荒尾史学会のブログ

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熊本県荒尾市で地元の歴史を勉強するサークルです。
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2020.01.23
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引き続き、むかし話

腹赤
 昔、景行天皇は、悪者どもを討ち従えるため兵を率いて九州へ下った。天皇は豊前、日向を経て肥後に入り、芦北の日奈久から船出をして八代・三角・島原を経て、六月三日に玉名郡の長洲に向かった。船が岸に近ずくと、無数の魚の泳いでいるのが見えた。お供の者がこれを釣って天皇に差し上げた。その魚の腹が赤かったので、そのあたりは「腹赤」と呼ばれるようになった。
虚空蔵さんと鰻
 昔、うなぎは虚空蔵さんの春属(神の使者)と信じられていた。それで、漁師が多かった大島では、うなぎを食べると虚空蔵さんの怒りにふれて豊漁が望めないといわれ、うなぎを食べないようになった。
がわっぱとお竹どん
備考:舞台は荒尾市平井の井出川との事。
 昔ある所に、大変いたずらもののがわっぱ(カッパ)たちが住んでいる川がありました。
 このいたずらカッパたちは、近くに住む庄屋の家の女中「お竹どん」だけには、頭が上がりませんでし
た。それにはこんな理由があります。
 二~三年前の事、庄屋がカッパたちの川で釣りをしていました。カッパたちは、庄屋が釣り上げた魚を盗むイタズラをしていると、一匹のカッパが庄屋につかまってしまいました。
 庄屋はすばやくカッパの頭の皿から水をかき出して、カッパの力を封じました。そして、懲らしめのために、炎天下の中、荒縄で縛りつけておきました。
 次第に弱っていくカッパを見て、お竹どんは「水は命のおおもと、それを絶ってしまうとは思い上がりが過ぎるのではないか」と思いました。でも、女中のお竹どんが、勝手にカッパに水を与えるわけにはいきません。そこでお竹どんは、全く水を使わず料理したり、米は水なしで炊いたり、使用人たちに水を与えず、馬にも全く水を与えませんでした。
 のどか渇いて暴れる馬をみた庄屋は、慌てて「水じゃ、水、水を持って来い!」とお竹どんに声をかけました。お竹どんは、水がいっぱい入った桶を手にして、庭にいる馬や使用人に水をぶっかけました。そしてお竹どんは、どさくさに紛れて縛られていたカッパにも水をかけました。頭の皿に水が入ったカッパは力を取り戻し、縄を引きちぎって川へ逃げて行きました。
 庄屋は「お竹の奴、わざとやったな!もう家から出ていけ!」と激怒しました。が、庄屋も働き者のお竹どんが出ていかれては困るし、お竹どんも行くあてもないし、その後もお竹どんは庄屋の家で働き続けました。





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最終更新日  2020.04.08 06:27:27
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