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2016年09月24日
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テーマ: 手話講座(17)
カテゴリ: 雑学
映画「聲の形」の公開を記念して、手話の歴史(日本編)を紐解いていきたいと思っています。

日本における手話の歴史ですが、ほとんど書物が残っておらず、遡って調べてみても、最初に出てくるのは、明治11年京都にて、日本における最初のろう者のための学校を古河太四郎氏が建設。

これ以前の情報というのは、部分的なもので、吉田松陰の弟、杉敏三郎氏や江戸時代にて、ろう児が誕生した際には、その家の中で通じるホームサインを使っていたといった断片的なものだけが残っています。

さて、ここでの最大の問題点がNHKの花燃ゆで放映された杉敏三郎が使っていた手話です。
これ、よく見ると「日本語対応手話」だったりするのですが、この当時はまだホームサインの時代だったので、明らかに矛盾しているわけです。その後はほとんど使わなくなりましたが、おそらくはそういった事を指摘した人がいたんでしょうね。


私が調べた中で、日本における初めての聾学校の設立は古河太四郎で間違いありませんが、ただ、日本がこの時に存在した欧州各国の聾学校を見聞した人物は古河太四郎ではないんですよね。

ちなみに古河氏は聾学校建設における許可をその時の京都府のトップであった槇村正直氏にお願いし、すぐ許可されたという話です。槇村正直という名前を知っている人は多いはずです。この方も花燃ゆに出てきました。

さて、話を元に戻し、欧州各国の聾学校を見聞した人ですが、これがちょっと???の部分があるんです。というのは、私が調べたところ、見聞したのは明治元年です。しかし派遣したのはなぜか江戸幕府となっているんです。

つまり大政奉還前に依頼し、実際の見聞は明治時代になってからだった?という可能性があります。こんな事が実際にあったのかどうかは???


1人は超有名な人物ですが、もう1人は知っている人が少ないかもしれません。
まず超有名な人物から。

その人物は福沢諭吉です。へぇ~って感じになりますね。ところが福沢は帰国してから聾学校関連の仕事等は一切しておりません。

もう一人は山尾庸三という人物です。こちらは帰国してから訓盲院を建設しており、大正時代には日本ろうあ協会の総裁にもなっています。

紆余曲折あった聾教育ですが、この時代の一番の難儀は実はあ・い・う・え・おの基本的な言葉を手話ですることだったりします。現在の指文字が出来たのは昭和6年、つまり明治時代にろう教育が始まってから約65年もの間どうしていたの?ということなんですが、

一応、指文字はあるのはあったんですが、ものすごく覚えにくかったそうです。
古河式指文字、渡辺式指文字、ともえ式指文字などいくつか存在していたようです。
さて手話の歴史の第一回はここまで、次回は現在の指文字の誕生に、ヘレン・ケラーがかかわっていたという話を書きます。





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最終更新日  2016年09月24日 02時23分37秒
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