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2021.02.12
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: 西南戦争
西郷菊次郎療養の地に来ました。

明治10年2月17日高瀬(熊本県玉名市)の戦いで右足に銃創を負った菊次郎(奄美大島で愛加那(アイカナ)との間に生まれた隆盛の長男、17歳)は、延岡陥落を前に成就寺に開設された薩軍野戦病院に入院していましたが、西郷が児玉熊四郎宅に本陣を置くと、その隣りの児玉惣四郎宅(写真左)に身を寄せました。後に台湾宣蘭市庁長、京都市長などを歴任しました。(ブログ写真旅紀行より)



 当時十七歳であった菊次郎は二月、熊本の高瀬の戦いで負傷し、北川町俵野の「児玉惣四郎宅」で療養中。「そこに女性が訪れ看病したのが、西郷隆盛の妻:イト(糸)であった」。西郷さんの孫で、参議院議員として法務大臣を務めたこともある「西郷吉之助」の証言。イトの実子でなかった菊次郎を看病した家族愛。

年譜(Wikipediaより)
1861年(万延 2年) 1月2日 - 西郷隆盛と龍一族佐栄志の娘”愛加那”の長子として奄美大島龍郷にて誕生。
1869年(明治 2年)- 鹿児島市の西郷本家に引き取られる。
1872年(明治 5年)- 12歳にしてアメリカ合衆国に留学。農業学を学ぶ。
1877年(明治10年)- 西南戦争に従軍。右足を被弾し膝から下を失う。叔父で陸軍中将の西郷従道の元へ投降。
1884年(明治17年)- 外務省入省。米国公使館勤務。
1887年(明治20年)- 再度アメリカ合衆国留学
1890年(明治23年)10月24日 - 宮内省式部官、奏任官三等[7]
1895年(明治28年)- 台湾台北県基隆宜蘭支庁長に就任
1897年(明治30年)- 台湾宜蘭庁長官に就任
1904年(明治37年)10月12日 - 2代目京都市長に就任
1912年(明治45年)- 島津家山ケ野金山鉱業館長に就任。
在任中は夜学校を開き、自費で武道場を建てるなど、青少年人材育成と地域づくりに多大な貢献[3]をし、在任8年目の1920年(大正9年)に辞職した。
1928年(昭和3年)11月27日に鹿児島市薬師町の自宅で心臓麻痺により死去した。満67歳没。





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最終更新日  2021.02.12 00:00:17
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