2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全2件 (2件中 1-2件目)
1
地震による影響は出版界にも及んでいます。集英社と講談社は東北の製紙工場がストップしており、漫画雑誌に必要な紙が不足している状態です。少年ジャンプは合併号などで苦肉の策をとっているようですね。月刊マガジンはなんとか4月は発売にこぎつけましたが雑誌自体が減ページになります。来月も減ページで発売するようです。もちろん連載漫画も5月号同様に減ページになるでしょう。自分は4月は体調のせいもありお休みをとらせてもらう予定でしたが、震災にあった読者のためにも仕事をする事にしました。休む予定を取りやめ、無理矢理載せるので雑誌の編成上、減ページになります。おそらく16~20ページでしょう。どっかのラジオで編集部出身のコメンテーターが物流の関係で雑誌が休む所もあると言っていましたが、正確には製紙不足と、製版所が計画停電の影響で稼働不足になるためです。本当にコメンテーターとはアテにならないですね。しかし、今回の震災による政府対応もひどいものです。もちろん東電の役員や原発安全委員会もぬるい体質でした。いつも被害が掛かるのは庶民と現場で働く作業員です。これは天災時も戦争時も同じですね。とにかく内閣は地震後すぐに有事における連絡網を作る事でした。情報の混濁が第二の人災を招きました。まあ、菅総理は僕の地元の選挙区でしたからそのパフォーマンスしか能のない人物像は知ってました。アメリカのブッシュが大統領になった時、ブッシュを教えた大学の教授が「あんなバカに大統領が務まるか」というニュアンスの発言をしたと聞きましたが、菅総理が総理になった時もブッシュのエピソードがダブる感覚でしたね。では民主党でなく自民党が与党だったら今回の震災への対応はましだったかというとそう大差はなかったでしょう。丸投げ体質は自民も民主もおなじでしょうから。ただ自民はアメリカには従順なので原発問題で早い時期に米軍の応援を要請したかもしれませんね。危機の時こそ人物の真価が問われるとは良く言います。民主党は実に見苦しい姿を見せました。与党になって尖閣諸島問題や震災と運の悪い政党でもありますが、それも真の実力があれば多少は対処出来たでしょう。非難を浴びる失態は人の上に立つ能力が欠如していたからです。本当に政治家というのはぬるいです。被災地で敏感に対処する庶民のなんと優秀な事か。日本は政治力はなくとも国民力はありますね。大切なのは正しい情報を正しく理解する事。有事で何が重要なのかは「知る事」と「判断する事」です。突発時には「決断」が必要でしょう。はたして今回の震災で与党と総理はどれだけの「知る、判断、決断」を為したのでしょうか。国は国民が作ります。愚鈍なリーダーは国を迷わせる。菅総理も以前に風評被害を受けたカイワレを食べた時のように、福島のほうれん草も食べてほしいですね。自分は震災後の2回目の総理声明の中、原発で命がけで作業する自衛隊や東電作業員への感謝と畏敬の念を聞けなかった事が本当に残念に思いました。これはトップに立つ人間がやってはいけない事でした。また「国民とともに頑張ります」というような表現も哀しかった。国のトップが国民目線ではいけません。国民の行くべき道を示す程の指導力が必要な時です。国民を引っ張るべきの立場の人が国民と同じ立ち位置では、単なる責任放棄にしか聞こえません。国民の命がかかってるのなら切腹するぐらいの覚悟で事態に対処しなければなりません。その覚悟が足りない。実際に原発や被災地では命をかけて作業している人々がいます。命令する立場の人間はその命令に命をかけてほしい。誰かに責任を託すようでは能無しでしょう。全ては自分の責任にするだけの覚悟がなくては一国のリーダーとは言えません。エラそうな事を言いましたが、僕にも過去に命をかけるような事態がありました。決断し、祈り、動く事で対処しました。命がけなら智慧も湧きます。真剣に先を予測します。言葉が力を持ち人を動かします。「確信」を持つ人物に人々は惹かれます。「行動」を示す人物に人々は共感します。「踏み込む」ことで人々も歩を進めます。僕も批判ばかりはしたくないです。国の有事の時です。総理が一人で前に立つ勇気を持ってほしいですね。
2011年03月29日
コメント(0)
言わずと知れた名作アニメシリーズの「ペリーヌ物語」今回は仕事中にこの名作アニメをBGMにしてました。三国志の血なまぐさい世界を描きながら、人を愛する事を説くアニメを流すとは全く相反していますね。このアニメをリアルタイムで見ていたのは僕が高校生の時でした。日曜日に外出していてもこのアニメを見るために午後の7時半までにダッシュで帰っていた事を思い出します。見逃した時は地団駄踏んで悔しがったほどハマっていました。さてこのペリーヌ物語、今回はアシスタントには迷惑だろうと自分だけDVDレコーダーで流してイヤホンで聴いてましたが、意外な発見が出来ました。それは、とにかく音響が細かいという事。ペリーヌの旅先での馬車の車輪の音、虫達の鳴く音、人の靴音、とにかく音の演出にこれでもかとこだわっている事に気づきます。ただ人の足音はアニメーションと合ってなかったのはご愛嬌というか当時の技術では難しかったのでしょうね。今ではコンピューターで細かい調整が出来るので、音とアニメーションを合わす事はかなり正確に出来るでしょうけど。音の演出で圧巻だったのはペリーヌがおじいさんの孫だと発覚する時の音の演出です。弁護士がペリーヌの本名を告げた時に、それまで聞こえていた暖炉の薪が燃える音が急に消えます。一切の音がなくなり、実名がおじいさんに知られたペリーヌの驚きと戸惑いと恐怖が表現されています。この希代の演出は名作アニメの中でも1・2を争うほどの最高の出来映えでしょう。何度見ても涙を誘うほどの感動を与えてくれます。音と同時に気づいたのは主人公のペリーヌの仕草についてです。おじいさんの秘書になったペリーヌの立場をふまえた動きに気づいた視聴者はそんなに多くはないと思います。その代表となる例が椅子に座る順序です。食事の時も部屋の中でもペリーヌは誰よりも最後に椅子に座ります。これは自分が一番立場の低い人間だと自覚しているからで、それを礼儀作法としてペリーヌが徹底している事です。もちろん、礼儀としての事もありますが誰よりも最後に身体を休ませる行動は、病気の母を誠心誠意に世話していた名残ともとれるでしょう。一つ一つの細やかで計算された仕草、音による臨場感は名作アニメの中でも最高と言えます。自分の中ではやはり1番のアニメですね。(父となるならペリーヌのような娘が欲しい!!)という訳で今はペリーヌの原作本「家なき娘」を読んでます。作家はエクトル・マロで、かの有名な「家なき子」の作者です。かなり初期の翻訳本で、文章内で使われている感じがほとんど旧書体で辞書を片手に調べながら読んでます。(だからエラい時間かかる)ただ翻訳本の割には当時の日本人に解りやすいようにナイフを「匕首(あいくち)」と表現したり、パリにいるのになぜかギリシアが支那(中国)よりずっと遠いと説明したりで所々おかしいです。(地理的な矛盾は日本から見ての距離感なのでしょう)よくわからない表現は自分なりに解釈して小説のページに注釈を付けたりしています。とにかく刊行されたのが1941年なのでかなり昔の文法です。ライトノベルで慣れた人にはかなり手こずる小説でしょうね。(かくゆう自分も最近は小説を読んでいなかったので四苦八苦してます)でも今月はカラー原稿の仕事もあるので結構忙しいです。小説もなかなか読み進ませる事も出来ません。この日記もカラー原稿の合間に書いてます。そろそろ仕事に戻ります。僕のおススメの「ペリーヌ物語」見ていない方は是非ご覧ください。泣けます。本当に泣いてしまいます。でも高校生のときはペリーヌの気持ちがわかって泣いてたけど、今はおじいさんの気持ちが痛いほどわかって泣けるなぁ。もう年ですね~・・・。(汗)
2011年03月01日
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1