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今日のテーマは、「自分の才能を見出す」です。
「宇宙のDance」のブログを書いてくれている友人も書いていましたが、
皆さんの中には、目に見えない「不思議」と呼ばれる才能が
隠れています。
私が人の中に、その人の奥に隠れているものを見つけ出すのも、
その才能の一つです。
人の心の奥に隠れている、本人も忘れ去っている思いや意識を
私は、見ることができます。
もちろん、いつもそんなことをしているわけではありませんが、
(あくまでその方にとって必要な時だけです。)
その人にとってそれが必要な時には、そのような言葉を
かけることがあります。
それはしかし、実のところすべての人が持つ才能の一つにすぎません。
でも、皆さんは誰でもそれができるわけではない、
と思っているかもしれません。
それでも、誰もが実は使っている能力です。
ただ、それと知らずに・・。
たとえば、人が怒っているとき、その本人が「怒ってないよ!」と
どんなに否定しようと、私たちにはその人が怒っていることを
自然に感じます。
相手が言葉では何も言わなくても、
ピリピリしていたり、ウキウキしていたり、
その感じで、何かがその人に起きたことを察知できるはずです。
そう、誰でもできます。
私が行っているのは、それをもう少し、高度にした程度。
これはある意味、訓練の賜物なのです。
私は、人類全員が覚醒することを望んでいますが、
覚醒しても、すぐに高度な超能力者になるわけではありません。
つまり、いきなり魔法のような力が使えるわけでないのです。
自分にはそんな力があるんだ、とわかるだけでは実際には使えません。
それはなぜかといえば、覚醒したばかりの時には、まだ皆さんは
生まれたての赤ん坊のようなものだからです。
多くの人が覚醒すれば、驚くような超能力を使えるようになったり、
様々なメッセージを突然聞けるようになったり、自分の思うように物事が進むように
なる、と信じている人が多いようですが、経験から言って、
まずそんなことはまずありません。
覚醒したばかりの私たちは、そうした能力に関しては、
赤ん坊にすぎません。
人間の赤ちゃんは、歩く力を備えて生まれてきますが、
そもそも歩く訓練をするから、歩けるようになるのです。
赤ちゃんは、寝返りをうち、はいはいをし、少しずつ筋力を鍛え、
大人の真似をして、立とうとします。
そして、少しずつ歩き始めます。
しかし、これはあくまでも人間の中にいる赤ん坊だから、
歩きだせるのです。
どう歩けばいいのか、どのようにすればいいのか、親は実際に歩くことで
子供に教えています。
そのことによって、赤ん坊は「歩く」ことを覚えるのです。
モデルがいて、自然に訓練する家庭によって、子供は歩くことを覚えます。
オオカミに育てられた子供は、自分を狼と信じ、決して
2本足では歩こうとはしなかったといいます。
オオカミに育てられた子供・・・。
ある意味、現代社会に生きる私たちは、オオカミに育てられた子供に
似ています。
私たちは、目に見えないことは存在しないと発言する大人たちに育てられ、
心の存在ですら、いまやっと注目浴びているような状態です。
単に長い年月の間に、忘れられたというだけのことが、完全になかったものと
される・・、そのようなことは歴史の中で多々、繰り返されてきました。
そして、権力者にとって都合の悪いことは、歴史の上では、
常になかったことにされるものなのです。
今、子供たちの中には、生まれつきそうした能力にたけて
生まれる子供がたくさんいます。
親は、そうした子供たちにどう対処して良いかわからず、
困ったりしていることでしょう。
その子供たちは、いままでの観念には、当てはまらず、たいてい
違う認識、違うパターンで生きているので、過去の認識で生きる大人から
見れば、異常行動に移ることもしばしばです。
それは、単に私たちが過去、教わって来なかった新しい認識に
よるものである、というだけで、決して子供たちに
病気でも問題があるわけでもありません。
これまでの社会に適応できないと将来困るのではないかと、
親は躍起になって無理やり学校へやろうとしたり、子供の意に
染まないことをやろうとしますが、それは愚の骨頂というものです。
過去の私たちの学校へ通っていれば安心、他の子供たちと同じ行動を
とれば心配がない、というのは、子供のことを考えた行動ではなく、
実は、親自身が安心したいための行動にすぎません。
それが証拠にこれまで、学校に行きたくない、と言い出す子供を
何人も見てきましたが、私の目から見て、
彼らに問題があったことは一度もありません。
ただ、いまの社会の制度、学校という形が彼らに合わなかったにすぎません。
彼らは、自分がその学校の中で、必要なことを学ぶことは、
難しいと感じているだけなのです。
本当の意味で、自分和知ることができれば、彼らは、親も教師も驚くほどの
実力を発揮し始め、別の人格すら見せるようになるでしょう。
それは、私たちがこれまで見ていた世界とは、別の新しい世界の認識を
もって生まれた子供たちだからなのです。
学校へ行かない、他の子供たちと自分の子供がどこか違う、と
思ったなら、パニックにならずに自分の子供をしっかりと見てください。
あなたの子供が本当に何か問題があるのかどうか。
学校に行くとか行かないとか、そこが問題なのではないのです。
社会的にどうとか、そういうことに捕らわれて、自分の子供の本当の価値を
忘れてはいけないのです。
学校へは、雑多なタイプの子供がたくさんいます。
子供だからと言って、皆が皆、エネルギーがきれいなわけでは
ありません。
子供ほどより残酷なことも、ままあるではないですか。
自分の目を曇らせず、親は、自分を見てください。自分の子供を見てください。
そして、親でない方は自分自身をきちんと見据えてください。
皆さんの中には、人に知られていない、自分自身でさえ知らない、
大きな能力と才能があるのです。
いいですか、自分の「良さ」を重箱の隅をつつくようにさがしてください。
あなた自身が、何ができるのか、何が得意で何が好きなのか。
どんな些細なことでも構いません。
あなたができることをすべて書き出してみてください。
あなた自身があなたができることには価値をおいていなくても、
あなた以外の人にはそれは大きな価値を持っているかも知れないのです。
そんなことはよくあるものです。
オーラハーモニーに来る方たちも、よくそんなことを漏らしています。
自分以外の人は皆「わかっている」と。
面白いことに、参加するほとんどの方から、そのセリフを聞いた気がします。
自分より他の人の方が、より様々なことを理解している、と。
「わからない」という言葉の中に、実は、髄所にわかっていることを
それぞれの方が話しているのです。
自分以外の人には、それがわかるのです。
つまり、あなたは実はあなたが思っているほど、無能ではない、
ということなのです。
あなたにとって価値がなく、「大した」ことではなくとも、
他の人にとっては、大したことかもしれません。
あなた自身が過小評価している様々なこと。
そして、惜しむらくはあなた自身が、自分の短所だと思いこんでいること、
そこには、実はあなたの長所が隠れている可能性が大きいのです。
たとえば、さまざまな他人の短所を考えてみてください。
そして、あなたが考えるその短所が長所になるように、
考え直してみてください。
「物の見方」を変えるのです。
この次元では、物事は、常に表裏一体。
表があるなら、必ず裏もあるのです。
となれば、あなたが自分の短所と思っているところも裏を返せば、
長所であるかもしれません。
まず他者で試してみてください。
その人の短所がどのような「視点」で見れば、長所に変わるのかを。
そこから自分に対する認識を変えていきましょう。
この大切なことをきちんと理解し、わかっていれば、
あなたの人生は本当の意味で、開けていくことでしょう。
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