B.C.B.G.な暮らし

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2008.12.02
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テーマ: 京都。(6324)
カテゴリ: Kyoto



あれ~
京都の大仏さんってあったっけ~

‘大仏さん’と聞いて思い浮かぶのは

奈良の大仏さんに鎌倉の大仏さん



でもね。

京都にも奈良の大仏さんをしのぐ巨大な大仏さんがあったのをご存知でしょうか?

この大仏さんは、何と造建以来、四度再建され、五度崩壊した
という悲劇の大仏さんなのです。

大仏さんが建っていたのは、
東山七条手前を北に入った豊国神社横の方広寺。

周辺には京都国立博物館や三十三間堂があります。
修学旅行で回られたこともありますね。

隣に豊国神社があることでわかるように、
大仏さんは豊臣秀吉の命により着工され
1593年に完成しました。

この大仏さん、高さが19mで(奈良の大仏は16m)
大仏殿の規模も高さ50m、前面82m、側面57mと巨大なもので、
奈良・東大寺の大仏殿を凌ぐ大きさだったと言われています。

本体は鋳造(ちゅうぞう…金属を溶かして鋳型に流し込んで造る)ではなくって
木造で造られ、漆を塗り金箔が光り輝く

という権力を顕示することを好む秀吉らしい大仏殿だったようです。

しかし3年後に関西を襲った慶長大地震で崩壊し、
2年後に秀吉もこの世を去りました。






方広寺.jpg

(あまりの巨大さに圧倒される徳川家康にいちゃもんをつけられた有名な梵鐘です)

「国家安康・君臣豊楽」 の文字があります。

家康を真っ二つにすることで、国を安じ、
豊臣家を君となすことで繁栄を楽しむと解釈する
という難癖をつけられて、

ここから、豊臣氏滅亡のきっかけとなった
大阪冬の陣が勃発したのですね。





1602年に秀吉の子、秀頼によって大仏鋳造が
行われるも、完成真近に出火し焼失しました。



1622年には、徳川家康の進めにより、
鋳造大仏は再建されましたが、
またしても寛文大地震(1662年)で
大仏、大仏殿ともに倒壊してしまいました。



秀吉亡き後、
天下を狙っていた徳川家康が
何故?
豊臣家に大仏の再建を進めたかは、
豊臣家の財力を削減させる狙いがあったとも言われています。

その後、木造金箔漆造りの大仏が再建されるも
今度は、3年後に、落雷により炎上焼失してしまったそうです。




その後、天保14年(1843)に木彫の大仏さんが再興されましたが、
この大仏さんも昭和48年にまたしても火災により炎上、焼失してしまいました。



その後、大仏さんは再興されていません。




京都の大仏さまは、
当時の権力の全てを握った秀吉の栄華の象徴だった
と言われますが、

本当に悲劇で薄幸な運命を辿った京都の大仏さん。

なんとはかない運命でしょう。



京都には、今でもこんなわらべ唄が残っています。



京の京の大仏っあんは、天火で焼けてな~
三十三間堂は焼け残った
ありゃどんどんどん
こりゃどんどんどん
うしろの正面だ~あれ~




83歳のコーラスの大先生は、
京都の悲しい歴史を頭に思い描くようにして
歌ってくださいとおっしゃいました。

(京都人は、今でも淀君のことをよく思っていない
そんな話もしてくださいました。)



明日から、

みんなの童謡

で放送しています。

よかったら聴いてみてくださいね。

歌は、またまたあいりすぐるーぷです。ぽっ

下手くそだけど、一生懸命に歌ってきましたよ♪









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Last updated  2008.12.02 23:47:20
コメント(15) | コメントを書く
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Re:京の大仏さま(12/02)  
温サポ  さん
 多才ですね^^ いつまでも華のある女性でいてくださいな^^

(2008.12.03 00:25:16)

大仏殿の歴史  
ROLAN727  さん
大阪冬の陣のきっかけになった方広寺の鐘の伝説は伝わっていますが、まさか5回も大仏様が炎上したとは思いませんでした。家光が大仏の銅を溶かして銭を鋳造させたという話は本当なんですかね。豊臣氏に対する執念が幕府にあったとすると、やはり秀頼は生き残れません。
黒田長政が描かせたという図屏風に、大阪落城の様子が描かれています。篭城の大阪方に女性が多い。これでは家康と戦えません。太閤の後継者が秀頼だったことが歴史の悲劇です。家康の陣を攻めた幸村と一緒に討ち死にするくらいの武者であれば・・・。 (2008.12.03 16:03:51)

Re:京の大仏さま(12/02)  
megu~  さん
悲惨な大仏様もいたんですね~
そんなに悲惨だとあったとしても
ありがたみも・・・。
昭和48年まであったのなら
写真ぐらいは残ってるのかな? (2008.12.03 18:32:51)

Re:京の大仏さま(12/02)  
今日も元気でがんばっていますか?

京の大仏って・・まさに地震、雷、火事、親父(徳川家康)に見舞われたような仏様ですね。

京都の現在の町は、秀吉の桃山時代に大きく変遷しています。

京都人は、今でも淀君のことをよく思ってない人が多いというのは、興味深いですね。

柴田勝家とお市の方が、北の庄(福井)で自害したあと、三人の娘が残されて豊臣と徳川に別れたわけですが、何か「京の大仏さん創建」と関係があるような気もします。

興味深い歴史物語・・ありがとうございます。

今日も元気で朗らかで笑顔で、強い気持ちで♪

(2008.12.04 09:33:44)

Re:京の大仏さま(12/02)  
mittiさん、おはようございま~~~す!!!
スゴイ!知らなかったです。
京都にも大仏があったんですね~~~。。。
しかも、5回も炎上したとは、本当に驚きです…
未だ豊国神社には行った事がありませんが、
いつか行きたいと思っている場所でした。
今月は、京の大仏様の歌ですか!
早速録画の準備せねば~~~。。。
先日、寺町を歩いてたら、通り歌の歌詞が書かれてて、
Mittiさんを思い出しましたよ~♪
私のお友達も、Mittiさんの、ブログ好き~と言ってました(*^_^*)
京の大仏様を歌う姿、コーラス大先生のご指導、
歌は歌詞を知る事からですよね・・・
さすが大先生です。
Mittiさん、お疲れ様です。 (2008.12.05 08:12:00)

Re:京の大仏さま(12/02)  
Crespo  さん
今晩はMittiさん!
京都にも大仏があつたのですか!
現在もあつたら過去の歴史が少し変つていたかも知れませんね。
良い週末をお過ごしください。 (2008.12.05 21:35:55)

Re:京の大仏さま(12/02)  
salon de cosmos  さん
そういう歴史があったんですね。
何度も焼失していたとは。。。
勉強になりました~。ありがとう~。
秀吉は、NHKで見ていました~。 (2008.12.06 14:30:35)

温サポさんへ  
Mitti  さん
こんにちは~
またまたお返事遅くなりました。

> 多才ですね^^ いつまでも華のある女性でいてくださいな^^

ありがとうございます♪ 

先週は、あちこちに出かけ過ぎて、めったにひかない風邪をひいてしまいましたわ。

今はちょっと枯れかけてます。(苦笑)
お華には水ですよね。水分をきらさないように注意しますね!
(2008.12.08 15:44:27)

ROLAN727さん  
Mitti  さん
こんにちは。
コメントありがとうございます。
すっかりお返事が遅くなりました。

>家光が大仏の銅を溶かして銭を鋳造させたという話は本当なんですかね。豊臣氏に対する執念が幕府にあったとすると、やはり秀頼は生き残れません。

嘘か、ほんとかわからない伝説がたくさんありますね
でも、歴史の流れからいうと、豊臣氏に対して幕府がよくは思っていなかったことは確かです。

>大阪方に女性が多い。これでは家康と戦えません。太閤の後継者が秀頼だったことが歴史の悲劇です。家康の陣を攻めた幸村と一緒に討ち死にするくらいの武者であれば・・・。

幸村も影武者がいっぱいいたっていう噂がありますよね。
秀頼と陥落する大阪城を抜け出して、どこかで生き延びたとか。。。

それはおいといて。

どうして秀頼は幸村と一緒に出陣しなかったのでしょうね。
母君がお止めになられたくらいで行かないなんて、情けないです。
とにかく淀君一人も抑えこめないようではだめです。豊臣方に冷静な男性が一人でもいてくれたらよかったのですけれどね。

秀吉には、なかなか子どもが生まれなかったんですよね。
おねが秀吉の子を産んでいれば、その子は秀吉の晩年にはとっくに成人していて、状況はかなり違っていたかもしれません。
そういえば、秀頼は、秀吉の子供ではないのではないかという話もよく聞きますね。
側室が大勢いた中で 淀君だけが立て続けに2人も産んでいるのは不自然だとも言われてます。体格も顔の雰囲気も顔も全く違っていたようですよ。

こんな話をしてるときりがありませんけれど。

今日は、ここまで。


(2008.12.08 15:46:57)

megu~さんへ  
Mitti  さん
こんにちは~。コメントありがとうございます。
お返事遅くなりましたわ。

>悲惨な大仏様もいたんですね~
>そんなに悲惨だとあったとしても
>ありがたみも・・・。

いつか豊かな未来になったら、再建されることもあるでしょうか。

大仏殿の後は公園になって残っています。

大仏さんが焼けてしまった史実は、伏見城や、大阪城が焼き討ちにあったという事実を連想させるみたいです。

ないほうがいいのかも。。。

>昭和48年まであったのなら
>写真ぐらいは残ってるのかな?

ただ再建されて、昭和まで残っていたのは、(大)仏
さんは、桃山時代の大仏さんの10分の1くらいの大きさだったようです。
大仏さんではないですね。
仏像です。
(2008.12.08 15:50:11)

福が来たぁ♪さんへ その1  
Mitti  さん
こんにちは~コメントありがとうございました。
お返事がすっかり遅くなりました。

>今日も元気でがんばっていますか?

それがですね。先週、飛び回り過ぎて、風邪をひいてしまいました。今日は家にいて、安静にしています。

>京の大仏って・・まさに地震、雷、火事、親父(徳川家康)に見舞われたような仏様ですね。

お福様お上手です!!!(拍手)

>京都の現在の町は、秀吉の桃山時代に大きく変遷しています。

そうなのですよね。京都大改造と言われてますね。
平安京の頃とはまったく違っていたそうですね。
昔は、左京より、右京の方が、中心だったと聞いたことがあります。

>京都人は、今でも淀君のことをよく思ってない人が多いというのは、興味深いですね。

もし淀君が徳川家の意向を無視していなかったら。という話はよくされるようです。

だいたい、淀君とお呼びするのは、蔑称だそうですね。「○○君」という呼び方には暗に遊女・娼婦を意味する差別的なニュアンスが強いみたいです。

”淀殿”、”淀の方”とお呼びしないといけないのでした。
失礼いたしました。

(2008.12.08 15:54:44)

お福さま その2  
Mitti  さん
入りきりませんでした。続きです。

>柴田勝家とお市の方が、北の庄(福井)で自害したあと、三人の娘が残されて豊臣と徳川に別れたわけですが、何か「京の大仏さん創建」と関係があるような気もします。

関係があるのかもしれません。

やはり、お市の方がとても美しい方だったというのがよくなかったのかもしれません(笑)

秀吉は、お市の方のことを憧れていたようですが、お市の方には嫌われいたのですよね。

もし、お市の方に娘(茶々)が生まれていなかったら、
豊臣政権の行く末が大きく違っていたのは確かでしょう。
でなければ、秀次事件も起きなかったでしょうし。
秀次が、豊臣政権の後継ぎだったなら、もうちょっと政権も続いたような気がしませんか?

やはりに豊臣にとって1番の痛手は「秀次事件」の時に連座を免れた家臣(大名)が、関が原の戦いの時には、そのほとんどが「東軍に加わった」ことでしょう。

>興味深い歴史物語・・ありがとうございます。

こちらこそ、コメントいただいて楽しませていただきました。
こういうお話って楽しいですね。

>今日も元気で朗らかで笑顔で、強い気持ちで♪

は~い。お福様も!

(2008.12.08 15:55:31)

オードリー0309さんへ  
Mitti  さん
こんにちは。コメントありがとうございます。
すっかりお返事遅くなりました。

>スゴイ!知らなかったです。
>京都にも大仏があったんですね~~~。。。
>しかも、5回も炎上したとは、本当に驚きです…
>未だ豊国神社には行った事がありませんが、
>いつか行きたいと思っている場所でした。

そうなのですよ~。歌だけが残っています。

お時間がある時に、この辺をめぐってみてくださいね。

豊国神社から方広寺や鐘楼、大仏殿跡へは地続きになっていますよ。
大仏殿跡は現在公園になって整備されています
大鳥居前の坂道を数分下ると、秀吉 朝鮮出兵の際の朝鮮人の墓(耳塚)もあります。

>今月は、京の大仏様の歌ですか!
>早速録画の準備せねば~~~。。。
>先日、寺町を歩いてたら、通り歌の歌詞が書かれてて、
>Mittiさんを思い出しましたよ~♪

思い出してくれてうれしいわ♪

私は、このごろ、伊勢丹や、高島屋、それから大丸の地下をうろうろしてると、どこかでおーどりーちゃんにばったり会わないかしらって思います。

>私のお友達も、Mittiさんの、ブログ好き~と言ってました(*^_^*)

わぁ。嬉しいです。お友達によろしく~♪

おーどりーちゃんのお友達!
いつもブログに遊びに来てくださってありがとうございます。(ペコリ)

>京の大仏様を歌う姿、コーラス大先生のご指導、
>歌は歌詞を知る事からですよね・・・
>さすが大先生です。
>Mittiさん、お疲れ様です。

はい。京都にいてもまだまだ知らないことがたくさんです。
京都って奥が深いですよね。
(2008.12.08 15:57:27)

Crespoさんへ  
Mitti  さん
こんにちは。コメントありがとうございます。

>京都にも大仏があつたのですか!
>現在もあつたら過去の歴史が少し変つていたかも知れませんね。

ほんと。この大仏さまって、栄華の象徴のようなものですからね。
夢が現実となって続いていたら、その後の歴史も変わっていたかもしれません。

>よい週末をお過ごしください。

クレスポさん! 今週もどうぞよろしくお願いします。
(2008.12.08 15:58:28)

salon de cosmosさんへ  
Mitti  さん
こんにちは。コメントありがとうございます。

>そういう歴史があったんですね。
>何度も焼失していたとは。。。
>勉強になりました~。ありがとう~。
>秀吉は、NHKで見ていました~。

私もコーラスの先生から教えてもらって、歌の意味を知ることができました。

童謡って、おもしろいですよね。
子供の頃から歌っていて、何気に物寂しい歌だとは思っておりましたけれど。
こんなにいろいろと歴史がつまっていたなんて。
(2008.12.08 15:59:11)

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