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「晩秋の風景と素敵なバラを楽しんで下さい。」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22日の夜はマンションの近くのお店へ。後ろの窓を開けて換気をしながら隣の席とも距離を置いてみんなで夕食をいただきました。ちょっと寒かったのでワインで体を温めて乾杯!撮り忘れたので食べかけの画像で失礼します。デザートはチョコを持ち込んでワインでほろ酔い気分になり気持ちよくお嫁さんのご両親にホテルまで車で送っていただきました。・・・・・・・・23日の夜は1日観光をした後で京都駅の階段イルミネーションを見てライトアップした京都タワーも見えました。その後、ホテルへ戻り、二人だけで誕生日を祝ってもらいました。時間がゆったりと流れました。京都の料理がおいしくて2日間で体がどっしり重くなりました。元に戻すのが大変ですが、しっかり運動して戻したいと思います。家族のみんなからも祝ってもらいました。娘からはワインが届きなぜか盃までも次男のお嫁さんからはこちらをそして京都の長男からはチーズとチョコレートの詰め合わせをみんなどうもありがとう。また一つ年を重ねましたが、もう忘れることにしました。明日からまた京都観光に戻ります。(続く)
2020.12.02
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「初めて花を咲かせた水仙のように清楚で優しい心と一輪は儚い花期なのに健気に咲いた椿のように頑張る気持ちを」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この日の八坂神社、円山公園あたりは大勢の観光客で大変混雑していましたが、車でその間を抜け円山公園の中にある坂本龍馬と中岡慎太郎の像の横を通り「京料理・いそべ」へ。紅葉が綺麗で花嫁さんだけでなく着物姿の女性が写真を撮ってました。お店に着きました。本日の主役ミミちゃんも眠りから覚めました。まずトコちゃんに料理が運ばれこの後、ご飯とみそ汁が出て来ました。大人には秋の京ゆば会席・緑風前菜は酢橘のジュレ、ゆば冷やしあん、ゆばサラダ仕立て向付は生ゆばと真鯛のお造り季節の逸品は松茸と甘鯛の土瓶蒸し温物は湯葉グラタン、肉料理は国産牛サーロイン炙り油物は包み湯葉の揚げ出汁止椀は白味噌仕立て、ご飯は湯葉かけご飯、香物は昆布山椒煮と京柴漬け水物は自家製豆乳プリン自家製京湯葉と京野菜を使った京会席を美しい木立に囲まれた静かなお座敷でゆっくりと味わうことができました。最後にみんなで記念撮影です。 これでミミちゃんのお宮参りも無事に終わりました。(続く)
2020.12.01
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「鮮やかな紅色の小さな花を咲かせるクサボケのような心に陽だまりをそして空に向かって枝を張るケヤキのように誰でも包み込む笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回の京都行きの目的はなんと言ってもミミちゃんのお宮参りをすることでした。長男とトコちゃんにホテルまで車で迎えに来てもらって私達はマンションに向かいました。ミミちゃんがにっこり笑って出迎えてくれました。みんなでお祝いのお寿司やお菓子をよばれ両家でミミちゃんのお宮参りにわら天神宮へ出かけました。トコちゃんもお宮参りはここでした。神社の境内の紅葉が綺麗でした。受付を済ませ順番が来るまで1時間ほど待ちました。ハートマークを見つけました。御祈祷は1組ずつ行われ、換気をしてからまた次の組が御祈祷をしてもらうので時間がかかりましたが、滞りなく終わり記念撮影をしました。トコちゃんも両親と一緒で最近のお気に入りのポーズが決まってますね。そして次の場所に向かったのでした。(続く)
2020.11.30
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「朝陽をもらい紅葉した木の葉のように温かい心と遠く離れた場所から来て頑張って咲いているサツマギクのような元気を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・京都国立博物館から歩いている途中で紅葉が綺麗だったので写しました。260m、約5分ほど歩いて豊国神社へ到着。石段を上がって境内に入りました。この日は雲一つない秋晴れでした。宝物館には入らず散策していると豊臣秀吉の像が豊臣秀吉の死去翌年廟所(びょうしょ)として創建され、明治に再興されました。伏見城の遺構を移したという豪華な国宝・唐門が立ち秀吉ゆかりの品々を収蔵しています。桃山時代を象徴するきらびやかな唐門には桐の紋も入っています。見えますでしょうか?唐門前の参道には新婚カップルの記念撮影のため大勢ご親族さんがいらしてなかなか移動されませんでした。仕方なく大回りして唐門の下に行きました。瓢箪の形のお札がたくさんぶら下がっていました。唐門のすぐ上には年代物の豊国大明神と鳥の彫刻が見えました。門の右側には草履の形のお札(絵馬?)がそこから50mほど歩いて方広寺へ。地元の人に聞いてもわからなかったお寺です。文禄4年(1595年)豊臣秀吉が創建、その子の秀頼が再興した天台宗の寺院。当時は京都国立博物館あたりまで敷地が広がっていたと伝わります。梵鐘の「国家安泰」「君臣豊楽」の八文字が家康を激怒させたと言われます。鐘の高さ4.2m 外径2.8m 厚さ 27cm 重さ 82.7トン鐘楼の天井画梵鐘は有名ですが、方広寺は静かで落ち着いた感じのお寺でした。朝から三十三間堂、京都国立博物館、豊国神社、方広寺とよく歩いたのでタクシーに乗ってホテルに戻ったのでした。(続く)
2020.11.28
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「鮮やかな紅色に染まった薔薇のような透明感あふれる心と真っ青な空に映える薔薇のような笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・三十三間堂の次に向かったのは道路を挟んで向かい側にある京都国立博物館です。見えてきたのは明治古都館です。明治30年(1897年)に帝国京都博物館の本館として開館。レトロなレンガ造りの建物は正門とともに国指定の重要文化財に指定されています。ロダンの「考える人」です。近づいてみました。後姿左奥に京都タワーが見えました。スタイリッシュな平成知新館では平成知新館に入りましょう。会場入り口は3階です。こちらも館内は撮影禁止。前期と後期で展示物が違ってました。私達は後期でした。「第1章 皇室につどう書画 三の丸尚蔵館の名宝」には筆跡のもつ力、絵と紡ぐ物語、唐絵へのあこがれ、近世絵画百花繚乱の作品が、「第2章 御所をめぐる色とかたち」には即位の風景、漢に学び和をうみだす、天皇の姿と風雅、王朝物語の舞台が展示され国宝が4点と重要文化財が3点、重要美術品2点を目の当たりにすることができました。鑑賞ガイドによりますと、この展覧会は天皇陛下の御即位を記念して皇室ゆかりの地である京都で開催されました。京都は平安時代に都が置かれてから明治維新まで約1100年もの間、天皇が住んでいた場所で、天皇が暮らした京都御所は日本文化を生み出し広め長く伝える場所でそこで繰り広げられた宮廷文化を感じる事ができました。紫宸殿の高御座に座る霊元天皇や霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風 (狩野永納筆・江戸時代17世紀)と(当時の即位礼は庶民にも公開されていたので)式を眺める庶民が描かれていました。飛香舎は御所の宮殿の一つで壷庭に藤を植えたことから「藤壺」と呼ばれ、平安時代に書かれた有名な「源氏物語」で主人公・光源氏の憧れの女君・「藤壺の宮」が暮らす所でした。作者・紫式部が仕えた藤原彰子(ふじわらのしょうし)の住まいも飛香舎でした。重要文化財 源氏物語帖 空蝉(桃山時代17世紀)が展示されていました。また江戸時代の飛香舎の調度(道具や家具)も展示され、今では見る事のかなわない京都御所・飛香舎での暮らしや儀式に思いを巡らすことができました。3階から2階、1階と本当に多くの展示品を見ながら降りて来ました。豊国神社に向かって歩いている途中で正門が見えました。(続く)
2020.11.27
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「咲き誇ったピンクの山茶花のような華やかな笑顔と枝を離れた落ち葉が木の寄り添うような優しい心で・・・」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・3泊4日の京都の旅を振り返ります。11月21日(土)の午後、ホテル前からタクシーで出かけた先は三十三間堂。参進閣から入ってまず目に飛び込んだのは四川トキワガキそこから紅葉が綺麗な境内を散策しました。長いお堂は入母屋・本瓦葺きの総檜造りで約120m、正面の柱間が33ある所から三十三間堂と呼ばれ堂内には1001体の観音像が祀られています。手水舎鐘楼そして本堂の南側全体には足場が組んでネットが掛けてありました。頂いたリーフレットからその様子が写った写真と説明文を拝借しました。境内南には「大閣塀」と呼ばれる築地塀と南大門があり豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重要文化財の建築物がありました。境内を一周してから本堂に入りましたが、本堂内は写真撮影禁止。リーフレットを拝借しますと三十三間堂は正式には蓮華王院といい、1164年後白河上皇・院政庁の一角に平清盛が造進しました。約80年後に焼失しましたが、すぐに復興に着手し1266年に再建。その後、室町、桃山、江戸、昭和と4度の大修理により700余年間保存されています。中央の大きな中尊を中心に左右に各500体(国宝)、合計1001体がご本尊です。正しくは「十一面千手千顔観音像(じゅういちめんせんじゅせんげんかんのんぞう)と言い、中尊(国宝)は湛慶・たんけい(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期の名作と評価されます。風雨をつかさどり五穀豊穣をもたらす神々で鎌倉彫刻の名品で国宝です。観音様の前列と中尊の四方に位置する28体の仏像(国宝)は千手観音とその信者を守る神々でインド起源のものが多く、ヒノキ材の寄木造りで目にはより写実性を高めるため水晶をはめ込む玉眼(ぎょくがん)という技法が用いられています。(以上リーフレットより抜粋しました)とにかく1001体もの観音像に圧倒されました。慈悲のまなざしで静かにたたずむ他の観音像に比べて玉眼の28体は生き生きとしてより一層畏敬の念を抱きました。(続く)
2020.11.26
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「日本の風土に馴染んだ庭園のように和の細やかな心づかいと青空が似合うコスモスのようなさわやかな笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3泊4日の京都旅行もあっという間に過ぎてしまい昨夜無事に帰宅しました。今日も続きをざっと書いておきます。11月23日の夕方のことです。観光を終えてホテルに戻り少し休憩後、京都駅へ。階段のイルミネーションが綺麗でした。その後、地下街で買い物をしました。夕食はホテルのレストランで誕生日を祝ってもらいました。京都での最終日、24日の朝食は和食にしようと決め、やっとお粥を食べることができました。ホテルの朝食もコロナウィルス対策でビュッフェスタイルではなくセットメニューでした。2日間同じモーニングセットだったので最終日はちょっと目先を変えて頂いたんです。夕方4時過ぎの新幹線の時間まで何をして過ごそうかとなり京都駅でショッピングをした後、京都タワーに初めて登り展望台から周囲を眺めているうちに近くの東本願寺へ歩いて行こうとなって本堂で参拝してきました。それでも駅の構内で3時間ほど時間を持て余しました。明日からまた京都旅行を詳しく振り返ろうと思います。
2020.11.25
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「多分、女子高生が落ち葉で作ったような優しさをそして青空に映える銀木犀のように晴れやかな笑顔で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・今日もざっと説明だけしておきます。昨日の朝、テレビを見ていると京都の観光地の混雑ぶりを映していました。紅葉を見る人で大混雑する永観堂、清水寺、渡月橋、嵐山電鉄などです。それでなるべく観光客の少ない所へ行こうと朝食後、真っ先に建仁寺へ向かいました。拝観までにまだ30分近くもあったので境内を散策し、10時から拝観できました。俵屋宗達晩年の傑作、風神雷神屏風(展示は複製)を見ることができました。法堂には小泉淳作氏が2年かけて描いた双龍図(天井108畳分)が迫力十分でした。その後、歩いて安井金毘羅宮へ。悪縁を切り良縁を結ぶ神社と信仰されるので観光客も大勢いました。大通りに出てタクシーをひろって向かった先は本能寺です。「麒麟がくる」の影響で織田信長が最期を迎えたところを見てみたかったのです。ところがタクシーの運転手さんが言うには実際に本能寺があった所は今は石柱が建っているだけで、そこには介護施設ができているとのこと。本能寺の方へ案内してもらいました。そちらも火災にあって建て直したとのこと。織田信長の御朱印や黒印が押印された書状や掛け軸、刀や鉄砲、茶器や茶道具、鎧兜などが展示されていました。本堂のご本尊の顔が仏様ではなく織田信長のように見えました。その後、大通りへ出てタクシーをひろい銀閣寺へ向かいました。車中、運転手さんが永観堂の紅葉は綺麗ですが、あまりにも観光客が多すぎるので自由に見ることができず一方通行になりましたよ、銀閣寺も紅葉がきれいですからその方が良いですよと言われここで良かったと思いました。銀閣寺へ入る前に昼食を食べてお腹を満たし銀閣寺の庭をぐるりと回ってきました。結構起伏が激しかったです。山の紅葉がとても綺麗でした。そして夜は二人だけでホテルのレストランへ行き、私の誕生日を祝ってもらいました。また一つ年を重ねました。その様子はまた後日ということで。3泊4日の京都滞在も長いようであっという間に過ぎて、今日はもう帰る日になりました。(続く)
2020.11.24
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「今日も落ち葉が乗った誰かを待つベンチのような優しい気持ちでそして寒さにも負けずに健気に咲く寒菊のような何事にも負けない強い心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・昨日昼過ぎに京都へ到着。3泊4日で京都滞在ですのでざっと紹介だけして自宅へ戻ってからまた詳しく載せようと思っています。早めにホテルへチェックイン。少し休憩してからタクシーで三十三間堂へ。堂内は撮影禁止。次に歩いて道路を挟んで向かい側にある京都国立博物館へ。当日券で入れました。レトロなレンガ造りの建物は明治古都館平成知新館で開催されている皇室の名宝展を見てきました。こちらも館内は撮影禁止。3階から1階まで見て回りました。そこからまた歩いて豊国神社へ。豊臣秀吉ゆかりの神社です。そして京都の人に聞いてもわからないと言われたすぐ近くにある方広寺へ。徳川と豊臣の歴史を垣間見ることができました。もうそのころには足が疲れて腰も痛くなってきたのでタクシーをひろってホテルに戻りました。その後、長男家族が車で迎えに来てくれたので一緒に買い物に出て、夕食をみんなで食べながら久しぶりに会えたトコちゃんとミミちゃんとしばらく楽しく過ごしました。その後、ホテルまで送ってもらいました。相方は大事な重い物を背中に背負って歩いたので疲れてすぐに寝てしまいました。私は一人静かな部屋でブログを書きました。(続く)
2020.11.22
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「雑草なのに可愛い花を咲かせるシロツメグサのように 真は強く でもそれを心に秘め誰にでも好かれる今日を、、、そして陽に当たり輝きを増す木の葉のような笑顔を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・菊人形・菊花展の会場から女神の噴水を横目に見てやって来たのは岐阜市歴史博物館入場券売り場で「残り少なくなってきました」と渡された来館記念品には「織田信長」の家紋と名前が書かれていました。会場は2階にありました。階段を上がって2階に上がりました。入口左側にはドラマシアターがありドラマに登場する光秀、道三、信長の出演者のインタビューとメイキング映像などが流されてましたが、大勢の人がいて密なのでパスしました。「美濃三傑、麒麟がくる」の世界は登場人物の紹介、相関図、エピソードなどの紹介で、ドラマに登場する衣装や小道具などの展示があり、衣装だけはカメラ撮影ができました。「スタジオ再現セット」ではドラマに登場するセットを忠実に再現、写真撮影ができました。皆さん中央に座って撮影してましたが、私は一人で入館したので写しただけです。他にも歴史博物館収蔵品の展示として戦国時代の稲葉山城(岐阜城)や土岐氏、斎藤氏、織田氏と岐阜の関わりを伝えるルイス・フロイス像、南蛮屏風などの展示がされていましたが、撮影禁止でした。外へ出て戦国武将隊と姫様に写真を撮らせていただきました。「お姉さまも一緒にいかがですか?」と誘われたんですが、やめておきました。紅葉が始まった山の上には岐阜城が見えました。やはり霞んでいました。こちらは戦国武将の名前がそれぞれ付いたお店が食事を販売している食べ物横丁メンチカツカレーと肉蕎麦を注文し紅葉した木々の下のベンチで食べました。紅葉した木の葉が時々目の前にハラハラと落ちてきてとても風情がありました。長らく「菊人形・菊花展」を見て下さってありがとうございました。(終り)
2020.11.14
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「タンポポのように明るく力強さをそして深まる秋のような穏やかな心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後の菊人形の舞台を観ましょう。入口右側には馬の親子がその奥には五重塔がそして左側には16世紀末に来日したスペイン人、アビラ・ヒロンが書いた「日本王国記」を復元した庭が作られていました。少し離れた位置から再度写してみましたがやはり全体像を1枚に収めるのは難しかったです。赤い菊はひょっとすると秋の山々の紅葉を表現しているのではないかしらと思いました。広角レンズで写した方が良かったかもしれませんね。そしてその菊庭園を眺めるように座っているのは斎藤道三と明智光秀と道三の嫡男の高政。斎藤道三の居城である稲葉山城(岐阜城)で明智光秀は初めて道三と出会いました。道三の嫡男である高政とともに道三と問答し理論的な光秀の賢さに感心した道三は光秀に褒美を渡したという場面です。「明智光秀と斎藤道三の出会い」道三の嫡男 高政菊人形のメインステージはやはりここだと思いました。大菊花壇自由花大菊花壇大菊花壇↓ 山の上にかすかに岐阜城が見えました。これで菊人形・菊花展会場を一周してきました。最後に隣にある大河ドラマ館に向かいました。もう1回だけお付き合いください。(続く)
2020.11.13
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「紫のサフランのような澄んだ心とノジギクのように凛とした姿を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。織田信長居館跡には「天下に向かって開く門」と書かれた立て札が立っていました。こちらは千輪仕立て。1株でできるだけ多くの花を咲かせるように仕立てます。100輪以上咲かせたものを千輪仕立てと規定しているところもあるようです。千輪仕立て大菊小作りです。7月頃に菊の芽差しを行い、比較的短期間に育成し花を楽しむものです。背が低いですね。一鉢一本立を福助づくり、一鉢三本立をだるまづくりと呼びます。自由花は作者の自由な発想に基づいて育成した菊花作品で大菊、新花、古花などの規定はないそうです。千輪仕立て美濃菊美濃菊は皇室の紋章の図案と言われる一文字菊を祖先に持ち、岐阜が発祥の地です。花弁の表裏の色が異なるものがあり一種の双重味と鮮やかさを持っています。大菊花壇また菊人形の前庭には色とりどりの小石を敷き詰め、鳥の形に刈り込んだ樹木を配するなど16世紀末に来日したスペイン人、アビラ・ヒロンが書いた「日本王国記」の記述に基づき復元された庭がありました。復元された庭はもう少し続きます。(続く)
2020.11.12
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「雨と樹々が作った素敵なアート、落ち葉さえ人の目を楽しませるそんな楽しい時間を・・・シマカンギクのような笑顔で溢れた心豊かな今日を・・・」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。岐阜城へ登るロープウェイのチケット売り場で長蛇の列の向こうに立っていたのは大河ドラマ「麒麟がくる」で美濃のマムシと恐れられた男、美濃の守護代、斎藤道三を演じた本木雅弘さんそっくりの蝋人形でした。よく似てましたよ。この写真さえ撮れればもう満足。先へ進むことにしましょう。ここにも菊人形が信長と濃姫の菊人形織田信長の居城を守る見張り織田信長居館跡です。まだまだ続きます。(続く)
2020.11.11
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「雨模様の日は、、、華やかな薔薇のように明るい笑顔と木の葉が枝から離れて土に帰っていく力強さを、、、」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・岐阜公園の菊人形と菊花展の続きです。信長、道三、光秀が活躍した時代の「武家屋敷の庭」は戦国時代の武士の屋敷にある庭を再現し、石と苔で覆われた静かなたたずまいを醸し出していました。菊人形と大菊、小菊、美濃菊などの綺麗な菊の花と紅葉した木々の葉を眺めるだけでもう言葉はいりませんでした。一鉢三本立のだるまづくりだるまづくりと小菊自由花自由花ロープウェイが木々の間から見えました。斎藤家(二頭立浪)の旗金華山ロープウェイの乗り場にやって来ました。大河ドラマの影響なのかロープウェイの入場券を買い求める人が長蛇の列をなしていました。私達は以前登ったことがあるので館内に展示されているあるモノを写しに行っただけなのです。それは明日のお楽しみという事で。(続く)おまけです。(顔はめパネルで記念撮影)お粗末さまでした。
2020.11.10
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「紅葉が木々を伝わって行くように今日会えた方に素敵な笑顔をそして心が安らぐ赤い山茶花のような優しい心で」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・秋晴れの昨日、菊づくりの名人たちが育てた大菊、小菊、美濃菊の作品を始め菊人形と華やかな菊庭園を観に岐阜公園まで出かけました。しかし、駐車場はどこも満車で、仕方なく行った道をかなり引き返し、臨時駐車場からシャトルバスで大回りして目的地に到着した後、少し歩いてこちらから入りました。 ↓ 織田信長像 ↓岐阜城が見えますか?・「尾張の大うつけ 信長」尾張の海辺で光秀は漁から帰る織田信長を待っていた。初めて出会った信長のいでたちに光秀は困惑するとともに強い興味を持つこととなった場面です。↓織田信長↓ 明智光秀 ↓ 家臣見張り台の二人・「帰蝶様、尾張へお行きなさい」信長の元へ嫁ぎたくない帰蝶を子供の頃の思い出を語りながら光秀は説得していた。光秀の言葉に帰蝶は深く頷いた場面です。↓ 明智光秀 ↓ 帰蝶↓ 帰蝶↓ 明智光秀鮮やかな色彩が目に飛び込んできました。こちらは織田家、斎藤家、明智家の3つの家紋を菊花で彩ってあります。明智家の家紋の桔梗の紋↓岐阜公園の紅葉も進んでいました。至る所に菊花展がありました。ここはまだほんの入り口です。これから公園内を一周しましょう。(続く)
2020.11.09
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「優しい花姿と色の山茶花のような人に安らぎを与える笑顔と真っ青な空のような曇りもない心で」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・11月3日の続き「紅葉とツチノコを探して」もこれが最終回です。実は前回、前々回、ブロ友さんから「ツチノコはアオジタトカゲではないか」という情報を頂きました。なるほどネット検索すると、ツチノコとアオジタトカゲはそっくりでした。しかしまだツチノコを捕まえた人がいないので今のところ未確認生物という事で夢を見ることにしましょう。さて、「つちのこ館」の裏山の紅葉です。帰り道に時々途中下車して紅葉を写してきました。色鮮やかな小菊が咲いていました。ここの道の駅でも休憩しながら道路脇のドウダンツツジの葉も真っ赤に紅葉して綺麗でしたが、車を止めることもできず眺めながら帰路に就いたのでした。そして炊き込みご飯と笹寿司を夕食に一人1セットずつ買ってきたので美味しく頂きました。笹寿司には鯖ではなく鮭の切り身と山菜が載っていました。これで東白川村へ紅葉とツチノコを探しにドライブした旅を終わります。(終)
2020.11.06
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愛知の大きな公園に咲くお花です。「アベリアのようにうっすらと紅をさしたような微笑みと木立から顔を出した紅葉のように明るい笑顔で」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・11月3日の続きです。帰り道、「つちのこ館」に立ち寄りました。館内は自由に写真が写せました。大人や子供たちの「つちのこ」の作品が展示されていました。どの絵もとてもユニークでした。頂いた「つちのこ秘伝」によると生息地は北は秋田、岩手から南は九州、鹿児島まで全国各地で目撃されているそうです。特に東白川村は全国でも有数の多発地帯で昭和初期から平成までに目撃した20人以上の目撃時の状況やツチノコの特徴が書かれていました。訪れたのは私たち二人だけで2階にあるツチノコの部屋には私一人だけが入りました。薄暗くて、時々不気味な音がするのでちょっと恐ろしかったです。そこには顔の違ったツチノコがいました。(但し本物ではありません)明るい所へ出てホッとしました。つちのこ館の裏に回ると激しい水音が聞こえてきました。私は一人、川に降りていきました。どこかにツチノコはいないかなと見まわしましたが、蟻一匹いませんでした。大きな石、小さな石がゴロゴロ、足元が悪く、石から石へ飛び移りましたが、もう少しで転びそうになり足をくじきそうになったので自分の体力を過信してはいけないなと戒めたのでした。(続く)
2020.11.05
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「樹々たちが宴を楽しむように明るい笑顔と白く咲く薔薇のように控えめな気品を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・昨日、11月3日の事です。そろそろ山の方では紅葉が綺麗になったのではとドライブしてきました。向かった先はこちら。ところが、期待していたほど紅葉は進んでいませんでした。やはり11月半ば過ぎの方がいいのかもしれませんね。少しだけ写してきましたので紹介します。日本はどこへ行っても電柱と電線が写り込んでしまいますね。「文化の日」に菊の花をパチリ!軒下に柿が吊るしてありました。ここで昼食を食べることにしましょう。茶の里レストランで野菜がたくさん入った「にごみ蕎麦」を食べました。相方はこれが食べたかったんです。そう、ツチノコ焼相方はカスタード入り、私は粒あん入りを↓二人とも満足、満足!では帰ることにしましょう。途中で車を止めては撮影しながら面白い所に立ち寄りながら・・・(続く)
2020.11.04
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「クチナシの花のような素敵な香りを漂わせる心とスッキリ晴れ渡った空と雲のように仲良く」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・秋晴れの日曜日の昼前、里山公園へドライブ。駐車場は満車で空いているスペースを探すのが難しいほど混雑してました。藁でできたイノシシこちらは馬両方入れてパチリ!山羊もたくさんいました。頭を出して餌をねだっています。水槽で泳ぐ(体長20センチ以上もある)大きな金魚を横目に見ながら公園の中へ入りました。園内では既に紅葉が始まっていました。次回は紅葉とコスモスを紹介します。・・・・・・・・・・・・・・・・・あれから3冊小説を読み終えました。今日はそのうちの1冊を紹介します。垣谷美雨著「夫の墓には入りません」:中央公論文庫ある晩、夫が急死。子供のいない妻はこれで嫁を卒業して自由の身になれると思いきや、舅姑、夫の未婚の妹、舅の妹家族の他に結婚前から夫が送金していた謎の女性が現れ、墓問題、近い将来起こるであろう義理の両親の介護などの重圧等、婚姻の枷に苦しんでいるところに現れる男性、姻族関係終了届を出し精神的に楽になるけれど、やはりしばらくの間だけでも一緒に過ごした夫の家族の様子も気になって…なんだかどこにでも起こりそうな内容であっという間に読み切りました。
2020.10.30
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高山の旅もこれで最後です。2日間歩き回った街中で見つけた面白い物を写してきました。コロナウィルス防止のためマスク姿でした。木彫りの招き猫飛騨牛乳屋さんの店頭の飛騨牛こちらの猫もマスク姿鍛冶橋の上にある有名な足長像同じく手長像木彫りの大黒様猫に小判?大きなさるぼぼ鰻屋さんの店頭から逃げ出した鰻鯉と鴨が共存まだホオズキが鈴なりでした。お洒落な喫茶店外国人観光客向け?の忍者Cafe&Bar唐草模様の単車市街を走っていたバス長らくお付き合いくださってありがとうございました。これで相方の誕生日を祝いに出かけた高山の旅を終わります。(終)
2020.10.10
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ホテルアソシア高山リゾートで前夜極上飛騨牛を約2人前食べた後ですが、2日目の朝食はビュッフェスタイルであれもこれも手が出てしまいました。↑ 私 ↓ 相方(食べることは生きることですから)このホテルは女性の設計だそうでヨーロピアンエレガントな雰囲気が漂っていました。1階フロント前のロビー売店でお土産を買い終えバスの発車時間まで1階をぶらぶら女性の心をくすぐる演出がなされていました。外に出て新鮮な空気を吸いましょう。ホテル前では木々の紅葉がすすみ山肌にはススキの穂が風になびいていました。10時のバスで高山市街へ戻り2日目もよく歩きました。この日も8,000歩は歩きました。いたる所でまだ朝顔が満開でした。中橋で記念に(25cmも背の高い人が上から写すとこんな感じ)(最近また背が縮んだんじゃないかと言われ・・・)高山陣屋は何度も訪れたのでスルー陣屋前広場では朝市が開かれていました。実はその先にあるパン屋さんに寄ったのです。高山を訪れると必ず美味しいパンを買うんです。その後、駅まで戻り駅前のラーメン屋さんで高山ラーメンを食べました。3種類ありましたが、二人とも細麺でちぢれ麺の無添加高山ラーメンを食べました。そして午後2時半頃の特急で帰りました。旅行記は次回が最終です。もう1回お付き合いください。(続く)
2020.10.09
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愛知の友人の写真は後日にしてすぐに旅行記に入りますね。高山駅から送迎バスに乗り約10分で山の上にあるホテルに到着。私達の部屋は13階にあり見晴らしが良かったです。遠くに北アルプス連峰をそして眼下には高山の街を一望できました。しばらく部屋で寛ぎ夕食の時間になりました。2階まで降りてロビーで待っていると名前を呼ばれ日本料理・華雲へ案内されました。コロナウィルス対策として席を離して配膳されました。いよいよ極上飛騨牛会席の始まりです。(実は相方はこの日本料理をテレビで見たのでした)前菜九品(飛騨の名産や酒菜中心)相方は梅酒のオンザロック、私は麦焼酎を飲みながら松茸土瓶蒸しお造り 二種盛り合わせA5等級飛騨牛しゃぶしゃぶ箸休め 汲み上げ湯葉A5等級飛騨牛鉄板焼き白ご飯 香の物 味噌汁水物(果物)もうお腹一杯になりました。(しゃぶしゃぶ用と鉄板焼きの飛騨牛を相方は一切れだけ食べて後は私が引き受けましたので)部屋に戻って夜景を眺めました。月が綺麗に見えましたし、月から右側へ少し離れた上の方に赤い火星が見えました。(肉眼では見えましたが、写真には写りませんでした)三脚を使ってないので少しぶれています。駐車場はほぼ満車でした。旅行記はもう少し続きます。(続く)
2020.10.08
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愛知の大きな公園の様子です。「咲きたての花のような優しい心と柔らかな優しいネムのような笑顔で♪」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・舩坂酒造店でなめる程度のお酒を味わい次に向かったのはパスタとお酒のお店、ロジカ ドッコちょうどランチタイムになりました。私はトマトとアンチョビのパスタです。満足して次のお店まで散策。ところが歩いても歩いてもお店は見つかりません。地元の人に尋ねてもわかりません。仕方なくお店に電話をして教えてもらいやっとわかりました。まだ今年の4月にオープンしたばかりで知らずにお店の前を通り過ぎていたのでした。若者向きのお店にエイヤッと飛び込みました。エル ブルワーズ ビア スタンドで(AL Brewer's Beer Stand)私はクラウディ ムーンという名のビールをアメリカの地ビールを2種類カクテルしたもので最初は苦いなと感じたんですが、(なにせ酒造店で大吟醸を味った後なので)慣れるとトロピカルな味だとわかりました。相方も珍しく静岡の地ビールを1杯飲み切りました。これで一応、「前略、大とくさん」で紹介したお店すべてに行けたんですが、前回イタリアの友人と3人で高山を訪れた時に毎朝PCをやりに入ったお店も前出のテレビ番組で紹介されていました。今回も訪れて私は法連草のスムージーを相方はモーニングセットを注文したお店がi CAFE (アイ カフェ)でした。そろそろ今夜宿泊するホテルへ行く事にします。バスが駅まで迎えに来てくれます。実はこのホテルもテレビで紹介されたのでした。(続く)
2020.10.07
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先ずは愛知の友人に送って頂いたお花の写真から「ブラシの花で優しく心を洗いサンザシの実のような少し頬を染めたような笑顔で」と言葉が添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、高山の続きです。高山駅のコンコースには高山祭の山車の一部が飾られています。まずは相方がテレビ番組「前略、大徳さん」(現在は「前略、大とくさん」)いい旅~秋の高山編で放送したお店巡りをしたいと言うので駅の案内所でお店の位置をおしえてもらい地図を見ながら歩くことにしました。宮川を渡って上三之町にやってきました。平日とあって観光客も少なかったです。1軒目はここです。有限会社 舩坂酒造店です。お目当てはこれ6種類のお酒が飲めます。コインを一人3枚、相方の分と計6枚買ってきました。コインを入れ、飲みたいお酒のボタンを押します。コロナ感染が心配なこの時期、セルフサービスで試飲します。大吟醸「深山菊」と奥飛騨原水仕込み「ひやおろし」が格別美味しかったです。(重いリュックを背負い、帽子を左脇に挟みながら・・・)相方は1杯飲んだだけでもう十分とのこと、残りの5杯は私が引き受けることになりました。(といっても小さな器ですのでご心配なく)舩坂酒造店で6種類の生酒を堪能してさて2軒目はどこに向かったでしょうか。(続く)PS) 午後の特急で帰ります。
2020.10.06
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愛知の公園に咲く花と実です。↑アガパンサスの実「オクラのように粘っこく諦めない気持ちとどんな天気にも負けない薔薇のような元気を♪」と言葉が添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、今日から一泊旅行に出かけます。行き先は県内のお馴染みの場所です。相方の希望で誕生日を旅先で祝いたいとのことですので、交通費と宿泊代を私からのプレゼントとしました。以前のテニス仲間のお姉さま方からもプレゼントを頂きました。相方の誕生日なのに私まで一緒に祝ってもらった気分です。ありがとうございます。ネット環境が良ければ旅先から少しだけ報告をしたいと思います。では行ってきます。・・・・・というわけで、最寄りの駅から特急に乗り着いたところは高山ホテルのチェックインの時間まで高山市内をよく歩きました。万歩計は7,714歩を示しています。13階の部屋からの眺め帰ってから詳しく載せますね。
2020.10.05
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愛知の公園の様子です。今朝はどんより曇って涼しいですが、朝の運動を2時間もするとかなり汗ビッショリになりとても暑かったそうです。お疲れさまでした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・さて、2階で山岡草氏の和紙人形展と韓紙と和紙友好交流協定記念の韓紙工芸品展を観てから1階の売店を充分見て回り美濃和紙会館を後にしました。うだつの上がる町並みで有名な美濃市の市街に向かい蕎麦を食べることにしました。蕎麦屋さんはうだつがあがる昔ながらの家屋です。(うだつ・・・防火壁になる屋根の両側の装飾)車幅がぎりぎりという狭い通路を抜けて奥の駐車場まで行きました。そこから歩いてお店に戻りました。厨房を3人で切り盛りしてるので結構待たされましたが、十割蕎麦と野菜の天麩羅を頂きました。私達の後から来たお客さん達は記名した後、出ていかれましたのでずいぶん待たされたんだと思います。それでも有名店らしく客足が絶えることはなかったです。十割蕎麦と野菜の天麩羅が美味しかったです。買ってきた21センチ四方の小冊子は「大地に遊ぶこどもたち・あそびのいろは」というタイトルの写真集です。秋のページはこんな感じです。冬はこんな感じです。展覧会で眺めた童たちの表情、写真集に載っている生き生きとした子供達の姿に心がほのぼのと和みます。(終)
2020.09.16
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愛知の公園の様子を送っていただきました。朝晩はめっきり涼しくなりましたが、今日も陽射しは強いですね。3枚目の花はルリマツリだそうです。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、昨日の続きです。第1展示室は撮影禁止となっていましたが、第2展示室には注意書きがなかったので写真を写してきました。見学する人が私たち以外誰もいなかったので寂しかったです。韓紙と和紙友好交流協定記念「韓紙工芸品展」をご覧ください。足元にあったのは和紙ではなく韓紙でできたジャン ウンリョル氏の作品です。そしてぱっと目の前に空間が広がりました。和紙工芸品の世界をご覧ください。このフォーマルドレスも紙でできています。ここからは韓紙工芸品のコーナーです。韓紙、和紙、それぞれの特性を生かした作品がたくさん展示されていました。いかがでしたでしょうか?(明日へ続く)
2020.09.15
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友人が送ってくださった愛知の公園の様子です。真っ青な秋空と花壇に咲く色鮮やかな花々、木々の緑も少しずつ紅葉し始めて爽やかな空気を感じさせていただきました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日の事です。車で1間余りドライブしただけですが、新型コロナウィルス感染騒動以来、どこにも出かけていなかったのでカテゴリを旅行記としました。緑深い山々に囲まれた道を板取川に沿って美濃市に向かいました。美濃和紙の里会館に到着。入口では手指の消毒と体温測定があり連絡先と電話番号を記入しました。先ずは2階へ上がり第2展示室は自由に入れましたので後日紹介しますね。テレビで見たので早速やって来たのですが、「山岡草の和紙人形展」がある第1展示室内は撮影禁止なので頂いてきたチラシをコピーさせてもらいました。倭紙芸鄙美式人形宗家(やまとしげいひなびしきにんぎょうそうけ)山岡草氏が作られた和紙人形が展示されていました。こちらは三つ折りのリーフレット山岡草氏の略歴です。・山岡草氏は昭和5年和歌山市で生まれました。・昭和40年和歌山市内で11歳より習い始めた華道と人形を組み合わせた斬新な個展を開催し、好評を博します。・昭和45年「和紙を使ってひなびた美しさを残していきたい」と倭紙芸鄙美式人形宗家としての創作活動を始める。・昭和47年和紙人形作りに専念するため上京・昭和53年までの東京在住中、草木染と和紙を用いた独特の作風と芸術性が多くの人々の支持を得る。・昭和54年長い間の構想である作品の創作の場を求めて旅する途中で、夢に出てきた大子町山田の山家を発見、一人で移住し創作活動に没頭する。・平成7年多くの独創的な作品を残し、65歳で生涯を閉じる。可愛い童がたくさん展示されていました。私は中でも卑弥呼など日本の神々を表現した作品や歌舞伎、日本昔話(桃太郎)など大きな作品に力強さを感じました。50~60cmの高さがあったと思います。作者が渾身の力で紙をひねり絞って縛って作られた作品はとても迫力のあるものでした。(明日へ続く)
2020.09.14
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雨の中を公園の散歩、お疲れ様でした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・さて、瑞櫻山法妙寺櫻堂薬師の続きです。入口から入ることにしましょう。石段を数段上がると左右に怖い顔をした石像がにらみを利かしていました。その間を通り抜けると奥に本堂があります。瑞櫻山法妙寺はかつては天台宗の寺院でしたが、現在は非法人寺院です。この日も瑞浪市の職員さん達が数人訪れていました。そして突如、寺の解説の放送が流れてきました。右奥にあるのは疣岩(いぼいわ)の説明↓ これが疣岩です。石柱の中には仏様のお顔が見えてました。こちらは珍しい彫刻亀の上にウサギが乗っています。境内の左側を眺めると本堂脇の壁に飾ってあるのは舞楽面のうち三面の能楽面で鎌倉時代の作り(実物は保存)を模して作ってあります。「抜頭」「羅陵王」「納曽利」です。この三面の能楽面は1571年(元亀2年)10月に織田信長の焼き討ちにあったけれど、※「武田信玄と織田信長の戦乱に巻きこまれ信長の家来によって焼き討ちにされました。」(詳細はネットで検索してください)兵火からまぬがれ現存するものを陶器で実物の二倍に拡大されて展示されています。(実物は貴重な文化財として保存されています)本堂の裏には昔からのお墓がありましたが、写しませんでした。一昨年は蓮池を見ただけで本堂をゆっくり見て回ることもなかったので今回珍しいものを見ることができただけでも収穫だと思って帰りました。1か月後ぐらいに再訪したいと思います。(終)
2020.06.20
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愛知の大きな公園ではもうすでに蓮池にたくさん蓮の花が咲いています。赤い実は庭梅の実だそうです。いつもありがとうございます。しかし蓮の花が見たくて出かけた瑞櫻山法妙寺 櫻堂薬師の池には残念ながら一輪の蕾を見つけただけでまだ見頃までに1カ月は早かったようです。それでも蓮の花以外に見所がたくさんありましたので写してきました。仁王門は1665年以前に創建された単層八脚門切り妻造り檜皮葺き、あるいは杮葺き(こけらぶき)を1750年に入母屋造り、本瓦葺きに改められましたが、平成の大修復で文化財的な価値を損なわないように修復し現在の形になりました。↓ 阿形 金剛力士像左手に握る金剛杵(杵は新しい)を振り上げている。↓ 吽形(うんがた) 金剛力士像胎内に銘札が納められていて1697年に熱田の仏師によって再造彩色されたことが分かったそうです。平成の解体修復時に室町時代後期の姿に忠実に復元したそうです。では奥に進みましょう。池ではコウホネ(河骨)が所々で黄色い花を咲かせていました。↓ 弁財天一昨年も読んだはずでしたが、蓮の花の見頃は7月中旬でした。1カ月早すぎましたね。残念ながら鶴池には昨年咲いた花の種が所々に萎れて残っていましたが、広い池でたった一つだけ蓮の蕾を見つけました。まあ今回はこれだけで満足です。向こうの池では鴨が一羽、水浴びをしていました。静かな池で唯一音を立てていました。(明日へ続く)
2020.06.19
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いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・昨日の続きです。紫陽花で有名なお寺の境内を一周してきました。お寺の名前は琴聲山音楽寺です。色や形が重複していればお許しください。静かなお庭に色とりどりの紫陽花が咲き梅雨の鬱陶しさや真夏日の猛暑をひととき忘れさせてくれました。横向きに咲いているのもありました。奥の方から紫陽花園を眺めます。昨日紹介した紫陽花園から右に曲がったところです。可憐な色の紫陽花でした。一周して元の場所に戻ってきました。カシワバアジサイは見頃を終えていました。こちらも若い木ですが、綺麗に咲いていました。明日は紫陽花以外で気になったものを少し紹介したいと思います。(明日に続く)
2020.06.17
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愛知の公園に咲く花です。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・14日(日曜日)は大雨注意報が出るほど激しく降っていましたが、一夜明けて昨日は快晴になり気温も32度まで上がるという予報でした。午前中愛知県までドライブ、紫陽花で有名なお寺、琴聲山音楽寺を訪れました。寺の境内に咲く紫陽花はずっと前に植えられたものなのでそんなに珍しい種類はありませんが、色とりどりの紫陽花をご覧ください。真夏日に涼しさを感じて参りました。所々で若い木が育ち花を咲かせていました。前日の雨で花がお辞儀をしていました。花菖蒲の見頃は過ぎてました。ちょうど今は紫陽花の季節なのでこのお寺でも見物して回る人だけでなく熱心に紫陽花を写している人達が結構いました。三脚を立てて写す人や花に近づいて接写する人など老若男女それぞれでした。色とりどりの紫陽花を堪能していただけましたでしょうか?これで前編を終わります。(明日へ続く)
2020.06.16
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雨の中、ご苦労様でした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月10日(水)に東海地方は梅雨入りして涼しくなりましたが、「麒麟がくる」の大河ドラマ館と薔薇園を見て回った6月7日(日)は真夏日でとても暑い日でした。そんな中で一周してきた薔薇園もこれが最終回です。日本の薔薇界で新品種の作出者として貢献された有名な鈴木省三氏の説明がしてありました。野球場17個分もあると言われる広い薔薇園を一周していよいよ出入口が見えてきました。皆さんは「夢ポッポ号」に乗って私達が歩いてきたコースを回ります。薔薇の生花でパネルが作ってあります。こちらは真っ赤な薔薇でハート型が作ってありました。開園から24年が経ち若い薔薇の木々も育っていました。途中の自販機で麦茶を買って水分補給をし、出口近くで薔薇のソフトクリームを食べて体温を少し下げました。長らく薔薇園にお付き合い頂きありがとうございました。(終)
2020.06.14
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雨の中の公園の散歩、お疲れさまでした。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・テッポウユリや山野草のコーナーを過ぎてこんな世界に足を踏み入れました。あちこちに恐竜が隠れています。可愛い恐竜の子供達でしょ。卵までありました。その先には蘭が忍のように吊るしてあります。↓ リカステ アロマチカも蘭の一種です。グアテマラ以南の南米太平洋側に咲く黄色い花はシナモンの香りがします。柏葉紫陽花そこから屋外に出ました。アメリカ紫陽花 アナベル白と奥の青とのコントラストが涼しげでした。しかし外は真夏日でとても暑いのでここから引き返すことにします。(明日へ続く)こちらはご近所のカシワバアジサイです。
2020.06.12
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昨日中国、近畿、東海地方が梅雨入りしました。33度超えをした気温が26度にまで下がり肌寒く感じるほどでした。愛知の公園に咲くお花です。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・ナゴヤドーム17個分の広さと言われる広い薔薇園の中央部分まで歩いて来ました。ロイヤルローズガーデンと呼ばれる日本の皇族や英国の王室を中心に世界各国のロイヤルファミリーゆかりの薔薇園のコーナーです。クイーン・エリザベス、プリンセス・ミチコを始めプリンセス・マサコ、プリンセス・アイコの薔薇やモナコ王室などの名前が付いた薔薇があります。但し、2015年5月27,28,29日のブログと2016年5月30、31日、6月1,2,3,4日のブログに掲載した頃の薔薇に比べると全体的に見頃が過ぎていたとは言え今年は勢いがなく寂しい気がしました。↓ 孫と同じ名前の薔薇ベルベデーレからの眺めベルベデーレはイタリア語で「美しい見晴らし」という意味。と言いますのもここは1996年4月26日に開園していますので既に24年の歳月が経っています。その間に老木になった薔薇の木が若い苗木に代わっているからです。これから成長してまた綺麗な花を咲かせてくれることでしょう。次のコーナーに移動するため長いトンネルを出るとそこはテッポウユリが群生していました。次回は可愛い恐竜が登場します。お楽しみに。(明日に続く)PS) 梅雨にしては激しい雨が降る中、午前中ダンスレッスンに行ってきましたが、首から肩にかけて筋肉痛で首が回らないので午後整体に行ってきました。少し楽になりました。
2020.06.11
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愛知の公園の花と枇杷の実です。いつもありがとうございます。さて6月7日で「麒麟がくる」の大河ドラマがいったん休止になるという事を知りなんだか寂しくなってしまうなぁと感じ「麒麟がくる」の大河ドラマ館をゆっくり見て回り、その後、薔薇園に進みます。ここには7,000種、約3万株の薔薇がナゴヤドーム17個分の広さに育っています。今年は新型コロナウィルスの影響で一時期閉鎖されていましたが、緊急事態宣言が解除になり開園。とにかく運動だと思って広い園内を一周してきました。一輪の薔薇の花を写すには余りにも花数が多く、全体の雰囲気を感じながら撮ってきましたのでここで紹介したいと思います。薔薇は見頃を過ぎていましたが、遠くの緑の山並みと青い空に浮かぶ白い雲、そして新緑が目に優しい庭園は憩いの場所でした。西ゲートから入って、これでちょうど中央辺りまで歩いてきました。次は世界のロイヤルガーデン、各国のプリンセスの名前を冠した薔薇が咲いていました。(明日へ続く)
2020.06.10
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愛知の公園に咲くお花です。オレンジの実は杏(あんず)だそうです。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・昨日も気温が31度の真夏日でした。久しぶりに車で遠出して午前中2時間半ほど「麒麟がくる ぎふ可児 大河ドラマ館」と薔薇園を熱中症にならないよう途中で水分補給を充分しながら見て回りました。帰宅すると両脚に心地よい筋肉痛を感じました。そして午後6時からと8時からの二度「麒麟がくる」を見ました。新型コロナウィルスの影響で今回でこの番組はいったん休止になりました。さて、大河ドラマ館の紹介をしましょう。入館者はマスク着用でないと入れません。3密を避けるため前の人たちとの間隔をあけて入館しました。これから先は撮影禁止です。まず最初にドラマに登場する明智光秀の衣装が展示されていました。次に「麒麟がくる」の登場人物の紹介が俳優さんの顔写真と共にパネルで展示されていました。(サインと言葉が添えてありましたので多分肖像権があるから撮影禁止なんだと思いました)ドラマシアターもありドラマの概要と明智荘のメイキング映像を4Kモニターで上映してました。明智荘のコーナーでは駒、明智光安、藤田伝吾の衣装も展示されていました。そしてデジタル体験コーナーでは前の人との間隔をあけ忍耐強く待ってこんなのも体験してきました。フラッシュ撮影と消した画像です。スッピンでごめんなさい。このコーナーだけは撮影ができました。ここからは明智光秀がかかわった歴史上の人物紹介や「本能寺の変」で織田信長を殺した後、光秀は竹藪で殺されたことになっているけれど実は名前を変えて生きのびたという説などが詳しく紹介されていました。そして県内のゆかりの地も歴女が目を輝かせて読みたくなるような説明文が写真と共に紹介されていました。大河歴史館を見終えて次に向かったのは・・・(明日へ続く)
2020.06.07
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梅園の山の頂きから大縣神社の方を見下ろしました。充分しだれ梅を鑑賞できたのでそろそろ降りることにしましょう。大縣神社の梅の花を見終えた後、次の目的地へ向かいました。その頃にはマイカーで訪れた人達が車のお祓いをしてもらっていました。こちらは田縣神社です。この神社は毎年3月に開催される豊年祭が有名です。全国的にも奇祭で知られていますのでネットで検索してくださいね。但し、今年は新型コロナウィルスの影響で豊年祭の「御輿行列」と「献餅行列」が中止になりました。男性が一人熱心にお参りしてらっしゃったので私は途中で引き返してきました。この辺りから写すだけで充分でした。私達はお守りがほしかったので立ち寄ったのでした。(昨日トコちゃんのママから届いたと連絡がありました。)帰り道、ラベンダーが植えられた喫茶店で休憩。駐車場のミモザのお花も綺麗でした。喫茶店の中で寛ぐつもりで飲み物を買ったのですが、すぐに車に戻ることにしました。消費税を2%協力してしまいましたが。名古屋女子マラソンの30キロ少し手前からゴールまでを駐車場の車の中で一生懸命応援し、素晴らしい記録が出たのを喜んでから、楽しい気分で帰路に就いたのでした。
2020.03.11
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大縣神社の梅園をご覧いただく前に昨朝の余談を少しだけ紹介しますね。行き先だけ告げて自転車で出かけた相方。スマホも身分証明書も持たず必要最低限でぶらりと出かけました。しばらくすると突然地元の警察署から私のスマホに連絡が。「こちら〇〇署の〇〇です」と話し出したので交通事故にでも巻き込まれたのかと心臓が飛び出すほどビックリ!実は近くの銀行でまとまった額のお金を引き出そうとしたので連絡してきたのです。「ご主人が車の頭金だとおっしゃってますが、本当でしょうか?最近高齢者が騙されて大金を引き出す事件が増えてますので一応確認の為に連絡しました」とのこと。私は「出がけに何も言ってきませんでしたが」と言いたいところでしたが、「はい、近々大きな車を買うと言ってましたので」と即座に応えました。しばらくして帰って来たので聞いたところ、いつもはATMで引き出すのに昨日に限って長蛇の列で待っておられず窓口へ直行したのでした。すると行員がすぐに地元の警察署に連絡し、若い男女の署員が駆けつけてきて色々と質問をした後、私のスマホに連絡をしてきたのでした。歩いてすぐの所なので免許証も身分証明ができるものを何も携帯していませんでした。今は70歳以上の高齢者が現金を引き出す時は全件警察に通報が行くそうです。私がどこの銀行ですかと聞くとそれは答えられないことになっていますとの返事。先日掲載した○○○の機器をつけたのも私が銀行からまとまったお金を引き出してきたその夜に盗難にあったのでした。偶然なのか、銀行から後をつけられたのかわかりませんが、とにかく物騒な世の中ですから気を付けないといけませんね。では大縣神社の梅園に戻りましょう。見頃は3月初旬だったかもしれませんが、まだしだれ梅が綺麗に咲いていました。どうぞご覧ください。湯島天満宮の湯島の白梅です。だいぶ上の方まで上がってきました。もう少しで山の頂きに到着です。梅園はもう1回続きますのでよろしくお付き合いください。(つづく)
2020.03.10
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あいにくカタクリの花はまだ早すぎたので次に向かった先は梅まつりを開催中の大縣神社。しかし雨の日曜日、午前9時半に神社の境内を歩く人は誰もいません。手水舎で手を清め進みました。屋台もたこ焼き屋は休みで団子屋だけ営業。歩いてるのは巫女さんだけ途中の建物内で地元の年代物の土人形が展示されていました。さらに境内を進むと今年の干支、ねずみの姿がチェンソーでこの方が作られました。やっと向こうの方に梅の花が見えてきました。しだれ梅が多いですね。では梅園に入ることにしましょう。PS) ここでちょっと補足しておきますね。雨の中ドライブしたのは運転手の相方と私。実は私が一人カタクリの群生地や河津桜、土田御前と織田信長の像や梅園を観てくる間、運転手は車の中で午前9時から始まった名古屋ウィミンズマラソン2020の途中経過を一人で観てたのでした。(つづく)
2020.03.09
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昨夜見た天気予報では今日の天気は雨となっていました。雨なら花粉も飛ばずに落ちるだろうと思い切ってドライブをすることに。早朝は雨も小降りでしたがちょうど出かける頃には本降りに。実はカタクリの花を観たかったんです。あいにくのお天気で山麓には案の定、誰もいませんでした。一人でカタクリの群生地を見てくることにしました。カタクリの花が咲いているどころか、まだ葉っぱもそんなに出ていませんでした。どうりで人っ子一人いないわけです。あちこちに落ちた椿の花が物悲しい感じでした。駐車場に戻って桜の花を写しました。雨が激しくカメラのレンズが曇ります。桜の種類は河津桜です。すると、以前訪れた時にはなかった像と碑が建立されているではありませんか。これも「麒麟がくる」の影響でしょうか。左右の景色です。残念ながらカタクリの花は見れませんでしたので、梅の花でも見に行くとしましょうか。(つづく)
2020.03.08
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案内板を読みながら山道を下りました。なるべく読めるように写しましたが、いかがでしょうか?堀切(ほりきり)です。山の尾根を掘り切って尾根沿いに敵が侵入できないように、または掘切った谷底を敵が侵入したとき、堀の上方から攻撃できるようにしたのです。乾の曲輪(いぬいのくるわ)本丸から乾の方角(北西の位置)の曲輪。この曲輪の周辺は山城の遺構が良い状態で多く残っています。虎口(こぐち)この先の曲輪に敵が並んで侵入できないように入口の道を狭く、しかも途中で曲げて防御を容易にした構造です。切り岸(きりぎし)曲輪の周囲の斜面に手を加え敵の侵入を防ぐために作った崖です。先ほどの立て札にも説明があった六親けん属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)ここで発見された六親けん属幽魂塔が祀ってあります。この幽魂塔のかたわらを発掘したところ地中から両足の大腿骨、鎧の一部金具、小柄(こづか)、着衣の腐食したものなどが出ました。うっそうとした竹藪も伐採して少しずつ整備が進んでいました。本当に静かで私たち以外誰もいませんでした。また切り岸が出てきました。曲輪(くるわ)の周囲に急斜面を作り敵の侵入を防ぐ人口の崖です。↓搦手門(からめてもん)城の裏門に当たる所です。うっそうと茂る竹藪を抜けこれでやっと人里まで降りてきました。可児市の汚水槽の蓋です。長らく「麒麟がくる」ゆかりの地を訪ねた旅行記にお付き合い頂きましてありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後に可児市発行の明智光秀に関する資料を拝借して掲載しておきます。(終)
2020.02.01
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長い石畳を息を切らして上がりやっと山頂に到着しました。向こうの方に何やら書いてありますので近づいてみましょう。読めますでしょうか?明智城の記「美濃国諸旧記」によると土岐頼兼が1342年にこの地に城を築き、以降二百年にわたって明智氏の居城であったとされる。(中略)同書によると、明智城は1556年斎藤義龍に攻略され、明智氏は落城と共に滅んだとされる。一族のうち、明智光秀は一門の再起を期してここから脱出、諸国流浪後、織田信長に仕えてその重鎮となるなど、天賦の才を発揮した。明智光秀は本能寺の変において主の信長を討ったことにより長く逆臣の代名詞とされてきた。しかし、近年においては優れた政治手腕と軍事能力で織田政権を支えた武将としてその人物像の再評価が進んでいる。・・・・・・・と書かれています。こちらは明智城址の碑です。説明をご覧ください。わかりにくいですが、十兵衛坂と書いてあります。見晴らし台が作ってありました。雪をかぶった山は御嶽山?(それとも白山?)今年は暖冬で山には雪が少ないそうですが向こうの方に雪山が見えました。↓明智荘の展望です。読みながら思わず頬が緩みましたが、十兵衛坂を下りずに新しくできた坂を気を緩めずに降りることにしました。遊歩道の感覚で楽に下りることができました。水の手跡は「山城として戦う、立てこもる時に水を調達する重要な所です。両方の山腹に曲輪があり水の手を守れるようになっています。」と説明されています。二重の竪堀(たてぼり)は「山頂の曲輪に敵が山腹を迂回して侵入できないように、斜面に縦方向に掘った堀の事。ここでは竪堀が二重に彫られていて曲輪を堅固に守っています。」と説明されています。搦手跡(からめてあと)明智光秀は謎の多い人物です。大河ドラマが始まった途端、岐阜県内でも我が市が光秀の生誕地であると名乗りを上げた所が4カ所も出てきました。大垣市、山県市、恵那市、可児市です。産湯の井戸や明智城跡もあちらにもこちらにもあるそうです。どこが本当なのかは謎です。この地(可児市)に住む方で古文書を保存されている方がいらっしゃって、「明智荘を見つめる会」の方々が山の中の足元の悪い所を整備して明智城址を保存しようと力を入れてらっしゃいます。もう1回だけ続きますのでお付き合いください。(つづく)
2020.01.31
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明智光秀の大きなお位牌も明智家の墓所も見学できたのでではここから山道を上がりましょう。まだそれほど傾斜はありません。緩やかな登りに入ったところで何やら門が見えてきました。明智城址 大手門と書いてあります。(大手口跡)少しずつ登りが険しくなってきました。素足に下駄ばきの相方の後ろ姿を見失わないようについていくのが精一杯でした。相当登ってきたつもりでしたが、ここはまだ中間地点でした。この頃になると気管支の弱い私はヒーヒーと息が上がってきました。石畳はまだまだ続きます。これが桔梗坂なんです。歯を食いしばりながら登っていくと目の前に「七つ塚」の案内板があり、目の前が明るくなってきました。七ツ塚です。うっそうと茂る山の中を歩いてきたにもかかわらず塚の向こうには住宅地が広がっていました。七人の武将の塚です。いよいよ山頂に来ました。この近くに明智城址があるはずです。(つづく)
2020.01.30
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曹洞宗 天龍寺の本堂に参拝しました。本堂に祀ってあった明智光秀の大きな位牌は高さ六尺一寸三分(18.4㎝)もあり日本で一番大きな位牌だそうです。参道の両側には柔和な表情の石像が鎮座明智氏歴代の墓所です。石庭皆さんはここまで見学されたら車で引き返していかれました。私達はさらに奥へと進みましたが、前にも後ろにも私たち以外人っ子一人いなかったのでした。ところが、実はここからが大変でした。石畳が続く坂を上って行かなければなりませんでした。イノシシかクマが出てきたらどうしようと少々不安になってきました。それはまた明日のブログへ続きます。(つづく)
2020.01.29
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25日(土)夕方に東海テレビ「ぐっさん家」で放送されたばかりで一昨日立ち寄ったけれど日曜日という事とテレビの影響で店内のみならず店外も大勢待っていたんですが、昨日は落ち着いてスイーツを頂くことができました。店員さんも昨日は本当に大勢のお客様が来店され一日中大変でしたとおっしゃってました。今日は静かでゆっくりできました。近くの博物館に立ち寄ろうとしたら月曜日は休館日なので残念。またの機会に訪れることにして外観だけ写してきました。ちょっとルーブル美術館の中庭のピラミッドに似ているような外観ですが、とても小さい建物でした。博物館はどこにあるのでしょうか?近いうちにまた来ることにします。次に向かったのはこちら。26日(日)に第2回を見たばかりですが、「麒麟がくる」で有名な明智光秀ゆかりの地です。ネット検索すると、近隣の住民の迷惑にならないように花フェスタ記念公園西口駐車場に車を置いて歩いて訪れるようにとのことでした。駐車場にたくさん幟が風に翻っていました。そこから明智城址こちらという立て札に従って田舎道を歩いて行きました。やっと看板に距離が出てきました。こちらは神社ここまで私達は歩いてきましたが、車で乗り入れてくる人たちもいました。曹洞宗 天龍寺です。ここ天龍寺で明智光秀にゆかりのものを見学した後、実はまた息切れしながら山道を登ることになりました。まだこの時はその辛さを知らなかったのです。しかも山には私たち二人以外誰もいませんでした。(つづく)
2020.01.28
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ロープウェイで山頂に上がると目の前に草月流のオブジェが現れました。わ・わ・わ「和・輪・話」Wa Wa Waとタイトルが書かれていました。寄せ植えのお花と竹のオブジェの調和が芸術的だと思いました。昼と夜の光景のコントラストです。山頂から見下ろすと素晴らしい眺めが肉眼では見えたんですが、写真ではもやがかかっていました。木のオブジェも面白いなと感じました。こちらは何かなと進んでいくとその先にはバラ園がありました。・「ティーの香りエリア」はすべてDavid Austin作出。グラハム・トーマス、パット・オースチン、キャスリン・モーリー、メアリー・マグダリン、ザ・ピルグリム、モリニュー、シャルロット、ジャネット等・「オールドローズの香りエリア」もすべてDavid Austin作出。メアリー・ローズ、ザ・メイフラワー、マサコ(エグランティーヌ)の他8種類・もう1カ所の「オールドローズの香りエリア」も全てDavid Austin作出。スカボロ・フェア、ウィリアム・シェイクスピア、ザ・ダークレディーの他5種類・「ノアゼット+スパイシーの香りエリア」にはブラッシュ・ノアゼット、シャルル・ド・ゴールの他5種類・「ムスクの香りエリア」にはプライス・スピリット、コーネリア、スノーグース、パフ・ビューティーの他3種類・「フルーツの香りエリア」にはエブリン、グレイス、シャリファ・アスマ、ヘリテージ、アブラハム・ダービー、ニュー・ドーンの他9種類、いずれのエリアもDavid Austin作出が多かったです。全ての薔薇の名前が点字でも書かれていました。(長くなりますので薔薇の名前を省略しました)こちらは香りの資料館です。好きな香りを選ぶとその人の性格がわかりました。香りの資料館の外です。かれこれ1時間ほど見学したでしょうか。そろそろロープウェイで下りないと新幹線に乗り遅れてしまいます。ハーブ園は山頂から歩いて山を下って行かないと見えません。元気な人たちがハーブ園を歩いている姿をロープウェイの窓越しに眺めました。おかげさまで充分間に合いましたので無事に帰宅することができました。この日は10,500歩も歩きました。 昨日で阪神・淡路大震災から25年が経ちました。犠牲になられた多くの方々のご冥福を心からお祈りいたします。25年間で神戸の街が復興し、ずいぶん発展したのを感じました。長らく年末年始4泊5日の四国の旅にお付き合い下さいましてありがとうございました。(終)
2020.01.18
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12月30日に眉山へロープウェイで登った折、1月2日の午前11時から阿波踊り体験ができると知りました。そこで2日の午前10時半過ぎホテルをチェックアウトし、相方が大きな荷物と喫茶店で待つ間、私一人阿波踊り会館まで急ぎました。ところがどういう事でしょう。受付の女性二人に「阿波踊りの実演は変則的でして本日は午後1時と3時に変更になりました。」と言われ、ショック!折角楽しみにしていたのにガッカリ!仕方ないのでポスターを写し、窓の外に見える提灯を写しオブジェを写して諦めることにしました。早々と相方が待つ喫茶店に行くと余りにも早かったので目が点になって驚く相方。結局高速バスの時間を早めてもらえるか聞きに行き、ラッキーなことに座席が残り2人分だけ空いていたので1時間半も早く新神戸に戻れることになりました。徳島に別れを告げ高速バスで一路神戸に向かいました。新神戸駅に着いたのはいいのですが、新幹線の指定席は早い時間は空いていません。自由席で立っていくのも嫌なので結局予約で買った時間まで待つことに。しばらく駅構内でボーッとしていましたが、どこかで1時間半ほどつぶせないかと案内所で聞いてみると新神戸駅の近くならロープウェイに乗ってハーブ園に行くのがいいのではと言われました。駅前の大きなホテル内を通って約10分ほど歩くとハーブ園行きの山麓駅がありました。ロープウェイも見えてきました。乗降に段差のないバリアフリー仕様です。眼下に広がる神戸の景色や「布引の滝」を見ながらゆっくりと上がっていきます。全長1,460m、標高400mの山頂駅まで約10分の空中散歩を楽しんだのでした。(つづく)
2020.01.17
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(1月1日に訪れた栗林公園の続きです)楓岸にはタカオカエデが多く植えられています。紅葉の頃は綺麗なことでしょう。掬月亭(きくげつてい)から南湖(広さ約7,900㎡)にかけては池の周囲を歩きながら楽しむ回遊式庭園として造られました。池には3つの島と岩組、迎春橋があり和船に乗ってお殿様気分で舟遊びができます。私も舟遊びがしたかったけれど、時間的な余裕がなく断念しました。皆さん船頭さんの解説を聞きながら舟遊びを楽しんでらっしゃいました。吹上亭の近くの岸に群がる鯉こちらで鯉の餌を売っていて買い与える人がいましたのでどの鯉も丸々と太って元気が良かったです。偃月(えんげつ)橋藩主が江戸を懐かしみ富士を模して造らせたと言われる飛来峰からの眺めです。もう少し上に行くとこんな感じ先ほど鯉に餌をやっていた所も見えました。出口(東門)に戻る途中にも鯉がたくさん泳いでいました。バスに揺られてJR高松駅に戻り喫茶店で一服駅構内にあった蘭の花特急がちょうど出た直後で次の発車までかなり待たされ特急うずしお号で徳島まで帰ったのでした。1月1日の歩数はなんと12,500歩を超えてました。(つづく)
2020.01.16
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折角高松駅まで来て年明けうどんを食べたので午後の運動に栗林公園まで行ってみようとバスに乗り栗林公園前で下りました。国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で最大の広さを持つ栗林公園は四百年近い歴史があります。庭園内には約千四百本の松があり、そのうち約一千本もの松が職人によって見事に手入れされています。約三百年にわたって手入れされてきた手入れ松はまるで盆栽のようです。鶴亀松や大正時代に皇族の方々がお手植えされた松があります。中央には英国王エドワード8世(皇太子当時)のお手植松もあります。松も樹齢が長いんだなぁと感心。右側にヒマラヤスギがそびえたつ商工奨励館は明治32年に香川県博物館として建築されました。二階には世界的家具デザイナーのテーブルやいすが展示されています。檜御殿跡日暮亭(ひぐらしてい)明治時代に建てられた茶室。茶室が5部屋あり、両側に露地(茶庭)があります。石壁(赤壁)に一羽の鷺が羽根を休めていました。旧日暮亭江戸時代の大名茶室を今に伝える建物です。桶樋滝西湖、北湖、南湖の他にも群鴨池、芙蓉沼などいくつもの池があり大きな鯉が泳いでいました。薩摩藩主島津公から贈られた琉球産のソテツの築山。群植されたソテツの葉が鳳凰の羽根に似ているのでその名がついたとされる鳳尾う(ほうびう)掬月亭(きくげつてい)は四方正面の数寄屋造りになっていて掬月の間から南湖を眺めると見事な景観です。私も抹茶をよばれたかったのですが、ゆっくりする時間もなく先を急ぎました。(つづく)
2020.01.15
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