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(引用開始)小室哲哉容疑者 世界進出で挫折…借金も15億円超11月4日15時0分配信 毎日新聞 数々のミリオンセラーを世に送り出した希代の音楽プロデューサーが地に落ちた。著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺容疑で4日午前、大阪地検に逮捕された小室哲哉容疑者(49)。90年代、Jポップ界に「小室ブーム」を巻き起こし、長者番付にも名を連ねた小室容疑者だが、最近は15億円以上の借金を抱えていたという。転落の原因の一つとなったのは世界進出の挫折だった。【藤田剛、林田七恵】(中略) 98年1月、小室容疑者は「アジアに総合娯楽事業を」との触れ込みで、香港に音楽制作会社「ロジャム・エンターテインメント」を設立した。中国や香港、台湾などのアーティストをプロデュースし、アジアでの市場開拓が狙いだった。 当時、小室容疑者はJポップ界の頂点をすでに極めていた。TRFや安室奈美恵さん、華原朋美さんらの曲を次々にミリオンヒットさせ、96年の高額納税者番付は芸能界トップの全国4位。推定年収は20億円と言われた。次の目標はアジア、欧米へと向き、ロジャム社がその足がかりとなるはずだった。(中略) 結局、小室容疑者は04年、持ち株をすべて売却し、会長職を辞任。経営からの撤退を余儀なくされた。「小室は香港の事業に数百億円をつぎ込み、ばく大な損失をこうむったらしい」と話す関係者もいる。 海外に重点を置いてからは、国内の小室人気も陰りを見せる。00年以降は目立ったヒット曲が生まれず、消費者はすでに「小室サウンド」に飽き始めていた。01年には吉本興業と契約したが、大きな実績も残せず、07年に契約を解消した。 一方、小室容疑者の派手な生活や事業への投資は続き、借金ばかりが増えていった。小室容疑者関連のイベント企画会社「トライバルキックス」が、サッカーJ1「大分トリニータ」のスポンサー料を滞納したり、離婚した前妻への慰謝料の未払いが発覚するなどスキャンダルも続発。最近ではロサンゼルスの豪邸や高級外車などをすべて売却し、年間2億円を超えるヒット曲の印税収入も、大半が債権者に差し押さえられていたという。 ◇小室プロデューサーが手がけた主な曲◇■「My Revolution」(86年、渡辺美里)■「Get Wild」(87年、TM NETWORK)■「EZ DO DANCE」(93年、trf)■「恋しさと せつなさと 心強さと」(94年、篠原涼子)■「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」(95年、H Jungle With t)■「DEPARTURES」(96年、globe)■「I’m proud」(96年、華原朋美)■「CAN YOU CELEBRATE?」(97年、安室奈美恵)※敬称略。( )内は、提供年、提供アーティスト(引用終了) これはびっくりした。マケインがオバマを大逆転して大統領に当選!!というニュースよりも驚きですよこれは。 とはいえ、後知恵とは言え、なんとなくこういう事件を起こすんじゃないかという気もしてたんだけど。 僕は邦楽のCDは買ったことがないけど、世代としては全く「小室世代」に属するんじゃないかと思う(歳サバ読みすんなとかいうツッコミはなしということで)。普通にテレビを見ていたら嫌でも耳に入って来ていたし、研究室でも割合CDとか買ってた人がいてダビングとかさせてもらってたもんな。最近じゃ音楽なんてCD買うもんじゃなくてインターネットや携帯でダウンロードするもんなのだろう。作曲家とかもうからないんだろうな。著作権ビジネスというのも今的といえばそうだ。 ドイツに留学したばかりの頃に行っていた語学学校には台湾から交換留学で来た女子大生がたくさんいたが、僕に「TKサイコー」とか言っていたのを思い出す。TKってなんじゃそれ?と聞き返したら小室哲哉のことだった。彼女たちみたいなのを哈日族(ハーリーズー)とかいうそうだけど、それだけ外国でも人気があったということなんだろう。 それが逆に転落へのきっかけになったというのなら皮肉なものだ。やっぱり中国ビジネスはリスクも大きいのかね(ちょっと違うか)。ていうか本人の生活態度とかに問題があったのか。・・・・・・・ たぶんもうすぐ黒人初のアメリカ大統領(予定者)が誕生するんだろうけど、なんかケネディと同じ運命をたどるんじゃないかという気が・・・・。ぼそり。
2008年11月04日
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・・・あっ、そう・・・・・。 ↑こういうの書いてる人たくさんいるんだろうな。 しかしまあ「あ、っそう」くらいの感想しか出てこない。福田(前)首相がやめると言い出したときは確かに驚いたが。しかしまあ麻生さんに代わって何か変わるんですかね。それをいうなら民主党政権になってもねじれ国会が逆転するだけでさほど変わらないんじゃないかと思うのだが。それにしても3年で首相が3人交代か。なんか昭和10年代を見ているような。 イスラエルでは金の絡んだ汚職を追及されていたエフード・オルメルト首相が、僕がイスラエルに発つ前日に9月での退陣と与党党首辞任を発表し、先日後継党首に女性のリヴニ外相が選出されたばかり。連立交渉が順当にいけばこの人が第四次中東戦争(1973年)当時のゴルダ・メイール(メイアー?)以来の女性首相になるわけだが、女性といいながらなかなか強面そうな人だそうで、中東和平が好転する目はないという観測だそうだ。 ドイツでは大連立の与党SPD(社民党)のクルト・ベック党首が今月はじめに突然2年務めた党首の辞任を発表。この人はラインラント・プファルツ州の州首相を14年も務めている人だが、州の外での人気は芳しくないのか、世論調査では知名度も支持率も低空飛行で、このままでは来年の総選挙でメルケル首相を擁する連立相手のCDU(キリスト教民主同盟)に大きく水をあけられしまいそうだった。 そこで来年総選挙では自分が党の顔である連邦首相の候補にならず、シュタインマイアー外相(官僚→シュレーダー前首相の補佐官という経歴なので、連邦議会に議席がない)に譲らざるを得なくなった。そのついでに「党首やーめた」と言い出したそうだ。辞任の理由のひとつにマスコミによるミスリードを挙げていたが、マスコミ嫌いなところなどは福田前首相あるいは小沢さんに似ているかもしれない。 どこの政治家も似たようなもんか。世界は金融不安だそうだが(僕はそれ以前に金欠だが)、経済はもはや政治でどうこう出来やしないんだろうな。
2008年09月24日
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北京オリンピックの聖火リレーは予想通りというかいろいろあったわけですが、いよいよ日本(長野)に来ますねえ・・・・。 前のアテネ五輪のときに古代オリンピックについて書いたのだが、今話題の聖火リレーのほうは古代もあったのかな?? ・・・と思って調べると、結論としては「なかった」。ただし、オリンピックの際は休戦が定められており、それを触れ回るためにエリスの町からオリーブ冠をかぶったランナーがギリシャ各地を走り回った。オリンピック休戦は全ギリシャ世界からの安全な競技の参加や観戦を保証するためである。 ただアテネにはたいまつを持って走り回る競技があり、それはたいまつの火を消さずにいかに早くゴールに到達するかという競技だった。だから今回の聖火リレーみたいに火を消そうと妨害するのは案外伝統的なやり方なのかもね(んなわけないか)。・・・・・・・ 最初の聖火リレーが行われたのは1936年のベルリン・オリンピックだったことはだいぶ知られていると思う。ではそのときの聖火リレーはどういうものだったのだろうか。 ベルリン・オリンピックはナチス・ドイツがその国威を示すために盛大に行われたオリンピックだったことは知られているが、聖火リレーもまたそのプロパガンダの一角を担っていた。考案したのはドイツ・オリンピック委員会会長カール・ディームといわれている。ナチスは五輪発祥の地ギリシャとドイツを結ぶ聖火リレーを盛大に行うことにより、国家社会主義がギリシャ以来のヨーロッパ文明の正当な後継者であることを視覚的に示そうとしたのだという。 もっとも、既に書いたように古代オリンピックに聖火リレーはなかったわけだし、聖火自体は1928年のアムステルダム五輪からすでにメインスタジアムで燃やされるようになっていたので、それを発展させたものといえる。 しかし挙行したのがナチス・ドイツということで、今回の北京五輪の聖火リレー同様、この第一回聖火リレーも波乱に満ちたものとなった。 1936年7月20日、古代オリンピックが行われたオリンピアの遺跡で、古式に則り?鏡を使って聖火は採取された。聖火はドイツの軍需企業であるクルップ社が製作し、木と金属を組み合わせたオリーブの葉の形をしたデザインである。オリンピアからアテネ、デルフォイ、テッサロニキ、ベオグラード、ブダペスト、ウィーン、プラハ、ドレスデンを通り、7ヶ国、総計3187kmを3331人の聖火ランナーを使って(今みたいに飛び飛びじゃなかったのね)、12日間でリレーするというものだった。 沿道では教会の鐘が打ち鳴らされて雰囲気を盛り上げ、演説や国歌斉唱、国旗掲揚が行われたが、もちろんその主役はナチス・ドイツの国歌や国旗であった。この聖火リレーから5年後の1941年4月、ギリシャやユーゴスラヴィアはドイツ軍の侵攻を受け、再び町中がナチスの鉤十字の旗で満たされることになる。 抗議行動は早くもギリシャで始まっていた。ギリシャ共産党青年部は聖火リレーを妨害しようとしたが果たせなかった。次のユーゴスラヴィアでも抗議活動があったが、警察により押さえ込まれた。7月29日、オーストリアの首都ウィーンでは大歓迎を受けたが、オーストリア・ナチス党はドイツとオーストリアの統合を主張するデモを近くで行って聖火リレーを妨害した(1938年にオーストリアはドイツに併合される)。 チェコスロヴァキアでも聖火リレーは妨害を受けた。というのは、ドイツが作成した聖火リレーのルートをあしらったポスターには、チェコスロヴァキア領のうちドイツ系住民の住むズデーテン地方がドイツ領として表現されていたからである。ズデーテン併合はヒトラーの主張の一つであり、現実にこの2年後にチェコスロヴァキアごとドイツに併合されることになる。プラハではデモ隊が聖火を消すことに成功したが、警官隊により鎮圧された。 7月31日、聖火はチェコスロヴァキア・ドイツ国境を越えた。沿道にはナチス突撃隊員が配置されて鉤十字の旗が打ち振られナチス党歌が鳴り響き、リレーを盛り上げた。8月1日に聖火はベルリンに達し、2万人のヒトラー・ユーゲントと4万人の突撃隊員が待つオリンピック・スタジアムに到着した。興奮する会場の大群衆の前で、ナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスやヒトラー・ユーゲント全国指導者バルドゥール・フォン・シーラッハらが演説を行った。この様子はレニ・リーフェンシュタールの記録映画「オリンピア」で再現されている。 最後のランナーである陸上選手フリッツ・シルゲンにより聖火は点火され、ベルリン五輪の期間中、競技場の聖火壇で燃え続けた。・・・・・・・・ さて、長野での聖火リレーはどうなるのだろう。突撃隊員みたいなのが沿道にいたりするのでしょうか。抗議はするにしても、平穏に終わるといいですが。
2008年04月24日
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(引用開始)「ネアンデルタール人の演説」=米の温暖化対策提案を酷評-独環境相4月17日23時33分配信 時事通信 【ベルリン17日時事】ドイツのガブリエル環境相は17日、ブッシュ米大統領が発表した温室効果ガス排出をめぐる中期目標について、ドイツで発見された化石人類にたとえ「ネアンデルタール人の演説」と酷評した。 同環境相は声明で、「工業国による強制力ある上限や削減目標の設定なしに、気候変動は止まらない」とした上で、「欧州や米国が先行しなければ、他の国々はついて来ない」と強調。大統領の演説は、昨年の国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)や独ハイリゲンダム・サミット(主要国首脳会議)の合意より後退していると失望感を示した。 (引用終了) 最近「エコエコ」ってうるさい気がしていて、呪文というか環境ファシズムというか煽り過ぎじゃねーのという気分があって、あまりエコエコいいたくないのだが、今のままじゃ地球が駄目になるんじゃないかという危機感は僕も持っている。だからアメリカ(とか中印)の対応はいかにもまずいように思う。 さてこのジグマー・ガブリエル環境相、環境相になる前はテレビの討論番組とかにも出ていてなかなかの論客のようなのだが、ニーダーザクセン州の選挙ではあえなく敗れて浪人していたところをメルケル内閣の環境相として入閣した経緯がある。社会民主党(SPD)では左派に属し、どちらかというと反米傾向の強い人だけに、この酷評はいかにも言いそうだなあと思う。 「ネアンデルタール人の演説」というが、果たして3万年前に絶滅したといわれるネアンデルタール人は会話が出来たのか? ガブリエル環境相はこのニュースを見たのかどう知らないが、ちょうどネアンデルタール人の言語能力に関するニュースが報じられている(英語の元ニュース)。アメリカ、フロリダ・アトランティック大学の人類学者ロバート・マッカーシー氏は、シンセサイザーを使ってネアンデルタール人の骨格などからその「声」を復元することに成功したという。といはいっても復元作業で公表されているのは「E」の発音のみなんだが・・・。このニュース記事からその声を聞くことも出来る。 結論から言うと、ネアンデルタール人は母音、とりわけ舌の大きな動きを要する長母音の発音の使い分けが出来ていなかったらしい。引用したニュース記事に従いドイツ語の例で言うと、hier(ヒーア=ここ)、hör(ヘーア=聞け)、Haar(ハール=髪)、her(ヘーア=~から)を全て同じように発音していたらしいということである。ネアンデルタール人の舌が発見されたとは思えないので、多分骨格から復元されうる口腔の構造上、そのように判断できるということなんだろうけど。 微妙な発音が出来ないということは語彙も限られているだろうし、ネアンデルタール人の言語によるコミュニケーション能力は現生人類のそれに比べ著しく制限されていたと結論できるという。つまり今の我々が使っているような言語能力は、ネアンデルタール人以後、つまりここ数万年のうちに獲得されたものであるということらしい。 現生人類は特に耳がいいということになるのだろうか。いやまあ、最近はパソコンとかやかましい音楽のせいで退化してるように思えるんですが・・・。 ともかくガブリエルさん、「ネアンデルタール人の演説」ってありえないらしいですよ。・・・・・・・・・・ 以下は雑談。 よく通俗的なドイツ文化論の本とか見てると、ドイツ人と日本人を比較して、「日本人は目で見る民族、ドイツ人は耳で聞く民族」とか定義しちゃって、その証拠に「日本では視覚や色彩に訴える芸術(=絵)が発達したのに対して、ドイツでは耳で聞く芸術(=音楽)が発達した」なんていうんだけど、実際そんなに差があるんですかね。ドイツ人の服装センスがひどい(ひどかった)からそんなこと言ったのかもしれないが、近代ドイツ絵画とか見てると光の感覚とかは日本絵画よりもずっと鋭いですよねえ。 しかも両民族がそう発達した理由に、「日本人は海洋民族で、遠くを見るために目が発達したが、ドイツ人は森林の狩猟民族で、遠くの見通しが悪いため音で聞き分けたから耳が発達したからだ」なんていうもっともらしい説明までついたりしてるんだが。発想は面白いけど、どうなんだろうね。トンでも説と言っていいと思うんだが。 ただ、日本人がドイツ語(とかトルコ語)を習うときに結構泣かされるのが発音だったりする。英語でもそうだろうけど、RとLは違う音だけど、日本語じゃ同じだしね。よくトルコ人にからかわれたものだ(なまじトルコ語が出来るからかえって変に聞こえるんだろう)。 たとえばドイツ西部の都市Kölnは日本語で書くと「ケルン」だけど、「ケルン」と言って一応は(文脈とかから)ちゃんと通じるとはいうものの、実は正しい発音していないことになる(僕はもうあきらめてカタカナ発音に近いのでやっちゃってますが)。あとBonnも、日本語式に「ボン」というのは厳密には間違いで、nとnnは違ったりしているらしいんだなこれが。 ただこれは日本人の耳が劣るというのでは決してなくて、単なる慣れとか教育の結果じゃないかなあと思う。耳がいい人は語学の習得に向いているというのはあると思うけど。 考古学者の故・佐原眞氏は、日本文化で発達しなかったものの一つに嗅覚を楽しむことを挙げていたが、確かに香道という例外はあっても、映画「パフューム」に描かれているみたいな香水は全然発達しませんでしたね。これはまあ清潔好きという誇るべき性癖の結果、悪臭を消す必要がなかったからじゃないかとも思えるんだが。僕なんかは結構鼻が利くほうだし、においも日本人にしてはきつい方らしいんですが・・・・(泣)。考古学千夜一夜 まあドイツ人の舌(言語能力じゃなくて味覚という意味ね)が低能だというのは結構当たってるんじゃないかと思いますがね。ひひひ。
2008年04月17日
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なんだか最近手抜きが目立つが、これまた看過出来ないニュースに接したので記録。ニュースの切り貼りばかりで自分のオリジナル文がほとんどないのだが。 では最初。(引用開始)殺人 ホームから落とされ男性死亡、18歳少年逮捕 岡山3月26日16時37分配信 毎日新聞 25日午後11時5分ごろ、岡山市駅元町のJR岡山駅の山陽線ホームで岡山県倉敷市笹沖、県職員、假谷国明さん(38)が男に突き飛ばされて線路に転落し、入ってきた福山行き下り普通電車にはねられた。別のホームにいた岡山県警鉄道警察隊員が列車の警笛に気付いて駆け付け、ホームにいた大阪府大東市の無職少年(18)が「自分が突き落とした」と認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。假谷さんは病院に搬送されたが、全身を強く打っており約5時間後に死亡。県警岡山西署は殺人容疑に切り替え調べている。少年は「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」などと供述しているという。 調べでは、少年は25日夜、岡山駅で電車がホームに入ってきた際、ホームの線路寄りに立っていた假谷さんの背中を突き飛ばし、線路に落とした疑い。ホームには帰宅途中の乗客らがおり、「少年が假谷さんを突き落とした」との目撃情報が複数あった。少年と假谷さんに面識はなく、少年は岡山に初めて来たという。 少年は「誰か人を刺してやろう」と思い、兵庫県姫路市の網干駅で私鉄からJR線に乗り換え、同日午後7時ごろ、岡山駅に到着。駅の外へ出るなどしたが決心がつかず、その後140円区間の切符を買って再び駅構内に入った。 ホームで電車待ちの列の先頭にいた假谷さんに左後方から近づき、背中を無言で突き飛ばしたとみられる。逮捕時、少年は白いシャツと黒のズボン姿。ショルダーバッグに、現金3560円と自宅から持ち出した果物ナイフ(刃渡り12センチ)が入っていた。(以下略) (引用終了) ひええええ、荒川沖の次は岡山・・・。僕とゆかりのある駅で続いて『「誰でもいい」殺人』が起きた。いったい日本はどうなっているんだ。次にこういう事件が起きる駅は土浦か、豪徳寺か、それともフライブルクか、マールブルクか、フランクフルトか・・・。 普通に街を歩いていてこういう目に遭うというのは、運不運とかいう話じゃ済まされない。刑務所に行きたいからといって人殺すことねえだろ。殺された方とそのご家族が不憫でならない。もう何て書いていいのやら・・・。 次。(引用開始)<チベット暴動>日本ペンクラブが声明 「中国の弾圧憂慮」3月26日12時15分配信 毎日新聞 日本ペンクラブ(阿刀田高会長)は26日、中国チベット自治区ラサで起きた暴動について、言論表現の自由と人権尊重を求める声明を発表した。中国大使館に文書を郵送する。 声明文によると、「中国当局が抗議行動の厳しい弾圧を行っている」と憂慮。中国政府に対し、「自制をもって対応し、事態究明のため、国際機関の調査を受け入れること」などを要請している。 (引用終了) うん、まあ憂慮するのはいいんだけど、言論の自由を標榜する割にずいぶん腰が引けてますねえ・・・。「真相がまだ明らかになっていないから」「一方的に中国政府を責められない」からだろうか。 「真相」なんて、ほっといたらこのままうやむやにされてしまうように思うんだが。いくら「暴徒」だからって、いきなり射殺してしまうのも「内政問題」だから口出せないんだろうか。せめて「抗議」くらい出来ないんですかね。別に「国境なき記者団」みたいに聖火リレーを妨害しろとは言わないが。本当かどうか知らないけど、日中記者協定とやらのせいで、日本のマスコミはこの程度の記事も書けないんでしょうかね。 やり手の中国共産党政府に「誠意」とか「信義」を求めることが、いかに徒労か(ただし向こうは聞こえのいい言葉を使って求めてくる)という認識が世界中に広まるのは、いいことだと思いますけどね。そういうのも国とか政府のあり方の一つだろうから、僕個人は好きではないけど、明らかな非道でもない限りまあそれを非難するのも筋違いだとは思う。今回のチベットの件(と取材統制)は明らかに不法だから、あちらの対応一つ一つについて是々非々で答えれば良いと思う。 対立はまずいけど、変な「思いやり」(「相手の嫌がることをしない」とか)は長期的には日中関係をかえって損ねるだけだと最近は思っている。5月の胡主席の来日の際に、誰がどんな顔をしてどんな言動をするかよく見ておきたい。 深刻な話題の次はこれ。(引用開始)ブログの4割は「迷惑ブログ」――ニフティ調査3月26日14時19分配信 ITmediaエンタープライズ ニフティは3月26日、国内のブログ記事の4割が「迷惑ブログ」に分類されるという独自調査の結果を公表した。アフィリエイト広告収入や特定サイトへの誘導が目的で、同社では「無意味なコンテンツ」と定義している。 同社では、独自開発のブログ記事判別ツールやブログ評判分析サービス「BuzzPulse」を利用して、2007年10月~2008年2月に投稿された約4億5000万本のブログ記事から10万本をサンプル抽出して「迷惑ブログ」の割合を調査。5カ月平均では約4割の4万本が該当することが明らかになった。 迷惑ブログは、ほかのブログ記事やニュースサイトの記事を引用して記事を自動的に大量生成して投稿する「自動生成系」、わいせつ記事や出会い系サイトの告知、ワンクリック詐欺サイトに関する情報を記載した「アダルト系」に大別されるという。 特に自動生成系は、アフィリエイトでのクリック数水増しやサイト訪問者数の増加による広告収入の拡大を目的にしており、同様の内容の記事が大量に出回ることで、インターネットやブログサービスの利用者に多大な迷惑をかける存在になると同社では分析している。(引用終了) 一時期、一見すると僕の書いた日記の内容に関係するけど、いざ訪れてみたら単にリンク集だけというブログからずいぶんトラックバックされたことがあったが、こういうロボットブログがブログスフィアの4割も占めていたのか。元手がタダだからか、いろいろ考えるもんだな。こういうののさばってるとブログ意欲も萎えるなあ。 いろいろサービスに問題もある楽天は、逆にこういうロボットブログの巣にされることは少ないみたいなのだが。ちなみに今このブログは楽天ブログ利用者以外からのトラックバックを受け付けておりません。まあ最近はトラックバックとやらもされなくなったけど。 しかしまあ今日みたいなニュース切り貼りブログだと、こうしたロボットブログと変わらんなあ。次はオリジナルな内容でいきましょう。
2008年03月26日
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(引用開始)<通り魔>手配男が通行人8人刺す 1人死亡 土浦のJR駅3月23日21時19分配信 毎日新聞 23日午前11時ごろ、茨城県土浦市荒川沖東2のJR常磐線荒川沖駅付近で、若い男が男女8人の頭や首などを次々に刺した。同県阿見町うずら野2の会社員、山上高広さん(27)が死亡、2人が重体。男は、県警が別の殺人事件で全国に指名手配中の無職、金川真大(かながわ・まさひろ)容疑者(24)=土浦市中村東3=だった。 5人は駅改札近く、2人はショッピングセンター「さんぱる長崎屋」への通路、1人は通路を下りた所で刺された。金川容疑者は数分間に、意味不明のことを叫んで走って移動して刺した。改札近くで刺された1人は、金川容疑者の逃走を警戒中の捜査員だった。 金川容疑者はその直後、駅西口から約300メートル離れた交番で土浦署に「私が犯人です」と連絡し、急行した警官が午前11時16分に逮捕した。交番は当時、無人だった。黒っぽいスーツにネクタイ、ニット帽姿で、文化包丁とサバイバルナイフを所持。逮捕された時は両方とも投げ出し抵抗しなかった。 逮捕容疑は19日午前9時15分ごろ、土浦市中村南5の無職、三浦芳一さん(72)宅前で、三浦さんの首を刃物で刺して失血死させた疑い。「人を殺したかった。誰でもよかった」と三浦さん殺害を認め、8人殺傷も認めている。「(変装のため)東京で髪の毛を丸刈りにした」「ナイフは携帯サイトで購入した」と供述している。 県警は三浦さん宅前にあった自転車から金川容疑者を割り出し、21日に指名手配。金川容疑者は19~22日は東京都内のホテルに宿泊し、22日は秋葉原にいたという。 22日午後には、荒川沖駅周辺から携帯電話で「早く捕まえてごらん」と110番し、JR取手駅周辺からも110番に無言電話をしていた。県警は170人体制で警戒、荒川沖駅にも私服捜査員8人を配置していた。 殺人容疑で手配中の容疑者が殺人事件を起こすのは極めて異例。(以下略)(引用終了) 怖えな・・・・。警官8人いても止められないのか。その場で犯人射殺なんて出来ないのかね。周りに通行人がいるから無理か。切りつけられた人たちは訳が分からなかったろう。怖かっただろう。僕ならもちろんその場から遁走するだろうが、足がすくんで逃げられなかったかもしれない。 それにしても「誰でもいいから殺したかった」とはなんという言い草だ。人間を殺してみたけりゃおのれを殺せよ。でもこういうのに限って自己愛は強かったり、裁判で死刑にならなかったりするんだろ。 こういう基地外はいつの時代にもいると思うので、安易にこの犯人の趣味だったというゲームとか社会のせいにしたくはないのだが・・・、やはり考え込んでしまう。 この事件の内容そのものも衝撃的だが、実は舞台となった駅は昔よく利用してたのでもっと驚いた。まあ僕が利用していたのは主に反対側の西口だったが、改札は東西双方の出口の間にあるので最初の犯行場所は僕も歩いていた。あと事件の舞台となった東口で踊ったことがあるんだが・・・。 つくばエクスプレスが開通したのでもう常磐線を使うことはないと思うし、荒川沖駅に行くことも多分ないと思うが、こういう忌まわしい事件が自分の思い出の場所で起こされるのはぞっとする。・・・・・・・・・ 忌まわしい話はともかく、雑記。 今日はトルコ料理つくりに挑戦。 ジャジュック(刻みキュウリ入りのヨーグルト・スープ)、イスケンデル・ケバブ(ドネル・ケバブのヨーグルトソースかけ)もどき、メネメン(トルコ風スクランブル・エッグ)、クルファスリエを作る。思ったより手際よく、おおむねうまく出来たが、イスケンデルもどきのソースはサルチャ(トマトペースト)の分量を間違えてやや変な味になった。 次はナスを使った品と、メルジュメッキ・チョルバス(レンズ豆のスープ)に挑戦したい。マントゥは面倒なのでまたの機会に。
2008年03月24日
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もともとオリンピックとかは全然興味がなくて、過去数回の大会のときは必ずトルコの田舎にいてテレビのない生活を送っていたせいで、オリンピック中継は見られなかったんだが・・・。 今回のは何であろうと見たくもない。「政治とスポーツは無関係」などという奇麗事をいわれても(スポーツだって金かかってんだから政治と無関係じゃあるまいに)、華やかな開会式とか見たら反吐が出そうだ。ボイコットには反対で、むしろ参加して意趣返し出来ればと思うんだが。 僕は中国文明・文化の愛好者を自任しているし(よく知らないからかもしれませんが)、政治的にも東アジアの安定のためには中国という国家は分裂しないほうがいいと思うのだが、せめてあの中央政権の嘘つき体質だけはなんとかならんものか。まああのような大きい国では誰が政権にあっても変わらんのでしょうけれども。 中国の経済成長なんてほっておけばあと10年?もすればしぼんで、むしろそれから後が日本も世界も巻き込んで大変なことになると思うんだが、そのときの日本の政権が今みたいに日銀総裁の後任すら決められず、毒ギョーザやチベットの件について何もいえないようじゃ困りますな。ドル体制もいよいよ崩壊するようですし(ユーロが現実以上に高評価なのはすごい迷惑だ)、世の中どうなっちゃんだろうねえ。 僕自身の先行きのことも含めて、お先真っ暗。結婚とか子作りってレベルじゃねーぞ。 ,, ―- 、_ / '' - ,, / '' - ,, / ヽ i / /ヽ ! ,i ./ / ''―、 ! i ,、 n て'' ノノ ヾ ! i ノノノ ノ ノ ''´ ! / i j ' ´ ノ ( ヽ | >-,, / ,,=━━・!' ,ノ━== ! ノ !・ ヽ | ’ニンniii、 :::::i/ィ7iii= i ) \(てi iヽ ^' ~ -' /} `i_ 、 \ i_ l_j `┐ i /(,,, ,n 〉 /\\ 物売るっていうレベルじゃねぇぞ!  ̄ ̄へ ! ' T'' l | \ | ! i ン=ェェi) i ソ ) | i´\! ,, -ェ`、_ン ノノ 〈 | | \\,, `―''´// | | つ !、_''''''''''''' / 7
2008年03月15日
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(引用開始)<コソボ>議会で独立宣言を採択 旧ユーゴは7カ国に分裂2月17日20時9分配信 毎日新聞 【プリシュティナ(コソボ自治州)小谷守彦】国連暫定統治下にあるセルビア共和国南部コソボ自治州の議会は17日、特別本会議を開き、セルビアからの独立宣言を採択した。米国や欧州連合(EU)加盟国の大半が独立を承認する見通しだが、セルビアやロシアは反発。国際社会の対応は割れ、対立が深まる恐れもある。 サチ自治政府首相はコソボの新憲法について、独立を容認したアハティサーリ国連事務総長特使の調停案に基づくと述べ、「コソボは独立した民主国家になる」と宣言。一方、少数派セルビア人の権利保護を強調した。 コソボはアルバニア系住民とセルビア人の民族紛争激化から10年後、独立国の歩みを始める。旧ユーゴスラビアはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、コソボの7カ国に分裂する。 地元紙が入手した新憲法草案によると、新国家名は「コソボ共和国」となる。「多民族国家」と位置付けられ、政権の世俗主義・無党派を掲げる一方、信教の自由をうたう。 コソボには約1万6000人の北大西洋条約機構(NATO)部隊が引き続き駐留し、欧州連合(EU)が約2000人の文民支援部隊を派遣する。新政府には国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)から警察権などが移譲される見通しだが、ロシアが反発すれば時間がかかる可能性もある。 セルビアのタディッチ大統領は17日の声明で「コソボ独立は認めない。外交的、法的手段で応じる」と対抗措置を警告した。コソボ北部のセルビア人居住地域では独自に議会を設立して離脱を目指す動きも出ている。 コソボでは98年、アルバニア系武装組織とセルビア治安部隊の戦闘が激化。NATO軍の空爆(99年)を経て国連暫定統治下に置かれた。セルビアは昨年2月に提示されたアハティサーリ調停案を拒否し、米、露、EUの仲介もまとまらず、昨年12月に交渉の期限が切れた。(以下略)(引用終了) 2006年にモンテネグロがセルビアから分離独立したとき、「欧州最後の新規独立国か」という日記を書いたけど(中身はただのモンテネグロ小史なので、興味のある方だけどうぞ)、2年も経たないうちに次の独立国が出来そうですな・・・。 「出来そう」というのは、モンテネグロの場合と違い一方の当事国セルビアが承認しておらず、しかも今回はその後ろにロシアという「怖いお兄さん」がついているからだけど(しかも1999年よりも強気で実際強くなっている)。 コソヴォについてはやはり去年「コソヴォ独立か」という日記を書いているだが、これまた日記の中身はただのコソヴォ小史メモで、現状分析とかでは無いので興味のある方だけ見てもらうとして、末尾を見てもらえば感じるかもしれないが、独立を否定的に捉えていた。まあ実際にセルビア人の知り合いがいるというのと、これまた実際に会ったことのあるコソヴォのアルバニア人(活動家?)というのがあまり感じのいい人ではなかった(ありていにいうと一種のたかり屋のような)という個人的体験も大きく影響しているのかもしれないが。 いや、独立自体はいいと思う。ただなあ、なぜ今かなあ?というのはある。国連の仲介が失敗して、もう待ちきれないからだろうか。先日セルビア大統領選挙があったからだろうか。もうすぐロシア皇帝が(顔だけとはいえ)交代するからだろうか。理想としては、セルビア、クロアチア、ボスニア、アルバニア、コソヴォのEU同時加盟で、と僕なんかは思うんだが(ただしセルビアとアルバニア加盟は今のところ見通しも立たず、無理に入れてもむしろEUを分解させかねない顔ぶれだが)、現地には熱い思いというのがあるのだろう。 セルビアにしてみれば、1999年に統治権を実質的にNATO(EU)に委譲した時点でもうコソヴォは手から離れていた訳だが。 よく「大国のエゴ」という言葉を聴くが、逆に大国が小国に引きずり回されることもなくはないわけで、たかだか100年前にセルビアはロシアとオーストリアを手がかりに世界大戦に引きずり込んでいった訳で(オーストリアの攻撃的外交もあって、いろいろな要素はあるのだが)、根本的にその頃と情勢は変わってないんじゃないかと思うこともある。 もちろん現在の同盟関係とか見ると、ロシア・セルビア連合は100年前よりもむしろ不利なのだが、ウクライナやグルジアを失いながらもその首根っこは掴んでいるので最近ロシアは妙に強気だし、1999年のコソヴォ紛争の際に実際にNATO軍とロシア軍が衝突しかけたというこういう記事を読むと、100年前のことと笑ってられんのだろうかとも思える。(記事の概要:1999年6月のコソボ紛争終了直後、セルビア治安部隊が撤退し軍事的空白が出来たコソヴォに、NATOとロシア双方が(当時平和維持軍を派遣していた)ボスニアから部隊を送り込み、ロシア軍に先回りされ首都プリシュティナの空港を押さえられたNATOのクラーク司令官は実力排除を辞さない構えだったが、前線で権限を持つイギリス軍のジャクソン司令官がロシアとの衝突を避けるため増派に抵抗して事なきを得た。ただしこのときのロシア軍の行動は多分にデモンストレーションで、すぐに補給が尽き、住民と食料を物々交換したり「仮想敵」NATO部隊に燃料補給を要請するありさまで、まもなく撤収を余儀なくされた) まあ、独立したコソヴォが平和でいられることと(セルビア人民族主義者が国境に殺到しているみたいですが)、先日大統領が瀕死の重傷を負う反乱が起きた東チモール(実質的にオーストラリアの保護国)のようにならないことを祈るばかりである。・・・・・・・・・ 独立といえば、沖縄で米兵による少女暴行事件がまた起きて問題になっているのに絡んで、ブログで「沖縄独立させればいいじゃん」と書く人がいる。米兵に限らず性犯罪は許しがたいし、うるさい基地を減らせられれば(無くせれば)良しと思うし、沖縄が独自の歴史と文化をもつというのもまた至極正しい主張だと思うのだが(去年の春に沖縄料理が短期集中型マイブームになった)、独立とはこれいかに。地球上に国がたくさんあったほうが面白いと思うけど、他にも独立させたほうが良くね?ってところはありますが。 ある方(僕はヘタレで面倒だから名指しで批判したくないのでリンクしない)の主張はこう。沖縄にはかつて独自の国家が存在し、そもそも日本ではなかった→当然の権利である独立をさせ、住民投票で米軍基地をなくす(あっても良いが、対等に)→米軍跡地にバイオマス燃料となるサトウキビを植え、地下海底資源もあわせて独立国としての経済的基盤を確立。東アジア交流のハブに→世界に冠たる環境立国だそうです。素晴らしい考えだと思う。琉球王国やアイスランド(非軍備の上、地熱発電や水力発電を利用しており再生エネルギーの利用率が極めて高い)のひそみに倣ったものか。 惜しむらくは沖縄がツヴァルやキリバスの位置にあったら・・・(そしたら日本に支配されることがそもそも無かったか)。同様に一見国際紛争と無縁なところと思えるアイスランドでさえ、2年前まで米軍基地の島だったし、水産資源をめぐってイギリスと猛烈な「タラ戦争」というのをやったわけですが(「非軍備」だから、「シーシェパード」みたいな体当たりやせいぜい砲撃くらい。平和ですね)、過去のことは過去のことですかねえ。まあ、独立国など史上存在しなかったコソヴォや東チモール(あったのかな?)よりは多少現実味があるかもしれません。 それはともかく、琉球王国というのも興味深い存在だが、そもそも国ってなんだろうと思う。「国家形成の考古学」というシリーズが刊行されているが、僕にとっても無縁なテーマでもないので、もっと突っ込んでみたいテーマではある。・・・・・・・ あと最近気になったのは、ドイチェ・ポスト(郵政公社)最高経営責任者クラウス・ツムヴィンケルによるリヒテンシュタインを舞台にした大規模な脱税の摘発か(日本でも流行の内部告発によるものみたいだが)。格差社会は世界のトレンドのようで、そのためドイツでも地方選挙(ヘッセン州、ニーダーザクセン州)で既成政党が後退して旧東ドイツ共産党系の「左派党」が両州で初めて議席獲得、となった。ところがその左派党の新議員が「ベルリンの壁は良かった。むしろ反動主義者を押さえ込むために新たにシュタージみたいなのを新たに作るべきだ」などと「空気読めない」大時代な発言して党内からもブーイング(この人は旧東ドイツの人ではないみたいだが)。どこの国も同じである。 あ、トルコで女子学生のスカーフ解禁になるみたいですな。そのトルコの首相はドイツに来て「ぎくしゃくするトルコ系市民とドイツ人共生のために、ドイツにトルコ語で授業する高等教育機関を作るべきだ」と講演して(どこかで聞いたような話ですが)、ドイツの保守系政治家から大顰蹙。そういや北イラクのクルド人の話どうなったんすかね。やはりどこも似たようなものか。 ところで、次の大統領はオバマで決まりなんですかね?
2008年02月17日
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もっと違う内容の日記を書きたいんだが、こういうニュース見てるとつい書かずにはいられなくなってしまうんだな・・・。(引用開始)<ミャンマー>治安部隊、無差別に発砲 日本人含む9人死亡9月27日21時42分配信 毎日新聞 【バンコク井田純】治安部隊のデモ鎮圧で死傷者が出ているミャンマーの最大都市ヤンゴンで27日、数千人の市民が各所で反軍政デモを決行、治安部隊はデモに対し無差別に発砲した。ミャンマー国営テレビは同日夜、デモ鎮圧で日本人を含む9人が死亡、11人が負傷したと報じた。ヤンゴン総合病院には負傷した欧米人とみられる外国人3人が搬送され、治療を受けている。死傷者は多数に上る模様だ。 反軍政デモは連続10日目。国際社会の非難が強まる中、軍事政権は強硬措置をエスカレートさせており、僧侶や市民の犠牲拡大が懸念される。 現地からの情報によると、治安部隊約200人は、デモ隊にゆっくりと近づき、無差別に発砲を始めた。群衆は逃げまどったという。 また、AFP通信が別の目撃者の話として伝えたところによると、治安部隊がデモ隊に対し、「10分以内に解散しなければ非常手段を取る」と警告したうえ発砲した。逃げ遅れた市民ら少なくとも100人が軍用トラックで連行された。(中略) 軍事政権は26日の流血鎮圧以降、民主化勢力への対決姿勢をさらに強めている。アウンサンスーチー書記長が率いる国民民主連盟(NLD)によると、NLDスポークスマンのミンテイン氏ら幹部2人が連行された。 今回の事態に関連し、軍事政権は27日の国営紙で「海外メディアが、事実をゆがめた報道によって抗議活動を扇動している」と非難した。 ミャンマー最大の反政府武装勢力、カレン民族同盟(KNU)は同日、反軍政デモを支持し、治安部隊による弾圧を非難する声明を出した。 一方、タイとの国境地帯からの情報によると、タイ国内のミャンマー人僧侶グループ約1500人が、反軍政デモに参加するため国境を越えてヤンゴンに向かったという。 (引用終了) 亡くなった日本人カメラマンの方にはお気の毒としか言いようがない。ビルマのことはよく知らないとはいえ(貧困や民族紛争とかを抱えている国である)、無防備のデモ隊に無差別発砲するような政権は、いかなる理由があろうと擁護することはできない(政府支配下の放送局は「デモ隊が投石した」と伝えているみたいだが)。 「海外メディアが、事実をゆがめた報道によって抗議活動を扇動している」といっても、この時代インターネットでいくらでも情報は行き交うし、現にこの日本人カメラマンが撃たれて倒れている写真まで世界中に配信されてるんですが・・・。ビルマでどのくらいインターネットが普及しているのかは知らないが、「Spiegel OnLine」では現在ビルマにいる人にネットを通じての目撃情報提供を呼び掛けている。 その「シュピーゲル」の記事をみていると、「おことわり」として「以後はミャンマーではなくビルマと呼称します」と書いてある。確かにおとといまでは「ミャンマー Myanmar」と表記していたものが、一斉に「ビルマ Burma/Birma」に替わっている。 「ミャンマー」という国名は1989年に現在の軍事政権が発布したもので、この政権の正当性を認めない反政府勢力は「ビルマ」という旧称を使い続けてきた。アメリカやオーストラリアなど軍事政権に批判的な国々も「ビルマ」と呼び続けている(あるいは「ミャンマー」との併記)。ドイツや日本の外務省は軍事政権を承認しているので「ミャンマー」という呼称に切り替え、国内メディアにもほぼ定着した。(「ウィキペディア」を見ると、日本国内のメディアでは朝日新聞や「週刊金曜日」が「ビルマ」との併記を続けているとあるが、朝日新聞のネット版を見ると「ミャンマー」しかないように見えるんだが?) ところがここ数日のドイツの主要メディアでは、軍事政権への抗議の意味も込めてこの国の呼称を「ビルマ」に替える動きが広がっているようだ。「公正中立」を建前とする日本のマスコミの立場からすると難しいのかもしれないが、むしろこれくらい旗幟を鮮明にしてくれた方がいいように思うのだが。 というわけで、僕もミャンマーではなくビルマと呼ぶ。・・・・・・・ ずっと気になっていたので「ビルマ」と「ミャンマー」の違いを「ウィキペディア」などで調べてみる。 「ビルマ」と「ミャンマー」はもともと語源は同じで、「バマー」という言葉に起源があり、バマーで最大の民族集団が自らの言語や土地を「ミャンマ」と呼んでいた。方言による唇の開け具合の差で、「バマー」の語頭のBがMyに変化したという。「ミャンマ」という語は早くも6世紀の記録には登場しているという。一方「バマー」のほうは主に口語で現在のビルマをさす言葉として使われていた。 19世紀にこの地を植民地にしたイギリスは、現地人たちが話す言語の「バマー」が英語風になまった「ビルマ」(英語だとBurmaだが、これは「バマー」の最初のaが曖昧に発音されることによる)という名をつけた。ビルマという呼称は世界中に広まったが、1920年代にイギリスからの独立運動が盛んになると、民族主義者たちは「ビルマ」に代えて文語の「ミャンマ」に言い換える運動を始める。しかし1948年のイギリスからの独立後も「ビルマ」という語は使われた。 1989年、軍部がクーデターで政権を獲得した。民族主義と社会主義をミックスしたような背景を持つ軍部は、「ビルマ」という呼称は植民地主義の名残りであるとしてこれを嫌い、1989年6月18日の政令15/89を以て国名を「ミャンマー」に改めた。同時に首都ラングーンも英国支配の名残りであるとして「ヤンゴン」と改められる。ビルマ語で「ミャン」という音は「団結」、「マー」は「固い」という意味があり、文語の「ミャンマ」に「固い団結」という意味を被せたような国名になった。国連などはこの新国名をすぐに受け入れた。 ところがこの「ミャンマー」という国名は国民に諮っていない一方的な命名だった上、文語名の「ミャンマ」という名称は135の「民族」集団がいるというビルマにあっては特定集団のみが属する概念であり(イギリスは民族間の対立を利用してビルマを征服した訳だが)、むしろ「ビルマ」の方が中立的であるという批判があった。同様にイギリス支配下の地名でもあった「ラングーン」は確かにビルマ語では「ヤンゴン」だが、アラカン族の方言ではラングーンと発音する。アウン・サン・スー・チーなどの民主活動家、少数民族カレン族など反政府の立場の人は、ミャンマーという国名の使用を拒否している。・・・・・・・ 国連は非難声明を採択しようとしたが、中国とロシアの反対で非公式声明にとどまったという。最近すっかり読まなくなってしまった「田中宇の国際ニュース解説」を見ると、今年1月にもロシアと中国の拒否権発動でビルマ非難決議が否決された、とある。田中さんの分析は相変わらず無茶苦茶というか「願望」に見えるんですが。 ともあれ中国は経済的・軍事的にビルマにきわめて大きな影響力を持っており、国連決議での拒否権行使などについても欧米メディアは詳しく報じている(記事)(記事)。そのせいか中国に対する風当たりが強く、読者コメントを見ると「ビルマに対して制裁を強化すべきですか?」という設問なのに、「北京オリンピックや中国製品をボイコットしろ」という意見がかなりある。 「ビルマに対する中国の影響力を過大に見すぎだ」「中国は関係ないだろう」「ボイコットはやりすぎ」「中国人差別では?」という意見もあるが、先日のダライ・ラマとメルケル首相の会見の影響もあるのか、中国政府に厳しい意見が多い(一方でダライ・ラマの記事に関するコメント欄と同様、在独中国人が中国擁護の論陣を張って大暴れしている)。これはダルフール紛争(スーダン)にからんで中国が批判されているのと同じ構図ですな。僕は「五輪はこれとは関係ないだろう」と思うけど(そもそも五輪に興味がないんだが)。 しかしまあ軍部が内部分裂でもしない限り、この抗議行動はなかなか先が見えないと思う(もちろん民主化運動を支持します)。経済制裁をしても効果がすぐ出てくるわけではないだろうし、中国政府は軍事政権に口頭で自制を求めはするだろうが、武力行使を止められるかといえばその能力も意図も少ないんじゃないだろうか(イメージ悪化は避けたいだろうが)。一方ビルマ軍事政権のほうは歴史的経緯もあってきわめて排外的で、欧米の制裁に対してますます頑なになることは間違いない。 ビルマへの経済制裁が効果をもたらすかについては懐疑的なのだが、外務省のホームページを見る限りでは日本は2004年度は対ビルマの最大の援助国らしいので(人道支援に限っているというし、投資を含めた実態では中国のほうが大きいと思うんだが)、何か影響力を行使できないものだろうか。どちらにせよこの混乱で日本企業は手を引かざるをえまい。 しばらくビルマから目が離せない。混乱の鎮静化を待つうちに世界がビルマのことを忘れてしまうのでは、それこそビルマ軍事政権あるいは中国政府の思うつぼになる。日本が「価値観外交」を唱えるのならそれくらいは考えないといけないだろうし、インド洋をめぐる主導権という現実の戦略にも関係してくることになると思うのだが。
2007年09月27日
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なんか政治がらみのエントリーが続いていい加減にしたいのだが、まあ大事なことなので記しておくことにする。えと、福田内閣、成立しましたね・・・・。 今月の頭にこうなると予想した人はほとんどいなかったんじゃないかと思うが、あれよあれよという間に・・・。安倍内閣は一年で瓦解ですか。結局健康問題で辞任ということになったみたいだが、どうしてああいうタイミングになったかは説明が出来てないと思うけど、まあ、去った人のことはいいや。 自民党総裁選で福田・麻生の両氏が立って、予想以上に麻生氏が善戦したが結局福田に決まり、ということだが、まあ今の自民党にとっては福田の方が良かったんじゃないかと思う。福田氏自身の能力や手腕がどうこうというより、小泉・安倍流のリーダーシップ政治というか(安倍さんがリーダーシップ取れていたかはともかく)、掛け声政治が飽きられた(疲れた)ということなんだろうか。麻生さんは掛け声は上手そうだが、脇が甘そうにも思える。 とはいえ福田首相の方も、AP通信が「福田氏の閣僚経験は官房長官のみ」と報じていたが、いくら在任期間が史上最長でその手腕に定評があったとはいえ、トップとしての実力は未知数だし、「なんとなくよさげ」という点では安倍政権の成立時と変わらないんじゃないかと思う。違うのは自分の政策を一種詩的な言葉で飾ろうとせず、のらりくらりとかわすところだろうか。 実は日本憲政史上初めての親子首相誕生だそうで、そういうやそうだな。議会制民主主義の国で親子首相というのをざっと思い出すと、まずインドのネルー・ガンディー家(ジャワハルラル→インディラ→ラジブ)が思い浮かぶ。あとは隣国パキスタンのブット家(ズルフィカル・アリ→べナジル)、スリランカのクマラトゥンガ家(シリマヴォ→チャンドリカ、これは母娘)と、南アジアに多いな。ヨーロッパだとギリシアのパパンドレウ家(ゲオルギオス→アンドレアス)とイギリスのピット家(大小ウィリアム)くらいか。 大統領ならアメリカでは二例(アダムズ家、ブッシュ家)ありますね。まあ最近核拡散疑惑が言われているアジア大陸両端の二国の指導者(金家とアサド家)の場合は、建前上は議会に類する場での選出手続きを取ってるけれども・・・。 閣僚や自民党の幹部の面々に関しては「まあこんなもんか」という感想しか湧かないが、特に選対委員長というのを作って「党四役」に改めさせた古賀氏の存在がとにかく気になる。これって近いといわれる総選挙で、自民党候補者の生殺与奪を握ったってことだよな?この人はかなりのコワい人だと漏れ聞くけれども、政権の実質的な要石はこの人ではなかろうか。うむ。・・・・・・・ 71歳の福田首相が誕生した今日、小渕優子議員が出産したそうだけれども、自民党の混乱ぶりを見ていてなんか突然「平成おじさん」こと故小渕恵三元首相のことを思い出してしまった。やはり参院選の敗北、参院での与野党逆転という状況で登板し、冷めたピザとか凡人とか就任当初はぼろくそに言われたが、じわじわ支持率を上げていった小渕首相みたいに福田首相はなれるのか。それとも一部に推測されるように結局選挙管理内閣に終わるのか。 小渕さんがああいうかたちで突然逝ってしまうことがなければ(そのころ僕はドイツにいて小渕政権の世評はよく知らないんだが)、「五人組」による森政権も、小泉政権もなかっただろうし、現在の日本は多少違った姿になっていたかもしれないと思う。911テロとか北朝鮮(拉致)問題とかにどういう対応をしていたか見てみたかった気もする。 実は小渕さんて福田首相よりもひとつ年下なのね。お、福田首相はベルルスコーニ(前イタリア首相)と同年か。ずいぶんとギラギラ感が違うな。ギラギラといえば山崎拓も。若造りのロバート・レッドフォードも同年とは。ハマス創設者のアハマド・ヤシンが2004年にイスラエル軍のロケット攻撃で殺されたときは「爺さん」と思ったが、これまた同年か。先日奥さんを亡くした長嶋さんも同年。なんと里見浩太郎(僕にとっては黄門様というよりも助さんだ)や演歌のサブちゃんも! 女性陣では野際陽子に市原悦子、声優の野沢雅子(鉄郎、ど根性ガエル、鬼太郎)や増山江威子(フージコちゃーん!)、ウルズラ・アンドレス(初代ボンド・ガール)・・・。 人の歳は分らない。・・・・・・・ 日本はこの組閣騒ぎもあって、ニューヨークでの国連総会に首相も外相も欠席だが(特使は森元首相みたいな間抜けかい)、一方のドイツのメルケル首相は改めて安保理常任理事国入りを主張したとか(記事)。「ドイツは責任を負う用意がある」と。まあ環境問題やイラン核開発問題で結構目立ってますからなあ。もっとも、それに続くアメリカのブッシュ大統領の演説で、常任理事国入り候補として挙げられたのはほかならぬ日本だけだったんだが。 日本の安保理入り熱はなんかしぼんでいるように見えるが、今度のテロ特措法延長問題とかもからむけど、自民・民主の政治家にその「責任を負う」用意はあるんだろうか。 まあ国連なんて民主党の鳩山幹事長がいみじくも言ったように、利用価値はあっても所詮「茶番」なんですけどね。えーと、海外派兵の原則に国連中心主義を掲げていたのはどこの党首だったっけな。
2007年09月25日
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今日ロシアのフラトコフ首相が辞任したそうですが、来年のロシア大統領選挙に向けての予定された辞任だったそうで・・・・。 後任に指名されたのは「あんた誰?」と言われそうな65歳のズブコフ財政監視庁長官(ザンクト・ペテルブルクでプーチンの右腕だったらしいけど)。首相後任本命とされていたのはセルゲイ・イワノフ第一副首相で、プーチン大統領自身がそうだったように、大統領→首相への権力継承への足場固めが行われると思われたのだが。同じく有力候補とされていたメドヴェージェフ第一副首相は、イワノフとは対照的にメディア露出がめっきり減り、後退した模様。 無名官僚の首相登用は、プーチン院政への布石では?と見る向きもあるそうだ。 ・・・・・ととぼけたことを書いてみたが(ドイツのニュース・サイトでは当然というかロシア首相人事の扱いのほうが大きい)、上のロシアとは逆に、皆が唖然とし、本人もたぶん数日前までは考えていなかったかも知れないが、安倍首相が突然の辞任表明ですか・・・・。 とにかく「何で今?」としか言いようがない。噂されていた健康問題が取りざたされているが(朝青龍じゃないけど、ホントか?)、それなら仕方ないともいえなくもないが、となれば首相退陣どころか政界引退でしょうな。まあこの局面で辞意を表明した彼に、もはや首相としての再起を望む人など(おそらく本人も含めて)いないだろうけど。 いくつかの政治系ブログには、彼が悪の権化か何か知らないが、変な修正画像とかを使って蛇蝎のように忌み嫌うものが見受けられるが、だとすればそれほど嫌われる彼は逆にどこか(分らないけど)見どころがあるのだろう、と思っていた。参院選であれほどの大敗を喫しながら首相の座に居座り続けたことが批判されたが(僕もやめるべきだろ、と書いたが)、居座り続けたのでむしろ意外と図太い人だなと新鮮な印象を受けた。変な取り巻きが担ぐ「ただの神輿」と思っていたのに、辞めさせられなかったからである。神輿にはあまり興味がないので、書くこともなかったけど。 ところがまあ健康のことがあるとはいえこの辞め方、やはり最後まで期待を裏切らないというか最後に意表を突かれたというか、所信表明演説の翌日に辞意表明ですか。そうですか。やっぱダメじゃん。小沢さんへの恨み節も美しくないなあ。やはり神輿の担ぎ役が離れてしまったからか。それともこれも「院政をもくろむ小泉マジック」か??(笑) スキャンダルへの対処や危機管理などは、自滅を繰り返してきた民主党と好一対だった。小細工が過ぎるのね(仮に政権についたら民主だって、万年与党の自民ほどではないにしろ不明朗な政治資金問題が出てくるんだろうけど)。内閣改造、あるいはやめるタイミングはいくつかあったが、5月だったかに松岡農相が自殺した時点で退陣あるいは総入れ替えすべきだったんじゃないだろうか。現職閣僚の自殺って類のない大事件でしょう、やっぱり。 辞意の主な原因に挙げられているのがテロ特措法の延長問題だが、民主党の小沢氏の理屈(「新たな国連決議が必要」)は論外として、まあ国民の支持を得にくいのは確かだろうなあ。効果もみえないし、いつまでやればいいんだと思われても嫌がられても仕方ない。 アフガニスタンに3000人の陸上部隊を派兵して攻撃による複数の犠牲者を出しているドイツでも、世論調査では半分以上が撤兵すべしという意見だし。ただ撤退を主張しているのは「緑の党」(アフガニスタンへの派兵を決めたのは連立与党時代のこの党なんですがね)と左派党だけで、議席数で言うと2割にも満たない。先日来日したメルケル首相もアフガンへの駐留延長を明言しているし、小沢氏と会談して海上自衛隊の派遣延長を要請している。ドイツの艦艇にも給油してるのか。 今はアフガンを事実上仕切っているNATOはドイツなどに「もっと兵力を出せ」と迫ってドイツ側がのらりくらりとかわしてる状態。次期自民党総裁じゃないが、誰もババは引きたくないのか。でもNATOの加盟国には「俺やーめた、帰る」と言うことは許されないしな。 そういや派遣のきっかけになった911テロからもう6年か。 あの時僕はトルコの現場にいて、日本で中継を見ていて心配した彼女がかけてきた電話が、つんぽ桟敷にいた僕らへの第一報だったんだよな。そのあとは夜遅くまでみなで一生懸命ドイチェ・ヴェレを聞いていた(電波を探していたら、おそらくシリアのアラビア語放送も入ったが)。翌日トルコの村人たちはむしろ興奮気味だったけど(「テロはいかん」とは言ってたが)。
2007年09月12日
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タイトル通り脈絡のないニュース雑記を羅列。(引用開始)参院 議長に民主党・江田氏、副議長に自民党・山東氏選出8月7日17時11分配信 毎日新聞 第167臨時国会が7日、召集された。参院は午前の本会議で正副議長選挙を行い、自民党が大敗した参院選結果を受け、議長に民主党の江田五月元科学技術庁長官、副議長に自民党の山東昭子元科技庁長官が選出された。自民党は保守合同による「55年体制」発足後、56年以降独占してきた議長職を初めて非自民勢力に明け渡し、参院での与野党逆転を鮮明に印象づけた。会期は10日までの4日間。常任委員長人事でも参院本会議の運営にあたる議院運営委員長ポストを民主党が占め、野党が参院での主導権を掌握した。 参院では第1会派から議長、第2会派から副議長を選出するのが慣例。参院選で民主党が大勝、「民主党・新緑風会」(113人)が「自民党」(85人)をしのぐ第1会派となったため、議長ポストを得た。午前10時からの本会議では定数242人のうち240人が投票。江田氏、山東氏とも満票を得た。本会議ではほかに10常任委員会の委員長も選任。議院運営委員長には民主党の西岡武夫元文相を選任したほか、参院選や江田氏の議長転出で空席となった4ポストを補充、残りを再任した。議長、議運委員長のラインを占め、民主党が法案審議など議事の運営を主導する。(中略) 江田氏は岡山選挙区選出、66歳。衆院4回、参院3回当選。93年の細川政権では科学技術庁長官を務めた。【田中成之】 (引用終了) 僕は政治とかにまるで縁のない人生を歩んできたので、「偉い」政治家の先生方と接する機会はまるでないのだが、新たに参院議長に選出された江田五月氏とは握手したことがある。なんのことはない、江田氏は僕の小・中学校の先輩にあたるわけですな。(ちなみに「虎退治した姫」は僕の高校の同窓会副会長だってさ)。 当時僕は中学生でもちろん選挙権はなかったのだが、「江田五月が○○学区の皆様にご挨拶に参りました。帰ってまいりました」という街宣車?の声を聞いて野次馬根性で家の外に出たら、江田氏が近所の人に握手して回ってたわけですな。中学生の僕から見ても小柄で貧相な人で、「政界再編のキーマン」というのがへえ?と思えた。 その後は新進党から脱して岡山県知事選に出て負けたりと、もうダメかなと思ったが、参院議長という「あがり」ポストにつけて良かったですね。よそに行っちゃったのでこの人に投票したことはないんだけど。 僕の伯母は小・中学校で江田氏の一年先輩だが、中学の頃にこの人は学校で幟を立てて演説みたいなことをしていたと言っていた。社会党書記長を務め、のちにそこを飛び出して社民連を作った江田三郎の息子とはいえ、ずいぶん早熟なことだ。ちなみにうちは県の社会党本部の近所にあるんだが、僕と握手した時にその目の前で街宣したというのは、社会党への当てつけかな??そういや民主党も結構二世・三世議員が多いな。 ところで江田氏についてはこういう記事を見つけた。(引用開始)参院議長人事 輿石、江田氏軸に 労組出身が影響力?7月31日9時58分配信 毎日新聞 自民党の青木幹雄、民主党の輿石東(こしいしあずま)両参院議員会長は30日、国会内で会談し、参院議長を慣例通り第1会派から選ぶことで合意した。民主党から初の参院議長誕生が確実となった。同党内では輿石氏と江田五月・前参院議員会長を軸に調整が本格化している。旧社会党出身の輿石氏は与党との協調を重んじるタイプで、青木氏ら自民党有力者との太いパイプを背に影響力を増してきた。参院選で野党が歴史的な勝利を収めた直後だが、民主党にとって今回の議長人事は、「55年体制」的な国会運営から脱却できるかも占う指標となる。(中略) 輿石氏は労組出身で、小沢一郎代表を昨年4月の代表選でいち早く支持し、現在も小沢氏を支える旧社会党グループに属する。今後、参院での国会運営がカギを握るなか「小沢氏も輿石さんの言うことは拒否しない」(中堅幹部)との見方が党内ではもっぱらだ。 これに対し、江田氏は科技庁長官などを務めた経歴とクリーンなイメージから、もともと議長候補の本命とされてきた。さらに今回の参院選で、地元の岡山選挙区で自民党の片山虎之助参院幹事長を破る立役者となり「議長就任の大義名分ができた」(若手参院議員)という見方もある。 しかし、江田氏は、市民政党を掲げた社民連元代表という経歴から、特に旧社会党グループの労組出身議員に拒否感があり、参院内での基盤が強いとは言えない。 今回の大勝で参院の党所属議員は109人になり、衆院の党所属議員113人とほぼ肩を並べるまでになった。参院の党内での比重は増し、その結果、参院に集中する労組出身議員の発言力も相対的に増すとみられ、議長選出にも影響を及ぼしている。(後略)【須藤孝】 (引用終了) 今回の民主党の比例一位当選議員は「消えた年金」問題で叩かれている自治労の出身だそうだけど、いろいろあるのね。小沢さんの主張が社会党っぽくなるわけだ。 やっぱ自民も含めて政界再編したほうがいいんじゃないだろうか。 その民主党についてこんな記事が。(引用開始)日本の政治、混迷期に=野党に統治能力なし-英誌エコノミスト8月6日20時3分配信 時事通信 【ロンドン6日時事】英誌エコノミストの最新号は巻頭論文で、先の参院選挙の結果は安倍晋三首相にとって屈辱的だったが、日本では統治能力のある野党が不在で、「政治的混迷の時期に突入することがほとんど確実になった」と報じた。 わずか2年前に小泉純一郎首相(当時)が断行した総選挙で大勝したのとは全く対照的に、与党が今回惨敗した理由について、同誌は(1)小泉氏が庶民感情に嗅覚(きゅうかく)を持つ、日本の政治家としてはまれな人物だったのに対し、安倍氏は庶民の関心に疎い(2)小泉氏が自民党のとりわけ地方での集票組織を破壊していた(3)有権者はかつて、小泉氏のパフォーマンスに幻惑させられていただけであって、参院選の投票行動は改革に反対する側面もあった-と分析した。 ただ、その一方で、民主党についても「意見が異なるグループの寄せ集めにすぎない」とし、「政権を担う準備が整った政党の体をなしていない」と断じている。 (引用終了) なかなか手厳しい。実際には細川・羽田・村山政権とかで政権に加わったことがあるので、経験はあるんだろうけど・・・・。実際の能力の有無よりも「風評被害」による投資不安とかのほうが深刻じゃないんだろうか。僕には縁のない話だが。「お手並み拝見」といきますか。 ドイツでも二院で別の党が第一党になったことがあって、それはシュレーダー政権後期(2004~5年頃)である。ドイツの参院(Bundesrat)は地方(連邦の各州)議会の勢力を反映するものなので(連邦制だし)、地方選挙での敗北が続いた与党SPD(社民党)が、CDU(キリスト教民主同盟)に次ぐ第二党に転落した。シュレーダー政権の改革路線は大幅に足止めあるいは修正を余儀なくされた。その頃はドイツでも参院不要論とかが囁かれたものだったし、その後結局SPDはCDUとの大連立を余儀なくされることになったから、逆に意味があったといえなくもない。 今の日本の参院も、もう少し選出方法とか考えたほうがいいんじゃないだろうか。単なる人気投票でロビー団体やタレント議員の巣窟にしていいんだろうか。・・・・・・・(引用開始) <本能寺の変>焼け瓦や焼土を確認 史実示す初めての遺構8月7日19時39分配信 毎日新聞 織田信長が明智光秀の反乱で自害した「本能寺の変」(天正10年=1582年)の時期に本能寺があった場所で、石垣を積んだ堀跡や兵火による大量の焼け瓦、焼土が確認されていることが7日、分かった。本能寺の変を直接示す初めての遺構・遺物として注目される。 京都市中京区西洞院通六角下ルの約130平方メートルを、「関西文化財調査会」(同市上京区、吉川義彦代表)が、7月下旬から調査した。 京都市文化財保護課などによると、堀跡は長さ約20メートルで、L字形で幅約6メートル。高さ約1メートルの石垣で護岸されていたが、石垣の上に土塀が巡らされていたと考えられる。大量の瓦が見つかり、その中に現在も本能寺で使われている「能」の異字体=能の右側が「去」=を記した丸瓦も複数あり、旧本能寺の遺構であることが分かった。 本能寺は武装や防備、寺院外での布教を禁じられていた。専門家によると、堀と石垣という城郭の性格を持つ施設は、寺院が造ったものではなく、信長の京都での拠点として造られたと考えられる。【細谷拓海】 ▽中世の京都に詳しい今谷明・国際日本文化研究センター教授(日本中世史)の話 本能寺の変を示す遺構で、大変興味深い。当時の本能寺の西側には川もあり、信長が寺の一部に二重の堀に囲まれ、寺とはまったく性質の異なる“城塞(さい)”を造っていたことが分かる。今後、周辺の調査も進めば、信長の京都での“政庁”の姿が明らかになるだろう。 (引用終了) 大河ドラマのクライマックスとしておなじみの「本能寺の変」だが、こういうニュースはわくわくしますな。 ドラマでは信長や濃姫、森蘭丸を主役とする大立ち回りや大炎上シーンでおなじみだが、それを伝えているのは又聞きの史料ばかりであるそうだ。実際には戦い(「明殺」?)というほどのこともなくまさに「暗殺」だったのではないかという説が出ているという。それじゃあドラマとしてつまらないだろうけど。京都新聞の報道を見ると「焼けていたのは半分くらい」だそうで、ドラマのような派手な交戦はやはりなかったのかもしれない。ただ「堀一重の無防備な寺」という従来のイメージも改めないといけないのだろうか。 その信長が行った比叡山延暦寺の焼き討ち(1571年)も、当時山上の延暦寺の堂宇はほとんど既に朽ち果てていて(山上に住むのは不便なため)、実際の攻撃は山麓の坂本のほうに集中していたらしいことが分かっているそうだが、こういうのは考古学の強みだと思う。まああまりドラマの考証に目くじら立てていたらきりがないかもしれないが。
2007年08月08日
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トルコの総選挙が終わった。詳しいことはトルコにいらっしゃるぷなるじゃんさんの日記を見てもらうとして、まあ事前の予測通りAKP(公正発展党)の勝利となった。あれほど大規模な反AKPデモがあったのに、蓋を開ければAKの順当勝ち。 選挙法改正によって得票率は伸びたのに議席は減るというのはなんだかよく分らないが、いずれにせよ10%条項を乗り越えてトルコ国会(TBMM)に議席をもつのは三政党のみ、AKP、CHP(共和人民党)、MHP(民族主義者行動党)の三つ。AKPが穏健派イスラム主義、CHPがアタチュルク以来の西欧的(世俗的)民主主義、MHPはヨーロッパだと極右に分類される民族主義政党。まあAKPをイスラム原理主義みたいにいうのも的外れで、ドイツの与党が「キリスト教」民主同盟であるのと似ているくらいに思ったほうがいいのだろうか。 結果としてはMHPの躍進で選挙前よりも悪くなったんじゃないかとも思える。MHPはほかの二政党と違ってEU加盟に反対のようだが、大統領公選制などについてはAKPとの協議に応じる柔軟さもあるようだ。 AKPの勝因に堅調な経済成長(IMFの融資)やインフレ抑制が挙げられているが、それってむしろ前政権の果実を享受したんじゃないかなあと思うんだが。いってみればクリントン政権あるいは小泉政権みたいなもんだろうけど、エルドアン首相は小泉さんみたいな分りやすさというか、カリスマがあるんだろうな。あとは67%になった都市人口率とか人口動態の変化も関係するんじゃないかと思っているんだが(都市=西欧的、田舎=イスラム的という構造の崩壊)、それはまあ社会学の人に任せたほうがいいけど、もうちょっと考えてみよう。 インフレ率が抑えられているのは確かに大いにプラス要件で、以前は一年たったらお札の価値が半分になっているから両替のときは注意したものだった。・・・・・・・・ この数年で見た映画の中で一番良かったと思っているのはドイツ映画「Das Leben der Anderen(邦題「善き人のためのソナタ」)(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督)である(日本語版公式サイト)。旧東ドイツの監視社会の実像を正面から描いたとても生真面目な、そしてハリウッドとは対極にあるような静かな感動作で、今年のアカデミー賞外国語作品賞を受賞している。 その主役ヴィーズラー大尉を演じた俳優のウルリッヒ・ミューエが22日に54歳の若さで急逝したことが報じられた。兵役当時に受けた胃の手術が原因で起きた合併症で胃癌を発症し、今年3月のアカデミー賞授賞式の直後に手術を受けていたが、今月21日に胃癌であることを公表したばかりで、その翌日の死となったという。 「善き人の・・・」で注目されまだこれからの俳優だっただけに、まさにその絶頂期に突然逝ってしまった訳で、無念というよりない。 ウルリッヒ・ミューエは映画の中のヴィーズラー大尉と同じく旧東ドイツのザクセン州出身で、革職人の息子として生まれた。建設業の専門学校を卒業したのち兵役で「ベルリンの壁」の監視兵になっている。この兵役は胃潰瘍のため年限より早く終わったが、その治療のため受けた手術が後年胃癌の原因となったのは既述の通り。その後ライプツィヒの演劇専門学校に入り、演劇の道に進む。 カール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)の劇場を皮切りに舞台俳優としてキャリアを積み、1983年にベルリンのドイツ劇場の団員になる。同時に映画にも出演し始め、軍人や警官といった役どころが多かった。東ドイツの共産主義体制下での演劇について、彼は「演劇は東ドイツで唯一、人々が騙されない場所だった」と述べている。1989年11月の反体制デモにも参加して演説もしている。 映画出演作は多いが、僕が見たのはあいにく「Der Stellvertreter(神の代理人)」と「善き人の・・・」だけである。そのほかカフカの原作を映画化したミヒャエル・ハネケ監督の「城」、ヒトラーをコミカルに描いた「マイン・フューラー」(ダニー・レヴィ監督、日本未公開)、変わったところでは篠田正弘監督の「スパイ・ゾルゲ」に出演しているそうだ。 ミューエは三度結婚し5人の子供をもうけているが、そのうち二度目の結婚相手は女優のジェニー・グレルマンで、二人の間にできた娘のアンナ・マリア・ミューエは若手女優として活躍中である。その死まで連れ添った最後の妻も女優で、現在放送中のテレビで共演している。 「善き人・・・」が公開された2006年、ミューエはかつての妻ジェニーが旧東ドイツ保安省(シュタージ)の非公式協力者(IM)で、HA II/13というコードネームの保安庁職員とコンタクトがあった、とインタビューで明らかにした。これに対しジェニー夫人側は保安省職員と知らなかった(よくあったことだが)として裁判所に提訴し、ミューエのインタビューが収録された本の出版が差し止められた。ミューエの控訴に対して裁判所はこれを却下し、元夫人を「IM」と呼ぶことを禁止した。 「善き人・・・」のフォン・ドナースマルク監督は、ビルトラー機関(旧称ガウク機関、シュタージの書類の管理・公開を政府に委託された機関)は確かにジェニー夫人がIMであると証明したが、たとえば政治家のグレゴール・ギュジ(旧共産党の流れをくむ、PDS=民社党党首)がシュタージ協力者だったことを証明しても「IMの公証人」と呼ぶことが判決で禁止されているように、ジェニー夫人をIMと呼ぶことはないだろう、とミューエを擁護した。実際のところビルトラー機関はジェニー夫人やギュジの過去について証言しなかった。 ジェニー元夫人は昨年8月に死去している。真相はともかく、「善き人の・・・」のような出来事は実際に起きており、その悲劇がもたらした疑心暗鬼は今も癒えない。
2007年07月25日
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(引用開始) 動画サイトだけでなく、自民も民主も…なし崩し“ネット選挙”7月21日22時14分配信 産経新聞 自民、民主両党が12日の参院選公示後もホームページ(HP)を更新し、広報活動でしのぎを削っている事態が波紋を呼んでいる。公職選挙法では、選挙期間中は法定ビラなどを除く「文書図画」の配布を禁止。インターネットでの選挙運動はできないとされているが、今回はなし崩し的に「ネット選挙」の様相を呈している。他党が追随する動きも出ており、法のあり方などをめぐって改めて議論を迫られそうだ。 政党のHPをめぐっては、民主が平成17年の衆院選の際、候補者名も含んだ党代表の遊説内容を掲載。総務省が「公選法に抵触する恐れが強い」と指摘したほか、自民も批判していた。 総務省などによると、人の視覚に訴えかけるものはすべて、頒布が禁じられている「文書図画」と解釈される。このため、候補者名や政党名などが記されたHPやブログ(日記風サイト)の画面も公示日以降は公選法の規制を受け、更新できなくなるという。(中略) 総務省選挙課は「『選挙運動』と『政治活動』を区別する明確な基準はない」とグレーゾーンが幅広いことを認める。各党の担当者も「総務省からのガイドラインはなく、自主判断」(民主)、「小政党なのでネットを有効活用したいが、やりにくい」(社民)と困惑している。 一方、公選法で放映回数が規定されている政見放送について、政党や候補者の録画映像がネット上の動画サイトに投稿されて“見放題”となっている現状も無視できそうにない。 4月の東京都知事選では、特定候補者の政見放送の映像がコミカルに加工され、アクセスが数十万回にも達して問題が表面化。今回の参院選でも、同様にミニ政党などの政見放送が投稿されている。 「明らかに公選法が時代の趨勢(すうせい)と合わなくなっており、ネットの有効利用や規制について体系的なルール構築が必要」(民主若手)との声は根強く、総務省や立法府は早急な対応を求められそうだ。 (引用終了) ネットを使うなというほうがナンセンスでしょ、そりゃ。参院選挙が来週に迫っているわけだが、どうしますかねえ・・・・。 僕は自分のブログに政治的信条とかを書くのは野暮なことだと思うので、自分のブログには決して政治的見解の表明など書かないわけだが(時事問題としては書くけどね)、最近目について増えている個人の政治(宣伝)ブログは結構見ていたりする。まあそろそ飽きたけど。 それはともかく、どこにいれようかと分らなかったらまあネットに診断してもらうのがいいかな、と思っていたら、電八郎さんのところで二つのページ、Yahooの政治ポジションテストと投票ぴったんが紹介されているのでやってみた。 まずYahooのほう。結果は 『あなたは保守的かつ大きな政府をめざすタイプです」「地域や共同体を守るために、政府の政策によって、都市と地方、個人間の格差を埋めていくことが大事」という考え方を持っているのではないでしょうか。』だそうで、近いタイプの政治家は冷えたピザの小渕敬三、先日亡くなった宮沢喜一、リクルートの竹下登、ロッキードの田中角栄だそうだ。へえ、経世会か。ただこのテスト、外交とか安全保障の問題が入ってないな。 もう一つの「ぴったん」のほうは、立場が近い順に自民、公明、社民、共産、民主の順になった。あれあれ?社民よりは民主のほうに近いと思うんだが。民主はそんなに嫌いでもないが、政策で気になる点があるのがちょっとねえ・・・・・(敢えてどことはいいませんが)。かといって自民に入れるのも癪な気もするし、公明にはまかり間違っても入れない(うちの叔母の知り合いが創●学×の人で、「○○さんにお願い」って電話が毎回うるさいらしい)。どうすりゃいいんだ。 昔ネットを始めたばかりの頃やっぱりこういう診断をやったら、一番近いのは小沢一郎氏率いる自由党だった。その自由党は二つに割れていまや小沢氏は民主党の党首だが、政策的にどれほど重なっているんだろうか。 選挙といえば、トルコはこの週末が総選挙である。(引用開始)<トルコ>22日総選挙 11月予定を与野党対立で前倒し7月21日12時20分配信 毎日新聞 【アンカラ前田英司】トルコ総選挙が22日、実施される。11月の予定だったが、任期満了に伴う大統領選を巡り、自派候補の擁立を狙ったイスラム系与党・公正発展党(AKP)と世俗派野党などが対立し、前倒し実施されることになった。世俗派が訴える「イスラム化」の懸念がどう影響するのか注目される。 最新の世論調査によると、AKPは40%以上の支持率を集めており、国会議席の過半数を獲得するのは確実な勢い。投票は即日開票され、23日未明にも大勢が判明する。 トルコ国会は1院制で定数550。選挙は比例代表制だが、全国の得票率が10%に満たない政党は議席を獲得できない。AKPのほか、最大野党の中道左派・共和人民党(CHP)と右派・民族主義者行動党(MHP)も議席を得る見通し。 先の大統領選でAKPは野党との調整なしにギュル外相を擁立。野党は「国是の政教分離が侵される」とイスラム化の懸念を主張し、都市部ではエリート層ら世俗派による抗議集会が相次いだ。その結果、大統領選は中止となり、総選挙に突入した。 AKP党首のエルドアン首相は「単独政権が樹立できない結果に終わったら政界を引退する」と自信を見せている。 (引用終了) このニュースを全然追ってなかったが、やはりAKPが勝ちそうか。どこかの国じゃないが、野党があれだからなあ。大統領公選制の是非も含め、どうなるのか気になるところ。 それにしてもあの10%条項まだやってんのか。あれはやっぱり5%くらいにしとかないとまずいって。日本でいえば自民と民主、あとせいぜい公明しか議席が持てないことになるぞ。 僕がドイツの選挙権を持っていたら、FDP(自由民主党)かSPD(社会民主党)右派を支持するんですけどね。 映画「ロスト・イン・トランスレーション」の中で、主人公のビル・マーレーが通りかかった選挙カーから降りてきた候補者に突然握手を求められ困惑する場面がちらりとあったが、映画館で一緒に見ていたドイツ人は「あの男は何をしていたんだ?」と聞いてきた。 ドイツの選挙には選挙カーの連呼などというものはない。選挙のポスターは指定の場所とか電信柱とかにちゃんと貼られるが(極右政党のポスターはたいてい左翼学生の攻撃の餌食になるので、大学都市ではあまりお目にかからない)、選挙カーの街頭演説みたいな迷惑なことはせず、候補者に関心を持った人がたとえば公民館みたいなところで開かれるその党の演説会を聴きに行く、という形をとる。 ポスターべたべたというのならトルコもギリシアもそうみたいだが(ギリシアについては村上春樹の「遠い太鼓」に出てくる。禁酒だったり出生地投票主義、強制投票など、なかなかユニーク)、日本の選挙ってやはり異様なものなのだと思う。 あとですね、「主婦の視点で」てのを売りにする候補者がいるけど、市議会や県会議員ならともかく、国会でそれはまずいんじゃないかと思う。もちろんそういう視点は必要だけど、それだけじゃねえ。俺なら入れないな。政治家という職業が専門化しているドイツでそんなこと言ったら、ダメ候補の烙印を押されると思う。
2007年07月21日
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(引用開始)日本は5位…「平和な国」ランキング 英国の調査機関「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」などは30日、世界の「平和な国ランキング」を発表、日本が五位に入り、イラク戦争後に爆弾テロなど治安の泥沼化が著しいイラクが調査対象の121か国中で最下位となった。1位はノルウェー。 ランキングでは、政治の安定性やテロの危険性、人口に占める軍人の割合のほか、犯罪の発生率や自殺者の割合など、24四の要素を独自に点数化。経済力があり、欧州連合(EU)に属する小さな国が上位に入る傾向が出た。 上位10か国は、北欧諸国をはじめ7かカ国が欧州の国。2位はニュージーランドで、5位の日本は主要国(G8)の中ではトップだった。G8で日本に続いたカナダは8位で、ドイツは12位。 米国は、ランキングで考慮される軍事費が突出しているため96位で、核開発問題などで欧米と対立するイランが97位。ほかに中国が60位、ロシアは118位だった。(共同)(2007年5月30日22時38分 スポーツ報知)(引用終了) 先日上記のようなニュースをみかけたのだが、昨日は「失敗国家指数」ランキングについてのニュースを見かけた。 国家の至高の目的がその成員である国民の幸福と権利の保護にあるとすれば、まともに機能せずそれが実現出来ていない国は「失敗国家」ということになる。 この指数はワシントンに拠点を持つ平和財団(Fund for Peace)と「Foreign Policy」誌が共同でまとめたもので、今年度が三回目の発表。昨年5月から12月にかけて集められた世界177ヶ国に関する12000に上る資料を分析して算出したものだという。その一覧表はこちらで見ることが出来る。 分析項目は12に分かれており、各項目は10点満点で評価され(点数が多いほど悪い)、120点がいわば満点(最悪)ということになる。各項目はかいつまんで言うと以下のとおり。 社会的項目 1.人口圧力(人口動態の安定性) 2.国内難民や強制移住の存在 3.国内の特定集団に対する弾圧 4.国民の国外への亡命、頭脳流出など 経済的項目 5.富の分配の不平等 6.経済の極端な衰退 政治的項目 7.国家による汚職や不法行為 8.公共サーヴィスの機能不全 9.法治の原則や人権に対する侵害 10.「国家内国家」の存在 11.指導層の内紛や排外・拡張主義の存在 12.他国や外部の政治集団による介入 とりあえず総合順位を見てみる。ベスト(この場合下位)5位、それと日本やその周辺国のほか僕に関係のある国など、そしてワースト5(上位の国)を挙げる。 177位 ノルウェー 17.1点 176位 フィンランド 18.5点 175位 スウェーデン 19.3点 174位 アイルランド 19.5点 173位 スイス 20.2点 164位 日本 28.5点(163位のオランダまでが「優良圏」) 160位 アメリカ 33.6点 157位 フランス 34.1点 同 イギリス 34.1点 156位 イタリア 37.1点 154位 ドイツ 38.4点 153位 スペイン 39.2点 152位 韓国 39.7点 147位 ギリシャ 43.5点 132位 モンゴル 58.4点(130位のバルバドスまでが「中間圏) 126位 ルーマニア 60.9点 117位 ブラジル 66.9点 100位 インド 70.8点 92位 トルコ 74.9点 86位 タイ 76点 77位 キューバ 78.6点 75位 イスラエル 79.6点 66位 セルビア 81.1点 62位 中国 81.2点 同 ロシア 81.2点 58位 グルジア 82.3点 57位 イラン 82.8点 40位 シリア 88.6点 43位 トルクメニスタン 87.5点 36位 エジプト 89.2点(33位のコロンビア、ブルキナ・ファソまでが「警告圏」) 28位 レバノン 92.4点 (テロ、イスラエルの侵攻) 22位 ウズベキスタン 93.5点 (デモを武力鎮圧?) 21位 ネパール 93.6点 (内戦) 20位 東チモール 94.9点 (内戦) 13位 北朝鮮 97.7点 (核実験) 12位 パキスタン 100.1点 (テロ、内紛) 8位 アフガニスタン 102.3点 (内戦、テロ) 5位 チャド 108.8点 4位 ジンバブウェ 110.1点 (長期独裁) 3位 ソマリア 111.1点 (内戦、エチオピアの介入) 2位 イラク 111.4点 (テロ頻発) 1位 スーダン 113.7点 (ダルフール紛争)(以上が「危機圏」) やはり内戦で政府が機能していない、あるいは政府そのものが国民を弾圧している国は評価が低い。長期政権の国も評価が低くなっている。 アメリカの財団のせいかアメリカに対する評価がやや甘い気がするし、日本もその恩恵に与っているようにも思えるのだが。ヨーロッパの財団がやったら違う結果になるだろう。インドやモンゴルもイメージとちょっと違う。あと、トルコ低っ!!ほんまかいな。 上位10ヶ国のうち8ヶ国までが赤道近辺のアフリカ大陸にあり、残る2ヶ国は西アジアにあるイラクとアフガニススタンである。逆にアフリカ大陸で下位(良い)にあったのは133位の中間圏にある南アフリカのみだった。この財団は貧困にあえぐアフリカ諸国への安易な援助に対して警告しているが、それは汚職や不法にまみれた政権に対して援助をいくら行っても事態は好転しない、という考えによる。 一方下位(優良圏)の国はやはり中高緯度(温帯あるいは亜寒帯)に多い。こうした調査でかならず「良い国」に分類される北欧諸国はじめ、ベネルクス諸国、アルプス諸国、旧英連邦自治領であるオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、そして日本である。 この一年で変動が激しかった国は、好転したのがリベリア、インドネシア、コンゴ民主共和国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、悪化したのがレバノン、ソマリア、赤道ギニア、ニジェールで、とりわけレバノンはイスラエルによる侵攻やヒズボラの活動、政治的暗殺の頻発で順位が劇的に上がっている(悪化している)。 各項目ごとのベスト・ワースト国と日本・ドイツの得点も書き出しておく。1.人口圧 ワースト ジンバブウェ 9.7点 日本 4.1点 ドイツ 3.9点 ベスト アイスランド 1点2.国内難民や強制移住 ワースト スーダン 9.8点 日本 1.1点 ドイツ 4.8点 ベスト アイスランド 0.9点3.特定集団への弾圧 ワースト スーダン、イラク 10点 日本 3.8点 ドイツ 4.9点 ベスト アイスランド、アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド 1点4.人口流出 ワースト イラク 9.5点 日本 2点 ドイツ 3点 ベスト アメリカ 1点 5.富の偏在 ワースト ジンバブウェ 9.5点 日本 2.5点 ドイツ 5.5点 ベスト デンマーク、フィンランド 1.9点6.経済不振 ワースト ジンバブウェ 10点 日本 2.6点 ドイツ 3点 ベスト スウェーデン 1.3点7.官憲の汚職 ワースト ソマリア、スーダン 10点 日本 1.8点 ドイツ 2.3点 ベスト フィンランド 0.9点 8.公共サーヴィス不全 ワースト ソマリア 10点 ドイツ 1.7点 ベスト フィンランド、スウェーデン、カナダ、日本(!)1.2点9.法治と人権侵害 ワースト スーダン 10点 日本 3.5点 ドイツ 2.9点 ベスト スウェーデン、オランダ 1.4点10.国家内国家 ワースト ソマリア、イラク 10点 日本 1点 ドイツ 2.5点 ベスト フィンランド、スウェーデン、オーストラリア 0.9点11.内紛、排外主義 ワースト ソマリア 10点 日本 1.3点 ドイツ 1.8点 ベスト フィンランド 0.7点12.外部勢力の干渉 ワースト ソマリア、イラク、アフガニスタン 10点 日本 3.6点 ドイツ 2.1点 ベスト スイス 0.9点 日本は概ね高評価を得ているが(特に「富の偏在」と公共サーヴィスの項目)、上位圏国の中では人権に関する項目と「外部の干渉」の項目(アメリカのことかな)が突出して低評価である。あと公共サーヴィスの項目、今の「消えた年金」騒ぎで来年度は評価が落ちそうだな・・・・。
2007年06月19日
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なんか日記をずいぶん放置してしまったな。 Novaが営業停止処分のニュースとか(うちの妹がNovaウサギが好きだったんだが、あれももう見られなくなるのかな)、公安調査庁元長官の会社が東京の朝鮮総連の土地を購入云々とか、社会保険庁の失態とか、いろいろ気になるニュースはあるのだが。 あと海外ではイスラエルの次期大統領(現職はレイプ疑惑で停職中)にシモン・ペレス元首相を選出とか(国防相・外相・首相などを歴任してきた人だが、この人まだやる気か)、ナチスの過去を糾弾されたヴァルトハイム元オーストリア大統領・国連事務総長が死去とか(ペレス氏とそれほど歳が変わらないと思うのだが)、パレスチナでファタハとハマスが衝突とか、トルコ軍がイラク北部を砲撃とか、いろいろニュースはある。 しかし一番興味を引いたのはこのニュース。(引用開始)<欧州ウナギ>ワシントン条約会議、輸出規制の対象に決定6月11日21時52分配信 毎日新聞 【ジュネーブ澤田克己、ブリュッセル福原直樹】オランダ・ハーグで開催中のワシントン条約締約国会議は11日、ヨーロッパウナギ(アンギラ種)を絶滅の恐れのある種として輸出規制の対象に加えることを賛成多数で決めた。欧州連合(EU)も同日の農漁業相理事会で、域内のヨーロッパウナギの稚魚(シラスウナギ)の漁獲量を13年までに60%減らすことで合意した。 ヨーロッパウナギは稚魚が中国へ輸出されて養殖された後、かば焼きとして日本へ輸出されている。中国からの輸入で安価で身近になっていたウナギだが、相次ぐ規制は日本の食卓にも大きな影響を与えそうだ。 ワシントン条約は絶滅の恐れのある野生動植物の国際取引を規制しており、対象になると輸出に原産国政府の許可が必要になる。ヨーロッパウナギは乱獲などで生息数が激減、EUが規制対象とするよう提案していた。漁業資源としてのヨーロッパウナギが枯渇する懸念もあることから、日本もEU提案に賛成した。一方、EUの漁獲規制は捕獲した稚魚を再放流する方式。09年から13年まで徐々に規制を強める。 ヨーロッパウナギは英、仏、スペイン、ポルトガルが主な捕獲・輸出国。欧州でも消費されるが、主に中国などアジア向けに稚魚が1キロ最高1000ユーロ(約16万円)で出荷されている。日本国内のウナギ製品の約8割は輸入で、うち7割は中国から輸入されている。 EUからのアジア向け輸出は、日本周辺で取れるニホンウナギが乱獲で激減したため急増、95~05年には年間約5億匹が欧州からアジアへ輸出された。その結果、上流でのダム建設など他の要因も重なって、ヨーロッパウナギは激減。欧州12カ国19河川でのシラスウナギの漁獲量は、80~99年に95~99%減ったという。 (引用終了) マグロやカニについで、ウナギも日本人の食卓から消えるのだろうか。まあ保護のためなら仕方ないと思うけど。僕は何が好きといってウナギほど好きな魚もなかったのだが、歳を取ってきたせいか最近は食べ物の好みが変わってきてウナギはどうでもよくなってきた(今は鯖が一番好き)。 ヨーロッパのウナギがどうして日本に関係するのかと思ったら、日本のスーパーで割安で売っているウナギの蒲焼のほとんどは中国産で、しかもそいつらはもともとヨーロッパ産で稚魚のときに中国に輸出されたものだった、ということらしい。いまや豆腐や納豆の原料である大豆がほとんど輸入であるように、「日本の味」といいながら産地は外国なわけか。まさにグローバル化ですな。グローバル化に反対する連中はサミット先に押しかけて暴れる暇があったらこういうのを調べて対策をすればいいと思うのだが(そういう活動をする人もいます。念の為)。 ヨーロッパのウナギは学名がAnguilla anguillaで、日本のウナギAnguilla japonicaとは別種だそうだ。ただ大きさとか何より味とかにはほとんど違いがないのだろう。回転寿司とかで何とかという魚を別の名でネタに使っているのとは訳が違うようだ。ヨーロッパには2mくらいになるヨーロッパオオウナギというのがいたと思うが、これはまた別種なのだろうか。 世界のウナギのおよそ半分は日本で消費されているというが、ヨーロッパではウナギは食べないのか? 地域によってはちゃんと食べる。僕が最初にそれを知ったのは妹尾河童の本で、オランダでウナギの燻製を食べて感激する話だった。屋台とかで売っていて、棒のようなウナギの燻製にネギを載せ、両手でつかんで食べるのだという。 その本を読んだときには僕はドイツにいたと思うのだが、ドイツで美味しい魚を食べるのはほとんどあきらめていたので、オランダに行く機会があったらそいつを絶対食べてみようと思っていた。 ところがドルトムント(オランダに近いルール地方)に行ったとき、町の広場でやっていた魚屋の出店で「Aal」(ドイツ語で「ウナギ」)という札のついたのを見かけた。僕は連れのドイツ人に「こいつを食べたいからちょっと待ってくれ」と言って待たせ、心躍らせてそれを購入した。まさしくウナギの燻製だが、外見は身の白さが分かる。 その場で立ち食いしたのだが、僕にはあまり美味いものとは思えなかった。もうあまり詳しくは覚えていないのだが、冷えているのは仕方ないとして、味付けは塩くらいだと思うのだが、なんかウナギの脂っこさが妙に気になった。これなら蒲焼のほうが美味いと思った。多分人には勧めないだろう。 後でそのドイツ人とウナギの話をした。やはりウナギを食べるのはドイツ北部の海岸部の人に限られているらしい。彼によれば、昔はウナギの獲り方にやり方があって、切った馬の頭を一晩海に沈めておいて、翌朝それを引き上げると馬の頭の穴という穴の中からウナギが出てくるのでそいつを捕まえたのだという。うう気持ち悪う。ウナギにそれほど執着がなくなったのはその辺からだろうか。でもこの話はもしかしたらアナゴ(穴子)のことかもしれない。 チェコのほうではウナギをバター蒸しにした料理があると聞いたのだが、そうでも脂っこいウナギにバターとは・・・と思うのだが、蒸したせいか脂が抜けて案外あっさりしているのだという。こっちはまだ食べていない。チェコはかなり内陸にあるが、ウナギが川を遡行するのだろうか。 というわけでウナギは蒲焼に限る、と思ったのだが、生のウナギなどドイツではまず手に入らない(北海沿岸では入るかもしれない)。イワシの蒲焼を自分で作って我慢していたのだが、レトルトに入ったウナギの蒲焼も日本食品店に行けば売っている。身がずくずくな上にかなり高いのだが(日本での定価の2~3倍)、一度これをもらって食べたときは感激したものだった。 ドイツ人の知り合いが日本に来たとき一緒に飲み屋に行ったのだが、彼は魚が好きなのでぜひウナギの蒲焼を食べさせてやろうと思って鰻重を注文した(居酒屋チェーンの鰻重だから大した値段ではないが)。しかし彼は最初の一口を食べただけであとは残してしまった(ほかにいろいろ料理が並んでいたせいもあるが)。どうも甘辛い味付けの魚料理はドイツ人の口に合わないようだ。肉だと「テリヤキ」なんてのも耳にするけど、魚では嫌なのだろうか。 なんかまとまりのない話になってしまった。 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ候れ。とは「徒然草」第百十九段に見る兼好の言葉だが、時代とともに食べる魚は変化する(兼好の時代は中世温暖期が終わった直後の急激な寒冷期なので、鎌倉で獲れる魚も以前と違っただろうが)。ドイツでもサケは下品な魚だったのに今では立派な魚の扱いだと聞いたことがある。 むしろカニやウナギがどこでも食べられた現在のほうが異常な時代だ、と思えばあきらめもつくだろうか。
2007年06月14日
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例のごとく気になったニュースの切り貼り。(引用開始)脱北者か?外国人4人漂着=「生活苦しく、逃げてきた」-小型漁船で入港・青森6月2日12時31分配信 時事通信 2日午前4時15分ごろ、青森県深浦町の深浦漁港に、不審な漁船が入港しているのを付近の人が見つけ、110番した。県警や青森海上保安部が船を接岸させ調べたところ、外国人の男女4人が乗っており、身分証などの所持品や会話の内容などから、県警などは北朝鮮からの脱北者が不法入国しようとしたとみて、事情を聴いている。 調べに対し、4人は「生活が苦しく、北朝鮮から逃げてきた」と供述。毒薬を所持しており、「北朝鮮当局に見つかったら、飲んで死のうと思っていた」と話しているという。 調べによると、乗っていたのは男3人と女1人で、20~60代の夫婦と子供とみられる。船は全長約7.9メートルで、モーターが付いた木製の小型船だった。 4人が漂着時、港にいた釣り人が「新潟はどっちだ」と尋ねられ、不審に思って通報したという。 (引用終了) うーむ。こいつはすごい。船の写真を見たが、川舟と変わらんじゃないか。 北朝鮮にいるよりはマシというので日本海に漕ぎ出したのだろうか。天候や海に関する知識があったのか、それとも破れかぶれだったのか。しかし毒薬所持というのがすごいな(食い物は無くてもそういうものはあるというのが共産主義国らしい??)。北朝鮮当局に捕まるよりは死を選んだほうがましということか。恐ろしい。 それにしてもこの人たち、日本の警察に見つからずに新潟に行ったら、日本にいる在日同胞に助けてもらえるとでも思っていたのだろうか。自分の国の官憲が恐ろしいのと同じく、日本の官憲は亡命申請とかするにはあまりに恐ろしいのだろうか(亡命という言葉も作法も知らないのかな。そんなことないと思うが)。旧東ドイツでは西側への亡命を装って工作員を西側に送り込むということがよく行なわれたが(ブラント首相の秘書だった東ドイツのスパイ、ギュンター・ギヨームの事件など)、この家族はそういうのはなさそうだ(まあそういうことしなくても去年まではおおっぴらに日本に入ってきてたみたいだし)。 しかしこれを機に大挙して漁船で日本に・・・なんてことはないのかな。それとももうやってる人がたくさんいて、既に海の藻屑になっているのか。 この家族、韓国に行くそうだけど、いいんじゃないですかね。 このニュースをみて最初に連想したのは、弥生時代の始まりについてだった。弥生時代の開始時期については紀元前4世紀という従来の年代観と、最近の化学分析による紀元前10世紀説との間でちょっとした論争になっているようだが、どちらにしても日本に稲作や金属器の製作がもたらされたのは大陸からの渡来民が来たことが刺激(100%ではない)になったということでは共通している。 紀元前4~3世紀の場合だと中国の戦国時代、紀元前10世紀だと商(殷)・周の革命がそのきっかけと推測されているのだが、北海道と同じく北朝鮮ではおそらく20世紀までは米も作ることは難しかっただろうから(気候の変動はあるだろうけど)、北朝鮮あたりからボートピープルが来たというのは考えにくい。せいぜい韓国の全羅道くらいだろうと思う。 まあ「大陸の高度な文明」が彼ら大陸出身者によってもたらされたのはそうかもしれないけど、つまるところ「難民」だよなあ。ヘレニズム文明だって、高→低と文明が流れたんじゃなくて、ギリシャで食い詰めた連中が一旗挙げに西アジアに活路を見出した、くらいに思ってるんだが(まあそれを狭い意味での難民というのは間違いだけど)。でも古代ギリシャ人たちのほうが北朝鮮国民よりまだましだったんじゃないかと思うと暗澹となる。 ついで連想したのは、8~10世紀にかけて、日本海を越えて日本に来た渤海使である。 渤海(パルへ、ポーハイ)というのは今の北朝鮮から中国東北部(満州)、ロシア沿海州にかけてあった国で、中国の唐や朝鮮半島の新羅と対立していたため、これらと敵対する日本に誼を通じてきたという。遣唐使などよりも回数が多く前後34回にも及ぶそうだが、これは単なる外交使というより実際は朝貢貿易による旨みがあったようで、持ち出しの大きい日本側が来航を制限するということもあった。 渤海使は主に朝鮮半島東岸沿いに南下するルートを通っていたが、新羅との関係が良くなかったので日本海を突っ切って来ることもあったようだ。その場合日本の能登半島や敦賀湾に着いた。残念ながら渤海使がどういう船に乗っていたのかは不明だが(実は遣唐使船も詳しい実像は分からないみたいだ)、国の使いだし多くの品々を積んでいたので、構造的にもっとましな船だったろうとは思う(その代わりエンジンがついてないので動力はむしろ貧弱だが) この時代は世界的に温暖期だったので海の様子も少しは違ったかもしれないが(ヨーロッパではヴァイキングが活躍した時代)、渤海使も難破しているので日本海の航海は難しかったはずである。 さらに連想したのは、1019年に正体不明の異人が対馬や北九州に来寇して略奪した刀伊(とい)の入寇、そしてそれとは正反対に、今回の事件の舞台に近い青森県の十三湊(とさみなと)の繁栄で、中世に栄えたこの湊は現在の北朝鮮にあたる地域とも交易をしていたといわれている。 まあ国家の概念はあいまいだったろうし、「亡命」してくる人なんかもいなかったと思うけど。「昔のほうがまし」なんてことはないだろうね。 次。(引用開始)警官隊とデモ隊衝突、1000人が重軽傷=反サミットで一部暴徒化-独6月3日22時0分配信 時事通信 【ベルリン3日時事】ハイリゲンダム・サミット(主要国首脳会議)を前に、ドイツ北東部ロストクで2日発生した反サミットデモ隊と警官隊との衝突で、警官隊とデモ隊双方の約1000人が重軽傷を負った。DPA通信によると、警官隊の負傷者は約430人で30人が重傷。またデモ隊の少なくとも520人がけがをし、うち20人が重傷という。 デモ行進は当初、平和裏に行われていたが、警察当局によれば、デモに参加していた過激派とみられる集団から火炎瓶や発炎筒、石などが規制に当たっていた警官隊に投げ付けられた。事態は次第にエスカレートし、警察車両の破壊や放火に発展。警官隊は放水銃や催涙弾などで対抗し、デモ隊百数十人が身柄を拘束されたという。 (引用終了) ちなみに騒ぎから一夜明けた今日は、平和裏に行事が進んでいるという。 なんかサミットの度に、グローバリゼーション反対を叫ぶ団体によってこういう騒ぎが起こされてるけど、デモはともかく暴力行為はいかんなあ。絶対いかん(イタリアじゃ死者が出た)。まあどういう政治運動でもそうだけど、妙なのが入り込んでかき回すというのはよくあることだろう。それで周りの一般市民はドン引きしちゃうんだよな。 今回のこのデモの場合、参加者は主催者発表で10万人、警察発表で2万5千~3万という。そのうち今回の過激行為に走った団体はせいぜい2000人(本人たちは1万人と主張)と見られる(服装見るとパンクっぽいのが多いんだが)。暴力革命を肯定するこうした連中はむしろ運動(本来は平和的デモとコンサート中心)の足を引っ張っているとしか思えない。反グローバリゼーション団体最大手のattacはこの暴力騒ぎを非難して警察の行動に一定の理解を示しているようだが。 足を引っ張るといえば、同じロストックでネオナチがデモをしようとして当局に禁止され、一部のネオナチが警備が手薄になっていたベルリンのブランデンブルク門を行進して、無届の示威行為の疑いで警察に拘束される騒ぎもあったらしい。警察の労働組合の声明によれば、今ドイツのほかの場所で何か起きても対処できないんじゃないか、というくらい厳重な警備がハイリゲンダムでは行なわれている(しかもドイツ人の嫌いな残業ばかりで、警官もうんざりらしい)。サミット会場(ケンピンスキ・ホテル)の周りは総延長12km、高さ3mの鉄柵で厳重に囲まれている。「ベルリンの壁」ならぬ「ハイリゲンダムの柵」ですな。 ネオナチは「反グローバリゼーションでは左翼も右翼も同じ」と主張しているそうだが、過激左翼団体の中にはネオナチのデモを妨害しようとする動きもあったという。ただ戦前のドイツでは野党時代のナチスと共産党はむしろ共闘関係にあったこともあり(ナチスが政権を獲得して最初にやったのは共産党弾圧だが)、体質的に似ているところは今もあるのかもしれない。要は騒ぎを起こしたいだけなんですな。 こうした少数の過激派がおとなしい大多数の穏健派を巻き込んでいく今回のデモ騒ぎの有様は「ドイツの政治の悪しき伝統」と分析する人がいるくらい、深刻に受け止められている。まあそこまで反省しなくても・・・と思うけど。 あまり関係ないけど、昔僕の田舎で日教組の大会が行なわれたとき(ちなみに日教組の元委員長に僕の出身中学の教師だった人がいるそうだ)、日本中から右翼の街宣車が集まってきて毎日すごい騒ぎだった。僕の実家は大通りに面しているから(しかも県の社会党本部がすぐ近所にある)、もう一日中大音響で軍歌とか流されていい迷惑だった。 僕自身はデモ行進に参加したのは日本では一度も無く、ドイツでアフガニスタン攻撃反対デモと、大学の授業料導入反対デモ、そして学科の縮小・削減反対デモに加わったことがあるくらいである。それでも警察がたくさん来た。ドイツの警官って大きくてごついし(日本の警官よりは堅苦しくないし、普段は割とにこやかだが)、ガウガウ吼えまくる警察犬(シェパード犬)を連れてくるので結構怖い。 来年のサミットは日本、場所は洞爺湖だそうだけど、こうした過激派も世界中から集まるのかな?? グローバル化反対の抗議活動も、しっかりグローバル化している。そういえば「シュピーゲル」には、この反グローバル化デモ参加者が、グローバル化の象徴ともいえるマクドナルドでデモの合間にハンバーガーをむさぼり食べているさまが報じられていた。なんか意地悪な記事だな(笑)。
2007年06月03日
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今日ニュース切り貼り日記。日記書く気はなかったんだが、驚いたのでやっぱこれは触れとかないと。 新横綱・白鵬誕生が決まったり、イラン革命以来27年ぶりに大使級レベルながらアメリカとイランがイラク情勢について直接対話をしたり、ウクライナで治安部隊同士の衝突寸前で回避され選挙が前倒しになったりと、新しい局面への展開を予想させるニュースがあったのだが、やはり以下二件のニュースに触れないわけにはいかんでしょう。他のブログとかでも同じような組み合わせが多いんだが。 この二件、いずれも慶応大の大学病院が舞台になった。東京の真ん中というとやはりこの病院なんですかね。では時系列順に。(引用開始)「負けないで」など名曲残し、ZARD坂井泉水さんが急死5月28日14時20分配信 読売新聞 人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。 警視庁四谷署によると、26日午前5時40分ごろ、坂井さんが慶応大病院(新宿区)の病棟脇の地面にあおむけに倒れているのを通りがかった人が発見した。 坂井さんは、後頭部を強く打っており、同病院で手当てを受けていたが、27日午後、死亡した。 同署によると、坂井さんは避難用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられ、事故死と自殺の両面で調べている。争った形跡はなく遺書もなかった。 (引用終了) 1990年代中頃には湧き出るようにアルファベット名のグループがいくつも登場してテレビをつければその歌が聞こえてきて、当時は正直鬱陶しく思ったものだった。ZARDっていうのもそのうちの一つかと思ったら女性ボーカルのバンドで(というか一人でやってると思ったんだが)、おや、と思ったものだった。まあ全然熱心に聴いてたわけではなくて、テレビをつけてたら耳に入ってた、くらいだったんだが。ただあの頃の「BGM」の一つといえる。 おや、といえば「坂井」というのは芸名だったのか(本名の「蒲池」って、九州のほうの人なんだろうか)。他のニュースを読むと子宮ガンが肺に転移で闘病中だったようで、病苦かスランプによる自殺と思ったが、それを否定する情報が多く流れている。ポジティヴな歌を作っていたのだから、自殺であって欲しくないというのは誰もが思うことだろう。 何にしても、若くして死ぬことは悲しすぎる。 さらに衝撃的なニュース。(引用開始)松岡農相 首をつって自殺 議員宿舎で5月28日16時59分配信 毎日新聞 28日午後0時18分ごろ、東京都港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で松岡利勝農相(62)が倒れているのを迎えに行った秘書官らが見つけ、警察に通報した。首つりによる自殺を図ったもので、救急隊員らが現場で応急処置をした後、午後1時に東京・慶応大病院に運んだが同2時死亡が確認された。松岡農相は自らの事務所の政治資金問題や、官製談合事件が告発された農水省所管の「緑資源機構」の関連団体からの献金問題で野党から追及され、世論からも批判を浴びていた。(中略) 松岡農相は自らの資金管理団体が事務所の光熱水費をめぐる不明朗な処理で世論批判を受け、野党から追及されていた。安倍晋三首相は「法的な責任を果たしている」と擁護していた。しかし、官製談合事件で刑事事件に発展した緑資源機構の関連団体から献金を受けていたことも発覚。自民党内からも辞任を求める声が出ていた。 松岡農相は衆院熊本3区選出。1990年、衆院選に立候補し初当選。05年に6選を果たし、昨年9月の安倍内閣発足時に農相に就任した。(後略)(引用終了) 在任中の大臣の自殺は戦後日本では初めてだというが、戦前だってほとんど例がないんじゃないか(暗殺された人はたくさんいるけど)。思いつくところでは敗戦直後に自決した阿南惟幾陸軍大臣くらいだが。外国でもフランスのベレゴヴォワ首相が拳銃自殺した例が思いつくくらいだ。「なんとか還元水」の迷答弁を残したという松岡氏だが、こんなことで歴史に名を残すとは思いもよらなかった。 「なんとか還元水」の厚顔のイメージがあったが、死ぬほどの重圧とはなんだろうか。大臣辞職や議員辞職では済まない何かだろうか。外国の報道とかを見ると、1億3千万円(約80万ユーロ)の不正献金疑惑がどうこうとあるが。それなら死ななきゃならん政治家はたくさんいるでしょうに。ただ彼のイメージとして農水族ではあっても「巨悪」という感じでもないのだが・・・。「死人に口なし」ではなく、真相が究明されることはあるのだろうか。とかく有耶無耶にされがちの感がある。 しかしこれは立つ鳥跡を濁すというか、かばってきた上司(安倍首相)が形無しではないか。さっさと更迭しろという声もあったみたいだが、自殺という選択を取ったということは、(大臣としての力量は別として)政治家としてその程度(巨悪というほどでもない程度)の器だったということか。ある意味善い人だったのだろう。僕と同じ「小物」として今更ながらちょっとした親しみは湧く。 どんな立場だろうが、何があっても自殺はいかんよ。そうして一番迷惑をかけるのは、最も愛すべき周りの親しい人たちなんだから。
2007年05月28日
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短くニュースを切り貼り。(引用開始)<愛知立てこもり>防弾チョッキかすめ胸に被弾 林巡査部長5月18日2時30分配信 毎日新聞 仲間を救出しようとした時、銃弾が警戒中の別の警察官を襲った。愛知県長久手町で17日に起きた立てこもり事件は、2人の警察官が撃たれ、1人が死亡するという最悪の事態となった。現場近くでは、自宅からの外出を禁じられた住民たちが恐怖におののきながら眠れない夜を過ごした。 最初に銃撃を受けた長久手交番の木本明史巡査部長(54)を救出しようと、ジュラルミンの盾を持った完全武装の警察官約20人が立てこもっている大林久人容疑者(50)の自宅の敷地内に突入したのは午後9時23分ごろ。 撃たれて倒れたままの状態で、同6時ごろまで無線機を通じて伝わっていた木本巡査部長のあえぎ声はもう聞こえない。その瞬間、銃声が響き、民家から7、8メートル離れた路上で警戒にあたっていた特殊部隊(SAT)の林一歩巡査部長(23)の左胸を弾丸が貫き、林巡査部長は約3時間後に死亡した。 警察庁によると、銃弾は死亡した林一歩巡査部長の防弾チョッキと首の部分の境目付近に命中していたという。同庁幹部は「倒れている警察官は一刻も早く救出が必要だった。どうして撃たれるような事態になったか検証が必要だ」と話した。 現場近くの愛知学院大の寮内にいて救出の様子を見た男子大学生(20)は「警官隊が盾を壁のように並べて負傷した警察官に近づき、警察官を半円形に取り囲むようにして助けに行った。引きずりながら救出していると『おーい』と怒鳴る声が聞こえ『パーン』と銃声が響いた。寮内で警戒していた警察官が『また1人撃たれた』と言った」と話した。(以下略)(引用終了) ドイツのニュースでも取り上げられたみたいだが、物騒だな。 それより何より殉職された警官のことが無念である。立てこもりの原因は復縁がどうこうということだが、いくら元暴力団員だからってそこまでするだろうか。犯人への怒りはもっともなことだが、事件の背景やなぜ殉職者を出すことになったのか解明して欲しい。無臭無色の催眠ガスとかないのもだろうか(ロシアの人質事件ではガス注入作戦で多くの人質が巻き添えで死んだのだが)。先に撃たれた警官が晒し者になっていた光景は無残と言うよりないが、もっと早くに救出作戦に取り掛かれなかったものだろうか。 ドイツでは空港とかで警官がでかい自動小銃を抱えて歩いていたりするので銃器を目にすることは日本より多いが、やたら滅多ら犯人を狙撃しようとしないのは日本に近いのではないかと思う。まあミュンヘン五輪の苦い記憶もあるので対テロ特殊部隊では日本より一日の長があるのだが。 ちょっと不謹慎だが、殉職した警官の防弾チョッキの話が興味をひいた。 犯人は大口径の拳銃を持っていたそうだが、防弾チョッキの部分に当たっていればおそらく死なずに済んだだろう。襟元に命中したのは偶然だろうけど、運が悪かったとしかいいようがない(犯人は「殺すつもりはなかった」と供述しているそうだが、それはそうかもしれない。しかし人の方に向って発砲すれば死者が出るかもしれないのは当たり前だろが!)。救出に集中するあまり楯を構えるのが疎かになり、俯きになったところに弾が飛んで来たのだろうか。 防弾チョッキと昔のよろいの胴は基本的に似たような形状だが、甲冑でも弱点は首筋、顔面(特に目)、わきの下、股間である。運動性の必要上ここはどうしても無防備にせざるを得ない。それを防ぐために頸甲(首筋を防護する部品)や栴檀・鳩尾の板(腋を守る部品)などもあったのだが、そういう部品をつけるのは馬に乗った騎馬武者だけで、徒歩の兵士はより軽装にせざるを得ない。 よく時代劇(大河ドラマ)で鎧の上から切りつけてばたばた敵を切り倒すシーンがあるが、あれは無茶苦茶である。あんなに簡単に切り倒せるなら鎧を着ている意味が無いじゃないか。実際は上に挙げたような弱点を世知辛く狙わないととてもじゃないが歯が立たないはずだ。源平合戦などは優雅なイメージさえあるが(扇の的とか八艘跳びとか)、実際はえげつないもので、馳せ射ちでの矢合わせは敵の顔面狙い、組討になったら無防備な敵の股間を狙って草摺の下から短刀を突き込む場面が多い。実際の戦争はかっこ悪かったのである。・・・・・・・(引用開始)<アフガニスタン>自爆テロでドイツ兵ら死亡 北部5月19日19時27分配信 毎日新聞 アフガニスタン北部で19日、自爆テロが発生し、パトロール中だったNATO軍所属のドイツ兵士3人と民間人4人が死亡した。地元当局は、イスラム原理主義勢力タリバンの犯行としている。またAFP通信によると、東部パクティア州で18日、米兵らがタリバンの部隊と交戦し、タリバン兵67人が死亡した。 (引用終了) これはあまりに短い記事だが(毎日のようにあるニュースなので)、ドイツでは衝撃をもって受け止められているようだ。 今朝8時頃、北部クンドゥズ市の市場をドイツ兵がパトロール中、何かを買おうと車(軽装甲車ではなく普通のジープ)を停めてアフガニスタン人の通訳と共に車から降りたところを、自爆テロ犯に襲われたようだ。ターリバンが犯行声明を出している。攻撃によるドイツ軍の死者は2003年7月以来。 イラク戦争反対のイメージが強いが、ドイツはアフガニスタンにはかなり積極的に関与している。前政権のペーター・シュトルック社民党幹事長(のち国防相)は「ドイツの自由はヒンドゥークシュ山脈でも守られなくてはならない」といってこの派兵を正当化した。 ドイツ軍はISAF(国際治安支援部隊)のうちアフガニスタン北部の治安維持と復興を担当しており、およそ3000人を派兵しているが、これはアメリカ・イギリス軍が増派するまではISAF中最大の兵力だった。最近南部でターリバンが反撃を活発化させているのに対し、他のNATO諸国の要請(あるいは「ドイツは及び腰」という批判)もあって、この春からトーネード戦闘機6機を南部での偵察任務に投入したばかりである。ただし戦闘行為への参加は今も拒否し続けている。 北部はターリバンの勢力が少なく(ターリバン政権時代は北部同盟という反対勢力の支配地域だった)比較的安全と言われていたのだが、もはやアフガニスタンに全く安全という場所はなくなりつつあるのか。メルケル首相は即座に派兵の固持を表明したが、連立与党の社民党からは撤退論が出つつある。以前はアフガニスタン派兵に反対していたのはごく少数の左派党や「緑の党」(アフガニスタン派兵を決めた当時は与党だったので、党としては派兵賛成)の一部だけだったのだが、議論になることは避けられない。折りしも今週就任したフランスのサルコジ新大統領がアフガニスタン派兵見直しを口にしている(まあフランスは元々NATOと距離を置いているのだが)。 ドイツにとってアフガニスタンは遠い国ではあるが、これはドイツも属するNATOの任務であるし、アフガニスタンでターリバン政権が復活→パキスタンで混乱(現在も親米的なムシャラフ政権は危地に立たされつつあるが)→核兵器をもつパキスタンにイスラム原理主義政権→同じく核保有国のインドが警戒→スンニ派のターリバンと仲の悪いイラン(シーア派)が軍備強化・核開発という流れを恐れている。まあドイツにとってイランのミサイルは、日本にとっての中国・北朝鮮のミサイルほどには深刻な脅威と感じてはいないだろうが。 ISAFは総勢3万5千人(年々巨大化している)、アフガニスタン国軍2万8千人及びアフガニスタン警察3万人と共同で治安維持や復興支援にあたる。当初はカーブル周辺のみだったが、アフガニスタン政府の要請で全域に拡大した。担当区域は以下の通り。・首都(カーブル) フランス主導。他に多国籍部隊・北部(マザーレシャリフ、クンドゥズなど) ドイツ主導。他にスウェーデン、ノルウェー、ハンガリー・東部(バーミヤン、ガズニなど) アメリカ主導。他にトルコ(戦闘部隊を派遣している唯一のイスラム教国)、オーストラリア・南部(カンダハルなど) オランダ主導。他にカナダ、イギリス、アメリカ・西部(へラートなど) イタリア主導。他にリトアニア、スペイン、アメリカ・その他小部隊や支援部隊の派遣国 ベルギー、チェコ、デンマーク、エストニア、ギリシャ、アイスランド、ラトヴィア、ルクセンブルク、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、アルバニア(休暇中?のアルバニア兵をアンカラのアナトリア文明博物館で見たことがある)、オーストリア、アゼルバイジャン、クロアチア、フィンランド、マケドニア、アイルランド、セルビア、スイス、ニュージーランド、エジプト、ヨルダン、韓国 日本はアフガニスタン自体には派兵していないが、インド洋で米英軍に給油活動をしている。全く無縁ではない。 ドイツは今日の事件までにアフガニスタン派兵で21人の死者を出している。うち4人は2003年の自爆テロによる犠牲者(任務を終えドイツに帰国するためカーブル空港に向っているバスが狙われた)、他は爆弾・地雷処理中の事故やヘリコプターの墜落によるものである。 2001年以降、アフガニスタン侵攻作戦及びISAF全体では今年5月現在で505人(うちアメリカ319人、カナダ54人、イギリス54人、ドイツ21人、スペイン20人など)が犠牲になっている。その他アフガニスタン治安部隊の死者がおよそ1000人、ターリバン側の死者は推定1万人、民間人の犠牲者はどんなに少なく見積もっても2万人(諸説ありはっきりせず、2001年だけで4万9千人が死んだと主張する人もいる)。イラクやダルフールが目立つが、こっちもひどい。 ターリバン支配下よりはましだとは思うのだが(まあ命あっての物だねともいうけど)、一体いつ終わりが来るのだろうか。
2007年05月19日
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日本でも関東地方でバイオ燃料の販売が始まったという。だいぶ前にブラジルでは走っているバスがほとんどアルコールで動いているとブラジル人に聞いたことがあったのだが、それとはまた別でガソリンとほとんど成分が変わらないんだという。 「環境に優しい」というので「そりゃ結構じゃないか」となんとなく思っていたのだが、eugene9999さんのこちらの日記を読むと疑問が湧いた。 そしたら次のようなニュース。(引用開始)バイオ燃料が影響 独ビール値上げへ 導入拡大→大麦の生産減、高騰4月28日8時32分配信 フジサンケイ ビジネスアイ ビール消費大国のドイツで、地球温暖化防止に向けたバイオ燃料導入のあおりを受けて、原料の大麦価格が高騰、ビールの値上げに踏み切る動きが出てきた。世界各地でもバイオ燃料の影響で穀物価格が上昇しており、ビールをこよなく愛する消費者の財布を直撃しそうだ。(坂本一之) 米誌ビジネスウィーク(電子版)などによると、ベルギーのビール大手インベブのドイツ部門は「5月1日から卸売業者への販売価格を引き上げる」と表明、小幅な値上げをする計画を打ち出した。ドイツ大手のラーデベルガーも値上げを検討しており、大麦価格の上昇によるコスト増を商品価格に転嫁する動きが広がっている。 もともと大麦の生産規模が縮小しているドイツでは、2006年の収穫不足が影響し、大麦価格は過去1年で1トン当たり200ユーロ(約3万2000円)から400ユーロへと2倍も跳ね上がっている。 フランス通信(AFP)によると、大麦生産農家は、政府の手厚い助成金を受け取ることができる菜種などバイオ燃料の原料の栽培にシフト。ドイツ国内の大麦畑の面積は年に5%も減少している。すでに国内耕作地1200万ヘクタールのうち200万ヘクタールがバイオ燃料向けの作物を生産しているという。 政府のバイオ燃料推進政策による穀物生産の減少の影響は大きく、ドイツのパン価格も10%近い上昇が見込まれている。 ■穀物への余波、世界各地に 温室効果ガス削減に向けたバイオ燃料の導入拡大は世界各地で進んでおり、中国の英字紙チャイナ・デーリーは、エタノール向けのトウモロコシ使用量が06年に政府制限の300万トンを大きく上回る1600万トンに達し、トウモロコシ価格の高騰を引き起こしていると指摘した。 ブッシュ米大統領がエタノールの導入拡大を打ち出した米国ではトウモロコシ価格が2月に1ブッシェル当たり4・3ドル台半ばとなり、10年7カ月ぶりの高値を記録、加工食品や家畜飼料とともに食肉の値上がりにつながっている。 メキシコでは主食のトルティーヤがトウモロコシの高騰で値上がりし、今年1月に4万人近い市民が参加したデモが発生、社会問題にまで発展した。 ドイツ(国民約8200万人)の1人当たりビール消費量(06年)は1日平均0・31リットル。レストランやバーでは0・5リットルをわずか3ユーロ(約490円)で飲むことができ、欧州内でも安い価格がその人気を支えている。 激しい競争が続くドイツ市場で値上げに踏み切るのは、ビール会社にとって消費者離れを引き起こすリスクもあるが、大麦のコスト上昇は避けられない状況。関係業界は政府に対し、食料の安全保障を主張してバイオ燃料向け作物に対する助成金を削減するよう求めている。 ただ、報道で、生産者は、ビール業界が大麦の低価格買い取りなどを進めてきたことで「もはや採算はとれず生産をやめるしかない。バイオ燃料だけが(大麦生産減少の)原因ではない」と構造的な課題も指摘している。 (引用終了) 聞いてないよ・・・!というニュースだが、こういうのは世界中で起きてくるんだろうね。食料自給率の低い日本じゃ尚更ではないだろうか。トルコの田舎では農民が金にならない小麦作よりも換金性の高い綿や砂糖大根に転作しているのをよく見たけど、小麦の換金性の高くなる日が来たら日本ではうどんを食べられなくなるんだろうか? まあそれでもドイツのビールは、上の記事にあるようなレストランではなくスーパーで買えば、概ね日本の発泡酒並みの値段だけど。ただガソリンはべら棒に高くて(環境税などのため)、日本の1.5倍くらいするんじゃないか。 そしたら雑誌「シュピーゲル」の増刊号にこういう記事が載っているので、全訳してみる。筆者は食糧問題の専門家で以前から警鐘を鳴らしていたレスター・ブラウン氏。(訳出開始) 世界のための燃料(レスター・ブラウン) 今や人間ではなく自動車が穀物の大部分を消費しており、2006年には前年よりもさらに加工される穀物が増えた。アメリカ農務省の推計では、2006年に世界のトウモロコシ消費量は前年より2000万トン増加した。そのうち1400万トンはエタノールに加工されており、食料として消費されたのはたったの600万トンである。エタノールに加工される穀物の量は、2001年の1800万トンが昨年には5500万トンと、この5年で3倍になった。 世界の燃料に対する欲望は尽きることが無い。RV車の120リットル入り燃料タンクを満タンにするには、一人の人間が一年間に消費する量の穀物を必要とする。言い換えれば、二週間に一度給油すると、26人の人間が一年間に食べることの出来る食料を消費することになる。 世界のどこかでエタノールやバイオ・ディーゼルの精油工場の建設計画が発表されない日はほとんどない。2005年10月から2006年10月までの一年間だけで、アメリカでは54のエタノール精油所が計画された。そのほとんどは今年中に操業を開始し、総計で一年間に3900万トンの穀物を必要とし、そのほとんどはトウモロコシである。アメリカで十指に入る穀物生産地であるサウスダコタでは、既に収穫の半分以上が燃料に加工されている。 既に日本、エジプト、メキシコといったトウモロコシ輸入国は、世界の輸出トウモロコシの三分の二を占めるアメリカが近い将来輸出を削減し、自国の畜産・養鶏業に危機をもたらすことを危惧している。トウモロコシ輸入国のうちメキシコやナイジェリアといった国々では、トウモロコシが主食である。一方アメリカではトウモロコシは主に間接的に消費されている。冷蔵庫に貯蔵されている食料品のほとんどは、トウモロコシが原料である。 食べられるもの-小麦、米、大豆、サトウキビ-のほとんど全てが燃料に変えることが出来るようになってから、食料産業とエネルギー産業の境界は曖昧になっている。以前は畜産や養鶏業が穀物の唯一のお得意様だった。今ではそれにガソリンスタンドに供給されるガソリンが加わっている。 原油価格が高騰すると、農産物から作られるバイオガス、エタノール、バイオディーゼルの生産はより大きな利益を得ることになる。つまりは収穫を食料とするか燃料に加工するかは原油価格に左右されるわけだ。食料としての価格が原油価格を下回れば、生産者はその収穫をパン工場ではなく燃料工場に売るようになるわけである。 バイオマスを原料とする燃料は主にブラジル、アメリカ、西ヨーロッパで生産されている。世界最大の砂糖生産国であるブラジルでは、収穫の半分以上がエタノールに加工されており、砂糖の価格は2004年の倍に高騰した。ヨーロッパはバイオディーゼルに重点を置いている。2005年に農産物から加工された約400万トンの燃料のうち、320万トンはバイオディーゼル、70万トンは穀物かサトウキビから加工されたエタノールである。 アジアでは主に中国とインドがエタノール工場を建設している。2005年には中国は200万トンのエタノールを主にトウモロコシから、そして小麦や米から加工した。インドでは主にサトウキビから加工されている。タイはマニオク原料のエタノールに、マレーシアやインドネシアはアブラヤシからの新しいバイオディーゼル精製に集中的に投資している。 世界中のバイオ燃料への投資は制御出来なくなりつつある。それは畜産や養鶏に必要な穀物を脅かし、劇的に不足する恐れがある。さらにひどいことに、計画されている膨大なバイオディーゼルやエタノール精製工場は、近い将来、人間が食べる穀物の不足をもたらす恐れがある。疑いようもない。世界は8億人の自動車所有者と、生き延びるだけが目的の20億の最貧困層との戦場になる。 世界中の石油生産者によれば、世界の穀物価格は上がり続けるのでそういう事態は回避できるという。既に小麦とトウモロコシの価格は歴史的高値にあり、2006年には前年に比べ20パーセントも高騰した。唯一の問いは、食料品の価格がいつ高騰するかということだ。 その収入の少なくとも半分を食料に充てなくてはならない世界の20億人の貧困層にとって、高騰する穀物価格はすぐに生命の危険になる。それは各国で食料を求めての紛争を引き起こし、また穀物輸入にも影響して世界経済への脅威となりかねない。 だがそのような事態となることを避ける可能性はある。燃料のうちエタノールの部分は、低い燃費水準を20%上げることで、その分量を増加させコストを削減出来る。別の可能性は高性能のハイブリッド・エンジンである。これに対し、慢性的に飢餓か栄養失調状態にあるおよそ8億人にとって、食料は選択肢のないかけがえの無いものである。世界は迫り来るパンと燃料との競合に対する戦略を早急に打ち立てなくてはならない。(訳出終わり) ビールどころの騒ぎじゃなさそうだな。先を見越して小麦作りでも始めるか・・・。
2007年05月13日
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この日記に芸能関係のニュースを書くことはほとんどなくて、一番最近で覚えている限りでは、旦那さん(だいぶ歳上の新興宗教の教祖)が先日急死した若村麻由美が、何年か前に結婚を発表したときにここになんか書いたと思うのだが(僕は若村さんのファンだったんですな)、ちょっと目に止まったニュースがあったので貼り付けておく。(引用開始)小林武史とakko“マイラバ”離婚5月13日10時0分配信 日刊ゲンダイ 大物音楽プロデューサーの小林武史(47)が、妻で「マイ・リトル・ラバー」のakko(34)と離婚し、歌手の一青窈(30)との再婚に向けて協議を進めていることが分かった。スポーツ紙(10日付)が報じた。 小林はサザンやミスチル、レミオロメンなどの人気アーティストを手がけてきた敏腕プロデューサー。自らメンバーとして参加したのが「マイラバ」で、ボーカルのakkoと96年7月に結婚。ポップス界の“おしどり夫婦”といわれてきたが、今年3月頃に離婚話が浮上した。理由は小林と一青との不倫。既に夫妻は別居中で、2人の子供の問題が解決次第、小林は一青との新生活をスタートさせるという。 (引用終了) マイラバか、懐かしいな。 10年くらい前はずいぶん熱心に聴いたものだったが(もう10年か!)、最近はさっぱり・・・・というかまだ解散してなかったのね。ギターの藤井君が抜けて(2002年)実質解散したものと思っていたのだが。 今「ウィキペディア」で調べたら、アルバム11枚も出してたのか。僕が熱心に聞いてたのは三枚目の「NEW ADVENTURE」くらいまでなんだけど。つーか今はもうCD買う時代じゃないのか。 しかし今回こそ本当に解散か(それともAkkoがソロで続けるのか?)。まあ離婚は個人の問題だからどうこう言えないけど、残念なことではある。それにしても小林武史って悪いやっちゃな。一青窈(最初は何と読むのか分からなかった。芸名と思ったら本名なのね。しかも福田和也の教え子だって)という歌手はテレビで何度か見たけど、声も歌い方もおいらの好きなタイプの歌手ではない。Akkoのほうがずっといいぞ俺は。でもこの二人、なんとなく共通している気もする。 それにしても僕の日本の芸能界に関する知識はおよそ10年前で止まってしまっている(いやまあどうでもいいからなんだけど)。これと同じ日に出来ちゃった結婚を発表した元モーニング娘のなんとかいう人も知らんし。 もう何年も聞いてなかったが、久しぶりにマイラバ聞いてみるか(新しいのには興味なし)。ちなみにお気に入りだったのは「白いカイト」「空の下で」「DAYS」の三曲。 僕はマイラバの次はTheCorrsを割合熱心に聞いたのだが、なんか共通してるんだろうか。Corrsもメンバーの結婚やら出産やらで最近動向を聞いてないけど、こちらももう新曲に興味はなくなった。かくして芸能は消費される。 Vita brevis, ars longa, occasio praeceps, experimentum periculosum, iudicium difficile
2007年05月10日
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出来ればブログには明るいことを書いておきたいのだけれども、日記の体裁を取っている以上はリアルタイムで起きた「歴史的な」出来事は記録しておきたいという気持ちもある。 そこでどうしてもこのニュースは触れておかねばなるまい。(引用開始)<米銃乱射>容疑者は同大在籍の韓国出身学生 計画的犯行か4月17日23時1分配信 毎日新聞 【ブラックスバーグ(米バージニア州西部)和田浩明】米バージニア工科大学で32人が射殺され15人以上が負傷した銃乱射事件で、同大は17日記者会見し、容疑者が同大4年に在籍する韓国出身のチョ・スンフィ(23)という男だったと明らかにした。また寮と講義棟の2件の銃撃で使われた二つの拳銃が同じであることが判明した。米捜査当局は動機の解明を急ぐ一方、犯行に使用された銃の出所を追及している。 同大によると、チョ容疑者は同大の寮に住んでいた。英語を専攻していた。1人でいることが多く、友人もいないようだったという。 同大は17日午後、犠牲者の追悼を行う。ホワイトハウスは同日、ブッシュ大統領が追悼に出席すると発表した。 目撃者の証言によると、同容疑者は講義棟での犯行前に各教室をのぞき「誰かを探していたようだった」という。また、惨劇の現場となったドイツ語のクラスを2回見に来た後、銃を乱射した。またニューヨーク・タイムズ紙によると、この約2時間半前に男女2人が射殺された学生寮で、以前の女友達を探して各部屋を回ったという。 一方、講義棟での乱射事件で、同容疑者は玄関を内側から南京錠や鎖で閉鎖しており、犯行が計画的だった可能性も指摘されている。 FBI(米連邦捜査局)などによると、講義棟での犯行に使用された銃は22口径拳銃などだった。しかし銃の製造番号が消し去られており、不正に入手した可能性が強まっている。 最終更新:4月17日23時21分 (引用終了) 凶行の犠牲者に対し、あまりの痛ましさに言葉もない。 「犯人はアジア系」ということで、犯人探しがネット上で行われ、銃器好きでブログにそれを公開していた中国系学生が犯人と目され実は冤罪だったり(自殺したはずの「犯人」がブログを更新できるわけがない)(記事)、本来銃器規制が議論されてしかるべきだと僕らなどは思うのだが、アメリカでは逆に「被害者たちが銃器を持っていれば、この悲劇は防げたはずだ」とむしろ学生全員に銃器の携行を認めさせるべきという意見が出てきたり(記事)と、こうした事件が起きるたびに繰り返される騒ぎが起きている。 僕にはとても信じがたい後者の記事を読むと、先日の日曜日に悲劇の舞台となった大学の近くで銃器市があり誰でも割合簡単に銃器を入手できた、とある同大の学生が証言しているのだが、恐ろしいというよりない。 この事件についてはネット上で続報を追っているのだが、日本のニュースサイトに比べこの「Spiegel」電子版は早くに事件の背景を深く掘り下げた記事を掲載している。日本のニュースサイトが記者発表とかの「中継」に過ぎない短い記事ばかりなのとは大きい違いだ。ネットに限らず、「Speigel」レベルの報道雑誌がない日本は悲劇というよりない。閑話休題。 犯人はアメリカに定住している韓国人と発表された。まあ子供の頃にアメリカに移住していたそうだから、どちらかというとアメリカ的な思考の持ち主だったのかもしれない。韓国の新聞を見ると、この大学には500人あまりの韓国人留学生及びほぼ同数の在米僑胞(韓国系アメリカ人)が在籍しているという。この大学には他にも中国やインドの留学生も多いということだが、日本人留学生は20人くらいだそうで、人数が桁違いなのにちょっと驚いた。 理系分野のことはよく知らないけれども、ドイツに留学している韓国人が日本人よりも圧倒的に多いことや(中国人は言うまでもないが)、日本の三分の一というあの国の総人口を考えると、相当な割合で留学しているのだなあと思う。これまたあまり関係ない話題か。 学校での銃器乱射・大量殺人というと、日本と違ってドイツも無縁ではない。それは日本より狩猟や射撃が盛んなので、銃器がスポーツ用としてより多く出回っていることもある。 2002年4月26日、エアフルト市のグーテンベルク高校でこの学校の元生徒が教師を狙って発砲、16人が殺害され犯人も自殺した事件が起き、「アメリカとは違う」と思っていたドイツ社会に大きな衝撃を与えた。その後暴力的なゲームや映画の規制などが論議されたのもお約束である。僕はその年の11月にベルリンで偶然その学校の出身者(事件の二年前に卒業していた)に会ったことがある。 また昨年11月にはエムスデッテンの高校で負傷37人(うち銃器による負傷5人、爆発物の煙を吸った人32人)、そして犯人が自殺する事件が起きている。犯人はやはりこの学校の元生徒で成績は不振で同級生との仲がうまくいかず、この世界を恨む犯行予告をインターネット上で公開していて話題になった。この事件を受け、やはり銃器規制やコンピューターゲーム規制が議論されている。 ドイツ語でこうした大量殺人をAmoklaufというのだが、こうした機会に調べるのは不謹慎だがちょっと調べてみた。Laufは「歩く」というドイツ語で良いとして、Amokであるが、マレー語のmeng-âmok(「狂乱して殺す」)という言葉から来ており、元々は文化人類学の用語だったらしい。マレー・インドネシアでは戦士が半狂乱状態になって見境なく敵を殺すという文化があり、マレー語で「殺す」を意味するamokがその状態を指すようになった。 当初はアヘン使用による狂乱状態であると考えられていたのだが、同じような状態は薬物などの使用がなくとも人種・文化に関わりなく起きることが発見され(17人が殺害された1913年のエルンスト・ヴァーグナー事件。ドイツ司法史上初めて心神耗弱による減刑が認められた)、この言葉が広まった。 犯罪学の統計で見るとこうした犯行の6割超は報復を目的とした半ば計画的犯行で、いわゆる「ヒステリー」によるものは7%のみである。また犯人の27%は犯行直後自殺しているという(16%は警察により射殺)。 こうした物騒な銃器犯罪は日本と無縁と思ったが・・・・・、(引用開始)<長崎市長>銃撃され心肺停止、組幹部を逮捕 選挙事務所前4月17日20時26分配信 毎日新聞 17日午後7時50分ごろ、長崎市大黒町のJR長崎駅前で、同市の伊藤一長(いっちょう)市長(61)が男に撃たれた。救急車で同市の長崎大付属病院に運ばれたが、意識不明で心肺停止の状態。男は現場付近で選挙事務所関係者に取り押さえられ、長崎県警が殺人未遂容疑で逮捕した。男は「殺してやろうと思った。撃ったのは間違いありません」と殺意を認める供述をしているという。 逮捕されたのは同市風頭町、指定暴力団山口組系水心会幹部、城尾(しろお)哲弥容疑者(59)。県警は長崎署に捜査本部を設置、動機について本格的に追及する。また、回転式拳銃1丁を押収。近く同市内の水心会事務所を家宅捜索する方針。(中略) 城尾容疑者は数年前、工事中の市道で自分の車が路面の穴にはまり、破損する事故を起こしており、市に抗議するトラブルを起こしていた。この件で伊藤市長を刑事告発していたが、長崎地検は04年に不起訴としている。このほか、城尾容疑者の知人が経営する建設会社が市の中小企業関連融資を受けられなかったことを恨んでいたという。最近、知人の弁護士らに「(市の)公共工事から外された。一発ぶちかましたら動機を発表してほしい」と市長への恨みを漏らしていたという。 伊藤市長は22日投開票の同市長選に、4選を目指して立候補していた。ほかにはいずれも新人の無所属2人、共産党公認1人が立候補している。 伊藤市長は、長崎市出身。早稲田大政経学部を卒業後、市開発公社に勤務した後、市議2期、県議3期を経て、95年4月の市長選で初当選。4年前の統一地方選で連続3選を果たした。九州市長会長、世界120カ国1608都市が加盟する「平和市長会議」の副会長などを務めている。 警察庁によると、伊藤市長は警察による警護の対象ではなかった。長崎市幹部によると、城尾容疑者は、しばしば市議会の傍聴に訪れていたが、特に騒ぐこともなく、静かに聞いていたという。 長崎市では90年1月、当時の本島等市長が右翼団体幹部に撃たれて重傷を負う事件が起きている。(以下略)(引用終了) 前任者の本島元市長の例もあるし、最初は右翼団体の襲撃とか思ったのだが、理由はどうであれこの犯罪は言語道断である。 今更当たり前のことだが、銃器犯罪も暴力団も許してはならない。日本には深い闇がある。(追記) 伊藤市長は間もなく死亡した。ご冥福をお祈りする。
2007年04月17日
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中国の温家宝首相が日本訪問中。中国首相の訪日は6年半ぶりのことという。 前回の朱前首相の訪日のとき、僕はたまたま山梨のリニアモーターカー実験場視察に赴く朱首相一行と同じ方面に出かけてしまい、高速道路で機動隊がものものしい警備をしているのに出くわしたことがあったが、あれからもうそんなに経つのね・・・。 それはともかく、温首相の訪日をめぐるニュースからいろいろ切り抜き。 といっても友好ムードに水を差すような記事ばかりで済みませんが・・・・。いやね、僕は大学の第二外国語は中国語だったし、中国の歴史や文化には興味はあるんですがね。日本と中国は善隣関係であって欲しいとも思うし。(引用開始)国会演説、一部読み落とし=後で「日本の平和発展支持」強調-中国首相4月13日0時0分配信 時事通信 中国の温家宝首相は12日午前の国会演説で、用意された原稿から「日本は戦後、平和発展の道を選び、世界の主要な経済大国、重要な影響力を持つ国際社会の一員となった。貴国の友好隣国として中国人民は日本人民が引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持する」との一段落を読み落とした。 中国外務省の劉建超報道局長は同日夜、都内での記者会見で「技術的な問題だ」と説明、「熱烈な拍手を受け、(その間に)段落を落としてしまった」と語り、うがった見方をしないよう求めた。 劉局長によると、国会演説で読み落としたことを受け、温首相は日本経団連など主催の同日の昼食会で「日本は戦後、平和発展の道を選んだ。手を携え、中日は共に平和発展の道を歩む」と強調。中国国営新華社通信は読まなかった段落も含め、演説全文を配信したとしている。 (引用終了) なんか日本側が「あまり歴史の話をしないでくれ」と要請したことへのあてつけに、わざと読み飛ばしたという見方もあるそうだが・・・・。まあうっかりだとは思うけど。 「穿った見方をするな」と言われても、中国政府のスポークスマンは割と平気で嘘の発表するし(潜水艦侵入事件や鳥インフルエンザへの対応を連想すべし)、普段から腹芸を要求する中国式外交を考えると、なかなか素直に受け取りにくいなあ・・・。さすがは文を重んじる国ですな、と妙に感心もする。(引用開始)「全く聞いていなかった」と政府困惑…天皇陛下へ訪中招請4月12日22時45分配信 読売新聞 中国の温家宝首相が12日、天皇陛下に2008年北京五輪時の訪中を招請したことについて、日本政府は「全く聞いていなかった」などとして、中国側の意図を測りかねている。 安倍首相は同日夕、「まだ全くそのことについて報告を受けていません。聞いてみようと思います」と記者団に語った。 北京五輪については、中国政府が皇太子ご夫妻の招待を日本政府に非公式に打診したことがある。 外務省幹部は12日、「政府は何も検討していない。事前調整もなく、天皇陛下にこんな話をするのは信じられない」と語った。 (引用終了) トップダウンらしく突飛な提案してくるというのは北朝鮮も同じらしいが、これもなんか考えてしまうな。つい「冊封」という言葉がちらついてしまうんだが。つうか呼ぶ以上はまずそちらの国家主席に訪日してもらいたいですな。(引用開始)温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談2007年04月12日20時51分(アサヒ・コム) 中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は12日、創価学会の池田大作名誉会長と東京都内のホテルで会談し、日中関係について意見交換した。約30分の会談のうち冒頭5分間が報道陣に公開された。池田氏がこうした形で要人との会談を公にするのは異例だ。 池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。 首相は「慈航創新路 和諧結良縁」(慈悲をもって新しい航路を開く。調和をもって良縁を結ぶ)との自筆の書を池田氏に贈呈するなど、和やかな雰囲気だった。 創価学会によると、会談は中国側からの強い申し入れで実現したという。公明党幹部は中国側の意図を「安倍首相の靖国神社参拝に反対する創価学会の最高指導者に会うことで、安倍首相にクギを刺す狙いがあったのでは」と見る。 一方、創価学会側は会談公開の理由を「日中関係改善に向け役割を果たしていることを、国民に理解してもらいたかった」と説明しており、双方の利害が一致したようだ。 (引用終了・強調は引用者による) 中国の首相が池田氏と会うと聞いただけで「えー!?」と思ったのだが、「庶民の王者」と来たもんだ。王者ですよ、王者。誰が決めたっちゅーねん。「日本国王」を僭称した足利義満もびっくりですな。 中国の首相に訪問してもらって誇らしげな池田氏を見ていると、正直笑っていられない。人治とか大アジア主義とか、虎の威を借りるナントカとか、そういう言葉を連想する。卑弥呼や倭の五王、足利義満もこんな誇らしげな顔をしていたんだろうか。 もっと不穏なニュース。(引用開始)東シナ海ガス田で生産開始=日本側抗議でも-中国4月12日21時0分配信 時事通信【香港12日時事】中国大手石油会社、中国海洋石油(CNOOC)は12日までに、香港証券取引所に提出した年次報告書の中で、東シナ海の日中中間線付近のガス田「樫(かし)」(中国名・天外天)で既に本格的な生産に入っていることを明らかにした。排他的経済水域(EEZ)の境界線が画定していない東シナ海での同ガス田開発をめぐっては、日本政府が2005年、中国側の採掘開始を確認した際に抗議している。 (引用終了) ・・・笑顔外交の裏で、ってやつですかね。まあ中国の事情を考えると仕方ないかなとも思うけど、やり方の独善性にもかつての日本政府のだらしなさにも腹は立つ。 その関連として以下のニュースも貼り付け。(引用開始)ベトナムの領土侵犯に不快感!中越の緊張高まる4月11日23時35分配信 Record China 2007年4月10日、外交部・秦剛(チン・ガン)報道官は記者会見で開き、南沙諸島(スプラトリー諸島)問題におけるベトナムの新たな動きに不快感を表明し、強い態度で抗議すると発表した。 一部報道によると、ベトナム政府は南沙諸島の一部で、石油・天然ガスの採掘に向けた区画策定を実施し、南沙諸島での国会代表選挙を実施するなど、領有権を主張する動きを活発化させている。またイギリスのBP社と協力し、天然ガスパイプラインを敷設する計画もあるという。 秦報道官は、中国の南沙諸島における領有権は明白であり、いかなる国家も侵すことはできないと述べ、現在、南沙諸島の領土問題に関する各国が調印した「南海各方行為宣言」の精神のもと南沙諸島をめぐる情勢は安定しているが、ベトナムの新たな動きはこれを乱すものだとして強く批判した。(翻訳/編集・KT) (引用終了) 不快感だって。「中国の領有権は明白」だって。怖いなあ。今日のヴェトナム(南沙諸島)は明日の日本(東シナ海)かいな。 でもこのスプラトリー(南沙)諸島問題を見ていると、中国の主張する領海ってかなり無理があるよな。まあ中国の領有権主張には、過去の日本の侵略や占領もちょっと絡んでるらしいんだけど。 まあ中国とは仲良うせなとあかんし、今日はこの辺にしといたるわ!
2007年04月12日
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実は引越し計画を表明した昨日も、懲りもせずここに日記を書こうとしたのだが、書き上げてアップしようとしたら「メンテナンス中ですよ、またねん」とはじかれ、書いたものも消されてしまった。久々に学問系の話題だったのに。 やはり楽天様に楯突くと怖い?・・・・・・・ そのまんま東が宮崎県知事に当選だって?すげえな、予想もしてなかったよ。 お笑いタレントというだけでなく色々トラブルあったそうだけど、タレント活動を休んで大学で政治学を勉強していたとか、頑張っていたらしい。これなら親分のビートたけしが選挙に出たら圧勝するんじゃないだろうか? 前任者が談合で辞職に追い込まれた知事選だというのに、あいも変わらず中央官庁出身者を引っ張り出す既成政党に嫌気があり(しかも保守分裂だったようだし)、草の根選挙のこの人に支持がいったのも理解できる。選挙権を持っていたとして、この人に投票したかどうかは分からないが。 まずは横山ノックみたいにならないように気をつけて、改革に頑張って欲しいと思う。・・・・・・・ 上のニュースも一種「テレビの力」のお陰だが(彼の知名度はテレビのお陰なので)、それを思わせるニュースを発見。お気に入りブログを見てると、結構な騒ぎですな。(引用開始)あるある大事典 「納豆ダイエット」はねつ造 関西テレビ1月21日10時13分配信 毎日新聞 関西テレビ(大阪市北区)は20日、今月7日にフジテレビ系で全国放送したテレビ番組「発掘!あるある大事典2」で、事実とは異なる内容が含まれていたと発表した。「納豆を食べるとダイエットができる」との内容だったが、研究者のコメントや被験者の検査データをねつ造していた。同テレビは社内に調査委員会を設け、原因の究明を行うとともに過去の放送分についても検証を行い、番組を継続するかどうかを含めて検討する。(中略) 同テレビによると、(1)被験者がやせたことを示すのに別人の写真を使用(2)米の大学教授の発言の日本語訳の一部をねつ造(3)被験者の一部の中性脂肪値が正常値になったとしたが、測定せず(4)納豆を朝2パックまとめて食べた場合と、朝晩1パックずつ食べた場合の比較で、被験者の血中イソフラボン濃度の結果をねつ造(5)被験者の血中のDHEA(ホルモンの一種)量検査のデータをねつ造、また、許可を得ずグラフを引用--していたことが分かった。 千草宗一郎社長は「報道機関でもある放送局として、視聴者の信頼を裏切ることになった。誠に申し訳ない」と謝罪した。 同番組は関西テレビの社員2人と番組制作会社「日本テレワーク」の4人がプロデューサーを務め、テレワーク社の取締役1人がコンプライアンス(法令順守)担当者になっていた。実際の取材は孫請けを含む9チームの番組制作スタッフが行っていたが、どのチームが担当していたかについては「調査中」として明らかにしなかった。 今回の問題は、「週刊朝日」の取材をきっかけに同テレビが調査を行い、明らかになった。 健康ブームを背景に健康をテーマにした番組は増える傾向にある。「納豆」の回でも全国の小売店で一時納豆の売り切れが相次ぐなど、社会現象となった。そんな中で起こった今回の不祥事で、改めて放送倫理のあり方が問われそうだ。【北林靖彦】 (引用終了) 「あるある大辞典」なんて見たこともないので、番組自体はどうなろうが知ったことではないのだが(まあ打ち切りが当然でしょうな)、「納豆は健康、特に血流にいい」と少なからず信じていたので、それが疑似科学だというのはちょっとした衝撃ではある。 捏造といえば僕らの専門分野にも以前そういう事件があって、ずいぶんあちこちから叩かれたみたいだが(他人事じゃないですよ、と後輩に叱責されたものだ)、こういう出来事の種は尽きない。 さて小さい頃に見た「川口浩の探検シリーズ」とか矢追純一のUFOシリーズは、「なんだか嘘くせえなあ」と思いつつもわくわくしながら見ていたのだが、あれは娯楽番組である(「この番組はフィクションです」とは出てなかったと思うが)。見るほうには笑い飛ばせる余裕が、見せるほうには「これは娯楽ですから」とごまかせる雰囲気があったと思う。まあ似たような出来事は以前から繰り返し起きていたと思う。 ところが報道あるいは情報番組も娯楽番組と化している昨今、これはまた別の意味を持ってくるんじゃないか。見るほう(納豆を買いに走った人々)も見せるほう(関西テレビ)も余裕がなくて悲惨ですな。テレビや新聞といった既成のメディアは今までの寡占状態をインターネットというアルターナティヴに揺るがされ(とはいえホリエモンも孫さんも口先だけですが)、既存メディア側からのネット(特に「2ちゃんねる」)への批判も最近強まっているようだが(僕は「2ちゃんねる」は見たこと無いけど)、僕からすれば五十歩百歩ですな。 ネット上の情報の9割は情報源の怪しいデマやポエムで(「便所の落書き」)、利用するにはおそろしく慎重でなくてはならないかもしれない(だから学問での利用にはまだ慎重だ)。だが既成メディアのような一方通行のメディアでは得られない情報があり、情報の集約性は個人個人の頭脳を凌駕する(その考えから出来ているのが「ウィキペディア」だが)。テレビが自らネットに擦り寄り、またこういうことをしてるんじゃあ、ネットに負けるでしょう、そりゃあ。といいながら僕はネットのことも全然知らんのだが。 テレビ局の社長が「視聴者の信頼を裏切る云々」っていうけど、今どきテレビを完全に信じちゃダメ、ということを改めて示しただけなんですかね。 この騒ぎを見ていてふと連想したのは、だいぶ前に読んだ中島らも著「ガダラの豚」である。 この作品はあくまで小説で、エロ・グロ・ドタバタ劇もあって(作者は劇団を主宰していた)、娯楽作品の分野に属する。確か発表年のホラー大賞か何かももらっていたような。 しかしそのテーマは「人はいかに騙されるか」という鋭いものである。一応フィクションなんだが、ヴィヴィッド過ぎて笑えない箇所もある。この本読んでから、僕はテレビの奇術番組を一切信じなくなったし(笑)。 場面は四つに分かれている。 主人公は文化人類学者とその一家。気鋭の学者だった彼は今やいわゆる「タレント学者」で、テレビ番組でいじられる身に落ちぶれている。そこで奇術ショーなどテレビ番組での「仕込み」(ヤラセ)やテレビ局の内情を目の当たりにする。 彼の妻はある事件で神経を病み、新興宗教にのめりこむ。その手口がいろいろと書かれているのだが、学歴も高く常識人であるはずの彼女がどんどん騙されていく様など、この本の発表の少し後に明らかになるオウム事件を予見しているかのような内容である。 主人公は彼女を脱会させることに成功し、テレビ番組とのタイアップで、長年の念願だったアフリカへのフィールドワークに赴く。そこで描かれるのは、アフリカの呪いや治癒といった「原始的な」呪術である。アフリカを原始的と蔑む「現代社会」に住む我々が、実は全く変わりないことが描かれる。この本で描かれるケニアは一面的かもしれないが、僕はこれを読んで「実際にアフリカに行ってみたい」と思ったものだ。 最後はそのアフリカ呪術と、「現代の呪術」であるテレビとの恐ろしい融合、そして主人公たちの運命が描かれる。最後はクライマックスに向けてのドタバタで、かなりファンタジー色が強まるので、好悪が分かれるかもしれない。 ともあれ、お奨めです。 新興宗教といえば、僕は入ったことは無いが仄聞したことはある。 最初は高校のときで、商店街を歩いているとにこやかな大学生のお兄さんに声を掛けられた。サークルのアンケートだという。興味のあることとかを聞かれ、連絡先を聞かれた。今なら絶対教えないが、当時は皆ウブである。 そうしたらしばらくしてこのお兄さんから「一緒に夏休みのキャンプに行かないか」という誘いの電話がかかってきた。めんどくさいので断ったらもう電話は来なくなったが、今にして思えば行ったらどうなってたかと思うと恐ろしい。 やがて大学に入ったが、その大学では統一○会の活動が活発で、元学長もその団体と繋がりがある、と新歓コンパのとき先輩に聞かされた。まあその先輩も自称革○派の人で僕らをオルグしようとしたんだが(笑)、おかげで統一○会の活動の実態を知ることが出来、危険を避けることが出来た。 彼らは最初からその正体を現さず、別名のサークル(シティパークとかサンライズとか、よく分からないが爽やかそうな名前)としてにこやかに接近してくる(確かに、寮の部屋にまで個別訪問してきた)。それにのこのこ着いていくと、キャンプや合宿所など隔絶した環境に連れて行かれ、最初は当たり障りの無いビデオとかを見せられて何事もなく帰してもらえる。しかしそれを繰り返すうちだんだんと引き込まれ、ついに洗脳状態になっていくんだという。そうなったら最後、家族を捨てさせられ、他の信者とやや街外れにある「合宿所」で共同生活し、山海の珍味やら怪しい壷やらを近所に売り歩かされ、教団の資金を稼がされるのだという。その前後「合同結婚式」やら脱会騒ぎやらが話題になっていた。 「ガダラの豚」を読んでいると、そういうことを思い出した。 それはともかく、「ガダラの豚」が書かれた当時はまだインターネットは普及していなかった。広告業界に身を置いていた中島らもはテレビにこだわって、その「呪力」をいわば暴露話のようにしてヴィヴィッドに描き出したが、今回の「あるある」の騒ぎは、その「テレビ呪術」の棹尾を飾るものになるかもしれない。 インターネットには間違いなくテレビを超える呪力がある。それはポジティヴなのばかりでなく、ネット上を見回すとほんと怪しげなのが多い(多分僕も誰かに騙されているのだろう)。それは仕方無いでしょう。仕方あるとすれば、中島らもは不慮の死を遂げてしまったが、インターネット隆盛の現在を見て「ガダラの豚」の続編を書いてくれていれば、と思う。
2007年01月21日
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(引用開始)スコットランド独立、議論活発化=16日で連合300年-英1月14日22時0分配信 時事通信【ロンドン14日時事】イングランドとスコットランドが連合法によって合併してから300年。16日の記念日を前に、スコットランド独立問題をめぐる議論が英国内で活発化している。 過半数が独立を支持との世論調査も出る中、5月に予定されるスコットランド議会選では、独立を唱えるスコットランド民族党(SNP)が第1党の座を獲得する可能性も出てきた。スコットランド出身で、次期首相と目されているブラウン財務相は13日、「英国のバルカン化」の危険性を指摘、連合維持の必要性を訴えた。 12日のデーリー・メール紙の世論調査によると、スコットランド人の51%、イングランド人の48%がスコットランドの分離・独立に支持を表明。また、サンデー・タイムズ紙は14日、世論調査に基づく推計で、5月の選挙でSNPが44議席を獲得、43議席の労働党を抑えて第1党の座を獲得する見通しだと伝えた。 (引用終了) いやあ、ショーン・コネリーはおろか、泉下のウィリアム・ウォレスが喜びそうなニュースではある。 スコットランドでは独自のデザインのポンド硬貨が流通しているというが、元々別の国だった訳だし、自立志向は強いようだ。ただ実際のところ、いまさら独立していいことはあるんだろうか。歴史好きとしてはロマンある話だとは思うが、それ以上の意味はあるんだろうか。 イギリスは今から90年ほど前にアイルランドで痛い目にあっている(北アイルランドでは今も続いているというべきか)。ただしこの当時のアイルランド独立派の「テロリスト」は、今の「テロリスト」と違って、無差別に一般市民を狙ったりアイルランドの外(イギリス本国)でテロを起こすような卑劣な真似はしなかったが。 ヨーロッパの統合が深化して国境や国民国家の意味合いが薄くなってくれば、例えば地域自治の拡大というコンテクストでこういう議論が出てくることもあるかもしれない。ところがEUの統合深化は憲法批准で頓挫しているのが現状である。また国境や国民国家は共同幻想だと知識人がしたり顔で訴える一方で、こうした独立国家(あるいは国家内国家)を望む動きがあるのはどうしたことだろう。 ましてやこうした分離独立運動はブラウン蔵相の言うように「バルカン化」の危険性をはらむ。先日もスペインでバスク地方の分離独立を訴える過激派(ETA)による爆弾テロで二人が死んだばかりである。今のサパテロ政権がカタルーニャやバスクの自治権拡大を住民投票で認め、またETAとの交渉に乗り出した矢先の出来事だった(このテロ事件でサパテロ首相の訪日が中止になったそうだが)。 ヨーロッパ周辺でのこうした分離独立運動の動きをざっと見てみると・ベルギーでのワロン(フランス語系)とフラマン(オランダ語系)の対立 先日国営放送の「ジョーク番組」が物議を醸したばかりですな。・コソヴォ独立紛争 アルバニア人の多いセルビア共和国コソヴォ自治区の独立運動。1999年には戦争に発展した。現在コソヴォはセルビア国内にありながら国連統治下という異常事態にある。今月中に国連によるコソヴォの地位の最終決定に関する調査報告が発表される予定だが、独立を認めればセルビアの反発は必至で、同国内の極右勢力伸張を助長しかねない・南オセチア紛争 グルジア共和国内の南オセチア自治州が、同族の北オセチアとの統合を主張してロシアへの帰属変更を要求。オセチア人の背後にはロシアがいて、ロシア離れを進めるグルジアに対する揺さぶりに利用。この他グルジアには実質的に独立状態にあるアブハジア自治共和国との紛争もある・沿ドニエストル共和国 モルドヴァ共和国の中でロシア系住民の多い地域が「沿ドニエストル共和国」と称してモルドヴァからの独立を要求 そのほか一応解決済みの問題としては、ユーゴスラヴィアの解体(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア、マケドニア、モンテネグロの独立)、イタリア・南チロル州のドイツ系住民による自治要求、チェコとスロヴァキアの分離などがある。ソ連が崩壊して多くの独立国が出来ると同時に、民族紛争が噴出したのも記憶に新しい。 分離独立とは別に、バイエルン以外のドイツ人(特に北部の人)なら「バイエルンをドイツから締め出せ」というかもしれないが(笑)。 目をヨーロッパ外に転ずると、先日エチオピア軍の介入があったソマリアでは、北部のソマリランドや北東部のプントは事実上の独立状態にある。これはもともと部族の寄せ集めだったソマリアが無政府状態になった結果だが、ソマリランドが旧イギリス植民地であるのに対してその他のソマリアはイタリア植民地だったという歴史の違いにも起因する。そういやそのエチオピアからも、1993年にエリトリアが独立し、エチオピアと激しい国境紛争をしたことを、先日日記に書いたばかりだった。 日本に近いところだと、中国で新疆のウイグル人やチベット人による独立要求があったり、台湾の主権をめぐる激しい抗争があるのは周知のことだろう。 こういうのって他所の話と思ったら、こうした分離独立の動きって日本でもあるのか!?上に書いたことを踏まえたうえで、以下の含蓄ある文章をお読み下さい。(引用開始)朝日新聞【社説】2007年01月14日(日曜日)付沖縄の明日 自治州は見果てぬ夢か 「復帰措置に関する建議書」。本土復帰前年の71年11月、当時の住民側の自治機構である琉球政府は、沖縄の望ましい未来像を描いた建議書をまとめた。 450年に及ぶ琉球王国は、明治政府によってつぶされ、日本に組み込まれた。戦後の沖縄は米国の統治下に置かれた。そんな歴史を踏まえ、自治の確立を強く求めた。もう一つ、願ったのは「基地のない平和な島」である。 だが、琉球政府の屋良朝苗主席が建議書を携えて上京した日、基地を固定化する沖縄返還協定が、国会で自民党によって強行採決された。 建議書は政府の施策に反映されなかった。とはいえ、その思いは沖縄で脈々と息づくことになる。その表れの一つが、最近の「沖縄自治州基本法試案」だ。 学者や自治体職員、市民らでつくる沖縄自治研究会が、3年半に延べ約5千人の参加で議論を重ねた。自治州は、いま論議されている道州制の権限を越え、独立にもっと近づこうというものだ。 (中略) 自治州では、課税や財政支出に大幅な自由を獲得する。そのうえで、地域にそぐわない公共工事をやめ、身の丈にあった行政や社会をつくっていく。 試案は「米軍基地の完全撤去」をめざすものでもある。 課税権を持つ沖縄自治州は、米軍にも企業と同じ原則を適用するうえ、環境税や迷惑税などの導入も考える。このため、高額の課税が見込まれ、米軍や日本政府に重荷となり、米軍は撤退する。そうしたシナリオが描かれている。 自治州は、憲法95条に基づき、一つの自治体だけに適用される特別法でできる。研究会はそう主張する。 もし、法的に可能だとしても、こうした自治州がすぐに実現できるとは、とても思えない。またもや沖縄の「見果てぬ夢」となるのかもしれない。 だが、沖縄では厳しい歴史の節目に、自立を求める機運が高まる。琉球王国が解体された時も、対日講和条約で日本から切り離された時も、そうだった。 沖縄には、琉球王国の鮮烈な記憶が残っている。米軍の支配下で少しずつ自治権を広げていった闘いの自信もある。 そうした独特の歴史を背景に、沖縄の声が日米両政府にどうしても届かないとなれば、自治州への動きはいっそう高まっていくだろう。(太字は引用者による強調)(引用終了) これマジっすか。 東チモールが独立したとき、僕は「『ポルトガルの植民地だった』という体験しかない東チモールなんかに比べれば、沖縄のほうがはるかに『独立国』としての歴史的根拠がある」という感想を、かつてのブログに書いた。案の定「独立国」東チモールでは経済も国政も破綻、治安維持のためにオーストラリア軍やニュージーランド軍の駐留を要請する体たらくになっている。 翻って沖縄だが、例えば上に書いたEUのようなものが東アジアに出来れば、自治権の拡大とかは現実的かもしれない。しかし現状はどうだろうか。 「基地のない島」といえば、例えばアイスランドは軍隊を持たないし、アメリカ軍の基地は昨年閉鎖された。しかしアイスランドはNATO加盟国でもあり、いざというときはその加盟国に助けてもらえる。 琉球王国はかつて、島津氏に支配される一方で中国に朝貢していた。清朝の藩属国という存在に過ぎなかった新疆やチベット、台湾を「不可分の領土」と主張する中国が(ロシアや日本の邪魔が入ったので、朝鮮やモンゴルでは失敗したが)、沖縄独立の暁には「沖縄は不可分の領土」なんていう主張をしてもまるで不思議じゃないんじゃないと思うんだが。そのときはおとなしく中国の一部になるのか、自衛隊に守りきれるんだろうか、それとも追い出したアメリカ軍に助けてもらうんだろうかね。 実際のところ、沖縄を自治州にしたい、あるいは米軍基地を全廃して欲しいと思っている住民はどのくらいいるんだろうか?冒頭の記事のスコットランド民族党の支持くらいはいるんだろうか??「琉球王国」という歴史的なロマンは僕も好きだけどねえ。 僕の大伯父(祖母の兄)は沖縄戦で地雷を抱えてアメリカ軍の戦車に飛び込んだ人なので(沖縄の人には知ったこっちゃないかもしれませんが)、お骨の入っていないその墓に将来どう報告することになるのか、気になるところではある。
2007年01月14日
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これが今年最後の日記になると思う。皆様よいお年を。 楽天でお気に入りリンクしている人の半分くらいが、楽天を去るか更新を止めているのが目立つ。流行語大賞になった「ミクシィ」のほうも、参加者が頭打ちになっているか、多くの人がほとんど放置状態のような印象をもつ。ブログ・ブームもそろそろ安定期に入ったのだろうか。 僕自身が更新頻度を落としているが、ブログ自体は今後も続けていこうと思う。ブログ開設時から繰り返しているが、日記というより自分のための備忘録(大袈裟に言うとデータベース?)のつもりで書いてきた。・・・・・・・・ 年末になってあっというニュース。(引用開始)<フセイン元大統領>死刑を執行 イラク国営放送12月30日12時27分配信 毎日新聞 【カイロ高橋宗男】イラク国営放送は30日午前(日本時間30日午後)、イスラム教シーア派住民虐殺事件の控訴審で死刑判決が確定していたフセイン元大統領(69)に対する絞首刑による死刑が執行されたと報じた。03年3月開戦のイラク戦争での政権崩壊まで24年間にわたり同国を独裁支配した元大統領は「人道に対する罪」などを犯した「犯罪者」として生涯を閉じた。米軍占領下に設置された法廷の公正さを疑問視する意見は根強く、旧フセイン政権を支えたイスラム教スンニ派の反発は必至だ。マリキ首相(シーア派)率いるイラク政府は「独裁者の死」を国民和解につなげたい意向だが、かえって宗派対立に拍車がかかる恐れがある。 フセイン元大統領はアラブ社会主義を掲げるバース党の要職を歴任した後、79年7月に大統領に就任。政敵を排除し、シーア派やクルド人を弾圧する恐怖政治で独裁者として君臨してきた。イラン・イラク戦争(80~88年)、クウェート侵攻(90年)に続く湾岸戦争(91年)、イラク戦争(03年)と相次ぐ戦争に国民を巻き込んだ。 03年4月にバグダッドが陥落し、旧フセイン政権は崩壊。元大統領は同年12月にイラク北部の故郷ティクリート近郊に潜伏中、米軍に拘束された。イラク高等法廷は今年11月5日、イラク中部ドジャイルでシーア派住民が虐殺された「ドジャイル事件」(82年)で元大統領に死刑判決を出し、同12月26日に確定した。 イラン・イラク戦争やクウェート侵攻のほか、イラク北東部ハラブジャで化学兵器によってクルド人が虐殺された事件などでも起訴される予定だったが、元大統領の死刑執行により真相解明は事実上不可能となった。(引用終了) 死刑が確定とは聞いていたが、ずいぶんと性急な執行だったなあ・・・。よりにもよって犠牲祭の朝にねえ。犠牲祭らしく「血祭り」のつもりだったんだろうか。 僕はEUのような死刑絶対廃止論者でもないので、この死刑をどうこういえた立場でもないのだが、どこかに生かしておいて回想録でも書かせておいたほうが良かったんじゃないかという気もする。イラン・イラク戦争、クルド人やシーア派への弾圧、クウェートへの侵攻と湾岸戦争、そしてイラク戦争などの真相を知る人で彼以上の「歴史の証人」はいないからだ。もちろん彼が話すとは限らないし、既に獄中で尋問されたのかもしれないが。どっちにせよもう娑婆では暮らせなかっただろう。 スンニ派の反発を云々する声もあるが、フセイン個人のカリスマ性はほとんど無くなったに等しいので、それほど情勢に影響するとは僕には思えないのだが(ブッシュ大統領が言うように、少なくとも良い方には影響しないだろうけど)。彼が自己を古代バビロニア王・ネブカドネザルの再来としたように、フセインが目指したのは(世俗的・近代的な)「イラク国民」の創生で、イスラムとかアラブの大義とかいうのは湾岸戦争が始まってにわかに言い出したことだったのだし、彼がイスラムの殉教者あるいはアラブ民族主義の英雄扱いされることはないと思う。 この処刑は裁判の手続き上の正当性やアメリカ・シーア派・クルド人による報復云々という批判もあるが、「戦争に負ける」というのはこういうことなんだなと思う。 ・・・・・・・・ 上はフセイン元大統領の「訃報」だが、今年は先日亡くなったトルクメニスタンのニヤゾフ大統領のほか、かつての独裁者ミロシェヴィッチ(セルビア。ただ「独裁者」と定義していいかは疑問だが)、ストロエスネル(パラグアイ)、ピノチェト(チリ)、そしてかつてイラクの侵攻を受けたクウェートのジャビル首長も今年死んだ。盛者必滅の理。 そこで今年のObituary(訃報)を纏めておこうと思う。去り行く今年への回顧でもあり、「歴史上の人物」となった有名無名あらゆる人々の追悼のつもりでもある。・1月林巳奈夫(81歳、中国考古学者)マクトゥム首長(62歳、アラブ首長国連邦のドバイ首長)ハインリッヒ・ハラー(93歳、オーストリアの登山家、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」)ジャビル首長(79歳、クウェート首長)イブラヒム・ルゴヴァ(61歳、旧ユーゴ・コソヴォ自治区大統領)ヨハンネス・ラウ(75歳、ドイツ前大統領)ナム・ジュン・パイク(73歳、韓国系アメリカ人の芸術家)・2月伊福部昭(91歳、作曲家)潮見浩(76歳、考古学者)マチテルド・メリンク(88歳、アメリカの考古学者)田辺昭三(73歳、考古学者)・3月スロボダン・ミロシェヴィッチ(64歳、ユーゴスラヴィア元大統領)芹沢長介(86歳、考古学者)レンナアト・メリ(76歳、エストニア元大統領)スタニスワフ・レム(84歳、ポーランドの作家、「惑星ソラリス」)キャスパー・ワインバーガー(88歳、アメリカ元国防長官)・4月ニーナ・シェンク・グレーフィン・フォン・シュタウフェンベルク(92歳、ヒトラー暗殺未遂事件を実行したシュタウフェンベルク大佐の夫人)ユルゲン・トーアヴァルト(90歳、ドイツの作家・ルポライター「外科の夜明け」)ジョン・ケネス・ガルブレイス(97歳、アメリカの経済学者・大統領補佐官、「豊かな社会」)パウル・シュピーゲル(68歳、ドイツの実業家、ユダヤ人協会前会長)・5月並河萬里(75歳、写真家)田村高広(77歳、俳優)岡田真澄(70歳、俳優)今村昌平(79歳、監督映画)・6月アブ・ムザブ・アッ・ザルカィ(39歳、ヨルダン出身のテロリスト)近藤芳美(93歳、詩人)・7月橋本龍太郎(68歳、元首相)エリアス・ハラウィ(80歳、レバノン前大統領)シド・バレット(60歳、イギリスのミュージシャン、「ピンク・フロイド」創設者)シャミル・サルマノヴィッチ・バサエフ(41歳、チェチェン反乱指導者)マコ岩松(72歳、ハリウッド俳優)網干善教(79歳、考古学者)吉村昭(79歳、作家)・8月アルフレド・ストロエスネル(93歳、パラグアイ元大統領)岩城宏之(74歳、指揮者)・9月阿部謹也(71歳、西洋史学者)犬丸りん(48歳、漫画家、「おじゃる丸」)ヨアヒム・フェスト(79歳、歴史家、「Der Untergang」)丹波哲郎(84歳、俳優)・10月アンナ・ポリトコフスカヤ(48歳、ロシアのジャーナリスト)セダット・アルプ(93歳、トルコのヒッタイト学者)ベニト・アルバレス・アボガン(126歳?、キューバの世界最高齢?男性)弓削達(72歳、西洋史学者)木村尚三郎(76歳、西洋史学者)藤岡琢也(76歳、俳優)藤尾正行(89歳、元文相)ウィリアム・モンゴメリー・ワット(97歳、イギリスのイスラム学者)クリフォード・ギアーツ(80歳、アメリカの文化人類学者)ピーター・ウィレム・ボタ(90歳、南アフリカ元大統領)・11月ビュレント・エジェヴィット(81歳、トルコ元首相)ポール・モーリア(81歳、フランスの作曲家)マルクス・ヴォルフ(83歳、旧東ドイツ国家保安省次官)はらたいら(63歳、漫画家)ジャック・パランス(83歳、アメリカの俳優)ミルトン・フリードマン(94歳、アメリカの経済学者、ノーベル賞受賞)ロバート・アルトマン(81歳、アメリカの映画監督)アレクサンドル・リトヴィネンコ(44歳、ロシアの元スパイ)・12月ブルース・トリッガー(69歳、カナダの考古学者)長野士郎(89歳、元岡山県知事)アウグスト・ピノチェト(91歳、チリ元大統領)アフメット・エルテギュン(83歳、トルコ系アメリカ人、音楽プロデューサー)岸田今日子(76歳、女優)青島幸男(74歳、元東京都知事)サパルムラット・ニヤゾフ(66歳、トルクメニスタン大統領)ジェイムス・ブラウン(73歳、アメリカの歌手)ジェラルド・フォード(93歳、元アメリカ大統領)サッダーム・フセイン(69歳、イラク元大統領)
2006年12月30日
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(引用開始)<エチオピア>首相がソマリアへの「派兵」初めて認める12月25日10時28分配信 毎日新聞 【ヨハネスブルク白戸圭一】エチオピアのメレス首相は24日、国営テレビで演説し、ソマリアの首都モガディシオを支配するイスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合」との戦闘のため、ソマリア領内に部隊を派遣していると認めた。今年6月に法廷連合が首都を制圧後、エチオピアが派兵したと国連高官などが指摘していたが、エチオピア政府自身が戦闘状態にあるのを認めたのは初めて。派兵規模は明らかにされていない。(中略) 中央政府が存在しないソマリアでは、法廷連合が首都を制圧した後に同国の南部全域に支配を拡大した。親エチオピア系武装勢力の連合体である「ソマリア暫定政府」は法廷連合に押され、支配地域は首都の北西約250キロの町バイドアとその周辺のみとなっている。 メレス首相は演説で「法廷連合を支援する反エチオピア勢力」の存在を指摘し、派兵理由を「エチオピアの主権防衛にある」と説明した。「反エチオピア勢力」とはエチオピアと敵対関係にある北隣のエリトリアを暗に指しており、派兵を明言したのにはエリトリアをけん制する狙いもあるようだ。(引用終了) うーん、なんというかあの辺りは戦火が絶えませんなあ・・・・。 大飢饉をよそにソ連の援助で軍備増強を続けたエチオピアの社会主義政権が倒されたのは1991年、同年隣国ソマリアでは親米政権(元々親ソだったが、エチオピアとの紛争でソ連がエチオピアを支持したのでアメリカ側に奔った)が部族の私兵に倒されて内戦に突入、国民が飢餓状態に陥ったので国連が介入したが逆に民兵の攻撃を受け大損害、まずアメリカが抜け1995年に国連は完全撤収する。 一方1993年にエチオピアからエリトリアが分離独立したが、1998年に国境画定を巡って両国は互いの首都を空爆しあうという実質的な戦争に突入、2000年に停戦したが、去年から国境の緊張が続いていた。一方国連にも見放されたソマリアでは無政府状態が続いているが(戦国大名の群雄割拠状態)、今年はイスラム原理主義勢力が台頭し首都モガディシウを制圧している。 実はこの「アフリカの角」と呼ばれる地域はドイツと無縁ではなくて、日本と同様に湾岸戦争(1991年)で「金は出すけど汗はかかない」ことをアメリカに批判されたドイツは、憲法を改正してドイツ連邦軍のNATO域外展開を可能にしたのだが、その最初の活動がソマリア平和維持軍だった。 辺見庸「ものくうひとびと」を読むと、平和維持軍に参加していたイタリア兵が、同じくPKOに参加していたドイツ兵の軍用食を「あれはクソだぜ」とバカにする場面が出てくる(ちなみにソマリアとエリトリアはかつてイタリアの植民地だった)。しかし辺見の見るところ、そのドイツ兵の食べているもの(ジャガイモにソーセージかな?)は現地のソマリア人にとっては一生食べられるか食べられないかのご馳走だったりするのである。 また2001年以降の「対テロ戦争」に参加しているドイツは、現在もこの近辺にジブチを基地として軍艦や航空機(総計1300人)を派遣している。インド洋上で臨検を含む監視活動を行い、ソマリアなどのテロ組織への武器流入を阻止するためである。この海域では、イエメンにミサイルを輸出した北朝鮮の船がスペインの軍艦に臨検されたこともある。 ・・・ええと実は書きたかったのはそのことじゃなくて、だいぶ前にドイツで語学学校に通っていたとき、ちょうどエリトリアとエチオピアの紛争が激化していた時期なのだが、学校の同じクラスにエリトリア人とエチオピア人の双方が居たんですな。 エリトリア人のほうは若者で(年齢不詳だが)、どうもドイツに難民として来ていたような感じだった。いつも同じエリトリア人と思われる連中とつるんでいて、あまり学習態度は真面目ではなかったように思う。一方エチオピア人のほうは真面目そうな中年前?のおじさんで(アフリカの人の年齢って僕には結構分からない)、技師か何かだったらしい。そもそもこの学校はドイツの大学への入学を前提にした語学クラスなので、二人とも留学のために来ていたんだとは思う。 語学クラスの授業の一環として、クラスの皆の前で何かのテーマについてドイツ語で話すという授業がある。大体の生徒は自分の国の文化の紹介などをする(僕は日本の学校制度について話した)。それがエチオピア人に順番が回ってきたのだが、彼は何とも間の悪いことに、現在進行中のエチオピア・エリトリア紛争の背景について話した。その前の週の予告のときから「こりゃあまずいことになるだろうなあ」と思っていたら、案の定エリトリア人のほうが内容に激しく突っかかった。・・・「エリトリアとエチオピアはかつて一つの国だった。エリトリアという国は・・・」「何言ってんだ、歴史的に見てもエリトリアはエチオピアとは別の国だ、エチオピアが無理やり」「何のこと言ってるんだ」「バハル・ナガシがあるだろう」「ありゃあ国じゃないだろう、一都市じゃないか」「何だと」「エリトリアはハイレ・セラシエ皇帝が統一したエチオピアの一部だった」「何が皇帝だ、ありゃあ下郎が簒奪してダヴィデの子孫がどうたらと自称しただけじゃないか」・・・・といった具合。 クラスメートは何のことを話しているのか全然ついていけずその剣幕に引きまくりだし(僕はちょっと知っていたが)、先生も止められない。元々対立している上にドイツ語が拙いもんだから語気は鋭い。先生はせいぜいエチオピア人が自分の国のことを「エスィオピア」と英語で発音するのを「エティオピエンと言いなさい!」としつこくドイツ語に訂正するのがやっとだった。思わず近くの僕のほうを向いて「困ったわね」と苦笑いするだけだった。 時間切れでその論戦は終わったのだが、よくよく考えればこの二人は普段もあまり会話していなかったような気がした。この論戦の後はしばらく黒板の前でうだうだと言い合っていたが、その後は言い争うことは無かったが。 ドイツの大学ともなると、世界中から留学生がやって来る。 そして世界の国々には互いに対立するものが結構多い。僕が見たやばそうな取り合わせはイスラエルとシリアの留学生だったが、彼らは互いに冷静に接していた(親しげというほどでもなかったが)。国籍とは別に、「ホモセクシュアルは認められるべきか」という議論のときは、すさまじい言い合いになったのを覚えている(日本人と違って言葉が下手でもものすごく喋るんですな)。国別で言うと容認派のブラジル、イタリアに対し絶対反対がモロッコ、メキシコといった具合。 僕が語学修行していた頃は、教科書問題だ竹島問題だというのはあまり顕在化していなかったので(インターネットもまだ少なかったし)、僕自身がまだ拙かったドイツ語を駆使してこうした国々の人たちと言い合いするような局面は無かった。まあ白状すると、僕はクラスメイトの年下の日本人にも「あなた色々知ってるんだからもっと発言しなさいよ」と言われるくらい引っ込みがちだったのだが。 こうした語学学校というのも、なんだか国連の縮図でも見ているようで、面白い体験ではあった。
2006年12月27日
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青島幸男に岸田今日子が逝ったか・・・・。「昭和一桁世代」の二人とも知らん間に70代半ばになっていたのか。 僕は昭和を末期しか知らないが、こうした訃報を聞くたびに、昭和が本当に遠くなっていく実感がする。 ある意味時代の変遷を感じさせるニュースをもういっちょ。(引用開始)「陸」君初、「陽菜」ちゃん2年連続…今年の名前1位12月20日20時19分配信 読売新聞 明治安田生命保険が20日発表した2006年生まれの子供の名前調査によると、男の子で最も多かったのは「陸(りく)」、女の子が「陽菜(ひな)」だった。 9月に誕生された秋篠宮ご夫妻の悠仁さまの影響からか、「悠斗(6位)」「悠人(18位)」など「悠」の字を使った名前が上位100位に七つ登場した。 女子フィギュアスケートの浅田真央選手にちなんだとみられる「真央」は前年の45位から8位に躍進した。プロ野球米大リーグ入りを決めた松坂大輔選手の「大輔」も41位となり、前年の614位から大きく伸ばした。 男の子で1位の「陸」は前年の14位から大幅に躍進して初のトップ。「格差社会など先行き不透明な時代を反映してか、安定した大地のイメージを連想させる点が人気を集めた」(明治安田生命)としている。(引用終了) 他人様(というかお子様)の名前にとやかく言う気はないけど、最近ニュースで出てくる子供の名前が妙に読みにくくなっている、と感じる。失礼だがキャバレーの源氏名か族の総長あるいはホストの通名と思ってしまいそうな・・・・。学校の先生は出席簿の名前を読むのに苦労するんじゃないだろうか。 愛する我が子の名前への思い入れは分かるのだが、あまりその時々の流行に流されちゃうのもねえ・・・。あと子供の頃可愛い名前であっても、お婆さんには奇妙な名前になってしまうだろうなとかは考えないのだろうか。エビ好きな親に「エビ男」と勝手に名づけられた息子がグれて親に暴力を振るう、という話が吉田戦車の「伝染るんです」に出ていたが、そんなことにならなきゃいいが。 妹尾河童が本名をあだ名だった「河童」という名前に変えるとき(彼の名前は「肇=はじめ」だった)、裁判所に申し立てをしたりしていろいろ面倒だということを書いていたが、改名の手続きが簡単になったのだろうか。 そういえば「肇」という名前は昭和の初めにちなんだ名前だそうだが、昭和15年生まれのうちの伯母も紀元二千六百年に因んだ名前だし、流行とか時事に因んだ名前は昔からあったというべきか。 そういうことが気になったので、この調査をしている明治安田生命のページを見てみる。これには大正元年から現在までの、その年の新生児の男の子と女の子の命名ベストテンが出ている。 男子の場合、大正元年から三年にかけて「正一」「正二」「正三」となっているのが面白い。でもさすがに「正十五」はなかっただろう。 あと不思議なのは「三郎」が結構一位になっていること。子沢山な当時のこと、三男坊が居たのは当たり前だし、三番目ともなると名前を考えるのが面倒になってこういう名をつけるのだろう(そういう訳でもないだろうが、五女で末っ子だった叔母は生まれた日付にちなんで「トヨコ」になった。祖父は辞典をめくって凝った名前をつけるような人だったのに)。 その後1920年代から1970年代まで断続的に、「清」「勇」「勝」「博」「茂」「隆」「誠」といった一字名前全盛期が続く。一字名というのは江戸時代までは源氏や摂津の渡辺党のみに見られる珍しい名乗りだったが、幕末に志士の間で広く流行し始め(近藤勇、芹沢鴨とか)、ここで一般化したとみるべきか。戦争中の一位(「勇」「勝」)はいかにもという名前だが、トルコでもキプロス紛争の頃は「サワシ(戦争)」「バルシュ(平和)」という名前の子供が増えたのだから万国共通か。 1980年代初頭に一位が続く「大輔」という名前は、僕の知り合いだけでも二人居る(二人ともそれ以前の生まれだが)。これは元は官位の名乗りですな(しかも「輔」の字の示すとおり、次官職=中間管理職ですよ)。1990年代は「翔太」「拓也」の二頭時代。そして再び一字名が流行の兆し。 女子のほうは初期はちょっと傾向がつかみにくい。ある時期までは「○子」が当然だったから、バリエーションが少ないのだろうか。そもそもこうした「子」が付く名前は長らく貴族(皇族や公家)の女性しか使っていなかったのだが(庶民や武家の女性は「きく」「おあむ」「おね」とかですな)、明治になって一般的な女子の名前になったのだろう。 昭和に入ってから昭和23年まで「和子」が続く。昭和の「和」だろうか。その後1961年まで「恵子」が続く。変化が出てくるのが1962年からで、まずこの年、初めて「久美子」と三文字になった。1965年になると「明美」とついに「子」がつかなくなる。その後は「○美」が出て来ることがあってもまだ「○子」の優位が維持されていた。 決定的な変わり目は1983年の「愛」の登場で、これが1990年まで続くが、以後「○子」が首位になることはなくなる。今や「○子」はベストテンに一つ入るか入らないかになってしまった。「愛」(アイ?メグミ?)の首位は1990年まで続き、1990年代は「美咲」優勢(今も根強い)、ここ数年は「陽菜」が続いている。こうした名前はいったいどこから出てきたのだろう?人気芸能人の芸名あるいは漫画の主人公の名前だろうか??? 女子の名前についてはこちらにも詳しく考察されている。 人の名前を云々しといて自分のことを言わないのもアレなんですが、前にも書いたけど僕の名前はある有名サッカー選手(既に引退)と同じなんですな(僕のほうが年上だが)。だからある時期にイタリアに行ったときは、僕のパスポートを見たフェリー乗り場の国境審査の職員に「オー!」とおどけられたものだった。音にすると四音(○×△◇)なので、外国人には長ったらしく聞こえるのか、大抵真っ二つに切り捨てられてしまう(このサッカー選手も、よくニックネームで呼ばれていた)。この名前は占い師に付けてもらったと聞いた。 僕の妹の名前は母方の祖父が辞書とにらめっこして考えた名前だが、難しい字ではないのだがあまり通例ではない訓み方をするものだから初見で読める人が全くおらず、また妹宛の郵便は二度に一度は誤字で来る。あまりに凝った名前も考えものだろう。 いつか自分に子供が出来たら(出来るんでしょうね??)、男の子の場合は自分の名前から一文字をとった名前、女の子の場合は絶対に「子」の字がついた二字名にしようと思う。 ところで、こうした自由に好き勝手な命名が出来るのは、実は日本で特に甚だしい現象ではないかと思う。キリスト教圏やイスラム教圏ではそれほど選択の余地がなく、トルコなんかだと右を見ても左を見てもいかにもイスラムっぽい「ラマザン」「メフメット」「ムスタファ」ばかりである。脱イスラムが進み、また固有の民族名があるトルコなんかまだましなほうで、アラブ諸国ではもっと限られているだろう(だから親や祖父の名前をつけて区別したりする)。 ドイツなんかだと、子供の名前を考えるのが面倒な、あるいは信心深い親は、その子の生まれた日の守護聖人の名前をつけた。例えば僕の場合(10月24日)はアントニウス(アントン、アンソニー)となる。僕の周りのドイツ人にはギリシャ語系の「アンドレアス」という名前の人がたくさんいるが、ひどいときには発掘隊に三人アンドレアスがいて、大・小・最小と呼び名をつけられていた。あるいは普段使わないセカンドネーム(洗礼名?)で呼び分ける場合もある。 ドイツ人の名前は、大ざっぱにいえばキリスト教系とゲルマン系の二系統に分かれる。ハイジ(アーデルハイド)なんていうのはゲルマン系の名前か。19世紀頃から外国の名前をつけるのが流行りだし、ロシア系(「タニア」など)、スペイン系(「メルセデス」とか)、フランス系(「マドレーヌ」など)、イタリア系(「トニオ」)、英米系(これは戦後に多い)の名前もある。日本でいう全共闘世代ジュニアにはヒッピー系の変わった名前もある。最近のドイツ男性に結構多い名前の「ハイコ」は北欧系だと聞いた。 ドイツ人の名前にも明らかな流行の傾向が見られるのだが、調べる気力がない。 ということでまあ、日本人の名前のバリエーションが多いのは、漢字のおかげで選択肢が多いからなんでしょうな。 ♪Every child on earth has a beautiful name A beautiful name, a beautiful name 呼びかけよう名前を すばらしい名前を どの子にもひとつの 生命が光ってる 呼びかけよう名前を すばらしい名前を(ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」 詞;奈良橋陽子 伊藤アキラ)
2006年12月20日
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(引用開始)今年の流行語大賞は「イナバウアー」「品格」 1年の世相を反映し、強いインパクトを残した言葉に贈られる「2006ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が1日発表され、年間大賞にトリノ五輪金メダルの荒川静香選手の「イナバウアー」と、「品格」が選ばれた。同日、東京都内で表彰式が開かれた。 表彰式には「国家の品格」を著した数学者藤原正彦さんらが出席。受賞理由は、イナバウアーが「経済波及効果でも金メダルもの」、品格は「書店に並んだ一冊の本が、さまざまな“品格論”に火を付けた」。 年間大賞以外のトップテンは「格差社会」のほか、「mixi(ミクシィ)」「エロカッコイイ」「シンジラレナ~イ」「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ハンカチ王子」「メタボリックシンドローム」となっている。(引用終了。サンケイスポーツより転載) 今年ももうそういう季節になったか・・・・。 それにしても毎年思うことだが、しょうもない言葉ばかりですなあ(だから日記で書くことも無かったのだが)。まあしょうもないからこそ「流行語」なんだろうけど。だいぶ前にドイツ版流行語大賞について日記で書いたことがあったけど、あの頃は今では当たり前となった「SMS」(ショート・メッセージ・システム??)や「対テロ戦争(Anti-Terror Krieg)」が新語大賞だったから時の流れを感じる。 ミクシィ(実は僕も入ってます)とか脳トレっちゅうのは商品名でしょ?それって「流行品大賞」であっても「言葉」とは違うんじゃないか。「メタボリック」は僕にとって「そんな言葉もあったね」で済んでくれるといいのだが・・・・。「エロカッコイイ」というのは無茶苦茶な言葉だな。 さて、どうでもいい流行語大賞の「イナバウアー」(正しくは人名なので「イナ・バウアー」、もっとドイツ語に準じて発音すれば「イナ・バオアー」)は置いといて、「品格」である。 この言葉は上の記事にもあるように藤原正彦氏(この本が出る前から知ってたけど、新田次郎の息子さんで数学者ですね)の著書「国家の品格」で流行ったという。僕も機会があってぱらぱらと読んだけど(30分くらいで読み終わった)、なんというかありがたいお話ではあるけども、法事の時にお坊さんが聞かせてくれる(あるいは教会のミサで牧師さんが聞かせてくれる)「ありがたいお話」くらいとしか思わなかった。つまりは「あらためて聞きたいお話でもないなあ」くらいの感想だろうか。あの程度のお話ならブログ散策すればいくらでも見つかるんじゃないだろうかと思う(最近はブログが本になるそうですが)。 最近は新書ブームだそうだが、「バカの壁」は僕も面白いと思ったが、やはり「買うまでも無いなあ」と思った(妹が買っていたので読んだ)。どうも僕にはベストセラーは書けそうにもない。 さて「品格」だが、僕がこの言葉を聞いて思い出すのはカズロ・イシグロの「日の名残り」である。 主人公スティーヴンスは老いた執事で、物語は彼が執事になってから初めて取った一週間の休暇で赴いた小旅行の道すがら、自分の半生ややはり執事だった父親のこと、そして同僚の女中頭ミス・ケントンとの淡い恋などを回想する体裁をとっている。 スティーヴンスは自分の仕事について、「偉大な執事」とは何か?と常に自問してきた。そしてその答えは「季刊執事」(そんな雑誌があるのかと笑ってしまったのだが)に載っていたヘイズ協会(偉大な執事のみが参加できる協会)の声明だった。「最も決定的な条件は、(中略)みずからの地位にふさわしい品格の持ち主であることである。この点に不足のある申請者は、その他の能力・業績がいかなる水準にあろうとも、当協会の入会資格を満たしているとはみなされない」 それでは「品格」とは何か?ということを、この小説を通じてスティーヴンスは自らの回想を交えつつ考え続ける。そして執事だった父親のこと、不安定な戦間期ヨーロッパ外交舞台の裏方となった自己の経験を振り返る。それはなかなかはっきりと言い表されないので、読んでいるこっちはちょっとじらされてしむのである。 しかし物語の終盤、スティーヴンスがそれを語る場面が来る。「いや、あなたはどう思うんです。品格とは何だと?」「これは、なかなか簡単には説明しがたい問題ではございますが、(中略)結局のところ、公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないことに帰着するのではないかと存じます」「済みません、何がですか?」「品格が、でございます」「なるほど」医師はそう言ってうなずきましたが、何のことかよくわからないといった顔つきでした。 確かにこれだけ読むとなんのこっちゃ、と思うしかないかもしれない。有能な(そしておそらく執事としての品格をもつ)執事であるスティーヴンスはどうもこの「公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないこと」にこだわりがあるようで、執事はイギリスにしかおらず、ほかの国ににいるのは、名称はどうであれ単なる召使だ、とはよく言われることです。(中略)大陸の人々が執事になれないのは、人種的に、イギリス民族ほど感情の抑制がきかないからです。大陸の諸民族―そして、ご賛成いただけると存じますが、ケルト人―は、一般に、感情が激した瞬間に自己の抑制ができず、そのため、至極平穏な状況のもとでしか職業的あり方を維持できません。(中略)少し挑発されただけでも上着もシャツも脱ぎ捨て、大声で叫びながら走り回る人のようなものです。そのような人に「品格」は望むべくもありません。この点で、イギリス人は絶対的な優位に立っています。 人種論とかも出てきていかにもアナクロな考えにも見えるし、これは執事としての品格論なのかもしれない。結局品格とは何か?という答えは明確には述べられない。 しかし、この「日の名残り」は格調高い名作だとは言えると思う。僕が考える「品格」とは、少なくとも、浮薄な流行語大賞に流されず、こうした名作を読んで面白いと感じられること、だろうか。あと、品格は「流行」にして欲しくないですなあ。
2006年12月01日
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第一次世界大戦中、イギリス兵はドイツ兵のことを「フンHun」と呼んだ。「フン」というのはローマ帝国滅亡の原因を作ったフン族のことを指しているが、好戦的(イギリス側にしてみれば、だが)なドイツ兵を「ヨーロッパ文明の破壊者、野蛮人」と貶める意味がある呼称である。 もっとも、第二次世界大戦当時には「ジェリー」あるいは「クラウト」(キャベツの酢漬け「ザウアークラウト」に由来)と別のあだ名で呼んでいるし、逆にアイルランド共和派はアイルランドへの弾圧を続けるイギリス兵を「フン」と呼んで居たのだが。 ともあれ、実際のフン族は文字を持たなかったため自ら記録を遺さず、その記録はもっぱら蹂躙されたローマ人のものに限られるので、現在に至るまでそのイメージは最悪である。東方からやってきた文明の破壊者、女や財宝に目の無い粗野な振る舞い、討ち取った敵の頭蓋骨で酒を飲み(日本にもそんな人居ましたね)、馬から降りず横乗りになって小便する・・・云々。まあケルト人にも討ち取った敵の頭蓋骨を門前に懸ける風習があったので、首刈りはフン族に限ったものではないが。 なんでこういうことを書いたかというと、アフガニスタン駐留ドイツ軍の兵士が死者を辱めるようなポーズで撮影した記念写真を、今日付のドイツ大衆紙「ビルト」がすっぱ抜いて大々的に掲載したためである。 写真はいくつかあるが、ドイツ兵が車両の上で頭蓋骨を手に微笑んでいる写真や、頭蓋骨を車両の屋根に飾り付けている写真、ひどいものでは右手に頭蓋骨、左手に露出した自分の性器を触っているものもあるという(僕は見ていない)。写真は2003年頃に撮影され、写っている兵士はバイエルンの山岳猟兵部隊に所属する下士官であることが分かっている。ドイツ兵が手にする頭蓋骨は、内戦中に殺害された現地のアフガニスタン人あるいはソ連兵のものではないかという。 当然ドイツ中の各界から非難の声が沸き起こっており、ユング国防相は「このようなことは許されないし、こういう兵士はドイツ連邦軍には必要無い」と非難した。アフガニスタンへの派兵そのものに反対している左派党は即時撤退を要求している。国防省は捜査を開始しているが、「ビルト」側は情報提供者保護のため写真の出所などを明らかにするつもりはないという。 ユダヤ教やイスラム教では、死者の屍に対する侮辱は最大級の侮辱であり、この写真がアフガニスタン人の反感を買って、治安維持やターリバン掃討作戦に従事しているドイツ軍に悪影響を及ぼすことが懸念される。 折しもやはりアフガニスタンに駐留するドイツ連邦軍のKSK(特殊部隊)が、2002年頃に捕虜としてグアンタナモ基地に収容されていたトルコ系ドイツ人ムラット・クルナズをアフガニスタンの米軍基地内で拷問していたという疑惑が取り沙汰されており、「対テロ戦争」として一定の支持を得てきたドイツ連邦軍のアフガニスタン駐留の評判は暴落しつつある。 最悪なタイミングというか、ドイツ政府は今日対テロ作戦参加(インド洋での海上警備など)の延長を決めたばかりである。 今年の春に日本である人(仕事柄中東に詳しいはずの人)と話をしていたとき、「ドイツはイラク戦争に反対した平和主義だから・・・」という言葉を彼から聞いて仰天したのだが、アフガニスタンに2800人が駐留するドイツ軍の活動は、日本ではほとんど知られていないのだろう。第一イラク戦争でもドイツの情報機関はアメリカに協力していた。 とまあこんなことを書いていたら、今度は国連の平和維持軍としてレバノン沖で海上警備にあたっているドイツ海軍の軍艦が、イスラエル空軍のF16戦闘機から射撃を受けた(外れたので威嚇射撃か)というニュースが入ってきた。イスラエルとの衝突はドイツにとって最も避けたいところだろう。 ドイツ人は二度と「フン族」と呼ばれたくはないのである。・・・・・・・・(引用開始)<高岡南高校>必修「地・歴」未履修 卒業できない? 富山 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長)で、昨年度の2年生197人全員が、世界史、日本史、地理のうち1科目しか授業を受けていなかったことが分かった。学習指導要領では世界史が必修で、さらに日本史と地理のどちらかを履修するよう定めている。県教委によると、生徒の間で以前から大学入試に必要な科目だけを集中的に勉強したいという声があり、学校側が昨年度の運用で一つだけ選択させたという。単位不足で全員が卒業できない事態となりかねず、学校は卒業式までに必要な授業を行うという。 生徒は2科目分の教科書を買ったが、学校側は参考書として使用するように指導。取得単位を記録する生徒指導要録には、日本史や地理の授業で世界史的な要素に触れているなどとして、必要分の単位を取得したように記載していた。(後略)(毎日新聞) - 10月24日21時36分更新(引用終了)(引用開始)<履修不足>10県65校、生徒数は1万2000人に 富山県立高岡南高校で発覚した履修単位不足問題で、新たに青森、岩手、山形、福島、石川、福井、愛媛、広島、栃木の各県の公私立高校でも必修科目を履修せず同様の単位不足になっていることが分かった。単位不足はこれで10県65校、生徒数は約1万2000人に上った。中には、履修を装った報告書を教育委員会に提出する「架空履修」もあった。各県教委や学校は単位不足の3年生が卒業できなくなるおそれもあるとして、3年生への補習授業を検討するなど対応に追われ、文部科学省も全国調査を行う。(中略) 単位不足の生徒がいる学校は、冬休みなどを利用して補習授業を行い、足りない時数を補うとみられる。(中略) こうした事態について、大手予備校の関係者は「週5日制になり授業時間数が減る中で、何とか大学受験の水準に合わせて、効率的な授業の進め方を各学校で行っている。高校での土曜日の午前中の授業がなくなった影響は大きい」と指摘。「現場の立場に立てば『苦肉の策』だったのだろう。現行の教育課程の内容と受験の現状との食い違いから生まれた問題」と分析している。(毎日新聞) - 10月25日23時12分更新(引用終了) うーん、やっぱりねえ・・・というべきか。 以前の日記で、「世界史」教育というものへの疑問について書いたのだが、僕のよく知らない教育の現場では、もっとラディカルな事態になっていたということか。現在の日本史教科書がどんなものか知らないが、日本史の授業で世界史に触れてますかねえ?? 一方、世界史を学ぶ必要性を僕は否定しない。むしろ大いに学ぶべきだと思っている。しかし日本史を差し置いてそれを必修にするというのは正直疑問だし(ただ現行の日本史教育では必修に値しないのでは?というのも正直なところ)、また出来事の羅列のような教科書(編集の必要上仕方ないのだろうが)がどれだけ生徒の関心をひき、記憶に残るのか?ということも感じていた。僕自身は世界史が好きだったし、大学受験も世界史で受けたんだけど。 世界史教育についての考え方は以前の日記のときとさほど変わっていないのだが、付け加えるに、「逆引き辞書」じゃないけど、最近の出来事から遡って記述していく歴史教科書はどうだろうか、とも思っている。憲法というテーマでいえば、どうして日本国憲法があるのか、その成立の背景→戦前の明治憲法→そのモデルとなったドイツ(プロイセン)憲法とその背景→そもそも憲法というものはどうしてあるのか、その起源と歴史→民主主義の歴史、といった具合。
2006年10月25日
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(引用開始)<福岡いじめ自殺>発端は学年主任の「いじめ発言」繰り返し 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが15日、男子生徒宅を訪れ、両親と面会した。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭を務めた学年主任(47)がいじめ発言を繰り返し、それが発端となって他の生徒にまでいじめ行動が広がったことを認めた。 両親と学校側の面会は報道陣に公開された。両親らは、自殺直後に学校が全生徒から取ったアンケートと、両親が親しかった生徒2人に書いてもらったメモを基に「息子だけが1年の時からいじめられていた」「一部生徒がアンケートで学年主任によるいじめを記述している」と指摘した。 また、▽1年の時に生徒らをイチゴやジャムに例えてランク付けするなど人格無視の発言を繰り返した▽ケガをしているのに仮病よばわりやうそつき扱いした――ことなどを、同級生2人から伝えられたことを明かし「間違いないか」とただした。学年主任は「(男子生徒が)からかいやすかったから」と、いじめ発言を繰り返していたことを認めた。 さらに、母親が男子生徒のインターネット利用について教諭に相談した内容を他の生徒たちに明かして、同級生らがこれに絡めたあだ名で呼ぶようになったいじめを誘発していたことも指摘した。母親によると、男子生徒はこの後「学校に行きたくない」と言うようになったという。(中略) 両親との面会の後、中原教育長は報道陣に対し「校長から今朝、(1年時の担任教諭の)発言内容を聞いた。教師によるいじめがあったと判断している」。学年主任は「一生かけて償います」とうつむきながら謝罪した。【川上敏文】(後略)(毎日新聞) - 10月16日2時0分更新(引用終了) 悲しい事件としかいいようがない。 普段はこうした社会面に載るような記事に関する日記は書かないのだが、こうしたニュースはちょっと身に覚えがあるので書いておこうと思う。もうえらく前の話だし、あまり愉快な思い出でもないのだが。 僕は小学生の頃はかなりの「悪ガキ」だった。「ワル」ではない、ただのいたずら小僧くらいの意味である。とにかくよく騒ぐし(今もそうだが、本来躁鬱質なんですね)、当時は「学級崩壊」という言葉も現象も無かったが、それを引き起こしていたかもしれない子供だった。先生としても「うるせえなあ」と思った事だろう。今にして思えば我ながら悪ガキだったとつくづく思う。 さて小学校○年生のとき、ある中年男性の教師が担任になった。その先生は面白いと言うので児童達に人気があったし、僕も好きな先生だった。しかしこちらはやたら騒ぐ悪ガキである。先生はうるさい僕に「カエル」というあだ名をつけて、それが僕のクラスでのあだ名になった。まあカエルは好きだし(よくカエルの鳴きまねをした)、僕の顔は確かに目が出ている感じで、言い得て妙なあだ名ではあったのだが。 さらに騒いでうるさいというので(僕だけじゃなかったと思うんだが、目立ち過ぎるんですな)、僕だけ机ごと廊下に出されて(「隔離」されて)、教室の廊下の窓から授業を受けさせられた。一限・一日だけの罰ではない、記憶が定かでは無いが少なくとも一週間はそれが続いたと思う。今にして思えばこれだけで問題になるんじゃ無いかと思うが、当時は珍しくなかったのだろうか。通りかかった他の先生は異様だとは思わなかったのだろうか。 さらにある時、友達とふざけていてガラス窓を割ってしまった。報告と謝りに行くため、教室に居たその先生のところに行って机の前に立たされた。先生は黙って吸っていたタバコの煙を僕の顔に吹き掛け、近くに居て掃除をしていた男子児童に「おい、このゴミをどこかに片付けろ」と言った。それで説教は終わりだった。僕はそれほどひどいことを言われたとも思わず(我ながら鈍い子供である)ケロリとしていたが、一緒に叱られた友達はショックを受けて親に言ったのでちょっとした騒ぎになったようだ。僕もその友達の家から連絡を受けた母親にそのことを聞かれて、そんなに騒ぐ事かいな、と逆にびっくりしたものである。しかしその後その先生に謝罪されたとかそういう記憶は無い。他にもいろいろあったかもしれないが、思い出せない。 上の中学生と違って、僕は同級生からいじめを受けると言う事も無かったので(いじめが社会問題化する前でした)、その学年が終わって担任教師が変わるとそれきりになった。僕はひどい目にあったなあとは思っても、その先生の事は特段嫌いにならなかった。むしろ面白いことを言うし友達感覚の先生なので、好きなほうだった。その辺は所詮子供という事か。ちなみにその先生は、数年後に転任先の学校で不祥事(いじめではなく事故)を起こして報道されているのをテレビで見たきりで、その後の消息を知らない。 大人がとにかく怖い小学生と、半ば一人前意識をもちつつある中学生とでは単純に比較出来ないし、この自殺した中学生は級友にいじめられていたというので僕とは状況が違う。ましてや僕が小中学校に通っていたのはもう20年くらい前の話で、子供の心性も社会も大きく変わっているだろう(僕らの頃は体罰は普通だった)。 それでも推測するに、この中学生の元担任は、大多数の生徒にしてみれば「面白い事をいう、親しみやすい先生」だったのではないかと推測する。であればこそ、苺の等級にかけた「冗談」(言った本人はほんの軽口のつもりだろう)を言ったり、結構ひどいことを言ったりしているが、クラスの生徒にしてみればズバズバものを言う「面白い先生」だったんじゃないだろうか(奥様受けするみのもんたや細木数子みたいなもんですかね)。「先生がストレス解消でいじめた」と報道しているむきもあるようだが、何だか見方が薄っぺらというか、単純化しすぎではないかと思う。 もちろんこの教師がひどいことを言ったには違いないし、事実を隠そうとする学校側の責任は重い。しかしこの教師を一方的に責めて(あるいは馘首や適性検査して)こうした教育問題が解決していくのだろうか。僕がとにかく疑問に思うのは、こうして悩んでいた中学生の尋常ならざる様子を、家族は全く気がつかなかったのだろうか。確かに子供にとって学校は社会そのものであり、そこでの生活は人生そのもののように思えるだろう。しかし学校にいるのは一日のうちでもせいぜい三分の一か半分以下である。省略したこの記事の続きには自己批判する保護者の様子も載っていたが、この教師を特別問題視する(確かに問題ですが、こういう口を叩く教師は結構あちこちにいると思う)マスコミは、怒りを煽るような報道に終始していいのだろうか。しかもいじめで直接自殺に追い込んだのは同級生ではないか。 それにしても、安易に自らの命を断つ子供達の行為を、ただ悲しむだけでいいのだろうか。自殺は自分と言う人間を殺す殺人行為でもある。マスコミは正義面して言葉狩りをしたり遺族の後ろで怒号を発したりするばかりではなく、むしろ自殺の悪い面(遺族をいかに悲しませ、迷惑をかけるか)をメッセージとして子供達に伝えるほうが先だと思うのだが。 子供も教師も親もマスコミも、あまりに「自分(だけ)は間違っていない」という「エクセプト・ミー」イズムを感じる。当事者としての責任感がないとういうか押し付けあいというか、これじゃ教育も荒廃するわな。子供の居ない僕だって「教育現場の実情も知らずに偉そうなこと言うな」との批判は免れないが。 ちなみに僕は中学生の頃から「優等生」になったので(それ以前の振る舞いを思い出しては汗顔したものだ)、先生にいじめられるということは無くなったし、いじめともほぼ無縁の学校生活を送った。しかしこのトラウマなのか、「先生」と呼ばれる人たちとの距離感で今も余計なストレスを負っているように思う。
2006年10月16日
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北朝鮮の話題は書くだけ徒労な感じがするので(あの国の話題はまるで前向きな感じがしない)、なるべくこの日記には書かないようにしているのだが、やはり核実験強行となれば歴史的な事でもあるし、書いておかねばならないだろう。 北朝鮮は建国以来、隣接するソ連(ロシア)と中国の援助を受けて存続してきた。それが北朝鮮の存立基盤である。しかし自分の都合が悪くなるとその片方から微妙に距離を取り、天秤にかけたり自主路線をとった。ソ連でスターリン批判が起きると中国に摺り寄り、文化大革命で金日成に対する個人崇拝が紅衛兵に批判されると(毛沢東を個人崇拝する紅衛兵がこういう批判をするのも変なのだが)、主体思想を謳って自主路線を取り、かつて「修正主義者」と罵ったチトー(ユーゴスラヴィア)が主宰する非同盟諸国会議に参加して主役面で振る舞った。 しかし最大援助国ソ連が崩壊して北朝鮮経済を直撃し、一方で中国が経済成長すると、金正日は個人的には大嫌いな中国に摺り寄らざるを得なくなった。中国べったりになりたくはないので、中国とのバランスを取る力を持つアメリカとの直接交渉や援助の引き出しを望んでいる(勝手に摺り寄って来る韓国は、中国とのバランスを取るにはいささか小さ過ぎる)。中国とアメリカ(ソ連の代わり)が互いに牽制してくれれば、その間で遊泳が続けられる。 こうした外交政策は何か前向きな理由でもイデオロギー対立でもなく、中国やソ連(あるいはアメリカ)から援助を引き出し、かつ「宗主国」からの干渉を極力避けて自主独立を維持し、政権・体制を維持するための方便だった。小国には小国なりの苦労があるのだが、この経緯は東欧のアルバニア(エンヴェル・ホッジャ)を連想させる。ソ連や中国がこうした「コウモリ外交」を許したのは、北朝鮮・アルバニアが1960年以降の中ソ対立に上手く乗じた面もあるし、むしろ逆説的に、アルバニアも北朝鮮も小国なればこそ自由にさせてもらった面もあるのだろう。 北朝鮮がチェコスロヴァキアやハンガリー、あるいはヴェトナムのような要地にあって中ソのうち一ヶ国としか接していなければ、ちょうど50年前のハンガリー動乱のような事態になったことは考えられる。それに上記のような習い性があればこそ、中国の抑え役としてアメリカに期待し、直接対話にこだわる。逆にアメリカが北朝鮮問題に及び腰なのは、アメリカにとって優先順位が低かった(=北朝鮮が小国だった)からに他ならない。 北朝鮮のスローガンの一つは「(社会主義)強盛大国」である。これは周囲の大国(歴史上の大部分は中国)に翻弄されてきた朝鮮民族の悲願といっていい。 さればこそ核兵器を保持して中国ともアメリカと対等に渡り合おうとする。善悪は別として(傍迷惑な話だ)、その志や壮とすべきかもしれないが、「身の程知らず」という言葉も世の中にはある。米中露がかつてのような鋭い対立関係になく、しかも北朝鮮が核兵器という看過すべからざる武器(実用性は疑問だが)を持った今、北朝鮮が過去60年のような「自由に振る舞わせてもらえる小国」という身分を失ったというべきだろう。「強盛大国」にはそれなりの責任と外交的な「縛り」が生じる。 結局大量破壊兵器が存在しなかったとはいえ、かつて核兵器を持とうとして原子炉完成まで漕ぎ着けたイラクがその後どうなったか、金正日が知らないはずはないのだが。もちろん、将来日本が核兵器を持とうとすれば、これと同じ事があてはまるかもしれない。 時々「北朝鮮はアメリカに追い込まれたからやむを得ずこうした強硬姿勢に出る。悪いのはむしろ二国間協議に応じないアメリカや、強硬姿勢を取る日本の小泉・安倍政権だ」と驚くべき主張をする人がいる。 核開発を中止する代わりに軽水炉や重油を供給してもらうという「飴」を貰いながら、アメリカとの二国間協定を一方的に反古にして核開発を続けたのは北朝鮮であるし、経済制裁されたのは北朝鮮製の偽ドル札がアイルランドのテロ組織に流れたからだという。イラク戦争を強行したアメリカ憎しのあまり北朝鮮を擁護するのは全く賛成出来ない(それゆえ先日の非同盟諸国会議で北朝鮮の核開発を支持したキューバ、ヴェネズエラ、イランの現政権の見識のなさを僕は全く支持出来ない)。湾岸戦争でイラクがアラブ諸国にすら助けて貰えなかったのは、「クウェートを攻撃しない」とアラブ諸国首脳会議でフセイン大統領が食言したことに端を発する。例え外交が「笑顔の裏で相手を殴る準備をする」行為だとしても、発言への信頼という最低限のルールは必要で、北朝鮮の場合は交渉の段階は既に過ぎているとしかいいようがない。 この先どうなるかだが、北朝鮮がやぶれかぶれで「暴発」することはあの国の実情を考えれば無いだろうし(「暴発」しないで済むようにするための核兵器である)、中国は中朝軍事同盟の手前、いきなり北朝鮮に懲罰侵攻(1979年の中越戦争のような)することはないだろう(まず協力協定の破棄から)。アメリカが北朝鮮を限定空爆するとも思えないし、しばらくは日本にとって忸怩たる状況が続くと思う。・・・・・ ドイツは北朝鮮と国交がある。ベルリンで道に迷って北朝鮮大使館の前に行った事がある。 なんとバイエルンにある地震観測所でも、北朝鮮の核(今のところは?)爆発実験による震動が観測されたという事だが、北朝鮮核開発のニュースに接し、ドイツのシュタインマイアー外相は「北朝鮮は誤った道を突き進んでいる。北朝鮮は核開発やミサイル実験を即座に停止する事を要求する」と述べた。まあドイツにしてみれば北朝鮮よりイランの核開発のほうが差し迫った問題でいわば「どうでもいいこと」なので、この件については日米と協調するだろう。 ドイツの雑誌「シュピーゲル」のネット版ニュースを見ると、北朝鮮の核兵器保有の反応として、日本が核兵器保有を目指す恐れがある、と報じている。これはアメリカや韓国(副外相がそういう趣旨の発言をしたそうな)から流れてきた噺で、僕なんかは「ええ??」と思うのだが、「中曽根前首相のシンクタンクが核兵器保有を新しいオプションとして提言している」こと、日本が原発で十分なプルトニウムを保有している事(現在の日本はもちろんIAEAの査察をきちんと受けている優等生である)、安倍新首相が憲法改正や「日本軍」の行動制約を緩和しようとしていることなどをその理由として挙げている。
2006年10月09日
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安倍内閣が成立した。5年の長きにわたって続いた小泉内閣は賛否両論あるだろうが(僕はその間ほとんど日本に居なかったのでよく知らんのです)、5年も続けば「歴史に残る」内閣であったというのは想像がつく。具体的にどういう成果があったかというと、僕にはイラク自衛隊派遣とか北朝鮮による拉致被害者の一部を連れ戻したこと、郵政民営化くらいしか思いつかないのだが。構造改革というのは知っているが、具体的にどの辺が変わったのかは不明にして知らない。 安倍首相は「美しい国」をキャッチフレーズにしているという。「美しい」というのは具体的にどういうものだろう。「美」という字は字義的にいえば「大きな羊」、つまりは財産が多い=豊かであるということだから「儲かる国」「お金持ちの国」となってしまうわけだが、安倍首相の目指すところはもっと形而上的なことなんだろう。世論調査による支持率はかなり高いようだが、例えば田中真紀子外相更迭で小泉内閣の支持率が一時的にがた落ちしたように(僕は以前は田中真紀子を結構買っていたが、今は全然評価出来ない)、所詮は水ものである。 組閣名簿を見ると僕の知らない人がかなりいてその点では目新しい内閣かもしれない。アメリカのホワイトハウスのような内閣を目指すということだが、それなら論功行賞内閣あるいは「仲良し内閣」になるのはむしろ当然のなりゆきだろう。ブッシュ政権みたいにならなきゃいいが。異様なのはとにかく首相補佐官(大統領補佐官のひそみか)の多さ。担当閣僚との折り合いはどうなんだろうか。とにかく今はお手並み拝見である。小泉前首相は「説明責任を果たさない」と随分批判されていたようだが、言い訳を聞くよりも実際にすることをよく見ておきたい。 安倍氏が首相になった当日のドイツの「フランクフルター・アルゲマイネ」記事などを見ると、とにかく安倍首相の血筋と明治維新を主導した長州についての解説に割かれていた。僕の出身地は長州閥にくっついて官僚として出世した人物の多い土地だから(犬養毅のような在野から政界に入った人もいるが)、別に長州に敵愾心はないが。つうか今更長州もないだろうにとも思うのだが、愛国心とは愛郷心のことらしいから(本当か?)、やはり無視出来ないんだろうか。・・・・・ 僕は以前はプロ野球が好きで、それこそ全選手の名前や成績なんかを諳んじる程だったのだが、ドイツに行ってプロ野球中継が見られなくなってからは全く疎くなってしまって、知らない選手(しかも歳下)ばかりになってしまった。野球自体は今でも見るのが好きだが。 さて今年のパ・リーグは日本ハムが1981年以来25年ぶり(だったかな?)に一位になったという。ところがこれは「レギュラーシーズン」とかいうものの一位で、一昨年からプレーオフ制度が導入されてシーズン一位のソフトバンク(ダイエー)が日本シリーズに出られない事態になった。プレーオフで緊張が増して観客動員が増えるということらしいのだが、今年のように3チーム(日ハム・西武・ソフトバンク)が接戦のシーズンではなんかむしろ緊張感が無くなったように思う。古い話だが1988年と1989年のシーズンなんて本当にハラハラしたもんな(ブライアントの三連発!)。来年からセリーグもプレーオフを導入するそうだが、いいんだろうか?セパ交流戦は面白いと思うけど。 その日ハムの新庄が引退するという。今年の成績(2割5分、16本)を見ればまだやれそうにも思うが、まあ本人の意志なんだから仕方ない。僕は正直いってああいう派手派手な選手は好きではなかったのだが(部下にもっても困る)、引退の年にシーズン優勝(いや単なる一位か)を演出なんて、やってくれるじゃないか。時々試合に出る程度でずるずると続けて老醜を晒す清原(番長だあ??)なんかよりはずっと好感がもてる。ただああいうのが国会議員になるというのは困りものである(といっても、竹中平蔵前総務相の議員辞職で女子プロレスラーが国会議員に繰り上げ当選するんだから、今に始まったことじゃないか)。 僕には日本ハムというとむしろ2000本安打達成目前だが引退濃厚な田中幸雄(コユキ)の動向のほうが気になるのだが。 僕はパのファンだが、セ・リーグのほうは阪神が中日を猛烈に追い上げている。こっちもなかなか盛り上げてくれる。心情としては阪神を応援したいが。 今年はワールドカップでサッカーのほうに注目が行きがちだったが(その割にJリーグ盛り上がらないですね)、やはり野球の方がいい(そういやWBCで日本が野球世界一になったのは今年のことだったな)。高校野球も盛り上がったようだし。
2006年09月29日
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自民党の総裁選で安倍幹事長が大勝(投票総数の6割超)して選出された。まあ事前に予想された事だし、いわば出来レースなので今更驚く事もないのだが・・・。週明けに小泉首相の跡を襲って組閣するとのことだが、戦後では最年少(明日52歳)、そして初の戦後生まれの首相になるという。 ドイツで昨年11月に就任したアンゲラ・メルケル首相(7月のサミットでブッシュ大統領に「セクハラ」されてましたね)はやはりドイツで戦後一番若くして連邦宰相に就任し、また初の戦後生まれだったのだが(ついでに初の旧東独出身、しかもドイツ史上初の女性宰相)、奇しくも安倍氏と同じ1954年生まれである。同じ戦後生まれの宰相といっても、旧社会主義国出身で牧師の娘、大学の助手で理学博士号をもつメルケル首相と、岸首相の孫、安倍晋太郎外相の息子にして元サラリーマンの二世議員という安倍氏では経歴は随分と違うが。就任時の「なんとなくよさげ」だが、一方で若いせいか党や政府の要職についたことが少なくやや頼りないという印象では共通しているかもしれない。 未だにやもめの僕の従兄弟はたしか安倍氏と同じ歳だが(安倍氏がサラリーマン生活を送った企業のライバル会社に勤めている)、同じ歳の人を探してみると、俳優ではジョン・トラボルタ、ジャッキー・チェン、デニス・クエイド、ジェイムス・ベルーシ、キャスリーン・ターナー、デンゼル・ワシントン、ウーピー・ゴールドバーグ、スコット・バクラ、映画監督のロン・ハワード、アンソニー・ミンゲラ、大友克洋、マイケル・ムーア、ジェーン・カンピオン、ジェイムス・キャメロン、アン・リー、歌手だとジャンナ・ナニーニ(イタリア)、エルヴィス・コステロ、作家のカズオ・イシグロ、政治家だとトーマス・デ・メジエール内閣府長官(メルケル首相と同じ旧東ドイツ出身)、ユルゲン・トリッティン前環境相(ドイツ)、ウクライナのユシチェンコ大統領とその隣国ベラルーシのルカシェンコ大統領(対照的な二人であるが歳は同じ)、アルメニアのコチャリャン大統領、その隣国トルコのタイイプ・エルドアン首相、ヴェネズエラのウーゴ・チャヴェス大統領、アメリカのコンドリーザ・ライス国務長官となかなか多士済々で、いずれも今が働き盛りという感じがする。 安倍氏の自民党総裁はドイツでも報じられたようだが、小泉首相の陰に隠れて最近になってようやく注目されるようになった彼の紹介には必ず「靖国参拝論者」というのと「東京裁判否定論者」というのがついている。後者については「シュピーゲル」誌なんかはホロコーストを否定するイランのアフマディネジャド大統領に例える記事まで出したそうで(僕は読んでいない)、あまり評判はよくないようだ。 まあその記事を書いたヴィーランド・ヴァーグナー記者はいつもそんな調子だし(「日本は過去への反省が足りない」というのはドイツ人では一般的感情)、今年からシュピーゲルは東京支局をなくして上海支局に移したくらいだから(それとは別に北京支局もある)、中国メディアに影響されやすいのは仕方ないかもしれない。 だからこんな与太記事(にならなければいいいが)も出てくる。(引用開始)「日本のブッシュが来た」=安倍自民総裁選出で独誌 【ベルリン20日時事】ドイツの週刊誌フォークス(電子版)は20日、安倍晋三官房長官が自民党総裁に選ばれたことについて、「日本のブッシュが来た」との見出しで報じた。 (時事通信) - 9月20日21時1分更新(引用終了) 「フォークス」(英語では「フォーカス」)は「ビルト」の雑誌版みたいなもんだから(日本にはあまりないタイプの雑誌だが)、まともに相手にする事もないとは思うが。 そういうドイツでは先日のメックレンブルク・フォアポメルン州(メルケル首相の地元)議会選挙で極右政党NPD(国家民主党)が7%の得票でザクセン州に続いて議席を得たくらいだから、歴史を反省してないのはどっちだか分かったもんじゃないが。もっともこれは旧東ドイツの話、若年層にはネオナチ支持者が少なくないし、西ドイツ式の反ナチ歴史教育が始まったのはたかだか16年前である。それに北の方のある国に言わせれば安倍氏も十分「極右」になるんだろうけど。 以下雑感。 僕は安倍氏は見た事がないが、父親の晋太郎氏は福山駅で見かけた事がある。といっても当時は子供で誰だか分からなかったが。安倍氏は外相としてはイラン・イラク戦争(1980~1988年)の当時、イラン寄りの姿勢を取ったが(それに対し中曽根首相はイラク=フセイン政権寄りだった)、アザデガン油田開発問題や核開発問題で安倍首相はどういう態度を取るんだろうか。先日の非同盟諸国会議でアフマディネジャド大統領は「北朝鮮の核開発を支持する」とか表明してたけど、それって「私も核兵器が欲しいです」と言ってるのと同じじゃないか。 安倍氏には「国民的人気」があるとのことだが、いつそうなったんだろうか。やはり小泉訪朝・拉致被害者奪還のときだろうか。しかしそのときは僕は日本にいなかったし(トルコの田舎にいてつんぽ桟敷だった)、実感として安倍氏の「国民的人気」というのが理解出来ない。麻生・谷垣という他の自民党総裁候補と並べた時、一番実績も主張も頼りなく見えるのだが、持ち上げた周りの人がしっかり補弼するんだろうか。 それと今の国会議員のほとんどが二世議員だと思うが、こうした派閥の領袖とか首相候補というのは数多の国会議員(自民党議員)の中からどうやって選ばれていくのだろう。以前なら金づる・集金力という分かりやすいメルクマールがあったのだが、今は政策立案力とか議論力で頭角を表すんだろうか。それとも結局親の残した地盤の強固さで勝負なんだろうか。そういう点ではあのタイゾー君(歳は違うが僕の後輩)は小論文一本の裸一貫から議員になったんだろうから、その資質はともかく、少しは頑張って欲しいと思う。若さというなら負けないし(笑)。
2006年09月20日
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今日は宗教に関するニュースで目についたものを。 先に断っておくが、僕は一応真言宗の仏教徒だが、何かを畏れる気持ちはあっても厳密な意味での宗教心はないといっていい。僕の周りの人(日本でもドイツでも)もそうである。うちの母はいかにも日本人らしく、法事は仏教、新年は神社、クリスマスは教会のミサといった具合で、「ありがたいお話に宗派は関係ない」と言っているが、僕も似たようなものだ。(引用開始)イスラムは「邪悪」=ローマ法王発言に怒り広がる 【ニューデリー15日時事】ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。2001年9月の米同時テロ以来、欧米の一部にはイスラムの教義そのものに暴力の原因を求める議論があり、イスラム教徒の神経を逆なでしてきた。パキスタン議会は15日、法王に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。 ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。 (時事通信) - 9月16日1時1分更新(引用終了)(引用開始)ローマ法王>「聖戦」批判演説にイスラム社会の反発広がる 【ローマ海保真人】ローマ法王ベネディクト16世がイスラム原理主義の「聖戦」を批判した演説に対してイスラム社会で法王を非難する動きが拡大している。パキスタン下院議会が15日、法王に発言撤回を求める決議を採択したのをはじめ、イラン、インドネシア、トルコなどでもイスラム教指導者が反発し、一部が抗議行動を呼び掛けた。ローマ法王庁(バチカン)は釈明し、火消しに躍起になっている。 法王はドイツ訪問中の12日、大学での演説で「ジハード(聖戦)は神に反する」と述べ、テロの宗教的根拠を否定。さらに、イスラム教の預言者ムハンマドが「戦いの指揮により邪悪と残酷さをもたらした」という14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用した。(中略) バチカンのロンバルディ報道官は声明で「法王はジハード思想について深く踏み込むつもりはなく、イスラム教徒の感情を害する気持ちもない。ただ、暴力のために宗教を動機とすることを明確に否定したいだけだ」と述べた。報道官は法王がイスラム教との調和を求める姿勢に変わりがないことを強調した。 だが、今年初めにはデンマークの新聞が掲載したムハンマドの風刺画をきっかけにイスラム教徒が世界規模で抗議行動を起こす騒ぎとなった。今回もキリスト教徒に対する反発がイスラム社会で膨らむ恐れがある。(毎日新聞) - 9月15日22時47分更新(引用終了) 昨年のムハンマド風刺画騒動に続いて、今度はローマ教皇からの発言という事で、いよいよ文明の衝突に火をつけた感がある、と冒頭のニュースを見たら思うかもしれない。僕も気になったのでベネディクト16世のレーゲンスブルク大学での講演の抄録を報道されている範囲で読んでみた。訳出してみようかとも思ったが、学術的な講演だけに晦渋な言い回しも多く、やる気が失せた(現教皇は大学の神学教授の出身である)。 ただ一つ間違い無く読み取れたのは、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」と言ったのは教皇ではない。時事通信の記事は教皇が非寛容的なキリスト者だと日本人に誤解をまき散らす恐れが多分にある。この言葉を言ったのはビザンツ帝国の皇帝マヌエル2世パレオロゴスである。 教皇の講演は「信仰、理性と大学:回想と反省」というタイトルで行なわれた。講演の中で教皇は、最近読んだミュンスター大学の神学教授が書いた論文?について触れる。それはビザンツ皇帝マヌエル2世が1391年に冬営地のアンカラであるペルシア人学者とキリスト教とイスラム教について行なった対話について書かれたものである。「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」とペルシア人にマヌエル2世は問いかける。その後の対話がどうなったかについては深入りしていないようなのだが、結局言いたい事は「マヌエル2世が述べたように、理性的で無いやりとりは神の意志に反するもので、宗教間の対話が重要であり、そのための道を見い出す事が大学の役割である」と結論で述べている。イスラムについては、マヌエル2世が主張した部分の引用以外では全く触れていないし、テロ云々とは一言も言っていないようだ。 長い講演の一部を切り取って(しかも引用部分)、刺激的な部分だけを報じると(何かを煽ろうとする意志が働いているのならなおさらだ)、いかにも教皇がイスラムを批判しているように見える。確かにこのマヌエル2世の対話が「キリスト教の対話と理性的な精神」の例証として挙げるにはいかにも不適切ではあるし(対話である以上相手がおり、相手を貶める可能性もある)、最近読んで感銘を受けたから引用したんだろうか。少なくとも教皇が現代に14世紀後半と共通するものを感じているのは窺えるのだが。 まあこうした相手の言い分に聞く耳を持たない「バカの壁」が、今の世の中に共通する現象なんだろうけど。(引用開始)中国の宗教活動制限を批判=法輪功弾圧にも言及-米国務省報告書 【ワシントン15日時事】米国務省は15日、世界各国の宗教の自由に関する2006年版年次報告書を発表、昨年に続き、中国や北朝鮮、イラン、ベトナムなど8カ国を「特に懸念される国」に指定した。 報告書は「中国政府は宗教活動を政府の認可を受けた組織に制限しようとしている」とし、「政府に登録していない団体は干渉や嫌がらせを受けている」と批判。さらに、気功集団「法輪功」の弾圧を続けており、法輪功関係者は拘束、収監され、虐待による死者が出たとの信用できる情報もあるとしている。北朝鮮に関しても「真の宗教の自由は存在しない」と非難した。 (時事通信) - 9月16日1時1分更新(引用終了) 中国の歴代王朝は大体その滅亡は宗教がらみの反乱で始まっているから(黄巾、白蓮教、大平天国などなど)、宗教に対して警戒心を持っているのは分かるけど(まあ共産主義とか地上唯一の皇帝云々というのも一種の宗教だろうけど)、法輪功が配っているビラとか見るとかなりえげつないことをしているようだ(まあ多分にプロパガンダだろうが)。なんだかよく分からないが。 一方中国を批判するアメリカでは、州によっては学校で聖書の天地創造の話が事実として教えられているらしいけど(「エホバ」の勧誘の人もそう言ってたな)、あまり信教の自由があり過ぎるのもどうだかなあとは思う。大統領の就任宣誓とかもキリスト教の神に対して行なっているが、ああいうのは政教分離云々の議論にはひっかからないんですかね。 ドイツでは現大統領が珍しく就任演説で「神」を口にしてたけど、普段はあまり耳にしない。(引用開始)<松本被告>死刑確定 最高裁、特別抗告棄却を決定 地下鉄サリンなど13事件で殺人罪などに問われたオウム真理教(アーレフに改称)の松本智津夫(麻原彰晃)被告(51)について、最高裁第3小法廷(堀篭(ほりごめ)幸男裁判長)は15日、東京高裁の控訴棄却決定を支持し、被告側の特別抗告を棄却する決定を出した。戦後最多となる計26人の殺害と1人の監禁致死など、全事件を「教祖」の指示と認定した1審の死刑が確定した。社会を震かんさせた事件の首謀者に対する裁判は、96年4月の初公判から10年余で、控訴審が一度も開かれることなく打ち切られた。(中略) 松本死刑囚は17事件で起訴されたが、審理迅速化のため検察側は薬物密造など4事件の起訴を取り消し、地下鉄、松本両サリン事件の負傷者3920人を起訴事実から外した。1審では「弟子が事件を起こした」と、ほぼすべての事件で無罪を主張。東京地裁は04年2月「空想虚言に基づいて多数の生命を奪った犯罪は愚かであさましく、極限の非難に値する」と死刑を言い渡した。 2審の弁護団は「被告と意思疎通できない」と控訴趣意書を昨年8月の期限までに提出せず、東京高裁は今年3月に控訴棄却を決定。弁護側は異議を申し立てたが棄却され、最高裁に特別抗告していた。【木戸哲】 ▽最高検の横田尤孝次長検事の話 地下鉄サリン事件発生から約11年、初公判から10年が経過し、決定を受け一区切りの感がある。起訴された被告のうち控訴審、上告審に係属中の被告がいるので、引き続き適切に対応する。 ▽松本被告弁護団の抗議声明 決定はきわめて不公平で不当。強く抗議する。決定は被告が弁護人と意思疎通を図ろうとしないことが控訴棄却をもたらした大きな原因と指摘するが、被告の精神状態を無視するもので、被告へのひぼうというほかない。(毎日新聞) - 9月15日22時8分更新(引用終了) 宗教というにはおこがましい気もするが、少なくとも宗教という形態をとっていたし、日本人に宗教とは何かという事を一瞬にしても考えさせたオウム事件だが、麻原逮捕から11年で確定か。死刑は避けられないと思っていたし、現行の日本の法律では然るべき判決であると思う(死刑制度の是非については深入りしたくない)。一時期オウムや宗教に関する本が世に溢れたが、僕が読んだのは村上春樹の本くらいだった。 それにしても、麻原が死刑になることより、「あの頃からもう10年も経ったのか」という事の方が僕には驚きというかショックではある。それほどエポックメイキングな事件であった事だけは確かだと思う(村上春樹の作風をやや変えてしまったくらいだし)。 それにしても上祐が大きな顔してマスコミに出ているみたいだが、どの面下げて、と思う。早稲田の弁論部出てようが、出所進退の醜い人物は語るに足りない(そういや植草センセイ今度は痴漢で捕まったそうですね)。オウムがまだ続いているのも驚きだが。 オウムの教義は教祖への絶対帰依だったらしいが、イスラムは信者一人一人が「神(アラー)」という実体のないもの(神には名前すら無い)について考えたり向き合う建前である。「神への服従」というスローガンの先行する宗教だが、本来服従するのは神であって誰かの言った教義では無く、信徒が皆熱心ならば(自分で考える人ならば)一人一宗派になりかねない側面もある。融通がきくから信徒が拡大するとも言えるし、統一が取れないともいえる。テロを肯定しかねないし、「平和の宗教だ」と主張することさえできる。
2006年09月15日
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秋篠宮家に親王が誕生した。なんとなく男の子じゃないかなと思っていたんだが(事前には知らなかったということみたいだけど)、どちらにせよとにかくおめでとうございます。 それにしても見事に今まで女性ばかりだったから、40年ぶりとは不思議では無い。うちの叔母は女の子ばかり四人、逆に従姉妹は男の子ばかり四人産んでいるから、結構こういうことはあるんだろうか。まあ今や少子化時代で(僕も微力ながらその傾向に貢献?している)、それ以前の問題だろうけど。 あまり皇室関連のニュースには関心が無い方なのだが(宮様に会った事はあっても、基本的に皇室とは無縁な生活だし)、ここ数年皇位継承に関する皇室典範の改正論議が盛んだったのでやはり関心はあった。僕は特に定見というものは無いのだが、旧皇族を皇籍に戻してまで男系男子にこだわる必要はないんじゃないかと思っているし(いまさらそういう人を天皇だといわれても有り難みが無いしな)、かといってオランダ王家みたいに第一子が男女関わり無く自動的に即位というのもいかがなものかと思っていて、正直いいアイデアが浮かばない(誰も僕なんかに聞いちゃいないだろうが)。 結局男子優先の男系相続、しかし直系の女性天皇も認めるという線でいいのではと思っている。それじゃ根本的な解決策にはならないのだろうけど。僕は誰がなっても天皇は天皇という象徴だと思っているので、皇族の血を引いているのなら女系でも構わない(あり得ないだろうが碧い目や黒い肌の天皇だって構わんですよ)。それなら大統領制にしちゃっても同じじゃ無いかといわれると、正直言って日本に大統領制(共和制)は全く根付かないだろうと思っているから(ワイマール共和国みたいになっちゃやしないかと)、やはりいかなる形であれ皇室は必要だと思う。 ドイツの報道なんか見ていると「キコ妃が皇位継承者を出産」とさすがに大きく取り上げられているようだ。なんと言っても現存する世界最古の王朝ですからね。これに次ぐのは9世紀くらいから続いているデンマークだろうがあそこは「万世一系」ではなく婚姻による女系相続もあるし、今も女王だから日本とは様子が違う。女性が天皇になれないのはおかしい、と思っているヨーロッパ人も多いのではないだろうか。・・・・・・・ 紀子さんは皇族では初の帝王切開による出産だったという。もし現行の皇室典範では皇位継承順位三位になるこの親王が、将来(40年くらい後?)天皇になれば文字どおり「帝王」切開というわけだが、この言葉ちょっと気になったので調べてみる。 僕はローマの英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が帝王切開で生まれたと言う伝説があるから「帝王切開」というのだと思っていた。この場合、「帝王」という訳語は変で「カエサル切開」と言った方が正確になる。もっとも、ドイツ語やロシア語の「皇帝」はカイザー、ツァーといずれもカエサルの名が称号化したものだし、あながち間違いとも言い切れない(歴代のパルティア王が初代王の名であるアルサケスを名乗るのと同じですな。歴代ヒッタイト王の称号であるラバルナも元々はハットゥシリ1世の個人名だし)。 帝王切開での分娩が安全になるのは麻酔術や消毒法が発明される19世紀以降の事で(現在の死亡率は1%以下)、それ以前は死んだ直後の母親から子供を取り出す、あるいは母体の死を覚悟で切開するというもので、殆どの場合母親は死んだ(アフリカの民族例や記録に散見される)。じゃあカエサルの母アウレリアは彼を産んだ時に死んだのかと言うと、随分後まで生きていたらしい。 とここまで調べて、別の説があるとようやく知った。ラテン語のcaedereは「切る」という意味で、これが文法により変化したcaesareaがカエサルと混同された、という。むむむ。 さらにローマ時代(初期王政時代)の法律にlex regia(王の法)あるいはlex caesarea(切開法)というのがあって、これは家長(夫)に対し、医師が死亡した母体から子供を取り出すことを止めさせる事を禁止する法であるという(胎児の救出目的、あるいは嬰児は母親と別々に埋葬する事が決められていたため)。ラテン語はちゃんとは読めないが、関連する条文を一応転載(XI.8.2)。negat lex regia mulierem, quae praegnans mortua sit, humari, antequam partus ei excidatur. Qui contra fecerit, spem animantis cum gravida peremisse videtur. この法律の名が逆にカエサルという個人名になったという説もあるくらいだからややこしいが、カエサルは実際には帝王切開で生まれていない事は明らかだからこれはまあ措く。 「カエサルが母体から切開されて生まれ出た」と述べているのはカエサルよりややのちの時代のローマ人プリニウスらしく(未確認)、彼によるとカエサルが人類で最初だという。この辺りがカエサル帝王切開伝説の出所だろうか。よく分からない。 ドイツで記録に残る最初の成功した(母親が助かった)帝王切開は1610年だそうだが、その後も帝王切開はほぼ母体の死を意味していた。それが変わるのは上述のように19世紀に入ってからで、現在はドイツにおける出産の26%は帝王切開によるものであるという(10年前の17%に比べ激増している)。またブラジルでは新生児の7割までが帝王切開による私立病院もあるとのこと。これは今回の親王の場合みたいに医学上やむを得ずというのではなく、親の希望によるもののようだ。 僕などは出来る限り自然な分娩のほうがいいと思うのだが、これは産みの苦しみを知らずに済む立場の人間の僻言というべきか。
2006年09月06日
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今年も8月がやってきて、まあ例年なら僕はトルコに居てブログどころではないのだが、日本の内外やその周辺では靖国参拝がどうの歴史認識がどうのと喧しいようだ。 それに関連するニュースをいくつか。(引用開始)<江沢民前中国主席>歴史問題を対日外交カードにと指示 中国の江沢民前国家主席が98年8月、各国に駐在する大使らを集めた会議で「日本に対しては歴史問題を常に強調すべき。永遠に言い続ける必要がある」と述べ、歴史問題を対日外交カードにするよう指示していたことが10日発売の「江沢民文選」で明らかになった。文選は江氏の在任中の演説、書簡など203編を収めた。(毎日新聞) - 8月11日0時58分更新(引用終了) まあこのことはだいぶ前から言われている事だから、今さら目新しい事でもないが、こうあからさまに言われるとねえ・・・・。 こっちも元冦(1274及び1281年)のことを永遠に言い続けましょうか、なんてのは冗談だが。え?元冦はモンゴル(今年が建国800年だ)のやった事で中国と関係ない?そんなら大元ウルスの支配領域が現代の中国国家の領有すべき範囲だと言う主張はまかり通らなくなるし、内蒙古自治区は中国と関係ないんでしょうかね。 僕は「日本は中国に悪い事をした」「戦前の日本は間違っている」と割合素直に思っているのだが(ついでに靖国神社についても「ことさら行く必要もないのではないか」くらいの思い入れしかないが)、歴史のこうした使い方は好きになれんですな。(引用開始)波紋呼ぶ米大統領の「ファシスト」発言=イスラム団体、誤解招くと抗議も 【ワシントン10日時事】ブッシュ米大統領が10日、「米国はイスラム教のファシストと戦争をしている」との表現を使ったことが波紋を呼んでいる。大統領は英国で摘発された航空機の爆破テロ未遂事件について嫌悪感を強調したかったものとみられるが、米国内のイスラム団体からは「誤解を招く」との批判がでている。 (時事通信) - 8月11日7時1分更新(引用終了) なんという語彙の貧困! 大統領にだってライターはいるだろうに、この発言は大統領の「生の声」なんだろうか。前に大統領のイラク情勢に関する演説を聞いた事があるが(これはスピーチライターが書いたのだろうが)、あまりの退屈さに居眠りしてしまったことがある。もっと「言葉の力」を信じましょうよ(苦笑)。 それにしても、アメリカの保守にとってファシズム(日独伊?)に対する戦いと勝利は、その歴史の中でもっとも輝かしく偉大なものなんだなあと思わざるを得ない(「悪の枢軸」という言葉なんかもそうだ)。上の記事にも関連するけど、現在でも壊れたレコードのように「日本帝国主義打倒」を叫び続ける人々と似たものを感じる。 ファシズム(や共産主義)は基本的に無宗教で、イスラムとは一番相容れないと思うんだが。 昨日ベルリンで「強いられた道」と題する、20世紀のヨーロッパにおける強制追放や難民に関する展覧会が始まった。扱われているのはオスマン帝国によるアルメニア人迫害(1915/16年)、ナチスによるユダヤ人への迫害(1933年以降)、そしてドイツ敗戦(1945年)後に財産を没収されてポーランドやチェコから追放されたドイツ人(適当な訳語が思いつかないので「追放ドイツ人」と仮に呼ぶ)たち、そして1990年代のユーゴ紛争についでである。 この展覧会に、ドイツの隣国ポーランドのヤロスワフ・カチンスキ首相が噛み付いた。グダンスク(旧ダンツィヒ)近郊のシュトゥットホーフ強制収容所跡を訪問した首相は、この展覧会の中に「追放ドイツ人」が含まれている事を批判して「ドイツ人は侵略者が誰で、犠牲者が誰だかはっきり覚えておくべきだ」「ドイツの罪を相対化すること(=ドイツもひどいめにあった、ドイツだけが悪い事をしたわけではない、と主張すること)は許されない」と強調した。またポーランドから極右活動家50人がベルリンに来て展覧会会場前で抗議活動を行ない、ドイツの極右と睨み合いになったらしい。 「追放ドイツ人」の評価に関してはドイツ(保守系)とポーランドの間で対立点になっている。これも何度もこの日記でも書いた「壊れたレコード」である。 第二次世界大戦後、戦勝国ソ連がポーランド東部を併合した見返りに、ポーランドの国境は西に大きく変更されたされが(オーデル・ナイセ線)、その際そこに先祖代々住んでいたドイツ人数百万人が家も土地も没収されて追放された。同じような問題はチェコとも抱えているが、「追放ドイツ人」協会はポーランドやチェコ政府に対して補償を求める動きを見せている。この「追放ドイツ人」協会のエリカ・シュタインバッハ会長(彼女自身は戦後生まれだが)は与党キリスト教民主同盟(CDU)の政治家でもあり、同党の有力な支持基盤になっている。ちなみにこの展覧会、このシュタインバッハ会長が企画したものらしい。 これに対してポーランドの民族主義の支持を集める格好で登場したレフ・カチンスキ大統領とその双児の弟ヤロスワフ・カチンスキ首相(先月就任したばかり)は、ドイツ国内のこうした動きを厳しく批判し、逆にドイツ軍によるワルシャワ破壊の補償を求める、などと発言している。 ドイツの政権がCDUのメルケル政権に代わり、ほぼ同時にポーランドがカチンスキ兄弟(かつて双児の名子役だった)政権になってからというもの、どうもドイツとポーランドの関係はぎくしゃくしている。つい先日もドイツのある新聞がカチンスキ首相を「新しいジャガイモ」と茶化したのに対し、ポーランド側が「一国の指導者をジャガイモに例えるとは何ごとだ」と、新聞社ではなくドイツ政府に対して謝罪を求めるなど、感情的にもしこりがのこっている。前政権のシュレーダー政権(社民党=SPD)はこの「追放ドイツ人」問題は存在しないとしていたので(SPDはこの展覧会そのものに対しても批判的なようだ)、こうした問題は表面化していなかった。 歴史を辿れば、当該地域(ポーランド西部のシュレジアやポメラニア、及び東プロイセン地方)にドイツ人が植民したのは13世紀以降だが、これは第二次世界大戦とは直接関係ない。歴史教科書ではドイツ人の東方植民の歴史を教え、当該地域がそもそもドイツ人の土地ではなかったことを印象づけているようだ。ドイツとポーランドはかつて共通の歴史教科書を編集したということだが、やはり同じ調子だろうと思う。 現在の国境が確定したのは旧東ドイツによってであり(「友好と平和の国境」)、西ドイツのブラント政権(SPD)が追認し、東西ドイツ統一時(1990年)にコール政権(CDU)によってあらためて追認された。ただしCDUは戦後長らくソ連やポーランドによる国境変更を認めず、当該地域は「ドイツ固有の領土」だと主張していた。まあ大部分のドイツ人は、この地方を返還せよ!などとは今更思っていないだろうし、「追放ドイツ人」問題も決して大きな関心を呼んでいるわけではないが、ポーランドに対して複雑な感情があるのは否めないだろう。 膏薬と理屈はどこにでも付くというが、歴史問題もどこにでも存在するものらしい。
2006年08月10日
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今日の夕方はドイツ代表とアルゼンチン代表による準々決勝があるので、飲み屋に見に行くことになった。 試合開始は午後5時だが、僕らが飲み屋に行った午後4時過ぎには既に店は満員に近く、僕ら4人は辛うじて席を取れた。皆家で見ればいいと思うんだが(それは僕らも同じだが家にテレビがないのだ)、こうして集まって見るのが主流なんですかね、ドイツでは。日本でも最近はパブリック・ビューイングとかスポーツバーとか流行ってるみたいだけど、ドイツ人は群れるのが好きなんだろうか。 パブリック・ビューイングといえば、フランクフルト(マイン川沿い)のそれに行ったK君によると、とにかく暑い上に飲み物の持ち込みが許されず高い飲み物を会場で買わないといけないそうで、なんだかあほらしくなった。まあ(ドイツが勝てば)盛り上がることこの上ないのだろうけど。出来れば冷房の効いた家でビール飲みながら見たい。 試合開始前にバラックとアルゼンチンの選手が何やら宣誓のようなことしていたが、店内がやかましくて全然聞こえなかった。後で知ったが人種差別に反対する宣誓だったようで、昨日もフランス選手に絡んだそういうニュースがあったようだし、ネオナチがドイツ代表に黒人選手を入れるなとか呼びかけて騒ぎになったことも関係するのだろう。ドイツ代表には黒人とドイツ人混血のオドンコア選手がいて、そこそこ活躍している(前にもアサモアという選手が居たな)。 店内でドイツ国歌を大声で歌う若者が多かった(調子に乗って僕も歌いましたよ。ええ)。これは準優勝した前回大会にもなかったことだ。僕の連れは絶対歌おうとしなかったけど。あとアルゼンチン選手がアルゼンチン国歌を歌ってないのが気になったが(胸に手は当てていたが)、難しくて歌えないなんてことでもあるんだろうか?例えばトルコの国歌はトルコ人でも歌うのが難しいいなんてことはあるけど。 試合のほうはむしろアルゼンチンが押し気味で前半が終わった。エクアドルやスウェーデンとの試合のいけいけムードはどこへやら、やはりアルゼンチンは強い。 そうこうするうちにアルゼンチンが先制。心なしかジャッジがドイツに甘い気もするが(アルゼンチン選手の負傷も多かった)、緊迫したゲームとなる。飲み屋の中ではアルゼンチンをけなすような歌を歌う輩も出てくる。それに対して「馬鹿野郎、そんな歌はやめろ」という罵声が僕らの近くから飛んだ。まあ大声に掻き消されたが。そしたらなんとクローゼのゴールで同点。まさに神様仏様クローゼ様。彼も元はポーランド人なんだけどねえ。 終盤ニュヴィルを投入するドイツの勝ちパターンにも関わらず、試合は結局延長でも決着がつかず、PK戦の末ドイツが勝利。 アルゼンチンは正ゴールキーパーが負傷退場したのが痛かったのだろうか。試合終了両チームが揉みあう場面があったが(何でか分からなかったが)、後味が悪い。しかし店内は歓喜の渦、うるさいので店外に出るともう通りはドイツ国旗を掲げドイツ代表のユニフォームを纏った若者で埋め尽くされている。 この馬鹿騒ぎはドイツが勝ち進む限り進むようだ。勝ってくれて良かったような悪かったような。次の相手は多分イタリアだろうけど、なんとなくイタリアを応援したい気持ちもある。 今日はしかも大学祭なので辺りはすごい騒ぎだ。
2006年06月30日
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終わっちゃいましたねえ、サッカー日本代表のワールドカップ・・・・。まあジーコ監督の言うようにオーストラリアに負けた時点でほぼ分かっていたんですが。 この日の夕方、大画面で試合を見るためクナイペ(飲み屋)に行く。そこで日本人は僕らだけだった(もしかしたらブラジル人と思しき人たちはいた)。途中路上でブラジルやイタリア、そしてクロアチアのシャツを着た人たちとすれ違う。午前にはオーストラリアの黄色いシャツを着た連中も見た。休暇でオーストラリアに行く人が多いので(ドイツ人にとってはまさに「地球の裏側」)、ドイツにはオーストラリアを応援している人も多いかも知れない。 試合が始まると周りのドイツ人たちはどちらかというと日本を応援しているように見えた。これは背水の陣でブラジルに立ち向かう弱い日本に対する判官びいきもあるのだろう。隣の席に座っているおっさんはいろいろ話しかけてくる。 と思っていたら玉田がゴール!思わずその場で両手を挙げて叫んでしまいましたよ私は。周りも意外な先制点にどよめいた。ドイツのTV局にもこの「日本先制」はかなり意外だったようだ。もしかして・・・・と一瞬思わせてくれた。 しかし前半の終了間際にロナウドに決められて同点。重苦しい雰囲気で終わる。隣の席のおっさんたちは「日本に幸運を」と言って帰ってしまった。ハーフタイムはニュースで、決勝リーグ進出に沸くガーナの様子などを映していた。 そして後半は目も当てられない試合内容。ブラジルにほとんど一方的に攻められて1-4。ブラジルは負傷やイエローカードを恐れ多少手を抜いてるんじゃないかと思えるのにこの差は何だろうか。よく大会前に代表チームが地元の高校生と練習試合をするが、あんな感じだろうか。 ブラジルが先発に一応主力を出してくれただけでも、日本にとってはやりがいのある試合だったのだが、ついに途中でロナウジーニョもカカも交代。決勝リーグに進めなくともブラジルに勝てないにしてもいい試合をしていい思い出を残してほしかったが、それもかなわなかった。交代で出てきた高原は一瞬で負傷退場(柳沢が出なっただけでもましだったろうが)、まるでいいところなし。そして後半はほとんど盛り上がることもなく、閑散としてきた店内の客も中継画面に集中している人はほとんどいない。そして試合終了。 お疲れ様でした。ジーコに柳沢、おとといきやがれ。日本は野球のWeltmeisterだからそれでいいんです。 ドイツが勝ち進んでいるので盛り上がりは決勝リーグの始まるこれからだろうけど、僕が応援していたチームのうち勝ち進んだのはドイツのみ。次はスウェーデンとの試合らしいけど、ドイツを応援するしかないか。 ますます町にドイツ国旗が溢れ、国旗を掲げる窓や車を見かけそうだ。
2006年06月22日
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いやあ、惜しかったですねえ、サッカー日本代表。 まあむしろ危ない場面の方が多かったように見えるが、あのクロアチア相手に立派なもんじゃないですか。特に川口は素晴らしい。もちろん勝っておきたかったところだが、贅沢は言えないだろう。 辛うじて首の皮一枚、裁判(Prozess)でいえば高裁があいまいな判決して最高裁に判断を委ねたような格好だろうか。もちろん最高裁のほうがより厳しい判決を出すのは目に見えているのだが。こう書くと、あさって?の山口母子殺害事件についての判決みたいで不謹慎だが、ニュルンベルクといえばやはり「裁判」だ。 宮本と柳沢(あと中田も?)は今回のWMが最後ですね、多分(もしかすると宮本は今日が最後か?)。玉田と大黒の投入は良かったけど、いまいち目立たなかったな。・・・・・ またも趣味的に今回の試合の会場となったニュルンベルク市の歴史について。ニュルンベルクのキーワードは「マイスタージンガー」「鉄道」「玩具」「ナチス」だろうか。 今回も文章にする暇もないので年表で。・1000年以前 現在のカイザーブルクの位置に集落及び城が存在・1040年頃 市場が存在か・1050年 ドイツ(神聖ローマ帝国)皇帝ハインリッヒ3世の文書に「ヌオレンベルク(=岩を意味するラテン語と山を意味するドイツ語の合成語)」の名で史料に初見・1105年 ドイツ皇帝ハインリッヒ4世とその子ハインリッヒ5世の抗争に巻き込まれ、破壊される。防備のため皇帝は世襲の城伯(城代)を置く・1140年 ドイツ皇帝コンラート3世により城が拡張される(1180年頃竣工)・1183年及び1207年 城の南側の宮殿や集落、商人・工人居住区の存在が言及される・1192年 城伯ラアプ家が男子なく断絶。縁戚のツォレルン家が城伯の地位を相続し、ホーエンツォレルン家(のちのプロイセン王家、ドイツ皇帝)を名乗る・1219年11月8日 ドイツ皇帝フリードリヒ2世の勅令により帝国自由都市となり、貨幣発行権や非関税権が認められる・1230年 聖人ゼバルドゥス(1070年頃没)の墓の上に教会が着工される(73年竣工)。巡礼地の一つとなる・1256年 市評議会に関する最初の記録・1349年 ペスト流行。562人のユダヤ人が火刑され、その財産が没収される・1356年 ドイツ皇帝カール4世が滞在中のニュルンベルクで「金印勅書」を発布。皇帝が即位後最初の帝国議会をニュルンベルクで開催することを定める・1397年 人口5626人・1423年 ドイツ皇帝ジギスムントが皇帝冠や笏杖をニュルンベルク市に預ける・1411年 城伯フリードリッヒ6世、ブランデンブルク侯の地位を獲得し(のちのプロイセン王国)、ニュルンベルクへの関心を失う・1427年 フリードリッヒ6世が市評議会に城伯の地位を売却し、市民による自治が確立・1449年及び1552年 かつての城伯であるブランデンブルク侯による攻撃・1497年 ニュルンベルクの人口は5780戸、2万6千人(郊外農村地域を含む)・1470年~1530年 北方ルネサンスの拠点として最盛期を迎える。アルプレヒト・デューラー(画家)、ハンス・ザックス(詩人、歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のモデル)などを輩出・1517~25年 宗教改革がニュルンベルクに及び、プロテスタントが優勢になる・1526年 宗教改革指導者フィリップ・メランヒトンが師範学校を設立・1543年 ニュルンベルクで開催された最後の帝国議会・1622年 大学が設立され、ヴァレンシュタイン(軍人)やライプニッツ(哲学者)が学ぶ(1809年に廃校)。人口4万人・1632~35年 ドイツ三十年戦争。ニュルンベルク郊外で、ヴァレンシュタイン率いる旧教軍と新教側スウェーデン軍の激戦が繰り返される・1649年9月25日 市庁舎で三十年戦争終結の和平協定が調印される。「和平の饗宴」開催・18世紀 ペストの流行や交易債務の増大で衰退、人口が3万人を割り込む・1796年8月9日 フランス革命軍により占領され、皇帝冠などはウィーンに移される。フランス軍退却後プロイセン軍が入城するが、膨大な市の負債を嫌い併合せず撤退・1806年9月15日 神聖ローマ帝国消滅。フランス軍による占領ののち、バイエルン王国に引き渡されてその領土に編入され(市の負債も相続)、独立都市としての地位を失う・1818年 バイエルン監督下での市の自治が認められる・1835年 ドイツで最初の鉄道が敷設される・1841年 クラマー・クレットによる機械工場の設立(のちのMAN社)・1846年 ルートヴィヒ運河開通。スポーツ協会が設立される(1.FCニュルンベルク)・1852年 国立ゲルマン博物館が開館。この頃人口が5万を越える・1873年 のちのジーメンス社の本社が置かれる・1885年 人口が10万を越える・1903年 ヨーロッパ最大の操車場が開業・1920年代 サッカーのFCニュルンベルクが5度ドイツ王者に輝き、その選手がナショナルチームの半数を占める・1925年 ユリウス・シュトライヒャーがナチス党活動を開始・1933年 ナチスが政権獲得。ニュルンベルクは「党大会都市」と呼ばれる。人口41万人・1935年9月15日 ナチス党大会(事実上の帝国議会)でユダヤ人を法的に差別する「ニュルンベルク法」が全会一致で可決される・1938年8月10日 中心街のシナゴーグ(ユダヤ教会)が破壊される。この年オーストリアがドイツに併合され、ヒトラーの命によりウィーンにあった皇帝冠がニュルンベルクに移される・1945年1月2日 連合軍による空襲で旧市街が壊滅、死者2000人・1945年4月20日 アメリカ軍に占領される。人口は28万人に減少・1945年11月 連合国によりナチス戦犯に対する「ニュルンベルク裁判」が開始される・1946年 ニュルンベルク交響楽団設立(「ベン・ハー」「クオ・ヴァディス」「美女と野獣」などの映画音楽を録音)・1950年 恒例の世界最大級の玩具見本市が初めて開催される。人口36万人・1952年 連邦労働局が転入・1955年 空港が開港・1967年 地下鉄開業・1968年 サッカーFCニュルンベルクが優勝(現在に至る最後の優勝)・1972年 ライン・マイン・ドナウ運河に面する港が開港・現在 人口49万人・・・・・・・(WM-Tippspiel)6/15 England-Trinidad Tobago 2-0 ◎ Schweden-Paraguay 1-0 ×6/16 Argentinien-Serbien Montenegro 6-0 ○ Niederlande-Elfenbeinkueste 2-1 ◎ Mexiko-Angola 0-0 × 6/17 Portugal-Iran 2-0 ○ Tschechien-Ghana 0-2 × Italien-USA 1-1 ×6/18 Japan-Kroatien 0-0 × どうもこのところ予想が当たらんな。イランとセルビアは残念だった。
2006年06月18日
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僕に関係するニュースがちらほらあったので書いておく。世間ではワールドカップはもちろん、北朝鮮のミサイル実験の徴候や日銀の福井総裁が村上ファンドに出資、のニュースが喧しいようだが。 僕は福井総裁という人は悪い人じゃないとは思うけど、どうも就任時からなんとなく信用出来ない人だというふうに思っている。北朝鮮の方は「勝手にやってろ」という感じですかね。同じ曲を何度も聞かされていると飽きてくるんだよね。・・・・・(引用開始)弥生の鉄製品、東日本に少ないのは土壌環境が原因 弥生時代の遺跡から出土する鎌(かま)や斧(おの)などの鉄製品が遺跡によって腐食状態がまちまちなのは、土中に含まれる硫化物や微生物の違いによることが奈良文化財研究所の村上隆・上席研究員(歴史材料科学)らの研究でわかった。 これまで東日本は弥生期の鉄製品の出土が少なく、西日本に比べて遅れていたとの見方がされていたが、腐食を早める土壌が原因である可能性が浮上、弥生社会を見直す問題提起となりそうだ。東京学芸大で17日開かれた日本文化財科学会で発表された。 鉄製品は、水田稲作などとともに弥生文化の特徴とされる。この時期、国内では鉄が生産できず、製品や素材で朝鮮半島などからもたらされ、半島と距離的に近い北部九州を中心とする西日本の方が、東日本より出土量が多かった。 (読売新聞) - 6月18日3時6分更新(引用終了) このニュースは正直参っちゃうなあ。僕らとしては土から出てくる遺物を研究するほか無いんだが、「無い」事を証明するのは完全にはほぼ不可能だし(状況証拠で「堀を埋める」ことは出来るが)。まあ発見されたもので議論を積み重ねていくしかないんだすな。もちろん一つの発見で学説が大きく変わってしまう事はどうしようもないが。 ただ「こういうのはあるんだろう」とは思っている。西アジアの地質の特徴はカルシウム(石灰分)がやたら多い事で、骨の違存には向いているが、金属に関してはどうなんだろうか。 「弥生時代の鉄器」というのは最近大きな議論になっているようで、僕も関心をもっている。それは3年程前に国立歴史民俗学博物館の研究チームが、炭化物(米)の化学(放射性炭素)分析の結果に基づいて「弥生時代の開始は従来の紀元前4世紀ではなく、紀元前10世紀まで遡る」と発表した事による。この発表には賛成反対両方から意見表明が相次いでいるようだ。反対派は従来の考古学的手法(型式学や分布論)を重視しまた化学分析の手法に疑問を呈し(あるいは無視)、賛成派は「従来の考古学研究法の限界」を指摘する そこで問題になるのは曲り田遺跡(福岡県)から発見された弥生時代初期の鉄器の存在である。従来の定説からいえばこの鉄器は紀元前3世紀とかになって、日本における鉄器の起源である朝鮮半島や中国での鉄器普及時期とあまり齟齬をきたさない(中国で鉄器が普及したのは戦国時代、大雑把にいって紀元前5世紀以降)。ところが賛成派の新しい年代ではこの鉄器は紀元前8世紀とかになって「本家」の中国よりも古くなってしまう(というか僕の専門でもある西アジアに匹敵する古さになってしまい、技術的な系譜からしてもこの年代は考えられない)。 「賛成派」はこの鉄器が発見されたのが昭和20年代とかなり昔である事や出土状況がやや曖昧な点に注目して、「出土状況を検討すれば、この鉄器はのちの時代のものがより古い地層に混じったものといえる」と結論して化学分析の結果は矛盾しない、とする。一方反対派は賛成派のこの意見を「御都合主義」「過去の研究の全否定」「信ぴょう性の疑わしい化学分析に頼り過ぎ」と批判する。 要は弥生初期の遺跡を発掘して新たに鉄器を見つければ、この議論に何らかの審判を下す事も出来るのだが、そう都合良く遺物が見つからないのもまたしごく当然である。結局今の所、中国や朝鮮半島との整合性などを追及していくしかなさそうだ。そこで鉄器そのものの研究も重要になるだろう。 実のところ上の記事にある「弥生時代に日本では鉄器が生産出来なかった」という定説も異議を唱える人がいる。その場合、稲作や大陸系土器は対馬海流に乗って案外早く(関東よりも早く)東北地方まで達していたといわれるし、単純に西の方が大陸に近いから鉄器が早く出現するとか豊富だとはいえなくなる。 また「東と西の違い」というと、縄文時代は東日本の方が西日本より豊かだったと見られていたが、果たしてどうなんだろう?と思ってしまう。 以前僕の先輩が「考古学では本当に確実だと言える事が少なすぎて、つまらない」と言っていたが、確かにあまりの決めつけは危険だろう。それでも、坂道を岩を押し上げては下に転がしを繰り返すシーシフォスのように、説を唱えては否定しを繰り返していくより道はないようだ。・・・・・ 次のニュース。 トルコ政府の意向によりトルコの国営テレビ局TRTが「くまのプーさん」アニメ版に出てくる主人公の友達である豚の登場を理由にそのテレビ放映を取り止めた、とトルコの左派全国紙「ジュムフリイェット」が報じた、と「シュピーゲル」が報じている(済みません孫引きです)。それにはイスラム主義を採る現在のトルコ政府・与党の意向が働いているという。 「ジュムフリイェット」の記事によれば、TRTは当初プーの友達の豚の登場シーンのみをカットして放送しようとしたが、あまりに頻度が多過ぎるので放映中止に至ったという。またTRTは同様に豚の登場するアニメの放映を取り止めており、TRTの元職員は、政府による宗教的な介入が増えている、と批判しているとのこと。言うまでも無いがイスラム教では豚は不浄な生物とされており、その肉を食べる事は禁忌とされている(ユダヤ教でもそうだが)。 この記事の真偽のほどは分からないが、うーん、どうなんでしょうね。「シュピーゲル」がこの記事を配信したのはトルコにおける言論や表現の自由について関心があるからなんだろうけど、そういう大袈裟な話で無くても登場人物(動物)が気に入らんからといってその作品を禁止(あるいは自粛)するのは何だかなあ。まあ日本のマスコミだっていろいろ表現のタブーがあるみたいで(怖くてはっきり書けませんが)、あまりエラそうなことは言えないんだろうけども。しかしこういうのはあまり無いんじゃないだろうか。 「くまのプーさん」は見た事ないから知らないんだが、プーの友達の豚の役回りはどうなんだろう。原作は1920年代にスコットランドで作られたそうで、30言語以上に翻訳され、ディズニーによるアニメ化は1966年とのこと。 確かにイスラム教徒の豚を嫌う事は甚だしくて、肉を見るのも気持ち悪がるし生きている豚を見るのも嫌なようだ。ドイツ人は反対に豚が大好きだが、お土産の豚肉のハムを見たドイツ人が舌舐めずりするのに対して、そこのコックのトルコ人が外に駆け出して反吐を吐いていると言うのは僕の目の前で実際にあった。イスラム教徒は豚肉を食べた事がないはずだから実際は食べても分からないのだが、その辺はやはりものすごく敏感で、よく知らないものを食べる時は「これには豚は入っているのか」と聞いてくる(お菓子にも豚のゼラチンが使われていたりするので油断出来ない)。外国の料理は絶対に口にしない人も多い。 ところが高学歴の人にはへっちゃらな人も居て、ドイツなんかに来たりすると知っていながら豚肉を食べる人もいないわけではない(豚肉が食べられないと大方のドイツ料理は食べられない)。ただ大部分は豚と言うと「不浄」という観念が先に立って、体質というより精神的に全く受け付けないようだ。僕は一度アレッポ(シリア)の路上で気○い(?)に絡まれたのだが、その時の彼の言い種も「お前らは豚を食べてるんだろう」だった(これはシリアでの対人接触ではほとんど唯一の不快な出来事で、その時もすぐに周りのアラブ人が助けに来てくれた)。 といっても豚をここまで嫌悪するのはむしろ最近の事で、20世紀以前にキリスト教徒のギリシャ人やアルメニア人なんかと混在していた頃はむしろ他人の食うものには干渉しなかったんじゃ無いかと思える。シリアではキリスト教徒が実際に結構いるのだが、大っぴらに豚肉を売っているのは今のところ見た事が無い(牛はある)。 よく遺跡の発掘で「豚の骨が出て来るからこの遺跡はイスラム教徒(あるいはユダヤ教徒)のものでは無い」と決めつけたりする論調も見るのだが、どうだったんだろうか。中近東にもちゃんとイノシシはいるが、イノシシの肉も食べてはいけないようだ。ただ解釈がいろいろあって、イノシシはいいとか、命の危険があるときは豚を食べてもいいともいうし、その辺はよく分からない。 イスラム世界で嫌われている動物は豚(あるいはイノシシ)、そしてロバである。ロバにはバカという意味があって、「お前の親はロバだ」なんて口走ろうものなら相手に殺される事を覚悟しないといけない(ちょっと大袈裟か)。シリアの村でロバの写真を撮っていたら「何でそんな写真を撮るんだ」と怒られた。「写真はあくまで綺麗なものを撮るべきである」ということか。あと犬もネガティヴなイメージがある。 反対に好まれる動物は馬や猫、鳥といったところだろうか。
2006年06月17日
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げえ、オーストラリアに負けちゃいましたねえ、日本代表。 僕の事前の予想は1-0で日本の勝ちで、その予想は途中まではぴったし当たっていた。とても緊張感のあるいいゲームだったんだが(川口が素晴らしかった)、最後の9分で日本が潰走した感じ。最後はなんと1-3。まさに「潰走」で、なんだか関ヶ原の戦いでも見ている気分になってしまった(もちろん日本が西軍)。 緊張の糸が切れると大潰走、いかにも日本的な負け方という感じがした。まあ先日のイランだってそうだったから、これは二流あるいは三流チームの共通した負け方かもしれないし、移民選手や外国人監督が多い今の時代に実体も分からない「国民性」をサッカーに持ち込むのは無意味だとは分かってるんだが(オーストラリアなんてかなりクロアチア代表みたいなもんだし)。むらっ気だがサッカーの強豪が多いラテン諸国にもこの説明ではあわないし。 関ヶ原では前半押しぎみだった西軍は後詰めがなくて(あと裏切りが出て)大潰走したんだが、いつものことだがジーコ監督はどうして後詰め(交代)をもっと早く送らなかったんでしょうかね?ケガをした坪井はともかく、僕は高原と柳沢を下ろして大黒や玉田(あるいは巻)を入れるのかと思ったが(月並みですかね)、小野でしたか、そうですか。サッカーの事はよく分からんけども。どうしようもない技術、体力とか精神力とかの差で説明する事も出来るだろうけど、試合勘というものも気になるところ。 それにしても一点一点積み重ねないといけないサッカーと言うのはどうにもいじましい。一度に4点取る事も出来る野球の方が好きですよ私は(我ながら、今更言うな)。日本代表の応援は続けるけども、やはり過剰な期待はしないでおこう。・・・・・・ イラン代表はメキシコに敗れたが、競技場外でもイランをめぐる騒ぎがあったらしい。ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を否定するイランのアフマディネジャド大統領を「21世紀のヒトラー」と非難するユダヤ人団体によるデモ行進があったようだ。 最近のイランによる核開発問題もあって、「イランが決勝トーナメントに進んだら訪独する」と公約しているアフマディネジャド大統領を歓迎する空気はドイツの政治家にはない。 バイエルン州のべックシュタイン内相などは「イランはこの騒ぎ(ワールドカップ)に乗じ工作員を送り込んで扇動する恐れがある」とさえ発言している。なんだか嫌な感じ。・・・・・・ 試合の会場となったカイザースラウテルン市の歴史について。「カイザー」はドイツ語で皇帝という意味だが、その名前のいわれが気になったのでちょっと調べる。十字軍で有名なフリードリッヒ1世(通称バルバロッサ=赤髭)にゆかりの町らしく、「バルバロッサ都市」を名乗っている。 文章にする気力がないので年表形式で。・紀元前五千年紀(新石器時代・帯紋土器文化) 最初の定住集落の痕跡・ ハルシュタット文化(紀元前8世紀~) 現在の市街地に複数の古墳が存在・ ローマ時代(1世紀~) ヴィラ・ルスティカ(農園)あるいは街道宿駅が存在・830年 ロルシュ修道院の記録に「ルトラの集落(villa Luthra)」として初めて文献史料に言及される・ 985年 ルトラにおける市場の存在と関税権に関する記録(ドイツ皇帝オットー3世のザリアー家への贈与文書)・ 1100年頃 ザリアー家による築城(現在の市庁舎の辺り)・1152~58年 ドイツ皇帝フリードリッヒ1世バルバロッサ(ホーエンシュタウフェン朝)が王宮を置く・ 1172年 「皇帝の宮殿(castrum domini imperatoris)」に関する初の言及・ 1190年6月10日 フリードリッヒ1世、第3回十字軍に従軍中トルコで溺死・ 1260年 「王の都市(civitas regia)」として最初の言及・1276年 ドイツ国王ルドルフ(ハプスブルク家)により都市権を授与され、帝国都市となる。都市を囲む城壁の建設・ 1288年 三度の大火で都市が衰退・ 1322年「カイザース(皇帝の)ルテルン」の名が初めて史料に登場・1375年 帝国都市の地位を失い、プファルツ選帝侯領に編入・1571年 ヨハン伯(カシミール家)により宮殿が建設される・ 1619年 ドイツ三十年戦争の勃発により、堡塁や堀などの防御施設が作られる・1621年 スペイン軍(当時のスペイン王はハプスブルク家)が占領するも、1632年にスウェーデン軍が迫ると開城し新教側の手に落ちる・ 1635年6月17日 クロアチア兵を主力とする皇帝(旧教)軍の攻撃により陥落し、市民1500人が犠牲に・ 1644年 フランス軍が皇帝軍を撃退。ヴェストファリア条約により三十年戦争終結。プファルツ選帝侯(ヴィッテルスバッハ家)の所領となるが、1652年までスペイン軍が駐留・1688年 プファルツ継承戦争でフランス軍に占領される・1703年 スペイン継承戦争でフランス軍に占領され宮殿や城が爆破される・ 1778年 高等教育機関(経済学)の設置(1784年にハイデルベルクに移転)・ 1793年 近郊での戦いでフランス革命軍がザクセン・プロイセン連合軍に敗れる・1796年 フランスに占領され、翌年併合される・1804年 フランス皇帝ナポレオンによる訪問・1816年 フランス支配から解放されてバイエルン王国領とされ、宮殿が置かれる。・ 1834年 バイエルン国王ルートヴィヒ1世がカイザースラウテルンを「バルバロッサ都市」と名付ける・ 1848年 最初の鉄道が開通・1849年 ドイツ革命に際し、プファルツ暫定政府が置かれる。バイエルンからの独立を宣言するが、革命は失敗・1850年以降 繊維工業の町として発展・ 1871年 ドイツ統一・ 1900年 サッカーチームFCカイザースラウテルン(FCK)が設立される・ 1918年 ドイツが第一次世界大戦に敗北。フランス軍が駐留(~30年)・1923年 フランスの占領に抵抗してプファルツ自治国の樹立が宣言される。翌年撤回・1933年 ナチスの政権獲得・1934年 アウトバーン建設開始・1938年8月 市内のシナゴーグ(ユダヤ教会)が破壊される・1940年 第二次世界大戦で最初の空襲・1944~45年 連合軍の空襲で市街の2/3が破壊される・1945年3月20日 アメリカ軍により占領される。のちフランス軍政下に置かれる。西ドイツではラインラント・プファルツ州に属する・1950年代 東部からの移住者(追放ドイツ人)が流入。近郊のラムシュタイン空軍基地に駐屯するアメリカ軍人・軍属やその家族が多く居住し(最大4万人)、ヨーロッパ最大の米軍拠点に・1951年 FCKが初めてブンデスリーガ王者に輝く(53年に再び優勝)・1969年 周辺自治体との合併により人口が初めて10万人を超える。オペル社の自動車工場が置かれる。大学開設。・1980年代 繊維産業の不振や近辺の駐留米軍・仏軍の縮小により不景気に・1992年 駐留フランス軍が撤収 ・2000年 人口が10万人を割り込む・2002年 2006年サッカー・ワールドカップの会場に選ばれる・・・・・・(WM-Tippspiel)6/10 England-Paraguay 1-0 ○ Trinidad・Tobago-Schweden 0-0 × Argentinien-Elfenbeinkueste 2-1 ◎6/11 Serbien・Montenegro-Niederlande 0-1 ○ Mexiko-Iran 3-1 ○ Angola-Portugal 0-1 ○6/12 Australien-Japan 3-1 ×
2006年06月12日
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午後、ほぼ半年ぶり(!)に散髪する。前回スポーツ刈りにして失敗した(板前頭になった)ので、今回は普通に切ってもらい極力短くしてもらう。前よりはうまくいった。・・・・ 散髪したのは別にワールドカップが開幕するからとかいうわけでは無いのだが、サッカーに格別関心が高いわけでも無くまた知識も少ない僕でも、やはり気になる。日記の更新頻度を落としているので前回大会の時ほどはそれに関する日記は書かない。今回はトルコが出ていないので、応援したいチームは日本とドイツくらいしかない(あとは強いていえばセルビアとイランくらいか)。 前回のワールドカップ(ドイツ語での略称WM=Weltmeisterschaft)やヨーロッパ選手権(EM)のときは研究室仲間たちとトトカルチョしたのだが、今回は参加者が少なく忙しいとのことで、しないそうだ。 というわけで開会式だが、なんともバイエルン色が強いもの(レーダーホーゼ!?)でちょっとびっくらこいた。バイエルン嫌いの研究室仲間のD(ルール地方出身)は「これはドイツ大会の開会式じゃない、バイエルン大会の開会式だ」と怒りそうだ。まあアメリカや日本ではあれが典型的なドイツの風俗という事になっているんですが(これは戦後のアメリカ軍の占領・駐屯地がバイエルンに集中していた事と関係するんじゃないかと思うんだが。エルヴィス・プレスリーはヘッセン州のフリードベルクだったが)。 それとドイツを代表するアーティストというとやはりグレーネマイヤーなのね。他に出てた人たちは知らんけど。 試合の方だが、開幕戦のドイツとコスタ・リカの試合。日本と引き分けたドイツ代表の試合を見た研究室仲間(ドイツ人)が「日本にあんなにシュートをうたれるようでは、ドイツはまず決勝リーグに進めないだろう」と切り捨てていたが、なかなかどうして強いじゃないですか。 確かに守備のほうはどうも穴だらけのように見えるが、両サイド(Flanke)からの派手な攻撃は前回大会の地味な戦いぶりより面白い。ドイツというと堅守のイメージだったが、随分と変わったものだ。まあ見ている分には今のほうが面白いが、ドイツ人とすれば落ち着いて見ていられないのだろう。(今日のWM:予想と結果)A組 ドイツ-コスタ・リカ 4-2 ◎A組 ポーランド-エクアドル 0-2 ×(記号の意味 ◎:勝敗及び点差が予想的中 ○:勝敗が的中 ×:予想ハズレ)
2006年06月09日
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ホリエモンことライブドアの堀江貴文社長(いや元社長か)逮捕が大きなニュースになっている。僕と歳の近いこの人のことはあまり知らないしさして好感も興味も無かったのだが、こうも影響があるとは思わなかった。しかし政治家もマスコミも、こういう人を持ち上げる時も凄いが水に落ちた時の棒で叩くさまもすごい。やはり堅実が一番だ。 ライブドアは社長が替わったという事だが、ライブドアブログがいきなりなくなったりすることはないのだろうか。楽天はそういうことないでしょうね。 今日はその他の目についたニュースを切り貼り。(引用開始)歴史研究への米参加拒否 中国「北東アは特殊」 【北京24日共同】中国外務省の孔泉報道局長は24日、ゼーリック米国務副長官が提案した日米中3カ国による歴史共同研究について「北東アジアの歴史は特殊性がある」として事実上拒否する姿勢を示した。 報道局長は、この特殊性は「中国、韓国、日本に直接関係する」と指摘、日中韓3カ国による共同歴史研究を進めることが「われわれの基本的主張だ」と述べた。 中国は昨年11月の中韓首脳会談などを通じ、歴史問題で韓国と連携し日本に対処する姿勢を強めている。日韓の同盟国である米国が歴史問題に介入、歴史問題で北朝鮮も含めた北東アジアの「対日統一戦線」が乱されることへの懸念が米国参加拒否の背景とみられる。(共同通信) - 1月24日21時13分更新(引用終了) 特殊性も何も、客観的な歴史研究なら誰が参加しようがいい事だと思うのだが、歴史研究というのはそういうものであってはならないようだ。ただ近代北東アジアの歴史研究なら、アメリカやロシアも当事者だろうし、その国務省の文書庫には関係文書も多いと思うので決して無関係じゃ無いと思うのだが(まあそういう新文書が出てきて困るのはどっちか知れたものでは無いが。苦笑)。 「日本は朝鮮人840万人を強制連行した」と国連で主張した北朝鮮なんかも共同研究に入れちゃっていいんでしょうかねえ・・・・。(引用開始)ハリウッド映画「SAYURI」、中国での上映禁止 【香港=吉田健一】23日付の香港紙「東方日報」などは、中国人人気女優チャン・ツィイーさんが日本人芸者を演じるハリウッド映画「SAYURI」の中国での上映を当局が禁止したと報じた。 中国ではインターネット上に、「中国人の魂を売った」「国辱を忘れるな」など、中国人女優が日本人芸者を演じることに反発する書き込みも多く、映画やテレビ番組などの内容を審査する国家ラジオ・映画・テレビ総局が、世論の反発を考慮して上映禁止を決めたという。(以下略)(読売新聞) - 1月23日22時10分更新(引用終了) いいじゃん、映画の一つくらい。この映画については日本側にだって芸者を中国人女優が演じていることに何か違和感を受けている人が少なからず居ると思うのだが。ハリウッドから見れば中国も日本もどっちも同じようなものなのだろうし。見た目はさほど変わらないんだし、綺麗で演技が上手い人だったらどこの人がやってもいいと思いますがね(ユル・ブリンナーなんてタイの王様からラムセス2世まで演じてるし。笑)。まあこの映画は見ていないのでその内容は何ともいえないのだが。 そういや中国の後援で、ハリウッドで南京大虐殺がテーマの映画が製作されるそうだ。クリント・イーストウッドやメリル・ストリープが出るとか。この映画は当然「推薦」されるのだろう。見てみたい気もするが、「パール・ハーバー」みたいな駄作になりはしないだろうか。 なんと「歴史」とは窮屈で詰まらない、薄っぺらいものなのだろうか。こういうのも全て日本の「過去への反省」が足りないから起きている事態だろうか(笑)。 2005年を回顧したドイツの「シュピーゲル」誌に「武器としての歴史」という一文があった。昨年4月の中国での反日デモについての記事だが、中国共産党が求心力維持のために歴史問題を取り上げ、敵としての日本像を煽っている事について書かれていたと思う。ドイツでも中国政府による歴史問題の政治利用、ということはよく分かっているようだ(南京での犠牲者が26万人と事実として書かれているのはちょっと気になったが)。 日本での偏狭なナショナリズムの増大も心配だろうけど、....。まああとは言わないお約束と言う事で。では次。(引用開始)ガス・パイプライン連続爆破 露とグルジア、関係悪化両政府、“犯人”めぐり対立 【モスクワ=内藤泰朗】ロシア南部で二十二日、グルジアとアルメニア向け天然ガス・パイプラインなど三カ所で連続爆破テロが発生し、両国へのロシアからのエネルギー供給が全面的に止まった。グルジア側がロシア側の犯行をにおわせたことに対し、ロシア側が猛反発。両国関係は急速に悪化している。パイプライン連続爆破テロは一方で、ロシアへのエネルギー依存の危うさを改めて浮き彫りにした。(中略) グルジアとアルメニアは、ロシアの天然ガスにほぼ百パーセント依存しているだけに打撃は大きく、急遽(きゅうきょ)、隣接するカスピ海の資源大国アゼルバイジャンから昨年完成したパイプラインを経由して天然ガスを輸入することになった。 グルジアは、イランからのガス輸入も検討しており、ロシアのガスへの依存度低下を加速させることになるとみられる。 連続爆破は、北カフカス全体の政治・経済の不安定化をもくろむチェチェン独立派武装勢力を含む反政府勢力のほか、グルジアに反発を強めるロシアの特務機関やロシア民族主義者など双方の「過激派」による犯行が考えられている。 ただ、グルジアのサアカシビリ大統領が二十二日、「ロシアによるグルジアのエネルギー・システムに対する深刻な破壊活動が行われた」と述べたことに対し、ロシア外務省が、同大統領は「ヒステリーで、常軌を逸している」と反論。グルジア議会のブルジャナゼ議長が、ロシア外務省の反応こそが「異常で、常識から外れている」と猛反発し、感情的な対立に発展している。 グルジアは、同国から分離独立しようとしている南オセチア自治州やアブハジア自治共和国などをロシアが支援し、ロシア軍の撤退を引き延ばしているなどとロシアを批判。 ロシアは、グルジアがチェチェン独立派をかくまっているとして、互いに非難合戦を繰り広げているが、今回の連続テロは両国の溝を一層深めそうだ。 モスクワでは、二十二日から旧ソ連圏では最も親ロシア的なアルメニアと天然ガスの値上げ交渉が行われているが、エネルギーの「ロシア・リスク」は、こうした良好な関係にも将来的に微妙に影響を及ぼしてくる可能性も出てきた。(産経新聞) - 1月24日3時28分更新(引用終了) ユーラシアを東西に結ぶパイプラインは着々と工事が進んでいる。先日ウクライナ経由でヨーロッパに続くルートが話題になった。また既にアゼルバイジャン~トルコを結ぶルートは完成し、グルジアはその延長上にある。一方カザフスタンから中国に伸びるルートの建設も終わったはずだ。いずれ大平洋を経て日本にも伸にるのだろうか。古代が絹や陶磁なら、現代はガスと石油か。夢が無い。 アゼルバイジャンやイランから、グルジアを通ってトルコを通っているパイプラインは、僕の参加した発掘現場のすぐそばを通っていたし、そこの技術者が訪問に来た事もあるので建設の様子を見た事もある。トルコの工事としては異例なスピード(一年以内)で完成した。ルートに延々と深さ3mくらいの溝を掘っていき、その脇に巨大なパイプを並べていき一部は既に地上で溶接し、最後にその溝に埋設するようだ。ガスのほうはもっと浅そうだった。 今はパイプラインに沿ってジャンダルマ(憲兵隊)の詰所が新たに設置され、ものものしく警戒されているようだ。村人は畑を掘り返されたので補償金を受け取り、日干しレンガだった家を焼きレンガの家に建て替えたりしていた。 そういえば、ロシアやウクライナについて書かれたここ最近の「田中宇の国際ニュース解説」は、久々によい出来だと思う。・・・・・・ イラクで再びドイツ人が誘拐された模様。 バグダッドの北西200kmのサラへッディン県にあるバイジ精油所で働いていたドイツ人技術者二名が、朝8時頃、自家用車に乗ってやって来た軍服を着て武装した集団に誘拐されたという。この二人はライプツィヒ出身で、アラブ系の会社に雇われてイラクで働いていたという。犯行声明はまだないが、同地はフセイン前大統領支持者の多いティクリットに近い。 この精油所では一年前にブラジルの建設会社のブラジル人従業員がやはり誘拐され、未だに行方不明になっている。なお現在イラクで誘拐されている外国人はおよそ40人にのぼる。ドイツ人が誘拐されたのは先月18日に解放されたオストホフさんに続き三人となる。 ドイツは不景気で技術者の海外流出が深刻になりつつあるということだが、この二人もライプツィヒ出身ということからしてそのくちだろうか。しかしフランクフルトからは油田があり治安も比較的安定しているイラク北部への定期便もあるということで、イラク復興事業に少数とはいえドイツ人も加わっているようだ。 日本人は昨年殺害された斉藤さんのような傭兵も話題になったが、マスコミ関係以外でどれくらい行っているのだろうか。
2006年01月24日
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成人式って年によって日が変わるようになってたんですね。聞いてはいたけど。「荒れる成人式」の映像を初めて見たが、元ヤンキーが同窓会か何かの悪のりでやってるような感じだな。どこの中学にも居た「不良」(今もこういう言葉はあるんだろうか)のあがりが騒いでいるだけという印象だった。 僕は成人式に出なかったしまるでこだわりのない人間なので「したい人がすればいい」というくらいの感想なんだが、ああいうのにぶちこわされて憤る人の気持ちも分かる。テレビ局が騒ぐ程のものでもないと思うが。 今日は特に日記を書く気はなかったけど、ふと見たこのニュースは記しておきたい。(引用開始)日本に報道規制を要求 中国「対中批判多すぎ」 (共同通信) 【北京9日共同】中国外務省の崔天凱アジア局長は9日、北京での日中政府間協議で「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と述べ、日本側に中国報道についての規制を強く求めた。 メディアを政府の監督下に置き、報道の自由を厳しく規制している中国当局者の要求に対し、日本外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長らは「そんなことは無理」と説明したという。 日本側によると、崔局長はまた、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や日本国内での「中国脅威論」の高まりなども挙げ「(日中間にあるのは)日本が起こした問題ばかり。中国は常に守りに回っている」と批判した。(引用終了) いやあこれはすごいなあ。全く笑うしかない。特に最初の段落。 日朝協議でもそうだが、ああいう国って自分のルールを勝手につくって相手に押し付けるのね。日本政府に構造改革を迫ったり毎年要望書を送りつけてくるアメリカなんかも、そして「米軍がイラクから撤退したら俺達の勝ち」と勝手に勝利宣言するアルカイダもそうだろうけど、日本は人がいいから相手のペースに乗って結局負けてしまう。むしろそうした押し付け流儀が世界の主流と思うべきなんだろうか。 日本と中国(及び韓国)は20世紀の歴史上ではそれぞれ加害国・被害国ということになっている。だが例えばドイツとポーランド間、ドイツとイスラエル間の政府交渉でこうした要求が出されたりするのだろうか。僕は不勉強なこともあって知らない(実質的にソ連の属国だった東ドイツではあったろうが)。日中平和友好条約の時に何かそういう約束でもしたんだろうか。あちらの新聞こそ日本のマイナス面ばかり書いていると思うんだが、それは言わない約束なんでしょうな。このニュースでむしろ連想するのは、歴史認識問題より華夷秩序とか冊封体制という言葉である。 あと中国には(少なくとも政権内部には)「報道の自由」はないものと見える。僕なんかから見ると日本のメディア(特にテレビと新聞)はフジ産経を除いて十分中国に好意的だと思うのだが。韓国が日本(の中央)政府は島根県の「竹島の日」制定に規制をかけろ、と要請してきたとき、「韓国には地方自治という概念はないのだろう」という感想を持ったが(実際のところ韓国で地方自治が本格化したのは文民政権の金泳三政権の頃かららしい。まあトルコなんかだと県知事は中央から派遣されて来るが)、まあそんなところか。 まあ日本のマスコミだって変な自主規制とか不可触の領域があってどこまで自由か分からないとはいえ、これは日本のマスコミ人は言論の自由の危機と思って反論とか反対声明とか出すべきじゃないですかね。重大なことですよこれは。どうせ新聞やテレビでこのニュースは報じられないんだろうが。 最後の段落については、これは日本が軍備を減少しているのに、中国は誰を仮想敵にしているのか知らないが軍拡を続けていることを挙げておけば、日本が右傾軍国化どころか中国脅威論も故なしとしないことは分かると思う。まあアメリカという要素も加わるので単純ではないが。少なくとも近代以降は戦争が起きる原因は主に軍事力の不均衡であって、均衡下ではむしろ起きにくい。まあむやみに軍拡を続けると破綻が起きるのもまた真実だし、アメリカにかかれば世界のほとんどの国が軍事的に弱体と言う事になってしまうが。 以前K君に聞いた話。何かの本で読んだのだそうだが、中国の兵法書か何かに書いてある教えという。出典は知らないが、多分春秋・戦国時代の話が基になっているんだろう。 「ある国から自国に使者もしくは大使が来るとする。その者が有能である場合、会うのを拒否したり事務を滞らせるなどして彼を馬鹿者扱いせよ。そうすれば彼の国はこの大使が無能と思い召還し、彼が出世する事もない。 反対にもし無能な者を送ってきたら、これを歓待してその言う事に譲歩せよ。その者は有能として彼の国で出世し、指導者となる。無能な者が他国の指導者となる事は、自国の多とすべきことである」 外交では相手との信頼関係が重要で、ヨーロッパ人は少なくとも自文明内の相手との交渉ではそれを基礎とした。今の国際法もそうした精神が基礎になっているが、使いようによっては外交もまた兵となりうる。近代以降のヨーロッパではドイツとロシアがとりわけ詭道を多く用いたが、それとすら気付かせまいとする中国兵法はさらに上と言えるかもしれない。 そういう中国やその文化に、愛憎こもごもの深刻な興味がある。
2006年01月09日
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えーと。しばらくネットから遠ざかっているのでこちらでのお知らせの機を逃しましたが、私は今日本に戻っています。思いのほか寒い年末で驚いている。実家のネットはマックで使い慣れない上ダイヤル回線と来ているのでついついネットから離れがちになっている。更新が滞っていますが、一日に100を越える訪問して下さる方(中には自動巡回もあるんだろうが)には感謝している。 さて今日の日記のタイトルはものものしいが、つい書かずには居られなかったので書いておく。実際に血が流れているイラクやアフリカだけが戦場では無いようだ。(引用開始)<ロシア>ウクライナ向けガス価格を大幅値上げと通告 【モスクワ杉尾直哉】ロシアがウクライナ向けの輸出天然ガスの価格を来年1月から3倍以上に引き上げると通告し、両国の対立が激化している。一方的な価格引き上げは、民衆革命でロシア離れの動きを強め、親欧米へと傾いたウクライナに対する「懲罰的措置」とも受け取られている。年内に価格交渉がまとまらず、燃料輸出がストップする事態も想定され、ウクライナ経由でロシアのガスを輸入する欧州諸国も対立の行方を見守っている。 ロシアはソ連崩壊後も、旧ソ連構成国に対しては安価な天然ガスの提供を続けており、ウクライナには今年、1000立方メートル当たり約50ドルで輸出した。しかし、ロシアは今夏、来年からの価格を約160ドルに引き上げると一方的に通告。「(民主革命を経て)西型の市場経済化を目指す国々は世界市場価格で取引できるはずだ」(プーチン大統領)と欧州への輸出価格に準じた価格を適用する考えを示している。 ウクライナは強く反発しているが、世界最大のガス企業でロシアの準国営「ガスプロム」は「最近の市場価格は230ドルだ」と主張し、価格をさらに引き上げる可能性までちらつかせている。ロシアとウクライナの両首相は19日、モスクワで価格交渉を行ったが物別れに終わった。 同日の交渉開始の1時間半前、ロシアと親露国のベラルーシとのガス価格交渉が行われたが、約47ドルで妥結し、ウクライナとの格差が際だつ結果になった。ロシアはウクライナと同様に民衆革命後、ロシア離れを強めるグルジアに対しても従来の60ドルから110ドルに引き上げると通告している。 これに対し、ウクライナのユーシェンコ大統領は20日、クリミア半島のセバストーポリ港をロシア黒海艦隊に無償提供していることに言及し、「(ガス問題での)ロシアの姿勢同様、我々も西側並みの基地使用料を取る」と表明。軍事問題に絡めてロシアを強くけん制した。(毎日新聞) - 12月23日2時29分更新(引用終了) ウクライナでの「オレンジ革命」からほぼ一年、民主化運動のシンボル的存在だった「ガスの女王」ことユリア・ティモシェンコ首相は解任され、当時の熱気はすっかり冷めた。ロシアの「グベルーニャ(県)」からヨーロッパ側に「寝返った」ウクライナに対するロシアの揺さぶりが続いているが、やはり予想通りと言うかロシア得意のエネルギーを武器とした攻撃が始まっている。 あらましは上の記事に載っているので繰り返さないが、今日プーチン大統領とユシチェンコ大統領の電話協議が行われたが物別れに終わった。会談後ロシアの国防相が「クリミア半島をウクライナ領とした両国協定を見直すべきだ」と発言して一種の恫喝が続いている。 この記事には載っていないが、ロシアが値上げ措置をした場合は、ウクライナ領内を経由してヨーロッパに輸出されている天然ガスの15%を「通過料」の名目でウクライナが受け取ると、ウクライナのユーリー・イェハヌロフ首相は表明している。これに対してガスプロム側も「窃盗行為だ」と非難している。これはつまり、大ロシアと小ロシア(ウクライナ)の争いにヨーロッパもとばっちりを受けるということになる。 とりわけ天然ガス供給の三分の一をロシアからの輸入に頼っているドイツにとっては他人事では無い。ウクライナの横取りでガス供給が減った場合値上がりもあり経済に悪影響を及ぼすし、世界的なエネルギー価格高騰に拍車をかける。今年の日本は厳冬だそうだが、寒さの厳しいヨーロッパでは死活問題となる。 ドイツ国内ではそうした事態を避けるため、シュレーダー前首相に両国の調停を求める声もあがっている。シュレーダー首相は退任後、ロシアとヨーロッパを直接結ぶ独露共同パイプライン会社の監査役に就任しているのでガスプロムに影響力があるという。バルト海の海底を通るこのパイプラインはそもそも独露両国の間にあるポーランドやウクライナの影響力を削ぐために出来たような計画だが(2010年開通予定)、アゼルバイジャンのカスピ海石油をロシアを通さずグルジア・トルコ経由で通すパイプラインの裏返しでもある。なおドイツ政府は「この問題はロシアとウクライナ二国間の問題」として、調停などに乗り出す意志のないことを表明している。 ガスや石油供給のみならず、地球温暖化によって農耕北限が北上するためロシアは将来の巨大な穀倉としての役割も想定されるが、こうしたロシアのエネルギー供給をめぐる紛争は、シベリアのパイプライン敷設問題や東シナ海ガス田開発問題を抱える日本にも他人事ではなさそうだ。ロシアの国際政治上のプレイヤーとしての役割は一時的に萎んだが、最近の好調はやはり「ハートランド」(マッキンダーによる)としての宿命なのだろう。 そういやうち(日本の実家)のガスもつい最近天然ガスに切り替わった。ドイツでも天然ガスが広く普及しつつある。(追記) この話題については、トラックバックしてくださっているHEATさんの日記で詳しく取り上げられているので是非御参照ください。 エネルギー戦争の次は、諜報戦争。(引用開始)<安倍官房長官>上海の男性領事の自殺、認める 安倍晋三官房長官は27日の記者会見で、昨年5月に中国・上海の日本総領事館の男性領事が中国当局から機密情報の提供を強要されて自殺したとの週刊文春の報道について「死亡したことは事実だが、ご遺族の強い意向もあり死因を含め詳細はコメントを差し控えたい」と述べた。そのうえで「一般論として領事に対する脅迫や不正な圧力の行使はあってはならない」と語った。 これに関連して政府筋は27日夜、領事の自殺直後に中国当局には北京の日本大使館を通じて抗議したことを明らかにした。(毎日新聞) - 12月28日3時6分更新(引用終了) この「週刊文春」の見出しを新聞で見た時、つい近くのコンビニに買いに走ってしまいましたよ。 この記事の後、日本政府は改めて中国政府側に抗議したが(外交官の身柄保証を定めた国際法に抵触するため)、中国側は「この問題は解決済みであり、また報道されたような事実は無い」といつものような返事だった。中国側のやりくちは憎んであまりあるが、「何を今さら」というのが向こうとしても正直な所だろう。文春の記事にも載っていたが、友好のためとは言え中国の顔色を伺う日本の外務省の怠慢は糾弾されてしかるべきだろう。NHKはこのニュースを報じているが、他の民放はどうしているのだろうか(あまりテレビを見ないので分からない。まあフジは大きく扱ってそうだが)。 抗議云々以前に、こうした外交官を狙った諜報活動はむしろ当然と多くの国は考えている(外交官自らが麻薬密輸や偽札行使に従事する国は北朝鮮以外あまり無いだろうが)。日本の外務省も何度も抗議はしたようだが、何年か前に瀋陽の日本領事館侵入事件をおこした中国公安にとっては、ウィーン条約違反など屁とも思わないだろう。特に日本に対しては。 記事によれば予想通りというか、女性を使った諜報活動のようだった。この領事の通う店で女性を接近させ、それをネタに情報提供を強いる、というお決まりのパターンのようだ。こうしたやりくちは東西冷戦時代にはベルリンでもソ連側によってよく行われていたようで、西側外交官がバーに行く、「たまたま」隣に座った美女がその人に声をかけ懇ろになる、ところがその女は東側諜報機関の手先で、それをネタに情報を強請られる.....という流れになる。東側諸国では売買春は犯罪とされていたし(建て前上にしても)、外交官特権があるとは言え弱味には違い無い。またこればっかりは男である以上弱点というか、無くならないのだろうか。こうした活動は表沙汰になることはほとんど無いが、この手でもっとも成功したのはイスラエルによるモルデハイ・ヴァヌヌ拉致事件だろうけど。 兵器を使って血を流すのが狭い意味での戦争だが、そのための準備は日々怠り無く行われているというべきか。外交官のみならず、日本の商社などは世界中の情報をもっているから、こうした諜報活動の標的になることがあるだろう。湾岸戦争の際に、かつて日本の会社がイラクに建設したパイプラインの設計図をイギリス諜報部が欲しがったなどという話は本にも載っている。 そして、東アジアは未だ冷戦中ともいえるのかもしれない。日本はせめてドイツ程度の諜報能力の獲得を模索すべきだろう。笑顔で友好と唱えつつ、後ろ手にナイフというのが「普通の」外交関係であって、EUとか日本の対米追従外交はむしろ例外的なのかもしれない。ちょっと悲観的すぎるかな。まあ僕は外交官でも商社員でも無いし大した情報も持っていないので、友好のみを考えていればいいのだろうけど。
2005年12月28日
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来年のドイツでのサッカー・ワールドカップの出場国が決まった。 ドイツは開催国なので自動的に出場が決まるが、ドイツと並んで僕に縁の深いトルコ(前回W杯三位)はスイスとのプレーオフに敗れて出場できなくなった。しかし「情けない」のは敗退したことではなく、以下の記事に詳しく載っているプレーオフ第二戦後の出来事だった。(引用開始)スイス歓喜一瞬…トルコと大乱闘 W杯出場の歓喜が暴力で打ち消された。06年W杯ドイツ大会の出場権を懸けたプレーオフが16日に各地で行われ、敵地でトルコと対戦したスイスはアウエーゴールの差で3大会ぶり8回目の出場を決めた。しかし試合後に両チームの間で乱闘がぼっ発。スイスのDFシュテファン・グリヒティング(26=オセール)が“病院送り”となる異常事態となった。FIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター会長は10年W杯南アフリカ大会予選からのトルコの除外も示唆した。 異様な光景だった。試合終了の笛と同時に、地元トルコのサポーターで埋まったスタンドからスイスの選手めがけて次々に物が投げ込まれる。W杯出場の歓喜に浸るどころではない。スイスの選手は通路に向かって猛ダッシュ。すると、敗退の屈辱にわれを失ったトルコの選手や警備員がいっせいにスイス選手を追いかけ始めたのだ。 突然の“襲撃”に怒ったスイスのMFフゲルが入り口付近で相手コーチを蹴ったことが事件の発端だった。スイス側が「正当防衛」と主張するこの行為に反応したのが元浦和のトルコDFアルパイ。03年にイングランド代表MFベッカムを侮辱して小競り合いを起こしたアルパイは、近くにいたFWシュトレーラーに報復の蹴り。続いてフゲルがアルパイにヘッドロックをかけると両チームの選手らが加わり、事態は収拾不可能となった。 グリヒティングはその際に何者かに股間を蹴られてこう丸から出血。病院に運ばれ、全治7~10日と診断された。MFロンファは「選手数人が、トルコの選手と警官たちにこっぴどく殴りつけられた。グリヒティングは血だらけだった」と警官までもが乱闘に加わったと証言した。高原の同僚のMFビッキーも暴行を受けたが、同じドイツ・ブンデスリーガでプレーするトルコのアルティントプ兄弟に守られてロッカールームまで到着。「頭と背中を殴られた。2人がいなければ、どうなっていたか…」と恐怖を振り返った。あまりに危険な状況に、スイスは試合終了から2時間もロッカールームを出ることができなかった。(中略) FIFAのブラッター会長は17日に「トルコに対する処分は10年W杯からの除外を含め、あらゆる可能性があり得る」と厳罰を示唆したうえで、スイスの処分の可能性にも言及。世界中の注目を集めた“最終決戦”は、サッカーの歴史に汚点を残す後味の悪いものとなった。 ≪アウエーゴールで辛勝≫試合展開はスリリングだった。第1戦を2―0で制したスイスは前半1分に先制したものの、後半7分までに3失点。39分に得点したが44分にも失点し、2戦合計4―4。(後略)(スポーツニッポン) - 11月18日6時3分更新 (引用終了) これじゃあ北朝鮮と同じじゃないか。今年の春に平壌で行われたイランとの予選に北朝鮮チームが敗れたのち、群集がイラン選手を取り囲むということがあったが、これは選手同士の乱闘ということでさらに性質が悪い。 負けて悔しいのは分かるが(しかも判定に不服だったとしても)、これは絶対に許されることではない。こういうのを見ると「だからトルコは・・・」とヨーロッパ人が冷笑するのが目に浮かぶ。 トルコ人はひいきの引き倒しみたいなところがあるにしても、これは情けないとしかいいようがない。トルコが出場できなかったこと以上に残念極まりないニュースだった。 トルコで過去にサッカーの試合で起きた騒乱に関する記事が載っていたので訳しておく。・1967年9月17日 カイセリでの試合でゴール判定をめぐり観客同士が衝突、拳銃やナイフ、ガラス瓶による衝突で44人が死亡、600人が怪我。・2000年4月5日 UEFA杯のガラタサライ(イスタンブル)とリーズ・ユナイテッド(イギリス)の試合前、イギリス人二人がトルコ人に刺され死亡、少なくとも5人が怪我。トルコ警察は25人を逮捕しイギリス人16人を国外追放。リーズのファンがガラタサライの選手宿舎前で気勢をあげたことから衝突に発展。・2000年4月15日 ガラタサライとベシクタシ(共にイスタンブル)の試合放映を見ていたファンが衝突、一人が刺されて死亡。・2000年5月17日 コペンハーゲンでのガラタサライとアーセナル(ロンドン)がPK戦の末ガラタサライの勝利。トルコでは祝賀の混乱で4人が死亡(流れ弾に当たった?)、コペンハーゲンでも怪我人多数。・2002年3月13日 チャンピオンズ・リーグのガラタサライ-ASローマ戦で選手が乱闘、警棒を持ったイタリア警察が仲裁に入るが、両国間の外交問題に発展。・2002年10月31日 UEFA杯のフェネルバフチェ(イスタンブル)とパナシナイコス(アテネ)の試合で、観戦する両国外相にギリシャのファンから座席などが投げつけられる。トルコ側のファンが1453年のコンスタンチノープル攻略を表す横断幕を掲げたことで衝突に発展、ギリシャ人15人が投石により軽傷。・2003年6月11日 イスタンブルでのヨーロッパ杯予選トルコ-マケドニア戦で、マケドニアが2-1でリードした際トルコのファンが空き瓶やコインを場内に投げつける。欧州サッカー連盟規律委員会はトルコに罰金を科す。・2003年8月15日 イスタンブルでのフェネルバフチェの試合でファンが投石し多数が負傷。この試合は同チームを率いるクリストフ・ダウム監督(ドイツ人)の初勝利の試合でもあった。・2003年11月18日 イスタンブルでのトルコ-ドイツのU-21代表戦で、試合後にドイツ選手がトルコの警官や警備員に殴打され嘲罵される。トルコのメディアは「予選通過したドイツ選手が、がっかりするトルコのファンの目の前で不必要なまでに歓喜したため」とトルコ側を擁護。・2004年8月21日 イスタンブルでのフェネルバフチェとイスタンブルスポルの試合でファンが乱闘騒ぎ。3人が刺されて負傷。撮影するカメラマンが指を骨折。・2005年10月19日 チャンピオンズ・リーグのフェネルバフチェとシャルケ04(ドイツ)の試合で、シャルケのルディ・アッサウアー監督がフェネルバフチェのファンに平手打ちされる。 やはりトルコ中に熱狂的なファンが多いガラタサライとフェネルバフチェ(ともにイスタンブルを本拠地とする)の試合が多いなあ。特にフェネルバフチェのファンは気違いじみているやつもいる。ドイツだとやはり上の記事に出てくるシャルケのファンがガラが悪いことで有名みたいだが。 1970年ワールドカップの予選ではホンジュラスとエルサルバドルが試合結果を不服として関係が悪化、ついにはエルサルバドル軍がホンジュラスに侵攻する事態になったそうだが、トルコは大丈夫かいな。幸い(?)スイスはEUには加盟していないのだが。
2005年11月18日
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日本では小泉政権の内閣改造が行われた。山崎派や高村派からは一人も入閣せず、また福田康夫前官房長官が入閣を断っていたと報じられるなど、いわゆる「サプライズ人事」はないものの、小泉流が目立つ組閣だったようだ。 意外だったのはとにかく外相の麻生太郎氏。事前に福田前官房長官(中国も希望していたという)やカイロ大学に留学経験のある小池百合子環境相(いつの間に自民党に??)、国連軍縮大使の前歴のある猪口邦子議員(「小泉チルドレン」)の名も取りざたされたようだが、蓋を開けると麻生氏だった。この人のことは吉田茂の外孫だという以外よく知らないが、率直に言ってなんだかあまり人に好かれる顔じゃあないよなあ。もちろん外務大臣の仕事は顔じゃ勤まらないのは確かだが・・・。サミットの記念撮影とかで端っこに追いやられそうな・・・。ただ麻生氏は仕事関係などでアメリカに友人が多いそうだが。 麻生氏は靖国参拝したり「創氏改名は朝鮮人の希望で行われたこと」と発言して特定アジア諸国で物議を醸した人だったが、小泉首相の外交路線をもっとも率直に反映している人事とも言える。どういうことになりますやら。 もっとびっくりしたのは初閣議後の記念写真。小泉首相の両脇は小池環境相と猪口少子化対策・男女参画担当相だったが、猪口さんのあの衣装はなんでしょうか。ぼわっと膨らんだスカートの青いドレス。多分皇居での認証式のあとそのままの格好で来たのだろうが、かなり違和感がある。前歴からしてびしっとしたスーツ姿とかで来られるかと思ったので、あのフェミニンな姿はますます意外だった。それとも自分の職務にあわせてあえてあの姿を選んだのだろうか。お仕事ぶりに期待しています。 さてしゃんしゃんと組閣される日本と違い、ドイツの連立協議は暗転しているようだ。(引用開始)<ドイツ>副首相予定の社民党首が辞任 【ベルリン斎藤義彦】ドイツで今月中に発足する大連立政権で、重要閣僚の経済相に就任する予定のシュトイバー・キリスト教社会同盟党首は31日、閣僚就任を見合わせる意向を示唆した。連立相手の社会民主党のミュンテフェリング党首が同日、辞任を表明したのを受けて発言した。両党首は大連立政権を実質的に運営する要とみられてきただけに、新政権は発足前から危機に直面している。 社民党はキリスト教民主・社会同盟と31日にも連立交渉を行い、大連立の方針を確認した。 しかし、シュトイバー社会同盟党首は、社民党党首の辞任表明で「新しい事態になった」とし、大連立の前提条件が変わったとの認識を示した。同党首は、姉妹政党・民主同盟の党首で首相に就任する予定のメルケル氏と、経済相の担当分野などについて対立している。社民党党首辞任を好機とし、閣外に去る考えを示唆したとみられる。 社会同盟は福祉社会の維持を重視しており、規制緩和、競争重視のメルケル党首への反発が強い。シュトイバー党首が閣外に去れば、メルケル党首は姉妹政党の協力を得ることがより難しくなり、政権の弱体化は避けられない。 また、社民党では31日に行われた幹事長選で、左派の幹部会メンバー・ナーレス氏が勝利し、他の候補を推していたミュンテフェリング党首を辞任に追い込んだことから、左派が伸長するのは確実な情勢だ。 左派は大連立に懐疑的なほか、メルケル党首への反発が強い。右派との対立を調停してきたミュンテフェリング党首が辞任することで、連立政権が不安定化する可能性が高まった。 地元メディアによると、この混乱を受け、民主同盟内部には、来年3月にやり直し総選挙を行うべきだとの強硬論も浮上しているという。 両党は12日までに連立交渉を終え、14日からの党大会で方針を確認。22日に連邦議会で首相選挙を行い、メルケル党首を新首相に選出する予定だった。(毎日新聞) - 11月1日12時13分更新(引用終了) ミュンテフェリング党首がついに辞任か。あまりの不人気に党内をまとめきれなくなったシュレーダー首相に代わって党首になったのが去年だったが、結局大勢を変えることは出来なかった。党内での総務選挙でミュんテフェリング党首の推すカヨ・ヴァッサーホェーフェル氏が左派のアンドレア・ナーレス女史(まだ35だそうだが、ドイツの政治家は日本のそれより平均年齢が低い)に大差で敗れたのがきっかけだったようだ。もう辞めたかったんだろうな。そうでも党内左派の突き上げが激しくなっていたのだろう。今後のSPDの党運営も不透明になった。 問題は「ミュンテフェリング(副首相兼労働相に就任予定)が出てこないんなら俺もやめる」とばかりにシュトイバーCSU党首(バイエルン州首相)までも入閣を拒否したことだろう(つまりバイエルン州首相に留まりベルリンには来ない)。これで大連立の行方は一気に不安定になってきたし、仮に成立しても弱体政権になるのは避けようがない。シュトイバー氏が就任する予定だった経済相のポストは当初国防相就任が取りざたされていたミヒャエル・グロスCSU院内総務が就くと見られている。シュトイバーの後釜(バイエルン州首相)を目指していたバイエルン州のベックシュタイン内相はがっくりだろうな。 早ければ今月16日にもメルケル内閣(ドイツ史上最初の女性宰相)が成立すると見られていたのだが、どんどん遅れている。どっちがいいとは言わないが(言えないが)、日本とは実に対照的な状況になっている。 ちなみに予定されているメルケル内閣では女性大臣は16人中5人(首相除く)。今の小泉内閣よりは多いが、ヨーロッパの中ではドイツ政界は女性参画が比較的「遅れている」方ではないだろうか。上のアンドレア・ナーレス女史(SPD)とか見ると、背広のおじさんばっかりの日本とは随分違うけど。(続報) SPD党首にはブランデンブルク州首相のマティアス・プラチェック氏が就任する見込み。14日の党大会で選出される。同じく後継候補と目されたラインラント・プファルツ州首相のクルト・ベック氏との会談で決まったもの。プラチェック州首相は留任する見込み。
2005年11月01日
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昨日はマールブルクで、トルコでの発掘から帰ってきた先生に会った。僕も参加した今年の調査では、その後(僕がドイツに戻った後)フルリ語(ミタンニ王国の言語)の粘土板文書が出たり、青銅の鏃や槍先が大量に出土したようだ。浮き彫りの刻まれた石(オルトスタット)はクレーン車なども動員して無事に博物館に搬入されたらしい。 トルコに行っていた連中も無事に帰ってきた。彼らは木曜の朝にトルコを出て、運転手を交代しながらぶっ通しで走り続け、ドイツのフルダまで来た所でエンジンが力尽きてしまったらしい。二日間休まずに走り続けたら車も壊れるだろう。しかし毎年このルートを行き来しているとはいえ、車で三日でトルコ東部からドイツ中部まで来るというのは新記録だ。 今はハイデルベルクにいる。ドイツにドイツ語を学びに来ているThucydidesさんの紹介で、学食でアメリカ人(ユダヤ系)の研究者と昼食を共にした。・・・・・・・・・・・ ドイツでは大連立の組閣で合意、シュレーダー首相退陣とドイツ最初の女性首相となるメルケル首相誕生がほぼ確実となった。組閣人事も進んでおり、文部大臣はばりばりのカトリック保守派で知られるアンネッテ・シャーヴァン氏(CDU、バーデン・ヴュルテンベルク州文部大臣)、経済・科学・ヨーロッパ担当大臣にエドムント・シュトイバーCSU党首(バイエルン州首相)の就任が確実視されている。また法務・厚生など一部のSPD閣僚の留任も言われている。その他取りざたされている人事は、・財務 ペール・シュタインブルック(SPD・前ノルトライン・ヴェストファーレン州首相)・内務 ヴォルフガング・ショイブレ(前CDU党首)・国防 ミヒャエル・グロス(CSU) と言ったところか。外相人事は難航しているようで、オットー・シリー内相やペーター・シュトルック国防相の名前が出ている。 副首相就任も噂されていたシュレーダー現首相やミュンテフェリングSPD党首は入閣しない模様。シュレーダー首相はここ数日沈黙を続けている。・・・・・・・・・・・ 昨日久しぶりにフランクフルト駅で日本の新聞を買った。ドイツでは大都市の駅などで朝日、日経、読売の各紙が買えるが、一番多く売っているのは朝日新聞衛星版で、3.5ユーロ(約500円)もする。 さて朝日新聞を読んでいると、死者四万以上と言うパキスタンでの大地震の記事が出ている。イスラマバードではアパートが倒壊し日本人技術者とその子どもが犠牲になったと言う。その記事を読んでいて驚いた。(以下引用)地震で犠牲の楢原さん「阪神被災で人生観変わった」 2005年10月10日 (月) 17:11(Asahi.com) 国際協力機構(JICA)からパキスタンに派遣され、地震で犠牲となった楢原覚さん(36)は、神戸で過ごした会社員時代、阪神大震災を体験していた。その後、会社を辞めて、国際協力の舞台に転じた楢原さんは、大学時代の友人に「震災で人生観が変わった」と語っていた。 筑波大学や同大学院で工学を専攻した楢原さんは94年春、神戸製鋼所に就職。ごみ処理施設の設計などにかかわっていた就職1年目の冬、震災に遭った。友人らによると、その後「自分の技術を現場で生かしたい」と青年海外協力隊に志願。周囲に「震災を体験して、人生観が変わった」と漏らしていたという。(中略) 福岡県立城南高校の同級生で、同じ筑波大学に進んだ赤松学さん(35)は「自分でこれと決めたら、信念を突き通すタイプ。向こうで頑張っていたのに……」と声を詰まらせた。 楢原さんのパキスタンへの派遣期間は今月19日まで。大学時代の同級生の有馬秀樹さん(36)は「先日、『みんなで東京で飲もうよ』と電子メールを交換したばかりだった」と突然の悲報に驚き、「今は残された奥さんのことが心配。帰ってきたら、みんなで支えていきたい」と気遣っていた。(引用終了) 実はこの楢原さんを僕は知っている。なんのことはない、大学の先輩である(ただし学部も学年も違う)。「知っている」と言っても何度か口をきいた程度で向こうは覚えていなかっただろうが。この記事に出てくるインタビューされている同窓の人も、みんな名前を覚えている。 人生の中でほんの何度かすれ違っただけの人、しかもこういうニュースに出ることもなければその消息さえ知ることが無かったとはいえ、こういう記事に知り合いの名前が出てくると言うのは妙な(もちろん悲しい)気分である。 僕は彼のことを多く知らないし(新聞に出ていた写真は、髪が薄くなっていたとはいえ僕の記憶する彼の面影があった)、新聞に書いてあることもすべて初耳だったが、こういう新聞やニュースにかかるとまるで劇的な人生のようになってしまうのが不思議である。しかも亡くなったのがパキスタンで、甚大な地震だったというのがマスコミの注目を集めているわけだが、来年になってこの人のことを覚えている人は何人くらい居るのだろうか。 翻って、もし例えば僕がトルコとかドイツでテロや大規模な災害に巻き込まれて死んだりしたら、どういうふうに新聞記事に載るのだろうか。記事になるほどのこともしていないようにも思えるし(変なところにはよく行っているとはいえ)、胸を張って「これが俺の人生だ」と人に言えるようなものがあるだろうか。 同じ車両に誰も居ないハイデルベルクに向かう列車の中で、新聞を手にひとしきり考え込んでしまった。 組閣をめぐって醜い政争を続ける政治家と、パキスタンの地震で亡くなった「ただの人」のどちらが誇れる人生だろうか。記録に残るのは間違いなく政治家のほうだろうけど。
2005年10月11日
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Am Samstag nach Wabern gefahren. 2 Tage da geblieben. Regen, kalt. Schlo遵m Wilhelmsh醇rhe besucht. Heute morgens zur醇・k nach Marburg und abends nach Heidelberg. "Spiegel" gakauft. Der Titel dieser Woche hei遵mt "Mao: Anatomie eines Massenm醇rrders." Interessant.「ヒトラーやスターリンよりも多くの人間を殺した独裁者」毛沢東の伝記がドイツでも出版され(Jung Chang und Jon Halliday, Mao. Das Leben eines Mannes, das Schicksal eines Volkes)、その内容の紹介。"Große Nationen zeichnen sich unter anderem dadurch aus, daß sie ihre Vergangenheit aufarbeiten. Die Welt kann China erst dann als eine gutartige Macht anerkennen, wenn Peking Mao und sein Vermächtnis für alle Zeiten absößt." 今週の「シュピーゲル」の編集記はSPD・シュレーダー政権への訣別の辞になっている。他にはアフガニスタン北部でのドイツ連邦軍の活動(KSKの秘密作戦など)についてなど。 Nachrichten aus Deutschland (auf Japanisch)(Zitat)【ベルリン3日共同】ドイツ総選挙の結果確定を受け、シュレーダー首相の与党社会民主党(SPD)は3日、幹部会合を開き、同首相続投を前提条件とした連立政権づくりを進めることを確認した。会合後にミュンテフェリング党首が記者会見し明らかにした。 首相は「改革を継続するための安定政権づくりの障害になりたくない」と表明、首相退陣を受け入れる可能性を示唆したが、同党首は「シュレーダー首相がトップにいることで安定政権ができる」と述べた。 2大政党による「大連立」を目指すSPDとメルケル氏の野党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の連立協議では、双方が首相を据えると主張して対立。首相が「(人事は)党の決定に従う」と述べ、退陣の可能性を示唆したことから、幹部会で何らかの決定があるとの見方が出ていた。(共同通信) - 10月4日6時18分更新(Zitat Ende) No way out?(Zitat)<ドイツ>統一15周年、首相らが出席して記念式典開く 東西統一15周年を迎えたドイツで3日、シュレーダー首相らが出席して旧東独ポツダムで記念式典が開かれた。統一時のコール前独首相とゴルバチョフ元ソ連大統領らも出席し、記念植樹を行った。だが、東西の経済格差は解消されず、先月の総選挙で旧東独の不満を吸収して左派政党が躍進するなど、分裂が深刻化しつつある。(毎日新聞) - 10月4日12時34分更新(Zitat Ende)(Zitat)EU、トルコの加盟交渉開始【ルクセンブルク=鶴原徹也】欧州連合(EU)加盟25か国外相は4日未明、ルクセンブルク入りしたトルコのギュル外相を迎え、記念すべき初回のトルコ加盟交渉を行った。 EU議長国・英国のストロー外相は共同記者会見で、「我々は歴史を作った」と語り、過去40年以上、“欧州入り”を希望してきたトルコと加盟交渉に入った意義を強調。傍らのギュル外相は「交渉が困難を伴うことは承知しているが、障害を克服し、加盟を果たす」と意気込んだ。 EUは昨年12月の首脳会議で、トルコ加盟は多大の予算措置が必要になるとして次期7か年予算期中(2007~13年)は加盟を認めないことを決め、加盟は2014年以降とする一方、今年の「10月3日」を交渉開始期日に設定した。 しかし、土壇場でオーストリアが加盟方針に反対を唱えて譲らなかったため、2、3の両日、外相理事会をルクセンブルクで緊急開催した。結局、交渉入りを支持する24か国の圧力と、オーストリアの友邦国・クロアチアの加盟交渉の棚上げを解除することで、オーストリアが折れた。 英国などトルコ加盟推進派が「西洋とイスラム世界の懸け橋」になると期待する加盟に向けた交渉入りは実現したが、「大きすぎ、貧しすぎ、イスラムの国」であるトルコがEU基準を満たし、加盟を果たすには、トルコ側に甚大な改革努力が必要となる。(読売新聞) - 10月4日13時48分更新(Zitat Ende) Gut f醇в Kroatien??
2005年10月04日
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