

父は常々、弟にほとんどの財産を譲り、妹と私を1件のアパートを半分ずつにして欲しいと、言っていた。

父は今回、共同名義にしたくないから、手持ちの現金とマンションの1室をあげるから、それで相続公正証書を書きたいから、了承しろ! と迫って来た。

くれると言っていた半分にもみたない数字だった。

私は、根が正直で、口のきき方が悪いから、つい正直に〝少なすぎる〟と言ってしまった。
それが父の怒りののスイッチになって、兄弟に相談させて欲しいと、言っても、もうじき死ぬんだから、待てない、とか理不尽や怒りをまた爆発させた。



弟は怒り出したら聞かないので、離れた方が良いよと言ってくれた。妹は、妹と私が相談すれば良いことで、何でそんなに怒ってるのか分からない状態だった。

母は、田舎の庄屋の娘だったけれど、戦争後、落ちぶれて、頭は良かったのに大学に行けなかった。
たくさんの土地を持ちながら、弟が一切引き継いだので、私は100万円しか貰わなかった、などと言い、
妹と半分を平等にもらえると思うなよ、といっていた。

妹は、医療関係者だから解っている事も多いし、本当に 実家の片付けや介護体制を整えてれるのを、良くやってくれた。




モヤモヤした悲しい気持ち・・・の結末。。。は、両親に愛されなかった子供の気持ちでした。

後で、弟に「親の財産なのだから、親が好きに使って何が悪いの?! 」と言われた。
親も、兄弟も、実家も、、、 何もかも失った感じがした。

とても強いショックを受けた。

それから、一応、弁護士にも相談に行った。

とても一人では耐え切れなかったので、カウンセリングを行ってくれる所を探して通っている。
それでもまだ、泣いてしまうので、精神科を探して通い出した。

相続の邪魔になるのかな?  いらない子なのかな?  なんで一番最初に産まれてきたのかな?  なんで私はいるのかな?

まだ、  心が叫び続けている。   まだ、   自分さがしの途中。。。。

それから実家と距離を置いている。  母は、妹に私に会いたくないと言っているらしい。。。。

悲しいなぁ。。。


私は、子供を授からなかったから、自分の子供を愛せない親の気持ちが分からない。。。。

確かに、他の兄弟より出来は悪いけれど、、、





余りに暗い内容と、酷い精神状態で、日記を書く事も、コメントを残す事も出来なかった。

もう時期、新しい年を迎えようとしているのに、、、
楽しい気持ちでコメントなど書けなくて、ごめんね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.12.28 17:31:24


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: