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4月7日 心地よい暖かな日差し そこに吹く優しい風 その風に舞う 桜の花びらのように 今日 母が旅立ちました。 手を引いてあげなくて大丈夫かしら。。。 背中の痛みが取れていますように。。。 手や足を 今は思い通りに自由に動かし きっときっと 笑顔でいてくれていますように.。.:*・ でもヤッパリ私の傍に居て欲しい。。。 涙が… 溢れても溢れても 枯れ果てることはないけれど 胸の奥の一番大切なところに 母を思いながら 私は前を向いて歩いて行きます。。。 そうしないと また婆ちゃんに叱られそうだから。。。 先日「続く…」と書いたけど ごめんなさい …終わりにします。 今はチョットだけ 休ませてくださいね。 ここに立ち寄り 温かかく見守って下さった 全ての皆様に 心より御礼申し上げます。 本当にありがとうございました。
2014年04月07日
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続けます…1月17日…あちらに行けば何とかしてもらえるという兆しにも似た思い。 我が家から車で5分もかからずに行ける距離にあるので いざという時も直ぐに駆けつけられる。 全科…21科、病床数…531床。 広い範囲でみても、殆どの科が揃っているのは此方の病院だけである。 民間救急車で此方の病院へ(支払いは2万円弱) 特別室しか空いてないとのことだったが重症患者が来るということで お二人の患者さんを移動させ ナースセンター正面の4人部屋を空けていてくれた。 本当に有難い迅速な対応に感謝である。 翌18日 11時、医師からの話があるとのことで、父と兄と向かった。 母は前日の隣の個室に移されていた。 初めに…昨夜、数回の吐血があったと。 町医者の出したワーファリン(ワルファリン、血液を固まりにくくする薬)が 効き過ぎていた。 血中酸素濃度が低過ぎるなどなど。 動かせないために検査ができないので どこからの出血か分からないが、おそらくは肺ではないかと。。。 手術は、脊椎・脊髄専門の主任部長である医師もできないとのこと。 心臓を始め多くの病を持っていること。 (手術ができたとしても、通常の場合のボルト数以上必要になる。) 他のいくつかの問題と、本人の今の状態では 死亡する確率の方が確実に高いとのことだった。 医師の目指すゴールは、車椅子でも通常の生活ができるように…と。 我が家の意向も話した。 万が一の場合は延命治療をしない…なども話した。 最初の救急要請時に満床で受け入れられなかったことも 「申し訳なかった」か「残念に思います」だったか忘れてしまったが そう言ってくれた思いに 「こうして受け入れて頂けただけでも、本当にありがとうございます」と返した。 病院を出て食事をし、兄は隣県の職場に向かい、 私は母のパジャマなどを買いに行った。 店を出て間もなく、病院から電話。 「直ぐに来られますか?」 兄に連絡。父を乗せて向かう。何度も呼び続けた。 すがる様な母の目に…(うまく表現できません) 親戚に電話 「婆ちゃん、ダメかも。。。」 涙が溢れ言葉が出ず、説明できなかった。 我が家の親戚は、皆 遠い… だが この間…処置により、母は危篤状態を脱していた。 母の大好きなソーシャルワーカーさんも直ぐに駆け付けてくれた。 彼女を見る母の目が…笑ったように見えた。 再度 親戚に電話…「持ち直した」と。。。 続く…
2014年04月05日
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続けます。 救急車は到着したが、隊員は中々降りてこなかった。 「すみません、お手数おかけします」と言った私に 挨拶もできない隊員の発した第一声は… 「大丈夫って言われたんでしょっ!」 私は絶句した。 最低な救急隊員だと思うのは、間違いでしょうか? なら何をしに来たんだ、自分の親であったとしても同じ事を言うのか。 こんな奴が居る分署、他の比較的若い年代の二人も 前回のような安心感を持てるような感じはなかった。。。 救急車を呼ぶ際の此方の話しの中で隊員が捉えたのは 「大丈夫と言われた」… 一週間も前に医師に言われたその言葉、それだけか? 身動きもできない等、必死で詳細を伝えたのに。。。 だが そんなことを思っても、 下手に出て助けてもらうしかない。。。のが悔しさになる。 病院をいくつかあたって、結局は…また足利日赤病院。 我が家周辺から日赤に向かう救急車は 私の知る限り100%高速を使う。 だが一緒に乗って行った父が「高速じゃなかった」と。 「こいつら!」といったような怒りが。。。 このルートの一般道は道が良くない。 そこを走る救急車両の速度…飛ばしはしないだろうが 背中を痛め苦しんでいる者にとって、どれほどの苦痛だろうか。。。 「救う・急ぐ」と書く、この職業につく今回の隊員は 本当にこの仕事を全うしてしているのか?とさえ思った。 それとも、救急隊員に人としての心は不要なのか? これも本来のあるべき姿の内? それなら…仕方ない。。。 今度、救急車をお願いすることがあったなら 「多少の時間がかかっても、お願いだから西分署だけはやめて下さい」と先に言おう。 まあ、緊急時にそんな余裕はないだろうが。。。 足利赤十字病院 暫くして、前回の I 医師ではなく F 医師 どの辺が痛いのかなとドンドンと手をずらしながら叩いてみる 「痛いからやめてー」と悲鳴をあげる母。 痛めている場所が分かる。 F医師に言ってみた… 「先生、もう一度画像を撮ってもらうことはできませんか?」 この言葉の裏は「こんなに痛がってるのに、なぜ画像を撮らないのか」である。 するとF医師は「えっ?撮ってないの?」と。 患者側に聞くことか? 聞かれる意味さえ分からない。が 「聞いてません。」と答えた。 だいぶ待って説明を受けた。 最初にかかった時の画像も合わせ見て 「ここが…」 脊髄の圧迫骨折、 初めの緊急での診察で気付いていれば。。。 この一週間で1cm程のズレも出てしまったのである。 日赤では手術できる医師がいないと。 再度暫く待ち、F 医師の友人が… 先に言った我が家のかかりつけの病院にいるそうで… そちらには脊髄専門の医師がいるのを私も知っている。 そちらが満床で受け入れられず日赤に来た訳であるが その友人の医師によると、 特別室しか空いていないがそれでも良ければと。 一日2万いくらなのは知っていた。 父と兄が「お願いします」と言ってくれた。 母を少しでも楽にしてあげたい、何とかしてほしい それが家族の思い。 それでも、その時の経済的状況によっては やむを得ず、その提案を断り、 差額なしのベッドが空くまで待たなければならない場合もあると思う。 母と二人暮らしだったら、自分がどうしていたか。。。 そんな思いに、父と兄に感謝の気持ちが湧いた。…続く…
2014年04月03日
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昨日の日記に続けます。。。 佐野本署からかけつけた3人の隊員の対応に少し安心感を覚えた。 こちらの希望する病院順に、その他の病院に、いくつも連絡をとってくれた。 しかしこの日は、隊員が「今日は救急が多いんですよ」と言っていた程で 中々受け入れてくれる所が見付からない。 「寒いから家の中に居て大丈夫ですよ。その都度報告に来ますから」 温かい気遣いに、仕事としてだけでなく人としての心を感じる。 結局、隣市「足利日赤病院」に行った。 診察をした I 医師により、画像を見ながらの説明… 骨も異常ないので大丈夫ですね、打撲です。」 この言葉に「良かった」と家族全員が安堵した。 「再診の予約を入れておきますね。それまでには良くなってると思うけど」 この日は12日、再診は15日の2時。 お弁当を買って帰宅し、皆で食べながら 「本当に良かったね」と 病院に行く前よりは明るい表情で話した。 しかし母の容態は悪くなっていく。 14日、家族に…再診に行かずに、いつもの病院に行った方が良いのでは? 予約なしで待たされても、そちらにかかったほうが良いのではないか。。。 そう話したが聞き入れられず、取り敢えず日赤の再診に行こうと。 病院に義理立てする時代ではなかろうと思ったが、違う意図かも知れないし 我が家の家風は、こんな時でさえも男性陣には逆らえない。。。 15日再診2時の予約、 病院で数時間待ちは普通のことだが、母はより辛かったことだろう。 診察室に呼ばれたのは5時 I 医師に悪くなっていると伝えたが 「此方でできるのは、あとはコルセットをするくらいですね~」と言って コレをつけさせた。 心の中で、やっぱアッチの病院に行けば良かった。。。と。 納得できないまま帰宅した。 どんどん どんどん悪くなっていく。痛み止めの座薬など効きやしない。 起き上がるのも寝るのも自分ではできない… 一人が両脇、もう一人は足を持ち痛み苦しむ表情に何とも言えない気持ちを堪えベッドから起こし シルバーカーに捕まらせ支えながらほんの少しずつ進みトイレへ行くが もはや自力でできるのは排泄のみ。 私は自分の足が悲鳴をあげているのを感じたが そんなのは二の次、この時一番大事なのは母である。 17日の朝、お粥さえも食べられず とうとう母は「私を助けて」と…限界である。 119へ電話、少し話すと「あっ12日に…方ですね」と言ってくれたので話が早かった。 「前回の日赤で大丈夫と言われ 15日再診にも行ったが出来ることはコルセットだけと。 でも悪くなる一方でもう限界で堪え切れない様子…」と話す。 「西分署から向かいましたから、もう少しお待ちくださいね」 比較的交通量の少ない方面から来るので、到着も早いと思いながら待った。 そして最悪な救急隊員が来た…続く… 皆さん、温かいコメント本当にありがとうございます。ですが今日、母は肺炎をおこしました。なのでもしかしたら。。。
2014年04月02日
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先に我が儘を言わせていただきます。今の私には上手く明るく振舞うことができません。いつも皆さんがして下さるように皆さんを元気づけたり励ましたり楽しい会話をしたり一緒に喜んだり前向きなコミュニケーションをとれる自信がありません。 皆さんのブログやプロフをワクワクしながら開くことも中々できなくなっている私です。どうぞお許しくださいませ。 昨日、モラタメでのレビュー期限なので書いた後ブロ友の皆さん達のところに伺いました。 読みながら心に思うことも多々ありましたがどなたにも、何も書けずに帰りました。 数人の方に、早くに御心配のプラつぶを頂いていたことにも昨日気付いたような次第です。お返事もできず、本当に申し訳ありません。 私のお誕生日にお祝いを下さった方のお誕生日があったのに何もしてあげられず、すみません。 私と母に色々とっても良くして下さり母も御礼をしたいと常に言っていたあの方にも、まだ何も。。。 愛息子のワンちゃんが亡くなったことを今頃知りそんな時にも言葉もかけられず何もできなかった自分の不甲斐なさが悔やまれます。 この場をお借りして「くまちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」昨夜 地図を見て確認…いつか手を合わせに行きたい。 あいちゃんママ、お手々の怪我はキレイに治ったかしら。。。とかお仕事頑張ってる私の師匠、体の疲れに加え花粉症は大丈夫?とか合掌造りから更新されてない方は元気なのかしら。。。とか息子さんの第一志望の高校合格おめでとう☆。。。とか心友のあの子はマイペースでやれているか。。。思うだけでごめんなさいね。 ハワイアンな山ガールのあなたのことも11月に新たな生活を始めたお料理上手なあなたのことも今は去年の思い出を綴っているあなたも男の弁当のあなたもみんな元気に頑張ってほしい。 大雪から更新のないあなた元旦から更新のないあなた大丈夫でしょうか。。。 そして私を好きと言ってくれたあなた、末息子さんの御卒業おめでとうございます。 鎌倉大好きないつか会いたいあなた、いつも心強さをありがとう、待っていてね。 自分がしっかりしなきゃという思いが欠けやる気のない私。何があろうと時間だけは過ぎていくどんな思いでいようと時は流れていく 何が言いたいのか分からなくなってきたのでここから…新年が始まったばかりで 皆さんと今年も元気に頑張りましょうと言ったばかりだったので書けずにいたことを書いていきます。文字数がイッパイになったら別の日に続けようと思います。 一昨日は、お婆ちゃんの誕生日でした。ですが、今は家に居ないので我が家の恒例のお誕生会はありませんでした…滅多にない 家族全員がいる日曜日と誕生日が重なったのに。。。 1月10日(金)お婆ちゃんと美容院に行ってその帰りにイオンに行ってお買物。お婆ちゃんは、バッグや靴を買い 美味しいお夕飯も二人で食べて帰った。その夜嬉しそうにバックの中身を新しいバッグに詰め替え翌日にはそれを持って リハビリに行った。 リハビリと言っても、運動はできないので…主に 岩盤浴やマッサージ施設の車が送迎をしてくれます。9時前にお迎えが来て、1時前に帰って来る。 年をとると「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」の言葉の方が断然多くなるが週2回のこの時だけは「行って来ま~す」そして元気な声で 「ただいま~」その明るい声で、他の利用者のお年寄り達やスタッフさんとの楽しい時間だったことが窺える。 でも、その声を聞くのもその日が最後になってしまった。と言うと、亡くなった様に聞こえると思うので取り敢えず申し上げておきます…「まだ生きています」 翌1月11日(土)夕方、Jr.を美容院に連れて行き7時頃帰宅するとお婆ちゃんが台所で足を滑らせ尻もちをつき背中が冷蔵庫に当たってしまったと。 背骨が大きく湾曲しているので…当たりの強さは想像がつく。。。年寄りの転倒は命取りになり兼ねない。 病院へと促したが「様子をみてみる」との返事。だが翌日よくなる様子もなく近くの掛かり付けの大病院に電話。連絡をして、救急車で…と考えた。 10時半頃電話で、その旨を話した…その日の当直医が外科で、緊急手術が入ってしまっているので3時くらいに再度電話をしてほしいとのこと。 1時半に病院から電話があり、また緊急手術が入り夕方になってしまうので辛い状態であれば他の病院にと。 母は、いつものこの病院が良いと言っていたのででは、様子を見ながらお願いする場合には再度ご連絡差し上げると話して切った。 辛い様子に変わりはない。119に電話し、状態と経緯を話した。
2014年04月01日
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