2004.03.07
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久し振りの日記です。帰省中にあった祖父の話です。

この朝、母から電話があり、入院していた母方祖父の容態が悪く、
いよいよかもしれない…と言われ、急遽、帰省することになりました。

母方祖父は入院すると必ず容態が1度は悪くなり、前ほど回復しないとしても毎回持ち直していたことや、
母は祖父のことになると少し大袈裟な所があるため、そんな電話をもらっても、まだ信じられませんでした。

とりあえず、急いで支度して、新幹線の切符を買って、正午過ぎに東京を出ました。

新幹線の中では、祖父は大丈夫だろうと、私の心に余裕があり、
ダンナさんが持たせてくれたGBAをやっていたのですが…、
途中で従姉妹から留守電があり、「午後2時50分、お祖父ちゃんが…」と始まったので、

「血圧がかなり下がったと連絡があったので、私も病院に行きます」と入っていました…。

そこからは体温が一気に下がり、携帯にメールが来ても電話が入っても怖くて、
もうさすがにゲームどころではなくなりました…。

16時頃に新幹線を降りて乗換電車に乗る事になったのですが、
1時間に1本しか出ない快速に、うまく乗る事が出来て、
なんとか17時前には祖父の病院のある最寄の駅に着きました。
その間も「間に合ってくれますように…」と願っていました。

駅には父が車で迎えに来ていて、「血圧が下がっているがまだ大丈夫だろう」と言われ、
ああ、やはりまだ生死がどうという程ではないのだ…と安心しました。

しかし、病院のエレベーターで降りたのは3階…。集中治療室と親族の控え室がある階でした…。

父はそのまま私を控え室の方に連れて行き、私は反対側からエプロンを外しながら涙目でやって来る母と会いました。



母からエプロンを渡され、集中治療室に行きましたが、横たわっている祖父を見てショックを受けました。

口には人口呼吸器を入れられ、両目はもう瞼を自分で閉じる力が無く、
目が乾くのを防ぐためのガーゼが1枚ずつ被せられ、両手には冷えを防ぐためのタオルが巻かれていました。

私は祖父を見て涙が出ると同時に、思わず「お祖父ちゃん、頑張って!」と言ってしまいました…。
祖父はもうこれ以上頑張ることが出来ないくらい頑張っていたと思うのですが…つい…。


「やはり大丈夫だ、このまま持ち直すに違いない」と思ったのですが…
そうしている間にも祖父の血圧はどんどん下がり、手足はどんどん冷たくなっていき、先生に
「ご親族の方を5~6人、連れてきてください」と言われました。

私は(それでもまだ大丈夫だと思いつつ…)、控え室に父母や叔父達を呼びに走りました。

今思えば、もうエプロンなど関係ないという意味だったのでしょうが…。

皆が集まっていた時に、母が祖父の唇付近が乾くのを防ぐために
小さく丸めた綿を付けた、綿棒より少し大きめの棒を軽く水に浸けて、私にも「やってあげなさい」と手渡しました。
祖父は僅かな水を取り、まだまだ生きようとしているように見えました。

その後、皆で手を握ったりして励ましていましたが、
何度もピーッという機械音がして、結局、脳波を測定する機械値がゼロになり、
先生に「3月7日、午後5時35分、ご臨終です」と言われました。満86歳でした。

86歳というと、私にもまだまだ先の事で、そこまで長生きできるとも限らず、
皆にも大往生だと言われるのですが、祖父はせめて90歳までは…と考えていたので、
祖父にとってはまだまだ…の年齢でした。

先生は臨終を告げると、人工呼吸器をすぐに外しました。
すると、今までなんとか上下に動いていたように見えていた祖父の大きなお腹が一気に凹むように下がって、
そこで祖父の全ての動きが停止しました。

こういう場面は今までドラマでしか見たことがなく、しかも、一番可愛がってもらった祖父がこんなことになるとは…と全く信じられず、ただ涙が溢れ出るばかりでした。
祖父は血行が良くなかったからか、足先から土色になっていくのが分かりました。

祖父は糖尿病で、私が結婚してからは目と足が不自由になってしまい、
耳も遠かったので、好きな映画も見られなくなり、食べたいものも制限され、
泊り込みの家政婦さんと二人で過ごす事が多く、呆けの方も進んできていたので、
もし私がそうなったら生きたいだろうか…と考えたこともありました。
しかし、祖父はそれでももっと長生きしたいと皆に話していました。

この最期の日、午前中から祖父の具合が悪くなっていて、母は先生に
「普通この状態だったら、透析器具を外すのですが、生きたいという気持ちがとても強い方ですので、
このまま付けていましょう」と言われたそうです。

祖父は10日前くらいから透析を続けていたのですが、この土日は透析休みで、
「次は月曜日にしましょう」と言っていた矢先のことだったようです…。

私は帰省中は母の代わりに1日置きに祖父母の家に行っていました。

昨年末に入院したと聞き、お正月に帰省したときは病院に会いに行きましたが、
そのときはまだ(家政婦さん任せですが)ベッドから車椅子に移動できる状態でした。
なので、入院していたとは言え、死んでしまうほど悪くなったことがどうしても信じられませんでした。

実は、私の結婚は色々な理由で母に反対されていたのですが、それを祖父が母に頭を下げて頼んでくれたことや、
私は初孫で、何歳になってもお小遣いをくれて、随分と可愛がってもらったことなど…、
いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡りました。

私は今まで誰かが亡くなっても、そのお葬式に出なければ、その人は遠くでまだ生きていると考える方なので、
今回は祖父の亡くなった場面まで見てしまったことでショックが余計に大きかったです。

何年も経てば、間に合って本当に良かったと思えるのだろうと思いますが…。

私の父方祖父は3年前に亡くなったのですが、父方祖父の家は実家から少し遠く、殆ど会いに行くことが無く、
祖父は呆けて私はとっくに忘れられていたこともあり…(^^;)、実は人が亡くなってここまで大きなショックを受けたのは初めてでした。

母方祖父も呆けが進んで来ていましたが、同じ会話が続くというだけで、
孫まで全員覚えていてくれたので、それは救いだったと思います…。

先生に「(祖父を)着替えさせるので、親族の方は一旦出て下さい」と言われ、皆、出て行きました。
私も出ようとしたのですが、「お祖父ちゃん、頑張って!」と言ってしまった事がどうしても申し訳なくて、
引き返して「お祖父ちゃん、よく頑張ったね」と言って出ました。

霊安室に行ったのも今回が初めてでした。もうそのときには祖父の顔に布が被されていました。

一度、礼拝をして、祖父は病院の裏口から、葬儀社が用意した車で母と一緒に祖父母の家に戻ったのですが、
父が「お祖父ちゃん、やっと家に帰れたね」と言ったのが印象的でした。

久し振りに親戚の皆が揃ったのに、いつもその中心に居るはずの人が居なくて、とても物足らない感じでした。

私も父の運転でそのまま祖父母の家に行きました。
祖父は今まで家政婦さんと一緒に居た応接間のベッドの上に居ました。
北枕を意識してか、いつもとは反対側に寝かされていましたが…。

母や祖母、叔父達は、葬儀社の人と、翌日がお通夜、翌々日が葬儀という話をしていました。

私は皆が思っていたよりしっかりしていたので、安心しました。

夜までに皆、それぞれの支度で家に戻って行ったので、私は少しの間、祖父の枕元で祖父に色々と話しかけていました。

祖父は時々お腹が僅かに動いて息をしているように見えるのがとても不思議でした。
葬儀までは大量のドライアイスをお腹の上に乗せられているそうで、それが溶けるたびにお腹辺りが
僅かに動いたように見えたのだろうと言われましたが、私にも皆にも、祖父は本当に普通に寝ているように見えました。

それから何時間かして、翌日の用意があるから…と父母に言われ、私も一緒に実家に戻りました。

そのときよりも今は精神的に大分落ち着いているのですが、
この日記を書いていても、まだ祖父は生きているような気がします。

本当に長い長い1日でした…。





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Last updated  2004.04.02 20:11:14
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