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2008年05月03日
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カテゴリ: 音楽
10CC アイムノットインラブ

カーグラフィックTV という車を題材にした番組でした

とりあえず次のリンクをクリックして音楽を聴いてみましょう
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今もやっているのではないかと思いますが、この番組のエンディングテーマになっていたのを聞いたのがきっかけでした

10cc(テンシーシー)は1970年代のイギリスのバンドである。マンチェスター出身の4人組。楽曲は捻りの聞いた一癖も二癖もある楽曲が多い。1977年に初来日、1983年の解散を挟んで1993、1995年にも来日公演を行っている。現在、バンドとしての活動は休止しているが、2005年7月にはオリジナルメンバーの一人、グレアム・グールドマンがバンドを率いて来日公演を行った。

10ccのデビューは1972年8月。しかしオリジナルメンバー4人はその約10年前から音楽業界で下積み活動を行っていた。



共にイギリス・マンチェスター出身の4人は当時流行し始めたビートバンド・ブームの中、それぞれが演奏活動を始める。エリック・スチュワートはいくつかのバンドを経て、1963年6月にウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのギタリストとしてレコード・デビューを果たす。1964年6月、グレアム・グールドマンは自分のバンドThe Whirlwindsのレコード・デビューに際して、B面曲としてライバル・バンドThe Sabresにいた友人のロル・クレームの曲を採用するも、ヒットせずにバンドは解散してしまう。グレアムはThe Sabresからドラマーのケヴィン・ゴドレイを引き抜いて新バンドThe Mockingbirdsを結成、1965年2月に改めてレコード・デビューを果たす。
デビュー曲としてグレアムは「フォー・ユア・ラブ」を作曲するが、レコード会社側から拒否され、代わりに"That's How (It's Gonna Stay)"をレコーディングする。「フォー・ユア・ラブ」はその後ヤードバーズがレコード化、全英3位の大ヒットとなる。一方The Mockingbirdsのレコードは不発に終わる。 バンドはその後レコード会社を移籍しつつ4枚のシングルを発表するもヒットを生み出せずに解散。グレアムはソングライターとして次々にヒット曲を生み出していく。また自身のアーティスト活動も続け、ピーター・カワップやジョン・ポール・ジョーンズたちとのバンド活動を経て、1968年7月には自作曲のセルフカバーアルバム「ザ・グレアム・グールドマン・シング」を発表している。The Mockingbirds解散後ケヴィンは再びロルとコンビを結成、組み立て絵本などのデザイナーで生計を立てる一方、グレアムのマネージメントで1967年Yellow Bellow Room Boom名義でシングル"Seeing Things Green"を発表している。ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズは1965年1月の4thシングル「ゲーム・オブ・ラブ」が全英2位/全米1位の大ヒットを記録するも、その後低迷しリーダーでヴォーカルのウェインがソロ・アーティストとして独立してしまう。残ったバンドメンバーはエリックをヴォーカルに据えザ・マインドベンダーズとして再出発を図る。1965年12月に発売された1stシングル「恋はごきげん」は全英2位/全米2位の大ヒット、その後"Ashes To Ashes"もヒットするなど順調な活動が続く。
1967年にはシドニー・ポワチエ主演の名作映画『いつも心に太陽を』に曲を提供、バンド自身もゲスト出演している。1967年11月のシングル"Schoolgirl"はグレアムの作曲・プロデュース。このレコーディングでエリックと意気投合したグレアムは、後に脱退したベースの代わりにバンドに正式参加、シングル"Uncle Joe The Ice Cream Man"ではリードヴォーカルをとっている。バンドはこのシングルを最後に解散、エリックはグレアムを誘い、レコーディング・スタジオ"ストロベリースタジオ"の共同出資者となる。グレアムはロルとケヴィンをスタジオミュージシャンとして誘い、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。


1969年9月ヤードバーズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーの設立したレーベル "Marmalade"より、Frabjoy & Runcible Spoon名義でシングル"I'm Beside Myself"をリリース。ケヴィンの「ヘブンリー・ヴォイス」に惚れ込んだゴメルスキーがケヴィンとロルを「第二の"サイモン&ガーファンクル"」とすることを目指したと言われている。アルバム制作も着手されたがレーベルの経営が悪化したために頓挫。同じ頃グレアムに対して、米国バブルガム・ミュージックの総本山カセネッツ=カッツ・プロダクションから作曲の依頼が届く。渡米したグレアムは作曲契約と同時に彼らの傘下アーティスト用楽曲レコーディングのため3ヶ月間ストロベリー・スタジオを貸し出す契約を結ぶ事に成功する。その留守中新たに届いた4トラック・レコーダーの試験録音用に3人が冗談で録音した「ネアンデルタール・マン」がたまたまその場にいた旧知のレコード会社社員の耳に止まり、1970年6月ホットレッグス名義でリリースされる。このシングルは全世界で200万枚以上を売り上げるヒットを記録するが、その急激なヒットに怖じ気づいた3人は避暑地に逃亡してしまい、結果スターへの道を自ら棒に振ってしまう。アルバム「シンクス:スクール・スティングス」が発売されたのは9ヶ月後の1971年3月。頓挫した"Frabjoy & Runcible Spoonアルバム"の楽曲を中心に構成されたというそのアルバムは、英米盤でそれぞれ別ミックスを収録するなど意欲的な作品だったが、既に"ネアンデルタール・マン"ブームは終了していて不発に終わる。その後も4人はDoctor Father、Fighter Squadron、Amazon Trust、The New Wave Bandなどとバンド名を変えながらシングルを次々とリリースし次のヒットを狙っていく。その前後スタジオミュージシャンとして、ハーマンズ・ハーミッツ、オハイオ・エキスプレス、ラマセスなど数多くのアーティストのレコーディングを行った。特にニール・セダカとのレコーディングはアルバム2枚(「ソリテアー」「ピース・アンド・ラブ」)に及び、後のセダカ復活の礎として一部で高評価を得ている。






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最終更新日  2008年05月06日 20時30分14秒
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