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夕飯は久々のおでんでした。おでんの大好きな私は、とても幸せなひと時をすごしています。練り物の嫌いだった子供達も今年は美味しいといっていました。味覚は、歳を重ねるごとに変わるのです。子供時代に偏食でも、お爺さん、お婆さんに偏食な人はあまりいません。明日のお昼は、今日よりももう1段美味しくなったおでんを食べれます。
September 30, 2005
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本日6時10分に日が沈んでいきました。7月ごろには、8時近くでも明るい大分でした。そういえば、東京にいた頃、3時ごろには夕方の風景になる。御茶ノ水の駅が記憶にあります。日本にも時差があるような気がします。
September 28, 2005
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本日寒くて目が覚めました。19度でした。昼間が26度です。やっと季節が変わり始めた事を肌で感じました。室内でエビを飼育してある水槽の温度も、28度から25度に下がりました。30度で死亡率が高いエビにとってやっとひと夏を超えた感じです。これから産卵してくれると嬉しいです。畑に植えたほうれん草は、コウロギの餌になってしまい収穫0でした。ベランダで育った、ほうれん草だけがエビの餌になります。
September 26, 2005
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夢ちゃんの前髪をママが今切ってあげています。明日は、運動会で前髪が気になるそうです。この頃は、美容院に行くとがことが多いのですが、久々に見る光景です。お互いに向き合いながらすわると夢ちゃんとママの背は変わらなくなりました。
September 24, 2005
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日曜日は小学校の運動会です。私もママも走るのは苦手でした。それも遺伝するのかうちの子も足は遅いです。それでも一生懸命走る姿に感動したりします。去年は雨で順延で平日に変更になりました。今年は、大丈夫かな。
September 23, 2005
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ただ今です。先ほど四国くから帰ってきました。坂本竜馬のふるさとをこの目で見てきました。四国には大きな平野は見当たりませんでした。急な山から見えるのは、太平洋の海です。四国には大きな平野が見つかりません。それが竜馬の世界観を育てた気がします。竜馬記念館にも行ってきました。沢山の写真や手紙などを見てきました。沢山の手紙を残していた竜馬の性格がいまの私たちに沢山のことをおしえてくれます。海を見つめた竜馬の銅像もなかなかでした。
September 19, 2005
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17日から社員旅行で四国に行ってきます。総勢100名の社員を前半と後半に分かれて行います。大分から船に乗って、2時間ちょとで四国に着いてしまいます。本当に近いのですが、私にとってはじめての四国のたびです。坂本竜馬の生まれた野山も見てきます。
September 15, 2005
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夢あきらめないでください。40を過ぎた私が言うのも変だけどいくつになっても夢をもち続けていける大人に、おじさんになろうと思っています。遠回りして、寄り道して、見失いながらそれでも夢を持ち続けていよう。人に言えなくても、自慢が出来なくても、自分が光る瞬間をそこに見つけられるなら、持ち続けましょう。
September 12, 2005
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今年は、とても静かな選挙です。自民党も、民主党の車も見ません。まして公明党の車も見ていません。落選しても比例でとうるからですかね。それとも人口の少ない町だから、誰も来ないのかもしれません。うるさいのもいやですが。
September 9, 2005
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本日の侵入者は、スズメバチです。前回の奴らより、かなりの強敵です。子供達をトイレとお風呂場に非難させて、パパの手には、ラケットが2本。ママ手には、使い慣れた掃除機を用意しています。動きの早い奴に私たち二人の目が付いていきません。あちらと思えばこちらあざ笑うかのように奴は、狭い部屋の中を飛び回ります。時には、こちらに向かって飛んでくる始末です。恐怖が走ります。ママより後ろに行きそうな体に鞭打ってとどまります。蛍光灯の傘にとまった奴の体にパパの会心の一撃をあびせます。しかし奴は、一瞬の隙に逃げてしまう。パパの一撃は、蛍光灯に炸裂。まだまだテーブルの上に残された夕飯の品々の上に雨のように落ちてゆきました。味噌汁の中にも、タクワンの間にも、ご飯の上にはふりかけのように散らばりました。奴は口の周りを手で押さえながら笑っています。しかし奴の動き止めればこちらにも勝つチャンス生まれるとひらめきました。ママにクモ用のスプレーを持ってきてもらい勝負は決まりました。奴の動きは止まりました。勝負は私たち夫婦の勝利に終わりました。
September 7, 2005
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大分はただ今台風14号通過中です。さすがに今日は、昼から自宅待機になりました。トラックステーションの飛びそうな物は昨日の内にかたづけていましたので、確認のだけで、業務終了でした。団地の裏山から滝のようになって水が流れています。風は今おさまりました。今回停電もせずに終わりそうです。沢山の被害を出しているみたいですが、今私の周りは静かになりました。
September 6, 2005
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信長の見ていた夢は、何だろう魔王と恐れた彼の夢は、日本の統一だったのだろうか。彼は多くの人を殺しすぎたと感じていたのでは無いでしょうか。沢山の人々の命を奪った事に何も感じないでいられるほど強くないと感じられて仕方ない。武将同士の戦いで死ぬのは、お互いの覚悟という物を感じられる。しかし多くの名も無き人々を殺す事を命じています。それは、敵方の一般の人を盾にした作戦への応戦した物ですが、配下のものからも恐れられる存在となった頃の出来事です。信長の夢の続きを探してみたい。
September 5, 2005
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織田信長が生まれた年に1534ごろに生まれたとされる天海和尚は、1643年ごろまで生きております。実に109歳になります。彼はの人生の半分以上は判りません。彼が歴史の表舞台に登場するのは、秀吉が天下を収めた頃だと思われます。徳川家康の闇の宰相としてのイメージが私にはあります。歴史は、勝者のために創られます。暗い部分や不都合の部分は、時の権力者の手により書き換えられるものです。もし天海の日記があるとしたら、戦国時代のノンフィクションして大ベストセラーになると信じています。
September 4, 2005
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秀吉56の子が秀頼です。秀頼が5歳の時に秀吉は病死します。秀頼を残して逝くことにどれだけの不安と悲しみを秀吉は覚えたでしょう。父としてただ1人の自分の血を引く息子を誰に託すべきか最後まで悩んでいたような気がします。秀吉は気が付いていたはずです。信長の子供達を排除して天下人に自分がなったのです。秀吉が死ねば、誰が自分の後を継ぐのか気が付いていたでしょう。秀吉は、信長の子供達をすべて殺したわけではありません。信長の子供達の内、何人かは、明治になるまで小藩として存在するのです。しかし日本誌では、家康は秀吉の血の流れのすべてをゆるしませんでした。秀頼にも幼い男の子がいたようです。それさえも家康は、許さないと決めました。その子は、家康にとってもひ孫の存在だったはずなのに。
September 3, 2005
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浅井長政は25歳で織田信長に攻められ戦死します。1570年に浅井氏は滅亡したと日本史では書かれています。長政には、3人の女の子と1人の男の子がいました。妻は、信長の妹です。3人の娘達は、それぞれの数奇な運命を歩みます。その中に徳川秀忠の妻になり、三代将軍家光の母になる少女がいます。徳川家光の祖父は、徳川家康と浅井長政なのです。滅亡などしていません。浅井長政の思いは、娘達によってかなえられたような気がします。
September 1, 2005
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