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お休み中ですが、復活しようかな。
2010年02月28日
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三宿通と交差します。
2009年12月23日
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六畝橋跡です。平川橋跡と良く似た写真ですね。
2009年12月22日
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平川橋跡
2009年12月21日
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上目黒5-28
2009年12月20日
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野沢通と交差する蛇崩橋跡です。
2009年12月19日
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蛇崩川下橋跡、蛇崩川橋跡の古地図です。寿福寺なども近くです。寿福橋の名前の由来ですね。
2009年12月18日
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蛇崩下橋跡です。蛇崩下橋の下流。
2009年12月18日
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寿福橋跡 お目出度い名前です。川端橋跡 ありふれた名前です。こちらが下流
2009年12月17日
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諏訪山橋跡です。このあたり諏訪山と呼ばれる山があったようです。
2009年12月17日
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東横線の北側に出て左岸下流側からの二三橋跡です。二三橋の親柱が隠れていました。
2009年12月16日
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蛇崩川跡は、伊勢勝橋から少し先で東横線を横断します。東横線の蛇崩川橋梁の鉄桁が解ります。追記:「伊勢脇橋」と書きましたが、東京都の下水道台帳には「伊勢勝橋」とかいありましたので、修正します。
2009年12月15日
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伊勢脇橋跡跡に四角い人孔の鉄蓋があります。近づいてみると「東京下水道分水」の文字かあります。つまり、この下に元蛇崩川の分水が雨水排水下水道として存在していると思われます。推定ですが、四角鉄蓋があると下にサイホンのある可能性があります。サイホンに溜まった泥を出すためには、丸い人孔の鉄蓋でないことが多いように思えます。さらに推定が許されるならば、昨日の日記の逆「J字」形の鉄幹は、サイホンの圧力調整のためのものかもしれません。どなたか知っている方がいれば教えてください。高架は東急東横線です。
2009年12月15日
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伊勢勝橋跡中目黒駅前の駐輪場を抜けていきます。ここで、川は右へ曲がります。
2009年12月14日
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観音橋跡中目黒駅の南側で、東横線に沿った川跡は駐輪場になっています。写真は右岸側から撮っています。
2009年12月13日
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山手通(石川橋跡)山手通に暗渠の端のコンクリートが見えます。または石川橋の床版が舗装されており、橋台のコンクリートが見えているのかもしれません。右側が中目黒駅です。いずれにせよ、川跡がはっきり解るということです。紅葉橋跡 (左岸下流側から撮影)目黒川と山手通り間にあった橋跡です。ですが橋の床版があるので、下流側は川で欄干の代わりにコンクリート壁、上流側が暗渠なのかもしれません。工事中の写真なので、現在このあたりはかなり変化しています。床版:橋の上で、自動車や歩行者が直接載る床部分のことで、鉄筋コンクリートや鋼板などの板で出来ている。
2009年12月13日
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目黒川合流とはいっても、直ぐに川は暗渠となり、水の流れは見えなくなります。空から見ると川跡が解ります。昭和30年代の地図です。蛇崩川は水色で示されています。このこのは流れがまだあったのですね。地図は北を上に修正しています。中目黒に映画館があったのですね。写真は原則的に、下流から上流に向けて写しています。日記が水源(?)まで到達すると、ここから川跡を遡る気分になれるかもしれません。
2009年12月12日
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蛇崩川の目黒川合流点です。「蛇崩」などという地名が東京にあるのかという感じですね。今は都市化が進み蛇などいないし、崩れる川岸の崖もありません。目黒川を下流に向かって見ています。蛇崩川は右側です。これから、画像は蛇崩川の川跡をさかのぼっていきます。今までは、下っていました。
2009年12月12日
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碑文谷呑川跡を「上馬交差点の南」から「都立大駅」付近まで、北から南へ追ってきました。原則として、写真は下流から上流方向を写します。また日記と川の関係は次のようになっています。 古い日記→上流 新しい日記→下流呑川本流との合流点の跡です。都市計画図の白図です。川跡の緑道緑部分を水色に着色しています。これにて、「碑文谷呑川」の画像は終わりです。日記を古い方に見ていくと、川跡をさかのぼることになります。最上流の画像呑川の本流↓呑川の都立大駅付近呑川の河口
2009年12月11日
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目黒通の南側、中根1-2です。さらに柿木坂通を超えて。中根1-3です。
2009年12月11日
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昭和20年代はじめの航空写真をもみると、このあたりの目黒通は全通していません。碑文谷呑川(呑川の柿の木坂支流)の川の流れはよく解ります。
2009年12月10日
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古い目黒通の南側で現在の目黒通のの北側です。都立大の駅に近いためか自転車の駐輪が目立ちます。住所は柿木の木坂1-30このあたりの旧橋名は、このとおり。
2009年12月10日
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柿の木坂1-29緑道も上流よりは立派です。目黒通も近い。
2009年12月09日
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下通橋跡
2009年12月09日
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天神橋跡この道を西へ行くと、北野神社(天満宮)があります。おそらくそれが橋の由来だとおもいます。昨日の日記の地図をみてください。ただし、地図の上が正北ではありません。
2009年12月08日
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みとせ橋跡川が流れていたころは、「みとせ橋」が架かっていました。川跡は、緑道になっています。
2009年12月07日
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中橋跡
2009年12月06日
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末広橋跡この4枚の写真の中では、一番下流です。谷戸橋跡この枚では、一番上流です。この日記では、原則として、写真は下流から上流方向を写します。目黒区柿の木坂2-7あたりです。
2009年12月05日
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とき川橋跡
2009年12月05日
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駒沢通 栄橋跡このあたり東急のバス停「碑文谷呑川」があります。地図では東急バス-恵32系統-碑文谷呑川バス時刻表
2009年12月04日
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柿の木坂3-10
2009年12月03日
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曽根橋跡
2009年12月02日
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上ノ橋跡です。
2009年12月01日
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下原橋跡空から見ると ←航空写真
2009年11月30日
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東が丘1-8あたり。緑道が川の跡です。
2009年11月29日
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東根橋跡です。先ほどの看板がないと無くなった橋の名前は解りません。といっても先ほどの看板を撮影したのは、もっと下流です。
2009年11月29日
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芳窪橋跡付近の地図です。電子国土へリンク東京都の防災マップへリンク↑↑ 地図サイトもいろいろありまね。でも、緑道沿いにあるアナログ地図が、川歩きには心強い味方です。これで橋の名前も解ります。デジタルマップもアナログ絵地図も共に楽しい。申し訳ありませんが、場所が現場写真より少し戻りました。
2009年11月28日
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緑道は続きます。なんの変哲もないような道ですが、ここに川が流れていました。その川跡をこのブログでは下っています。下芳窪橋という橋が架かっていたそうです。
2009年11月28日
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このあたりは「芳窪」という地名だったのでしょう。上芳窪橋跡芳窪橋跡芳窪橋跡を 空から見ると ↑ 空中写真の拡大版
2009年11月27日
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東が丘の川跡の緑道がここから始まります。標柱には「柿の木坂支流」とありますが、東急のバス停名から、こここでは碑文谷呑川とします。
2009年11月26日
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書いていて、あまりにマニアックせめてブラタモリ程度にとおもいいつつ、マニアくに・・・上馬二丁目を抜けてこのあたりまで来て東が丘三丁目です。世田谷区から目黒区に入りました。この写真が下流。
2009年11月25日
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上馬3-4から3-3へこの写真の方が上流です。空から見ると
2009年11月24日
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上馬3-4付近です。いかにも水路跡ですが、幅が狭い。
2009年11月23日
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碑文谷呑川は「上馬交差点の南」から「都立大駅」付近まで、北から南へ流れます。原則として、写真は下流から上流方向を写します。また日記と川の関係は 古い日記→上流 新しい日記→下流つまり、日記は上流から下流にの古いものに眺めていくと、下流からから上流へさかのぼって見えるようになります。ここから呑川の本流河口地図へ 呑川の本流河口写真へここから呑川の都立大駅付近のへここから呑川の本流上流(桜新町駅付近)のへ 呑川の本流上流(桜新町駅付近)のへでは、呑川支流の「碑文谷呑川」を上流からくだっていきます。写真は上馬交差点の南側です。首都高の高架橋が見えています。水源がどのへんだっのか解りませんが、流れは、品川用水の余水だったのかもしれません。おそらく写真は、地図で上馬交差点から南へ下がる道ですね、品川用水からの分水からと思われる水路が道に沿っていると思われるのは、思い込みかもしれません。この付近の大正時代の古地図です。地図の等高線をみると、緩傾斜の谷地形であることが解ります。すると、谷頭というか窪地の先端は、写真の場所より西側かもしれません。
2009年11月22日
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妙正寺川の暗渠は、高田橋付近で神田川に合流します。高戸橋からの写真左が神田川本流合流点の地図南北の道路:山手通 東西の通:新目白通このあたりの航空写真リンク妙正寺川を上流からくだっていきました。妙正寺川は妙正寺池から高田馬場付近までの9.7kmの流れですが、その上流は「井草川」でした。井草川跡を妙正寺川の一部として、その源流である井草八幡宮付近から、井荻、妙正寺池(公園)、沼袋、哲学堂公園、下落合、高田馬場と下っていきました。このブログでは、約15kmの“みちのり”です。原則として、写真は下流から上流方向を写しています。日記の新しいものから古いものを眺めていくと、下流からから上流へさかのぼって見えるようになります。つまり、下流(この神田川合流)からから上流(井草川水源跡)へさかのぼってみえるようになります。最上流
2009年11月22日
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妙正寺川は暗渠の高田分水となって、新目白通を西へ山手線の中へ入ります。 厳密に言うと、高田分水は、神田側なので、「妙正寺川を合流した暗渠の高田分水は、新目白通を西へ山手線の中へ入ります。」と書くべきかもしれません。でも妙正寺川にします。
2009年11月21日
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妙正寺川は高田分水の暗渠となって、西武線と新目白通に沿って西へ流れます。写真はほとんど上流向きで撮っています。
2009年11月20日
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妙正寺川はここから地下に入ります。写真は、下流向きです。
2009年11月19日
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妙正寺川は、このあたりで神田川に合流せずに、反対に神田川からの分水が妙正寺川に合流しています。
2009年11月18日
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正確にいうと、神田川の旧妙寺川の合流点です。左側に、いかにも明正寺川をコンクリートで閉塞したと思われる所が見られます。
2009年11月17日
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全352件 (352件中 1-50件目)

