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肉体の変化、恐れからの脱却。
今年のキーワードは、変化を受け入れるということかも
しれません。
「一つであること」を読んで、頭痛がする方、どこかが痛み始めた方、
なにかの調子が悪くなった方がいらしたら、それは間違いなく、
時が来ている人に違いありません。
これから、あなたがこれまで踏み入れたことのない世界に足を踏み入れる
準備がととのった、という事かもしれません。
これまで、なかなか、本当のことだけを書くということが非常に
難しく、さまざまに違う形を取って、多くのことを書いてきた
私ですが、今年は、そういう気持ちをかなぐり捨てて、
最初から、突っ走っていこう、と思っています。
これから、書いていくことは、皆さんにとって、私たち人類全体にとって、
大きな大切なことです。
これを読んで、何のこっちゃ、と思われる方は、ここに書かれていることを
気にする必要は何もありません。
他の方のブログを気持ちよく読んで、ここで読んだことはすべて忘れてください。
私は、今年、皆さんに仕事をしてください、言わねばなりません。
皆さんに、仕事が待っている、と誰に対しても、言う必要性が
出てきたのです。
魂の仕事が。
このようなことを言うのは、主婦として生きている私には、とても
勇気のいることでした。
正直、自分の家族と幸せに暮らせるなら、特別なことは何も要らない、
それが今の私の人間としての本音ではあります。
けれど、私の奥にいるもの、私の魂は、それこそ、そんなことを望んでは
いないのです。
もちろん、私は家族が仲良くしている、これは、基本だと思っています。
家の中が幸福に満ちていること、これが私にとって、活動の原点であり、
平和への一番の道だと思っています。
どんなに平和を叫んでいても、自分の家族が不幸だったら、
意味がない、と私は思っているからです。
私は、幼いころから、人の目に見えないものを見て育ちました。
幼稚園のころ、他の人はそんなものを見ていないのだとわかった時の
あの衝撃を今でも鮮明に思い出します。
私にとって、人の目に映らないものであろうと、そこにふつうに存在するもの、
人がそれらをどんなに否定しようと、私の中では否定しようのないものたちに
囲まれて育ちました。
それがどんなことであるのか、おそらくそうした経験のない方には、
想像もつかないのだろうと思います。
私が見ているものを他の人が見ることがないと知った時、それを否定されるとき、
私にとって、どうしようもない苦痛が走りました。
皆さんも想像してみてください。
あなたの目の前に、コーヒーカップを置いてあるとします。
けれど、そのコーヒーカップをあなた以外の誰も見ることはできません。
あなたがいくらここにコーヒーカップがあると主張しても、誰もそれを
見ることができないので、それは気のせいだとか、頭がおかしいとか言って、
嘲笑うかもしれません。
それとも、ある人は「そんなものを信じるなんて、頭がおかしくなったんじゃないか、
病院に行った方がいいぞ」と勧めるかもしれません。
しかし、あなたはコーヒーカップをまざまざと見ています。
「そんなものはない」といくら否定されたところで、あなたの目の前から
コーヒーカップはなくなったりしません。
あなたはそこにコーヒーカップがあると「信じている」のではなく、
ただ見ているだけにすぎません。
そこにあるとただ「知っている」のです。
そのことを否定されたからと言って、知っていることを今更「信じること」も、
「なかったこと」にすることもできないのです。
何しろ、コーヒーカップは、厳然とあなたの目の前に存在
しているのですから。
こんな時、あなたはどう反応するでしょうか?
私は、他の人の目に映らないものを、いまだに毎日見ています。
それを私は信じたりしていません。
私は、単に「知っている」だけなのです。
そこにあると。
自分にとって、当たり前に知っていることをあなたは信じることができますか?
歯ブラシが存在することをあなたは「信じる」ことができますか?
そんなこと、バカバカしくはないでしょうか?
私にとって、皆さんの目に映らないもの、見たことがないから恐れるものの
一部を私は、すでに幼いころから見て育ちました。
誰も、それがどんなものかを教えてくれる人はありませんでした。
幼いころ、何度もパニックに陥り、不安に思い、たくさんのものを恐れました。
怖くて眠れず、助けて欲しくても誰もわからず、悲しい気持ちを持って
生きていました。
この世界は、私にとっては、とても荒く「怖い」ところでした。
何一つ、知ることのできない不安が私を押しつぶしていきそうでした。
誰も私の疑問に答えてくれることはできませんでした。
だんだん、私は寡黙な少女になり、自分の知らないことを知るために、
ありとあらゆる本を読みあさりました。
本当に知ることのできる限りの本を読み、自分の知らない世界を知るためには、
どんな分野も関係なく、幅広く知ろうとしていました。
心理学の本も山ほど読みました。フロイトの本を持ち歩くような、
小学生だった私は、他の子供たちとまったく話が合わず、
一人だけいつも浮いた存在でした。
けれど、それでも私は知りたかったのです。
自分が見ているこの別の世界の意味を。
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