朝吹龍一朗の目・眼・芽

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tonobon @ Re:尾瀬(07/28) ★さすけさん >緑が気持ち良さそうですね…
★さすけ @ 尾瀬 どうもはじめまして。 緑が気持ち良さそ…
tonobon @ 居庸関長城 *Izumi*さん コメントありがとうございま…

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2009.09.28
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カテゴリ: ばっちっこ



 その晩偵察に出た恒久は、今度はにこにこと帰ってきた。やつらはすべて姿を消したようである。知らん顔して交番のおまわりさんに聞くと、『罰あたり連中は皆帰った』とのこと。
「俺たちの方がよっぽど罰あたりなんだけどさ、おまわりさんはどう見ても地の人で、いわゆる正義派さ。館山は子供のころから毎年夏になると来てるけど、警察が頼もしく見えたのは初めてだな」

 まだ12歳なのに『子供の頃は』もなかろうにと思ったが、俺も恒久もすでにゆうべから主観的には正真正銘の『大人』の仲間入りをした気分でいるので、まあ、許そう。俺たちはしかしながらそれから5日間、到底大人とは思えない遊びをしながら小学生最後の夏を過ごした。たとえば、前の日に捕まえてコーラ瓶に幽閉しておいたゴキブリについて言えば、こいつには帰る前の日の晩まで俺たちの食事のお相伴をさせた。なに、食べ残しを瓶に放り込んだだけだが。そして帰る日の早朝、砂浜に瓶ごと持ち出され、3本の爆竹とともに文字通り木っ端微塵に消し飛んで一生を終えた。

 その朝は残った爆竹の処分を兼ねて、砂浜に最期の姿をさらしているさまざまな『もの』の残念(文字通り、残った『念』という意味で俺たちは使っていた)の成仏を願って爆破する行(ぎょう)に励んだ。

 たとえばキューピー人形。片腕がもげ、右足は後ろと前が逆になっていて、背中には大きくばってんがついている。顔は砂だらけだ。こんなのを見つけると、恒久と俺は腕のついていた跡の穴に爆竹を仕掛けて、南無阿弥陀仏と唱えながら点火する。人形は大きく跳ね上がって首と手足が離れ、胴体には亀裂ができる。砂浜に落下した残骸は丁寧に拾い集めて、かかとで掘ったくぼみに安置し上から砂をかぶせる。今度は南無妙法蓮華経。

 たとえば戦艦大和。差し渡し30センチもある立派なプラモデルで、駆動用の
マブチモーターと単三電池が入っているが、塩をかぶったせいかスイッチを入れても反応しない。イカれてしまっている。砲塔を外してできた穴に3本ずつ爆竹を埋め込み、爆竹束をばらすときに出てきた導火線を結びつけると点火から爆発までの時間を稼げる。こうしておいて膝まで浸かる深さのところで火をつけ手を離す。どうしたはずみか、死んでいたはずの動力……モーター……が復活し、勢いよく波を切って進みだす。
 5秒後、潮騒に負けないくらいの大音響とともに1メートルくらい船体が飛び上がり、甲板部分と胴体部分に大きく分離した戦艦大和は、実戦もかくやと思われる姿で波間に没する。

 恒久はどういうわけか昔からアメリカ嫌いで、この後起こる70年安保では実際にデモに参加したりしている。俺は
「次に大和を作る時には、中国が撃沈するかもよ」
と答えた。

 昼過ぎの電車で新宿に戻って恒久と別れると、母親がぽつんとひとり家に残っていた。弟が帰りを待っていたのだが、待ちきれずに『緑陰子ども会』に出かけたという。
「伸彦さんも行きますか。まだ間に合うと思うけど」
 母親は息子に対しても敬語を使う。俺の返事はこうだ。
「今更子どももないもんだ。俺は行かない。スイカ食いたい」
「はいはい、伸彦さんはパパさんに似ていちげんこじだからね。スイカ、ちゃんと冷やしてありますよ」
『いちげんこじ』が一言居士であることにこのときは気が付いていない。むしろ、3兄弟の中で俺だけが背も高く、その上ハッキリ言って鼻が高くて二重まぶたでいわゆるハンサムボーイで、5つ離れた兄とも二つ下の弟とも、そして母親とも似ていないことをちょっぴり気にしていただけに、いちげんこじの『こじ』の部分が耳に響いた。そうか、俺はやっぱり孤児だったんだ、やさしい母親に拾ってもらったに違いない。
 父親は5時に役所が終わって6時には戻ってくるのだが、銭湯に行かない日はそのままビールを1本飲んだかと思うと真っ赤な顔をしてお茶漬けを掻きこんですぐに寝てしまう。銭湯に行っても、俺たちの体を思いっきりごしごし削る……本人は優しく洗っているつもりらしいが……と、やはり戻ってきて目刺かアジの干物を肴にビールを1本、それに母親が漬ける白菜かナスをおかずにゆっくりと御飯を食べ、そのまま腕枕で寝てしまう。しばらくしていびきが聞こえてくるころ、夕食を終わった俺たちはちゃぶ台の上を片づけ、それぞれの勉強に取りかかるという寸法だ。

 父親は3人の息子に一切分けへだてはなかったが、一番勉強せず、しかし成績の良かった俺に対しては、自分の成績と引き比べて、時々おずおずと誉めてくれるのが異例といれば言えないことはなかった。



 俺も入れて家族5人でちゃぶ台を囲むのは1週間ぶりだから、結構会話は弾む。館山で遊んでいた中身も、肝心の一夜の出来事を除いて面白おかしく身振り手振りで語る。特にゴキブリの最期や、戦艦大和沈没シーンでは、母親は目を顰(ひそ)めたが、男ども4人はしゃべっている俺も含めて笑い転げた。

 翌朝は、今度はラジオ体操だ。もう俺は大人だから本来は子供の体力増強のためのこんな行事に参加する必要はないのだが、弟のために大人の付き添いとして出てもいいかと思いなおして近くの公園に出かけた。

 恒久も来ていて、二人とも既に大人なのにこんな行事に出なければならない身の不運を嘆きあったのだが、終わって児童会のおじさんからハンコをもらって解散する時、なんだか言いたいことがあるようなので俺は弟を一人で帰らせて恒久の後をついて行った。

 浅田医院というのが恒久の父親が開いているクリニックで、内科も外科も範疇に入っている。町医者で外科もやれるのは住宅街では珍しいが、これは十二社がもともと花街でそれなりに傷を手当する需要があるということでもある。結構物騒な町でもあった。

 その裏手のはす向かいに建築資材置き場があった。置き場であると同時に、廃材や廃棄物の不法投棄場所にもなっていて、夏休み前には大量の注射針が捨ててあったこともある。近所の子供が(もちろん、その当時は俺も恒久も『子供』のカテゴリーだから、このうちに含まれる)建築廃材の合板や発泡スチロールの切れっ端にそれらを山嵐のように刺したものを振り回して遊んでいたところ、恒久の父親が血相を変えて出てきてカンセンショウになるからすぐにやめろ、と怒鳴った。俺は『感染症』という語彙をその時初めて知った。



「あのな、俺、中学受験しろって言われた」
 俺は黙っていた。別にそれはそれ、恒久の進路であって、恒久が自分で決めればいいことだし、早めに打ち明けてくれるのは悪いことではなくむしろうれしいことではあるのだが、これはこれからはうかうかと遊んではいられないよという意思表示でもあるわけで、必ずしも俺にとって朗報であるわけではなかった。


                               ばっちっこ  続く



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Last updated  2009.09.28 21:17:34 コメントを書く


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