月の旅人

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魅惑のアルハンブラ宮殿~後編~

魅惑のアルハンブラ宮殿 ~後編~





ライオンの中庭を囲む後宮は、総じて『ライオン宮』と呼ばれている。2階建ての建物が多く、その2階の窓には木の透かし彫り『ジャルージ』が設けられていて、そこから女性たちがライオンの中庭の様子を眺めていた。
ジャルージの透かしは目が詰まっていて、中から外はよく見ることができるが外から中の人の顔は見えない。
ジャルージも石の透かし彫り窓もアンダルシアの強い陽射しを遮り、風通しは良く、その美しさばかりではなく酷暑の季節を快適に過ごす知恵でもあった。
今のアルハンブラ宮殿はどの部屋も中庭に向かっている部屋は開け放しになっているが、昔はちゃんと扉がついていたそうだ。アラベスク模様の彫刻が施された木の扉が残されている部屋もある。夏ばかりでなく冬もあるわけで、さすがに扉もなく開け放しのままでは寒かったのだ。扉以外にも垂らした布がカーテンのようにして利用され、部屋を仕切ったり風を和らげたりし、装飾としても華やかに部屋を彩っていた。
グラナダの外から忍び寄る衰退の影に目を逸らし、血生臭い権力争いに明け暮れながらも、王や後宮の女性たちは優雅で風流な生活を営んでいたのだ。


さて、続いてはライオンの中庭を撮影するのに必死になっていたポイントから回廊を右へと進み、『アベンセラヘスの間』へ。
『アベンセラヘスの間』のモカラベここでもまたもや「お~っΣ( ̄□ ̄*)」と一同から声が洩れる。天井のあまりに細やかな装飾に、感嘆せずにはいられなかったのだ。鍾乳石を模したその天井の見事さは、とても文章にはできないほど。
このような天井を『モカラベ(鍾乳石飾り)』という。
アベンセラヘスの間のモカラベは石膏でできたムカルナスといわれる9種の形の部品を組み合わせて作られていて、その部品の総数はなんと8000個にもなるそうだ。
首が痛くなるのも構わずモカラベを見上げていると、それが鍾乳石と言われれば「( ̄- ̄*)へぇ~」とも思いそう見えてもくるが、どちらかと言えば幾重にも重ねられたレースのように見えてくる。ライオンの中庭などの柱のアーチがレースのようだという印象を抱いたため、そのイメージが頭から離れなかったのかもしれない。
このアベンセラヘスの間のアベンセラヘスとは、王に仕えた名門騎士団の名前である。対抗勢力の讒言に踊らされた王が、アベンセラヘス騎士団36人を不忠の罪で惨殺したと伝えられている部屋だ。中央にはもとはライオンの噴水のものだったとされる水盤が置かれているが、その噴水と床はそのとき流された騎士たちの血がいくら洗っても染み出してくるといい、赤く見える部分が残っているとか。
さらに王妃と騎士の密通を知ったイスラム王国最後の王ボアブディルが、同じく名門騎士団だったセグリー家の騎士を処刑したという説もある。が、これもボアブディルと父と叔父をそれぞれ支持する勢力によって権力闘争が起こり、その結果の出来事だという説のほうが有力なようだ。
ボアブディル王は幼少期から実の父とその寵姫に命を狙われ後には謀反の疑いまでかけられたが母と忠実な家臣の手によって逃亡し、22歳のときに父王から玉座を奪う。その後父が世を去るまでの5年間は権力闘争に明け暮れ、翌年にはカトリック両王の捕虜となり屈辱的な条件のもと釈放されてグラナダに戻ったのもつかの間、イスラム教徒の内紛に乗じてカトリック両王に攻め入られイスラム王国最後の王となった。そんな生い立ちが人を思いやる心を育てたのかボアブディル王は慈悲深く憐れみの心で治世を行い、臣下にも国民にも非常に愛された王であったらしい。
そんなボアブディル王が、密通を知ったからといって処刑するとは思えない、ということだろうか。
残念ながら(?)モカラベの天井を見るのに必死で、その噴水も床もチラリと一瞥しただけだったのでよく見ていない。f-_-;)
ちなみに、ボアブディル王はグラナダの王国を去るとき、グラナダの町を見ることのできる最後の曲がり角で佇み、目に涙を浮かべたという。それを見た母は「女のように泣くがよい。男として王国を守りぬくことができなかったのだから」と言ったとか……。その場所は今、『モーロ人の最後の溜め息』と名づけられているそうだ。
アルハンブラ宮殿に入城して内部を検分したフェルナンド王は、アルバイシン地区を眺めながらこう言ったという。
「不運な男もいたものだ。このアルハンブラの一切を失ったとは」
余談かもしれないが、モーロ人とは8世紀から15世紀にかけてイベリア半島を支配してきたイスラム教徒たちのことで、北アフリカ出身のベルベル人とアラブ人をスペイン語で総称した呼び方である。また、モーロ人の支配下にあった時代のスペインを『アル・アンダルス』と総称している。
諸王の間のアーチ

アベンセラヘスの間を出て、『諸王の間』に入った。内廊のような間取りになっている部屋(アルコーヴ)で、アーチの連なりがとても美しい。この内部屋では、夏の宴が催されたりしたそうだ。
一角に天井に革を貼りつけ、その上に10人の王が描かれている場所がある。偶像崇拝を禁じているイスラム教では人物画は非常に珍しく、当時交流があったキリスト教徒の影響で描かれたと推測されている。
でもやっぱり教義に反すると思って気が引けたのか、それは日本でいうところの床の間のような場所の天井にひっそりと描かれている。
が、訪れたときは天井画の痛みが激しいため修復中ということで、その天井画の写真を載せたポスターが壁に貼られていた。( ̄_ ̄;)あらら…


少し奥まった回廊を抜け、次に向かったのは『二姉妹の間』。
二姉妹の間のモカラベ王妃の部屋として使われていたこの部屋は、天井のモカラベが宮殿内でも特に美しいとされている。またまた「お~っΣ( ̄□ ̄*)」と一同が感嘆したのは言うまでもない。
二姉妹の間のモカラベは、7種のムカルナスを5000個組み合わせて作られている。アベンセラヘスの間より3000個も少ないようには見えないのは、その細密さゆえだろうか。
……それとも私に見る目がないだけ?( ̄▽ ̄;)
王宮全体に言えることだが、アラブの人たちは床に絨毯を敷きクッションを置いて座ったり寝そべったりして暮らしていたため、下から見上げると美しく見えるよう設計が成されている。そこで自然に天井の装飾に凝ることになったようだ。
特に鍾乳洞はマホメッドが神の啓示を受けたところで、イスラム教徒にとっては特別な意味を持つ場所。そのため、鍾乳石飾りの天井は懲りようも半端ではないのだろう。
部屋の奥には『ダラハの見晴台』があり、ボアブディル王の妻ダラハがここからグラナダの眺望を楽しんだといわれている。が、後にカルロス5世がその前に自分の部屋を造ってしまったため、以後眺望が聞かなくなった。ヾ(ーー;)おいおいカルロス5世…
二姉妹の間と名づけられた由来は、部屋の噴水横にアルメニア産の美しい2つの大理石が敷かれているから。
二姉妹の美姫がどうとかこうとかいう由来をちょっと期待したのに、なんだか普通~な由来にがっかり。(笑) 物語じゃなく現実に起こった歴史なのに、期待するほうが間違ってるのかも? f( ̄ー ̄;)
この部屋の傍には『秘密の間』と呼ばれる小さな部屋があり、小声で話しても声が天井を伝って聞こえる仕掛けが成されているらしい。他に、王の間なども隣接している。
が、私たちは二姉妹の間からすぐに奥へと向かい、『二連窓の間』とも呼ばれる美しいダラハの見晴台を通って、カルロス5世の部屋へと通じる廊下へ出た。
ダラハの見晴台の二連窓途端に壁はただ白い化粧塗りがされただけのシンプルさになり、窓もこれまでの透かし彫りではなく普通に木枠が施され窓ガラスが嵌められていた。

そんな廊下の左にある窓を、次々と人が覗いている。ガイドさんの説明を聞き逃して何かわからなかったため覗いていた人に聞いてみると、浴室の天窓が見える、ということだった。さっそく私たちも覗いてみる。感想は、「……ふ~ん」。(笑)
浴室の天窓何てことはない、小山のようになった石天井にただの丸い天窓がいくつもあるだけだったのだ。なるほど、みんなあっさりと窓から離れるはずである。
でもちょっと風の谷のナウシカのオウムっぽいかな、といいほう(?)に考えてみた。……ちょっと苦しい。(笑)
でも今はただのガラスがはめ込まれているだけだが当時は色ガラスがはめ込まれていて、そこから射し込む色とりどりの光が入浴中の後宮女性たちを妖しく照らしていたらしい。
王は香料の満たされた浴槽に浸かり、蒸し風呂で汗を流し、楽士たちの演奏を聴きながら美女をはべらせていた。
だが恐ろしいことに、2階にある吹き抜けのバルコニーで音楽を奏でる楽士たちはみんな、女性たちの姿を覗き見ることができないように両目を潰されていたという。/(>_<。)\ひどいっ

何の動物?これまでが華麗だったため簡素な感を受ける短い廊下を進むと、突き当たりに『カルロス5世の部屋』があった。天井は見事な寄木細工だが、こちらもやはり簡素に見える。窓にはいったい何の動物なのか、ちょっとおちゃらけた表情の動物が摺りガラス風に描かれていた。
アルハンブラ宮殿には不釣合い過ぎて、なんだか笑えた。(^-^;)
そんなカルロス5世の部屋に隣接して、ワシントン・アーヴィングが1829年5月から7月にかけて滞在した部屋がある。入口の扉の上には、それを記したプレートが埋め込まれていた。残念なことに年に1度しか開けられないそうで、扉は硬く閉ざされていた。
アーヴィングは40歳を過ぎてから旅したスペインがすっかり気に入って歴史に興味を持ち、後にアメリカ大使館の書記官に任じられた彼はアルハンブラ宮殿に滞在する許可を得、アルハンブラ宮殿の歴史や伝説をつづった物語『アルハンブラ物語』を完成させた。
18世紀に入って盗賊や浮浪者の棲み家となり荒廃して忘れられたかのようになってしまっていたアルハンブラ宮殿が、この作品によって一躍世界中の人に知られるようになり、改修の要望が沸き起こった。これを受け19世に入ってスペイン王室の命により改修工事が開始され、現在に至っている。
アーヴィングは気の赴くままにコマレスの塔に上ってグラナダ市街の夜明けを見下ろし、モカラベの天井下で食事をし、ライオンの中庭で原稿を書き、夕刻にはアルバイシン地区の白壁の家々が赤く染まる様を眺め、月明かりに蒼く浮かび上がるヘネラリフェ庭園を散歩して楽しんだ。なんて贅沢な執筆の仕方だろう。
アルハンブラ宮殿の夜の見学は昼間と同じように行われているため、個人で訪れた人は昼間の光と影の交錯する様と月明かりに妖しく浮かぶ夜間の王宮を堪能することもできる。


カルロス5世の部屋から、コマレスの塔につながっている渡り廊下に出た。ここからはアルバイシン地区が一望できる。
アルバイシン地区の眺望モスク(イスラム寺院)が教会に改築される前は、この丘にモスクのミナレット(尖塔)をいくつも見ることができたのだろうか。
一通りみんなが写真撮影を終えると、渡り廊下をおりて下にある『鉄格子の中庭』を通過し、また薄暗い通路を抜けて『ダラクサ庭園(リンダラハ庭園)』横を通り抜ける。
そうして『ヘネラリフェ』へと向かうため、その間にある『パルタル庭園』を通った。
アルハンブラ最古の宮殿である『パルタル宮』の前に広がる庭園である。だが、この宮殿は度重なる改修によって当初の姿とは違っているらしい。アルハンブラ宮殿の庭園はどこも建物に囲まれているが、パルタル宮はアルバイシン地区に面した所にしかなく、パルタル庭園は三方に開けた庭園である。そのためとても広く緑も豊かで、イスラム庭園というよりはヨーロッパの庭園を思わせた。
パルタル庭園の入口には『貴婦人の塔』と呼ばれる宮殿が右手にあり、庭園を眺めていたのであろうこじんまりとした東屋がその前に佇んでいた。
貴婦人の塔へ立ち寄ることなくその手前を左折れし、庭園をさらに奥へと進む。色とりどりの花が咲き、刈り込まれた庭木や木陰を作る並木を抜け、『王女の塔』の横を抜ける緩やかな石段を登っていくと、見晴らしがよく展望台にもなりそうな刈り込まれた庭木の続く通路になった。そこに公衆トイレ(?)があり、トイレ休憩となる。
私たちはその間に庭木の向こうに見えるアルハンブラ宮殿を撮り、トイレ休憩が終わってからさらに庭園を進んだ。ここからはもうパルタル庭園ではなく、おそらくヘネラリフェ庭園に入っているはずである。アーチ型に刈り込まれた庭木をくぐり、途中で初めて添乗員さんも一緒に写真を撮った。白やピンクのバラのアーチもくぐり、そしてようやくヘネラリフェの宮殿の入口に辿り着く。ダラクサ庭園から20分ほど歩いた。いい運動である。

『ヘネラリフェ』は、14世紀初頭の1319年にアルハンブラの最も高い場所に王族の別荘として建てられた離宮である。
ヘネラリフェとはアラビア語で“天の楽園”という意味を持つ。または“すべてを見尽くす者の住む楽園”との意味。『アルハンブラの玉座』と呼ばれ王たちに愛されたこの離宮は、天国にあるという水の庭園のイメージを形にしたものとされ、『水の宮殿』とも呼ばれている。
アセキアの中庭その名のとおり噴水や水路が多く、ネバダ山脈から引かれた雪解け水が途絶えることなく水音を響かせ庭園を潤している。イスラムの土木技術を結集し敷地の高低差を活かして作られている噴水の水は、階段の手すりまでも利用して下へ下へと送られ、その勢いを利用して途中で噴水になってはまた水の流れに戻ってアルハンブラ宮殿へと辿り着くのだ。
アルハンブラ宮殿はそのすべてが、砂漠の民であったアラブの人たちの理想そのものだったのかもしれない。
コーランにも、天国はさらさらと清らかな小川が流れている所だと記されているそうだ。
1492年のレコンキスタ完了後から20世紀の初頭までは個人所有となったヘネラリフェ。改築が繰り返されたため、残念ながら当時の姿は留めていない。

中に入ると、『アセキアの中庭』が涼やかに私たちを迎えてくれた。
50mの細長い水路の両脇から噴水がアーチを描き、それを取り囲んで花々が咲き誇っている。
アセキアとは“地面を掘って水を通した所”という意味である。そのまんま。(笑)
回廊からは、その内装の華麗さを窺い知ることのできない素朴な外壁に囲まれた王宮や『貴婦人の塔』、『王女の塔』などを望むことができる。
この中庭でも3ショットを撮ってもらった。今度は手でそれぞれに噴水をマネてみた。これまたウケる。私たちのポーズがいちいち好評で、こちらも嬉しい限りだ。f^_^*)

アセキアの中庭に続いて、その隣にある『王妃の糸杉の中庭』へ。
中央の噴水とアベンセラヘス家の悲劇が書かれたタイルこの中庭で王妃がアベンセラヘス家の若者と逢引していたと伝えられていて、その結果が招いた悲劇を書いたタイルが壁にそっと埋め込まれている。
コの字型の池を複数の噴水と刈り込まれた庭木が囲み、中心にも噴水があってその両脇を刈り込まれた庭木が挟んでいる。
王妃の糸杉の中庭の壁際には古木があり、その幹の下部にコブがある。これには言い伝えがあり、未婚女性がこのコブに触れると1年以内に結婚でき、その隣のへこんだ部分に既婚男性が触れると離婚できるらしい。( ̄▽ ̄;)へぇ~


王妃の糸杉の中庭から階段を上って進むとアセキアの中庭を見下ろせる場所があり、次いで王宮の望める場所があって、そこで京都からご夫妻で参加のKさんの「撮ってあげよか?」という言葉に甘えて撮ってもらう。
そこから先は夾竹桃(キョウチクトウ)がアーチを描くトンネルが続き、小石の敷き詰められたその道をKさんや一人旅のおじさん2人とともに最後尾からついていった。←最後まで最後尾 f^_^;)
爽やかなトンネルを抜けると今度は背の高い糸杉の並木が続いて影になり、そこを少し進むとまるで薄っすらと雪が積もっているのかと思うような光景を目にした。
ポプラの綿毛の雪景色ポプラの木が綿毛を飛ばし、それが舞って雪が降っているように見え、さらにその綿毛が降り積もって雪のように見えていたのだ。
「綺麗~♪ヽ(*^o^*)ノ」
幻想的なその光景に感動してシャッターを切ったのが、右の写真。う~ん、この写真では感動は伝わりにくいかなぁ。( ..)ヾぽりぽり
そこからすぐに出口となり、みんなは後ろも振り返らずに待っていたバスへ向かって歩いていった。『LA ALHAMBRA』と書かれその下に案内図が描かれていたことを思えば、出口ではなくここが本来の入口だったのかもしれない。
私たちはずっと後ろを歩いてきてくれたおにいさんと一緒にその案内図をバックに写真を撮ってもらい、「グラシア~ス!(^o^)」とお礼を言って手を振って、添乗員さんに手招きされて急いで駆け出した。なんとか最後に乗ったおじさんに続いて乗り、遅れることなく出発となる。
こうして、その美しさに魅了されっぱなしだったアルハンブラ宮殿を後にした。(* ̄- ̄*)ぽ~



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