Running&Climbing

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第12回ピンネシリ登山マラソン

第12回ピンネシリ登山マラソン


2006年7月2日(日)



『初めてのオーバーフル大会』


マラソン歴5年目の私。暑さに人一倍弱いため暑い最中の7月に開催される大会は一昨年まで避けていました。が、キャリア4年目を迎えた去年からマンネリ化を防ぐためと、北海道マラソンへ向けた耐暑ランを意図して7月に初参加する大会を増やすよう努めています。それが去年のサフォークランド士別大会であり今年のピンネシリ登山マラソンです。
同年齢の先輩ランナーHさんからこの大会のお誘いをいただいて初参加を決め、申込用紙を所望に新十津川町教育委員会へ電話をすると実に親切な口調の男性が「1部で良いですか?5部ぐらい送りますから友達にも声をかけて下さいよ」 親切な方です。
コースが15km・30km・45kmと3つに分けられているこの大会。熟慮の末に当初は30kmへエントリーし申込みも完了。その直後に走友数名とサロマウルトラマラソンの決起大会を催した際にHさんから諭されたこととは「フルをサブ3.5で走破する力を持っている人は45kmへエントリーしなきゃ!」 これまたご親切な方です(笑)
さっそく翌日大会事務局に電話して事情を説明するとエントリーコース変更快諾。(あ~あ、やっちゃった。これで初めてのオーバーフル大会だよ)

大会当日の朝5時20分、我が家から車で3分のところにお住まいの走友Nさんを迎えに行き、一路会場のある新十津川町へ。2ヶ月とちょっとぶりの再会に会話も弾み、行程の1時間半はあっという間。
私もNさんも初参加のこの大会。土地勘もコースの知識も皆無。国道275号線の左手に見える山並みを見ながらピンネシリ山がいったいどれなのか頭を捻ります。

ピンネシリ山遠景


「あの山かな?」「うん、そうかも」「でもあの山もそれっぽくない?」「ええ」「頂上に雪が見えるあの山じゃないよね?」「だったりして」「まさか!」

ピンネシリ山


新十津川町の標識を越してしばらく行くと大会本部のあるイベント広場へ誘導する看板が立っています。それはその「まさか!」の山の方向へと通じています。恐怖。

7時から受付開始のところ6時45分に会場へ到着。

看板


さっそくエネルギー補給。おにぎりに団子にメダリストをチビリチビリ。大会関係者が懸命に設営中。

本部


7時になったところでナンバーカードを受け取り車へ戻ってしばし休憩。と携帯メールを受信。Hさんからのそれでした。駐車している場所を告げると「レース後に温泉に入るにあたって体育館裏側に駐車した方があとで楽だよ」とありがたいアドバイスをいただき駐車位置を修正。無事にご夫婦でこの大会へ参加されるHさんと合流できました。

今日はHさんの助言に従い、初めてCW-Xで大会に臨みます。暑い時季にはちょっと考えられない選択ですが、キツい上りと下りが待ち受けるこの大会で私の悪癖(太腿の痙攣)を防ぐためのものです。
この大会は5.5km・12km・15km・頂上と4ヶ所のエイドステーションにスペシャルドリンクを預けることが出来るありがたい大会。事前にその情報を入手していたので私はキンキンに凍らせた280ml入りのメダリストとゼリー飲料を用意してきました。砕かれた氷が満載の発泡スチロールが4つ大会本部の横に置かれており、それぞれポイント名が書かれています。私は熟慮した末に15kmのエイドステーションに持参した両方を預けることにしました。ここだと15kmと30kmを走破したところでスペシャルを手にすることができ、最も効果的だと判断したからです。左の隅にチラリと発泡スチロールが写っているのがおわかりでしょうか。

発泡スチロール


8時からの開会式ではトライアスリートのSさん、今年冬の合同ランで知り合いになったMさん、現在故障中のため北海道マラソンへ向けて勇気あるDNSを選択したKさんと再会。
長いと仄聞していた開会の挨拶は予想以上に短く好印象。参加者全員で写真撮影後、車へ戻って最後のエネルギー補給です。とどめは持参したアミノバイタルプロと食塩。格別に汗っかきの私には太腿の痙攣防止用にこの食塩が必須なのです。そして小さな飴玉を1個CW-Xの小さなポケットへ忍ばせました。きっとこれが役に立つときが来ると信じて。

この前で、

ドーム


参加者全員での記念撮影を終え、8時50分スタートラインへ。燦燦と降り注ぐ太陽。青い空。ところどころに見える白い雲。嗚呼やっぱり大会っていいもんだ。でもピンネシリ山の頂は遠いなぁ(涙)

ピンネシリ山アップ


号砲一発。



『助走』


Hさんと並走しながらゆっくり大会スタート。芝生が足に心地好し。「これから45kmの大会が始まるのか」と妙に冷静な自分がいます。
後方には何人もいないぐらいゆっくりとしたスタート。2・3度右左折を繰り返すとHさんが後方を振り返り「かぁちゃんがいないなぁ」 でも大丈夫です。ご夫婦そろって高速ランナーなのだから。
2kmほど進んだところにさっそく給水ポイントが現れます。Hさんの勧めに従いコップ1杯のスポーツドリンクをゴクッ。空いたコップを捨てようとビニール袋を探しますが見当たりません。やむなく心の中で手を合わせながら道端へポイッ。
3kmの看板が見えてきます。たしか16分少々と記憶しています。Hさんは「この距離表示はおかしいよね?こんなゆっくりペースじゃもっと遅いに決まっているもの」 
しかし私はこの表示が正解に思えます。何故なら普段ごくゆっくり(6分/km)走っているペースよりも少し速い実感があるから。
遥か前方のピンネシリ山山頂が樹木に遮られて見通せなくなります。これからしばらくはこんな光景が続くのでしょう。
3~400mのダラダラ下り。今は楽でも復路ではこれが我々に刃を向けるのです。先が思いやられます。
左折するとまもなく非舗装路へ。その時左の森林から聞こえてきたのはドーンという地響き。私は咄嗟にこのレース用に熊避けとして大砲でも放っているのかと思いました。
その先に看板が見えてきます。


5km地点通過:26分53秒。(5分23秒/km)


エイドステーションでは大会運営者と思しき人たちが横断幕を手に我々に声援を贈っています。私は思わず両手を振り、こう叫びました。「行ってきまーす!」 
それに対して彼らはこう呼応します。「行ってらっしゃーい」「待ってるよー」 
私は身震いしつつコップの中のスポーツドリンクを飲み干し、必ずここへ帰ってくるぞ!と決意しました。

程なく森林内へ。それまでの強い陽射しが陰って好コンディション。Hさんは私の2m前方を走り、事あるごとに振り返って私との距離を気遣ってくれます。温かい心遣い。
軽い上り坂が始まります。私の初フルレースは2年前の千歳JAL国際マラソン。今思えば朝飯前?の上り坂に後半すっかりヤラれ、太腿・ハムストリングス・ふくらはぎの全てが痙攣し地獄の苦しみを味わいました。目前のこの上り坂に2年と1ヶ月前のあの惨状が脳裏を過ぎりますが、「そのときの俺と今とでは走力が段違いなのだ!」と無理に自分に言い聞かせつつテクテクペタペタと歩を進めます。

15km・30km・45km同時スタート同一コースのこの大会。15kmコースは7.5km地点が折り返し。そろそろ先頭集団が現れる頃かと思い、極力狭い砂利道の左側を走っていると来ました!先頭ランナーが。速い速い。「俺も15kmに参加したならばこれぐらいのスピードで走れるのかも」などとバカなことを考えつつ。
その7.5km折り返し地点でよく冷えた水を一杯。復路のここ(37.5km地点)でもお世話になることでしょう。
左側を流れる川の水面に目をやる余裕さえあります。時折り木々の間からこぼれる陽の光もきれい。まさに光合成森林浴中。日頃の激務?で心身に負ったダメージが癒されていく実感があります。


10km地点通過:53分18秒。この5km:26分25秒。(5分17秒/km)


自衛隊員の姿がチラホラ。その手には無線通信機が。これだけの森林道ですから通過者を事細かに大会本部なり次のポイントに連絡している様子。とても安心感があります。
Hさんは相変わらず私の前方2mを力強く走り、時に私を気遣うように振り返ってくれます。「どうだい、調子は?」「まぁなんとか」こんな短い会話を交わしつつ。
30km参加の先頭ランナーと交差。これまた速い速い。下り坂を利してスピードアップしています。30kmの優勝者のタイムはどれぐらいなんだろう?と考える余裕さえ(まだ)あります。
簡易トイレが併設された12kmのエイドステーション。ここでも冷えた水を一杯。ガス欠や腹痛・疲労感の兆候はゼロ。しかしそれは甘く儚い夢物語に過ぎませんでした。ここから登山マラソンの登山マラソンたる所以をイヤというほど私は思い知らされていくことになるわけです。



『本番』


徐々に、しかし確実にキツくなっていく傾斜。それまでは千歳JAL国際マラソンのコースよりも少し激しいぐらいかな?という程度でしたが、序盤からHさんが「この先の坂はこんなもんじゃないから」と繰り返していた事実が明らかになってきました。それまでなんとも感じていなかった太腿前面・ハムストリングスに甚大な疲労を覚え始めたのです。著しいペースダウン。
ここでついにHさんとの差が付き始めました。それまではなんとかその背中を追う気力が伴っていましたが、いったん差が付き始めるとその気力が失せるのは容易なこと。


15km地点通過:1時間27分34秒。この5km:34分16秒。(6分51秒/km)


スペシャルドリンクを預けたエイドステーション。空腹は感じないのでゼリー飲料は復路用に。そしてキンキンに凍らせて預け入れたペットボトルを手にすると予想外の出来事が。全体の半分もまだ溶けていないのです。やむなくこれも復路用にと決め、水を2杯喉へ流し込みます。ゼリー飲料は3分の1程を胃袋へ。
「ごちそうさま~」の声を残して出発。しかしその先がまたキツい。Hさんの姿はとうに見失っています。
ここで森林の中を走ってきた私の視界がパッと開け、折り返し地点であるピンネシリ山頂が見通せるようになりました。「まだあんなに遠いのかよ~」そのときの偽らざる心境がこれ。直線距離にしてみればおそらくや2~3kmといったところ。しかしクネクネと山筋を迂回しつつ進む走路故に7kmを残しているのです。
前方には歩き出す人がチラホラ。上半身を前に傾け、なんとか走り続けます。元来が少ない参加人数の上にこの地点まで至るとところにより前方に人影が確認できないことさえ。これは精神的にキツかった。

そして走り続ける強い気持ちに冷水を浴びせる決定的な出来事が発覚します。ようやく歩いている人に追いつき追い越そうとしますが、追い越せないのです。懸命に走っている(つもりの)私が精根尽き果てて歩いている人を追い越せないのです。それまで私を支えてきた(エイドステーション以外は完走したい気持ち)が音を立てて崩れ落ちます。私はついに歩き始めました。呼吸器系は全く問題ないのに太腿とハムストリングス、両腕、そして精神的ダメージがことのほか堪えてきました。

気を紛らわせるために走路周りに目をやります。名も無き小さな花。倒木。7月というのに2ヶ所で雪さえもが残っています。麓から見通せたまだ雪が残るピンネシリ山頂が徐々に近づいているのですね。
悪戦苦闘していると45kmの先頭ランナーとすれ違います。No.8。速い!すれ違いざまに「ガンバ!」と声を掛けてくれました。後続者はしばらく来ません。ダントツのようです。
先頭ランナーがせっかくエールを送ってくれたにもかかわらず私の意気は上がりません。100m走っては300m歩く状態。気力を振り絞って走り出しても甚大なダメージを被った肉体がそれを続けさせないのです。
「もうイヤだ、こんな大会」「2度と出ないぞ、こんなキツい大会」「起伏走を普段から怠っているバチが当たったんだ」「下りの人は楽そうだなぁ・・・」etc胸中は後悔の念ばかり。しかし腕を振るのを怠ると足までが止まってしまいそうでそれだけは続けます。
流れる汗すらもうなし。ランシャツは乾いています。右側に小規模の給水地点発見。一杯の水をいただき「ツラいっす!」と一言を残して足を前(上?)へ。やっぱりつらいつらいつらい。キツいキツイキツい。走れっこない。

身体を包む空気がひんやりとし始めた頃にすれ違ったのは私が敬愛するランナーが(師匠)と崇めるSさん。私にとって神様同様のお方です。僭越ながら「Sさん、ガンバです!」 するとSさんは苦しい表情を一瞬和らげて軽く会釈してくれました。苦しいのは私だけではないのです。Sさんも塗炭の苦しみを経た上で下り坂へ差し掛かったに違いないのです。私はいくぶん息を吹き返しました。そしてなんとしてもピンネシリ山頂へと辿り着く意欲を取り戻したのです。

右側に自衛隊員の姿が。「ガンバ!」「ガンバですっ!」 すれ違う人も「もう少しだよ!」「あともうちょっとだよ!」 連帯感。
そして私の目に飛び込んできた光景とはゼミ(折りたたみ)テーブル2台と温かい眼差しのスタッフ。とうとう山頂です。しんどかったとはいえようやく麓から見たあの頂上へと辿り着きました。

ホッと一息つきバナナ半分を3本(計1本半)と紙コップを2~3杯喉へ。一息ついた私の目に映ったのは矢印の書かれた看板。周りで私と同様に一息ついている参加者に「まさかあの先が折り返しなわけありませんよね?」と尋ねるとその答えは「あの先が頂上です。そこで写真を写してもらえますよ」
疲労しきった身体をその先へと向かわせます。すると確かにカメラを手にしたスタッフが。下界を目にしてガッツポーズ。そして頂上の看板を横にして写真を一枚。一生の記念です。
後日大会運営者から送られてきた数枚を見ると、15km以降ほとんど歩き通したとはとても思えない満面の笑みを私は浮かべています。その後知らしめられる下り坂地獄がこのあとも待ち受けているとは露ほども気付かずに。


22.5km地点折り返し:2時間19分04秒。(含む休憩約5分半)



『下り坂地獄』


俄然息を吹き返した私。待ち焦がれていた下り坂なのですから。快調に飛ばします。ヘアピンカーブではスピードを緩め切れずに(オットット)となるほどに。つい10分程前まで自分がそうしてもらっていたように往路の参加者にエールを送りつつ。
しかしどれほど進んだ頃でしょう。おそらくや2~3km下った頃、太腿の前面、特に内側になんとも表現のしようがない疲労感を覚え始めました。「これは調子に乗ってスピードアップをすべきではない」と天からの声が聞こえたような気さえ。強烈な下り坂に背くように重心を後ろにかけてその負担を軽減すべく努めます。
小規模な給水地点。「下りってキツいっすね?」と本心をさらけ出します。
胸中はわからずとも平然とした表情で上ってくる女性の姿が。Mさんです。CW-Xの小さなポケットに忍ばせた飴玉を手にしてエールと共にこれを進呈。「下で待ってるからね~!」
直後には終末車らしきライトバンが。Mさんガンバ!

太腿前面に痙攣の兆候を覚えつつも上りと下りのペースとでは雲泥の差。まもなく(でもないな)30kmコースの折り返し地点。


30km地点通過:2時間55分00秒。この7.5km:35分56秒。


預けていたペットボトルとゼリー飲料を両手に貪ります。凍らせていたメダリストは程好く溶け、ゼリー飲料も冷たさがいくぶん残っています。氷入りの発泡スチロール効果は満点。
美形の女性(自衛官?)を含む3名のスタッフの足元には蚊取り線香が。そりゃそうです。こんな山中じゃ平地にいるはずのない恐ろしい虫がどこにいるやも知れないのですから。
ペットボトルの外側に食塩をたっぷり入れた青汁の緑色のスティックを貼り付けているのを忘れるところでした。覚束ない手でテープをべりっと剥離し汗と一緒に流れ落ちた塩分を補給すべく口の中へ。すると不思議なもので塩っ辛さを全く感じません。体内の塩分が枯渇しているのでしょう。まして汗っかきの私ですし。
「ごちそうさま!」の一声を残し再スタート。無意識に残したラップによると休憩タイムは2分19秒。

少しずつ緩やかになってきた下り坂。先程摂取した食塩効果か太腿の痙攣兆候はなりを潜めてくれています。しかし私は初めて知りました。下り坂がこんなにも疲労した肉体には堪えるものだということを。引力に逆らって上方へ肉体を導くことよりも、引力に導かれて落下しようとする肉体を阻止する行為がこれほどしんどいことだとは。
愛用のカシオPHYSにはその後30分20秒のラップが刻まれていますが、いったいどこのポイントやら記憶がありません。給水地点で手にした水を痙攣防止にと太腿にかけたことような・・・。そこなのだろうか・・・。
左は山、右は川。単調な走路をひたすらに前へ。前方を行く(初老?)の女性の姿が近づいては離れ、離れては近づきます。ハッキリと記憶しているナンバーカードを頼りに後日参加者名簿に目を通すと私よりもたった5歳しか年長じゃありませんでした(失礼)

わずか3時間前に紛れもなく通ったこの森林道。いつまで続くのやら見当も付きません。しかしそんな閉塞状態にようやく終止符が打たれるときがきました。森を抜けて見通しの良い道へ出たのです。ここまで来れば直にさっき横断幕をかざしてくれていたスタッフのいるエイドステーションがあるはず。まだ横断幕をかざして我々を勇気付けてくれているのだろうか・・・。さっきと同様(ドーン)という自衛隊の演習の轟音が妙に懐かしい。



『陽射しがジリジリと』


そしてエイドステーション。元気の良い父さん母さんがスタッフを担うポイントです。水を2杯飲み質問。 「ここであと何km残っているのですか?」「5.5kmですよ。ほら、あの先に見える看板が残り5kmだから」「ああ良かった。5.5kmぐらいならばなんとか耐えられるかも」
ここで茶目っ気?のある別の父さん曰く「あれ!?ここって残り10kmでなかったべか!?」 冗談と知っていて大袈裟にめまいがしたふりをしつつ私も返します。「シャレにならないっすよ!こんなところで・・・笑」 スタッフ全員爆笑。
「そろそろ行きます。ごちそうさま」「頑張ってよ~」

砂利道です。初老と見間違えてしまった女性の姿が遥か前方へ。「こんなに今日は陽射しが強かったんだ。森林道にいるとそれに全然気付かなかったよ」


残り4km地点通過:4時間00分03秒。この11km:1時間05分03秒。


クネクネと折れ曲がる砂利道に耐え、一般道へ出るところに3名スタッフの姿が見えてきました。口々に「頑張って下さい」「あと4kmです!「もう少しですよ」 私はそれら全てに会釈をして声に出して答えました。「ありがとうございます~」と。
往路で経験したダラダラ下りが今度は案の定ダラダラ上りとなって我々を苦しめます。ガクンとスピードの落ちた年配の男性ランナーを捕捉。


残り3km地点通過:4時間05分28秒。この1km:5分25秒。


長い長い直線。さっきもこんなに長かったっけ?もっと短くなかったっけ?と自問自答するほどの苦痛苦悶。初老と見間違えてしまった女性の姿はとっくに見えなくなっています。
ジリジリと容赦なく照りつける陽射しを避けるべく帽子の向きを細かく調整。そういう余裕はまだあるのです。
小規模給水ポイント発見。ここまで来たらスルーして少しでもタイムを縮めたい気持ちと、このあと水分枯渇地獄に陥るのじゃないか?という不安とが交差し結局休憩。2杯水を飲みながらゼーハー荒い息遣いの私に若い男性スタッフが「疲れましたか?」「はい、強烈に。(ピンネシリ山を振り返り)でも私はまさしくあの頂上を往復してきたのですよ。すごいでしょ?(自画自賛)」「はい、立派です」
てな会話をしているとさっきのダラダラ上りで捕捉した年配の男性ランナーが給水の誘いを断り一目散に。そのわずか先にはまた看板が。


残り2km地点通過:4時間11分54秒。この1km:6分26秒。初めてのオーバーフル到達。


左折したところにはコーヒーショップらしき店舗。その駐車場では若いカップルがオートバイを挟んでイチャイチャ。疲労困憊した私には憤る元気すらありません(笑) ただただひたすらに前へと進むだけ。またここはわずかながらも上り坂。上りも下りももうたくさんだ!やっぱり平地が一番だ!
そんな単調な直線を進む私の脳裏を過ぎった光景、それは新十津川と同じ空知路の美唄市で開催される(ピパオイヘルシーロードレース)。単調な走路と参加者以上に多いのでは?と思わせるスタッフ数が物語る手厚い運営が酷似しています。またあの豚汁を心行くまで堪能したいなぁ・・・。


残り1km地点通過:4時間17分11秒。この1km:5分17秒。最後の奮闘中。


右左折を1度ずつ。左側の車から飛び出してくる姿、それは今日勇気あるDNSを選択したKさん。4時間以上も単独で私やMさんを待ち続けてくれていたのですね。ありがたいことです。大声で、「キッチリ膝を治してよ~」 頷くKさんの姿を確認できました。

イベント広場の青い芝生がようやくこの目に。無線で私のナンバーを確認しているスタッフの姿が見えます。と同時に「ナンバーカード○○番。○○○○君、○○市より参加」のアナウンスが聞こえてきます。嗚呼感激。
右折した20m先には参加者一人一人がゴールするたびに張ってくれるテープが。初体験で今後もこの大会以外ではありえないサービスに、思わず帽子とサングラスを外してガッツポーズ。


ぃぃぃぃ~やったーーーっ!



45km地点:4時間22分47秒。ラスト1km:5分36秒。ガッツポーズをしたおかげで自己計時タイムと大会発表タイムに4秒誤差が生じるオマケ付き。


15km地点以降の激しい勾配では(こんな大会2度と出るものか!)と思ったものですが、フィニッシュ後すぐに感じたこととは(あと2度ぐらいなら参加しても良いかな)
アンケートにも(素晴らしい運営の大会でした)と書いたことは偽りではありません。本当に素晴らしい運営の大会でした。ぜひお勧めです。
私はそうじゃありませんが家族にはこの参加賞が大好評だったし(笑)

トマト1

トマト2





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