おとぼけ香港生活から脱皮

おとぼけ香港生活から脱皮

豊チャンのパパ その2


パパさんが10代の頃、台湾へ流れてきた国民党から逃げる為
台湾を脱出した。

船に乗って台湾を出たが、運悪く途中で遭難に遭ってしまったのである。
そこで流れ着いたのが香港であった。

言葉はしゃべれる訳でもなく、4日間は飯が食えなかったと
今でもよく話している・・

知人のつてで、ダイヤモンド・ヒルのバラック屋に身を寄せた。
働き口もあるわけでもないので、友達と水運びをして日銭を稼いだ
らしい。
日銭と言っても、当時の1cent(今でいうとどのくらいでしょうか?)
くらいにしかならなかった。

水運びはあまりお金にならない事を知り、今度は海に潜って
龍蝦(伊勢海老)を捕まえた。10mも潜らなくてならないので
水圧で耳からは血が流れていた。

この伊勢海老は幾らになったかは、聞いたことがないが結構
いいお金になったことだと思う。

それからいつしか、パパさんは貿易を始めるようになった。
貿易と言っても当時は自由貿易はできなかったので、密貿に
なる。
各地からあらゆる物を輸出入した。海賊船に教われないように
武器を持ちながら航海までもした。

この密貿仲間に後の、台湾の作家がいたというから驚きだ。
この作家によってパパさんのこの半生を書いた本があると言うから
また驚きではないか!!
(でも、この作家は自分の半生として綴っている)


話は逸れたが、これはまだ10代後半のことである。
貿易で大金を手にした豊パパ。香港島の、当時にしては
一番高いビルに事務所を構えるまでになった。←(今もそのビルあります)

昔の香港の白黒写真とか見ると、香港島でデンと海辺に構えているのだが、
埋め立てのせいで今はもうオフィス街にひっそりと佇んでいる・・
隣はインド人の医者がいてたまにご厄介になった。
4mの天井の高さがあったよう。

話を戻そう。それからパパさんの豪快な生活っぷりがはじまったのである。


(続く)

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: