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こんにちは。ついに、この日がやって来ました。一年前、期待と不安を胸に抱いて望んだ「越冬交代式」。早いもので、あれから1年。今年は、追い出される側です。去年は、天候不順のため室内で行いましたが、今年は曇りだったので、19広場(いちきゅうひろば)で執り行われました。これで、基地の全権は52次隊に移り、これから一年 昭和基地の維持管理・運営をおこなっていく事となります。少し寂しさを感じましたが、何となく晴れやかな心境になりました。前日は、部屋の荷物のまとめや部屋の掃除とバタバタして、ほとんどの51次隊員が寝不足状態で、この越冬交代式にのぞんだのではないでしょうか?式自体は30~40分ぐらいで終了し、その後、部門毎の記念写真を撮りました。決して “やくざ” の集団ではありません。建築・土木部門の面々です。青いジャンパーを着ているのが52次隊(夏隊5名、越冬隊1名)と赤いジャンパーが小生 51次越冬隊です。その後、住み慣れた居住棟をあとにし、一部の者は「しらせ」に。残留組は「第2夏宿」に移動し、残りの生活をします。「しらせ」に向かうヘリに乗り込む51次越冬隊員3日には小生も「しらせ」に乗船すると思います。最後に弊社の社旗を囲んで、弊社4名での記念写真。これで小生(我々?)の越冬生活は終了です。一生の内のたかが1年。しかし、設営部門初のドロムランでの南極入りや自然の驚異、28名での共同生活・・・色々な事を経験した1年でもありました。生涯絶対に忘れることがない 仲間とも知り合え生活を共にしました。これらは小生の『財産』です。まだ、終わったという実感は沸きませんが、一年間ガンバッテ この日を迎える事が出来たのは、きっと今後の糧となることと思います。振り返ると、越冬生活はまさしく「真っ向勝負」でした。下手な変化球より、ストレートで真っ向勝負した方が道は開けてました。 そして、このブログを閉ざす時がきました。ブログを始めた頃は、南極での生活に当然慣れてなく、戸惑うばかりでした。「ブログなど書いている場合ではない」という時もありました。しかし、コメントやメールでみなさんに励まされ、ブログも越冬生活最後までやり抜くことが出来ました。今思えばこれ(当ブログ)も南極生活の足跡になりました。約一年半前、南極に来るにあたって自分自身でテーマを作っていました。「背中を見せる」です。子供を持つ親として、会社の先輩として、何らかの形で「背中を見せれた」らと思っていました。週1回 時には週2回ほどのペースでしかブログを更新でず、南極生活をうまく紹介出来ない事が多々あったかと思います。申し訳ございませんでした。しかし、ブログを通して「背中を見せる」事は出来たでしょうか?本日まで『南極アザラシ奮闘記』をご覧頂きありがとうございました。続きは、土産話で・・・・3月20日 元気に日本に帰国します。本当にありがとうございました。そして、さようなら。
February 1, 2011
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こんにちは。1月30日。あと2日。と言っても、現在は21:00なので実質あと31日を残すのみとなりました。30日まで輸送がかかり、バタバタと部屋の整理や事務所、共用部の片付け、掃除が行われています。我々51次隊は1月中旬に「しらせ」が接岸したので、輸送に時間が掛かりましたが、今回は年末に「しらせ」は接岸しているのに、30日まで輸送が掛かったのは過去に例がなく、天候不順が大きく響きました。視界不良、強風、ブリザードと何度輸送中止になった事か・・・しかし、無事全部終了!先日(29日)、52次隊が51隊の「お疲れ様会」を開いてくれました。別名「追い出し会」。51次、52次と打ち解けて話も弾み、盛り上がった会でした。そして、一夜明けた30日(本日)は、掃除日となりました。朝一では持ち帰り輸送があったのですが、目処が付いたので、130KLの水槽を51次隊手空総員で感謝を込め清掃を行いました。一年間生活を支えてくれた水槽の清掃。何度この中に雪を入れた事か。ここは、生活水の要。雪入れ!越冬中の運動不足解消に役立ちました。綺麗にして、次年度隊に引き継ぎます。綺麗になったので、寝っころがりました。水槽は、この130KL水槽の他にもう一つ100KL水槽もあります。上の写真上部に写っているシルバーの建物。これは昔の通路でした。今の通路は断熱材を鋼鈑でサンドイッチしているイソバンドという素材で作っていますが、一昔(?)前はコルゲートと言って鋼鈑のみの通路です。現在は送水のパイプラインが入っています。そして管理棟や居住棟、通路棟の大掃除明日は久しぶりの休日。部屋の荷物を最終のまとめを行います。いよいよ最終日を迎えます。
January 30, 2011
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こんにちは。南極は、まだ夏だと思っていたら、先日から夜の冷え込みが始まりました。今までは昼間雪が溶け、その雪解け水は夜中でも凍ることはなかったのですが、ここ数日前からは凍りはじめています。気が付くと、『白夜』も終わっており、太陽が沈み始めました。まさしく、南極 昭和基地は 「秋色」 です。これから、日に日に太陽が沈みだし、また、厳しい冬を迎える事でしょう。さて、輸送ですが、先日ヘリコプターによる本格空輸も終了し、持ち込み物資の輸送は終了しました。これで52次隊が持ち込んだ物資は、すべて「しらせ」から降ろされて、越冬準備が出来てきたのだろうと思います。燃料は「しらせ」が接岸したら、1番に昭和基地の100klタンク 4つに「しらせ」から送油ホースを延ばして送油するのですが、ドラム缶に入った燃料もヘリコプターで輸送されます。タンクに入った燃料は主に発電用のエンジンの燃料で、ドラム缶燃料は主に車両や各建物で使う暖房機用の燃料です。 (Q-R,4-5)ヘリで運んだドラム缶燃料を種類毎に分けておいています。奥に見える建物は車両倉庫で、冬の間トラックとかの4輪車を保管しておく建物です。南極で使用している燃料は、4種類の燃料を使用しています。・ウィンター軽油 (通称:ダブ(W)軽)・南極用低温燃料 (通称:ナンケイ(南軽))・JP-5 (通称:ジェイピ-ファイブ)・JET-A1 (通称:ジェットエイワン)ダブ軽は国内でも北海道や東北地方 寒冷地で使用している燃料で、南極の夏期間に使用しています。この燃料もマイナス20℃になって来ると凍ってくるので、南極専用燃料 「ナンケイ」に変更します。また、JP-5とJET-A1は航空燃料の一種ですが、南極ではボイラーの燃料で使用します。航空燃料は凍らないので、使用しています。JP-5とは海上自衛隊が良く使用する燃料だそうです。燃料の話はこのくらいにして、輸送の話です。輸送の最後を飾るセレモニーが毎年開催されます。荷物の最後を飾る「花○○(丸丸)」と言う物で、例年は「花ドラム」なのですが、今年は「花ダンボール」でした。ヘリコプターで「しらせ」艦長(中央)が来られ、52次観測隊隊長と越冬隊長に最後の荷物を渡すセレモニーが、Aヘリポート(N-O,4-5)で行われました。これからは、我々51次隊のの持ち帰り物資の空輸が行われ、最後に我々が2月1日 午前中にヘリで「しらせ」まで空輸され終了です。基地の廊下には「しらせ」船倉に送る荷物が所狭しと並べられております。 あす(25日)にこの荷物はパレット積みします。そして、船室に入れる荷物作りして、大掃除して終わりです。今の気持ち、『早く帰国した~い!』今までは全然 このような気持ちにはならなかったのですが、次の隊(52次隊)が昭和基地に来て色々始めると、もう我々(51次隊)の越冬生活も終わりなんだと思いました。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」なのかな?ちょっと寂しですが、やはり新旧交代は重要だし・・・・
January 24, 2011
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こんにちは。久しぶりの更新になり、申し訳ありません。現在は、氷上輸送中で、昼と夜が逆転している生活を送っています。なぜ?昼と夜が逆転しているかと言うと、現在輸送している物資は、大型物資と言って、「重かったり」「大きかったり」してヘリコプターでの空輸が出来ない物を「しらせ」からの海氷ルートを、雪上車で牽引して運びます。いくら南極といえども、今の時期は‘夏’真っ盛り。昼間は気温もプラスになるので、雪が溶けます。ですので、重量物を運ぶ時は、雪が溶けず、氷が安定し 気温が下がる夜中に輸送を行うのです。また、南極は今時期 「白夜」なので太陽が沈まなく、1日中明るいです。上の写真も、1:00AMぐらいの写真です。話がそれてしまいますが、夕焼け?朝日?に染まる氷山はものすごく綺麗で、感動さえ覚えます。南極でしか見えない光景の一つかもしれません。癒し系の写真を一枚。(基地から見える景色で、このように1年半 氷山を見ながらの生活を送っていました)氷上輸送の話に戻します。最初に「しらせ」から降ろす物資は52次隊の基地への持ち込む大型物資です。これには、4日間掛かります。その後、3日間の51次隊の持ち帰り物資の準備期間があり、 それから「しらせ」の開いた船倉に51次隊の持ち帰りの大型物資を積み込みます。これには3日間を有する予定です。荷揚げ風景です。現在は、51次隊の持ち帰り物資の積み込みを行っています。「しらせ」への積み込み風景です。使えなくなった車両を積み込んでます。「ドーム富士」や「みずほ基地」みたいな南極大陸の内陸に行くときに使用する大型雪上車 SM100も修理の為、日本に一旦持ち帰り修理を行います。持ち帰り物資の1日目は雪上車のドライバーをやったので、「しらせ」に近づくことが出来ました。先遣隊で南極入りした私にとっては、海氷上の「しらせ」に近づくのは、初めての経験でした。輸送は前年度隊の仕事なので、去年は建築作業を行っていたので・・・輸送作業中、休憩があるのですが、タイミングが合えば、「しらせ」で休憩が出来ます。「しらせ」の中にはジュース類の自動販売機があるので、1年半ぶりに自動販売機でジュースを買いたいと思い100円玉を握りしめ、雪上車を運転していたのですが、残念ながら、基地の荷出し側での休憩で”夢かなわず”でした。それらが終了したあと、ヘリコプターによる空輸で標準物資の持ち込みが7日間ほど掛けて搬入します。その後は、持ち帰りの空輸があり、物資の輸送は終了です。今月は、物資の輸送で大半が終わり、越冬生活も終わります。あと15日。南極生活悔いがないようしていこうと思います。
January 15, 2011
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あけましておめでとうございます。本年は、3月にいよいよ帰国致します。1年数ヶ月ぶりに社会復帰をします。宜しくお願い致します。さて、【南極 昭和基地】で2回目の正月を迎えました。今年は、越冬隊としての正月だったので、豪勢でした。日本では、1月1日 朝6:00~ TV朝日の番組で【昭和基地】との中継があったので、【昭和基地】での「おせち」料理をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。(私は、アザラシの格好をしていました)本番前のリハーサル風景です。 日本時間の朝6:00は、こちらでは0:00なのでTV中継が終わった後に、「除夜の鐘」の鐘撞きを行いました。この「除夜の鐘」はドラム缶を加工した物で、代々引き継がれている物らしいです。そして「おせち」料理です。デザートは氷山の”かき氷”でした。豪勢ですよね。当然、とてもおいしかったです。食事風景です。翌日(1月1日)は休日日課なので、ブランチでした。ブランチに先立ち、鏡開きを行った後に、お雑煮を頂きました。 その後、前日に書いた、「書き初め」を披露したり、ビンゴ大会で盛り上がった昭和基地のお正月でした。羽根突きをして遊ぶ隊員。「しらせ」は、12月31日 23:20に昭和基地に接岸しました。2日からは通常業務。いよいよ物資輸送が始まります。
January 2, 2011
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こんばんわ。いよいよ、年末大晦日を迎えましたね。ここ昭和基地では、あまり、大晦日という雰囲気はありません。緊急物資が日本から送られて来て、夏作業真っ盛りです。いつ「しらせ」が到着するか?。到着次第、本格物資輸送が約3週間続きます。今のこの時期は、次年度隊の越冬準備に昭和基地は”大わらわ”です。「しらせ」もそこまで来ていて、23:00頃には接岸するようです。明日は、お正月なので、一休みして2日から本格的な輸送が始まるようです。さて、最近は、持ち帰り物資の木枠梱包に追われています。精密機械や傷を付けたくない物、コンテナに入らない物・・・等々を木枠で囲って梱包し、「しらせ」で国内に搬送します。これは、オーロラ観測用のカメラを持ち帰る為の木箱を作成しました。他にも、衛星受信用のレーダーを格納していた物を、台座部とドーム部と2パーツに分けて梱包しました。上写真のようなユニック(トラックにクレーンが付いた車)も運転するんですよ。このように木枠梱包が出来上がり、後は「しらせ」に積み込みます。(写真は、機械建築倉庫内:6-7、M-N)あと、先日、正月用に餅つきを行いました。このあと、お餅はおいしく頂きました。
December 31, 2010
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こんにちは。昨日、午前8時過ぎに52次隊を乗せた第一便のヘリコプターがAヘリに到着しました。昭和基地の人口がいきなり、倍以上になりました。これから、3日間の緊急品の空輸があり、その後、「しらせ」の接岸を待って、52次隊が越冬するための物資や夏作業の物資が本格的に始まります。昨日からの空輸は、52次隊隊員の他に我々51次隊の1年ぶりの物資の輸送も行われました。家族からの託送品や新鮮な野菜や卵、そして果物。この日の昼ご飯にはレタスとトマトが出ました。1年ぶりのレタスの「しゃきしゃき」感やトマトの「みずみずしさ」「甘さ」を味わいました。また、夕食では「卵かけご飯」を堪能しました。おいしかった~。 国内ではこんな何気ないことでも、1年間物資が届かない越冬生活では、新鮮食料品のおいしさを再認識します。ちなみに、一年前のビールを飲んでいましたが、昨日は新鮮なビールでした。
December 24, 2010
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こんにちは。52次隊を乗せた「しらせ」は昭和基地から50kmぐらいの所にいるそうです。「しらせ」船上では2機のヘリコプターの組み立てを行っているそうです。いよいよ、明後日(23日)には52次隊がやってくる予定です。約1年ぶりに越冬隊28名以外の人に会えると思うと、何か緊張してしまいます。そして、すごく複雑な心境です。52次隊が来れば、南極の内陸にあるドーム富士基地へのオペレーションがあります。約60日の行程なのですが、我々51次隊からも3人参加します。52次隊が来るヘリに乗り、その3人が出発するので、我々51次隊としても、28名で居られるのも、後2日となり、再度51次隊越冬隊28名が全員揃うのは、帰りの「しらせ」船上となります。そう言った意味でも、「これから始まる隊」と「これで終わる隊」。何か寂しい気持ちになります。ま、そう言っていても迎え入れの準備はしなくてはならないので、着々と進んでいます。先日、基地主要部から第一夏宿に向かう峠道に茶店がOPENしました。 (3枚共17-18、H-I)第一夏宿は、52次隊が来たら一番最初に宿泊するところです。そこに行くには、この峠道を通らなくてはいけません。いわば、1本道です。我々は、第一夏宿の立ち上げとかそちらの方面で除雪をしたり、Aヘリポートで52次が使う布団を干したりしています。当然、この峠道の往来が多くなります。そこで、電離層の隊員が写真のような茶店をOPENしてジュースやお茶。ビールも置いてあります。食べ物はシェフ特製クッキー。ちょっとした「気の使い方」によって、忙しい合間の和みを提供してくれるとは、さすが越冬経験者だな思いました。また、52次を迎える為に、歓迎の看板を作り、彼らの宿泊先に掲げました。看板の製作風景です。久しぶりに、筆を持ちました。そして、宿舎に掲げました。まさか、南極で毛筆で「字」を書かせられるとは思いませんでした。極地にいけばいくほど、固定観念にとらわれず、色々経験している事が必要だなと思いました。
December 21, 2010
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こんにちは。国内は年の瀬で、慌ただしい毎日の事だと思います。ここ昭和基地も、12月は1年を通して忙しい月です。12月中旬には、次の隊が来るので、それの受け入れ準備に追われています。それぞれの部門の引き継ぎ資料を作ったり、帰国の準備の為に荷物をまとめたり、次の隊が入る夏宿を立ち上げたり、一番時間掛かるのは除雪です。雪を掘り起こして、道路を出し、物資輸送の為にトラックを走れるようにします。この除雪、自然相手なので・・・・・先日も、ブリザードが襲来して、今まで除雪したところがいっぺんに埋まり、元に戻ってしまい、一から除雪やり直しとなってしまいました。また、今年は中々太陽が出てくれなく、雪が全然とけません。52次隊を乗せたしらせは既に南緯55度を通過して、あと1週間もすれば、第1便のヘリコプターが昭和についてしまいます。みんな休日返上で、ガンバッテいます。
December 11, 2010
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こんにちは。国内で生活していると、電気にしろ、ゴミ処理にしろ、水道にしろ・・・色々な事が当たり前のように供給され、あまり気にしない事だろうと思います。昭和基地では、隊員達が生活する為のライフラインを機械隊員が中心になって維持・管理しています。特に、電気は大切です。基地の電気は、新発電棟に設備があります。ディーゼルエンジン(ヤンマー製)で発電機(日立製作所製)を廻して作ります。エンジン部分です。これが、発電機で、エンジンの後ろ側に付いています。このエンジンと発電機は1号機、2号機と2台あり、500時間毎に交互運転をしています。(奥が1号機、手前が2号機です)この発電機(1台)は、30kKVAの発電能力があります。昭和基地の平均電力は170kWなので、1ヶ月に換算すると、170kW×24hr×30日=122、400kWhの電気を消費しています。一般家庭(大人2人、子供2人)の1ヶ月の電気の消費量は約300kWhと言われているので、昭和基地は、一般家庭の約400棟強分の電気を消費しているし、発電能力を備えています。一般家庭の約400棟強分と言う数字が大きいのか、小さいのか私には解りません。昭和基地は、生活とオフィス機能が一つにまとまっている、街的な要素があります。28名の隊員が個々に生活しており、仕事では、観測機器が動き、地球の最南地域にいて、国内とあまり変わらない生活が送れていることには違いありません。このエンジンや発電機の汚水処理や造水設備は、毎日11:00と23:00に機械隊員を中心に点検を行っています。(私も参加しています)また、電気を起こすにはディーゼルエンジンだけでなく、太陽光発電も行っています。太陽光発電は、当然太陽が出ていないと発電しません。昭和基地の夏にあたる11月~1月は太陽が沈まない【白夜】であり、この時期は、次の隊が来て基地の人口も増え、夏作業の最盛期でもあるので、これらの増えた電力を補うには、太陽光発電が大活躍です。この太陽光発電用のパネルは8枚/1セットで88基の架台に取り付いてます。パネル枚数では8枚×88基=704枚。面積にすると448平米あります。太陽光での発電能力は、平均で10.5kWhなので、月では7、560kWh一般家庭の25棟分を発電しています。夏期間は24時間太陽は出っぱなしなので、太陽光発電パネルは東・西・北の3方向に設置されています。南極は南半球なので、北にパネルが向いてます。越冬生活も残りわずかとなりましたが、51次隊は今まで一度も停電を起こしていません。間近でこれらを見ている私にとっては、停電させないすごさ、大変さがすごく解りました。
November 28, 2010
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こんにちは。いよいよ、24日には52次隊が出発ですね。現在の南極は、明日(22日)0:26の日の出から暫く太陽が沈まない『白夜』迎えます。次の 日の入りは翌年の1月20日0:17だそうです。さて、先週、野外に行っていました。スカルブスネスと言う所での、ペンギンの個体数調査が目的です。ペンギンは、生まれた所に戻って来る習性があり、いつも同じ所にルッカリー(営巣)が出来ます。基地周辺には10カ所ぐらいルッカリーがあるそうです。僕が行ったルッカリーには約40~100羽のペンギンがいました。(大きいルッカリーだと3000羽ほどペンギンがいます)ペンギン達は既に夫婦になっており、石で巣を作っていました。我々の調査の日にはまだ卵はありませんでした。が、これから、卵が産まれて、この石の上で夫婦交代で暖めて孵化させます。この石は、ペンギンたちが「くちばし」で集めて来て作っていました。中には、石を横取りするペンギンもいて、喧嘩をしているペンギンたちもいました。ルッカーリー付近には「トウゾクカモメ」がやはり夫婦で必ず飛んでいました。結構獰猛な鳥で、ペンギンの卵を狙っていました。小っちゃく見えますが、羽を広げると、1.5mぐらいの大きさです。他にも「ユキドリ」が飛んでいました。小さくてとても可愛い鳥です。岩の隙間を住みかにしておりこちらは、既に「卵」がありました。また、海氷にはアザラシも姿をあらわしていました。親子のアザラシです。穴から出ようとしているアザラシ。
November 21, 2010
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こんにちは。先週は、日曜日から3泊4日のスケジュールで野外に行っていたので、ブログを更新出来ませんでした。すみません。ラングホブデとスカルブスネスと言うところに行ってきました。これらには、観測用の小屋があり、これから始まる観測に備えて、小屋の中の整理を行って来ました。主に食料の整理ですが。野外の話は、またの機会にして、野外から帰って来てから、風呂の天井を改修しました。基地のお風呂は、新発電棟の2階にあります。前に風呂のドアの改修を行った事をご紹介しましたが、今度は天井を改修しました。以前のお風呂の天井は、こんな感じでした。木の板を張ってあって、それなりに味がありました。この天井を、ご覧のように改修しました。4m近くの天井材なので、仲間に応援してもらい、作業しました。そして完成はご覧の通りです。それなりに形になっており、一安心でした。やはり、リフォームして綺麗になると気持ち良いですね。この作業で、越冬期間中の建築の改修作業が一通り終了しました。また、本日11月13日で、南極に来て丸1年が経ちました。去年の、11月13日19時19分(昭和時間)に飛行機でここ南極 昭和基地に降り立ち、アッという間に南極生活1年を迎える事が出来ました。メールやブログの書き込みで応援してくれてる皆様ありがとうございます。あと、この生活も3ヶ月。ガンバッテ行きます。そして、また、15日から野外に出ます。今度はペンギンの個体調査を行うため、ペンギンの営巣に2泊3日で行ってきます。
November 13, 2010
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こんにちは。先週は、ブリザードの一週間でした。27日~30日まで建物内から動けませんでした。雪も、ものすごい量の降雪でした。建物が埋まるかと思うぐらい降りました。居住棟の非常口もご覧の通りです。今までは、ブリが来ると(雪が降ると)、風で押し固められてしまい、スコップとかで除雪しても、刃がたたないぐらい固まっていたのですが、今回は雪が固くなっていず、柔らかい感じがしました。これも、初夏の影響かな?初夏と言えば、ペンギン達が現れるようになりました。先日は、昭和基地に皇帝ペンギンが来ました。それも、6羽。観測隊員でも中々見ることの出来ない、皇帝ペンギンを6羽も見ることが出来ました。そして、本日(31日)はアデリーペンギンが歩いていました。ペンギンが歩いていると言うことは、何処か海氷が割れているので、アザラシもそのうち出てくることでしょう。ペンギンは、今の時期が子育ての時期だそうです。我々も、11月中旬からペンギンの巣に行き、生物調査を行います。空は、トウゾクカモメが先日飛んでいました。
October 31, 2010
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こんにちは。我々は、担当業務意外に生活係に各自所属しています。この生活係とは、約1年間の28名だけの生活に、少しは変化を付けようということで、各係が陣頭指揮をして盛り上げようというものです。どんな係があるかというと、娯楽係、スポーツ係、農協、ミシン、映画、理髪・・・等があります。例えば、スポーツ係などは運動会を企画したり、娯楽係は誕生日会や、前回紹介した花見や雛祭り、子供の日などは娯楽係の企画でした。農協は、昭和基地内でも水耕栽培を行っているのでそれの管理、ミシン係は、破けた衣類の補修や、のれん等の催し物に使う小物の製作を行ったりしています。理髪係は、隊員の髪の毛をカットしてくれます。係の者は全員素人ですが、国内に居るときに「資生堂」に実際にカットの研修にいっているんですよ。そんな生活係の中でも、全員が所属している係が1つだけあります。『新聞係』です。越冬隊の恒例と言われた、新聞。越冬期間中は、毎日発行されます。28名で廻すので、必ず1回/月は回って来ます。今の所、欠日はありません。新聞発行日の前日が新聞記者で、ネタ集めを行います。その日に起こった出来事でも良いし、国内のことでも良いし、ネタは何でも良いと言われても・・・・そして、新聞を書いたら、管理棟の階段のところに貼り出します。拡大してみると、こんな感じで貼り出しています。食堂には、過去の隊の新聞があります。我々は、この過去の新聞で、この時期どんなことをやっていたのか、また、どんな風にやっていたのか、どんな問題が発生して対処したのか 等々色々書かれている、越冬のタイムカプセルを調べたりしています。中には下記のように13次隊の物も。この時代は今と違って「ガリバン」の時代ですよね。きっと新聞発行作業も一日がかりだった事でしょう。そんな新聞を、越冬の期間2月1日~翌年の1月31日までなので、365号までの発行となります。実は本日、265号の発行だったので、残りの越冬期間がついに100日を切った事となります。52次の出発までもちょうど1ヶ月だし。そろそろ我々の越冬生活もカウントダウンが始まりました。
October 24, 2010
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こんにちは。先週、福島 伸隊員の慰霊祭が行われました。福島隊員は第4次南極観測隊でした。当時は、犬橇だったので、昭和基地にも犬がいて、その犬たちの世話を福島隊員がしていたとの事です。1960年10月10日吹雪の中、犬の世話をしに外へ出て急に視界がなくなるぐらい天候が悪化し、方向を見失って遭難してしまいました。遺体は8年後の1968年2月9日、昭和基地から約4km離れた西オングル島で発見され、そこで荼毘に付されました。下の写真は西オングル島の遺体が発見された場所にあるケルンです。遺体が発見された場所以外にも、日本の南極観測隊の唯一の犠牲者である、福島隊員の事故を後世に伝える為、今では、昭和基地側でも最後に姿が確認された場所にケルンが建っており、南極の史跡に指定されています。また、基地側のケルンは越冬成立式のあと、今後の越冬生活が無事に過ごせるよう毎年慰霊祭を行っています。(我々も2月に行いました) 南極での生活もあと4ヶ月。最後まで、無事に越冬生活が終われるように祈りました。
October 17, 2010
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こんにちは。ここ数日、5:30頃に一度目が覚めてしまいます。朝日が眩しくて起きてしまうようです。(決して歳ではありません)ブラインドをしているのに、眩しさを感じます。また、日の出も日々早くなって、明日(11日)は4:30だそうです。先日、ラングホブデに「ざくろ池」と言うところがあり、そこに日帰りで行ってきました。この「ざくろ池」は、池なんですが、淡水ではなく、塩水なんです。それも、塩分濃度が18%~20%もある池なんです。海水の塩分濃度は、約3%程と言われており、イスラエルにある死海に於いては約30%と言われています。ですので、どれだけ「ざくろ池」が塩分濃度が高い池だかおわかりになるかと思います。さて、その池に何しに行ったかと言うと『塩分濃度の高い水を汲みに』行きました。このような感じで、池の真ん中に穴を開けて、水を汲み出して持ち帰りました。持ち方水の量は18リットルのポリタン12本分になりました。この汲んだ水を何に使ったかは、帰国してからのお楽しみです。しかし、18リットルのポリタンを担いで、雪上車まで(約500m)運ぶのは(3往復)は、良い運動になりました。その後、前回ご紹介した「ハムナ氷瀑」と同じように、大陸から雪・氷が押し出されているところに行ってきました。白と青の世界ですが、凄い綺麗な景色でした。自然のすばらしさを感じるところでもありました。
October 10, 2010
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こんにちは。昭和基地では、インターネットが使えます。(南極でもインターネットが可能)インターネットが使えるから、このようにブログが出来たり、メールが出来たりするんですね。下の写真は、海氷から基地を撮った写真ですが、左に黒い球形の建物が2つありますが、一番左の球形の建物にアンテナが入っています。近くに寄ると、このような建物です。アンテナといっても、ものすごく大きなパラボラアンテナで、このアンテナを中継してインターネットや電話、メールが出来ます。これが、中に入っているパラボラアンテナです。すごく大きなアンテナで、現在は黒い膜で被服せれているので、建物の中に入らないとアンテナはみることは出来ません。我々は、このアンテナをインテルと言っています。(パソコンのインテルと同会社です)このアンテナで、インテル衛星(インテルサット)を経由して通信が出来ています。この施設は今から6年前の45次隊で作られた施設です。ですので、それ以前は、インターネットは南極では出来ませんでした。このアンテナが出来る前はインマルサット経由だったので、電話代も結構高かったと聞いています。(当然、インターネット・メールは出来ませんでした)このアンテナがもたらした影響は、昭和基地での生活を一変させた事と思います。今では、昭和基地から立川の極地研究所は内線電話で掛けられ、我々が家族に電話するときも、立川から自宅までの電話代で電話が可能になりました。また、リアルタイムでのTV会議も可能で、毎年、色々な学校(主に小学校)とこの衛星回線を使って、約1時間の南極授業を年間30本ぐらい行います。ちなみに、私も息子の小学校と行いました。生の映像や音が伝わって来るだけでも、感動だったと思います。
October 4, 2010
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こんにちは。先週一週間、ブログを書けずに申し訳ありませんでした。21日に無事、「みずほ基地」旅行隊が出発しました。12月に行われるドーム基地旅行の為の準備の為、(燃料を先に置いておく)「みずほ基地」旅行があります。「みずほ基地」は現在、地上(雪上)にはありません。大陸の雪面の上に建設しているので、自重で沈下して雪の中にあります。旅行隊が、次に昭和基地に戻ってくる予定は10月7日です。 私の担当であった「橇の整備」も間に合って良かったです。後は、 旅行隊が無事に戻って来て、橇が壊れていないことを祈っています。 上の写真が出発風景です。SM100と言う雪上車で内陸旅行用の雪上車です。室内はこのようになっています。右が運転席で、左が助手席になっており、両席からGPSが確認モニターがあります。意外とシンプルですよね。後方はこんな感じです。二段ベットなんですが、天井との隙間が30cmぐらいで狭いので、上の段は使っていないようです。床に寝るようです。就寝するときは、事故防止のため、エンジンは切ります。と言うことは、暖房は止まります。すごく寒くなるのですが、寝袋はダブルシュラフなので、顔以外は暖かいです。私も、S16に行った時は、この雪上車の中で、ご飯を食べ、寝ました。ベットの反対側は、物入れになっています。橇整備が終わった後、雪上車内の内装を少し工事していました。何十日間も旅行隊はこの社内で生活をします。ですので、社内は結構な荷物が入るので、木枠を作って、荷物が下に落ちないようにしたり、崩れた荷物が、ベットに来ないように衝立(ついたて)を取り付けたり、物入れの荷物が飛び出さないようにしたりしました。移動中、荷物が車内を動き回っていたら大変ですものね。少しでも、役にたてばと思っています。
September 26, 2010
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こんにちは。9月に入り、我々の生活は、夏日課に変更されました。仕事始まりが1時間早く、8:00からで土曜日が隔週での休みになりました。2月に南極を離れるまで、この夏日課での生活になります。さて、そんな生活を送っている昭和基地ですが、隊員達の部屋を紹介します。我々、越冬隊には個人の部屋があります。その部屋は居住棟と言う建物にあります。こちらが居住棟です。居住棟は第1居住棟(1996年 37次隊建設)と第2居住棟(1997年 38次隊建設)の2棟あります。それぞれが約20部屋/棟ずつあるので、約40部屋あることとなります。越冬隊員は28名なのに「何で約40部屋」あるのかと言うと、今から、3次隊前の48次隊まで、越冬は約40名で行っていました。現在の、28名体制になったのは、49次隊からだったのです。居住棟の外壁は、【チタン】を使っています。南極の自然環境は厳しいものです。どんな飛散物が飛んで来るか解りません。ブリザード時の雪は凶器のように、打ちつけます。(素肌部分は非常に痛いです)建物の外壁は常にそのような環境にさらされているので、隊員達の大切な命を守るスペースは強固で軽い【チタン】で覆われています。また、両建物とも木質パネル構法で建てられており、6面体でしっかりしており、どんな風が吹いても、びくともしていません。第2居住棟の構造体(パネル)を構成している木材は、檜を使っています。やはり、ナショナルチームの建物なので国産材を使おうと言うことで、使った記憶があります。さて、実際我々が生活している部屋です。まず、廊下から見た部屋の入り口。部屋の入り口には、暖簾代わりに、出身企業の社旗を掲げている隊員が多いです。そして部屋の中はこんな様子です。左側にベットがあります。部屋の大きさは3m×2.5m程で4畳半ぐらいの大きさです。また、温水の床暖房が完備されており、各部屋に配置されているコントローラーで、室温を好みの温度に調整することが可能になっているので、かなり快適な部屋(空間)になっています。また、南極は湿度がほとんどありません。ですので、鉄骨で建てた建物は静電気がすごく、気を付けないと、電化製品も壊れてしまうことも多々あります。しかし、木造で作ってある居住棟は静電気はありません。部屋には、日本を出発するときに色々な方から頂いた応援メッセージの寄せ書きが飾ってあります。写真でも解るように、室内には木材が見えています。樹木がなく、雪と氷または岩盤の風景の南極では、この木材が結構『癒し』になっています。
September 12, 2010
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こんにちは。ここ連日、「橇」の整備に追われている毎日です。また、ブリザードもよく来ており、最近のブリザードは雪が多いのが特徴のようです。みんなが一生懸命除雪しても、アッという間に雪が積もってしまいます。私の職場の一つである「木工所」もご覧のように、入り口が開かなくなってしまいました。 木工所は出入り口が2カ所あります。反対側も こんな感じで雪が積もってしまいました。仕事をする為、室内に入らなければならないので、何とか雪かきして室内に入りました。(上の写真の手前に写っている部材はM-WOODの暴露試験です。極寒と国内の10倍以上の紫外線量に耐えています。が、ついに雪に埋もれてしまいました) 室内から見るとこんな感じです。南極建物のドアは、基本的に内開き(室内側に開く)に設計します。それは、写真でもお解りのように、ドアが外に開いたら、雪が邪魔してドアが開かなくなります。南極は、天候が急変することがあり、室内にいて、いざ帰ろうと思ったら、ドアが開かないと言うことになりかねません。デメリットもあります。ドアは内開きなので、室内側に取り付いています。そうすると、風でドアが押されて、隙間から雪が入って来る事が多々あります。ドアの周りには、ゴムのパッキン(黒い部分)を付いていて、このパッキンがつぶれて、風や雪が室内に入らないようにしているのですが、寒さでゴムが硬化してしまっているようです。(ゴムだけ取り替えられればいいのですが・・・・) 南極の建物のドアはドアノブがありません。風が強いので、上下2カ所で下写真の金物でしっかり固定して開かないようになってます。 この南極の雪、ものすごく「サラサラ」のパウダースノーなんです。ですから、雪が固まらないので、「雪だるま」や雪合戦用の「雪玉」を作ることが出来ません。 しかし、ブリザードで積もった雪は、風で圧雪されるので、ものすごく固くなります。 スコップの刃がたたない時もあるぐらいで、雪かきと行っても、雪を割って雪の固まりをどかすと言うイメージです。かなりの重労働です。 最近の昭和基地です。ブリザード後ですが、この青い建物は倉庫棟と言い、約10mぐらいの高さがあります。屋根からの大きな「滑り台」の出来上がりです。今年はそうでもないようですが、去年はこの青い建物の屋根からさらに2m程雪が積もったようです。 これは、当然、重機を使って除雪します。
September 5, 2010
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こんにちは。極夜が明けたこの時期から、基地の外 野外での活動が活発になって来てます。野外活動の一番大きな活動は、12月に行われる「ドーム富士」基地への遠征です。「ドーム富士」基地で掘った氷のコアを持ち帰ってくるミッションです。 「ドーム富士」基地は昭和基地から大陸内部へ約1000kmの所にあり、往復で約60日掛かります。すべての荷物を、いっぺんに昭和基地から「ドーム富士」基地に持って行くのは大変であり、ものすごい物資量になるので、 「ドーム富士」基地への遠征のため、先行して、燃料等を先に「みずほ」基地に上げて置く遠征(旅行)があります。「みずほ」基地は「ドーム富士」基地へ行く途中にある基地で、現在は無人基地です。「みずほ」基地は往復で30日ぐらいで行って帰ってこれます。両遠征(旅行)とも当然、雪上車で行くのだが、雪上車の後ろには、『橇(そり)』を引いて行きます。この『橇』には、雪上車の燃料や食料を積みます。 この『橇』は現在S16と言うポイントにあり、雪面に埋まっているので、これを掘り出して昭和基地まで持ち帰って来ることを、今月は2回行いました。現在は、この持ち帰った『橇』を1基ずつ整備しています。 『橇』を整備所(作業工作棟)に入れている所です。 この『橇』を整備するのですが、部品を1本1本確認し、折れてたり、割れていれば交換し、溶接が切れていれば、溶接をし直し、全ビスやボルトのゆるみ増し締めをして、1基整備するのに1日~1日半掛かってしまいます。今、僕と一緒に『橇』の整備をしている車両担当者です。 裏側も当然整備します。 『橇』は約30~35基整備することとなります。 写真でもわかるように、一応は室内ですが、そこら中凍っています。(風が防げるだけでもラッキーです)暖房機器はジェットヒーターぐらいです。-30℃の環境では、ジェットヒーターの熱量では雪なんかは全然溶けません。木材を扱っているときは問題ないのですが、鉄や、工具を扱っていると、熱を奪われて、ものすごく指先が痛くなり、急いでジェットヒーターに指先を温めに行きます。手袋は2重にしてます。 遠征(旅行)中、『橇』が壊れてしまうと、燃料とか食料が運べない事を意味し、遠征(旅行)の安全・ミッションの成功に関わる事なので、しっかり整備を行ってます。
August 29, 2010
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こんにちは。また、明日から再度S16に行ってきて【橇】の掘り出し及び昭和基地での整備の為、引き上げを2泊3日の日程で行ってきます。 先週は、ラングホブデの袋浦という所に行ってきました。昭和基地より南へ約2時間30分ぐらいの所です。元々は、観測、観測小屋補修、ルート工作をかねて4泊5日の予定でしたが、先週はあいにくのブリザードだったため、急遽日帰りに変更になりました。 日帰りまでして行かなければならなかった理由としては、ここ、袋浦には2棟の観測小屋があり、その2棟の小屋の扉が破損していて補修をしなければなりませんでした。 この小屋はブリザードでドアが飛ばされていました。 この観測小屋はドアは飛ばされていませんでした。この建物は、ドアの蝶板を取り替えれば補修完了でした。 完成後の記念写真です。後は残るは赤い方の観測小屋(別名:アップルハウス)のドアです。実は、我々が行く1週間前にここに来た、パーティーがドアを昭和基地まで持って帰って来てくれたので、段取りだけはすることが出来てました。曲面でのドアの取り付け及び補修なので、少し手間取りました。 何とか完成です。 ちなみに、この近くにはペンギンのルッカリー(巣)があるそうで、その時に、52次の夏の調査で使うそうです。 一緒に行ったみんなが協力してくれたので、早く終わったので、午後からは、近くの『ハムナ氷瀑』に行ってきました。 海氷から『ハムナ氷瀑』を眺めてます。ここは大陸から、氷山が流れ出ています。右側の山に登って見た写真が、 写真の真ん中よりやや左側の、2つの点が雪上車なので、『氷瀑』 の大きさがわかるのではないでしょうか?
August 24, 2010
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こんにちは。前々回、S16のご紹介をしました。今回はその続きです。(今更と思われる方もいらしゃるかと思いますが・・・)S16に行った目的は、「内陸へ行く為の橇の回収」と言うことはご紹介しました。現在は、その回収してきた橇の整備に追われる毎日です。その話は、後日ご紹介します。S16は、ここ昭和基地より標高が600m程上にあり、周りは何もない「雪原」です。ここで、オーロラが出ました。それも、一番激しいオーロラが! とにかく、空一面(天空360度)オーロラでした。いったい、どこ見たらいいのやらと思える程のオ-ロラでした。 でも、寒かった。その寒さも忘れて必死に、空を見上げていました。 上の写真は、オーロラの上の星の帯が「天の川」です。わかりますか? これならわかりますか?写真の中央部の星の集まりが、「天の川」です。ここには、日本では見ることの出来ない、南十字星もばっちりと見ることが出来ます。 前にも一度、ブログでオーロラをご紹介したとき、あまり感動しなかったと記載しましたが、今回は、超~感動です。だって、空一面オーロラで、一方ではオーロラが色々な色を奏でながら、カーテンのようにユラユラとしてるのかた思えば、反対側では、激しく渦巻いているんです。マイナス40℃を超える外気温でも、この美しさ(すばらしさ)を見ていたら、寒さなんか忘れました。
August 22, 2010
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こんにちは。現在(8/15 22:00)昭和基地の外は猛吹雪です。久しぶりのブリザードになりそうです。先日、レア物の自然現象が出現しました。サンピラー(太陽柱タイヨウチュウ)が出現しました。 サンピラーとは、日の出または日没時に太陽から地平線に対して垂直な方向へ焔のような形の光芒が見られる自然現象です。雲の中に六角板状の氷晶があり、この氷晶は地面に対してほぼ水平に浮遊しながら、落下するそうです。水平に浮遊している、板状の氷晶の表面が太陽からの光を反射し、太陽の虚像として見えるのが太陽柱であるそうです。サンピラー(太陽柱)の中心は太陽と地平線をはさんで対称な位置、つまり地平線下にあり、氷晶の水平からのずれのためにその上下に広がって見えている。 要は、太陽の光が垂直方向に延びて見える現象の事です。このあと、太陽が昇ってきて、ローソクの火のようになって来ました。 サンピラーは太陽が起こす自然現象で、日本でもたまに見えるようです。また、サンピラーと同じ現象でライトピラーがあります。昭和基地に出来た、ライトピラーです。 これ以外にも、月柱もあるらしいです。
August 15, 2010
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こんにちは。南極では、着実に太陽が出ている時間が長くなって来ており、現在は、日の出が9:00、日の入りが16:00頃になって来てます。いよいよ野外(基地の外)での活動が本格化してきます。そんな中、先週 51次隊 第1発目で、S16-S17拠点に1泊で行ってきました。 (参加人数は7人でした) 目的は、10月に『みずほ基地』、12月に『ドーム富士基地』と大きな内陸旅行があるため、それに向けた準備で橇と雪上車を回収し、昭和基地で整備する為です。 南極には町名は無いので、S16とかS17と拠点名で読んでます。この拠点は座標(緯度、経度)で管理されていて、過去からずっと一緒で、変わることがありません。前回、紹介したルート工作時に500m於きに赤旗を立てたポイントです。 今回は、4台の雪上車に分乗して、南極大陸の上陸ポイントである【とっつき岬】に向かって、海氷上を走っていきます。 夕日に見えますが、朝9:00の南極の朝日(日の出)です。 ここが上陸ポイントの【とっつき岬】です。 雪上車が止まっているところは、海氷上ですが、その先の小高い丘のようになってるところが南極大陸です。ここ【とっつき岬】は昭和基地から雪上車で1時間半ほど海氷上を走ってきます。昭和基地周辺では大陸内部に入る上陸ポイントとしては【とっつき岬】しかないようです。この上陸ポイントは1次隊が見つけたらしいのですが、当時は雪上車などなく、犬橇だったのでまさしく冒険だったのではないでしょうか。【とっつき岬】にある内陸旅行用のSM100という雪上車です。 帰りに整備の為、乗って帰りました。 このSM100は内陸旅行用なので、中にはベットなどがあります。海氷上は氷山とかあり、景色に変化があって飽きませんが、 大陸に上陸してからは「白一面の世界」。ひたすら、目的地であるS16のポイントに向かいます。 S16に到着です。(下写真) S16は内陸に行くための拠点なので、色々なものが置いてあります。ここ(上写真)に、橇とかが雪の中にあるので掘り出し、昭和基地に持って行き、整備して、これから行われる内陸旅行に備えます。 ここ(S16)で一泊しました。寝たのはSM100です。夕食は、調理隊員が野外活動用にレイションを作ってくれてます。レイションとは、一度調理したものを真空パックにして、冷凍したもので、野外ではお湯で暖めれば食べる事が出来るものです。ポテトサラダを真空パックしている所です。 そして夕食は、こんな感じのものを、野外では食べています。ちなみに食べたお皿は、食後のお湯(お茶)を入れ、ティッシュで拭いて終わりです。そして、一泊して、翌日掘り出した橇と共に、基地に帰ります。掘り出した橇です。風が吹いている様子解りますか? 帰りは、乗ってきた雪上車 4台の内3台に橇を連結し、それ以外に、【とっつき岬】の雪上車SM100を3台 昭和基地に戻して整備します。橇を連結しています。 大陸から海氷に出るときは、下り坂で、橇にはブレーキがないので、追突してしまいますから、橇を後ろと前で雪上車で挟んで後ろの雪上車が橇にテンションを掛けながら下り坂をおりてきます。S16は昭和基地より標高が約600m弱高く、常に10m/S以上の風が吹いており、風を遮るものは何もありません。昭和基地が-30℃ぐらいの気温だったので、S16は-40℃ぐらいだったと思います。外に30分もいると「まつげ」まで凍っています。「まつげ」が凍るので、まばたきをすると上まぶたと下まぶたがくっつき、目が開きづらくなりました。 また、自分が吐く息まで凍ってしまいます。ちなみに右ほほの白いところは軽い凍傷でした。
August 8, 2010
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こんにちは。愛煙家の方にはかわいそうですが、国内では、「たばこ」を吸える所がなくなってきていますね。ここ、南極の昭和基地でも同じです。 先日基地内に、喫煙室を作りました。今後、基地主要部内では全室(館)禁煙で、バーや設営事務室も禁煙になり、「たばこ」を吸える場所は、ここ喫煙室だけになってしまいます。製作の様子です。 本当は、パネルで作りたかったのですが、既存の建物内に作ったので、どのくらい高さや大きさ取れるかが解らず、南極に来てから組立て場所を見ながら、図面を書き直して、柱・梁1本1本 部材加工して組立てをしなければなりませんでした。 喫煙所の場所は、倉庫棟の2階。我々設営系の事務所がある前に作りました。大きさは:幅:1.82m×奥行:3.185m×高さ:2.2mの畳3枚半ぐらいの大きさです。越冬隊の建築は一人なので、一人で作らなければなりません。 構造体が仕上がりました。今回喫煙室を作るにあたり、今までの昭和基地に無い空間を作ってみようと思い、畳の部屋を作りました。(奥の小上がり部)日本の基地なのに畳の部屋が無いって以外でしょ。ドアを取り付けて 畳では無いところはフローリングにしました。(上写真)また、壁と天井は、もし火災になっても、すぐに燃え広がらないように石膏ボードという防火材の壁にしています。 その石膏ボードの上に、壁の仕上げをしています。 実はこの貼っている仕上げ材、壁用でなく、床の仕上げ材です。 (下写真)本来、壁はクロスという壁の仕上げ材を使います。私も用意して南極に持って来たのですが、いざ使用しようと思い開けて見ると、糊が乾燥していて、使えない状態になっていました。南極の乾燥にやられてしまったようです。霧吹きで水を掛けたりして、復元を願ったのですが・・・ そんな、こんなで出来上がった喫煙室の内部です。51次隊で作った事が解るように、壁には「51」のロゴを作りました。 私は、南極に来るにあたり、「たばこ」を止めました。禁煙して既に10ヶ月が経ちました。「たばこ」を買って南極に持って来てないし、当然どこにも売っていないので今後も吸うことは無いと思います。ということは、喫煙室を作っても、私は使うことがありません。
August 1, 2010
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こんにちは先日久しぶりに、野外(基地の外)に出ました。太陽が出てきて、本格的な野外観測が始まってくるので、海氷のルート工作とルートの確認を行って来ました。 雪上車がいるところは海の上です。雪上車の後ろの小高い所が 『南極大陸』 になります。ルート工作とは、”道作り”みたいなもので、ルートの安全確認を行いながら、500m毎に赤旗(目標物)を立てて行き、GPSにメモリーして行きます。 海氷上は何も目標物がないので、次回からはこの赤旗とGPSを頼りに行動する事となります。もし、ここで何かあったら、前回ご紹介した「レスキューの訓練」が大変役に立ちます。ルートは方面毎に何本も作るのですが、今回は基地の南側にラングホブデという所があり、そこまでのルート工作でした。 左側の岩山が、ラングホブデの「長頭山」と言う山です。この日は冷え込んでいたので、蜃気楼も見えていました。空のオレンジ色の境界部の影みたいなのが蜃気楼 蜃気楼解りますか?最近よく出現してます。海氷上の氷山の風景です。国内は、連日 30度を超える猛暑らしいですね。南極でも、連日30度を超えています。プラスとマイナスの違いはありますが。 この写真で、ほんの少しは涼んで頂ければと思います。 少しは、涼めましたか? 帰りは、すっかり夕焼けになってしまいました。と言っても、まだ、14:00ごろですが・・・ すごく幻想的な風景でした。これも南極ならではなのかな?
July 28, 2010
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こんにちは。太陽が戻って来て、基地の外(野外)での活動も本格化してきます。主に、観測、調査がメインです。当然、基地の外に出て行くとなると、事故に遭う可能性もあります。その時の為に、過去3回、レスキューの訓練を行って来ました。1回目は管理棟の3階から懸垂下降を行ったりしました。これは、クレバスに落ちた仲間を助けに行くためです。 基本のロープの結び方の講習もあります。会社関係の餞別で頂いた「ロープの結び方」の本大変役立っています。 (E-F,22-23) 2回目は、自分で脱出するやり方とか傷病者の引き上げとかの講習でした。(F-G,25-26)傷病者の引き上げとなると、助けに行った者と2人分を引き上げるので、滑車を使って、力を分散して引き上げます。 (F-G,25-26)そして、この間、第3回目のレスキュー訓練がありました。3回目は想定訓練で、今までの総合的な訓練です。事故発生から、レスキュー装備は何を使い、どうやって救助するのかレスキュー計画の立案して、実際にレスキューするまでが訓練でした。 実際のレスキュー計画の立案風景です。みんなまじめです。 (管理棟 食堂)実際に外で、要救助者を引き上げるシステムを作っている所です。ちなみにこの日は-30℃でした。 (D-E,25-26) このレスキュー訓練のほか、南極では、ビルとかの目標物はありません。あるのは、緯度・経度の情報だけです。ですので、 自分がどこにいるか解らなくなってしまった時(ロストポジション)の為の、コンパスの使い方や地形図の読み方の訓練(実践)をする野外安全行動訓練や 海氷上での安全行動訓練を行ってきました。 私は、レスキューメンバーに選ばれているので、まじめに取り組んでいるのですが、中々装備と名称が一致しなくて・・・ これらの、訓練は越冬生活に入ってから行います。仕事以外のも、このような訓練も行っています。
July 18, 2010
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こんにちは。昨日(13日)、43日ぶりに太陽が南極に戻って来ました。今年の「極夜」も終わりました。あれ? もう終わっちゃたの?と言う気分ですが「極夜」終わりました。南極観測隊にとっては、初日の出(?)になります。これからは、日に日に陽が長くなり、52次隊が来る頃は、太陽が沈まない「白夜」になります。 昨日は、昼食に赤飯も出ました。実は、1日前の12日にも太陽が出ました。 実は、この太陽、本物の太陽ではなく、蜃気楼の太陽なんだそうです。地平線(水平線)のすぐ下に太陽がいるので、光の屈折で見えるのだそうです。本物の太陽(13日の太陽)はこちらです。 この時期の、「日の出」は12時(昼食時)頃です。全然太陽の輝きが違いますね。初日の太陽は、約40分後には沈んでしまいました。でも、 太陽が出て、実際に陽を浴びると、すごく元気になった気分になりました。何かうまく表現出来ないのですが、「気分が晴れる」と言うか、「元気が出る」と言うか、「気分がスカッとする」と言うかそんな気分です。国内に居ると太陽が出るのが当たり前と思っていて、「太陽のすごさ」や「ありがたみ」が解りませんでしたし、ましてや、太陽が出ないなんて考えもしませんでした。南極に来て、太陽の偉大さに触れ、実感しました。「太陽は精神的、健康的の源だ」と。 初日の出をバックに最近の基地風景です。
July 14, 2010
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こんにちは。昨日、第22回参議院議員選挙の期日前投票をここ南極 昭和基地で行いました。南極からでも、国民の義務は果たせるんですね。みなさんも選挙行きましょうね! 南極から選挙の投票が行われたのは、今回を入れて2回目。前回の衆議院議員選挙と今回です。投票用紙は、この袋に入れて厳重に保管されて 国内から持って来ています。 そしてこれが投票用紙。国内と同じで、比例区と選挙区と2枚の投票用紙があります。 管理棟の階段には、各党の候補者一覧が貼り出されます。比例は党名ですが、選挙区候補者は、隊員の選挙区なので全国になるので大変です。投票はFAXによる投票です。国内側は、誰がどこ(誰)に入れたかわからないように、FAXにブラックカーボンが付いて出てくるようです。国内側は、南極より送られて来たブラックカーボン用紙付きの投票用紙を、事務処理して、カーボンが付いたまま、投票箱にいれるとのこと。実際にFAX投票している所です。 南極からの選挙は、国内で手続きをして、「南極選挙人書」の交付を受ければ出来ます。「南極選挙人書」の交付を受けないと、投票用紙が発行されないので、南極からは投票ができません。これが、実際の「南極選挙人書」です。 このシステムは、もともと、遠洋航海している船関係者が行っていた方法を、南極でも出来るようになりました。南極から参加できる選挙は、国政選挙だけで、残念ながら、地方の選挙は出来ません。
July 8, 2010
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こんにちは。先週、露天風呂を行いました。一番 南の地での露天風呂。また1つ夢が叶い、感動でした。製作様子です。(D-E,25-26)雪に穴を掘って、そこに風呂を埋めました。風呂の周りには断熱材を敷き込み、漏水しても、周りの雪を溶かさないように、ブルーシートも敷きました。(D-E,25-26)漏水で雪が溶けてしまうと、落とし穴になってしまうので大変です。風呂の大きさは大人5人は余裕で入れる大きさです。 (D-E,25-26)設置終了。このあとは体裁良くします。上から見るとこんな感じです。(D-E,25-26) いよいよ入浴です。外気温度はマイナス25°お湯の温度はプラス41° 最高の瞬間です。目の前は 白い大陸「南極大陸」です 。絶好のロケーションでの露天風呂。ビールもうまい お風呂のお湯がさめないように、電熱ヒーター(100V)を2本風呂内に投入してます。シャンプーや座る椅子、たらいも用意してあります(上記写真右上) 上の写真は入浴してすぐの写真ですが、5分も入っていると 髪の毛が白くなります。実はこれ、髪の毛が凍っているのです。何で凍るかわかりますか?外気が寒いため、湯気が凍って、髪の毛とか髭が凍るんです。 この湯気のせいで、カメラのレンズも凍ってしまいます。やはり、風呂上がりは、バスローブと言うことで、バスローブを着て部屋に帰りました。 おまけの1枚 題して「大陸を望む」
July 3, 2010
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こんにちは。4日間続いたミッドウィンターフェスティバル(以下:MWF)も終了しました。南極最大のお祭り。確かに4日間お祭りをやっていたら、大きなお祭りだし、楽しかったですが、疲れました。 前回も書きましたが、それぞれの日にテーマがあり、そのテーマごとに競技だったり、出し物、クイズ・・・があり、採点をして総合順位を競いました。参加チームは4チーム。居住棟対抗の対抗戦でした。我らは第1居住棟1階チーム(1居1階)総合順位は3位でした。が、頑張った3位だったので悔いはありませんでした。2日目の「芸の日」には初のタップダンスを行いました。 チーム内でタップダンスをやっている人が1人だけいて、それ以外は素人。仕事が終わってから、夜な夜な練習しました。 また、「学ぶの日」ではチームワークが問われるクイズで盛り上がりました。 夕食は、シェフが2人いるので、2回のコース料理がありました。(前回ご紹介した料理の他に、もう1回コース料理がありました) それ以外では、仕事場単位での屋台を行いました。合計で4屋台。機械・建築で1つの屋台チームでした。それ以外のチームは管理棟チーム、観測チーム、気象チームがありました。 機械・建築チームは、屋台では焼きうどんを行い、その横で、空くじなしの千本引きを行いました。景品は、各企業から提供して頂いた(持って来た)ものを吊してあります。 空くじなしと言っても1本だけは、鍋が頭上に落ちて来るようにしてあります。鍋の中には景品が入っています。また、絵がうまい方が書いた、記念写真用のボードなども 出ました。思わず記念写真を1枚。 楽しかったMWFも、いよいよ最後のフィナーレ。フィナーレは屋外のステージで行いました。吹雪で屋外でオープニングが出来なかったプログラムの聖火リレーも28名全員で行い(つなぎ)ました。フィナーレ風景です。 最後は、51の大文字焼き、花火を打ち上げました。MWFも終わり、いよいよ後半戦スタートです。7月1日からは52次がスタート。あと半分です。
June 29, 2010
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こんにちは。21日から行っているミッドウィンターフェスティバル(以下MWF)も前半が終わりました。今回のMWFのテーマは『絆』 でした。4日間行われるMWFですが、それぞれの日のイベントが決まっています。20日前夜祭、オープニングセレモニー 21日は【遊】の日22日は【芸】の日23日は【学】の日24日は【絆】の日20日はあいにくの荒れ模様(吹雪)のため、外でのオープニングは出来ませんでしたが、管理棟の3階にある食堂でオープニングを行いました。その時のシャンパンタワーの様子です。そしておいしい料理の数々。もう少し料理はありました。初日からこれだとMWF中にどれだけ太ってしまうのだか心配です。よく21日も吹雪で外出禁止でした。この日は外で行う予定だったのですが、すべて室内に変更。昭和基地主要部は通路でつながっています。その通路を使ったボーリング大会を行いました。ビール瓶をピンにしていますし、レーンも坂です。また、玉もラグビーボールとかバレーボール、ソフトバレーボールなどが用意され、それぞれのボールによって点数が違います。それ以外にも室内で遊んだあと、夕食は、1回目のコース料理です。みんな正装をしての食事となりました。
June 25, 2010
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こんにちは。6月21日 日本では夏至を迎え、太陽がサンサンと降り注いでる事でしょう。 ここ、南極昭和基地は、日本とは反対の南半球にあるので、太陽が一番昇らない、冬至を迎えます。現在、南極では一日中太陽が出ない「極夜期」です。この時期は外作業もほとんど行えず、太陽も見るこ とができないため気分もめいってしまいます。そのような「極夜期」のめいった気分を吹き飛ばそうと、南極にある各国の基地では、冬至前後に「極夜を祝う祭り」 が開催されます。これが南極最大のイベント、『ミッドウィンターフェスティバル(極夜祭)』です。現在、各国から、グリーティングカードが届いてきており、きっと各基地ごとに盛大なお祭りが開催されていることでしょう。グリーティングカードの一部をご紹介します。South Pole(南極点)にあるアメリカのアムンゼン-スコット基地から 90の看板は南緯90°を表してます。 ロシア基地から中にはこんなグリーティングカードも ご紹介した以外にも、越冬をしている外国の基地からカードが届いてました。また、国内の各官庁、各企業からもお祝いの電報が届いていました。さて、昭和基地でも、『ミッドウィンターフェスティバル』の準備が整い、21日からお祭りが始まります。先週は、ほとんど、準備に追われていました。聖火台を作ったり、ステージを作ったり、はたまた、露天風呂を作ったりと・・・夜を徹しての会場(ステージ)作り。(冗談です)夜のようにみえますが、まだ、15:00ぐらいです 。型枠を作り、その中に雪を詰め込み、水を入れて、凍らせて聖火台を作りました。この後、足下にある単管を聖火台の周りに組んで、風に飛ばされないように しました。聖火台が出来上がり、試験で聖火を付けて見ました。 南極の雪は水分が少なくて、固まりません。(雪だるまも作れませんし、雪合戦用の雪玉も握れません)ですので、水を雪に含ませて凍らせます。露天風呂の設置です。雪に穴を掘って、木製のお風呂を埋めました。 南極で入る露天風呂。大陸を望みながらの風呂。きっと最高だと思います。 ミッドウィンターフェスティバルの様子はまた書きます。
June 20, 2010
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こんにちは。突然ですが、これ 何だかわかりますか (C-D,17)今回は、気象観測のお手伝いをさせて頂きました。 この、風船みたいな物の正体は、GPSゾンデと言う、気象の風船です。高層の気象を見るための物です。 結構、大きな風船です。左手で持っている白い箱にGPSの他、観測機器が入っており、30~40km上空まで、この風船は上がります。 この風船の素材は、天然ゴムで出来ていて、風船がどこに落ちるか解らないので、自然に帰るものにしているようです。でも、ほとんどが海に落ちるらしいです。風船を膨らませているガスは、ヘリウムです。風船の膨らみの基準も当然あり、大きさではなく浮力が基準です。(C-D、17)(放球棟)風船の口(ヘリウムを注入するところ)に重りが付いていて(銀色の丸い部分)これが上がったら風船準備OKとの事です。この風船を上空に放す事を、「放球」と言います。と、言うことで、『いざ、放球』(C-D、17)(放球棟)この『放球』 南極だけでなく、国内16カ所及び、世界 約900カ所で毎日、同時間に行われています。 南極では2:30と14:30です。外は薄暗いですが、写真の時間は14:30です この「風船」で、上空の気温、湿度、風速、風向、気圧・・・等を高度ごとに見ており、 得られたデータは天気予報や気候変動・地球環境の監視に役立っています。気象は1次隊から今まで50年間のデータの積み重ねをしています。どんなに吹雪いてる時でも、風船を上げ続けなければなりませんし、データの継続もストップしてしまいます。本当大変です。 「継続は力なり」こういう努力が、世界に先駆けて「オゾンホールの発見」につながったんでしょう。 隊員達は、気象隊員の立ち会いの下、この風船を上げる事が出来ます。みんな、何かの記念日に「記念放球」と称して上げています。ちなみに今回私は、妻の誕生日だったので、「Happy Birthday放球」を行いました。 放球証明書も発行されるんですよ。
June 13, 2010
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こんにちは。先日、何十年ぶりに『シャボン玉』で遊びました。色々、遊び道具は持って来たのですが、中々やれる時間がなく、今に至っています。他には、ゲイラカイト、羽子板、フリスビー、書道道具、地球ごま、・・・・等 色々持って来たので、これから時間を見つけておこなって行きます。そんな遊び道具の中で目を奪われたのが『シャボン玉』。さて、突然ですが、マイナス25℃の中で『シャボン玉』はどうなるでしょうかマイナス25℃の寒さは前回ご紹介した通りです。実際に『シャボン玉』で遊んで見ました。(E-F,21-22) 意外と、夢中になるんですよね。最初は寒さで、『シャボン玉』が出来ずに、苦労しました。シャンプーを使ったり、洗剤を使ったり、石鹸水を使ったりと。原液でやってみたり、50%水を入れてみたり、濃度も関係あるみたいです。 結局、洗剤を20~30%水に薄めて作りました。 (E-F,21-22) 空中で『シャボン玉』を2つ付けても、割れません。地面に落ちても(E-F,21-22) 割れません。もう、答えは解りましたね。マイナス25℃の環境下では、『シャボン玉』は凍ってしまいます。凍った『シャボン玉』をつっついて壊すと、確かに凍っています。 (E-F,21-22) 何か、卵の抜け殻みたいですね。余談ですが、『シャボン玉』の他にも、『シャボン玉』の素液も凍りますのでスピード勝負の遊びであることを付け加えときます。
June 6, 2010
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こんにちは。よく、メールで寒いけどガンバッテ下さい。と励ましのメールを頂きます。小生のブログにも、「マイナス20℃」 とか 「マイナス何℃」とよく書きますが、 最近の昭和基地の気温は、大体 マイナス25℃ぐらいです。実際にどのくらい寒いかを写真に撮ってみました。 気温としては、家庭用の冷凍庫の温度がマイナス18℃~20℃らしいので、そこより少し寒い気温です。 マイナス25℃の環境下で作業を約2~3時間おこなっていると、 このように、吐いた息が凍ってしまいます。また、体から出た水蒸気も凍ります。耐寒用の洋服を着ているので、作業をすると汗をかきます。 汗でインナーが凍ってしまったら大変ですから、インナーは速乾性の物を着ています。 “まつげ” も凍ります。“まつげ” が凍ると結構 冷たいんです。 また、肌の露出部分は凍傷になる確率が高くなります。 当然 “ひげ” も凍ります。 気温はマイナス25℃でも、風が吹くと体感温度は風1m吹く毎に1℃下がるので、 10m吹くと体感温度はマイナス35℃にもなります。南極では極夜明けの8月、9月が一番寒さがきつい時だそうです。昭和基地では1982年9月に最低気温:マイナス45.3℃を記録してます。今年は何℃まで下がる事やら・・・
June 2, 2010
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こんにちは。南極は、緯度の関係で、太陽が沈まない『白夜』と、太陽が昇らない『極夜』があります。『白夜』は12月、1月に起こり、『極夜』は6月、7月に起こります。まさしく、本日(5月29日)が最後の太陽の見納めでした。本日の日の出:11:54日の入:12:44 でした。 明日からは「極夜期」に突入です。 この太陽が本日一番昇っている(最高点に達している)頃です。撮影時間は、12時15分頃です。何か夕焼けを撮っているようですが、日の出を撮っています。 この時期だと、太陽は水平線から、完全に顔を出さなくなり、半分ぐらいしか出さなくなります。明日からは、顔さえ出さなくなります。 太陽が出ないからと言っても、すぐに真っ暗になるわけではなく、当初は水平線が朝焼け(夕焼け)みたいに見え、多少は明るい事でしょう。でも、徐々に暗くなるんですよね。本日の太陽鑑賞の反対側では月が綺麗に出ていました。次に太陽と会えるのは、7月13日です。7月13日の日の出:12:06日の入:12:49 です。今度は『白夜』に向かって行きます。
May 30, 2010
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こんにちは。先日、風呂のドアの交換を行いました。そもそも、我々が入っているお風呂とは・・・ こんな感じのお風呂です。お風呂は新発電棟の2階にあります。(E-F、23-24) シャワーが3つで、お風呂の大きさは、肩を寄せ合って3人は入れます。お風呂の水は循環式になっており、その循環で風呂水の汚れをとっているとのこと。循環行程で、紫外線殺菌とか色々しているようです。だから、水替えは1ヶ月位の頻度で良いとの事でした。このお風呂のドアを先日付け替えました。 今までのドアはこんな感じでした。このドアは、新発電棟(24次隊 1982年)を建設した当時のドアです。実はこのドア、“木材” で作られています。表面もラッピングされてません。常に水が掛かるお風呂で、28年間腐りませんでした。腐食菌が寒さの為にいないと言う理由と、乾燥しすぎている事が腐らない理由だと思います。 このドア、特に壊れていたわけではありませんが、換気ガラリがあって寒いとか、ドアが重いとかあって取り替えました。 今回も前回と同じように木材のドアです。 風呂側から見ると こんな感じです。結構室内の壁とあっていますよね。このドアにも換気を取る隙間がドア上部に空いてます。本来ですと、この隙間、ドアの下にあるものですが、また寒いと言われるので上部にしました。 ドアを上下変えた為、ノブを上げないとドアが開かなくなるので、ラッチ部とかノブ部を少し改良してノブを下げてドアが開くようにしました。
May 24, 2010
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こんにちは。この週末はブリザードが襲来していました。たぶんA級だと思います。(違ってたらごめんなさい)前回もA級ブリザードが襲来して来ましたが、そのときは、47時間(約2日間)吹き荒れて行き、最大瞬間風速は41.5m/S最大風速は32.1m/Sでした。どのくらいの風かと言うと、この荷物1個 約450kgあります。 手前は6個あるので、2700kg。この荷物が動いてしまうぐらい、凄い風の力です。本来なら、荷物の下の木材の上に荷物が乗っているはずが、風の力でずれてしまいました。当然、人間は立っていることさえできません。また、試験用の太陽光パネルもボルトで4カ所止めていましたが、ご覧の通り、2枚飛ばされてしまいました。飛ばされた太陽光パネルは近くにあったので回収しましたが、 ご覧の通りボルト部分が抜けていました。過去に昭和基地で観測された最大瞬間風速は第1位 61.2m/s(1996年)第2位 59.2m/s(1975年)第3位 57.9m/s(2002年) 最大風速 第1位 47.4m/s(2009年)第2位 47.2m/s(1975年)第3位 46.4m/s(1998年)だそうです。南極にいると、自然の力が身近に感じます。
May 16, 2010
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こんにちは。ついに、本日5月13日で南極上陸から南極生活半年を迎えました。ここまで、元気にやってこられたのも、現在一緒に越冬生活している51次の仲間達と国内で応援して下さっている皆さんのおかげです。会社のみんな、親族の方々、常に励ましのメールいつもありがとう。 (本当に、小生が元気がないときにタイミング良く、励ましのメールをくれる方々本当にありがとう。また、電話で相手にしてくれる方達ありがとう) 南極の冬はこれからが本番です。これから、まだまだ色々あると思いますが南極を離れるまで残り9ヶ月 帰国まで10ヶ月頑張って行きます。ので応援よろしくお願い致します。さて、5月と言えば『こどもの日』ですね。そ、昭和基地の5月のイベントは『こどもの日』でした。昭和基地にも「兜」があります。 なんと、夕食は「お子様ランチ」でした。 (なつかし~)ビールもお子様ビールです。(中身は本物でラベルだけ変えてます) このあと、子供の時の写真を国内より送ってもらって「誰当て」ゲームを行ったり、お子様ランチの上の旗、今回サッカーワールドカップの出場国の旗を1本ずつ幹事が作ったので、国名当てゲーム(皆さん解りますか?)あと、各自万歩計を付けているので、万歩計を振っていかに歩数が増やすか等のゲームを行いました。(結構盛り上がりました)昭和基地には「兜」の他に大きい「鯉のぼり」もあります。この「鯉のぼり」を51次で建設した40mのデルタアンテナに付けて上げちゃいました。(P-Q,22) 左端に人が数人いますが40mの高さがわかりますか? 「鯉のぼり」はわかりますよね。左の緑の建物も51次建築した「電離層観測小屋」なので、この建物の上にみんな乗って「記念写真」を撮りました。(P-Q,22) 結構良い感じではありませんか?先ほど紹介した「兜」は8次隊が昭和基地に持ち込んだものらしいです。今年は51次なので、なんと43年・・・・・小生と同じ年。前回の、「雛祭り」の雛人形もそうですが、物を大切に扱い、時代時代にあった遊び方をして、次に繋げる事の大切を南極生活は教えてくれます。 南極ならではのイベントでした。
May 13, 2010
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こんにちは。先日南極での初スキーをすべく、『向岩』に行ってきました。そうです、南極大陸でスキーをしたんです。(やったー!)『向岩』は前回のブログで朝の風景に出てきた所です。雪上車で行ったのですが、渋滞知らずの“海氷HighWay” を通って行きました。車内はこんな感じで「和気あいあい」です 。 『向岩』に上陸。『向岩』から昭和基地がある、東オングル島を望む。 フェイスマスクをしないと、寒さが痛くてたまりません。いよいよ、スキー開始です。本日のゲレンデコンディションはガチガチのアイスバーンでした。 スキー板は、日本から持って来た方もいますが、ほとんどの人は、昭和基地に置いてあるスキー板を履いていました。(ちなみに私もです)スキー板は日本から持って来て基地に置いていく方がいますので、結構スキー板は基地にあります。また、平均的な靴のサイズだったら置いてあります。 ここのゲレンデは、リフトがないので、スキー板を担いで上がります。3本ぐらい滑って時間が来たので終了でした。(南極の夕暮れは早いので・・・) 滑走距離は300~400m位でしたが、 最高に気持ちよかった~。
May 5, 2010
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こんにちは。皆様はゴールデンウィーク、いかがお過ごしになったでしょうか?我々には、祭日が存在しないので、当然ゴールデンウィークはありませんでした。 ここ昭和基地では、5月から夏日課から冬日課へとタイムスケジュールの変更が行われました。具体的には、土曜日が隔週で休みだったのが、完全週休2日になります。また、朝食の時間も7時から8時へ遅くなり、就業開始時間も8時から9時へと1時間遅くなります。就業終了時間は変わりません。 言うなれば、Wintertimeかな?これは、日の出・日の入の関係で、夏日課、冬日課があります。9月には、また、夏日課に戻ります。 今日(5月5日)現在の日の出は9:20で、日の入りは15:15でした。南極の朝の風景です。(9:30頃です)正面に見える島が『岩島』と言う島(?)で、先日ここに、スキーに行きました。『岩島』迄の間が海氷で、『岩島』から奥が南極大陸です。(手前は氷山) (D、21) 下の写真は上と同じ時間帯の昭和基地から見える南極大陸です。風が吹いていたので「地吹雪」が起きてました。 (D、21) 夕暮れ時はこんな感じです。(16:00頃) (D、17)もう少し遅くなると、外灯がつき、基地が幻想的になります。(F-G、15ー16)昭和基地では、5月30日をもって 一時、太陽と『サヨナラ』をします。 5月30日の日の出は11:54、日の入は12:44で最後の太陽を50分間だけ堪能し、しばし(43日間)のお別れです。そうです、いよいよ【極夜】の訪れです。 次、太陽が出てくるのは、7月13日で、日の出は12:06、日の入は12:44の38分間です。このあとは、日に日に太陽が出ている時間が長くなっていきます。
May 5, 2010
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こんにちは。先日、宇宙ステーションにいる、野口宇宙飛行士とのTV会議(電話)がありました。残念ながら、話の内容や写真(野口さんが写っている写真)は公開することは、色々な契約上出来ないらしいです。 昭和基地側はこんな感じで、しゃべってました。 でも、南極と宇宙ステーションでTV会議(電話)が出来るなんて凄いですよね。南極:昭和基地、東京:極地研究所、アメリカ:NASA、宇宙:宇宙ステーションの四元中継です。昭和基地からはインマルサット衛星を利用して、東京の極地研へ。極地研からは国際電話回線でアメリカ:NASAへ。NASAから再度電波を宇宙の宇宙ステーションへ。我々の音声や映像は2回も宇宙を経由していたんですね。そもそも何で野口さんとTV会議(電話)することとなったのかというと、宇宙に持って行ったフリーズドライ食品とか医学の分野でJAXA(宇宙航空研究開発機構)と共同研究をしているからです。 南極とフリーズドライ食品の関係ですが、我々のように昭和基地にいれば食事は「しらせ」が運んでくれて不自由なく食する事が出来ますが、今回のセールロンダーネ隊のように、約3ヶ月南極大陸をスノーモービルで 調査(隕石、地質等々)するとなると、通常の食材だと、量もかさむし、調理の手間もあります。また、飛行機で南極入りするので重さも軽くとなります。そんな中生まれたのが、フリーズドライでした。ちなみに、このフリーズドライの味付け等々は、51次の調理隊員が行いました。この作ったフリーズドライを野口さんが宇宙に持って行ったと言う訳です。
April 30, 2010
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こんにちは。今回は写真はありません。(たまには良いですよね?)我々越冬隊 28名はそれぞれ担当業務を持っています。小生だと、建築担当なので、建物の維持・管理・修繕がメイン業務となっています。機械担当だと設備、エンジン、電気、車両にそれぞれ担当がいます。それ以外には、環境保全、調理、医療、通信、LAN等々がいます。これらは、設営部門と呼びます。設営以外は、観測部門と言い、気象、地学、宙空、電離層、気水、生物等々の観測部門の方達が日夜、南極観測のメインである観測業務を行っています。これらの担当業務以外に、「当直と生活係」があります。当直は、日直みたいなもので、調理の手伝い(配膳、方付け・・・)、掃除(トイレ、風呂、洗面所は毎日でそれ以外は、掃除する場所は曜日によって決まってます)、ゴミ出し 等々です。当直の日は丸1日掛かるので、その日は担当業務はできません。生活係は、生活していく上で必要と思われる事を係にしています。と言うことで、色々な係があります。新聞係、娯楽係、スポーツ係、農協係、漁協係、アルバム係、ミシン係、図書・教養係、理髪係、工房係、バー係、喫茶係、酒蔵係 等々があります。隊員は大体、3~4の係に属しています。 小生は、漁協の係長、娯楽係、スポーツ係、工房係に属しており、前回の「花見」や「雛祭り」などは、娯楽係のイベントでした。「バレーボール大会」はスポーツ係のイベント。娯楽、スポーツは月1回のペースで開催しているので、準備も大変です。 理髪係は実際に髪をカットする研修を国内で受けるんですよ。 この生活係の中で、全隊員が無条件で属しているのが、新聞係です。越冬期間中365日間新聞を発行します。隊員が順番に新聞記者になり毎朝発行します。イベントがある時は記事があるので良いんですが、通常は中々ないので、ネタ探しから始めてます。この新聞、歴代の次隊の新聞が基地に残っており、過去隊がどうだったか見られるようになっているので、記録に残ってしまいます。 隊員は28名なので、この新聞と日直は、必ず月1回まわって来ます。 意外と忙しく飽きない越冬生活です。
April 25, 2010
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こんにちは。昭和基地では、当然国内と違って、娯楽はありません。娯楽は、自分たちが作って、単調になりがちな生活に変化を付けています。 ですので、月1度娯楽を催しています。国内に居たら、生活の為の娯楽(?)なんかまず、考えないですよね?南極では、何をやるにも一からの準備が必要になります。 3月は雛祭りを行い、今月(4月)は花見を行いました。南極では「花見」をやるのに、『桜』から用意しなければなりません。国内では考えられないですよね。だって、「花見」は桜が咲いて、桜の木の下で行うものですから。 ちなみに、小生は4月の幹事でした。 『桜』の飾り付け 会場の様子は上の写真の通りです。昭和基地での花見で「ゴザ」が出てきたのは初めてだそうです。琉球畳も初めてで、別の用途で使うつもりでしたが、花見にちょうどよかったので、使ってしまいました。 花見ですから、しっかり『桜』も作りました。 何か「梅」のようにも見えますが、『桜』です。この『桜』作るのに、夕食後、”こつこつ”と一週間 係のメンバー(10名)で作り続けました。『桜』の正体は、ポップコーンです。ポップコーンに食紅を吹き付けて赤く染め、それを「竹ほうき」の、ほうき部分をばらして枝にして、米でポップコーンを一つずつ付けました。 結構力作でしょ?会場内(食堂)に『桜』が多いところ、少ない所をつくり、7人の4チームで場所取りも行い、国内と同じ雰囲気を味わいました。屋台も出して、焼き鳥、お好み焼き、おでん等を出しました。「お花見」メニューです。 この後、「酔っぱらい」が多数出たのは言うまでもありません。
April 16, 2010
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こんにちは。南極はかなり冷え込んできました。先日も日中で-20℃になってました。さすがに寒~いその日の夜は-25℃でした。実は、この-25℃の中 オーロラ出ないかな~と外にいました。体もカメラも凍りました。結果は・・・・気温が下がると色々な自然現象が見られます。オーロラもそうですが、先日は【蜃気楼】と【幻日(げんじつ)】が出ました。どちらの自然現象も初めて見ました。まずは、蜃気楼から 下の写真の方が解り易いですかね。諸先輩に聞くと、蜃気楼は極夜明け(9月、10月辺り)が一番綺麗だそうです。次は幻日ですが、私も勉強不足で南極で初めて【幻日】と言う現象を知りました。太陽の左右に2つの輝点が見え、あたかも太陽が3つあるかのように見える現象で、 大気中に浮かぶ氷晶(氷 の粒)が太陽光線を屈折するために起こる大気現象の1つだそうです。 真ん中が太陽で、赤い丸部が幻日です。これ以外にも良く現れるのが【彩雲】です。まだまだ、南極ならではの自然現象【サンピラー(太陽柱)】【ライトピラー】 【ハイドローリックジャンプ】 とか見たい現象は沢山有ります。運良く見られて、写真を取れる時間があったら、皆さんにお知らせします。
April 6, 2010
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こんにちは。前回のブログの反応。自分にとっては、意外も意外でした。と言うことで、今回も仕事ネタ。(これも驚くかな?)南極には、カブースと言う《そりが付いた移動式の小屋》があります。主に内陸に行くときに、雪上車の後ろに連結して引いて行きます。室内は、食事用の机が入っていたり、発電機を入れたりしています。ある時、このカブースのドアが無いことに、隊長が気づきました。確認してみると、確かにドアが丸ごと無い。これでは・・・・直すにも、どんなドアが付いていたかも解らないので、早速、他の健全なカブースでドアを確認したところ、ドアノブが・・・こんな、特殊なドアノブ 用意してきてないし、在庫があるのかも解りません。ラッチ部分なんか、しっかり掛かるようになってます。とりあえず、在庫確認見つからない。ドアの枠材は黄色い幌と関わってしまうので、いじくりたくなかったので、ドアを作るとき、ノブ部を細工して、居住棟で使っているドアノブで代用することにしました。出来上がりは、こんな感じです。室内用のドアノブなので、吹雪の時、ラッチの掛かりが浅く、開いてしまう可能性があったので、結構きつめに、ドアを取り付けました。今まで、2回吹雪に遭いましたが、とりあえず大丈夫です。きっと、内陸(南極大陸)に行っても大丈夫です。
March 28, 2010
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こんにちは。越冬隊の建築は1人しかいません。基本は、1人で基地全体の建築作業を行わないといけません。夏の期間は夏隊(3人)がいたので合計4人でした。ですので、大きな建築物も出来ましたが、1人となると中々そうはいきません。当然、他部門も1人体制になります。(ですので、中々応援も・・・)28名で国内と同じ生活するのですから・・・・そういえば、「最近の仕事」 をご紹介してないことに気づいたので、越冬になってから(1人になってから)の仕事を少々ご紹介します。Cヘリ管制・待機小屋と言う建物があります。昭和基地にはA~Cの3つのヘリポートがあります。3つのヘリポートの内一番新しくて、沿岸に停泊する「しらせ」に一番近いヘリポートがCヘリです。場所は見晴らし地区と言うところにあり、基地主要部(管理棟、居住棟 等)からは一番遠いところにあります。(約2km離れてます)ヘリコプターを運用するにあたって、「しらせ」の地上管制員の方が待機する建物です。ここの窓ガラス(ペアガラス)が破損していたので、取り替え作業を行いました。ガラスは国内で調達してきましたが、銀色の枠材は持って来てないので、再利用しました。(表裏あります) 補修後あと、この建物の裏に回ると(表かな?)階段が途中で切れていました。ですので、南極にある材料:単管という建築材料で階段を作って付け足しました。中々うまく出来てるでしょ~Cヘリ管制・待機小屋と同じ見晴らし地区にあるのが、見晴らしポンプ小屋です。 基地主要部にも燃料タンクはあるのですが、ここには約1ヶ月分の燃料しかありません。基地の燃料貯蔵は見晴らし地区に100klタンク10基と50klタンク2基があり、月に1度基地側のタンクに送油するために使う重要な建物です。しかし、壁に取り付いている出入り口が、雪で埋まってしまい、そのたびに月に1度除雪して建物の中に入らなければならず、除雪だけでも1日仕事だったらしいです。それなら、天井に出入り口を付けちゃえ!ということで、天井に穴を開けて、出入り口を作りました。当然、昇降出来る階段を設置しました。内部から見るとこんな感じです。これで、除雪をしなくて小屋に入れて送油担当者に喜んで頂ければ良かったです。国内では 間違いなくやらない作業の連続。でも、大変楽しく、やりがいがあります。
March 24, 2010
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こんにちは。南極昭和基地では、だんだん動物達の姿を見なくなりました。変わって現れたのは、夜空に輝く『オーロラ』です。先日、初めて、小生も見ました。第一印象は・・・・・・確かに神秘的なのかもしれないが、特に感動なし。でも、寒い中、カメラを抱えて、夜空を約1時間30分ぐらい眺めていました。最近の昼間の気温が-10℃位なので夜はもっと寒いです。観測者曰く、「もっとすごいオーロラがそのうち出ますから」と言っていたので、期待して待っています。オーロラも綺麗ですが、「星の綺麗さ」はすごいです。下の写真は「天の川」の一部です。ちょうど流れ星が写りました。(画面真ん中より少し上の、右下がりの線)
March 14, 2010
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