失われた時を求めて

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カテゴリ: 映画
この文章はパクリです。悪しからず・・・・・。

シンジは神児、レイは霊、ゲンドウは言動です。

つまり、ゲンドウは新約聖書の「初めに言葉ありき。言葉は神と共にあり。」から来ており、要するに父なる神で、シンジが父なる神の息子です。そして、この3人で、カトリックの最重要教義「父と子と精霊」という三位一体の教義を表しています。この意味についてはまた別論しますが、ここでは、精霊は父と子の仲介役を果たすとだけいっておきます。

ミサトは「ミサを司る人」でしょう。彼女の黒いブラウス及び常に胸にかけある十字架がそれを意味します。

リツコは律子でしょう。律法からきています。律法とはユダヤ教の教義ですが、この場合、マギシステムにより神児をサポートするという彼女の役割が出ています。また、彼女の容姿は歌手のマドンナに似ていますが、これも、マドンナ(聖母)という関連でしょう。


ゲンドウが自分の名を聖書からとり、子供の名について、「男だったらシンジ(神児)、女だったらレイ(霊)」と語ったとき、彼は自分を「父と子と精霊」という三位一体における「父」、すなわち新たな時代の「神」と考えていました。

三位一体の教義について説明します。カトリックでは、「父と子と精霊により~」という三位一体が使われています。このテーゼそのものの起源は非常に古く、エジプトやメソポタミヤにまでさかのぼります。普通に考えると「父と母と子」になるのですが、母は除外され、精霊(しかもこれは、父と子のあとにやってくるものです)が存在するところに決定的意義を持ちます。

なぜ、母が存在してはいけないのか。古くは、女人禁制のイニシエーションにその由来があり、部族によっては父親が息子を、場合により非常に厳しい状況を課しながら高次元への成長をうながすもので、それを見た母親は死をも課せられるものです。つまり、子供を保護し、しばり、包み込んでしまう母が存在しては、自立が十分には行えないからです。子供は、それまでの親と一体化した心理状況から自我を持ち、距離をおいて父に反抗します。父親も、子供に厳しい状況を課します(これは、成長を願っての甘いつきはなしではありません。場合によって文字通り死ぬことになります。ヤーウェの神の児キリストが十字架の上で処刑されたことがこれを表します。)

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Last updated  2009/07/26 08:21:38 PM
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