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ジョンリーフッカー @ Re:Stray Cats(04/06) お久しぶりです。私も大好きです。
August 7, 2007
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カテゴリ: カテゴリ未分類
PaulのBass Guitarと言えば、とりもなおさず、ヴァイオリン・ベースを思い出されるが、メーカーがどこだったかは意外と知らない(のは自分だけかも知れないが)。また通称がヴァイオリン・ベースではなく、デビュー前から演奏していた「キャバーン・クラブ」で使用したいたのでキャバーンベースと呼ばれていたことも知らなかった。
学生の頃使っていたヴァイオリン・ベースはグレコ製。ヘッドが重くていつもネックを支えていないと弾けないベースだった。

カール・ヘフナー500/1(Karl Hofner 500/1)(1本目 1961年製)
http://www9.ocn.ne.jp/~w-and-b/beatles/phofner.html

最初に入手した左利き用500/1。デビュー前よりキャバーン・クラブなどで使用していたため、通称キャバーンベースとして知られる。ヘッドのロゴが縦書きになっているタイプ。リア・ピックアップがフロント・ピックアップのすぐ隣についており、二つのピックアップの間隔が狭いことが2本目との最大の違いである。それまでビートルズのベーシストだったスチュアート・サトクリフが脱退しポールがベーシストに転向するにあたり、ハンブルクの楽器店で購入。ヘフナーを選んだ理由としてフェンダーベースより格段に安価であったこと、左利き用のベースがこのヘフナーしかなかったこと、シェイプが左右対称で左利きのポールが持っても違和感がなかったこと、ボディシェイプが「ビートルズ」の由来であるカブトムシ(Beetle)に似ていることなどが挙げられている。またショートスケールで弾きやすい上に、ベースとしては非常に軽く、肩がこらないため気に入っていると言われている。1963年に2本目のカール・ヘフナーを購入後は、コンサート時にスペアとしてバックステージに待機させていた。1965年頃には赤みの強いサンバーストの再塗装を施し、破損していたピックアップのエスカッションを作り直す。1968年にはシングル「レボリューション」のレコーディングで久しぶりに使用し、同曲のプロモーションビデオでも使用。さらに1969年の「ゲット・バック・セッション」でも使用していた。「ゲット・バック・セッション」終了後に盗難にあったとされており、現在ポールはこのベースを所有していない。

カール・ヘフナー500/1(Karl Hofner 500/1)(2本目 1962年仕様の1963年製)
2本目に入手した左利き用500/1。1963年10月頃入手。ヘッドのロゴが横書きの筆記体になっているタイプ。二つのピックアップの間隔は1本目より広めになっている。ポールのトレードマークとして有名になったのはこの2本目である。1964年まではレコーディング・ステージ双方においてポールのメインベースとして使用された。1965年にリッケンバッカー4001Sを手に入れてからはレコーディングに使用される頻度が減ったが、ステージに於いては1966年にコンサート活動を停止するまでメインベースとして使用された。1966年8月のビートルズ最後のアメリカツアーではジョージのエピフォン・カジノとともにピックガードが取り外された(ポールによるとその後ピックガードは紛失した)。1967年、シングル「ペニー・レイン」のプロモーションフィルムに登場して以降はレコーディングに使用されることもなく表舞台にも一切出なかったが、1969年の「ゲット・バック・セッション」で1本目とともにメインベースとして再登場し、アップル屋上でのライブでも使用された。ビートルズ解散後およびウイングス結成後は、レコーディング・ステージともにリッケンバッカー4001Sをメインにしていたため表舞台に出ることはなかった。1974年頃のウイングスのリハーサル風景を撮影した写真の中でアンプに立てかけてあったり、ギタリストのジミー・マッカロックが逆さにして弾いているショットが残されているが、ウイングス時代を通してレコーディングに使用されたことは一度もないと思われる。
1980年、ソロ名義で発売されたヒットシングル「カミング・アップ」のプロモーションビデオの中でポールがビートルズ時代の自身に扮し、このヘフナーを抱えて登場。続いて1982年の「テイク・イット・アウェイ」のプロモーションビデオでもこのヘフナーを演奏したが、レコーディングには使用されていないと思われる。
1989年、アルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッションにおいて、共作者のエルビス・コステロの勧めで再びヘフナー使用を決意。この際に本格的なリペアを施し、「マイ・ブレイブ・フェイス」「ディス・ワン」などの主要曲のレコーディングに使用。続いておこなわれたワールドツアーでは、1969年のアップル屋上ライブ以来20年ぶりにライブ演奏に使用し、ビートルズ時代のヒット曲も多数演奏した。1993年の2度目のワールドツアーからはメインベースとして、ウイングス時代の曲もヘフナーで演奏するようになり、以降コンサート・レコーディング双方に於いて再びメインベースとして使用され続けている。
なお、1993年の2度目のワールドツアーまで、ボディーサイドに1966年のビートルズ最後のコンサートツアーのセットリストが貼ってあったが、現在は剥がされている。この他にも、最近のポールのツアーでは新しいヘフナー(ピックガード付き)がスペアとして常備されているが、実際にポールが使用している写真などは確認されていない。
また近年、1964年頃にカール・ヘフナー社からポールに贈られたとされるゴールド・パーツ付きのヘフナーがオークションに出品され高額で競り落とされたが、ポール自身はこのヘフナーを「所有したことがない」と明言。実際にポールに贈られたことは事実のようであるが、このヘフナーを手にしている写真などが一切存在せず、また本人はまったく覚えていないらしい。本人が使用することなく他人に譲ったのか、ポール自身の手に渡る前に第3者の手に渡ったのかなど真相は一切明らかになっていない。

リッケンバッカー4001S(Rickenbacker 4001S)(1964年製)

ウイングス解散以降もレコーディングやプロモーションビデオで使用され、1984年の映画「ヤァ!ブロードストリート」にも登場したが、1989年のアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」レコーディングセッション以降はほとんど使用されていない。ただし、2002年からのワールド・ツアーではサブとしてスタンバイされており、同年の日本公演にも1966年同様持ち込まれていた。なお、現在の写真を見るとリアピックアップが再びホースシュー・タイプに交換されているようである

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





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Last updated  September 17, 2007 11:52:15 AM
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