
アンネの父、オットー・フランク氏の手紙が見つかったそうだ。
2月に公開されると米紙(電子版)タイムが報じたそうだ。
アンネのバラがきてから、まもなく入ったこのニュース。
アンネのバラはわたしにもっと伝えたい事があるらしい・・・
手紙からは占領下にあったオランダからなんとか家族を救おうと
スペインへの脱出ルートを模索する一方、
フランスに出国する為のビザ取得を試みるなど
必死になっていた様子がうかがえるという。
戦争という狂気を永久に忘れないためにも、この手紙の公開は興味深い。
だが、同時に、ドイツ人もまた戦争の被害者であったと思ってしまうのは
わたしのドイツびいきのせいだろうか・・・。
今日の日経で「教室で騒ぐ「小1問題」防ぐために
幼稚園と小学校が連携するという記事があった。
すぐわが子育てと比較する悪い癖、
ドイツ在住時代のうちのこの小学生時代を思い出してしまう。
そこでは子供の成育の差で入学を一年遅らせることは、珍しい事ではなかった。
日本ででも早や生まれの子は、小さいときほど体力に差があり、大変だと聞く。
そういう場合は、無理はさせず、一年遅らせる。
せいてはことを仕損じる・・・
1年生に就学しても、授業に集中できない子は落第させられる。
息子のクラスにも、ふたりいた。ひとりは運筆力と小柄で体力がなかったからだが。
うちのこは当初はドイツ語がへただったから、静か・・だった。
授業中おしゃべりなどでお調子に乗ると、お母さんを呼び出しますよ・・・と
お手紙がきた(うちにも来た)
これはうれしい!お喋りが出来だしたのか!と一瞬喜びもしたが
すぐに、顔を引き締め、大変恐縮しながらどきどきして、参上。
どうやら、親を呼び出すことで、こどもにやばい!と思わせることに意義があるらしく、
先生と「困ったもんね」みたいなことを話して帰る。
しばらくはこの効果で、静かになり、呼び出しを何度か繰り返しているうちに
やがて、大人になっていく。
何度か忘れ物を届けに行き、授業が終わるまで廊下で待っていたことがあったが
先生がお話しをされてるときは、しーんと静まり返っていた。
意見をうながすと「Ich!!」という声がいっせいにこだましていたけど・・・。
もうひとつ、呼び出しではないけれど、放課後予約をとれば
いつでも面談に応じてくれた。
校長先生だっておなじ。校長室はいつも開放されてて、
子供達はHERR CLAUDY と呼んで、入り浸っていた。
うちの子など、コンタクトが外れると、校長室に行き、
先生のシュナップス(お酒)の小さなグラスを借りて
コンタクトを入れてもって帰ってきていた。なんでも聞いてくれ助けてくれる人だった。
(これ余談ナツカシ話ニナッチャッタ
)
なんかね、いまおもえば、学校も先生も近かった・・・距離も気持ちも。
通知表では教科以外に授業態度に評価があった。
勤勉であるか(Fleiss) 注意深いか(Aufmerksamkeit)
整理整頓(Ordnung)ができてるか
ファイリングの仕方も習っていた、ドイツのOrdnungはすごいのだ。
ちなみに、NOTEN(評価)は1.2.3.4.5.と少ないほど高く
日本とは、逆となる。
・・・
安部首相の施政方針演説のなかでは一段と声高に教育再生が謳われている。
いじめについては「どの学校でも、どのこにも起こりうる」という認識をもち・・とのこと
あたりまえ
ドイツの友達の何人かにも、うちのこはいじめにあっているという話を聞いた。
学校側とよく連携し、転校などで解決法を探っているようだ。
わたしの友人はそれで上手くいっていた。
聞いた話しでは、ひとりの子は、かなり苦労したらしいが
いまはアメリカの大学へ進学し、良好であるという。
彼の場合はPC好きで、主張の強いドイツの風潮に合わなかったようだ。
うちのこだって、帰国して転校した時はきっちりいじめられていた。
でもネットワークを親子で探って、乗り越えた。
社宅というネットワークの元締めはありがたかったな。
いじめっこの友達が中に入ってくれ即解決。
でも、まさしく、誰でも被害者となりうることを経験したのだ。
あとで、考えれば、ちょっと興味があっただけ。
DNAが異質なものには敏感になるのが、人間というものだから
しかたがないとも思えたのは、解決したからだが・・・只中はやっぱり不安で怖かった。
こどもの異変は、まさしく大人社会の変化の結果と思わせられる。
そして、いくら政府が叫んでも、ここは先生と親がどう向き合えるか
どう真剣に寄り添えるか・・・にかかっている。
やっぱり先生のあたりはずれによるんじゃない?
教員免許の更新制の導入かぁ・・・ただでさえ、事務処理でいっぱいいっぱいと
友達からは聞いているが、これに、自分の勉強も入ってくるのかな?
先生だけの勉強とお仕事が増えて、生徒を取残さないで欲しいものだ。
今はメールでのいじめも多いという。
大人の真似でなければいいが・・・。
なんかね、今日のはすごく長いから、気に入ったとこだけ読んで下さい。
ごめんしてね![]()
画像は自然勇気農園さんのを借りました。朝霧葡萄さん作
みなさん、秦万里子さんってご存知?
わたし、彼女の関東圏ファンクラブ会長させてもらってま~~す!
(NYパワーハウス中村さんがそういってくださってるのですっかりその気!♪)
1月16日付けの NYパワーハウスのその中村さんのブログ
で
またまたわたしの「秦さんコンサートへいったわよ」ブログ
を
ご紹介してくださっておりま~す。
嬉しい限り。
秦さんからのコメント もこちらのブログ
でご紹介させて戴きました!!
なんのこっちゃとお思いの方は
秦万里子関東圏ファンクラブ会長コンサート追っかけブログ
カテゴリ 秦 万里子
あるいは
コンサートを開くまで
をご覧になってね。
そんなことより、秦さんのお歌、聴いてみたいわ!って方は
秦さんのお顔をクリックして HP
へいっちゃって!
そしてね、今年のドレミファビアンは忙しい!!
5月に 秦万里子さんのコンサート
を
主催することになっております。
こちらも
どうぞ応援してくださいませね。![]()
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帰国して十数年の時が過ぎ、記憶は日増しに薄れども
過ごせし日々の日常と、ともに暮らせしかの地の人の暖かさは
永久不滅の宝となりゆく。
ドレミファビアンはよだれ倶楽部
「日本におけるドイツ文化振興部長」さんです。
なぜってこよなくドイツを愛してるから・・・
ドイツ滞在時の思い出
話もちょこっと書いてます。

アンネとマルゴーと母
撮影は父フランクフルトで写した最後の写真。
Hauptwache 隣のScillerplatzにて。1933年3月