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この間、といってもお盆前の話なのだけど、父方の伯母が両親の家に一泊した。80歳にもなる伯母は頭ははっきりしていてすこぶる元気なのだが、80にして日々、家事をこなさなきゃならないのに加え、入退院を繰り返す伯父に精神的ストレスと家に一人ぼっちという寂しさから数日間眠れずにいた為、 「家にとめてくれないか」となったらしい。その晩、bebe母と同じ部屋で布団を敷き、と、言っても私が実家に帰るとそうしているように私が使っている布団で伯母は床についた。そして、その翌朝、久しぶりにぐっすり眠れた伯母はbebe母にこう言い出した。 おば 「昨日(昨晩)、bebeちゃん帰って来たね」 おば 「見たら、足元にbebeちゃんが立ってて 『bebeちゃんの布団使っちゃってごめんねぇ』って言ったら・・・」 おば 「bebeちゃん、私の頭の上の辺で寝てたよ」 それは夢じゃないか、というbebe母に おば 「え~、だって、bebeちゃんと会話したよ」だって!!絶対夢だというbebe母に対し、伯母は一歩も譲らない態度でいたらしい。っつ~ことはそれは私の生霊?!うぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーー!確かに伯母は霊○会の信者で、昔、家に呼ばれて行ってみたら信者達の集会で、子供ながらに何やら霊界的な話をしていたと記憶している。もしかしたら、伯母には霊感があって実際に私の生霊と話をしたのかもしれない??でもよ?考え方によっちゃー私の使ってる布団で、私の寝汗が染み付いた布団で、私のヨダレが染み付いた布団で寝たってことだからある意味、私に優しくベールのように包まれた心地になって私の夢をみた、というか、私の匂いのおかげでうなされていた?!というのならば、私は快く『それは確かに私の生霊だった』と胸を張って選ぼうじゃないか。ま、私の生霊に会ってから伯母はかなりぐっすり眠れたらしいが、布団を取られて「うらめしや~」と出なくて良かったぞ。私。にしても、よく出る部屋ですね。(*それにしても、bebe母もbebe母で実際にその晩、私が実家に帰ってないと分かっていながらも「昨日の晩、どこにいた」だなんて人聞きの悪い。)
2007年08月31日
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どうも私の周りの野郎(男)共は、って具体的にあげちゃうと『bebe父』と『旦那・豊』なのだけど、この2人の知ったかぶりには時に周りを迷惑に追いやる。まぁ、私も小学生時分に『駅伝』を自信満々に「食べたことある!!」って答え、『駅弁』と間違えちゃったことに皆のキョトン顔で気が付いた時には顔から火の出る思いだったことは今でも忘れない。その忘れられないほどの知ったかぶりを前出の2人に披露されちゃったって話なのだけど、昔、家族で遠出した帰り道、どこに行ったか定かじゃあないが皆、くたくたに疲れてたし、お腹が空いていた。そんな家族に気を使ってか、厳格であり、子煩悩のbebe父は皆にエネルギー注入するが如く、運転しながらこんなことを言い出した。「あ!!!俺ここ知ってる。すげぇでけぇスーパーなんだぜ。 何度か来たけど、ほっっっんっっとにすげぇでっけぇんだ。 ちょっと行って何か買わず←(「買おう」という意味)。」その言葉に私含め兄弟達もすでに降りる態勢をとり食べ物にありつけることに一気に目が輝いた。その中でも一番輝いていたのは忘れもしない、bebe父だ。広々とした駐車場にはびっしりと車が並び、確かに広そうなスーパーだが、店の中に入ったらボーリング場だった・・・そんなかっこ悪い知ったかぶりをしてしまったbebe父は「確かにスーパーだったはず」と知りもしないくせにシラを切り通したツワモノなのだ。そして、昨日、一昨日に引き続きパスタを作っていた時だ。『前日のパスタはニンニクの香りがしなかった』からと「こうやって香りを出すんだ」といきなり台所に立った、豊。フライパンにオリーブオイルを垂らし、まな板の上でバシンッと潰したニンニクを炒め始めた。火力は最強だ。横から見ていた私は「ちゃうやろ~、ちゃうやろ~」と心の中でツッコミをし、そんな姿に暖かく、そして、冷ややかに見守っていた。ジリジリとキツネ色に茶色く、そしてこれでもかって~くらいにニンニクを焦がしていく香りはイタリアンの店でよく嗅ぐ香しい香りとは程遠なっていく。そして、トマトを投入~♪したらこんなものが出来上がった。そして、豊の言う「程よいニンニクの香りの出し方」とはまるでゲンゴロウの集団みたいだった。 ゲンゴロウのイメージ像 ↓ 丸焦げじゃん・・・
2007年08月22日
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猿回しにまんまと踊らされてしまった小心者bebe。電話嫌いもあって緊張はピークに達していた。手の震えだって止まらない。携帯を握る手から冷や汗が沸いてくる。携帯が湿って手から滑り落ちそうだ。しかし、チケット代の値切りなんて前代未聞だ。いっくら交渉術に長けてる旦那・豊だからと言っていっくらなんでもチケット代までも負けさせた、だなんてそんなことありえるのか?旅行会社の担当者を呼び出してもらうが、私は未だにどう話を切り出せばいいのかどんな風にしたら相手は承諾してくれるのか頭の中では全くと言っていいほど整理ができていなかった。担当者がもう電話口に出てくるではないか・・担当者がもう来ちゃうじゃないか・・そんなウジウジしながら待ってる様はまるで、新人お笑い芸人が舞台裏から自分の出番を「今か」「今か」と待ってるようで、早口言葉にも似た機関銃トークを「噛んじゃうんじゃないか」とか「自分のネタを客が笑ってくれないんじゃないか」とか「失敗して仕事がなくなったらどうしよう」とか今にも泣き出しそうな、ちびりそうな感にも似た『頭が真っ白』状態だった。芸人bebeが紹介され、BGMと共にスポットライトを浴びながらステージに出て行った時だった。bebe「主人から話を聞きましたぁ!ありがとうございます♪」bebe「それでですね、もうちょっとお願いがあるのですがぁ」bebe「もう、1,000円負けて頂いて一人34,800円にして頂けませんかぁ?」 さっきまでの不安が表に出ていない。 まるで芸人魂である。トークに噛みはない。bebe「実はですね、主人の父親が香港に住んでおりまして 家族が日本におるものですから、 香港―日本としょっちゅう行ったり来たりしてるんですよ!」bebe「それにですね、今年から主人の弟が香港に駐在になりまして、 この機会にこれからも御社のお世話になりたいと思いまして」bebe「ええ、家族皆に○村さん指名でチケットを取るように宣伝しておきますね!」bebe「ですから、今回の所、どうにかよろしくお願いします♪」こんな大阪のおばちゃんみたいな機関銃トークに相手の担当者は「ええ・・はぁ・・」と口も挟めない状態だったが、「○村さん指名で!」の言葉に担当者はとっても気を良くした感じだった。こんな展開に繰り広げていったからかその担当者はしぶしぶと、そして快くチケット代お一人様34,800円(tax別)にしてくれたのだった。豊より更に1,000円負けさせ、交渉を成功することが出来た私。機関銃トークをぶっ放して得たものは「カ ・ イ ・ カ ・ ン♪」だった。そう、薬師丸ひろ子の世界なのだ。
2007年08月18日
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先月、香港に行くに当たってエアーチケットをとったのはこのあたしだ。出発予定の約2週間前に、修理屋へ出張中のパソコンに代わり携帯モバイルから格安チケットを探し出し、世間の3連休と重なり満席の続く中でもなんとか安めの席を予約できた。←(お一人様31,300円Tax別 チーン!)・・にも関わらず、旦那・豊は「出発日を1週間早めるかもしれない」だって。それを決定できるのは旅行会社へ支払期日(7月3日)の前日なんだと!!当初の予定から1週間早めても7月7日出発になる。そんな席もあるかないかの状態で勝手に予定を繰り上げられてもこっちが困るっちゅうねん!*******さて、出発決定日*******夕方近い午後に豊から連絡を受けたのはやっぱりかいな「7日出発!」だった。私は即座に他の旅行会社を探し、電話をするも満席で席がない。仕方がないので予約してあった旅行会社に連絡し、7日出発の席があるかどうか聞いたところギリギリあるという。だが、一つ難点だったのは予定が1週間早まったため、チケット代が37,800円と高くなってしまったことだ。これはかなりイタイ話だ。豊にそう告げると豊は旅行会社と連絡をとりなにやら交渉が始まった。次に豊から連絡を受けた時には「35,800円までは値切れた。あと1,000円負けさせろ!」となにやら業務命令のようなものが下された。かくいう私は猿回しに調教されたサルのように自分の下された命令を果たさなければならない衝動にかられ、手の震える中、ひと深呼吸をし、一つ一つダイヤルを押した。つづく・・
2007年08月18日
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先月、1週間の滞在で香港に行ってきた。この機会を逃したら、今度はいつ夫婦揃って香港に行けるかわからないからと私用で香港に行かなければならない旦那・豊について私も行った。今年、3月以来の香港。久しぶりの香港の目まぐるしい展開の速さに置いてきぼり感を味わう。おんぼろ家のおんぼろビルも何を血迷ったか外壁工事をしていた。何年もかかって建設していた目の前のマンションの売り出しに備え、マンション周りの外観を良くする為の工事だと察する。不動産屋が通行人を呼び止めてはキャッチセールスのようにしつこいのが窓から伺える。そんな中で、私の知っている空間が依然と変わらなかったものは3月に干したまんま部屋を出て行った時の洗濯物が部屋の中央にぶら下がっていたことだった。ハンガーの形に沿って型崩れしている洗濯物が殺伐とした部屋に溶け込んでいたことが置いてきぼり感を一層強くさせた。久しぶりの香港のはずなのに、掃除、洗濯とこなすなどなんら日常と変わりのないことをしていることに少々腹が立つ。そして、久しぶりの香港のはずなのに、家でダラけて日中寝ている態度に自己嫌悪を抱いた。久しぶりの香港だからこそ行動的に動かなきゃいけないのにほとんど家の界隈しか行っていない。そして、久しぶりの香港だからこそ美味しいものを沢山食べなきゃいけないのに「車仔麺」が続いた。そういえば、なんちゃってふかひれも食べてないし、海鮮もまともに食べてない。近所で精油をオトナ買いをしたはいいが、ネットにも出てこないほど無名ブランドだった。シンセンで欲しかった茶器も買ったけど、好きな鉄観音が安すぎて美味くない。今回、夜景も見てなきゃ、フェリーにも乗ってないことに帰りの飛行機の中で気がついた。そして、何年も体験したはずの香港の夏に体がついていけていなかったことに私は何か取り戻せないものを失った気がした。
2007年08月16日
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この間、と言っても6月ですが、bebe宛にこんなもんが送られてきた。ワイドショーで何度も取り上げられた『永田町1-1-6』です。このはがきを見た旦那が「何をしでかしたんだ?」って。こんなにも真面目な私が訴えられるようなことするわけないじゃあ~りませんかっ! (ン?)『裁判取り下げ期日』が6月4日ってことだから、1日前の6月3日に届いたのだけど「詐欺」って判っていても正直言って、めちゃめちゃ、ビビる!!!!!ここで旦那。「よし、電話してみるぞ!」 って。そんなあほなっ!!そんなことしたら、ねぎ担いで、味噌担いで、土鍋担いで、もしくは醤油だってオーブンだって、ついでにナイフとフォークだって担いじゃってるバージョンアップのカモじゃねえかっ!そんで、どうしたと思います?電話、かけてみましたよ。←(旦那がね)ただね、発信番号はいれずに非通知でね。ヤツぁ(詐欺師)、電話にでるこたぁありませんでした。これで番号を入れたら逆にかかってきちゃうからね。これはいわゆる、ライフルスコープから狙いを定めているハンターの視界に通りすがって「的はここだ!さあ撃て。」だなんて、仲間のカモをかばう感じに格好よさげに決めてるわりにはちょっと意地悪チックにあっち行き、こっち行きやってるようなもんでめちゃめちゃ肝が据わっていない勇敢なカモが余裕しゃくしゃくでハンターをおちょくって気分爽快でしたがね、←(イッパイイッパイってこと)これ以上拘わると、ご丁寧に他の調理器具まで背負ってあまりの重さに自爆しそうなのでやめときました。←(って負け惜しみ)でも、私の動揺が消えなかったのでね、さらに、どうしたと思います?悪いことしてないけど、警察に出向きました。小心者bebeであるが故、警察から「これは『詐欺』ですよ」って一言聞いて安心したかったんです。悪いことしてないのに取調室で調書をとられ、悪いことしてないのに免許証のコピーまでとらされましたよ。悪いことしてないのに訴訟の葉書き、悪いことしてないのに調書と免許証のコピー、悪いことしてないけど気分が悪くなりました。
2007年08月03日
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実家から高速で1時間ほどのこの土地に移り住んで早、2,3ヶ月。(ビミョー)チャリンコでブイブイ、時には車でブイブイ言わせながら市街を探索している。ほとんどがチャリ移動だからエコロジーな分、肌は人様より一段と色黒く健康的だが年齢的にはちと悲しい。そんでもって、まず気づいたのは半径1キロ以内にブラジリアンショップを3つ発見したってこと。一見、不気味そうな雰囲気がプンプン漂っているその店に日本人の私らはしり込みして到底入っていけそうにないが私はここで香港で培った(?)東南アジア人チックな風貌 ←こんなあたし +←(プラス) チャリ移動で黒焦げた肌 ∥←(イコール) 何人なのかわからないの振りをして店に出入りしている。そして、そこで毎回香菜(後にCOENTROと教わった)を買うだけでいたのだが、昨日は前から気になっていたオージー牛を買ってみた。そう、ステーキが食べたくなったからだ。(ぐふっ♪)100g98円と毎日安売り状態だし、しかも肉自体メチャクチャでかい。なので昨日の夕飯はプレート皿から滴り落ちそうなほどのステークを美味しく頂いた、っちゅうちょっと自慢話じゃあないが、中華食材屋があったり、タイマッサージ&食材屋があってみたりで食べてるものは前となんら変わらない地域に私は今、住んでいる。(昨日、初めて店の人に「日本の方?」と聞かれ正体がバレた。やっぱり日本人の来店はめずらしいんだとか。ま、これからも行きますが、ね。)
2007年08月01日
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やっと、っっっっっっっとにやっとこ、本日ネットが繋がりました。その前に、カタカタ鳴り続けていたパソコンも重い腰をあげてやっとこさ修理(に出して)して、ついでに複合機も買って万全の態勢で今日の日を待ち望んでいました。あ~~、快適!快適!平泳ぎのように、スイスイ~、スイスイ~って。スイスイ~、スイスイ~、って言ったらめだかの兄弟思い出したわっ!ダイヤル回線より最悪だったモバイル挿してやってたらあまりの遅さに自然とネットから遠のいてましたしね。これはある意味、乳離れを強要する乳首にカラシって感じですよ。いえね、私はとっくに乳離れはしてますが。さてさて、約半年かかりましたがネットの環境が整いました、の報告でした!
2007年07月30日
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ずっと抱え込んでいた問題と共になんとも「異邦人」に似た生活をしていたbebeでございます。(あ、別に裁かれてたってことじゃないですよ)そして、去年の暮れから日本で暮らし、実家の両親に激しいツッコミで宮川大輔並みの笑いを取りながら親の愛情を強く感じつつ、近所の温泉にぬくぬくと浸かり、日本の暮らし易さに感動しながら癒され放題、癒されたのでございました。不安定な時期も嵐のように襲ってきたり、台風一過後はぽっかり開いた虚しさというかわだかまりを残しつつもまた笑いに笑って日々を送っておりました。ですがね、今は違います。なぜかって?もう一度、問題児であった旦那を信じてみようかなと思ったからなんですよ。完全に信じきってる所まではまだ、なかなかですがでも、意外に平穏であり、今までなかった「ありがたみ」が感じられてきました。香港じゃありえなかった模様替えも社宅ではありますがピン一つで壁飾りが出来て気持ちもハッピーになってきます。(これが香港だったら電気ドリルで穴あけですからっ!)ほぼ毎日ってくらいにホームセンターやニトリに行って自分の欲しい物、自分のしたいように自分の存在を猛烈アピールするかのように社宅を飾っています。(ええ、ええ、香港じゃ自分の持ち物が無さ過ぎましたからっ!)新たな土地で新たな生活。不自由ない生活に毎日「La Vie En Rose(バラ色の人生)」を口ずさんでいるのでありました。ちゃんちゃん♪(あ、そろそろブログ名変えなきゃね)
2007年06月19日
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いやー、皆様お久しぶりでございます。私、bebeは香港を離れてからパソコンの無い生活と共に私の新しいお友達であります「DS light」に刺激を受けて脳をトレーニング中でありました。そんな中、香港へと荷物を取りに行って参りましたよ!「やっとこさ」、です。今回は『荷物持ち』と称して今まで香港に降り立った事の無いbebe父も連れてbebe母と私で行きました。8日間の旅行ゆえ、えらくのんびり出来たのですがちんちん電車を終点まで(正確には0.75往復)乗っちまった時には半日損した気分になりました。まっ、父はえらくご機嫌でしたが。シンセンに行ってbebe父が下痢になっちゃったり ←(薬局のねーちゃんに下痢のジェスチャーで薬をゲット!!)民族文化村のナイトパレードが寸前の大雨で中止になったり ←(ナイトショーの為だけに入場し300元捨てたようなもん)最後の最後で今回の荷物取りの目玉であります24万もしたステレオが成田空港のバッゲージクレームで危うく潰されそうになったりと ←(悲鳴を上げ卒倒寸前!)散々な目に遭いすぎて両親を香港へ連れて行ったという感動が少々薄れてしまいました。・・・・ってことで私のアテンドの失敗と近況報告を終わります・・ チャンチャン。
2007年03月14日
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新年早々いや~な事が続いてました。あんなこと、こんなこと、うにゃうにゃとあったと思ったら、やられましたよ。車、運転してたらね、後ろから「ドンッ」って。信号待ちしてたら、おかまがね、掘ってきたんです。『おら、おらぁ、ドスンッ』って甲高い声で。昔もオカマ掘られた時は病院なんて行かなかったけど←(若かったから?)今回は行って参りました。な~んか、首筋がつった感でこれがムチ打ちか~って程よく感動したりして。ここでやくざなら色々といちゃもんつけて慰謝料ふんだくるらしいのですが良い子の私はどこら辺で示談に応じたらいいんでしょうね。ええ、ええ、私、これでも良い子で(通してるつもりで)すからっ!新年早々いろんな問題がやってくるので厄が明けても何かが憑いてるみたいです・・・--;
2007年01月15日
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皆様、本当に、本当にお久しぶりです。2007年明けました!改めまして、新年明けましておめでとうございます。いやー、随分とPCから離れてました。香港を離れ1ヶ月の予定で日本滞在するつもりがそのまま居ついて年まで明けてしまいましたよ。香港に荷物を置きっぱなし、ついでに冷蔵庫の電気入れっぱなし、着る物も秋物しか持ってこなかったので毎日ジャージ姿にマチコ巻きで雪かきを、犬はコタツで丸くなり、鼻水垂らして毎日を、ブレイクダンスのように滑稽にかつ、恍惚と過ごしております。気分は綾小路きみまろといきたいですが少々不安定な日が続いてますので今日はこれにて失礼します。それから、メールくださった方ありがとう。
2007年01月08日
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この間、突然胸を苦しみだしたbebe母が救急車で運ばれた。結果から言うと大したことはなく、検査をしたら「病的なものはなにもない」だって。「ってことは痛みが止まるまで痛がってろってことですか?!(あぁん?)」って病院の先生に少々喧嘩を売りつつも病院に運ばれてから1時間もしないうちに清算して帰るに至ったほどだった。私も救急車に同乗してきたものだから迎えに来てもらわないと家に帰れない。bebe母が検査してもらってる間、待合室にあった公衆電話からbebe父に連絡を取り、こみ上げてくるものを押し殺しながら救急車で運ばれた有無を告げた。bebe父の慌てた口ぶりからすぐさま病院に駆けつける様子が伺えたのだが、到着しそうな時間になってもbebe父は一向に現れない。たとえ、会社―家←スクーター家―病院←乗用車に乗換えをしたとしても、だ。あまりにもbebe父の到着が遅いので『本当は買い物に出ただけであって病院に向かってないのではないか』もしくは『あまりにも慌てすぎて病院の来る途中で事故に遭ってるのではないか』などと余計な心配が沸いてくるほどだ。仕舞いには病院内で迷子になってるかもと病院内を何度も探しまくった。会社に電話していつ出たかを確認すると電話を切ってすぐ出て行った。らしい。30分で来れる距離をすでに1時間近く経とうとしていた。もういい加減、タクシーで帰ろうかと思っていた矢先、やっとこ、や~~~っとこbebe父が到着した。乗用車に乗って颯爽と現れたbebe父を見てただ、ただあんぐりとしてしまった。なぜかって?病状は言わないまでも救急車で運ばれたと知って会社を出たbebe父はなんと、、家に着いて乗用車に乗り換えると思いきや、bebe父は家に入り、それからbebe父はシャワーを浴びてきれ~に体を洗い、頭を洗って髭をきれ~に剃り、ばっちい作業服からお出かけ用の服に着替え、普段しない髪をブローしてオールバックにキメ、丹念に、丹念に、『おめかし』して登場したからだ。今となっちゃ笑い話で済まされるがこれが生死を彷徨う状況であったなら笑い話では済まされない話が現実に起きた、ちょっと苦笑いの馬鹿話なのだ。
2006年10月25日
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いやー、随分とご無沙汰しておりました。色々と忙しく過ごしてました。すったり、もんだりってエッチな事を思い浮かべた人は『助兵衛』に認定です。っていうのは半分冗談ですがすったもんだが立て続けに起きて心はボロボロになってたり。そんでもってへたくそ美容師の所為であんだーな髪の毛を、背中まであった髪の毛を、断腸の思い出ばっさり切ったら益々あんだーな髪がむき出しになってバッサバサな頭に身はボロボロになってたり、でした。全てが逆境でえらいこっちゃ・・って大げさですがなかなかうまくいかないことが起きておりましたが私は生きてますよ。
2006年10月20日
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何年か前、香港の新界地区(香港島、九龍、新界に分かれた田舎地方)で野生のワニが発見され、住人をはじめ香港全体を怖がらせた。惜しくもついこの間亡くなった『クロコダイルハンター』の名を持つスティーブ・アーウィン氏に香港で発見されたワニの捕獲を要請しわざわざ香港に来てもらい、ニュースでアーウィン氏のがんばる姿を毎日ってくらいに放映し、結局は2週間の滞在期間中に捕獲できずに帰っちゃった、って~言うことがあった。(結局ワニはどうなったのか・・忘れました)そして、ついこの間約1ヶ月の滞在で来ていた旦那の父、パパさんが夕飯時のほろ酔い加減が相当気持ちよかったのかついついとんでもない話を口にした。むか~し、パパさんの知人がちっこいペット用ワニをパパさんにくれたと言う。ちっちゃくて可愛いのだが、何を食べるのか、何を食べさせるのかわからなくてまいったな~って思って、「元朗(新界地区)の川に逃がしたんだよ。ぬへへへ(笑)」って。えええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーー??!!ああた、それ笑ってる場合じゃありませんから~~っ!!! 即座にこの発見されたワニのことを思い出したのは言うまでもない。*数年前のワニがパパさんの放ったワニかどうか定かではありませんけどね。。。
2006年09月30日
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日本に帰国する日が近づいて参りました♪イエイッ!空港に行く早朝のバスに乗るとクラブ、ディスコ帰りの、日本でいう中学か高校に当たるほどの若い学生がたむろする現場を目撃する。クラブ、ディスコの類は中国で1回行ったことはあるが(*参照「的士高での出来事」)香港のディスコは新聞でよく取り上げられたほど問題のある場所でもある。学生の喫煙は昼間でも街中でよく見かけるのだが早朝だからこそ目撃するのは学生のドラック。足取りフラフラ、お口ヘラヘラ、ロボット歩きに瞳孔開きっぱなしの目は不気味そのものなのだ。今度、日本に帰る日に勇敢な私がその現場を激写してやろうじゃないかっ!でも、フラッシュ焚かれて追われてきたら怖いのでお見せしたいのはやまやまだがここは一先ずやめておこう。
2006年09月27日
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「bebe」という私のHN名前の由来は旦那から呼ばれていたあだ名の一つから来たものでこのbebeの意味は「ベイベー」(を短縮したん)だって。そんな意味合いで呼んでいたと初めて知った時は、私は深く感動をしこの時ばかりは名前で呼んでくれない旦那を愛しく思ったりもしたものだった。だが、人の名前も呼ばずに勝手に人にあだ名をつけてくる命名好きのアホな旦那が私をもう何年も呼び続けているあだ名がある。それは「どべちん」。こんな「はじめ人間ギャートルズ」にも出てきそうな名前(ドテチンだが)に私は心底旦那を恨みたくなるが中国古哺乳動物化石大展を見に行った時はなんとなく懐かしい故郷に帰った気分になりマンモスの輪切り肉を思い出していた。←(bebeは食い気しかないようだ)*北京から運ばれたこれらは10月14か17日まで開催しております。(無料です)
2006年09月23日
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ブログ仲間の@たっきいさんが台湾出張で怪しいホテルに泊まっちゃった~♪どうしましょう♪←(とはありませんが・・・)と日記に書かれておりそのホテルのアドレスが貼られていたので見てみたら枕元にコンドーさんが横たわっていそうなほどの確かにあっち系っぽいホテルだった。この話でそーいや、義理両親と義兄、姪っ子、私で行った台湾旅行のホテル探しで半日はかかって苦労したと思い出した。ホテルに無駄金を使いたくないパパさんは現地でゲストハウスを探すからとホテルの予約なしで台湾に向かったのだ。空港まで迎えに来てくれているパパさんの弟・えんちゃんとその娘、エンヤン。車に乗ったその足で台北市内のホテルを探しに向かった場所は「MOTEL」。ええ~~~~~~~~っ?!すかさず従姉妹のエンヤンに聞いてみた。「モーテルって・・?汗」って。台湾のモーテルは車で来て泊まれるホテルだよ。とエンヤン。まんまやんけっ・・ってツッコミをいれつつ、モーテルの入り口で駐車係りが言うには満室だ、と。しかも見る限り日本のラブホテルみたいに車庫の上が部屋って感じだ。次に向かった所もモーテルにまたも、満室。だから、ああた、それラブホテルちゃうんかいっ!えんちゃん、エンヤン親子、あそこに『モーテル』あった。そういえば、あそこにも『モーテル』あったよね。って。・・・ってそれ、親子で会話する話違いますからっ!!!!親子が会話する台湾語が聞き取れないとあって2人の会話に出てくる『motel』の単語に過剰反応示しちゃってた私だが、そんな話、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるから←(って勝手に妄想してるのはこっちだが)運転するえんちゃんに目潰しお見舞いしちゃうぞ♪プン♪プン♪って気分になった。←(痛さで声を失い、行く手を拒むって魂胆)・・・・実際、モーテルには泊まらなかったものの、っていうかどこも満室で泊まれなかったがえんちゃん、エンヤンがあちこちと連れて行ってくれたホテルはダブルベッドが一つだけっていうあっち系っぽいホテルばっかりで結局その日は見つからなかったのだ。っていうか、見つけることができなかったほど怪しいホテルがあったりするのだ。台湾って。
2006年09月19日
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昨夜、家にいたらちょっと揺れを感じた。旦那に今揺れたよね?って聞いたら本人、「香港に地震はない」って。でもでもでも!やっぱり地震だったんです!地震ニュース地震であっても「地震なわきゃない」ビルが崩れても「劣化の所為だ」なんてペシャンコになっても言い切ってしまいそうなほどの思い込みは違う意味で『ひゅ~どろどろどろ~ 恐ろしや~』って感じです。天井落ちてこなきゃいいけど・・
2006年09月15日
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日本で育った台湾人と日本人のハーフである旦那・豊だが時々、理解に苦しむほどの異質な人間に見える時がある。全く協調性のないことや自己主張の激しさ、思いやりのなさ、責任転嫁、人の要求を聞かない、それでいて亭主関白などわがまま満載、結婚生活の犠牲拒否などと全てに対しいいとこ取り(?)の旦那に対し、以前、私は旦那との価値観の相違に悩んで日本に帰り、bebe母のある行動からそんな旦那を受け入れられるようになった、と言う日記を書いたことがある。(*参照「母に助けられた日」)その日記で「ふざけるなよっ!」の意味合いも込めてベッドの上でフランスパン丸かじりの画像をupさせたことがあり、上半身裸の丸かじり姿はそれはそれはまるで『ゲイに犯されちゃってるんじゃないか』ってくらいのとっても怪しげな画像だった。「だった」ってことは豊にこてんぱんに怒られたので撤去してしまったのだがそんな辱めな画像を世界に発信するネットに晒されたというのに性懲りもなく今度は尋常じゃない程のゴマ付きパンをベッドの上でほお張るではないか。ポロポロ落ちたり、口や手についたゴマをはらう。ゴミ箱に払うのならまだ可愛げがあるのにはらうとこと言ったらベッドの上か壁際なのだ。翌朝にはゴマ和えになって目覚めるとは心底気分が悪くなる。ゴマ付き布団を掛けて寝てると思うと「とーちゃん情けなくて涙が出る」なのだ。そんな次から次へと私に難題を吹っかけてくる豊に対し、もう一回辱めを与えてやるぅぅ~~って気分になってくるのだ。
2006年09月14日
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「水離子」なるパーマがあるようでネットで調べてみたらウォーターパーマだって。水分補給をしながらパーマするらしくチャレンジャーの私はやってみたくなった。で、旦那に通訳してもらいやってもらったらなんら縮毛矯正と変わりない。しっかし、アイロンかける手つきが危なっかしく煙出てるし、肌にジュッっと蒸気がかかり思いっきり日本語で「アチッ!!!」て叫んでしまったくらい。仕上がり、ウォーターパーマらしからぬつやつや感はなく私は一体どんなのをやったのだ?って旦那に確認してみたら普通の縮毛矯正だと。水離子はトリートメントらしくそれを聞いた旦那は勝手に却下したんだって。そんなアホなっ!!!でも・・縮毛矯正した髪がもうヂリヂリになってあんだーな毛になってる・・アンダーな毛を頭に乗っけてると思うともうブルーで泣きたくなる。髪の毛伸ばしてる私なのに(勝手に水離子を却下した)あほな旦那と(煙を出すまでアイロンかけた)あほな美容師と(水離子の魅力にとりつかれた)あほな私のお陰で私のあんだーな毛に残されたのはスキンヘッドしかないと思うと脱力しか残らない。
2006年09月12日
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えっらい前にシャムスイポーの電気街の交差する道で闇市が開かれると書いたことがある。(*参照「闇市」)パパさんが来港したし、行くと言い出したのでどんなもんかと行ってみた。電気街はもうとっくに店じまいしてるというのにこれから開かれる闇市界隈がやけに人が多い。闇市は違法らしく取締官達が見張ってる間、売人は通行人のように装ってみたり友達と地べたに座って談笑の振りをしながらいなくなるのを今か今かと待っていた。毎晩、取締官がいなくなってから闇市が開かれるというなんともいたちごっこなことをしてる訳だが私たちも11時から待って闇市が開かれたのは12時ちょっと前だった・・・しぶといっ!取締官!!! ふがふがっ道の両脇にずらずらと並べだしたのはDVDやらVCDやら、使い古したバック、使い古した靴や服、CITI BKでもらった景品の時計やら携帯電話の付属品やら・・リサイクルやユーズドとは聞こえはいいが「いらない物の処分で小銭を稼ぐ」ってな感じだった。懐中電灯を使って買い物をする暗さISOを使って高感度アップそんでもって闇市で買い物する画を撮ったら「わい!!!!(おい!こらっ!)」ってやくざっぽいおっちゃんにカメラ取り上げられそうになった!!の画 ↓ ↓うむ、確かにこっちを指差してる。こわ~~~~~~~い!!きゃ~~~!(とかわいく叫んでみる)どうして怒られたかって?環境庁?(管轄がどこかわかりません)にこの写真を証拠写真として(このか弱い)私が売りに行き、ここで売ってる人達は逮捕、もしくは罰金が科せられる一方で私は環境庁から表彰されちゃうかも♪ってことでやくざ的おっちゃんは私を怒鳴ったらしい。(パパさん談)おぉぉぉぉぉ~~~、こわぁぁぁ~~~~い!!そんな怒ると証拠写真として提出しちゃうぞぉ~~♪(とかわいげに)・・・ってな訳で闇市はガラクタ街って感じでどーでもいいような感じだった。しょーもないものの為に来ちゃったのでまるごとドリアンとほおずき?を買って帰りましたとさっ。
2006年09月09日
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一足早く『食欲の秋』が訪れたようで「スポーツの秋」、「読書の秋」に関心のない私はお腹が空いちゃ何かと食べているのでワイドテレビの中にいるみたいに私の体型は着実に横に伸び続けている。数年前だったら2,3キロの体重なんて簡単に落とせたものなのにここ最近、ご飯を食べなくとも皮下脂肪が栄養素になってくれるらしく体重が落ちてくれない。こんな時、「年だな」と思ってしまうのだ。それに日本に住んでないと日本の携帯電話が使いこなせないのはもとより、カラオケで歌える曲が90年代でストップしてたりこいつ誰?ってな感じの知らない芸能人が増えて浦島太郎だからしゃーない、だなんて思いっきり開き直ったりして自分を正当化していると時代に追いついていけない『おばん』になっていくのだ。この間なんてこのポスターを見て深田恭子もすっごい痩せてきれいになったわね~だなんて思いっきり人違いをしていた。腕に吊るした買い物袋の跡が半日以上取れなかったり、クーラーを使っていると顔が乾燥してきたり、真夜中にネットしていると目がむくんでいたりそのむくみから二重まぶたが三重まぶたになり整形したようなまぶたになってしまった。←(お金浮いた??)日々、鏡を見るたびに徐々に徐々に変化のあるこの顔と身体にマイケルジャクソンにならぬよう←(崩れるという意味)ボンッキュッボンッのハリウッド女優を何気に思い浮かべて近づけたらなんて無駄な抵抗をしていたりする。そして、自虐ネタで自分をさらけ出しちゃうのもがはははーなおばんの様でイタイな自分って思っちゃったりするのだ。
2006年09月07日
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前日記でbebe父の誕生日にタラバガニを送るはずが配送途中でストップかけられちゃって誕生日プレゼントが台無しになったクレームとして2尾の蟹を4尾にしてくださいと言ったまま日にちが過ぎていた。「早急に」とも「到着日をお知らせください」って言っておいたのにうんともすんとも言ってこない蟹屋にしびれを切らしどーなってんのじゃっ!て丁寧口調でメールしても返事がなかった。どーなってんのじゃの他に連絡がないので不安になってますって知らない相手に本心を書いてメールしちゃったくらいなのにそれからもずーーーっと蟹屋からの返事がなかった。なので私は焦りましたよ。これは新手の詐欺じゃないか、ってね。お金だけふんだくって蟹は送らない、「オレオレ詐欺」の成り上がった奴らが蟹屋の振りしてるんじゃないかって。その蟹屋のHP見てもレビューが全く書かれてないし私は見事に新手の詐欺に遭っちゃったんだって小心者のbebeは疑わずにはいられませんでした。もし、本当に詐欺だったらレビューに書いてやろうかと思いましたよ。『これは詐欺です。お気をつけください』て。ええ、小心者bebe故にみみっちい逆襲です。ですがね、一昨日やっと発送案内のメールが来ました。小心者bebe、何気に逆襲計画終了です。ですがね、そのメールでも更に私は不安になりましたよ。だって、だって、「約1,8キロの蟹、4尾発送いたしました」って書いてないんですもん。日本人特有の曖昧メールで商品内容がうやむやです。しかも、2通目の発送案内にはタラバガニ2kgって書いてあったんでね、また私の密かな反撃計画が浮上しましたよ。レビューにこと細かく書いてやるぅ!ってね。ですがね、今日やっと実家に着きました。ちゃんと4尾入ってたそうです。ここ12日間、クレームつけたタラバガニが惨敗(詐欺)したらどうしようとか、ちっちゃい蟹4尾だったらどうしようとか、待たされた挙句に2尾だったらどうしようとか、格好良く(クレームを)決めた割には不安に取り付かれて過ごしていたのでありました、とさ。
2006年09月04日
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★クレーム其の参今日はbebe父の誕生日だ。去年の父の誕生日には約1,8キロのタラバガニを二尾送った。どでかいタラバガニに両親は大層喜んでいたので、今年もタラバガニをとネットで探しまくって去年より更にどでかい2キロのタラバガニを二尾、2週間前から頼んでおいた。にも関わらず昨日になって北海道から電話が。「同時に発送されたタラバガニにクレームが付いたので配達をストップさせました」と。ぬわんだと??要するにそのタラバガニを頼んだもう一組の家庭から味が悪いとクレームが付いたので発送途中の父のタラバガニも味が悪いと見てクレームが付く前に発送をストップさせたので明日の25日は届かないってことらしい。に、つきまして味の良いものを食べていただきたいので1,3キロと1,5キロのタラバガニがありますので3尾にして発送しますがそれでいいですかってことだった。いやー、実に参りました。忘れないようにって2週間も前から頼んでおいたのに土壇場になってこれですか。しかも1,5キロのタラバガニってなぁ。去年は1,8キロのタラバを送ってるんだぞ?すかさず、旦那・豊が言いましたよ。「いや、誕生日ですので25日に着かなきゃ困る」って。相手も困ってしまって運送屋に確認すると言って電話を切った。でもね、美味しくない物を送られたって、、、ですよねぇ。てか、約4キロもの美味しくないカニもらっても両親は喜ばないわけで・・ですからね、私は提案しましたよ。「1.8キロのタラバガニを4尾にしてください」って。ええ、ええ、それはそれは丁寧口調です。年に一度の誕生日プレゼントが届かないのはやっぱりこちとらクレームっちゅうことで。相手も運送屋にストップかけちゃって北海道に戻ってる途中でどうしたものかととっても考えていたらしい。ですからね、1,8キロを4尾と提案させていただきましたよ。約2キロ×2=約4キロが約1,8キロ×4=約7.2キロにふくれ上がったのでございます。ああ、めでたし、めでたし。(終わり)
2006年08月25日
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★クレーム其の弐クレーム監視システムを開発しそれぞれのHPや個人のブログで自社製品の不満やクレームを監視している某日本電器会社のH。そして、関係者が言論弾圧や脅迫まがいなコメントを必ず残しているらしい。そんなシェアNo.1と言われているHIT○CHIのクーラー。去年の6月末に我が家に導入したセパレート式のクーラーが壊れた。すぐさま電話をしたら翌日の朝に何時に伺うか電話しますと言われたがその『翌日の朝』になっても電話がなかった。夕方になってこっちから電話したら「忘れてました!!」と言わんばかりに今から行きます!!ってな勢いで早速見に来たが、部品(取り寄せ)が壊れてるから作業代込みで1,000ドルちょいになりますだって!!(保障期間終わってる為)そんなことを言い残して帰っていったがちょろっと見ただけで320ドルの検査料取られるのも納得いかない。でもよ?いくら保障期間切れたからってよ?壊れるの早くねぇ?冬の間は使ってないんだし、日本に帰っていたときは使ってないんだぜ?しかも冷蔵庫みたいに365日使ってるんだったら納得するけどよ、使ってる期間計算しても9ヶ月も満たないんだぜ?それによ、日本製品を選ぶって言うのは製品の良さに加えてアフターサービスもしっかりしてるから買うんじゃね?日本の看板ぶら下げて香港まで来て『翌朝』電話するって言ったのに放ったらかしで社員教育してんのか?日本からわざわざ来てる日本人は現地スタッフに何を教育してんだ?いきなりローカル化かよ?某携帯電話会社は何%の割合で1年で壊れるように設計してる所もあるっていうからもしかしたらHもそんな計算?だったらよ、こんな欠陥品つけられてこっちは迷惑だからちゃんとしたのつけてくれっていいたいよね、もちろん費用はH持ちでさ。なんてつらつらと不満を言うごとに旦那は『うん、うん』と自分も激しく同意したようにうなずいててくれた。私の話を静かに聞いてた旦那、しずか~に口を開いた。「わかった、じゃ、直接日本人マネージャーにそれを言え」なんと?!翌朝、日本人マネージャーに直談判ならぬ、直接クレームをつけるために朝から電話した。(旦那が)マネージャーはミーティング中だからと電話を待ったが電話がない。電話がない。ない。午後になりまたこっちから電話したら折り返しマネージャーから電話させるからと待ってもこない。そして、散々待たされた挙句、しばらくしてHのオペレーターから電話が来た。「タダで直しますから」と。・・・・マネージャーじゃねえのかよっ!!また、このことについてクレームしたい気持ちになったのであった。ま、タダになったから良かったけど・・(つづく・・)
2006年08月25日
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私が香港に住んでからというものbebe母曰く、「お前はずうずうしくなった」らしい。ま、日本の数少ない友達からは「香港」とか、「香港人」って思いっきり日本人通り越して「ホンコンジン」になってしまった。ま、そういうこと言われると今回のクレームでかなり得したなってことはあったのだけど。★クレーム其の壱毎週通っていた美顔エステコースがあと1回で終わる。だけど、サービスでつけてもらったレーザーのホクロ取りが(*参照「ヤキを入れてみた」)数回やったのにも関わらず未だに取れていないって言った所、「回数は完了した」だと。はぁ?これはサービスであって1回で取れるって言ったのはあんたじゃねぇかっ!「あなたの肌はストロングだから」なんて理由でサービスが途中でいいのか?なんて思いながら「ホクロが前より大きくなった」と言ったところ次回、またレーザーを当ててみると返答があった。レーザー当てて、しばらく待ってみるけどホクロが取れてなかったらサービスとして何か商品をもらってみよう。つづく・・
2006年08月25日
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香港では傘を日傘代わりにしてる人も多いが柄の長い傘を『杖』代わりにしてる老人も多い。今日、横断歩道で信号待ちしていたらこっちに曲がって来ているタクシーに気づかず傘をついた老人がヨタヨタと渡り始めたのですかさず、「(広東語で)おばあさん、おばあさん!」と呼びとめ、注意を促し気づかせたのだがそのおばあさん、『誰だ?私を呼び止めたのは』ってな感じにゆっくりゆっくりと私の方へと振り向いたかと思ったら少々引きつった顔をした50歳そこそこのおばちゃんだった。私の、この親切と思ってしたことがお節介となりそして、相手を見事に泥沼にはめてしまったほど余計なお世話様だったのだ。50そこそこのおばちゃんを思いっきり「おばあさん!」と呼んでしまった私は『ちょっと、冗談でしょっ』と言わんばかりに井戸端会議のおばちゃんみたいに手を軽く空振りし、そして、その場を逃げるようにそのおばちゃんから一歩でも早く遠ざかるよう競歩の速さで歩き続けた。含み笑いをしながら歩き続けた私だが、このことで少々疑問が湧いてきたので家に帰ってから旦那にちょっと確認してみた。bebe 「ねね、老人の『老』に『婆』ってなんて言うの?」「ロウポー」bebe 「ねね、じゃ、ロウパーってなに?」「・・・・・・・大根・・」bebe 「え?老婆ってどういう意味?」「奥さんを呼ぶ時の言葉」ああ、そうだった・・ということは、私はあのおばちゃんに向かって「羅白(ダイコン)、羅白(ダイコン)!」呼んでたことになるのだ。そら、引きつる訳だわっ(^^;)*(因みに『おばさんおばあさん』は「阿婆(アポー)」となります。
2006年08月23日
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午前中、地元の銀行をうろちょろしてたら横断歩道でサルみたいな犬が渡ってるなーって思ったら本当のサルだった!!!なんでここにサルやねん!とナンチャッテ関西弁で一人ツッコミをし、目を輝かせながら追っかけファンの様にサルの走って行った方へと追いかけた。サンダルが脱げないように走ったから心なしか「サルカニ合戦」の蟹の様にガニマタだったがそんなことは構っちゃいられない。飼い主からの逃亡?山から下りてきた?なんて一人であれこれと考えたけどここ(地元)って山はないよねぇ?すぐさま警察が駆けつけたが警察官すら写真を撮る始末。捕まえんのかおまんらっ!って南野陽子ばりにヨーヨーでツッコミたくなったけどサルの出没に野次馬達(私も含めて)は動物園のサルを楽しんでる感じだった。民家に危うく侵入しそうになったサル自分の存在を猛アピールのサル行き場を失うサル立ち往生のサル家に帰って旦那にこのサルの写真を見せたら私に向かって一言。「お前、こんな所で何してるんだ?(¨?)」って、自分はエンパイヤスティトビルのゴリラだろっ!!!
2006年08月21日
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日本人の真面目さ、几帳面さは世界ベストに入るほどで、プロ意識にかけては更に素晴らしい。今回帰省した際にNW(ノースウェスト)を利用した。そう、アルコール類はお金がかかるようになった、あのNWだ。←(350mlのビールがUSD5若しくは500円って!)(そんな文句はちょっと置いといて)そんでもって帰港の時は成田からの出発というと機内食は日本で作られるってことだが、夕方、機内も薄暗い中運ばれた機内食のサラダにドレッシングをかけたらサランラップの上だった。そう、パリッと張られたラップにちょこんと乗っかるドレッシングはそれはそれは何ともまぬけなサラダに早変わりだがそんなまぬけなことを殆どの人がやらかしてしまったほど時に被害が被っちゃったりするのだ。
2006年08月18日
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8月15日終戦日、朝も早くから小泉首相が靖国神社に参拝に行った。反日国が注目してる中、やっぱり香港メディアも注目しており朝のニュースで参拝様子の中継なんぞしておった。そういえば、日教組に属する家族の話によると小泉さんがこんなこと(参拝)するから自分達は帰国が規制されて益々自分達の身が危ないんだ。・・・と老化現象に伴い記憶がと~っても薄いがやっぱり左より的なことを言っていた。話は戻って小泉さんが(知り合いではないですが)首相になる前から参拝していたなんてことがあれば反日国に対して一喝できようものなのだがシビアな目で見る輩からすれば重箱の隅を突きたくなるのだ。この、小泉さんが参拝した昨日、日本領事館に用事があったので出向いた。すると、日本大帝国小泉に対する抗議団がこれから領事に抗議をしたる!!!てな勢いでエレベーターに乗り込もうとしていた。すかさず、「こいつらをバックに写真を撮れっ!」と旦那・豊。ま、マジかよ?!嫌がる私に豊が急かす為、←(ビビッていたとも言える)恐る恐るバックからカメラを出して撮ろうと構えたがズルズルと彼らがエレベーターに乗り込んでしまったので断念した。(ホッ)今度はちゃんと撮れよなっと怒る豊。Exchange square前にてバックにして記念写真を撮ることはなかったがエレベーターで出くわした時は日本人とばれない様に『言わザル』になった私なのであった。
2006年08月16日
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夏に帰国するのはいつもお盆頃だったこともあり日本の田舎のお祭りにももう何年も行っていなかった。子供の頃、寺までの道のりを親に手を引かれ、近くの山から揚げられる花火を見上げながら大人達はゆっくりゆっくりと歩いていたが子供の私からすると田んぼから聞こえる蛙達の鳴き声とすれ違う車の眩しい光りと地面に照らされる花火の赤や緑の明かりを見つめながら大人の歩調に合わせるのでせっせこ歩かなければならなかった。時折、親の歓喜の声で立ち止まり、空に大きく大きく広がる花火を見上げ花火の爆音と振動を小さな体で受け止めた。山の上にある寺までの細い石段に幾人達の行き来が激しく崩れかけの石段を踏み外さないようにと親に注意を払われながら上った。そんな子を心配する親の愛情や大人と違った子供の世界観や大人が歩く距離を自力で歩いた自負というか、大人に一歩近づいた成長の自負の記憶が今でも残っている。今回帰国した際にお祭り時期と言うこともあって嫌がるbebe母を強引に誘った。子供の時のこんな記憶を片すみに持ち甘ったれ小僧時代になんとなく戻りたい心境だったのだ。車で近くまで行きそこから歩いていった。bebe母は足が痛いからとここで待つと言い出し一人で登った。時間も少し遅かったのか山には人が全くいない。すれ違う人もいなかったので暗闇にひっそり灯る提灯がこの山の怪談話を思い出させた。人の様子も伺えなかったのでお賽銭を投げるも二拍しそうになり思わず氏子(?)に確認してしまったほどだ。寺からの帰り道、bebe母と一緒に登れなくなった淋しさと賑わいのない石段とそして何より、あんなに好きだった花火があれほど感動した花火が揚がっていなかったことに時代の衰えを象徴していた。もう、子供時分の様な素敵で淡いお祭りの思い出を作れなくなっていく時代になっていくのだろうか。
2006年08月12日
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香港に戻って来ちゃいました。日本滞在中はご飯を食べに私の実家に(ガソリンが値上がったとういうのに)惜し気もなく毎日通う旦那に起こされ、「飯めぇ(前)に一仕事ずらっ!」って「ずら」とは言いませんが毎日、毎日お百姓さんのように朝が早かった!帰港日の昨日なんて旅行に出掛けるbebe母を送っていく為に4時前には起きましたからね。なので香港に真夜中に着いた時は目に接着剤が塗られているんじゃないかってくらいにまぶたを開けるのもやっとこで家に帰りましたよ。今回、毎日なんやかんや忙しくて日本のお友達に連絡もせず戻ってきちゃいましたがびっくらするくらいまた近いうちに日本に行くのでその時には私のためにBBQ開いてください(爆)ええ、ええ、あなたのお庭で!(笑)・・・なんて冗談ですがまた帰りますからね~。
2006年08月11日
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日本に戻って来ております。日本は涼しいねぇ。夏じゃないみたい。香港から持ってきた服を着てるので常夏状態の服装に相当浮いてる私であります。ま、最近、梅雨明けもしたようだし浮いた服装も沈みかけてますが。*******************************日本に帰ってきてからというものの旦那はマイバックと称し、スーパーでくれるビニール袋をぶら下げて出かけております。皆、僕を見るんだよなぁ~って。スケルトンバックとは見栄えがいいですが旦那がぶら下げるとそこら辺のゴミ箱からゴミをあさってる人にしか見えませんからね。そりゃー、見られる訳ですよ。そんな人はここらにはいませんから!環境にやさしいリサイクルマイバックを使う旦那がある日の朝、義姉に会ったそうです。義姉 「お帰りなさい(香港から)♪お買い物ですか?」旦那 「(目の前に持ち上げながら)いいえ、これは僕のビジネスバックなんですよ~♪」義姉 「ああ、そうなんですか。いってらっしゃい~♪」って、ビニール袋ぶら下げてどこへ出勤するっていうですかっ!しかも短パンで!!!旦那のボケを見事にボケでかわされましたがね、ホームレス状態の旦那が一気に買い物袋一つで世界を飛び回るビジネスマンに格上げされた瞬間でした。
2006年08月03日
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今日、彼女は香港を離れて行った。すべてにスマートでキュートすぎるその彼女は「お手紙書いたの」と照れ笑いしながら封筒を差し出した。彼女が去って封筒を開けて見ると手紙と一緒にこっそり忍ばせたお金が。こんなスマート過ぎるやり方でいっぱい食わされた想いと同時に彼女のとっても暖かい優しさに包まれた。でも、これは受け取れないよ。だからね、また取りに来てね。いつか、きっと。*********************************明日から日本に帰ります~♪
2006年07月25日
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ここ最近、なんやかんやと忙しくしておりました。っていうか、香港にいながらして香港を満喫してたりして。夜の蘭桂坊デビューやピークからの夜景を楽しんでみたりナッツフォードでランチしてみたりレーザーショーを今更ながら初めて見てみたり。そんでもってディズニーランドも行ってみたり。ですが、レーザーショーでは反日?と思わせることがありましたよ!夜の8時から始まるレーザーショーは海際のポールに座って最前列でショーが始まるのを待っている人たちが沢山います。ええ、ええ、立ってる人にとっては壁になっちゃってそりゃー見づらいんですわ。ポールの隙間からレーザーショーが見える位置で立ってまっていました。ついでにその隙間を陣取る形でポールに手を置いてね。ですがね、そのポールに座っているおばちゃんのお尻が私の手に当たってくるんです。詰めればもう一人座れるほどのスペースに親子3人で微妙な間隔が空いてるのに、ですよ!てか、もともとこっちはおばちゃんとの距離をおいてポールに手を置いたんですよ!!このおばちゃん、わざとだなーーって思ったのはレーザーショーが始まった頃です。ポールに置いた私の手におばちゃんは自分のお尻をづらして私達に見せないって魂胆です。だからこっちはまた微妙におばちゃんから離らかして手を置くとまたお尻が寄って来るんです!!ええ、ええ、ここからがおばちゃんとの確執です。レーザーショーを楽しんだ振りしてますがおばちゃんとの間に火花が散ってます。こっちも負けてはいられません。何気に隙間から頭を出してみたり自分の存在を猛烈アピールです。余裕をかましてポールから手を離して相手の出方を見てみたり。おばちゃんの意地悪を受けて微妙に疲れました。それにしても、なぜ反日かって?そう、彼らの話す言語はハングル語。香港の中心で何気に戦いを挑んだのでした。ま、こんな規模は目くそ鼻くそですが、ね。
2006年07月24日
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ここ最近、なんやかんやと忙しくしておりました。っていうか、香港にいながらして香港を満喫してたりして。夜の蘭桂坊デビューやピークからの夜景を楽しんでみたりナッツフォードでランチしてみたりレーザーショーを今更ながら初めて見てみたり。そんでもってディズニーランドも行ってみたり。気分は『どこでもドア』をドラえもんから盗んできちゃったしずかちゃん!「うっひひひひぃ~」って薄気味悪い笑いが聞こえてきそうなほどです。どこでもドアの持ち運びは大変ですがね、全てに興味津々なんですよ。ですがね、ピークからの帰り道はひどかった!!!何がって?バスに乗って帰って来たんですがね、観光客が沢山いるんですよ。中国大陸からの観光客が。山道に揺られるし、それに輪をかけて香港の運ちゃんの運転裁きは手荒いから気持ち悪くなる人はいるはずです。ええ、ええ、以前、私も気持ち悪くなりましたから!でもね、気持ち悪くなるのはしょうがないですよ。うなだれるのもわかります。一人の老婆は漏らしながらでもゲロ袋にゲーしてました。ですがね、ゲロ袋使わずにそのまま床に吐いちゃうってどうなのよ??って感じです。吐き気が催すんだったら手にゲロ袋用意せいっ!ってツッコミしたいくらいですがね、その中国人の老婆と嫁、吐いたゲーをそのままにしてとっととバスから降りていきやがった!!!残された2階の人たちはゲーの匂いから避難する為に1階へ逃げましたよ。ええ、ええ、通路に吐かれたゲーをまたいでね。最悪!!中国人、やることなすこと強烈!っていうかそんなもん、置き土産にして行くなよ!!って思うのです。
2006年07月24日
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シンセンに行って来ました!!以前、エステシャンに顔の産毛を剃ると毛穴が目立つからやめるようにと言われ顔剃りやめたら産毛がボウボウになってしまったし、むか~し、やったら顔中赤ぶつぶつになったけどはるさんがやってもなんともなかったと聞いて拉面をやってきました。やってもらうといっつも思うのは首をカックンカックンさせるから「にわとりみたい」だなと。でも、笑っちゃいけないしやってもらうと痛いので笑うことはないのだけど、前回やってもらった時ほど今回は痛くありませんでした。なぜかって?「あんたの親指の爪が私の首に食い込んでるからじゃ!!ボケェ!!」と軽いジョブを加えつつ、その親指の立て爪の痛さに産毛取りの痛さが中和されたのでございます。しっかし、おでこの生え際をバリッバリッバリッってやられた時は泣く子も黙ってしまうほど痛すぎです。更に泣き出しちゃうくらい涙チョチョ切れです。毛玉のように産毛が糸に絡まるほどごっそりやられましたから!!私の剛毛のように生え亘る産毛取りに疲れたのか2人目にバトンタッチ。その人のやり方はとってもソフトで全く痛くないの!しかも、おでこの生え際は残すかどうするかってちゃんと私に聞いてきてくれたし。なので私のでこは片方だけ微妙に禿げ上がっているのであります。今回やって赤いぶつぶつは出てこないもののなんとなく痒いのが残ってしまったけどお肌はつるつるになりました♪これからも利用しなくちゃ、ですな。
2006年07月18日
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シンセンに行ってきました!!旦那に「そのカツラみたいな頭、どうにかならんかっ」と言われ、不本意ながらに急遽、前髪だけ切るつもりで旦那がいつも行っている美容院へ連れてかれましたよ。・・・するっと!以前、カッパ頭にされた美容師がまたしても私の担当になってしまった!!カッパのようにお皿をチョキチョキってね、って訳じゃないけどどうみても「お前、そこの沼からあがってきたカッパだろ!」って感じにおでこに沿った前髪に前回されたんですよ!しかも仕上がりをみたパパさんがカッパみたい、ひひひひひと不気味な笑い付きで私を「奈落の『沼』」に陥れたほどです。そんなカッパ頭にされたという私に恐怖感を抱かせる美容師に睨みを利かせながら今日は手さばきを見ていたのであります。その美容師が梳きバサミを手にした途端、緊張です。『チョキチョキ』ならいいんですが「ヂョキヂョキ」切ってくるんです。ちょっとは考えて切ろよ!って岡本太郎張りにそいつの頭をヂョキヂョキ切ってやりたくなります。←(大胆ってこと)つかさず、私が「カッパになる、カッパになる、カッパになる・・・」ってぶつぶつ言ってたら「ニーシュオサマ?(何言ってるんだ?)」って。言えるかっ!っての。これでも相手を気遣う人間ですからね、言葉が通じなくてよかったと思う反面、言葉が通じないから行き着くところはカッパなんだろうなと思うわけで。ヂョキヂョキ切ると同じくらい「カッパになる、カッパになる・・」って念仏のように唱えてましたよ。ま、今回の仕上がりはカッパの一歩手前って感じでしょうか。←(唱えすぎたから?)しっかりブローしないと丸まって上がりそうですが。しっかしですね、髪の毛の扱い方、マジ痛みそう。髪の毛をこすり合わせるって!!!折角、やっと手に入れた念願のシャンプーで髪の毛を健康にしようって思ってるのに!!そいつの髪の毛をあらいぐま張りにこすり合わせてやりたいわっ!!・・・と気持ちの高ぶりで段々文章が荒くなっていくのでありました・・
2006年07月18日
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結構な悪巧みの好きな旦那が突然思い立って銀行めぐりを始めた。なぜかって?クレジットカードを申請する為だ。香港でのクレジットカード取得はかなり簡単で日本の様に厳しい審査がない。それに、その場で申し込むと景品をくれたりするのだ。銀行によってくれるものは様々だが通りすがりざまに「この景品いい!!」となると既に持ってるクレジットカードを更に申請して景品ゲットなんてことをしている。←(そういう時には2枚はくれない。やっぱり)そして、クレジットカードをゲットして更に何千ドルという銀行で指定された金額を使うとこれまた素晴らしい品物をもらえる。そんな景品ゲットの為の旦那の考えた銀行巡りだ。申し込んでもらった景品 ↓ ↓ ↓ ウェルカムスーパー商品券400ドル!!←(きっと銀行の手違いで多くもらえた)パークンショップ商品券100ドルそごう商品券100ドル扇風機、etc・・ そして、そして、そして!3000ドル使ってもらった景品 ↓ ↓ ↓ ↓ジャジャジャジャ~~~~ン!なんと、brotherマルチファンクション!!!イエイ!!この他に携帯電話とスーツケースがもらえる予定♪(当初、友達や知人に大きな買い物をするヤツは僕のカード使ってもらいたいから(キャッシュバック)誰かおらんか~って聞きまわってたけどそんな都合よくいく訳はないもので・・)そんでもって、景品欲しさに何枚ものカードの出費をしなくちゃってことでそれぞれのカードを使ってエアーチケットを買いますた。っつーことで、今月末、日本に帰ります~~♪
2006年07月16日
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旦那が言うに私は日本人に見えないらしい。というか、店の人は外国語を話すこの私を東南アジアの人間だと思っちゃってるらしいのだ。確かに、この間エレベーターで一緒になったおっさんに話しかけられて広東語が話せないと知ると「フィリピン人か?」「マレーシア人か?」なんて東南アジアを並べられて日本人?て言われなかったのは否定しない。けど、東南アジア系で香港にいるって言ったらアマさんか夜の商売で来てる人たちだよね??ま、確かに何度か警察に呼び止められて身元確認された事だってあるのは否定しない。「私は日本人だ!!」って言っても警察官3人とでっかい警察犬が家まで確認しに来ちゃったくらいだし。けど、警察が身元確認する不振な人物って密入国者か不法滞在者だよね??(*参照「捕まる女」)「お前達は何語を話してるんだ?」って日本語を聞きなれていない香港人に調子くれる旦那は「韓国語だ。アニョンハセヨー♪」とか「台湾語」だなんて誤魔化したりして相手を笑わすけどけど、日本人って知った大抵の人達は『また嘘ついて~』って笑いながら私を見てるよね?? なぜだ?でもね・・・もっとショックなことありました。旦那の面談の間、私は待っていました。椅子にちょこんと腰掛けて。面談が終わって相手の日本人の方も一緒に出てきて旦那が私を妻だと紹介しました。「こんにちは~」と挨拶するとその、日本人女性の方、えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?????!!!!!ってえらい騒ぎにびっくりしてた。びっくりしてあれほど後ろに跳んだ人は初めて見ましたよ。後ろ幅跳び優勝!くらいです。最初は何でこんな所に奥さんがいるんだぁ?って言う意味で驚いたんだと思ったんです。でもね、段々考えていくうちに不自然な点が出てきましてね、しゃんとしてるキャリアウーマンの人がですよ?えーーーー?!って驚いた後に「きれーなねーちゃんが座ってるなーーーって思ってたんですよー!!」っていきなり生粋の江戸っ子口調になったんですよ?ま、これはお世辞だとわかるんですがね、誰かのお付きでついてきたアマさんがいきなり日本語を話し出したーーーーー(驚)のこの『驚』に対しての取り繕いでいきなり地がでちゃったって思うのです。それに、ドッキリ並のオーバーリアクション、後ろ跳び。日本人女性にここまでの反応されたのがショックで帰るあいだ中、私ってそんなに日本人に見えないのか?って何度も何度も旦那に確認したほどです。そんな私に耐え兼ねたのか、旦那が私を落ち着かせる為か見かねた旦那がこんなことを言ってきました。「お前は俺の両親に宇宙人って言われたんだぞ?!」なぐさめないのかよっ!!!
2006年07月12日
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最近、とても気になることがある。また一つの『魂』を見たからだ。(別にオカルトとか宗教とか私はそう言ったものを一切受け付けられない体質なのだがこれは事実なのでそんな話はゲーが出ちゃうって思う人はスルーをして欲しい。)昔、私が中学生の頃、父方の伯母が癌で亡くなった。その伯母と私はbebe母の次にくるほど母子のようにとっても仲が良かった。どのくらい仲が良かったかと言うと私が保育園児の時でも私が小学生の時でも伯母が家に遊びに来ると歳の近い従兄弟がいなかろうが必ずそのままくっついて一人で泊まりに行っちゃうほどで伯母も伯母で私が長い休みになるとそれが当然のように私を自分の家に連れて行ってくれた。そして、夏休みの実験や宿題で私の代わりに分厚い電話帳に花を挟んで押し花でしおりを作ってもらった、そんな記憶が未だに残っている。そんな伯母が体がおかしいと気が付いた時には末期癌で神様に見守られながら死にたい、だか、この病気を神様が治してくれるだかで←(昔過ぎて記憶が曖昧)その伯母が信仰していた宗教の地区に身を寄せ病院にも行かずに痛い癌と戦っていた。その頃一度、親戚一同と遠路はるばる見舞いに行った時には伯母の姿のあまりにもの違いに私は愕然しすぎて中学生になった私には何も声を掛けることができなかったのを覚えている。それから間もなくして、朝、目覚ましが鳴らなくとも家族の誰よりも早く一番に起きた時があった。シャワーを浴びて頭を洗っていた時だ。目をつむっていた私が目を開けると青い光が目の前でピカッと閃光のように光った。一瞬、幻の様に光ったその光は私の瞼に焼きつき、確かに青く光ったものだった。そして、シャワーから出たと同時に朝の6時前だって言うのに1本の電話が鳴った。その電話の音に私は嫌な予感がし、「その電話には出るな」と強い念が体中に走った。電話を取る親の声。時間が止まった。脱衣所で脱力感と呆然としたまま私は立ち尽くした。しばらく話し込んだ後、電話を切る音がすると同時に両親達が慌しくなり脱衣所から飛び出た私は伯母が亡くなったことを知らされたのだ。私の一瞬にして感じたことが的中した。伯母が亡くなったことは大変ショックだったが後になって、あの青い光は伯母の魂だとしたら小さい頃、とっても可愛がってくれた伯母が、青い光となって私にさよならの挨拶に来てくれたと思うといつまでも私を身近な存在として思い続けていてくれたうれしい気持ちと元気だった伯母にもう会えない淋しい思いと不思議な体験をした複雑な思いと私の裸を見られた・・・と言う思いが入り混じった。そして、冒頭のようにまた青い光を最近見たのだが、誰のなのか・・・といったところだ。
2006年07月10日
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汗だくになって血相を変えた義母はタンクトップを裏表後前逆、つまり首の後ろに来るはずのタグが前の首元にきており、その慌て振りの装いから何処かから一目散に逃げてきたと言わんばかりの緊迫したムードだった。そして、義母の足元はホテルの紙製のスリッパ、片手にはタンクトップの上に羽織っていたであろうシャツと魚蛋スープがぶら下げられていた。魚蛋スープ??義父を怒るだけ元気のある義母は自分が今まで何をしていたのかわからない、ととっても曖昧なことを言っていた。そんな義母の話によると寝ていたらエンヤン(旦那の従姉妹)がやって来て夜食にと魚蛋スープ屋に連れて行ってくれたらしく店の前で自分で帰れるからと別れるもホテルまでの道がわからなくなり迷子になって通りで出くわした警察に迷子になったと事情を説明して連れてこられた、と言うものだった。そして、警察官の話によると迷子になっていた義母はホテルの名前も忘れどこにあるのかも判んなくなってしまったらしく色んなホテルを渡り歩いていたところ不審者と思われた義母はホテルの人に通報され、パトカーで事情聴衆するも日本語はわからないのでてんてこ舞いで連行しようとしていた所に義父が通りかかった、と言うものだった。そして、義父の話によるといろんな所を見つけ歩いても見つからずもしかしたら義母はホテルに帰ってきているかもしれないとホテルに戻る途中、泊まっているホテルの向かいのホテルの前でパトカーにちょこんと座る義母の姿を発見した。そして、義父を見る義母の第一声が「あんた、そこで何をしてるの!!!」と怒鳴ったそうだ。翌日、どうしてホテルまで送らずに魚蛋スープ屋の店の前で別れたのかとエンヤンに義父が抗議した所、エンヤンの話しはこうだった。ホテルの部屋に尋ねていったらおばさん(義母)は寝起きで眠たそうだったからその場ですぐに失礼した、というものだった。・・・と言うことはエンヤンは義母を連れ出して魚蛋スープ屋なんて行ってないと言うことになるのだ。翌日になっても自分がどうして外に出て行ったのかそれまでの成り行きが全くわからないと言ったそれはそれは曖昧なものだった。だが、どうも解せないことがある。警察に連れてこられた時の義母の手にぶら下がっていたあの魚蛋スープにどうも見覚えがあると思っていたのだが、そういえば、あれはおばあちゃんちでもらった魚蛋スープだったのだ。その魚蛋スープがどうして義母の手に??あの大音量のテレビと開けっ広げの扉の意味は?そんな夢遊病のようなことが起きてしまったのは強い精神安定剤と安眠導入剤を飲ませた義兄がいけないと義兄の所為にさせられ一件落着してしまった。そして、誰もそのことについて封印したかのように口を開く者はいなくなり、話題にもならなくなった。本人にもわからない未知なる世界そして、未知なる過去なのだ。
2006年07月07日
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こんな真夜中に何をしてるんだ!とでも言いたげな態度で義母を探しに出掛けた義父。私と義兄は義母の帰りを待った。土地勘もわからないし、電話が来た時の対応ができるようにと義兄と残った。窓から下の通りを見下ろしてみても義母がいる風でもなく、そして、私達が帰ってくる前からも街は既に眠り始めていたことにその時になって気がついたのだった。何もかも中途半端なまま姿を忽然と消してしまった義母の安否が気になった。短時間だが物騒な状態で何処かに行ってしまった義母に腹立たしく思ったことに罪悪感が沸き起こった。何事もなく義父が義母を連れて帰って来てくれるだろうと願わずにはいられない。そんな私に気遣ってか義兄はあっけらかんと世間話を始める始末である。こんな状態のままいなくなって心配じゃないのか?!もう真夜中もいい時間で歩きつかれた体は眠いのだろうが眠れるわけはない。こんな事態ならなおさらのことだ。ここは眠たくても瞼を指でこじ開けてでも起きていなくてはならないのだ。そんなプレッシャーに負けそうな頃、エレベーターのドアが開くと同時に騒がしい音が聞こえてきた。そんな音に反応して廊下に見に行くと義父と義母の姿発見!!!!ついでに警察官もぉ???!!!(つづく・・)
2006年07月07日
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私が踏み入れた部屋は荷物も義母のカバンもあるが義母の姿だけがなかった。私が鍵を持っていってしまったからお腹がすいてしまった義母はやむ負えず部屋の扉を開けっ広げカモフラージュのためにテレビの音を、しかも大音量で出掛けたのだと思った。荷物があったからよかったもののこんな大胆かつ物騒なことだけに盗まれでもしたらと思うと少々腹立たしくもあった。瞬時にして私達を値踏みをしていた輩達が脳裏に蘇った。部屋を見渡す私は何かが違うことに気が付いた。ベッドの脇に義母の靴がおいてあるのだ。強盗?誘拐?自殺?段々、不安になっていく私の耳に長い廊下から鍵を取り出し部屋に入ろうとする義父と義兄の楽しそうな声が聞こえてきた。緊迫した事件現場にいる気になってしまった私は義父達の声で我に返ることができた。「お義母さんがいない」部屋から遠く離れた義父達に投げかけるが未だ興奮も冷めやまないのか私の声は彼らには届かないようだった。鍵を開けてこれから部屋に入ろうとする義父たちに私は慌てて駆け寄り、義母がいないと伝えたのだが彼らはお酒の酔いも手伝って気にも留めないようだった。「お義母さんが部屋にいないんです!!」私が詰め寄る表情を見せると事の次第をやっと把握したようで義父も義兄も一気に酔いから醒めたようだった。(つづく・・)
2006年07月06日
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部屋に一歩一歩近づくにつれ部屋の扉を全開にしているある一室から煌々と照らす部屋の明かりが薄気味悪い廊下にこぼれているのを確認できたと同時に、テレビの大音量の雑音が徐々に鮮明な言葉の音となって聞こえてきた。ゲストハウスとは聞こえはいいが中国大陸からの商人とかが旅費を抑える為に泊まるこのホテルに足を踏み入れた時、カウンターの前の設置されたソファーに座って私達を値踏みするような目つきで見ていた輩が真夜中だというのに近所迷惑も考えずに大音量にドア開けをしていると思いその部屋を通り過ぎた。だが、私が目指す部屋番号を行き過ぎてしまったのに即座に気が付き少し戻ってみると、近所迷惑の部屋こそが正しく義母と私の泊まっている部屋であることが内側に開かれた扉から部屋の番号が伺えた。寝ているはずの義母が異国の地で一人ぼっちはやっぱり心細いとみたか寝付けずに私達の帰りを待っているのだと思い私は義母の姿を探しながら部屋に足を踏み入れた。だが、ベッドにいるはずの義母の姿がない。うっすら開いたトイレの扉に向かって「お義母さん?」と呼びかけるが反応がない。トイレの扉のノブに手をかけゆっくりゆっくりドアを開けてみた。(つづく・・)
2006年07月06日
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2年位前、旦那の両親、義兄、姪っ子と私で台湾旅行へ行った時のことだ。胃カメラを飲んで検査をしたり←(香港でやるより断然安い為)中医さんと会って漢方薬を処方してもらう目的で訪れたそんな台湾旅行だった。中医に漢方薬を処方してもらった漢方薬で即座に下痢になりほとんど何処にもいけずにホテルに閉じこもっていた私だったがそんな中でも、95歳にはなろうパパさんのお母さん、「おばあちゃん」に会いに行ったり、台湾で指折りの財閥の家に行ってお食事したりとパパさんの親戚や友達とも会ったりしていた。下痢で悩まされていた私だったので買い物などしないままだったが帰港前夜は下痢だろうがなんだろうが遊んでやろうと義兄と義父について(?)若者で賑わっている所に行った。膝が悪いママさんはと言うと歩くのも大変なのでホテルでお留守番だ。だが、知らない国で皆を待つのは忍びないと精神安定剤と安眠導入剤で眠りこけてもらおうとお義兄さんの配慮でママさんに飲ませ、私達は出掛けて行ったのだった。夜遊びをしすぎて時計の針も午前を指した時刻に私達はホテルに着いた。義父と義兄のツイン部屋と義母と私のツイン部屋は同じ階だがエレベーターを挟んだ廊下の正反対側に位置していた。エレベーターを降り、おやすみなさいと義父たちと別れ、義母の寝ている部屋に近づくにつれまさか?!の事態になっていたと気が付くのに私は時間を要した。(つづく・・)
2006年07月06日
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近所の街市(市場)に出来たプールに行って来ました。午前、午後、夕方からの部と分かれてて19ドル。・・・っと安いんですが・・人が多い!!!夏休み中ですからねぇ・・・(失敗!)マクドナルドのように結構、ジジ、ババが多くてびっくりです。そして、彼らはまるで温泉に来たかのように壁際によりかかって談笑。う~ん、地獄谷のサルじゃないんですからね。そのうち、背中の洗いっことか始まりそうな勢いです。タオル頭の上に乗っけたり。スムーズに泳げるように左右循環式で泳ぐようにって書いてあるのにこれまた、滅茶苦茶なんですわ。真ん中陣取って泳いでる人いるし抜かすために逆走したり。順番待たずに自分のペースで泳いじゃったり。プール際で痰吐いちゃったり。ミニチャイナって感じです。一番強烈だったのが50歳くらいのおばさんのスケスケ水着姿。ええ、ええ、ちゅくび丸見えです。下も見えそうでナプキンみたいのあてていていましたが何気に斜めズレしてました。←(ショーツじゃないのかよっっ!)ま、熱心に泳いでる人だったので陸に上がっている時間はわずかだったのですが本人気が付いていないのか平気な姿にびっくり。これが若い人だったら皆の目が釘付けで可哀想だから教えてあげるけどおばさんだから、ねぇ・・・(減るものじゃないし、ワザとかもしれないし)午後の一番込む時間帯に行ったようなので今度は朝6時から~とか夕方の6時から~に行った方がよさげ。
2006年07月04日
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昨日、旦那の両親が日本へ帰って行きました。今では嵐が去った静けさです。そんな状況が旦那にはたまらなく寂しいらしい・・ですが!パパさん、ママさんのおとぼけぶりかる~くでしたが見させていただきましたよ!2人っきりになれたパパさんはママさんの周りを発情期の雄犬のようにうろちょろしてたらしい!そう言えばエスコートする手が何気におしりだったりしたっけ。その他に垢すりしてあげるからとツバを手につけて手で擦ろうとしたり、ママさんの財布からこっそりお金を取ったりと色々とありました。ママさんも酔っ払うとおかしな行動を見せるのですが酔っ払ってなくても可笑しかった。待合室で椅子に座るからとなぜなのか座ってる隣の人の膝に手を置き腰掛けてるんです。ええ、ええ、隣人はまるで『肘掛』なんですよ。隣人も隣人で何もなかったように真っ直ぐ遠い目をしてるのが面白かった。74歳と68歳の2人ですが80キロくらいの荷物を持って帰って行きました。パワフルです。
2006年07月02日
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今朝、飲茶から姑を連れて家に帰って来た。ママさんは飲茶に毛染めしたまま行ったとあり汗だくだし、どうせ頭を流すなら体もすっきりしてもらう為、うちでシャワーを浴びてもらうことにした。すっきりするからにはとりあえずうちにあるTシャツを出してあげ、うちのTシャツを着たまま1日過ごしたのだが晩御飯を食べ終わってからママさんはこんなことを言い出した。「このTシャツ着て、日本に帰る」ははははは~~・・・・またまた冗談を言ってるわ~~~~~~~ママさんのTシャツだってもう夕方には乾いてるしとっくのとんまに渡してるじゃないのぉ~~~~~パパさんも早く着替えてって言ってるし着替えてくださいな~~~~はははははは~~~しばらくして、ママさんの二言目。「日本にこれ着て帰えろうと思ってねぇ」ははははは~~パパさんも早く着替えてって言ってるんだから着替えないと家に帰れないし明日の便に乗り遅れちゃうわよ~~~あははははは~~~そして、ママさん、三言目。「これ、いいヤツだから日本に着て帰る」な、なんと?!!マジなのかよっっ?!そのTシャツは真新しくてママさんが着るからとタグを切ったものだ。それにそれは頂き物で、私らからすればTシャツの為にそこまでお金を出してまで買えるものではないのだ。ま、言ってみれば2流ブランドと言った所だがそんな物をたやすくあげるわけにはいかないのだ。一向に着替えようとしないママさんに段々、しびれを切らすっていうか、ママさんは本気で言っていることに私はビビリが入りとうとう私は口を開いた。bebe :「えええええーーー??!!!それいいヤツなんだよぉ~~~!!(笑)」ママさん:「そうなんだよねぇ。肌触りもいいし、いいヤツなんだよねぇ。 だから、日本に着て帰ろうかなって(照)」←緑のTシャツだから何気にミドリbebe :「えええーー??!!それだったら最初からそのTシャツ出すんじゃなかった~~!!」ママさん:「でもね、これいいヤツなんだよねぇ(笑)」bebe :「えーー!!着て帰るんだったらあっちのTシャツ着てってよーーー!」パパさん:「早く自分の服に着替えろよ!(怒)」豊 :「お前(ママさんのこと)どうせ何処かに無くして1回しか着ないだろ!」そだそだ!皆もっと行け~~~!!bebe :「じゃ、それうちで預かってるから置いてって!!!(笑)」ママさん:「あっちってどのTシャツ?」bebe :「ほら、これこれ。」 (5ドルか10ドルでパパさんが買ってきた『HONG KONG』のロゴ入りTシャツ) ↑ よく、職工の人がボロになってもいいように着てたりするbebe :「これだったら着てっていいよ!!(笑)」帰り際、明日日本に帰ることもあって楽しく過ごした私達との別れが辛いのかはたまたうちのTシャツを奪えなかったことに名残惜しいのかママさんはHONG KONGTシャツの上に自分のTシャツを重ね着して肩を落としてシブシブ帰って行った。 ↑(私のキャミソールに手を伸ばした時はさすがにそこまでするのかよっ!て思ったが)私がママさんの脱ぎ捨てた汗だくのTシャツに気が付かなければママさんは自分のTシャツを置いて行きうちのTシャツを着て帰ったに違いないと思うと気が付いて午後だろうが洗って干しておいてよかったーーー!と思うし代わりのTシャツがあってよかったと思うのである。ま、一番効いたのは「うちで預かってるから置いていけ」なのでしょうけど(^^;なにはともあれ無事でよかった♪ふぅー----っ
2006年06月30日
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